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千島学説を提唱され、「がん呪縛を解く」を執筆された稲田芳弘氏のブログを拝見していましたら、新型インフルエンザについて触れられていましたので紹介したいと存じます。 http://www.creative.co.jp/top/main3539.html また、今朝の中日新聞に新型インフルの対策で「満員電車の感染警戒」と題して、国交省が対策検証を始めだしたと書かれていました。 全文を紹介致します。 『満員電車の感染警戒 国土交通省は18日、都市部で新型インフルンザが発生した場合、満員の通勤電車で感染が爆発的に広がる恐れが強いため、電車に乗る人を減らしたりマイカー通勤に切り替えるなどの感染防止対策の効果や経済的な影響を予測することを決めた。 新型インフルエンザで最大64万人が死亡すると政府は想定、被害を減らすため対策行動計画は、感染拡大の可能性がある場合は、公共交通機関に強力を求めるとしている。 しかし混雑度を下げるのか全面運休するのかなどの具体策は未定だ。 このため国交省は9月中旬に、国土交通政策研究所を中心に厚生労働省など関係省庁、鉄道会社などで会議を設置。 通勤電車の対策では、「全面運休は経済、社会への影響が大きい」(同研究所)ため、乗客を減らして乗客と乗客の間を感染リスクが少なくなるとされる1m以上に離すのが現実的と判断。 離した場合、東京都心で輸送できる乗客数がどれだけ減るかや経済への影響などを調べる。 さらに、対策を取らないケースや全面運休と比べた対策の効果も検証する考えだ。 乗客数を減らすには、在宅勤務や時差出勤など企業の協力は必要。都心に立地する企業に新型ウイルスエンザが発生した際の対応についてアンケートし、乗客をどの程度減らせるか分析する。』
2008.08.19
華々しく開催された北京五輪・・・。 しかし、その閉幕までに一体何が起きるのか、その懸念は消えることはないのではないでしょうか? 今年5月8日、ちょうど日本に国賓として訪問していた胡錦濤を囲んで朝食会が催されました。 その時、日本側から歴代の首相4人が参加したそうです。 その4人は中曽根康弘、海部俊樹、森喜朗、安倍晋三であったそうです。 その朝食会は都内のホテルで行なわれ、89歳の中曽根が主催し、和やかな友好ムードが演出されていました。 その時、安倍晋三が中国側が神経を尖らせているチベットやウイグルの人権問題を指摘したことで、一時的に緊迫する場面が起きたそうなのです。 その日、胡錦濤は次のように挨拶を述べたといいます。 「みなさんとお会いできるチャンスを得て、大変嬉しい。このように一堂に会するのは初めてであり、かなり創造的な形だ」 胡錦濤はにこやかに謝意を表明し、中曽根の正面に座したといいます。 中曽根は「今まで日中関係は必ずしも良好ではなかったが、7日の日中共同声明により、新しい展開が可能になるであろう」と、胡錦濤の来日の成果を高く評価しました。 海部は東シナ海ガス田問題について「だんだんよい方向に進んでいるようなので、是非その方向で進めて欲しい」と要請。 そのような温かい空気を一変させたのは安倍が次の発言をした時でありました。 「お互い国が違うので利益がぶつかることもあるが、戦略的互恵関係の構築に向け、相互訪問を途絶えさせない関係を作っていくことが重要である。」 ・・・これは小泉純一郎の靖国参詣をめぐり、中国側が首脳交流を途絶えさせたことを暗に批判した発言でありました。 その上で、「チベットの人権状況を憂慮している、オリンピック開催によって、チベットの人権状況がよくなるのだという結果を生み出さなければならない」と指摘したのです。 このとき、朝食会の会場には緊張感が走り、出席者はみな一様に黙り込んだといいます。 安倍はさらにウイグル問題にも言及、東大に留学中の平成10年の一時帰国中、国家分裂を扇動したとして中国政府に逮捕されたウイグル人について彼は「彼の奥さん、家族は今日本にいる。彼が中国において無事に釈放されることを希望している」と求めたのです。 胡錦濤は「私はその件は知らないので、正しい法執行が行なわれているか調べる」と返答したが、チベット問題については全く触れようともしなかったのです。 この安倍の発言で生じた気まずい雰囲気を修復しようと動いたのが森でした。 森は北京オリンピックについて「中国はメダルをたくさん取る作戦でくるのでしょうね」と水を向け、胡錦濤の笑顔を引き出したといいます。 これが首脳会談といわれる典型的な例であるのでしょう。 本当の政治とは・・。 それは色々な問題をぶつけ合い、本音で語ること。 そこから議論は展開していくものであるのではないでしょうか? また、7月に開催された洞爺湖サミットも同じことでした。 このG8の主要テーマは温暖化問題、しかしそれらの問題の具体的な数値や時期は明記されず、結局今後の国連での交渉に委ねられてしまったのです。 前回、日本でサミットが開かれたのは2000年。 それから8年という歳月が流れる中、世界経済は大きな変化を遂げています。 それから原油価格は4倍、コメも4倍、トウモロコシは3.4倍に高騰し、サブプライム問題という金融不安から米国の経済は失速してしまいました。 そして、その解答の見通しは未だ立たず、ドルの信頼は揺らぎ、それと連動して巨額のマネーが原油市場に流入し出しています。 世界は今、インフレと景気減速の二つの危機に襲われています。 それはスタグフレーションと呼ばれるグローバル複合危機。 しかし、それに対して、処方箋が全く示されることはなかったのです。 それよりも各国の首脳たちは洞爺湖のホテルに集い、日本からの最高の食事に舌鼓を打ち、その会場ではがんがんと冷房は使われ、警備体制も万全の中でのG8でありました。 地球温暖化を阻止しなければならないと言いながらも、その会場では世界で最も多くのエネルギーが消費されていたことになるのではないでしょうか。 では今後、世界を揺るがす問題として予想されるものは・・・。 そのひとつは新型インフルエンザであるのでしょう。 前回まで、この対策について触れさせていただきましたが、実は7月下旬に関西空港に降り立った4人の人たちが、体温感知装置によって非常な高温が確認され、そのまま隔離病院に連れて行かれたという出来事を知りました。 マスコミはこの事実を、またその後の内容についても沈黙しているのです。 もし、彼らが新型インフルエンザであったならば、共に飛行機に乗った数百人の人々のその後はどうなっているのだろうか? これは非常に重大な問題です。 ・・・そして世界を揺るがすもうひとつの問題。 それは政治、経済、軍事においてイラン問題であるといえるでしょう。 しかしもはや米国がイランを攻撃する事は不可能といわれています。 米国世論がそのようなことを許すはずはありませんし、ブッシュもそこまでやる勇気を持ちえてはいないとある筋ではいわれています。 ではイラン攻撃はどのようにして起きるのでしょうか? それはイスラエルがイランに対する攻撃を開始したとき、そのときから始まると思われるのです。 現に6月、イスラエル空軍は東地中海において、対イラン攻撃を想定した軍事訓練を行ないました。 それはイスラエルの空軍基地からイランの原子力施設があると考えられているナタンツまでの距離を想定して、東地中海にその演習場を設けたのです。 またそれに対してイランはどのような態度をとったのでしょうか? それはG8が終わる7月9日、イラン革命防衛隊が演習を行い、少なくとも9発のミサイルが発射されたと聞きました。 その中で試射されたミサイルのうちシャハブ3というミサイルが三発、これはイランからイスラエルまで充分な余裕を持って届くミサイルであったそうなのです。 いずれにしろ今後ますますイランとアメリカ、及びイスラエルの感情的対立は激しくなっていくものと思われます。 そして、そのイランの情報を得るために北朝鮮は米国に利用されようとしています。 そしてイランとロシア、イランと中国、そこには石油が絡んでいること。 そのような中で北京オリンピックが開催され、同時にロシアとグルジアは交戦状態に入りました。 華やかなオリンピックという光の部分に捉われているうちに、世界の動向は怪しげな潮流を見せ始めています。 ・・・それはあたかも北京五輪の影の部分であるかのように、不穏な動きを漂わせているようです。
2008.08.14
細菌とウイルスは違うといわれます。 細菌は独自で生きることができますが、ウイルスは必ず宿主が必要なのです。 それでインフルエンザウイルスの宿主はカモであったといわれています。 しかし生き物である以上、どちらも生きていくためには「餌」となるものが必要なのです。 その餌が何なのかは私にはわかりません。 それと医者でもなければ科学者でもないので、難しい説明など出来ませんが、自然農法の世界で言われること・・・。 それから感じることを述べるならば、害虫と益虫の餌は違うということなのです。 そしてどちらも自然界にとっては必要なものであるということなのです。 作物には窒素が必要です。 しかし、その窒素分が過剰になると必ず病害虫に冒されてしまうのです。 ですから慣行農法においては必ず防除を行います。 施肥と防除、これが必ず必要とされる農業、それが一般農家の考え方であるのです。 しかし自然農法の観点からすれば、この考えは間違っているのです。 全てを生かす農法が自然農法。 http://plaza.rakuten.co.jp/tsuitemasu/diary/200612150000/ http://plaza.rakuten.co.jp/tsuitemasu/diary/200705310000/ 害虫と呼ばれる虫たちは嫌がらせで、人間に作物を食べさせないために作物を荒らしているのではありません。 その作物の中に人間にとって有害な物質が多く含まれるとき、その部分を排除するために登場してくれるのです。 それが作物を荒らす結果になってしまうのです。 ところが有害な物質がその作物に存在しないのであれば、害虫はやってくることはありません。 それが健全な作物であり、このような作物こそ、真の作物だといえるのです。 そしてそれこそ自然農法の目指すところであるのです。 そのような観点でウイルスを捉えると、ウイルスもむやみやたらに人間を冒すようなことはしないのではないかと思うのです。 ウイルスも人体の有害な部分を掃除しに来ているのではないだろうか? ですから、そのような餌となるものが存在しなければ、ウイルスに冒されることはないのでは、と思うのです。 ですからそのような身体を作ること。 それが大事なことだと思えてくるのです。 自然の中で人間は謙虚でなければなりません。 自然に対して決しておごり高ぶってはいけないのだと思います。 免疫力はその自然からいただいた大切な防御装置。 ですから、この力を高めることがとても大事なことだといえるのではないでしょうか。 そのためにはどうするばよいのか? それを各自が考え、実行するべきだと思うのです。 前回に紹介した二人の人物は、その観点に立って自ら実践された方です。 うまくお伝えできていないかも知れませんが、私はそのように思います。 自然の恵を受けて、真に感謝を忘れなければ、それは必ず免疫力を高めてくれる。 それが唯一の対策。 私はそのように思っております。
2008.08.14
今回は二人の人物を取り上げて新型インフルエンザを考えてみたいと思います。 以前、日本における独創的思想家として「安藤昌益」という人物を紹介したことがあります。 この人物については詳しくは以下をご覧下さい。 http://plaza.rakuten.co.jp/tsuitemasu/diary/200607260000/ その人物は医者であり、百姓でありました。そして以下の言葉を残しております。 『自然の気行を知らないで医術を行い、完治したものがいたとしても、それは医術や薬効のせいではなく、その人に備わった自然治癒力が旺盛で病を圧倒し、自然に治癒したにすぎない。こうした患者は薬を用いなければ、もっと早く完治したであろう。薬を用いたから、完治するのが遅れたのである。さらに虚弱体質の病人は投薬のために軽症は重症となり、重症のものは日を置かずに死亡する。 』 『今の医者は、貪り取ることしか考えていない。医者よ、あなたは本当に医者だといえるのか。それとも薬屋なのか。 』 上記の言葉で分かること、それは現代の医学にも当てはめることができるのではないかと言えるのではないでしょうか。 しかし、彼は江戸時代の人物、ですから今から250年以上も前に語られた言葉であるのです。 おそらく当時の医学といえば東洋医学、そして薬といえば漢方薬であったのでしょう。彼はそれを否定していた・・。 そういうことになるのです。 彼は自然界の摂理を「自然の気行」と言いました。 そして、自然を規範に生きることで平安に暮らせる、それが人間の本来の姿であると説いたのです。 それで以下の言葉も残されています。 『 でたらめな教え(仏教、儒教の教えなど)にだまされて迷い、願望ばかりが募って、人々に本来備わっている清浄な心を見失い、真実の心を曇らせてしまった。 そのために人々の心には欲望が渦巻いている。 こうして、人の捻じ曲がった心に生じた気が吐き出され、それが天地を運回する正常な気の運行を損ね、自然界の根源までも汚染する。 そして本来ゆがんだところのない自然の循環が、人間の妄欲から生じた邪気によってゆがめられ、本来の運回ができずに暴発して、気の運回が狂い乱れ、大雨、台風、洪水、旱魃、冷害、凶作、流行病、兵乱など、思いもよらない災難を招き、混乱の絶えない国になってしまった。 人々が欲に溺れ、ゆがんだ心が災難を誘発し、それがまた人々をさいなむ。 飢饉や病気などの悩みが絶えないのは、すべての人の欲心が引き起こし、それが人々に帰ってきたものであり、自然本来の姿などでは断じてなく、そもそも外来の邪法に心を奪われ、欲に溺れ、心がゆがんでしまったためである。 したがって、こうした外来のでたらめなイデオロギーを廃絶すれば、明日にも人間本来の自然を尊ぶ心が取り戻され、この国もまた、悩みのない自然の恵みのままに栄える本来の姿に戻ることが出来よう。 』 私はこの人物を知り、その内容にふれてこの人物は揺るぎない土台を持った人物ではないだろうかと思いました。 そして、二人目は世界救世の開祖で自然農法の原理を提唱された岡田茂吉という方です。 岡田茂吉は婦人病以外のあらゆる病気を経験され、また経済的にも様々な試練を受けられ、大本教に入信され、神示によって独自の思想を持たれた方であります。 この方も安藤昌益と同じく、揺るぎない土台を持たれてました。 そして、その共通点こそ、「自然の摂理」であったのです。 岡田茂吉は予防接種についての危険性を以下のように述べています。 『 この論文は、現在政府が絶対的信念の下に行なわれている医学的方策を非難する意味になるのでかきたくはないが、余りの迷妄に看過する事が出来ないから書いたのであるから先入観念に捉われる事なく一の学説として参考されん事である、これを信ずると否とは観る人の自由であるからである。 今日伝染病と称するもの、例えば天然痘、麻疹、百日咳、ジフテリヤ、チフスを初め、数多い種類があるが、それらは防止手段として予防接種を行なうが、なるほどこれによって一時的発病を喰い止め得ても発病を絶対阻止する事は不可能である。 吾らの持論である病気とは何人も必ず保有している体内毒素の排除作用であるから、病気こそ体内を清浄化する天与の健康増進法であるに対し、医学はこれを逆に解釈し、その浄化活動を停止するを可とする。 それが予防接種である。 元来伝染病なるものは旺盛なる浄化作用であるから年少者に多いのである。 何となれば発育盛りの小児は新陳代謝が旺盛であるから発育の障害物である毒素排泄の浄化活動が起りやすいのは当然で、実に天の恵といわなくてはならない。 しかるに何ぞや医学はこの結構な浄化活動を弱らせようとする。 それには薬剤その他の異物を体内に注入して衰弱させるのである。 これによって弱体化した児童はおらつらえ通り浄化作用すなわち病気が起り得なくなるから医学は効を奏したと誤認し、今日のごとき予防接種をさかんに行うようになったので、その誤謬たるや評すべき言葉はないのである。 従ってせっかく排除さるべき毒素をそのままに保存するばかりか、新しく薬毒を追加するので、毒素はいよいよ増量するが、弱体化した児童は強力な浄化が起り得ないため、精々感冒くらいが頻繁に起るのである。 ところがこれだけならいいとしても、実はこれが恐るべき結核の原因となる事である。 ここで一言いうが、感冒とは微弱な浄化ではあるが、ともかく喀痰、鼻汁、発汗等によって体内毒素は緩慢ながら排泄されるが、医学は逆に解釈し、停止手段を行うその結果結核に転化する事は、結核の項目に説いた通りである。 以上のごとくであるから、今日、盛んに行われている予防接種こそ全く結核の種蒔きという訳になるから、これに目覚めない限り結核は減るどころか、益々蔓延するのである。』 「予防接種と結核 神示の健康法 昭和25年4月」 この論文に対し、ある医師は述べました。 『 論文に「一時的発病を喰い止め得ても発病を絶対阻止する事は不可能である」と示されています。 はしかにかかれば終生免疫が得られるように、はしかの予防接種でも終生免疫が得られると考えられていました。 しかし、幼児期にはしかの予防接種を受けたにもかかわらず、小中高校生になってからはしかにかかるケースが増えています。 はしかにかかった生徒たちの中で約35~65%がはしかの予防接種を受けていたのです。 予防接種の効果のあるのは5~10年程度とみるべきです。 このような現象は最近になってからのことです。医学においてははしかの流行が減ったため、はしかの抗体が上がりにくくなったのではないかと考えられています。 そういうこともあるでしょうが、岡田氏はこれから霊界における火素の量が増え、それが体内の毒素を溶かすとも述べているので、このために浄化作用が強くなり、予防接種の効果が弱くなったとも考えられます。 また、はしかや風疹などの予防注射を受けた方がよいか受けない方がよいか、迷っている人たちが少なくありません。しかし、それは予防接種をした場合のプラス・マイナスと、しない場合のプラス・マイナスを考えた上で、最終的には自分自身で決めなければならないことなのです。 健康で、はつらつとしていたわが子が、ある日予防接種を受けたために重度の知能障害になったり、最悪の場合、死に至ってしまうという可能性も少ないとはいえ、皆無とはいえません。 わが子だけは大丈夫だろうと思っている人が多いようですが、このような危険性は事前に予想しがたく、誰でも起こる可能性があることを認識すべきです。 予防接種をして何事も起きなかったとしても、安心とはいいきれません。予防接種はよく飛行機事故に例えられて、「飛行機が落ちる可能性はゼロではない。飛行機に乗って無事着陸できればまったく被害がない。予防接種も同じように、受けて何もなければまったく問題がない」といわれています。 確かに飛行機の場合は、無事に着陸出来れば飛行機に乗っていたことの障害はほとんどありませんから、問題はないといえるでしょう。 しかし、予防接種を受けて表面的には何でもなくても、それを受けたことによる未知なる弊害は予想がつきません。何十年か先になって、どんな弊害が判明するかわかりません。 感染症が少なくなったために、アトピー性皮膚炎などのアレルギー性疾患が増えてきましたが、予防接種も感染症を減らした原因の一つです。 はしかや風疹に実際かかって得られた免疫力と、予防接種によって得られた免疫力とは同じものではありません。トマトを食べた時に得られるビタミンやミネラルと、精製されたビタミン剤やミネラル剤から得られるそれらとは、有効性が違うのと同じようなことなのです。 予防接種に使われるワクチンには、製造工程において防腐剤や効果をより高める目的で様々な化学物質を添加しています。 そのなかでエリストマイシン、ストレプトマイシン、カナマイシンなどの抗生物質や、ホルマリンなどの防腐剤は特に有害なものです。 これらが、いつ、どのような有害性を生じるかわかりません。、また、ワクチンを培養する培地として使われる動物などの細胞にも、どのような有害性があるかわかりません。 はしかなどに実際かかると、終生免疫を得ることが出来、二度とその病気にはかからなくなります。 これに対し予防接種では、終生免疫が得られないこともあります。 はしかでは数%の人には終生免疫ができないことがわかっています。 また、大人になるにしたがって次第に予防接種の効果がなくなり、重いはしかになることもあるのです。 厚生労働省はインフルエンザの予防のために、インフルエンザワクチンの予防接種を推奨しています。 それは「予防接種を受けなかった老人の死亡率を100とすると、予防接種を受けた老人の死亡率は20で、5分の一である」という調査を根拠にしています。 しかし、この調査には問題があります。予防接種を受けた人とは予防接種を希望した人であり、受けていない人とは予防接種を希望しなかった人なのです。 予防接種を希望する人は、予防接種を受けることの出来る比較的元気な老人が多く、希望しなかった老人は、予防接種を受けることの出来ない病弱な老人が多かったのです。 このような比較では、ワクチンの効果を公平に判断することは出来ません。 国内外には「インフルエンザの予防接種に効果はない」という調査がいくつもあります。 さらに、予防接種の副作用による問題もあります。インフルエンザ脳症は、インフルエンザによるものより、解熱剤によるものが多いという研究調査もあります。 解熱剤がインフルエンザ脳症を作っていることがあるのです。そしてインフルエンザの予防接種の副作用で死亡した例もあります。 無害なものであれば、効果がなくても気休めで受けてもよいかも知れません。しかし、たとえ予防接種後に副作用がすぐに現れなくても、有害性は否定できません。 インフルエンザの予防接種は、メリットとデメリットの両方の情報から総合的に判断してください。 また、平成15年に厚生労働省は「一歳の女の子がインフルエンザワクチンを接種した四日後、急性脳症で死亡し、ワクチンの副作用死の疑いがある」と発表しました。 ワクチン接種と死亡との因果関係は不明となっていますが、インフルエンザワクチンを接種する直前に、インフルエンザになって発症した可能性はないとはいえませんが、少ないでしょう。 もし、そうだとしてもインフルエンザワクチンの接種をせず、インフルエンザになっていたら死亡することはなかったと思われます。 インフルエンザワクチンを接種するのであれば、たとえ確立が低くても死を覚悟して受けるべきです。』 「神示の医学 三好基晴 城島印刷」
2008.08.14
前回の続きとはいえませんが、紹介させていただきます。 文藝春秋8月号に『死者三億人「新型ウイルス」に備えよ』と題して11ページにわたって対談形式での記事が掲載されました。 対談は石原慎太郎東京都知事と田代博嗣東京都議会議員、そして国立感染症研究所の田代眞人ウイルス第三部長の三人で行なわれました。 まず、鳥インフルエンザ対策は米国においては医療問題の域を超えて、国家安全保障の問題とされ、大統領直轄でテロと並んだ大きな課題のひとつであるとされていること。 それはジョン・バリー著の「グレート・インフルエンザ」(共同通信社2005年)。 実はこの一冊の本が米国を動かしたと言われていました。 米国では大統領が夏の休暇中に読んだ本のリストを公表する慣例があり、先に紹介した書籍の内容は1918年から19年にかけて世界を席巻したスペインインフルエンザについて述べられた書籍であったのです。 そして米国の医者や医学者たちの奮闘が豊富な資料に基づいて書かれており、それを現大統領ブッシュは大きな衝撃を受け、鳥インフルエンザの問題はもはや病気というものではなく、「国家危機管理問題」であると定めたのです。 そして米国保健省から外交問題を取り扱う国務省に移動させます。 今、日本においても同じような歩調で国家にとっての危機管理問題とした位置づけで政策は始められていると聞きます。 トリからヒトに感染した鳥インフルエンザですら致死率は60%を超えています。 1918年から20年にかけて世界で大流行したスペインインフルエンザ、この死者は田代眞人氏によれば2000万人から1億人に及んだとされています。しかし、それだけの死者を出していながらもその致死率は2%程度のものであったそうなのです。 そして新型インフルエンザの出現は『もしも』ではなく時間の問題と見ているのは世界のインフルエンザ専門家の共有する認識であるとも述べられています。 それはトリからヒトへの感染が起きていること自体が、その予兆現象であるからだそうです。 はたしてヒトからヒトへ変異した新型ウイルスはどれくらいの致死率となるのだろうか? 鳥インフルエンザの致死率でさえ60%を超えるという、これだけでも大いなる脅威であり、未曾有の恐怖といえるのです。 また、インフルエンザの拡散で特に始末に負えないのは野生の鳥であるようです。 ニワトリはほぼ全滅しますが、野生のトリは全滅しません。その何%かはウイルスを持ったまま遠くまで飛んでしまい、降り立ったところに新たな危険を作り出してしまうのです。 ですからこの拡散を止めることは不可能なのです。 そしてそのウイルスが変異に変異を重ねて、ヒトからヒトに感染する能力を持ちえたとき、パンデミックフルーに至るのでしょう。 その対策としていちばん効果的なものはワクチンだといわれています。 新型インフルエンザに感染した患者から採取したウイルスを使って作られるワクチン、これがパンデミック・ワクチンと呼ばれるものです。 ところがこのワクチンを作るためには最低でも半年、そして国民全員に行き渡るようにするためには一年半もの月日が必要とされているそうなのです。 そして肝腎なその検体は、新型インフルエンザによって死亡した犠牲者が必要となるのです。 今、日本には2900万人分のタミフルなどの抗インフルエンザ薬と2000万人分のプレパンデミックワクチンがあります。 プレパンデミックワクチンはH5N1型の鳥インフルエンザウイルスから作られたもの。 これを与党のプロジェクトチームは国民の4~5割に増やすことを提言していると聞きました。 そして、対談の三者の認識としては、米国の政策からすれば、日本はまだまだおくれていると、そのような結論となっていました。 ・・以上、簡単に冒頭の対談記事を紹介させていただきました。 しかし、その対談の中でワクチンこそ救世主のように強調されているのですが、個人的には大きな疑問を感じました。 はたしてそれは大丈夫なのだろうか? この点につきましては次回に報告致したいと思います。
2008.08.04
8月8日現地時間午後8時・・・、北京オリンピックが開催されます。 「8」という数字は日本でも「八」は末広がりから縁起がよいとされているように中国でも吉祥を表す数字であります。 広東語では「発」と同じ発音になることから「発財=お金持ちになる」という意味で、経済成長を続ける中国にとってはこの8を並べるところに中国政府が今回のオリンピックにかける意気込みが窺い知れるとも思われます。 ・・・ところが その重要な年に中国は年初から波乱万丈の様相を呈してきたかのようなのです。 1月25日、中南部を襲った大寒波は大規模な雪害を発生させ、その被害は数百万人の人々を苦しめ、農業や産業全般に大きな損害を与えました。 また、3月14日にはチベット自治区のラサで大暴動が発生し、それはチベット族が居住する様々な地域にまで飛び火し、中国政府はその鎮圧に多大な精力を費やしました。 そして、5月12日、四川省でM8の大地震が発生、犠牲者は8万人を突破しました。 これら一連の出来事、それが中国語のインターネット掲示板に「8の偶然の一致」という表題で以下のような書き込みがなされていたらしいのです。 [1] 四川大地震の発生日である5月12日は、北京オリンピックの開幕日である8月8日から逆算するとちょうど88日目に当たる。 [2] 1月25日の雪害、3月14日のチベット暴動、5月12日の四川大地震。これら月日の数字を足し算してみると、1+2+5=8、3+1+4=8、5+1+2=8となり、合計はすべて8となる。 [3]「 四川」という漢字の画数の合計はちょうど8になる。 [4] さらに、「四川」という2文字には「八」という文字が2個含まれている。 [5] 四川大地震が発生した5月12日は旧暦の“四月初八”に当たる。 [6] 四川大地震のマグニチュードは8.0であった。 <中国政府地震局は5月18日付で、当初7.8と発表していた四川大地震のマグニチュードを8.0に修正した> はたしてこれら全てが偶然の一致で済まされるものなのだろうか? それとも、綿密に計算されて起こされたことであるのだろうか? ・・・いずれにしても共産主義体制を維持しながら市場経済を成長させ続けるという矛盾した政策を推し進める中国に対して、またその利益の大半を軍事費に注ぎ続ける大国であるならば、先進諸国が警戒を強めることは当たり前のことであるのでしょうし、同じ中国人にしてごく一部の人間しかその恩恵に預かることができない国、14億とも15億ともいわれる人口を抱える国であるがゆえに不満を抱く人々の数は計り知れない数となるのでしょう。 ・・・その中国青島で得体の知れぬ疫病が蔓延し始めている。 また、米国は選手団にマスクをつけさせて開会式に参加させるという始末。 はたして開会式に何が起きるのか、はたまた起こされようとしているのか、そんな中で「博訊」(ハクジン)というグループが7月10日に以下の声明を発していたらしいのです。 1、病原菌を水源地と病院に投下。 2、超小型爆弾を食品に仕掛ける。 3、北京で爆弾を組み立てる。 4、ガソリンスタンドに突入し爆発。 5、送電、ガス管、水道管を切断。 6、世界のメディアにテロを予告発信。 7、地方の政府関係施設を攻撃。 8、直接、北京にミサイルを発射。 9、北京の地下鉄にサリンを散布。 10、大型自動車で主要施設に突入爆発。 この組織は中国の留学生グループ、また前回お伝えした法輪功の本部はニューヨークにあり、その背後にCIAが関与しているとも聞きました。 中国の内紛、それだけ中国政府の政策に対して不満を爆発させる分子の数は数え切れないくらい存在しているのでしょう。 さらにチベット族、ウイグル、そして退役軍人・・・などなど。 そして世界を上から見るグループ。 その世紀の祭典が、間もなく幕を開けようとしています。 続く・・ 追記、 外国選手団の多くは日本に滞在しているようです。 特に多いのは四国と和歌山、そこを拠点に北京オリンピックに参加するのでしょうか? また、8月1日に開通されるという中国の新幹線もテロの標的としては格好の標的となるのではないでしょうか? はたして北京五輪は世紀の祭典となるのか、それとも世紀の災難を発生させるのか、どちらにしてもこのような状況下でのオリンピックはソ連時代にもボイコット騒動がありましたが、あまり聞いた話ではないのではと思っています。 冷めた考えになってしまいますが、静観したいと思っております。
2008.08.04
中国山東省青島市で原因不明の疫病が流行していると聞きました。 その数は7月15日の時点で青島市の市街区だけで感染者が16万人、そして死亡者は1251人に達しているそうです。 これらの情報は「大紀元」という中国メディアから発せられたものですが、大紀元は中国共産党が目の敵にしている「法輪功」のグループです。 法輪功の会員は中国大陸を中心として全世界に1億人以上いると言われていますが、彼らは中国当局から弾圧を受けています。 彼らによれば毎日のように法輪功メンバーは刑務所につながれて行くとのことだそうです。 ・・・従って、「大紀元」の情報のすべてが真実であるとは思わないほうがよいかも知れません。 彼らが中国共産党と戦っているために、それらの情報が大袈裟に報道されたりもするからです。 しかし、この情報に関してある研究所が在日中国人情報網と接触した結果、この情報に関しては真実と思っても間違いないという判断をされました。 この中国山東省青島は五輪ヨットレースの開催地であります。 そこに激震が走ったのです。 現在青島大学の付属病院、青島市立病院などの大きな病院では毎日数万人規模で患者が詰めかけているそうです。 これらの患者には共通の症状があり、激しい頭痛、嘔吐、高熱が見られるそうです。 多くの高齢者と児童は症状がより激しく、肝臓、腎臓、呼吸器などの機能障害を併発しています。 一方、7月12日に青島市政府は全市の衛生局、疾病制御センターなどの感染者を集めて研究会議を開きました。そしてその会議の席上で、今回の感染症は流行性脊髄膜炎に似ていることが報告されたと聞きました。 その上まもなく開催されるオリンピックのヨットレースに影響を与えないように、今回の感染症情報は最高機密として処理されてしまったのです。 そして、各級の衛生医療部門に患者を強制的に隔離するように要求したとのことでした。 さらに加えると、この青島市の海及び川で大量の緑藻が数日前に発生し、それを除去しなければセーリングの練習もできないということで、多くの外国人たちがすでにその所でセーリングの練習をしようとしていたのですが、難しくなったために中国当局は軍隊を出動させ、ボランティアの市民たちも動員して、緑藻の撤去を図っていたのです。 その時に突然、上記の症状が発生し始めたそうなのです・・・。 ・・・新型インフルエンザ。 ・・・そして意図的か? ・・・それは定かではありません。 また、日本において東北や北海道でH5N1型の鳥インフルエンザが確認されたことは知られています。 それらに関連して警笛を鳴らす日本の医療ジャーナリストがいたのでした。 志村 岳という人物、彼は1953年に群馬県で生まれ、東京衛生局保健所管理課に勤務、その後10年間新聞社勤務を経て、現在医療ジャーナリストとして活動をされているそうです。 彼は「WiLL」誌の7月号で「中国から鳥インフルエンザがやって来る」という論文を発表されています。 そして最も重要な事柄は、すでにこの日本において新型インフルエンザが発生していることと、まもなく中国において抑えがたい現実が起きることをその論文でまとめていたのです。 その内容を以下にお伝えします。 「東京都江東区在住、42歳の商社マンA氏の体調が急変したのは今年4月。半年に及ぶ中国への長期出張から帰国後、1週間が経過した頃であった。 その日は朝から全身がだるく、軽い咳と関節の痛みがあった。会社から帰宅後、床に着くと40度を越える発熱と悪寒が全身を包んだ。 ここまでは典型的なインフルエンザの症状であると思えた。 その後、彼の妻は急変する夫の状態に恐ろしくなり、救急車によって救急病院に入院する手続きをとった。そして、彼を診察した医師は血液採取して病原体の種類を調べた結果、これは従来のインフルエンザではないということに気がつくのである。 胸部のレントゲン写真には重度の肺炎の証しである白い影が極めて鋭く現れていた。病原体は肺炎の奥深くにまで侵入し、細胞を破壊し続けていたのである。 『今まで数多くのインフルエンザ患者に接してきたが、これほど急速に肺の機能が破壊されたことはなかった。インフルエンザというよりも、むしろアフリカでしばしば流行しているエボラ出血熱に近い症状である』 病原体の全身感染はあまりにも早かったがゆえに、医者たちの努力の甲斐もなく、わずか1日で彼は死亡したのである。 そしてその担当医は次のように述べた。 『まだウイルスの種類が確定したわけではありませんが、全身感染の急速な進行、吐血に至るまでの重要な肺炎といった症状は、H5N1型に酷似していると言えるのではないでしょうか』」 厚生労働省によれば日本国内では今のところ発症者はゼロとされています。しかし志村氏の指摘によれば、H5N1型ではないかという症状例が出ていたということになるのです。 そしてこれは東京だけではなく各地においても見られたそうです。 例えば今年5月、学校帰りにゲームセンターに立ち寄り、帰宅後急に体調を悪化させ、数日後に死亡した大阪の17歳の男子高校生。 また今年4月、老人介護施設で出血性肺炎など、通常のインフルエンザよりも重い症状を引き起こして死亡した宮崎県在住の60歳の女性。 さらには今年3月、重い症状の高熱と肺炎で死亡した北九州の幼稚園児。 それらの症状例が密かに報告されていたのでした。 これらのことを踏まえて私たちはこれからどのような行動をとれば良いのか? いよいよその時期が訪れるような、そんな気配を感じるのです。
2008.08.04
東京湾の波間から潜望鏡が現れる。 英国の潜水艦であった。 やがて、その潜水艦から無人ヘリコプターが飛ばされ、東京の街並みが映像化される。 そして日本人乗組員吉住がその光景を眺めはじめる。 静けさの中、道路には自動車が無秩序に停車している。人の気配はない。 そしてカメラがズームアップされていくと街のあちらこちらにミイラ化した死体が映し出される。 そのとき彼らは人類滅亡という現実を突きつけられる。 ・・・これが映画「復活の日」のオープニングです。 この物語の原作は小松左京が1964年に執筆されたもので、映画は原作とは少し内容が違います。 あらすじ 「 生物兵器に使うため弱毒化する過程で出来た、猛毒の新型ウイルス MM-88がスパイによって持ち出され、全世界に蔓延した。 そして、人類を含む哺乳類と鳥類はほとんど絶滅し、わずかに生き残ったのは極寒の南極大陸に滞在していた各国の観測隊員だけであった。 絶望の中から再建の道を模索する彼らだったが、日本隊の地質学者・吉住がアラスカへの巨大地震の襲来を予測する。 そしてこの地震による被害を「敵国」の核攻撃と誤認する米のARS(自動報復装置)によってソ連本土に核ミサイルが撃ち込まれ、さらにこれを受けてソ連のARSも作動し、南極も含めた全世界に核弾頭付き ICBM が降り注ぐ危険が判明する。 吉住は自ら志願して、ワシントンD.C.にあるスイッチを切る為にふたたび死の世界へと赴く…。 」(Wikipediaより) また映画で登場するMM-88という新型ウイルスについては以下のとおりです。 「 MM-88 映画では「イタリア風邪」と呼称され、新型の極めて致命的な生物兵器である、という程度の説明しかされていない。 原作では、MM-88によって変異したインフルエンザは「チベット風邪」と呼称される(原作の記述によれば最初の発生地域はスイスとイタリアの国境周辺のはずであり、この点では映画版の改変が正しいー映画ではカザフ王国)。 原作によれば、大元は米国が大気圏外から採取した微生物の子孫で、秘密裏に生物兵器として研究されていた「RU-300系列」がスパイによって盗み出され、流れ流れて英国の細菌戦研究所に持ち込まれたものの88代目の子孫。 同所の研究員カールスキィ教授がこれを研究していたが、そのあまりの強力さにノイローゼとなり、職業スパイにつけ込まれてこれを盗み出した。 教授の本来の目的は原株をソ連に送りワクチンを研究・開発させる事だった。 しかしスパイが逃走中に事故死してMM-88がばら撒かれる結果になった。 RU-300系列を研究していたマイヤー博士は、ある時点でMM-88の正体に気づいたが、時既に遅く、世界の破滅を食い止めることはできなかった。 MM-88は核酸のみの存在で、ブドウ球菌に似た特定の細菌(作中ではMM-88についての知識を南極に知らせてくれた恩人、A.リンスキィ博士のアマチュア無線局のコールサインにちなんで「WA5PS」と命名)を媒介としてインフルエンザウイルスを含む「ミクソウイルス群」に寄生する。 そしてこれらのウイルスは新型の非常に致命的なものとなり、爆発的な増殖力で大規模な蔓延を引き起こす。 人間だけではなく鶏などの伝染病としても蔓延し、鶏卵が高騰して防疫体制が深刻なダメージを受ける描写もある(通常のワクチン製造には鶏卵が大量に必要である為)。」 この映画を見ることで細菌兵器の恐ろしさを知ることができます。 映画は28年前に製作されたものですが、執筆は44年前になされたもの。 この映画を映画館で観たときは単なる空想映画としか思っていなかったのですが、鳥インフルエンザの脅威を知らされたとき、その恐ろしさと、細菌兵器を開発する人間の愚かさに憤りを感じてしまいました。 「私は究極の敵と出会った。その敵とは人間である。」 これは世界支配のメンバーにあたる、ある人物が述べた言葉。 その人物はあまりにも多くの無駄飯食いを少なくとも2005年までに25億人にまで減らさなければならないと言ったそうです。 そして彼らの世界征服綱領には次のように書かれています。 「軍備の強化、警察力の増強、これらはすべて世界を支配する計画に不可欠である。 われわれが達成しなければならないのは、世界のすべての国々にわれわれ自身の他には、労働大衆、われわれの利益に貢献する少数の富豪、警察及び兵士しかいないようにすることである。」 彼らはあたかも自分たちが神であるかのように語ります。 そして、そこには良心の呵責もありません。 ・・・それがヨハネ黙示録の現実化に、向かわせてしまうと思うのです。
2008.04.10
『 1月12日、NHKテレビは二日間にわたって驚くべき内容のテレビ番組を報道した。 それぞれNHKスペシャルとしてゴールデンアワーにおいて取り上げられたのである。 すなわち新型インフルエンザが現実的になった場合、何が起きるかというテーマだったのである。 第一夜はドラマであった。 すなわち一般の人々にもわかりやすいようにとドラマ風の組み立てであった。 約1時間半の間息詰まるようなドラマ、そして誰も新型インフルエンザを抑え込むことができないということで番組は終わるのである。 第二夜においてはドキュメンタリーであった。 日本で撮られた映像だけではなく、アメリカや世界中で撮られた映像が発表されたのである。 それは1時間ほどであった。しかしまったく解決のない終わり方だったのである。 日本放送協会といわれるNHKが、なぜこのようなドラマとドキュメンタリーを報道したのであろうか。 もう足元まで新型インフルエンザが近づいていることを日本人に伝えようとしたのであろうか。 あるいは世界支配の者たちの片棒を担いで、自分たちはとにかく日本人に警告を発していたのだという責任逃れのために放送したのであろうか。 いずれにしろ衝撃的なものであった。 そして、その僅か二日後には第一部も第二部も零時10分から再放送された。 再放送であったということは、どうしてもこの番組を見せなければならないという意気込みに溢れていたわけである。 そして、それから数日経って、あのNHKの記者たちが株のインサイダー取引をしていたことが公になったのである。 日本中が衝撃を受けただけではなく、多くの日本人は怒りを覚えたであろう。それも一人や二人がやっていたのではなく、多くの記者たちが当たり前のようにそれをしていたのであった。 まさに法律違反である。それゆえにNHK会長が辞任を発表した。 この新型インフルエンザの番組と後のインサイダー取引の事件は別物なのであろうか。 NHK会長の辞任はまったく予期せざることだったのであろうか。 NHKは素晴らしい番組を放送しようと心がけてきた。 しかし、次第次第にその内容もつまらないものになりかけていたのである。 紅白歌合戦の内容が色々と議論されるように、NHKの番組の低俗化が問題となっている。 そのNHKにおいて最後の砦、あるいは国民のための番組を作るという自負心を満足せしめていたのが「NHKスペシャル」だった。 そのNHKスペシャルを通して二日間にわたって新型インフルエンザの放送をしたことには大きな意味があるし、その背後には何かが潜んでいるように思えてならないのである。 その番組の始まりは次のような言葉でスタートする。 「鳥から人へ感染するといわれるH5N1。このウイルスが人間の間で爆発的に広がる新型インフルエンザに変異するのではないか。世界中の政府や専門家たちは危機感を強めている。死者は最悪1億人を超えるという警告も出されている。 [新型インフルエンザの感染爆発は確実に起きる。問題はいつ起きるかではなく、我々に残された時間は後どれくらいであるかということである] 世界中の国々が航空機で結ばれている時代、ひとたび感染が始まるならば、短期間で日本に上陸して来ることが予測できる。 国民の大半が巻き込まれる新型インフルエンザにどう対処するか、国による訓練が始まっている。 厚生労働省は国内の死者は最悪の場合64万人とシュミレーションしている。しかし、被害はさらに拡大する恐れがあると専門家たちは指摘する。 [日本全体で数百万人の犠牲者が出るということも最悪の事態として考えられる。社会機能の崩壊ということが起き得るのではないか。経済活動の崩壊が起こり得るんだというその最悪のシナリオを念頭においての対策を立てていかなければならない。] 未曾有の感染爆発は今どこまで迫っているのか。 その脅威に対して備えはできているのであろうか。 シリーズでお伝えしている最強ウイルス。第一夜は新型インフルエンザが日本を襲った場合を想定したドラマ。 そして、第二夜はドキュメンタリーである。 「足りないんだよ、医者が」 新型インフルエンザによって医療の崩壊や社会の大混乱が引き起こされる様子がそのドラマで描かれた。 「都内で発生した新型インフルエンザは4日間で爆発的に増えた。東京都だけで感染者は1万人を超え、死者は900人となった」 「これは国家全体の危機ですよ」 第二夜は現実の世界で新型インフルエンザの脅威がどこまで迫っているのか。そして、私たちはその備えが出来ているのかを検証していくことになる 」 このことはSF映画やSF小説ではない。 今、私たちの足元まで来ている現実なのである。そして、充分なワクチンも用意されていない。いや何よりも日本国民のほとんどがこの新型インフルエンザの脅威が何であるのかの教育を受けていないのである。 これが始まると、どれほどのパニックが起き得るであろうか。 特に都会において・・・。 私たちは少なくとも特別なマスクを手に入れる必要がある。 毒性の強いウイルスに対処するマスクである。医療関係者たちはすでにそれを手に入れているであろうが、一般国民もまたマスクを今のうちに手に入れておかなければならない。 さらにどのような食べ物、どのような飲み物を備蓄しておくべきであろうか。 2008年は恐るべき時代、すべてが大きく変えられていく時代なのである。 ここで読者諸氏の心の中にひとつの思いがよぎっていることであろう。 「この新型インフルエンザは果たして偶然のものか、それとも人為的に作り出されたものであるか」と。 まさに重要なのはその点である。 核兵器と共に生物兵器が当然のごとくに論じられている。 生物兵器はあらゆる病原体から作られている。多くの事例が発表されている。 日本に脅威を与える北朝鮮はまさに貧しい国である。核兵器を掌中に収めたかどうかが問題となっている。しかし、その北朝鮮で確実に生物兵器は開発されていると言われている。さらに化学兵器もまた開発されていると言われている。 サダム・フセインがクルド人たちに対してこれらの兵器を使用したとよく言われてきた。しかし、日本の最も近い所で、そして最貧国のひとつとされている北朝鮮においてそれは現実なのである。 世界支配を目指す者たちは人口抹殺をその射程内に収めていることは事実である。 今日世界人口65億、しかし、あと数十年間でその人口は100億人となるであろう。 今、世界で最も問題となっているのは人口増加に伴って食糧、さらには水をどう確保するかということである。 北京オリンピックの時に果たして水をどのように確保するのかが囁かれている。 なぜならば中国の首都北京の僅か数十キロまで砂漠がひたひたと近づいて来ているからである。 水が最も大きな問題である。人類歴史を作ってきた黄河で毎年のように断流が起きている。上流から激しく流れた黄河の水が、その最終地点である海にまで到達することができなくなっている。 それは工業の発達と共に多くの水が必要とされ、人口爆発の中で飲料水が求められるがゆえである。 水をどうするか、食糧をどうするか・・・・世界支配を企てる者たちは100億人の人々に対して責任を持つつもりはない。 それどころか自分たちの利益を優先した世界支配を企てているに過ぎないのである。 彼らは人口抹殺のために核兵器を使用することさえ企てているであろう。 第二次世界大戦は広島、長崎に投下された核兵器によって終結した。しかし、第三次世界大戦は核兵器によってスタートすると言われている。 これを使うならば一瞬のうちに1000万人単位で人々は死んでいくであろう。しかし、彼らからすればそれこそが「合法的殺人」となるのである。」 』
2008.04.06
第一次世界大戦は1914年から1918年にかけて戦われました。 この戦争から多くの大量殺戮兵器が使用され、多くの犠牲者が出たのです。 しかし、この戦争を終結させた原因は、戦争によるものではなかったのです。 それが当時流行したスペイン風邪でありました。 このスペイン風邪も鳥インフルエンザが変異したものですが、それは弱毒性であったそうです。 第一次世界大戦での戦没者は1000万人、ところがスペイン風邪の犠牲者は5000万人にのぼったのです。 さらに当時はアジア地域やアフリカなどでの死者の統計を取ることが出来ない状況であったそうで、そのようなことから1億人以上の人々が犠牲になった可能性もあるそうです。 このスタートは1918年8月、アフリカ西海岸のイギリス領シエラレオネ付近とされています。 それから本格的な流行は米国のシカゴからであったそうです。 そして第三波で日本では39万人の人々が死亡しました。 当時の日本の人口は5500万人。 このとき鉄道、郵便、電話などは完全にマヒし、食糧や熱を冷ますための氷が不足したという記録があります。 そのため物資はたちまちの内に通常の数倍の高値になったと伝えられています。 そして、犠牲者の遺体をどうするか、それが大問題であったそうです。 地方の火葬場に遺体を運びたくても電車を動かすことも出来ず、それで停車場の傍らは遺体の山となっていました。 その光景とそこから出る腐敗臭、それは地獄のようであったのです。 そのような過去の教訓から、東京都の対策は練られました。 それが前にお伝えした日比谷公園内に作られた柵ではないかと思われるのです。 そして各都道府県においても、騒ぎ立てることをせずに、その対策を講じ始めているのではないでしょうか。 スペイン風邪が流行した時代は今のようなスピード社会ではありませんでした。 鉄道や汽船は蒸気機関、現代のようなジェット機や新幹線などがなかった時代なので、スペイン風邪は約1年かかって世界へ伝播していったようです。 ところが今度の新型ウイルスは、あっという間に世界へ伝播します。 またあのときよりもさらに強力な毒性を持ったウイルスなのです。 ・・・はたしてこれは自然発生して生まれたウイルスであるのだろうか? 「また現在、世界の人口は一日5万8千人ずつ増加している。(現在は一日20万人) 戦争も、これまでのところ何ら大きな効果を上げることができず、人口倍加は両大戦を経てもなお続いている。 したがって戦争はこの観点から見れば期待はずれであった。 だが、細菌戦争ならば効果があるかもしれない。 14世紀にヨーロッパの人口を激減させた(黒死病)(ペスト)のようなものを各世代に一度ずつ、世界中に蔓延させることができれば、生き残ったものは自由に子どもが作れるし、世界が人間であふれることもない。その時点での不快感はあるが、それは何ほどのことだろう。」 (バートランド・ラッセル) 「私は究極の敵と出会うことが出来た。その敵とは人類である。 あまりにも多くの無駄飯食いがいて世界にゴミをまきちらし、天然資源を必要以上に消費し、川や土や海を汚している。 今後、この無駄飯食いの数を少なくとも半分の25億人にまで減らさねばならない。 それも2005年までに実現させることだ。 伝染病などを使って高い死亡率を達成し、不要な人間を殺してしまうことになる。この計画には工業や大規模農業の破壊も盛り込まれている。 失業や飢餓を生み出して、病気や死に拍車をかけようというわけである。」 (アウレリオ・ペッシェイ ラッセルの弟子) 上記で述べる権威者の言葉を思うと、彼らの計画を進める上で作られた兵器であるようにも受け取れるのです。 ・・・それで「復活の日」という映画を見る気になりました。 1980年に作られた小松左京原作のSF映画ですが、28年も前に作られた映画がこれからのヒントを教えているように感じるのです。
2008.04.06
先日、親しい方から聞いた話です。 それは三重大学病院で最近開かれた会議の内容でありました。 その会議では「新型インフルエンザについて」で、NHKが二夜連続で放映したNHKスペシャルの鳥インフル特集のDVDを配布し、来るべき事態に備えての意見交換を行なっていたということでありました。 それで知人のお姉さんがその情報を知り、出席された医師にその感想を伺ったそうです。 そのときひとりの医師は「そうなったら医者を辞める」と告げたそうです。 それを聞いて思いました。 そして、この医師の言葉から、新型インフルの脅威を改めて知ることもできたのです。 その話を聞いた日は、名古屋である方の講演会が催される日でもありました。 その講演会のテーマは 「新型インフルエンザ、これから日本で何が起きるのか」で、ありました。 そして講演会が始まるとすぐに黒板に張られた資料が目に入りました。 1918年~1920年 2006年 地球人口 18億人 63億人 交通手段 鉄道、蒸気船 ジェット航空機、自動車 新型ウイルスの 世界伝播 7~11ヵ月 4~7日 伝播パターン 徐々に拡大 同時、集中的 感染者 5~10億人 16~30億人 発症者 3~8億人 9~25億人 入院患者 ? 520万人以上 死亡者(弱毒) 5千万~1億人 1億5千万人 死亡者(強毒) 3億6千万人 ・・・それが上の表で、これは厚生労働省が第一次世界大戦の頃に流行したスペイン風邪と今回の新型インフルエンザを予測した比較データでありました。 ちなみにスペイン風邪の日本襲来は第3波で1919年に日本で流行し、39万人の犠牲者があったそうです。 この新型ウイルスは空気感染し、衣類などに付着すると6時間は生きていると言われています。 そしてWHOなどはこの脅威が着実に近づいているとして「あとは秒読み段階である」と発表し始めていることも知りました。 また、東京都では不測の事態が発生したときの対策として下記のような通達が出ています。 「火葬場の償却能力の限界を超えた場合、遺体を一時的に安置する臨時医療施設(都、区、市、町、村の体育館やスポーツセンターなど)を使用する。また一時的に設置された遺体安置場において、収容能力を超える事情に備えて都立公園を活用しての一時埋葬の整備に着手する・・・」 http://idsc.tokyo-eiken.go.jp/flu/flu-houkoku.html さらに最近、東洋経済という雑誌で新型インフルエンザが取り上げられたことも知りました。 この雑誌ではアジアへ進出している日本企業に対して、海外に出張している企業戦士たちを新型インフルエンザからいかに守るか、それで問題を起こさずに日本に帰国させる方法や現地社員に対しての配慮などの事例が紹介されているようです。 http://www.toyokeizai.co.jp/mag/toyo/2008/0308/index.html ・・・今回の講演テーマ。 講師は「今までSF映画やSF小説などで取り上げられてきたことが今や現実になろうとしている。」と述べられ、その中で前向きに生きることを強調されていました。 はたして私たちはそのやがて訪れる不測の事態に対してどのような用意をすればよいのか。 講師はマスク、ゴーグル、さらに2ヶ月分の食料や水の確保が必要であると話していました。 自分自身の考えとして肝心なことは免疫力を高めることだと思っております。 約20年間、薬や病院に頼らない生活を体験したことで、その考えは確信ともなりました。 しかし、多くの人たちは自分と同じ考えではありません。 病気になれば薬や病院に頼られるし、食生活の重要性を深くは考えていないのではないかと思うからです。 ・・・世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなく、またこれからもないような未曾有の苦難。 新型インフルエンザはまさしく、そのような恐怖感をかもし出しているようです。 ・・・避けられない現実。 毎回、脅すような内容かも知れませんが、私たちはその中でどのような選択ができるのか。 2008年はそのような時代といえるような気がするのです。
2008.04.04
・・・オリーブ山でイエスが語られたこと。 どうやらそのときがこれからやって来るようです。 「 お話ください、いつそのようなことが起こるのでしょう。 あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。 」 イエスは語りました。 「 人に惑わされないように気をつけなさい。 わたしの名を名のる者が大ぜい現われ『私こそキリストだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。 また戦争のことや戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。 しかし、終わりが来たのではありません。 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。 しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。」 今、米国経済の崩壊により、世界的な経済不安が押し寄せようとしています。 また世界各地で民族対立が顕著になり、石油の高騰からじわりじわりと食糧価格は上昇する時代を迎えたようです。 イエスはこれらは必ず起こると断言されました。そして不法がはびこり、多くの人たちの愛は冷たくなるとも語られています。 そしてイエスの言葉に耳を傾けたとき、私たちはそのような時代に生かされているような気がしてなりません。 苦難のとき。 しかしイエスは最後まで耐え忍ぶ者が救われると言われました。 ・・・イエスは終末のクライマックスは預言者ダニエルが語られた「荒らす憎むべき者」が聖なる所に立つときから始まると告げられました。 そして、その後に起きる出来事とは、それは世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなく、またこれからもないような未曾有のひどい苦難であると言われています。 それが晴天の霹靂とも言うべく近い将来、現実となって現れるのでしょう。 ・・・ではダニエルが語られた聖なる所とは? ・・・そしてそのときはいつなのか? イエスはこれを見たならば、即座に逃げろと告げています。 ・・・その場所はエルサレムの神殿の丘だと聞きました。 それはかつてローマによって破壊された神殿が再建されてからのこと。 ですからこれは中東和平が実現して後のことであるようです。 中東和平に関しては、現在においては米国主導で進められています。 先日、和平会議が開かれたようですが、全く進展してしていません。 しかし、この問題はおそらく欧州が統合されてから、欧州の仲介により進展していくのではないでしょうか。 そして実現となるのでしょう。 この世界の火薬庫とも呼ばれる中東問題が解決されるということは歴史的な快挙であり、世界平和に向けて多くの人たちが心から願うことでもあります。 そして三大聖地であるエルサレムは穏やかに割譲され、ユダヤの神殿の再建設が進められるものと思われます。 ・・・そして晴れて完成した後、その神殿にひとりの人物が登場する。 ・・・しかし。 ・・・それが「荒らす憎むべき者」であるのです。 これらの出来事は世界中にTV中継されることでしょう。 多くの人々は歓喜の声に酔いしれるときでもあるのでしょう。 しかしイエスはこのとき「読者はよく読み取るように。」と告げているのです。 彼らからすれば、そのときは2000年の恨みを晴らすときであるともいえます。 ・・・しかしそのときから彼らグループの連携は乱れ、内部に亀裂が入るのでしょう。 そして、その波紋は大きな波紋となり、世界を大艱難の時代へ向かわせるのです。 イエスの言葉から察すると、今起きている世界の出来事はその前段階といえるのでしょう。 それは彼らの播いた不安の種が芽生えたとき。 それは序章であるのです。
2008.04.04
取り止めもなく暗いテーマで書いてきました。 その間いろいろと自分なりに考えさせられることが多くありましたが、今改めて思うことは、やはり彼らの戦略はずっと続けられており、いまや最終段階を迎えようとしていることでありました。 でも、このような終末の時代は多くの聖者が語られてきたことであり、そもそもそれについて凡人が意見を述べるなどおこがましいことでありました。 ・・・たしかに終末の時代は恐ろしい時代。 これから訪れる世の中では、おそらく・・・。 真実を求めても、真実は語られず、自由を求めても、それは許されないことでありましょう。 ・・・そして多くの人たちが、新たなる時代を前にして、その犠牲となられてしまうのでしょう。 それはかつてのノアの大洪水をして分かることでもありました。 当然、自分も同じ運命を辿ります。 醒めた目で、このような流れを眺めれば、冷たい言葉かも知れませんがこのようになります。 しかし誰だって、多くの人たちが全ての災いから逃れることを望みます。 そしてそんな考えを持つからそのようになるんだと、ある人たちはネガティブな思いを断ち切れと言ってくれるとも思います。 でも、前回のイエスの十字架の光景を思い浮かべると、やはり彼らがイエスに対して悔い改め、イエスの言葉に耳を傾けなかったことに謝罪し、そしてやはりイエスの教えは正しかったのだと心から認めない限りは、その日は来ないのだと思えるのです。 それほどイエスと言う人の生涯は凄まじいものであり、彼が歩まれたその道を、誰も歩むことなどできないものであるからです。 でも、次の時代は確実にやって来ます。 そして神様から選ばれた人たちは至福の時代へと向かうのでしょう。 それで私は思うのです。 そのヒントが岡田茂吉の思想の中に詰まっているのではないだろうかと・・・。 そのいちばん大事なものが健康。 ・・・と、同時に他を思いやる生き方ではないかと。 ・・・一切の苦しみは浄化作用。 そして、霊主体従の法則。 現段階では、多くの情報が氾濫する中ではありますが、真実の情報もその中には含まれています。 また、岡田思想は今まで宗教的な分野でしか伝えられていなかったのですが、近年では科学的にも証明されるようになり、医学や科学的な立場の研究者からも、この岡田思想は注目される時代にもなっています。 しかし、これからそのような情報が伝えられない時代になるのではないだろうか。 人権擁護法案の是非によっては、その可能性は否めません。 しかし、そのとき日本の特異性が活かされることでしょう。 それで、面白い話を聞いたのです。 「 唐突ですが、何故か短歌が大嫌いです。テレビなどでうっかり見てしまうと、精神衛生上よくありません(笑)。しかし俳句は全く、気にならないのです。 過去、多くの宇宙飛行士達が、ある種の神秘的な体験をし、その後の生き方に多大な影響を受けています。 生き方を変えるほどの体験といっても、単に「外側から地球を見る」というだけのものなんですが。 しかし、この非日常的な体験は、基点(視点)の転換「あちらからこちらをみる」という、特異的な精神作用をもたらします。つまり、天動説から地動説への意識転換を誘発するわけです。 神秘も分かってしまえば何てことはありません。でも、本当に凄い神秘もあるんですよ。 コペルニクスから500年、地動説を疑う者はまずいないでしょう。 ところが人々の意識は、相変わらず天動説のまま。これぞまさしく神秘です(笑)。 ところで、宇宙飛行をしなければ得られないほど、意識転換って難しいものなのでしょうか。今のところ誰しもが宇宙飛行というわけにはまいりません。人々の意識の地動説転換は当分の間、無理なのでしょうか?。 つい先日のことです。ぼんやりと恒例の歌会始を見るともなくみていたら突然、短歌嫌いの謎が解けました。 短歌と俳句には本質的な違いがあったのです。天動説と地動説の違いです。 そこで早速、調べてみました。 すると「無季と有季、主情と客観、抒情と美的秩序、長刀と短刀、機会詩と非機会詩、師系と一匹オオカミ」なんてのがありました。特に最初の二つ。これを足すと「短歌:無季・主情」、「俳句:有季・客観」です。 これが両者の本質的な違いでしょう。短歌は主観のみの世界。俳句は、季=自然ですから「有季・客観=自然から観る」。これって「あちらからこちらをみる」自然農法そのまんま。「抒情と美的秩序」以下もなるほど。納得です。 俳句は日本人のお家芸。自然農法の提唱者も日本人(岡田茂吉)。日本が自然農法の発信地なのは当たり前なんですね。日本人なら宇宙飛行なんかしなくたって意識転換は容易にできる?・・・のです。でも、短歌ではちょっと無理?(笑)。 」 ・・・そうなのです。 自然農法は日本で生まれたものでありました。 そして、その日本人的なモノの捉え方こそ、これからの時代を生き延びる大きなヒントになるのだろうと思ったのです。
2008.04.04
友人からメッセージが届きました。 ギターが好きで、カントリーが好きで。。。、 そんな彼がある歌を紹介してくれたのです。 「The Old Rugged Cross」 そして、彼はこの歌が賛美歌であることを知ったそうです。 http://jp.youtube.com/results?search_query=old+rugged+cross&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2 それから彼はその中で映画「パッション」の動画を見つけたようです。 http://jp.youtube.com/watch?v=C0xLkI4FPBk&feature=related ・・・・・そしてそれを見て友人は涙しました。 同じくその動画を見て、私も感動したのです。 それで話を聖書に戻します。 イエスは彼らに言われました。 「 ああ、エルサレム、エルサレム。 預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者。 わたしはめんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。 それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。 見なさい。 あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。 あなたがたに告げます。「祝福あれ。主の御名によって来られる方に」とあなたがたが言うときまで、あなたがたは今後決してわたしを見ることはありません。 」(マタイ23章37~39節) 今、2000年の時を隔てて彼らの執念ともいうべき念願の世界統治が成し遂げられようとしている。 やがて世界の人々は身体に獣の刻印を入れられるのでしょう。 それはあくまでも、合法的に・・・。 そして、その獣の像に息が吹き込まれ、人間は獣の数字によって管理されてしまうのでしょう。 その数字は666、そしてこれは人間を指しているとも言われます。 ・・・しかしイエスは告げていました。 それが先ほどのマタイ23章の言葉です。 その中には、イエスは彼らがいつの日か、「祝福あれ。主の御名によって来られる方に」と言うときが来ると書かれていたのです。 ですからそれまでの間、彼らはイエスを振り返りません。 しかし、振り返るときがやって来ることが告げられていたのです。 動画の中で歌われる歌は「New Again」・・・。 その歌を聴きながら思いました。 イエスは死の意味を知っていたのだ、・・と。 それが夜の時代から昼の時代へと。 ユダヤ人という特異な民族の辿る歴史。 善悪を超えた神の経綸の中で、彼はその重要な役目を担わされたのでしょう。
2008.04.04
手短にお伝えします。 ・・・今月国会で人権擁護法案が可決されようとしています。 詳しくはこちらを http://jpn.nanjingpedia.com/wiki/ おそらくこれも彼らの意図であるのでしょう。 ・・・真実は闇の中に葬られていく。 また、新型ウイルスの日本上陸。 世界情勢においては米経済の崩壊、中東での大戦争の懸念。 詳しくはこちらを http://www.tanakanews.com/080304dollar.htm そして世界の覇権は欧州へと向かっていく。 どうやら彼らの完全統治の日が近づいてきたようです。 しかし、その期間は三年半。 そして、その艱難を乗り切る知恵とは・・・。 ・・・今はただ、密かに進められている計画を多くの人が認識されることを願っております。 続く (これは3月9日に書いた日記です)
2008.04.04
悪の発生と病 「 前項の如く、悪の九分九厘に対して善の一厘が現われ、絶対力を揮って既成文化を是正すると共に新文化を打ち樹てる。 早くいえば掌を返すのである。之が今後に於ける神の経綸の骨子であって、其破天荒的企図は想像に絶するといってよかろう。 之に就いては彼の旧約聖書創世期中にある禁断の木の実の寓話である。 勿論之は比喩であって、エデンの園にいたアダムとイブの物語は実に深遠なる神の謎が秘められている。 それを追々と説いてゆくが、之を読むに就ては全然白紙にならなければ到底分りようがないのである。 言う迄もなく木の実を食う事によって悪の発生である。というのは、木の実とは薬の事であって薬によって病気が作られ、病気によって悪が発生する。 処が人類は紀元以前から病気を治す目的として使い始めたのが彼の薬剤であって、禁断の木の実とは何ぞ知らん此薬剤を曰ったものである。という訳を知ったなら、何人も愕然として驚かない者はあるまい。 ではそのような到底想像もつかない程の理由は何かというと、之を説くとしたら理論と実際から徹底的に説かねばならないから充分活眼を開いて見られん事である。 茲で曩に説いた如く、人間は霊と体とから成立っており、霊が主で体が従であるという原則も已に判ったであろうが、そのように悪の発生源は霊に発生した曇りであり、此曇りに元から憑依していた動物霊と後から憑依した動物霊と相俟って人間は動物的行為をさせられる。それが悪の行為である。 早く言えば、霊の曇り即悪である以上悪を撲滅するには霊の曇りの解消である事は言う迄もない。 処が曇りの因こそ薬剤であるから茲に大きな問題がある。勿論霊の曇りは濁血の移写で、濁血は薬剤が造るのであるから、人間薬剤さえ用いなくなれば悪は発生しないのである。 斯う判ってくると禁断の木の実即ち薬剤こそ悪発生の根本である事が分るであろう。 茲で今一つの重要な事をかかねばならないが、之も曩に説いた如く文化の進歩の為の悪を作った薬は他にも大きな役目をして来た事である。 というのは血液の濁りを排除すべき自然浄化作用である。勿論曇りが溜ると健康に影響する。 人間本来の活動に支障を及ぼすからである。処が人智未発達の為、右の浄化作用による苦痛をマイナスに解して了い、病気の苦痛を免れようとし薬を用いはじめたのである。というのは、浄化作用停止には身体を弱らせる事であって弱れば浄化作用も弱るからそれだけ苦痛は緩和される。 それを病気が治る作用と錯覚したのである。という訳で抑々此誤りこそ今日の如き苦悩に満ちた地獄世界を作った根本原因である。 右によってみても、薬というものは其毒によって単に痛苦を軽減するだけのもので治す力は聊かもない。 処が其毒が病気の原因となるのであるから、其無知なる、言うべき言葉はないのである。 処が驚くべし此病気に対する盲目は実は深い神の意図があったのである。それを之から詳しくかいてみるが、先ず文化を発展させる上には二つの方法があった。 其一つは曩に説いた如く悪を作って善と闘わす事と今一つは人間の健康を弱らす事である。 前者は已に説いたから省くとして、後者に就いて説明してみれば、先ず原始時代からの人間の歴史を見れば分る如く最初はありのままの自然生活であって、衣食住に対しても殆んど獣と同様で健康も体力もそうであったから常に山野を馳駆し猛獣毒蛇やあらゆる動物と闘ったのは勿論で、之がその時代に於ける人間生活の全部といってもいいのである。 そのように獣的暴力的であった行動は漸次其必要がなくなるに従い今度は人間との闘争が始まったと共に漸次激しくなったのであるが、それらによって人智は大いに発達すると共に長い年代を経て遂に文化を作り出すまでになったのである。 この様な訳で若し最初から闘争がなく平穏無事な生活としたら、人類は原始時代のままか幾分進歩した程度で知識の発達は少なく相変らず未開人的生活に甘んじていたであろう事は想像されるのである。 処が前記の如く禁断の木の実を食った事によって病が作られ悪が作られたのである。処が今日迄全然それに気が付かない為今日の如く根強い薬迷信に陥ったのであるから、最も大きな過誤を続けて来たのである。 而も一面原始人的健康であった人間は前記の如く動物を征服し生活の安全を得るに従い体力も弱ったと共に知識は進んだので、茲に平坦な道を作り馬や牛に車を牽かせて歩行せずとも移動出来るようになったのである。 右は日本であるが、外国に於ては石炭を焚きレールの上を走る汽車を考え出し、一層進んで現在の如き自動車飛行機の如き素晴らしい便利な交通手段を作り出すと共に、他面電気ラジオ等の機械を作る事になったのである。尚又人間の不幸をより減らすべく、社会の組織機構は固より政治、経済、教育、道徳、芸術等凡ゆる文化面に亘って学問を進歩させ巧妙な機関施設等を作り、それが進歩発達して現在の如き文明社会を作ったのであるから帰する処来るべき地上天国樹立の為の準備に外ならなかったのである。 以上の如く医学の根本は人間の悪を作り健康を弱らす目的にあるので、予期の如き世界が出来たのである。 処が之以上進むとしたら、逆に人類破滅の危険に迄晒されるので最早之以上の進歩は不可とし、茲に神は文明の大転換を行はんが為私に対し真理を開示されたのであるから、之によって悪を或程度制圧し善主悪従の文明世界樹立の時となったのである。」 岡田茂吉 続く
2008.04.04
・・・実は当方は宗教組織が嫌いです。 でも、岡田氏の論文には共鳴してしまうのです。 情報化社会において、様々な情報が乱れ飛ぶ時代。 でもそれらの情報が信用できるものかどうか、それにはその術を知らなければ間違った方向へ進まされてしまうことがあります。 揺るぎないもの、そのような土台石となるもの、それが何千年も語り継がれてきた聖書であると自分は教えていただきました。 そして当方の場合は自然農法でもありました。 しかし、それらに触れようとして宗教団体に入る必要はないとも教えていただきました。 そこに入れば、それは組織、ですからその団体にとって利益となるようなことしか学ぶことができなくなるからです。 ですからあくまでも聖書は聖書。 そこから数々の思想、文化、政治、哲学、宗教、芸術などが生まれてきたからです。 ・・・聖書的発想、それが揺るぎのない土台石。 そして自然から学ぶこと。 そのような観点に立って、岡田茂吉氏の論文も紹介させていただいています。 ですから岡田氏に興味を持たれても、そのゆかりの教団に接することをお薦めしているわけではありませんので、その点をご理解いただきたいと存じます。 それで今回も岡田氏の論文を紹介したく思います。 (尚、岡田氏の論文は下記サイトより拝借させていただいております。) http://www1.odn.ne.jp/~jyourei/goronnbunn.html 「 伝染病恐るるに足らず 之から夏期になるに従って、諸種の伝染病が続出するとして、当局は大童になって、予防方法や色々な施設に懸命であるが、吾々からみると洵に情けないのである。 何となれば医学は其根本が分っていないからでもあるが、根本さえ分ってみれば何の心配も要らないばかりか、寧ろ伝染病に罹ればそれだけ健康は増すのである。 其何よりの証拠は伝染病が治ると当分は発らないばかりか、病種によっては一生免疫となり、健康はよりよくなるのである。 斯んな事をいうと現代人は到底信じられないだろうが、それが真理だから、仕方がない。 そこで其理由を詳しくかいてみるがこれを読んだなら何人も成程と合点がゆくであろう。 抑々伝染病なるものは最も急速に行われる浄化作用であって、之程結構なものはないのである。 というのは今日の人間は非常に血が濁っている。 此原因はいつもいう通り無暗に薬を体内に入れるからで、薬は元々毒であって、其毒が血液へ吸収されて濁血者となるのである。 処が濁血者は虚弱で病気も発り易いから、茲に自然は其濁りを排除すべき浄化作用が発るので、人体は実によく出来ているのである。 処が面白い事には其濁りを解消する作用として、黴菌という微生虫が発生して其仕事をする。 即ち黴菌は其の濁りの微粒子を喰いつつ繁殖するのであるから、つまり濁血の不純物こそ黴菌の食物になる訳で、殖菌作用ではなく食毒作用である。 右のように浄化作用が起きるという事は、人間ばかりではない。地上一切のものに対しても同様で、之が万有の原則である。即ち暴風雨も、雷火も空間の浄化活動であり、戦争も、火災も、洪水も勿論それである。 従って人体も血液が濁れば浄化が発るのは、自然の生理作用であるから、伝染病に罹らないようにするには血液を濁らせない事である。 では浄血者になるにはどうすればいいかというと甚だ簡単である。 即ち薬を用いなければいい何となれば人間が生きるに必要なものは自然に作られる、五穀、野菜、魚鳥、獣肉、水等がそれであるから、それを飲食していれば、決して病気に罹る筈はないのである。 何よりもそれ等悉くに味があるという事は、其物自体が食うべきものである事を教えている。 それをどう間違えたものか、苦い薬を服んだり不味いものを栄養などといって食うのは、如何に自然に反するかが分るであろう。 そればかりか結構な浄化作用を悪い意味に解釈し薬という毒物で一時抑えをする。 其方法が医療であるから、之程間違った話はあるまい。 以上の理が分ったなら伝染病は恐ろしくないばかりか、健康上必要なものである。 そうして本教浄霊の意味であるが、浄霊とは黴菌の食物である血液の濁りを解消して了う神力であるから、黴菌の食物がない以上、仮令伝染しても繁殖できず、死滅して了うのは当然で之が根本的伝染病防止法である事が分るであろう。 栄光 164号 昭和27.7.9 」 続く
2008.03.27
・・・ヨハネの黙示録。 世の中の流れはこの聖書の預言を感じさせるような動きを見せ始めているようです。 『小羊が第四の封印を解いたとき、私は、第四の生き物の声が「来なさい。」と言うのを聞いた。 私は見た。 見よ。青ざめた馬であった。 これに乗っている者の名は死といい、そのあとにはハデスがつき従った。 彼らに地上の四分の一を剣とききんと死病と地上の獣によって殺す権威が与えられた。』(黙示録6章、7~8節) ・・・彼らは戦争と飢饉と死に至る病によって人類の四分の一を抹殺させる。 民族間の対立、食糧の高騰、そして囁かれる新型ウイルス。 この部分は黙示録の世界の冒頭部分ですが、世界情勢はその様相を表し始めた感があります。 しかし、その権威が与えられたということを思えば、それは神が容認しているということになるのでしょうか。 岡田茂吉はそのことに関して以下のように述べていました。 「 悪の必要があって、神は悪を許されたのであります。もし悪がなければ戦争とか、争闘がなく種々な発明等なかったに違いない・・・。 これまで発達すれば、大光明世界が出来る条件が備わった。 もうここいらでよそうというのが神様の思し召しなんであります。 実にありがたい時期になったものであります。物質文明の発達は逆でなければならぬ。 それで悪を上にし善を下にしたんであります。これをさすために、ユダヤ人を使って悪で発達せしめたんであります。 で、悪の役をしたのがユダヤ人で、ユダヤ人の本体は素盞鳴尊で素盞鳴尊の本体は伊邪冊尊(いざなみのみこと)であります。」 また、 「 邪神界の方では2000年前以前から大きい野望をしてる。 それがフリーメーソンであります。 新しい宗教とか新しい思想とかが起ると、すぐにそれを狙う。そして、これもご承知のことですが、将来世界を自分のものにしようという為に、ユダヤ人は今以て国家を形成していない。 キリスト教は表面ああなっているが、実権はユダヤ人が握っている。 彼は最後にならなければ表面にならない。 で、ロシアなどはまだ本当に表面に出ていない。 奥の奥で操っている。フリーメーソンは各宗教へ働きかけている。 そして世界の人間を残らずフリーメーソンの会員にしようとしている。そのため、金はみんな自分の方へ吸い取ってしまうという行り方で。」・・・と。 岡田氏の考察と聖書とを合わせて見た場合、結局彼らの恨みは理想世界を実現させるためには、必要なものであったということになるのかも知れません。 それで岡田氏は当時、 「 世界中の今までの文化は西で出来た文化ですが、それが日本に来た。 それはめちゃくちゃに出来たものですが、それを日本ですっかり整理して本当の良いものにして、それをまた西の方に、さっき「濁水が押し寄せて来たのをきれいにして押し返す」ということがありましたが、そういう意味です。 そうしていろんな悪の目的に作ったものを、今度はすっかり清いものにして世界中に押し戻すわけです。それが救世教の仕事なのです。とてつもない大きなものです。」 と、話していたそうです。 そういえば、ヨハネ黙示録の部分には以下のような記述があります。 『この後、私は見た。 四人の御使いが地の四隅に立って、地の四方の風を堅く押え、地にも海にもどんな木にも、吹きつけないようにしていた。 また、私は見た。 もうひとりの御使いが、生ける神の印を持って、日の出るほうから上がって来た。 彼は、地をも海をもそこなう権威を与えられた四人の御使いたちに、大声で叫んで言った。 私たちが神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、地にも海にも木にも害を与えてはいけない。 それから私が、印を押された人々の数を聞くと、イスラエルの子孫のあらゆる部族の者が印を押されていて、十四万四千人であった。』 (黙示録7章、1~4節) そして、イスラエルの子孫の部族とはユダ、ルベン、ガド、アモル、ナフタリ、マナセ、シメオン、レビ、イッサカル、ゼブルン、ヨセフ、ベニヤミンから各々一万二千人だと書かれています。 それらの人々は四人の御使いに守られて日の出る方角からやって来る・・・と。 ユダヤ部族は十二部族、しかしここにファラシャと呼ばれるダンの部族は含まれていません。 このダン部族が黒いユダヤ人と呼ばれるエチオピアのユダヤ人のことなのです。 それで黙示録7章に書かれた部族の中にはヨセフから分かれたマナセが含まれていて、ダンは含まれていないのです。 ・・・日本に集結した古代ユダヤ人、ユダヤ人の始祖アブラハムはセム系でセム系とはアジア人の祖でもあります。 それで日本人に黒人系はいないことから、この黙示録7章で言われる十四万四千人とは、日本人へ当時やって来た古代ユダヤ人であるのではないかと思われるのです。 そして日本にやって来ているとすれば、ユダヤ人といわれる人々とどこが違っているのでしょうか? それはイエスを十字架に追いやらなかった。 またはそのイエスを救世主と認めた秦氏たちのことを指しているからなのです。 ですからイエスに対して一切の恨みを全く持ってないという大きな違いがあると言えるのではないでしょうか。 それで、これらに関連することで、岡田茂吉は霊的な観点から以下のことを述べていました。 「 朝鮮は素盞鳴尊の発祥地で、現在の文化はユダヤ文化である。 素盞鳴尊は目的のためには手段を選ばぬ。共産主義も資本主義もユダヤから出ており、ユダヤには正義派と邪道と両方ある。資本主義のアメリカはキリストを基としている。世界平和をモットーにしている。 善悪の摩擦で文化が進歩するのであるから、今までは仕方がない。ユダヤ文化というのは、素盞鳴尊が追放されてパレスチナに住み、子供を12人生んだ。そして世を乱した罪を贖うべく贖罪した。 今日の唯物文化の根本は朝鮮である。根本から始められるのであるから、素盞鳴尊の発祥地から始められる。であるから朝鮮はまるで墓場のようになる。これが拡がって世界的になる。 朝鮮は素盞鳴尊の出生地である。ソシモリ山へ天降ったと言われる。故に朝鮮の天照大神である。 素盞鳴尊は女好きで、浦島太郎の伝説が絡んでいる。尊は日本に来て統治し、朝鮮へ帰らなかった。それで龍宮の乙姫は淋しいので・・・。 浦島太郎は漁師で、暴風に遭い朝鮮へ漂着した。越後辺りの者らしい。木曽の寝覚の床に浦島の使った釣竿を祀ってある。美男子だったので、乙姫に愛され、土産物を種々もらった。玉手箱というのは、宝石のごときものであろう。 素盞鳴尊は日本に来てある神と恋愛し、よけいに帰れぬ事となり、伊邪那岐尊に追放されてヨーロッパへ行った。そしてパレスチナに住んだ。たくさんの妾を作り子を生んだ。それがイスラエルの12の流れである。 ユダヤ人は頭が優れており、神の選民と言った。今日の物質文化はユダヤが作った。それには非常に罪を作った。 最初はイエスとなって罪を贖ったが、その後2000年経って罪穢が溜まったので、今後はまず朝鮮がそのもので、世界的大浄化の本元を徹底的に神様はやられる。 これから世の中にだんだん及ぶ。一旦穏やかになり、だんだん激しくなる。 ユダヤ人は功労民族である。 勝れた学者等ほとんどユダヤ民族で、非常に頭が良い。軍部が政策上、ユダヤ民族を悪く言った。そして思想宗教を排撃した。ユダヤは物質文化を作る為に罪を作った。 神様の事は、功績があったからとて罪を許すことは出来ぬ。 故に、根本から始められる。それが朝鮮問題である。 世界的大精算で、罪の大掃除をしなければならぬ。 その元が朝鮮で、朝鮮を掃除する。朝鮮はユダヤの先祖の故郷で、徹底的大浄化が行われる。各国の文化は枝である。終るまでには墓場のようになる。日本と比較にならぬ。」 ・・・言葉にすることがへたくそなので、思っていることをうまくお伝えすることは出来ません。 またもうしばらくはこのテーマを継続させていただきます。 続く
2008.03.25
1月23日付けの日本経済新聞、その30面と31面では二面にわたって鳥インフルエンザ関係の記事が大きく報道されていました。 記事の内容は、この新型ウイルスの感染が広がった場合、人間に免疫がないために、あっという間に世界中に拡がり、免疫の過剰反応を引き起こし、それが全身の臓器の機能不全を招き、高い致死率が予想されると告げていました。 そして毎年流行するのとは全く異なった「未知なる脅威」としてこの新型インフルエンザに警笛を鳴らしていたのです。 世界中に蔓延すれば、その犠牲者は1億から一億五千万人といわれています。 また、さらにその日の同紙では五輪を控えた中国の状況も記事にされていたのです。 江蘇省南京市で人から人への感染事例が確認された中国において衛星省はウイルスに新型インフルエンザへの変異はみられていないので事態はコントロールされているという見解を示したそうです。 しかし関係者からは「政府の危機感の希薄さが被害の拡大を招きかねない」という声もあるとのこと。 中国政府も専門対策チームがこの問題の解決を急いでいるようですが、それら記事の内容から察すると、これが今年開かれる北京五輪に悪影響を及ぼしそうな、そんな雰囲気が伝わってきたのです。 NHKの放送もそうでしたが、煽るだけ煽って対処策がないとすれば、これらの報道はその意図が何なのか、わからなくなってしまうかも知れません。 、多くの人たちは大きな不安や恐怖に陥れられるだけで、そこから抜け出す手立てがなければ途方にくれるだけになってしまいます。 そして現状のインフルエンザの予防接種でもそれで安全安心というものではありません。 それら医薬の副作用の問題を踏まえれば、仮にワクチンがあったとしても、それで万全とはいえないのです。 マスクや手洗い、うがいの励行などにしても同じです。 それは単なる対症療法で、結局今までの医学と同じ考え方に基づいていると私は思っているからです。 ・・・はたして対処策はあるのだろうか? ・・・そこでまた岡田茂吉の論文を紹介したいと思います。 『 ばい菌はありがたいもの 此題を見た人は、信者ならイザ知らず、第三者としたら吃驚仰天、私の頭脳を疑いたくなるであろう。然し之は真理であり最高の霊科学である以上、よく読んで深く考えてみれば、成程と思わざるを得ないであろう。 単に黴菌と言っても、茲では病気に関したものを言うのであるが、此黴菌なるものは何が為に存在し人間に害を与えているかという事で、之を徹底的に検討する事こそ現在文化に対しての、最重要問題であろう。 尤も此事は、専門家諸君に於ても常に研究努力しているには違いないが、今日迄の科学の程度では黴菌の本体等到底把握出来る迄に到っていないのである。 それ処ではない、現に目の前に蔽い被さっている結核や伝染病等の問題にしろ当事者は全身全霊を打ち込んでいるに拘らず、何等見るべきものはない現状である。というのは全く其観点が根本的に誤っているからで、医学に於ては只殺菌等によって、伝染を防ぎさえすれば可いとのみ思っている丈で、謂わばいつも私がいう結果論的見方で、外殻だけを対象としているに過ぎないのである。 処が原因は中心の奥深い処にあるのだから、其点に気が付かない限り何程多額の費用を使い、如何程努力したとて、現在の黴菌医学はまだホンの揺籃時代といってもいい位のもので、実際に役立つのは何時の日か見当もつかないのである。 偖てこれから私の言わんとする処をかいてみるが、抑々此地球は人間の世界であって、人間が主人公であるから、万有一切は人間に必要なもののみで、不必要なものは一つもないのである。従而、病気なるものも其病原である処の黴菌と謂えども、悉く大いに必要の存在であるに拘らず、それを無用有害物として忌避し、絶滅させる事のみに専念しているが、之こそ全く根本が分らないからである。 故に黴菌そのものの本体さえ分ったなら、之程人間の健康に有用なものはないのである。とはいうものの此事の説明に当たって困る事は、今迄の学理と比較して、余りに驚異的であるから、此理を納得するには、余程心を虚心坦懐白紙になって、精読されなければならないのである。 そうして私の唱える病原とは、いつも言う通り人間には絶えず毒素即ち濁血が溜まるので、それを排除して了わなければ、活動に不便を及ぼすから濁血を排除し浄血者にすべく自然浄化作用というものが発生する。 其際の苦痛が病気であるから、言わば病気とは体内の清潔作用なのである。例えば人間は誰しも外表である皮膚に垢が溜まると、入浴という清潔法があるが、中身である五臓六腑にも同様垢が溜まるので、其清潔作用が病気というものである。としたら神様は実に巧く作られたものである。之は嘘でも何でもない。 病気になるや痰や洟、目脂、涎、盗汗、下痢、腫物、湿疹等の汚物排除作用が起るではないか、だから出るだけ出て了えば後はサッパリとなって、健康は増すのである。 処が不思議、斯んな入浴などと違って、一文の金も要らずに済む結構な掃除を、一生懸命止めて出さないようにする。それが医学であるとしたら、何と馬鹿々々しい間違いではあるまいか、何が間違ってるといって、之程の間違いは恐らく外にあるまい。 従って此間違いの為に健康な肉体を弱くされ、長生きの出来る体を早 死にするようにされて、平気処か有難がっているのだから、今日の文化人なるものは全く「哀れなる者よ汝の名は文化人なり」である。 処がもっと厄介な事がある。 それは汚物を出さないようにする其手段に汚物を用いるのであるから、反って汚物を増す結果になるという誤り方である。従って此道理さえ判ったなら、病気程結構なものはない事を知るであろう。 そこで愈々黴菌論であるが、人体の汚物とは勿論血液の濁りであって、此濁りを無くして了うには、どうすればいいかというと、神様は洵に面白い方法を作られた。それは黴菌という目にも見えない細かい虫によって掃除をさせるので、そこで神様は此虫を湧くようにした。 即ち黴菌発生の根元を作られたのである。此事に就ては拙著文明の創造中の科学篇中に詳しく出ているから茲では略すが、兎に角黴菌という微生物は、最初濁血所有者の血液中に入り込み、濁血を浄血化する役目をするのである。 それはどういう訳かというと、濁血というのは血液中に有ってはならない、言わば不純物が存在しているのである。 面白い事には不純物という微粒子は、実は黴菌の食物になるのであるから、黴菌はそれを食いつつ、非常な勢いを以って繁殖し、食うだけ食った奴から、排泄物に混じって体外へ出て了うから、順次濁りは減り、遂に浄血者となるのである。其際の発熱は黴菌が濃度の濁血では食い難いから、液体に溶解して食い易くする為である。だから此理が判ったなら、黴菌というものは、全く人間体内を清浄にする掃除夫なのであ るから、大いに歓迎すべきものなのである。 処で問題なのは、一体濁血というものは、どうして出来るかという事で、之こそ万有相応の理によって、実に合理的に造られるのである。というのは人間は神様の定められた役目を自覚し、それを正しく行えばよいが、多くの人間はつい不正や過ちを冒し易いので、その結果霊が曇り、霊が曇ると血が濁るので、それが病の元となり、苦しみとなるのだから、つまり過ちに対する刑罰という訳で、斯うしないと人間は正当に役目を果たさないのみか、世の中へ害を与えるから、止むを得ず神様はそういうように造られたのである。 従って人間が正しい行いさえすれば、濁血者とならないから黴菌は湧かず、病気は此世から無くなるのである。之が真理であってみれば、病菌というものは人間が作って、人間自身が苦しむのであるから、何と愚な話ではないかという其事を教える為に、此文をかいたのである。 昭和26.8.1 栄光 115号 』 続く
2008.03.19
前回の続きを紹介する前にお伝えしたいことがあります。 昨年暮れに欧州統合の話がまとまったことに端を発して、1月より、暗いテーマですが聖書を縦軸、またユダヤ問題を横軸に据えながら思ったことを書いてきました。 そして、実はこのようなテーマはまだ自由が許されている日本だからこそ、お伝えできるものでありました。 それは言論の自由が守られていたからです。 ところが国会で人権擁護法案が数ヵ月後に可決される可能性が高くなってまいりました。 この法律が制定されれば、このような日記を書く事はおそらく出来なくなると思われます。 それで拙い日記ではありますが、このような内容はこのテーマが最後になってしまうと思っています。 ですから出来る限り真剣に、出来る限り誠実に、お伝えしたいと思っております。 『 まず戦争を見ても判る通り兵器は益々進歩すると共に、すべてが大規模になりつつある結果生まれたのが彼の原子爆弾である。 これこそ全く夢想だもしなかった恐怖の結晶であるからこの発見を知った誰もはいよいよ戦争終焉の時が来たと喜んだのも束の間、これを悪の方でも利用する危険が生じて来たので、不安は寧ろ増大したといってもいい。 とはいうものの結局戦争不可能の時代の接近した事も確かであろう。 これらを深く考えてみるとき、結局悪が戦争を作り悪が戦争を終結させるという奇妙な結果となったのである。 こう見てくると、善も悪も全く深遠なる神の経綸に外ならなかった事は窺われる。 そうして精神文化の側にある人も、物質文化の側にある人も心からの悪人は別とし共に平和幸福なる理想世界を念願しているのは言う迄もないが、ただ問題は果たしてその実現の可能性がありやという事と、ありとすればその時期である。 ところがそれらについての何らの見通しもつかないため、人類の悩みは深くなるばかりである。 そこで心ある者は懐疑の雲に閉ざされつつ、突き当たった壁を見つめているばかりであるし、中には宗教に求める者、哲学でこの謎を解こうとする者などもあるが、大部分は科学の進歩によってのみ達成するものと信じ努力しているが、これも確実な時期は得られそうもないので、行き詰まり状態になっている。 ところが現実を見れば人類は相変わらず病貧争の三大災厄の中に喘ぎ苦しみながら日々を送っている。 ところがこれら一切の根本を神示によって知り得た私はあらゆる文化の誤謬を是正すべく解説するのである。 前記の如く悪なるものが、人間の不幸を作るとしたら神は何故悪を作られたかという疑問である。 しかしこのような不可解極まる難問題は到底人智では窺い知る由もないから諦めるより致し方ないとして、宗教はもとより如何なる学問も今日までこれに触れなかったのであろう。 しかし何といってもこれが明らかにならない限り、真の文明は成立される筈はないのである。 そこでこれからその根本義を開示してみるが、実は現在までの世界においては悪の存在が必要であったので、この事こそ今日までの世界の謎でしかなかったのである。 そうして悪の中で最も脅威とされていたものは何といっても生命の問題としての戦争と病気の二大災厄であろう。 そこでまず戦争からかいてみるが、戦争が多数の人命を奪い悲惨極まるものであるのは今更言う迄もないが、この災厄から免れようとして人間はあらん限りの知能を絞り努力を払って来たことによって、思いもつかない文化の発達は促進されたのである。 見よ勝った国でも負けた国でも戦争後の目覚しい発展振りは如何なる国でも例外はあるまい。 仮にもし最初から戦争がないとしたら文化は今もって未開のままか、さもなくば僅かの進歩しか見られなかったであろう。 そのようにして戦争と平和は糾える縄の如くにして一歩一歩進んで来たのが現在迄の文化の推移である。 これがまた社会事情にも人間の運命にも共通しているところに面白味がある。 これによってこれをみれば善悪の摩擦相剋こそ実は進歩の段階である。 こう見てくると、今日までは悪も大きな役割をして来た訳になる。 といっても悪の期間は無限ではなく限度がある。 それは世界の主宰者たる主神の意図であり、哲学的に言えば絶対者とそうして宇宙意思である。 即ちキリストが預言された世界の終末であり、そうして次に来るべき時代こそ、人類待望の天国世界であり、病貧争絶無の真善美の世界、ミロクの世など、名は異なるが意味は一つで帰するところ善の勝った世界である。 このような素晴らしい世界を造るとしたら、それ相応の準備が必要である。 準備とは精神物質共に、右の世界を形成するに足るだけの条件の揃う事である。 ところが神はその順序として物質面を先にされたのである。 というのは精神面の方は時を要せず一挙に引き上げられるからで、それに反し物質面の方はそう容易ではない。 非常に歳月を要すると共に、そのためには何よりも神の実在を無視させる事である。これによって人間の想念は自然物質面に向く。 ここに無神論が生まれたのである。 故に無神論こそ、実は悪を作る為の必要な思想であったのである。 かくして悪が生まれ漸次勢力を得て善を苦しめ争闘を起こし、人類をして苦悩のどん底に陥らしめたので人間は這い上がろうとして足掻くのは勿論、発奮努力によって苦境から脱れようとした。 それが文化発展に拍車を掛けたのであるから悲惨ではあるが止むを得なかったのである。 以上によって善悪についての根本義は大体分かったであろうが、いよいよここに悪追放の時が来たので、それは善悪切り替えの境目であるから、悪にとっては容易ならぬ事態となったのである。 右は憶測でも希望でも推理でもない。 世界経綸の神のプログラムの現れであるから、信ずると信ぜざるとに拘らず右は人類の決定的運命であって、悪の輪止まりであり、悪が自由にして来た文化は一転して善の手に帰する事となり、ここに地上天国樹立の段階に入ったのである。 』 (天啓編 天国建設順序と悪の追放 岡田茂吉) 続く
2008.03.16
『 この著は歴史はじまって以来、いまだかつてない大著述であり、一言にして言えば新文明世界の設計書ともいうべきもので、天国の福音でもあり、二十世紀のバイブルでもある。 というのは現在の文明は真の文明ではないので、新文明が生まれる迄の仮の文明であるからである。 聖書にある「世の終わり」とは、この仮想文明世界の終わりを言ったものである。 また今ひとつの「あまねく天国の福音を宣べ伝えらるべし、然る後終末期到る」との預言も、この著頒布である事言うまでもない。 そうしてバイブルはキリストの教えを綴った物であるが、この著はキリストが繰り返し曰われた処の、彼の天の父であるエホバ直接の啓示でもある。 またキリストは斯うも言われた、「天国は近づけり、汝等悔い改めよ」と。これによってみれば、キリスト自身が天国を造るのではない、後世誰かが造るという訳である。 ・・・(後略)』 (天啓編 序文 岡田茂吉) 『そもそもこの世界を天国化するについては一つの根本条件がある。それは何かというと、現在大部分の人類が心中深く蔵されている悪の追放である。 それについて不可解な事には一般人の常識からいっても悪を不可とし悪に触れる事を避けるのは勿論、論理道徳などを作って悪を戒め教育もこれを主眼としており、宗教においても善を勧め悪を排斥している。 その他社会いずれの方面を見ても親が子を夫は妻を、妻は夫を主人は部下の悪を咎めている。 法律もまた刑罰を以って悪を犯さぬようにしているなど、これほどの努力を払っているに拘らず、事実世界は善人より悪人の方が多く厳密に言えば十人中九人迄が大なり小なりの悪人で善人は一人あるかなしかというのが現実であろう。 併し乍ら単に悪人といっても、それには大中小様々な種類がある。 例えば一は心からの悪、即ち意識的に行なう悪、二は不知不識無意識に行なう悪、三は無智故の悪、四は悪を善と信じて行なう悪などである。 これらについて簡単に説明してみるとこうであろう。 一は論外で説明の要はないが、二は一番多い一般的のものであり、三は民族的には野蛮人、個人的には白痴、狂人、児童などであるから問題とはならないが、四に至っては悪を善と信じて行なう以上正々堂々としてしかも熱烈であるから、その害毒も大きい訳である。 これについては最後に詳しくかく事として次に善から見た悪の世界観をかいてみよう。 前記の如く現在の世界を大観すると全く悪の世界といってもいい程で、何よりも昔から善人が悪人に苦しめられる例はいくらでも聞くが、悪人が善人に苦しめられる話は聞いたことがない。 このように悪人には味方が多く、善人には味方が少ないので悪人は法網をくぐり堂々世の中を横行闊歩するに反し、善人は小さくなって戦々競々としているのが社会の姿であるから強者である悪人から常に虐げられ苦しめられるので、この不合理に反抗して生まれたのが彼の民主主義であるから、これも自然発生のものである。 ところが日本においては長い間の封建思想のため、弱肉強食社会が続いて来たのであるが、幸いにも外国の力を借りて今日の如く民主主義となったので、自然発生というよりも自然の結果といった方がよかろう。 というようにこの事だけは珍しくも悪に対して善が勝利を得た例である。 併し外国と異なって日本は今のところ生温い民主主義で、まだまだ色々な面に封建の滓が残っていると見るのは私ばかりではあるまい。 ここで悪と文化の関係について書いてみるが、そもそも文化なるものの発生原理は何処にあったかというと根本は善悪の闘争である。 それは古えの野蛮未開時代からの歴史を見れば分かる通り、最初強者が弱者を苦しめ自由を奪い掠奪殺人など欲しいままに振舞う結果、弱者にあってはそれを防止せんとして種々の防衛法を考えた。 武器は固より垣を作り備えをし交通を便にするなど、集団的にも個人的にもあらゆる工夫を凝らしたのであって、この事が如何に文化を進めるに役立ったかは言う迄もない。 それから漸次進んで人智は発達し文字の如きものも生まれ、集団的契約を結ぶようになったのが、今日の国際条約の嚆矢であろう。なお社会的には悪を制圧するに法や罰則を作り、これが条文化したものが今日の法律であろう。 ところが現実はそんな生易しい事では人間から悪を除くことは到底出来なかった。寧ろ人智の進むにつれて悪の手段が益々巧妙になるばかりである。 というように人類は原始時代から、悪の横行とそれらを防止する善との闘争は絶えることなく今日に至ったのである。 然しそれによって、如何に人智が進み文化が発達したかは知るとおりであって、そのための犠牲もまた少なくなかったのは、また止むを得ないというべく、とにかく現在までは善悪闘争時代が続いていたのである。 ところがそれら善人の悩みを幾分でも緩和すべく時々現れたのが、彼の宗教的偉人でその教えの建前としては物欲を制限し、諦観思想を本位とし従順を喩えると共に将来に希望を有たせるべく地上天国・ミロクの世などの理想世界実現を預言したのである。 また一方悪に対しては極力因果の理を説き速やかに悔い改めるべく戒めたのは勿論で、それが為幾多の苦難に遭い血のにじむような暴圧に堪えつつ教えを弘通した事蹟は涙なくしては読まれないものがある。 なるほど、これによって相当の効果は挙げ得たが、然し大勢ではどうすることも出来なかった。 また反対側である無神主義者の方でも学問を作り唯物的方法を以って悪による災害を防ごうとして努力したその結果、科学は益々進歩し文化は予期以上の成果を挙げたのである。 然るに一方思わざる障碍が生まれた。というのは右の如く進歩した科学を悪の方でも利用するようになったことである。 』 (天啓編 天国建設順序と悪の追放 岡田茂吉) 続く
2008.03.12
・・・彼らの恨みの源泉、それはイエスであると先に述べました。 そして、彼らはイエスを今でも恐れているのでしょう。 その恐れを払拭させるために2000年という長い年月にわたって彼らは自分たちの夢を実現させようとしているのです。 しかしイエスはその「死の意味」を知っていました。 それらの事柄について、もう一度聖骸布とあわせて紹介させていただきます。 イエスとサンヘドリンの対決が激しくなったとき、イエスの弟子のひとりがイエスを裏切るならばいくら謝礼金をいただけるのか、とサンヘドリンに申し出ていたのです。 彼の名はイスカリオテのユダ・・・でした。 彼はイエスと共に行動していたことから、イエスが今後どのような場所へ移動するかを知り抜いていたのです。 そして、それはサンヘドリンにとって好都合なことでした。 イスカリオテのユダは銀貨30枚を報酬として渡されました。 その金額は当時のユダヤ社会において、ひとりの奴隷を売買するに相当する金額です。 彼はイエスの弟子として3年あまり旅をし、多くの教えに触れてきました。 しかし、彼は銀貨30枚で自らの師を売りさばこうとしたのです。 なぜユダはイエスを裏切ったのでしょうか? これは今でも歴史の大いなる謎とされているそうです。 それともうひとつはイエスを裏切る直前に、あの最後の晩餐で同席していたことであります。 そのときイエスは「私を裏切る者が同じテーブルについている」と言ったのです。 ・・・すでにイエスは自分を裏切る者が誰であるかを知っていたものと思われます。 ユダはその後すぐに晩餐の席を蹴るようにしてその部屋から立ち去りました。 その後にイエスはパンを裂いて弟子たちに与え「これはあなたがたのために裂くわたしのからだである。お互い分けて食べよ」と言って、ぶどう酒を取って弟子たちに回しつつ、「これはあなたがたのために流すわたしの血である。新しい契約のために流されるものである。お互いに分けて飲むように」と言いました。 イエスはパンとぶどう酒に例えて自分の肉体が裂かれ、血が流されることをそのときに伝えていたのです。 イエスはなぜ自分が十字架にかかるのか、真理に立てば立つほどサンヘドリンは抵抗し、やがて怒り狂い十字架に追いやることを知っていたのでありました。 そして十字架で正午から午後3時まで、天地が真っ暗に覆われる中で、自らが苦しむことを知り抜いていたのでありました。 人類のために、神との和解のために、そのための犠牲としてイエスは十字架に向かわなければならないことを知って、その道を実行に移していったのです。 つまりサンヘドリンがイエスを嫌い、イエスを十字架に追いやればやるほど、イエスに対しての神の計画は完全に成就していくこととなるのでした。 それが聖書の預言のひとつでありました。 ユダヤ民族は選民。彼らが神との契約を守り、他の民族らに対して模範となる生き方を実践していたのであれば、今に至るまで聖書は残されることはなかったでしょう。 しかし現実は、預言どおりユダヤ指導部サンヘドリンはイエスを十字架に追いやっていったのです。 ・・・イエスを裏切ったユダが多くの群衆を引き連れてゲッセマネという所にイエスを捕らえるためにやってきました。 イエスを捕らえる前にユダは何百人の群衆に向かって「私が口づけする者がその人だ。その人をつかまえるのだ」と言いました。 それからユダはイエスに近づき「先生。お元気で」と言って、そして口づけしたのです。 弟子でありながら、これほどまでの卑劣な行為、この驚くべき裏切り行為、しかしイエスは全てを知りながら、そのユダに向かって「友よ。何のために来たのか」と言ったのです。 そして群衆はイエスに手をかけて捕らえました。 そのときペテロという弟子がイエスを守ろうとして、剣を抜き、何百人の群衆のひとりの耳を切り落としました。 そしてこのときイエスは有名な言葉、「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びる」と言ったのです。 この言葉は真理であります。 今日にあてはめてみても結局、超軍事的装備を誇れば誇るほど、「剣を取る者は剣で滅びる」、この原則で崩壊していくものと思われます。 イエスはユダ及び自らを捕らえに来た群衆に向かって「わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今わたしの配下に置いていただくことができないとでも思うのか。だが、どのようなことをすれば、こうならなければならないと書いてある聖書が、どうして実現しよう」と述べたのであります。 父とは創造主なる神、そして、その神に多くの御使いを送ってもらって、あなたがたを滅ぼすことは可能である。 しかし、そのようなことをすれば自らが全人類の罪を背負うという旧約聖書の預言が成就しない、と述べていたのでありました。 ・・・つまり、イエスは預言に、神の約束に従ったのです。 そして、さらにイエスは群衆に、「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持ってわたしをつかまえにきたのか。わたしは毎日、宮ですわって教えていたではないか、あなたがたは、わたしを捕らえなかった。しかし、すべてこうなったのは、預言者たちの書が実現するためである」と告げたのです。 イエスは自分を捕らえに来た群衆の前から立ち去ることもなく、自分の正義を貫きました。 しかし、その途端イエスに従った弟子たちはその場から逃げ去ってしまったのです。 しかしイエスは孤独の中でも預言の成就に向かってその歩みを止めることはありませんでした。 サンヘドリン及び祭司長たちは、初めからイエスを死刑にすることを決めていました。 それゆえに彼らは多くの偽証者を集めていました。 ところが偽証者がたくさん現れても、死刑となる証拠はつかめませんでした。 それでしびれを切らした大祭司はイエスに向かって言ったのです。 「何も答えないのか。この人たちが、あんなに不利な証言をしているではないか、これはどうなのか」 ・・・それでもイエスは何も答えようとせず、無言のままでありました。 そこで大祭司は再びイエスに言いました。 「 私は、生ける神によって、おまえに命じる。おまえは神の子キリストなのか。その答えを言え」 この問いにイエスは口を開きました。 「 あなたの言うとおりである。なお、あなたがたに言っておくが、今からのち、わたしが、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになる」 この途端、サンヘドリン及び大祭司は自らの衣を引き裂いて怒ったのです。 イエスはこのとき旧約のダニエルが述べた言葉、「救世主は力ある方、すなわち創造主なる神の右の座に着き、天の雲に乗って御使いたちと共にやって来る」と述べたのです。 そして自分はダニエルの言葉を明確に述べ、自分は神からの救世主であり、預言は成就すると述べたのです。 このときサンヘドリンは大いなる恐れを覚えました。 しかしイエスは顔色ひとつ変えることなく、正々堂々と述べていたのでありました。 これらイエスの態度に対して、彼らは「これこそ神への冒涜だ。これでもまだ証人が必要ですか。あなたがたは神をけがす言葉を聞いた」 ・・・そして彼らの呼びかけに彼らはいっせいに「彼は死刑にあたる」と答えたのです。 結局、イエスの言った言葉が彼らの逆鱗にふれ、イエスは死刑にされてしまうのですが、彼らは最初からイエスを死刑にするために謀略を仕込んでいたのでした。 そしてイエスの死刑は確定しました。ユダヤの下役どもはイエスの顔につばきをかけ、こぶしでなぐりつけ、また、他の者たちは平手で打ちました。 さらに「当ててみろ。キリスト。おまえを打ったのはだれだ」 このような言葉を吐きながらイエスを痛みつけたのです。 ・・・それで聖骸布はそのときの状況を示しています。 その後もイエスはローマ兵からさらなる平手打ちや、鞭打ちを受けていました。 イエスの顔は腫れあがり、ひげも、髪の毛も引き抜かれ、頭には茨の冠まで強引にかぶせられました。 いばらの棘はイエスの頭に食い込んだのです。 今日、残されている聖骸布、2000年という時の流れを隔てても、そこにはイエスの流した血の跡が残されています。 この聖骸布の人物の像は絵の具や何かによって書かれたものではありません。 もし書かれたものであるならば、科学的な測定によってそのことは発表されてしまうからです。 結局、誰もその像がどうしてそこにあるのかわからないのです。 人智を超えた意思によってエネルギーが付与された。 それがイエスの復活を告げる証でもあるのでしょう。 ですから、彼らは絶対に聖骸布を認めない。 それが元で2000年という時空を超えて、彼らの計画は進められてきたのです。 しかしこれには、大いなる神の経綸というか、人智を遥かに凌ぐ壮大な仕組みが隠されていた。 ・・・そんな気がするようになったのです。 続く
2008.03.09
アジア各地で鳥インフルエンザの発生が増えています。 インドネシア保健省は、2月14日、新たにまたジャカルタに住む母親と娘が鳥インフルエンザに感染したことを明らかにしました。 これで同国の感染者は127人(内死者数103人)で世界最多となっています。 そして今回は人から人への感染の疑いもあるため、同省と世界保健機関(WHO)が感染経路の調査に乗り出す模様です。 それで2月1日付けでWHOが監視下に置いた地域は下記のとおりです。 Afghanistanアフガニスタン Bangladeshバングラデシュ Beninベニン Bulgariaブルガリア Burkina Fasoブルキナファソ Cambodiaカンボジア Cameroonカメルーン China (including Tibet and Hong Kong)中国(香港を含むとチベット) Egyptエジプト France (Moselle region in Eastern France)フランス (フランス東部地域モーゼル) Georgiaジョージア Germany (affected states: Bayem, Sachsen, Thuringen, Sachsen-Anhalt) ドイツ(影響を受けた国: bayem 、ザクセン、チューリンゲン、ザクセンアンハルト) Indonesiaインドネシア Iranイラン Iraq (North east corner close to the border with Iran and Turkey) イラク(北東角のイランとの国境に近いトルコ) Kazakhstanカザフスタン Laosラオス Mongoliaモンゴル Myanmarミャンマー Nigeriaナイジェリア Pakistanパキスタン Poland (Mazowieckie)ポーランド( mazowieckie ) Romaniaルーマニア Russia (Kaluzhskaya Oblast, Krasnodarskiy Kray, Moskovskaya Oblast and Respublika Adygeya)ロシア (カルーガ州、地方krasnodarskiy 、 Moskovskaya州とrespublika adygeya ) Saudi Arabiaサウジアラビア Sudanスーダン Thailandタイ Togoトーゴ Vietnamベトナム これを見ると、主にアジア地域に集中しているように感じます。 それで先月、餃子騒動でもお伝えしましたが、NHKが先月二夜にわたって放送した鳥インフルエンザ特集。 これがなんと再放送が二度も放映されておりました。 今、各地で感染が広がり犠牲者を出しているウイルスのタイプはH5N1型で、そのウイルスが鳥から人に感染したものとされています。 ところが、今後さらなる事態が懸念されているのが、感染爆発(パンデミック)と呼ばれており、この鳥インフルが新型ウイルスに変異して人から人へ感染する恐れが非常に高まってきたのです。 人が感染するインフルエンザは通常A/H1N1(ソ連)型ウイルスとA/H3N2(香港)型ウイルス、及びB型ウイルスの3種類であり、これらは弱毒性でありました。 そこに新たに加わったのがH5N1型の強毒性の鳥インフルエンザです。 そして新型鳥インフルとはこれよりもさらに毒性の強い鳥インフルであるのです。 日本政府もこの鳥インフルエンザ対策として、2500万人分の抗ウイルス薬タミフルとプレパンデミックワクチンの備蓄がなされているといわれています。 しかし、いろいろと問題点があるようです。 まず、抗ウイルス薬はその副作用から危険性が指摘されていること。 そして、本来ワクチンは感染した検体からしか作ることができないため、プレパンデミックワクチンはH5N1型を基に作られたワクチンではありますが、完全なワクチンではないことと、その量はわずかしかストックされておらず、使用対象者が医師や警察官、政治家などに限られているということです。 昨年11月、東京都品川区で、鳥インフルエンザ対策の予行演習が実施されました。 その結果からわかった問題点は多くありましたが、結局それらの問題点を解決させる具体案は出てきませんでした。 それで一人の会社員が鳥インフルエンザに感染して海外から帰国し、都内の職場へ通勤したと仮定したシュミレーション調査が行なわれました。 それによると、そのウイルスは瞬く間に広がりわずか一週間で25万人に感染するという結果となったのです。 また日本でこの事態が発生すれば最低でも死亡者は64万人、経済損益は20兆円に及ぶといわれます。 現段階でも死亡率は60%という恐るべきウイルスにどのように対処すればよいのか、これは非常に深刻な問題であるといえます。 NHKが再放送を含めて何故、三度もこの特集を放送したのか、それはおそらく多くの人たちに警笛を発しようとしたのかもしれません。 これが単なる自然現象で脅威のウイルスに変異するのか、それとも 「 現在、世界の人口は一日5万8千人ずつ増加している。(現在は一日20万人) 戦争も、これまでのところ何ら大きな効果を上げることができず、人口倍加は両大戦を経てもなお続いている。 したがって戦争はこの観点から見れば期待はずれであった。 だが、細菌戦争ならば効果があるかもしれない。 」 ・・の言葉が残されていることから作為的なものであるのか、その真偽はわかりません。 しかし、中国の状態を考えると、彼らはいつまでも経済成長を続けさせることは出来ないと思っているだろし、貧富格差が増大する中国内部で不満分子が暴発する可能性は日増しに強くなっていることでしょう。 これらのことから一月に起きた餃子騒動は、単なる事件というものではなく、これは中国や日本、そしてアジア全体に波及する第一弾ではないのだろうか。 彼らは米国と合わせて中国もその視野に入れているのではないか? そして、最悪の事態は新型鳥インフルが日本へ上陸してしまうのか? そのために私たちはどう対処すればいいのか、脅すつもりではありませんが、もうこれはドラマや映画ではなく現実に起きるかも知れないのではと思うのです。 先日、東京のある方が日比谷公園にいったときのことです。 その公園内に3m程の塀が建てられており、異様に思ったそうです。 聞くところによると、花を植える準備とか、トイレを作るとか言っていたそうですが、なにかおかしいのです。 一体何をしているのだろうか・・・。 それでNHKが放送したドラマの中で、鳥インフルによる大量の死者の処理に公園に運び、そこで消毒して埋葬する場面がありました。 そして政府の案では、公園をその対策に使うとのこと。 もしかすれば、もうその準備が始まっているかも知れないのです・・・。
2008.03.08
来年、欧州が統合するということは、彼らの計画が最終段階に入ったことを意味するのではないでしょうか。 彼らはずっと突出した国を衰退させてきました。 ドイツ、ロシア、日本、・・・。 そして今年、最後まで残した米国を衰退させてしまうのでしょう。 また、経済成長を続ける中国に対しては・・・。 さらにイラン情勢は・・・・。 そのような不安を抱えたまま、世界の覇権が欧州へと移行されていくのでしょう。 ここでもう一度ヒトラーに触れなければなりません。 ・・・彼はシオンの議定書を、彼の政策の中で利用しました。 そして、その内容からしてユダヤ人に対し、反逆したのかも知れません。 しかし彼自身も彼らの力で育てられました。 それゆえに心の葛藤が駆け巡っていたのかも知れません。 ・・・そして、やがて敗北を認め、彼は遺書を残しました。 そのヒトラーの遺書の中には、ドイツの復興への道と傲慢極まる彼らの運命が綴られていました。 彼は、死を前にして冷静に未来を見ていたのです。 『敗北を考えるということは耐え難いことである。 戦勝国によって寸断された第三帝国のこと、けだもののようなボリシェビキたちや、アメリカのギャング兵どもの不法行為のなすがままにまかされた住民の苦しみを思うと、私は身の毛がよだつ! しかしながら身の毛がよだつような出来事を予想しても、ドイツ国民の未来に対するゆるぎのない確信をわたしから奪うことはできない。 われわれの苦しみが多ければ多いほど不滅の第三帝国はいよいよますますゆるぎない鮮やかな姿で復活するであろう!』 ・・・日本とドイツは同盟を結んでいました。 第二次世界大戦で先にドイツが破れ、そして日本も同じ運命を辿りました。 やがて双方の国に連合軍がやってきました。 そしてドイツは東西に寸断され、様々な軋轢を受けてきたのです。 同じく日本にも占領軍がやってきました。 そのとき、ある参謀は言いました。 「もし、連合軍が日本人に対して、残虐行為を行なってくれれば、日本は必ず復活できる。しかし、そうでない場合は日本人の精神は潰されてしまうだろう。」 ・・・ヒトラーも同じ事を遺書の中に残していました。 「われわれの苦しみが多ければ多いほど不滅の第三帝国はいよいよますますゆるぎない鮮やかな姿で復活するであろう。」 それでドイツは教育に対しては連合軍の干渉を頑なに拒否し、それが受け入れられたのでした。 今でもドイツでは5歳まではテレビを見せないと聞いたことがあります。 ヒトラーが議定書を知り抜いていたからこそ、それでドイツ国民は、やがての復活を目指すために教育に力を注いだのです。 一方、日本はどうなったのか、・・・それはドイツとは違いました。 連合軍は教育の中にも彼らの戦略を施してきた。 日本はその文化までも破壊されてしまったのです。 ・・・さらにヒトラーの遺書は冷戦による米ソの運命やイスラム勢力が強くなることも告げていました。 『第三帝国が敗北して後、アジアとアフリカとそして南アメリカにおいても国家主義の運動が台頭するまでは、互いに対等の立場で対決することのできる力を持った二つの大国だけが、世界に存在することになろう。 すなわち合衆国とソビエト・ロシアとが歴史および地理的な位置からでてきた法則によってこの二大国は力を競いあうべく定めらている。 それが軍事的な領域であれ、単に経済的またはイデオロギーの領域であれ。 同じ法則性からいってこの二大国は必ず独立ヨーロッパの敵となるであろう。』 彼はドイツが敗北してアジアとアフリカそして南アメリカにおける国家主義が台頭するまで、つまりイスラム勢力が強くなる頃まで、二大国として世界に存在することができると述べていました。 そしてお互いが競い合ってやがて衰退していくことを予測していたのです。 しかし白人種はやがてドイツ国民の助けを受けるようになるとも述べていました。 それが、1951年のパリ条約で交わした石炭鉄鋼共同体の設立でありました。そしてそのとき憎みあったドイツとフランスは和解し、それが後のEUへと進化するのです。 ヒトラーはドイツの助けを受けるようになると言った。 それがヒトラー亡き後、完璧に実現されていくのです。 ・・・さらに重大な予測がありました。 『様々な関係から圧力を受けて何時の日にか、ユダヤ的マルクス主義から手を切って最も残酷でもっとも野蛮な形に変質した、不屈のロシア人スラブ主義にのみ一身を捧げることがロシア人にはできる。 アメリカ人はアメリカ人でもしも彼らが極めて近い将来にニューヨークのユダヤ人の桎梏(しっこく)を払い落とさない限り、ついでながらこれらのユダヤ人は自らが生存の基礎を奪おうとしている。 アメリカ人は滅びていくほかはないであろう、およそ国家政治の理性という段階に一度も到達することなく。』 『どんなことがおころうとも二つの大きな戦争によってわれわれは引きずり込まれたこの残酷な時代において、変わることのない自然法則がある。 すなわち持ちこたえる力を持ちしかもすべての希望を失ってもなお死ぬまで闘おうという勇気を捨てることのない、白人種民族だけに生き延びて新しい花を咲かせる将来へのたしかな見通しがあるということである。 しかしながらこれらの特性は身体の中のユダヤ人の病毒を壊滅し去った民族にのみ、固有のものとなるであろう。』 彼は米国はやがてユダヤ人に踏み荒らされ滅びていくと述べていました。 そして「白人種民族だけに生き延びて新しい花を咲かせる将来へのたしかな見通し」、これが来年統合される欧州合衆国だと思われます。 しかし、今まで一心同体であったユダヤ地下政府とフリーメーソンの関係。 彼らの長年の計画が完成しようとするとき、ヒトラーは「しかしながらこれらの特性は身体の中のユダヤ人の病毒を壊滅し去った民族にのみ、固有のものとなるであろう。」と告げているのです。 つまり、そのときから彼ら同士の水面下での戦いが激化するのでありましょう。 そしてそれが目に見える形となるとき、それは第三次世界大戦となるのかも知れません。 しかし、いずれにしてもヒトラーの遺書はあたかも予言書のように、その後の世界情勢を正確に捉えているかのようでした。 続く
2008.03.04
この議定書が登場したのは1897年、その中には彼らが計画を完成させるにはおそらく、まる一世紀を要するということも書かれていました。 ・・・あれから110年が経過しました。 彼らはすべての計画が完了したとき、そのときは一神教のほかには、どんな宗教も許されないと告げています。 そのために他の宗教を破壊していく、それで一時的に無神論や無宗教時代が現れるが、それは過渡的なものであって、それも彼らの目的の一部となっています。 何故、このような悪魔的な計画を彼らは気が遠くなるほどの長年月に渡って、着実に実行してきたのか、彼らも同じ血が通った人間なのに・・・。 それをこの場で考えてきました。 やはり選民思想の恐ろしさというのか、奢り昂ぶる人間の本質はこれほどまでに醜いものになってしまうというのか、そのような観点でこの書物を見ていると、その傲慢さが彼らの弱点でもあるかのようにみえてくるのです。 それは、彼らの計画が完了するとき、彼らと行動を共にしていたフリーメーソンについて次のように書かれている部分からも読み取れるのではないでしょうか。 ・『 武装蜂起する者どもは容赦なくみな殺しにしてしまう。新しく秘密結社を設ける者も、同様に死刑にする。 現存の秘密結社はわれらが承認し、われわれの役に立っているが、これも全部解散させてしまう。 結社員はヨーロッパから遥か離れた僻地へ追放することになるだろう。 われらの内情に通じている非ユダヤ系フリーメーソン結社員に対しては真っ先に処置する。 何かの理由で許してやったフリーメーソン結社員も、いつでも国外追放するぞと絶えず脅しておくのである。 ともかく、かつての秘密結社に属していた者は、われらの政治の中心である、ヨーロッパから叩き出す新法律を施行する。 』 ・『この結社には社会的知名度の高い者、あるいはそうなりそうな人物を加入させる。なぜなら、それはわれらの主要な情報収集機関であり、これを基地にして、大きな影響力を社会に及ぼしうるからである。』 ・『秘密結社に入る者は、たいがい野心家かペテン師、一般に軽薄な連中である。だから、彼らをわれわれの計画に同調させるのは、それほどむつかしいことではない。』 ・『死はすべての人間の避けられない終末である。だから新しい世界の体制を創始しようというわれらに、死が訪れるのを待つより、われわれの聖業を妨げる者どもに、死を早めてやった方がよい。 われらがフリーメーソン結社員にリンチを加えるときは、誰にも気付かれないし、本人自身もその死に疑いをさしはさまないだろう。』 ・『われわれは、非ユダヤ人には自由主義を吹聴するが、わが同族と結社の仲間には、鉄の規律で絶対服従を強制する。』 ・・・それらを見ると、彼ら同士の内部対立が想起されます。 そして、その対立が終末のクライマックスになるかと思われるのです。 続く
2008.03.04
食糧、エネルギー、金融、情報、彼らはこの四つを既に掌中におさめています。 穀物メジャー、石油メジャー、数々の金融機関や報道関係は彼らの傘下となっています。 そして日本の多くの企業も彼らの傘下に加わっていきました。 『やがてわれらは巨大な経済の独占を行なうだろう。 この独占は莫大な富を擁し、非ユダヤ人の大資産も、われらの独占に従属するだろう。 (中略) 彼らの貴族は、今日すでに政治勢力を失っているから問題にする必要はない。だが貴族はまだ地主としては存続し、なおわれわれにとって邪魔である。というのは、土地からの収益でわれわれから独立することができるからだ、 そこで、どうしても彼らから土地を没収することが必要である。 その最良の方法は地税を高くし、土地を抵当に入れさせることだ。すると土地からのあがりは少なくなる。ところが、彼らは父祖伝来の贅沢趣味を捨て切れず、出費のセーブができないから、そのうち破産するにちがいない。 これと同時に、われわれは前にも増して商工業に保護を加え、とりわけ投機を奨励しなければならない。 この投機のねらいは工業を不安定にすることである。 さもないと工業は個人資本を増大させ、農業の改良に役立ち、農業銀行が地主に貸し付けた、せっかくの債務を返済されてしまうこともあるわけだ。 だから工業が土地からうる富をとり上げ、投機を通じ、全世界の財宝が、われわれの手に収められるようにしなければならない。 こうして非ユダヤ人は無一文になり、ただ生きてゆくためだけに、われわれの前にひざまづくだろう。 彼らの工業を破壊するため、われわれは投機のほかにもうひとつ思い切った贅沢を広めるのである。 つまり華やかなものへの強い欲望、財力を使い果たしてしまうような激しい欲求をつのらせるわけだ。』 『非ユダヤ人に思索と観照の暇を与えないために、われわれは、彼らの関心を商工業にひきつけなければならない。 そうすると、すべての人民は自分の利益のほうに没頭して、共同の敵を見逃すに違いない。 自由が非ユダヤ社会をついに瓦解させてしまうために、工業を投機的基礎の上におかなければならない。 そして工業が大地から取り出した富は、非ユダヤ人の手から投機家を通じ、すべてわれらの金庫に収まるのである。 経済生活で優越をうるための激しい闘争と市場での絶えざる投機は、人情酷薄な社会を現出するだろう。 そして高尚な政治や、宗教に対して嫌気がさし、金もうけに対する執念だけが、唯一の生甲斐になる。 彼らは金でえられる物質的快楽を求め、金を偶像視してしまうだろう。』 世界を握ろうとする者は信仰や精神的な部分を破壊するために、物質的な欲望と数学的な打算を与えました。 上記に述べられた言葉の中で「工業を投機的基礎の置く」、これは今日を表しているのでしょう。 思えば1971年の「ニクソンショック」はこの言葉の実行でありました。 ベトナム戦争から抜け出せない米国は次第にその財力が衰えていきました。 それまで続けられていた通貨体制はブレトン・ウッズ体制下であり、ドルと金(ゴールド)との交換比率は固定され、米国は自国が保有する金に対してドルを発行するという安定した経済体制であったのです。 それで当時は1ドル=360円、その比率は安定し、各企業は将来の見通しに対して、確実な経営計画を立てることができたのです。 しかし、1971年8月15日、そのブレトン・ウッズ体制は破棄され、ドルと金との兌換は停止、そしてそのときから変動相場性へと移行されていくのです。 それからというもの企業家の頭の中には、投資に対する見通しがつかず、常に不安が付きまとう時代に変えられてしまうのです。 そしてユダヤ系の金融機関があたかも投機の元締めのようになり、工業が生み出した富は彼らの懐に収められていきました。 それは彼らの計画通り、多くの人たちは金でえられる物質的快楽を求め、金を偶像視してしまったのです。 日本において、その典型は90年代初頭のバブル期であったのでしょう。当時は主婦や学生も投機に昂じていました。 そして大きく膨らんだバブルは弾け、そのお金も彼らの掌中に収められていったのです。 それからM&Aにより多くの企業は多国籍企業となっていきます。 そして、昨年10月に社名を変更した松下も彼らの支配下に置かれたことになります。 結局、生き残るためには彼らの支配下に置かれるしかない。 まさにそれが現実となっているのです。 続く
2008.03.04
・・・グローバルスタンダード。 それは世界基準、特定の国や地域、企業などに限られた基準ではなく、世界中どこでも適用される基準や規格、ルールであります。 今ではそれが当たり前、その基準から外れるような企業は国際社会からは見捨てられていくのでしょう。 そういえば深刻化する地球温暖化に対して、今、多くの企業はその対策に苦慮しています。 昨年「不都合な真実」という映画が絶賛され、その製作に関わったアル・ゴア元米副大統領がノーベル平和賞を受賞して、温暖化対策はより一層拍車がかかっていくような気配を感じます。 思えば1990年に開かれた国連ブラジルサミットで日本はその時点で排出していた炭酸ガスの排出量を2008年~2012年の間にマイナス6%にすることを決めました。 あれから18年に及ぶ歳月が過ぎて、現時点で炭酸ガスの排出をどこまで抑制することができたのか? ・・・実は逆にプラス6.4%も増えてしまっているのです。 今年になって福田総理は途上国の温暖化支援に1兆円を投じるといいました。またダボス会議でそれを発表されたといいます。 しかしここに疑問があります。 まず、その問題に対して中国や米国は除外されていること。 そして、本当に炭酸ガスが温暖化の直接の原因となっているのだろうか、という疑問です。 ・・・しかし、結果的には日本はこれから2012年までに1990年の排出量に対して12.4%の削減を達成しなければならないということです。 それらから答えを探すならば・・・。 結局は出来ない・・・。 それが答えであるように思います。 でも、日本は途上国に支援までも課せられてしまう。 また多くの企業もこの大問題に真剣に取り組まないと国際基準から相手にされなくなってしまうということです。 それで、第五の議定の冒頭には以下のように述べられています。 『腐敗が隅々にまで拡がった社会。巧妙なゴマ化しや、詐欺に近い方法でしか富をえられない社会。 贈賄がはびこり、モラルは、かろうじて法律の制裁によってだけ保たれ、心からは守られない社会。 国際主義(グローバルスタンダード)が祖国愛と信仰を殺してしまった社会。こんな社会に対しては、われわれは、どんな政治体制を与えたらよいのだろうか。 このような社会には、これから述べるように専制政治以外にないのである。 われわれは、きわめて中央集権的な政府をつくり、あらゆる権力をわれらの手に握る。 そして新しい法体系により、人民の政治生活を機械的に律してゆく。この法律は、いままで非ユダヤ人が許していた寛大や自由を、ひとつずつなくしてしまう。 こんな立派な専制で対処するので、どんなとき、どんな場所でも、われらに不満を抱く非ユダヤ人の抵抗は未然に潰されるだろう。』 この言葉から想像すると、国連は中央集権的なモデルだったのではないだろうか。 そして彼らは本格的にその政府に着手した。 それが来年からスタートする欧州合衆国ではないかと思うのです。 法の基に規制がはじまり、それが正当化されていく。 そして、それに従わないと「悪」。 その締め付けがこれから次第に強くなり、そんな雰囲気が漂いはじめる気がしています。 続く
2008.03.04
このテーマは暗くなるばかりの内容が続きます。 それで、今回は少しばかり視点を変えてみようと思います。 前にも触れましたが、議定書の中に以下のような言葉があります。 「だから国家にとってもっとも有効的な形態は、責任ある一個人に政治機能すべてを集中することである。 絶対専制なしに、文明は存在しない。 政治は民衆の業績ではなく、ともかく指導者の偉業なのだ。」 ・・・独裁、絶対専制を彼らの側から見れば、すべての人民は彼らの奴隷、虐げられても歯向かうことも出来ずに、じっと我慢する環境下に置かれることをいうのでしょう。 また文明や文化は民衆の業績ではなく、その統治者の業績であることも確かです。 ・・・ですからこの言葉は正しいといってもいいでしょう。 日本の歴史を見ても封建社会の時代はそのような環境に置かれていたことも事実です。 しかし、そのような封建社会の真っ只中で、民衆のための政治を行なった人物がいます。 そして、この歴史的事実は彼らの戦略が一旦成しとげられたあとの展開・・・、というか、その後のヒントがここに隠されているように思うのです。 その代表的な人物が「上杉鷹山」でありました。 彼は九州の高鍋藩から養子として山形の米沢藩に迎え入れられ、藩主となります。 17歳で藩主となりましたが、幼い頃より藩主としての教育を受けていことでありましょう。 彼が即位したとき、そのとき米沢藩は財政面において多大の借金を抱えていました。 越後の上杉謙信が藩祖となりますが、その当時の220万石から比べれば石高は15万石と極貧状態であったのです。 その中で彼は藩を立て直していきます。 そして彼が藩主から退くとき、十代目の藩主に「伝国の辞」を授けます。 一、国家は先祖より子孫へ伝候国家にして我私すべき物にはこれ無く候 一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候 一、国家人民の為に立たる君にて君の為に立たる国家人民にはこれ無く候 右三条御遺念有るまじく候事 「 国家というものは先祖より子孫に伝えられていくもので、藩主が我が物にしようとするものではない。 人民は国家に属するもので藩主の好き勝手に扱うことは許されない。 そして藩主というものは国家人民のためにあるもので、藩主の為に国家人民があるのではない。 決して忘れてはいけないことは民の父母となることだ。 」 そして、その後も鷹山は後見役として、陰で藩を支えて行くのです。 ・・・それから明治になって内村鑑三氏は日清、日露戦争において日本が勝利したことから、欧米列強が日本を野蛮国家と見なそうとしたとき、彼は「代表的・日本人」を著しました。 しかも外国人に読んでもらうために、彼は英語で書いたのです。 それで彼は代表的な日本人として五人の人物を取り上げました。 二宮尊徳、中江藤樹、西郷隆盛、日蓮、そして上杉鷹山でありました。 その中で彼は「日本人は徳を重んじる」ということを切々と説いていたのです。 よく考えてみると、上杉鷹山がこのような思想を持っていたということは不思議なことでありました。 彼は江戸時代中期の大名、そのような封建社会の中でいったいどこからこのような民主的な思想が芽生えてきたのだろうか、現代だからこそその意味を当たり前のように受け取ることは出来ますが、当時の環境でこのような思想が生まれる要素はどこにもなかったと思えるからです。 それを内村鑑三は以下のように述べました。 「 封建制にも欠陥はありました。その欠陥のために立憲制に代わりました。 しかし鼠を追い出そうとして、火が納屋をも焼き払ったのではないかと心配しています。 封建制度とともに、それに結びついていた忠義や武士道、また勇気とか人情というものも沢山、私どものもとからなくなりました。 ほんとうの忠義というものは、君主と家臣とが、たがいに直接顔を合わせているところに、はじめて成り立つものです。 その間に<制度>を入れたとしましょう。君主はただの治者にすぎず、家臣はただの人民であるにすぎません。 もはや忠義はありません。 憲法に定める権利を求める争いが生じ、争いを解決するために文書に頼ろうとします。 昔のように心に頼ろうとしません。 献身とそれの持つ長所は、つかえるべきわが君主がいて、慈しむべきわが家臣があるところに生じるのです。 封建制の長所は、この治める者と治められる者との関係が、人格的な性格をおびている点にあります。 その本質は、家族制度の国家への適用であります。 したがって、いかなる法律や制度も<愛の律法>にはおよばないように、もし封建制が完璧なかたちで現れるなら、理想的な政治形態といえます。」 ・・・このように独裁専制というと、恐ろしい政治形態のように捉われてしまうことはたしかです。 しかし上に立つ者の人間性で結果は大きく異なってくるのです。 ・・・話は変わりますが、 終末に向けて必ず日本から何かしらのアクションが起こる。 自分はそのように思っています。 また、このように思われる方は、たくさんいるようにも思います。 そして突飛もない考えかも知れませんが、日本には古代ユダヤ人がいると思っています・・・。 そして、必ず日本から信頼のおける指導者が登場するのではないか。 ・・・でも、聖書や数々の聖人が告げたように、そこに至るまでには多くの艱難があるものとも思われるのです。 続く
2008.03.04
情報・・・。 100年前なら、それを得る手段は新聞や書籍であったと思います。 それから見れば現代はそれらに加えてテレビ、ラジオ、週刊誌、そしてインターネットといういつでもタイムリーに様々な情報が流されるようになりました。 ところが、昨年の日本の出来事をひと言葉で表すと「偽」でありました。 ・・・それは100年前から定められていたのです。 第十二の議定(全文掲載) <自由>という言葉は、多様に解釈されるが、われわれは「自由とは法の許すことを行なう権利なり」と定義する。 この定義により自由はまったくわれらだけのものとなる。 というのは、法律はことごとくわれわれの希望で作りもし、廃止もするからである。 新聞はどうするか。現在の新聞の役割は、民衆の激情を煽ったり、セクト的な利己心をかき立てたりして、われらの利益になっている。 新聞はもともと空虚で、不公平で、嘘つきだが、民衆の大部分は、それが誰の支配下にあるかご存知ない。 新聞は、いって見ればわれわれの馬で、われわれは、その背に鞍を置き、しっかと手綱でしめつけている。新聞以外の出版物も同じことだ。 せっかくわれわれが新聞を巧みに御していても、ほかの出版物で攻撃されれば何にもならない。 世論指導には随分と金をかけているが、検閲制度によって、これらをわれらの政府に吸い上げ、逆に財源にする。 特別の印紙税を設けて、新聞社や出版社を創めるものに、保証金を積ませるが、これで彼らの攻撃をまったく封ずることができるだろう。 それでも攻撃するようなら、びしびし罰金を取り立ててやる。 印紙税、保証金、罰金は、政府の重要な収入になる。 政党機関紙などは、罰金を恐れないかも知れないが、二度も続けてそんなことをしたら、発行停止処分にしてしまう。 われらの政府の無謬性を、誰も批判することは許されない。発行停止の理由は、常に何の根拠もなく、いたずらに世論を煽動した。ということである。 諸君に特に注意してほしいのは、われらの創設した新聞もわれわれを攻撃することだ。 だがそれは、攻撃の鉾先が、実はわれらの予定した政策変更の方向に向かっているのである。 どんな情報も、われわれの眼を通さずには公表されないだろう。全世界のニュースは、若干の通信社によって集められ、そこでリライトされ、はじめて各新聞社、諸官庁に流される。 現在ある程度までそうなっているが、やがて全通信社が、われらの支配化に属し、われわれが許すニュースだけが伝達されるようになるだろう。 われわれは、今でもほとんど非ユダヤ人の思想界を牛耳っているので、彼らは世界の事件をわれらの色眼鏡を通して見るようになっている。 哀れなる彼らが<国家の秘密>などと称しているものは、今でもすべて筒抜けである。だからわれらが、世界の王として君臨したときには、いったいどうなることだろう。 もう一度新聞の将来に立ち戻るとしよう。 新聞、雑誌、書籍といった、いわゆるジャーナリズムはすべて許可制にし、どんな些細なことでも、違反すれば即時認可取消しにする。 こうすればジャーナリズムは、われわれの政府の握る教育手段になり、人民が埒もない進歩の白昼夢に憧れることもなくなるだろう。 諸君は先刻ご承知だが、そうした白昼夢のため、人民同士、あるいは人民と政府の間の、あらゆる規律と秩序が壊されてしまう。 進歩、正確には進歩の思想は、無制限に各種の解放運動を生み出した。 自由思想の進歩主義者は、行動の上では、かならずしもそうではないが、少なくとも心情的には革命家である。彼らはすべて自由の幻を追い求め、体制に対して否定のための否定をし、ついにアナーキーな状態に陥入るのだ。 再び新聞の問題について述べよう。 われわれは、新聞はじめすべて出版物に、ページ数による印紙税をかける。三十ページ以下の小冊子には、二倍の税を課すことにする。 こうして出版物として安直に刊行されやすく、もっとも害毒を流す雑誌の数を制限することができる。 ライターはライターで、部厚い本を書かざるをえないが、そうすると値段は高くなるし、退屈であまり人は読まなくなる。 ところが、われわれの側の出版物は、われらの方向へ世論を形成しようというもので、値段を安くするので飛ぶように売れてしまう。 税で著作への欲求を抑え、処罰の脅しで、ライターをわれらの傘下におさめるのである。 それでもわれわれに反逆を試みる者もいるだろうが、そんな著書を引き受ける出版社が見つからない。なぜなら。出版社も印刷所も許可制で、発行前に出版の許可を受けなければならないからだ。 こうして、われらへの非難もあらかじめわかるし、敵が出版する前に先手を打って反論することも可能だ。 出版と新聞は、二つとも、もっとも重要な教育手段である。 だからわれらの政府は、これらほとんどの定期刊行物の所有権を獲得する。これで政府は民営新聞の害を除き、民心に継続的な影響を与える。反対派の新聞雑誌十に対し、こちらは三十で太刀打ちする。 もちろん、これらのことが公然と行なわれては、元も子もなくなる。 われわれの新聞雑誌は表面上、多種多様な傾向をもつように見せかける。つまり御用新聞・雑誌ではないと振舞って民衆を欺し、こちらの罠にかけ、彼らを無害なものにするからである。 まず官報あるいは政府系紙、その任務は常にわれらの利益を守るものだが、そのためにかえって影響力は小さく弱いものである。 第二に半官的なもので、その役割りは無関心なノンポリや中立派をわれわれの方へ吸収する。 第三は、はっきり野党的な色彩の新聞、これは少なくとも紙面の一部で、われらに真向うから反対する。すると本当の反政府派が、これを味方だと思い込み、彼らの秘密まで打ち明けてしまうだろう。 われわれは、貴族主義、共和主義から革命的な無政府主義に至るまで、ありとあらゆる傾向の新聞を経営するが、もちろんそれは今の憲法が存続している間だけのことである。 百本の手を持っているちょうどインドのヴィシュヌ神のように、これらの新聞は、それぞれいずれかの思想潮流をつかんでいる。ある潮流が激しそうなときには、いち早くその流れをわれらの水路に導入するだろう。興奮し理性を失った人間ほど導きやすいものはない。 彼ら間抜けどもは自分らの党機関紙の主張をわめき散らしているつもりだが、実はわれわれの意見か、少なくともわれらに好都合な意見をPRしているのである。 彼らは、自分の党の新聞に従っていると信じているが、実際には、われらの旗について行進していることになる。 こうした計画を指揮するため、われらは注意深く組織をつくらなければならない。<新聞中央協会>といった名称でペンマンの協会を設け、そこにわれわれの隠れた同志をおき、われらの標語の普及につとめさせる。 われらの新聞が、こちらの政策批判をしたり、攻撃したりするが、あくまでそれは表面だけのことで、核心に触れるようなことはない。 また公然たる政府機関紙とも、華々しい論戦をしたりもするが、それも政府機関紙が第一報で意を尽くせなかったことを、詳しく補足して報道させるためである。これも必要で有利なときしかやらせない。 新聞にわれらを攻撃させるのは、人民に対しまだ完全な言論の自由があると信じさせることにもなる。 また反対派の新聞は、ナンセンスな反対を唱えている、政府の政策を批判する事実上の根拠がないではないか、とわれわれの同志がPRすることができる。 こんなトリックは一般にわからないし、われらの政府への、人民の信用を高めることになるだろう。 われわれは時に応じ状況に従い、国政に対する世論を刺激したり鎮めたりできる。われわれはある時は真実、ある時はデマを流し、説得したり、逆用したりする。それは民衆がどう反応しているかを見て対応するのであり、事実にもとづいて述べもするし、また事実否定もしなければならないのだ。 つまり、いきなり大地に飛び降りたりせず、足でそっと触ってから、地上を踏みしめるわけである。 ジャーナリズムに対するこうした処置で、われわれは確実に敵を征服するだろう。なぜなら敵は彼らの主張を伝達する新聞を持ちえないからである。 それでわれわれは、彼らにまともな反論をする必要さえなくなってしまう。 さきに第三にあげた野党的新聞に載せられるわれわれの観測気球の記事も、必要なときには、半官的新聞で叩きつぶすことができるのだ。 フランスの新聞界では、現在すでにフリーメーソン結社による密接な連帯が成立している。 すべての新聞は、職務上の秘密を互いに守るということで結ばれている。 メーソンの宣誓により、決議で公表してよいとされない限り、どんな記者も情報の秘密を漏らさない。どうしてかというと、われわれは脛に疵を持った記者しか、メーソンに入れないので、違反すれば、それを暴露されてしまうからである。 過去の汚点が秘められている限り、彼の名声は外国までも拡がり、多くの民衆は彼の筆に従うのだ。 われらの計画は地方をも重視しなければならない。 地方の都市に対する希望と反対を煽り、逆に都市部では地方に対立する傾向を促すのだ。 両方ともその出所はわれわれである。われらが完全に権力を掌握するまで、われわれの手先きが煽った地方の世論が、首都を制圧することも必要だ。 そして時が到来すれば、もう地方の大多数が認めた既成事実として、首都側にかれこれ文句をつけさせないのである。 われらの権力確立前の、いわば過渡的な新体制時代になったら、新聞に社会的なスキャンダルを扱わせないようにする。 新しい体制下で、すべての人民が満足し、犯罪も影をひそめたと世間に信じさせるのだ。 犯罪があっても、その被害者と、偶然の目撃者以外には知らせないのである。 以上
2008.02.22
第一の議定、 それで彼らは政治家たるものはすべからく策謀と偽善を用いなければならないと定めていました。 そして政治と道徳は何の共通点もなく、モラルに制約される政治家は政治家としては失格であるとも述べています。 ・・・おそらく政治というものはそのようなものであるのでしょう。 それで、その観念に立って、そのような彼らの言葉から昨年の参院選挙以後を考えてみると、安倍内閣はこのモラルに制約されて自分の理想とする政治を行なうことができなかったということになるのではないでしょうか。 閣僚たちの数々の不祥事が発覚して、マスコミに煽られ、そして国民は彼を見捨てたのです。 俗に二世議員とか三世議員を民衆が見たとき、それらは何の苦労もせずに親のすねをかじって政治家になっただけのことだと思ってしまいます。 多くの国民は安倍前総理に対して、そのように捉えていたと思うのです。 しかし、シオンの議定書を見た場合、その家系に生まれたものしか政治の要諦はつかめないと記されていたのです。 ・・・はたして、あのときの選択は正しかったのだろうか? それで、さらに第一の議定を、見ていきたいと思います。 ・・・『古代において「自由・平等・博愛」を民衆に叫んだのは、ほかでもない、われわれユダヤ人である。 この言葉はそれ以来、餌に誘われて群がる愚かなオウムたちによって、いやというほど繰り返された。この言葉は世界の安らぎ、つまりかつては民衆の圧力から保護されていた、真の個人的自由も破壊してしまった。教養あり分別めかした非ユダヤ人も、この言葉のかげに隠された矛盾を見抜くことができなかった。 彼らは自然というものに、平等や自由のありえないことを知らなかった。 自然そのものが悟性、性格、知能の不平等をつくり、これを自然の法則に従うようにしておいたのである。 彼らは、民衆が盲目の暴力であるとは考えても見なかったし、また彼らが選んだ成り上がりの選良も、民衆と同じ盲目であろうとは知らなかった。 政治の秘訣を授かったものは、たとえ馬鹿でも政治ができるのに、秘訣を知らなければどんなに非凡の才能があったとしても政治の要諦はつかめない。こうしたことを、非ユダヤ人はすべて見逃している。 ともあれ君主政治の原則は、父から子に政治の秘訣を伝えることで、王家の人々だけがこれを知り、それ以外の統治される人民には、この秘密をもらさなかった。その後、政治の真の要諦をこうして王統で継承する意義は次第に失われ、われわれの成功に都合よくなってきた。 「自由・平等。博愛」という言葉は、何も知らないわれらの旗振りー同調者の熱心な努力で地球の隅々に至るまで拡がり、無数の人間を、われわれの味方にひき入れた。 そして、この言葉は非ユダヤ人社会の安らぎを蝕み、いたるところで平和、秩序、協同をくいつくし、彼らの国家の基礎をくつがえした。』 裏で政治家を操るには、その政治家の弱点を握ることだと彼らは知っています。 そして、そのスキャンダルをネタにして脅し、思い通りにコントロールすることができるというのです。 『この世界には性善なる人間より、低俗な本能に生きる者のほうが遥かに多い。』 彼らはすべてを見通している。 ですから、それに勝てる者はいないのでしょう。 その戦略で安倍政権は葬られてしまったのでしょう。 では、安倍前総理は何をされようとしていたのか。 彼は国益を重視していた。 日本の自立を真剣に考えていたのです。 それで米国との関わりを見直し、日本国憲法を改定し、自国の防衛面の強化に本気で取り組もうとされていたのです。 そして、彼は昨年開かれたシドニーのAPEC首脳会談で、イラクやイランにおけるブッシュ政権を正確にサポートするような発言をしませんでした。 それどころか安倍前総理は、中国との国交改善を積極的に進めて、米国による日本への保護から脱出しようと試みていたのです。 しかし彼らグループからすれば、それは「悪」でありました。 第一の議定、その終わりには以下のように記されています。 『自由という空しい観念は民衆をかり立て、統治者などは、国家の所有者たる人民に委任された管理人にすぎず、使い古しの手袋のように、いつでも取りかえられるものだ、と思いこませることができた。 人民の代表者が自由に取りかえのきくものだということは、われわれの思う壷で、実際、代表者の任命はわれわれが握ったようなものである。』 シドニーに集結した世界の要人たち、安倍前総理は彼らの背後に潜む大いなる力に打ち勝つことができなかった。 しかし民衆は、そのような政治家であったことにすら気付かず、多くは彼らの下した判決に迎合しているかのようでありました・・・。 続く
2008.02.21
40年ほど前、永淵一郎氏は自著の前書きでシオンの議定書について以下のように述べていました。 「 おそらく今の若い世代の人たちは、この本の存在、いやその名前さえ聞いたことがないかも知れない。 今世紀のはじめ、そのロシア語版が世に現れて以来、独、仏、英をはじめ世界各国語版が次々に刊行され、それこそ全世界に、恐怖と不安に満ちた、一大センセーションをまき起こした怪文書なのだ。 アンチセミチズム(反ユダヤ主義)の側では、これをユダヤの<世界征服綱領>だとして大騒ぎするし、ユダヤ側は<今世紀最大の偽書>だとけんめいに否定しつづけた。 だが、こんな論争にはおかまいなしに、各国語訳ともどんどん版を重ね、飛ぶように売れた。 スイスでは訴訟沙汰にまでなった。米国の自動車王ヘンリー・フォードはこれをもとに1920年”インターナショナル・ジュウ(国際的ユダヤ人)という本を公刊し、ユダヤ勢力に勇敢な挑戦を試みたが:、ついに膝を屈するという一幕もあった。 ヒトラーの「わが闘争」ローゼンベルグの「二十世紀の神話」に現れた、ナチ・ドイツの極端なまでの反ユダヤ主義の基底にも、これが横たわっている。 しかもいまもって《シオンの議定書》の著者は不明のまま深い謎に包まれている。 その成立から流布した経路、波紋と論争もあとで略述するが、きわめてはっきりしていることは《シオンの議定書》が真偽いずれであるにせよ、近代ユダヤ問題の<原点>としての意義は動かないということだ。 いまになってみれば、古典的価値があるといってもいいだろう。第二にその波紋、影響がほとんど全世界的規模にまたがり、ある意味で第二次大戦の要因といった歴史的事件にまでつながっていくという事実、これも否定しようがないことだ。 第三に秘められたこの著者の驚くべき分析力、予言力の確かさだ。 例えばこの議定書の第16章に次のような一節がある。 『 彼らの思索力を隷属化させることは、すでに<視覚教育>と称する方法ではじめられている。この視覚教育の主な狙いは、非ユダヤ人を、すべて脳を働かせただけでは物が考えられず絵を見なければ何も理解できない、従順な動物にすることである・・・』 これはテレビによる一億総白痴化とか、漫画ブームはなやかな今日このごろに書かれたものではない。まだテレビの影も形さえなかった、70年も昔にピタリと予言したのだ。 著者がユダヤ人だろうと非ユダヤ人だろうとどちらでもいい。ただコンピューターも顔負けの予言力に舌をまくばかりである。 また第13章にはこんなくだりもある。 『・・・彼らに事情をさとらせないために、われわれはさらにマス・レジャーを盛んにする。われらの新聞で芸能、スポーツがもてはやされ、やがてクイズも現れるだろう。これらの娯楽は、われわれと政治闘争しなければならない人民の関心を、すっかり方向転換させてしまう。 こうして人間は独立してみずから思索する能力を次第に失い、すべてわれらの考えるとおりにしか考えられないようになる・・・』 ほんの一、二例をあげただけだが、こんな奇妙な一致は随所に出てくる。 これはどうしたことか、と首をひねらざるをえない。未来を先取りした社会風刺だ、と笑ってすませられるだろうか。 現代社会の種々相と対照し、この70年の歴史の軌跡を振り返りながら読み進むと、あまりにも符合するところが多く、著者の非凡さに敬服する。・・・」 それで第一の議定には人間の本質が語られていました。 そして政治と道徳について恐るべきことが書かれていました。 「この世界には性善なる人間より、低俗な本能に生きる者のほうが、遥かに沢山いることを忘れてはならない。 だから政治においてもっとも効果的なのは、学者の議論ではなく<暴力>と<恐怖>なのである。 どんな人間でも権力を志向し、できることなら独裁者になろうと望んでいる。そして、自分個人の利益のためには、一般多数の幸福を犠牲にすることなど、いささかも気にしない。 人間と称する残忍な獣を現在まで抑え、つないできたものは、そもそも何であったろう。 人類社会を形成した原始のころには、荒々しい暴力に服したし、その後には法律に従うようになった。だが、この法律にしたところで、しょせん仮面をかぶった暴力にほかならないではないか。こうした自然の法則から推して、正義は力であるといってもよいであろう。」 「政治と道徳は何の共通点もない。 モラルに制約される政治家は、政治家失格である。そんなことではとても権力の座は維持できない。 政治家たるものすべからく策謀と偽善を用いなければならない。 民衆にあっては美徳とされる誠実や素直さは、政治においてはむしろ罪悪である。 どうしてかといえば、こうした徳目は最強の政敵よりも一層確実に政権を転覆させてしまうからである。 これらの道徳は非ユダヤ人の特長であってもよいが、われわれユダヤ人は、決してこれを学んではならない。 われわれの権利は力にある。」 「現在、各国の政治権力が動揺している中にあって、われわれの力は何にもまさって無敵である。 どうしてかといえば、われらの権力はどんな術策によっても倒されないように強くなるまで、表面には現れないからなのだ。 われわれが目下用いなくてはならない一時的な不正から、確固たる政治という善事を招来するだろう。 その政治は現在、自由主義によって形なしになった民衆の生活機能を平常に復するにちがいない。 目的は手段を正当化する。われわれの計画を成しとげるには、善とか道徳にはこだわらず、必要か有効といったことに主な関心をふり向けなくてはならない。 われわれには当面する戦略戦術の計画がある。この路線からはずれることはできない。 なぜなら、それは幾世紀にもわたってきた勢力の結果を、無にしてしまうおそれがあるからである。」 「 民衆が冷静に嫉妬もせず、個人の利害を度外視して国政を処理することができるだろうか。 また彼らは外敵を防ぐことが可能だろうか。答えはノーである。 どうしてかといえば、民衆のまちまちな意見のように計画は統一性を欠き、うやむやで実行不能のものになってしまうからだ。 ただ独裁専制者だけが遠大で明確な計画を実行し、政治機能のすべてを正しく処理できる。 だから国家にとってもっとも有効的な形態は、責任ある一個人に政治機能すべてを集中することである。 絶対専制なしに、文明は存在しない。 政治は民衆の業績ではなく、ともかく指導者の偉業なのだ。」 続く
2008.02.18
シオン・・・。 これはエルサレムの城の南の丘を指すそうです。 ユダとイスラエルの南北王国を統一したダビデ王がこの丘を攻略し、エルサレムを首都と定め、ここに十二部族の中心となる聖所を設けたことから、神の聖なる山として理想化された場所となりました。 バビロン捕囚以来、離散流浪の悲運にさいなまれたユダヤの民はとても悲しい歌を詩篇の中に残しました。 『バビロンの川のほとり。 そこで、私たちはすわり、 シオンを思い出して泣いた。 その柳の木々に 私たちは立琴を掛けた。 それは、私たちを捕らえ移した者たちが、 そこで私たちに歌を求め、 私たちを苦しめる者たちが、 興を求めて、 「シオンの歌を一つ歌え。」と言ったからだ。 私たちがどうして、 異国の地にあって主の歌を歌えようか。 エルサレムよ。 もしも、私がおまえを忘れたら、 私の右手がその巧みさを忘れるように。 もしも、私がおまえを思い出さず、 私がエルサレムを 最上の喜びにもまさってたたえないなら、 私の舌が上あごについてしまうように。・・』 (詩篇137章1~6節) ・・・彼らは異国の地で遠い故郷を偲んでいました。 その歌からはあまりにも悲しい彼らの思いが伝わってきます。 それでシオニズムは「シオンへ帰りたい」という望郷の念から湧き上がったものでありました。 ・・・しかし、その歌はそこで終わらなかったのです。 『主よ。エルサレムの日に、 「破壊せよ、破壊せよ、その基までも。」と言った。 エドムの子らを思い出してください。 バビロンの娘よ。荒れ果てた者よ。 おまえたちに仕返しする人は、なんと幸いなことよ。 おまえの子どもたちを捕らえ、 岩に打ちつける人は、なんと幸いなことよ。』 (詩篇137章7~9節) ・・・彼らはその恨みを心の底から神に願いました。 その思いまでも、あからさまに歌い上げていたのです。 そして、その思いは単にシオンに帰るだけではなく、この地上に君臨するという願望にエスカレートしていくのです。 あたかもそれは宿命のように・・・。 時は移って1894年10月、パリでドレフュス事件が起きました。 ユダヤ人将校ドレフュス大尉が軍事機密をドイツに流したというスパイ容疑で、彼は捕らえられ、無実を訴えたにもかかわらず、12月の軍法会議で彼は終身刑を言い渡され、島流しにされてしまった事件です。 結局、再審請求の結果、彼は無実にはなりましたが、その事件を契機にしてユダヤ問題が波紋を呼び、その流れの中で近代シオニズム運動が 湧き起こってくるのです。 そのときその事件を傍観していた一人の新聞記者がいました。 彼はドレフュスに罵声が浴びせられ、襟章が引きちぎられ、サーベルが折られる痛ましい姿をじっと見つめていたのです。 彼の名をテオドール・ヘルッル。オーストリアのウイーンに住むユダヤ人でありました。 彼のこの事件との出会いから、ユダヤ人の解放はユダヤ民族国家を再建する他にはありえないという決意を固めさせるようになり、これが近代シオニズム運動の先駆けとなり、そして1897年スイスのバーゼルに於いて第一回シオニスト会議が開かれるようになったのです。 シオンの議定書は24条で構成され、それは悪魔的天才が記述したような書であります。 次回はその内容に触れたいと思います。 しかし、もし時の流れが後戻りすることができるのであれば・・・。 冒頭に掲げた詩篇137章、これらは紀元前に歌われた歌です。 そして、そのときその歌が彼らの悲しみだけで終わっていたならば・・・。 イエスに対する彼らの行いは全く違っていたかも知れません。 そして彼らのこのような計画が起こされることはなかったでしょう。 しかし、あたかも聖書が告げたように、彼らは「恨み」を消すことができなかったのです。 続く
2008.02.15
ユダヤ人、この民族は数奇な民族であるのでしょう。 古代において巨大なピラミッドを為したエジプト人、天才的な天体観測に優れたマヤ人、そして大帝国を築いたローマ人など、それらの遺跡は当時の面影を残しています。 しかし遺跡は残されても、それらの民族は消滅しました。 かつての文明を築いた民族は長い歴史の中で消え去ったのです。 ところが、ユダヤ人はローマによって散らされ、数々の迫害を受けながらも今に至るまで生き続けています。 それは神の意図なのか、それとも彼らの生き延びる知恵が優れていたのか。 それどころか、本当はユダヤ人ではない民族までもが、ユダヤ人として君臨するようにもなっているのです。 ・・・それで今日のイスラエルは、政治的中枢を握るアシュケナジー・ユダヤ人と、建国と共に祖国に戻った二級市民である本当のユダヤ人たち(スファラディ・ユダヤ人)、そしてその下にアラブ人が虐げられて生活している、そのような構造となっています。 ・・・神との契約、それはユダヤ民族の誇り。 それを祭司、律法学者と呼ばれる指導的立場にある人たちはその意味を間違えて捉えました。 それが、今に至る世界的な大問題の元であるようです。 サンヘドリンは血統的ユダヤ人です。 それとアシュケナジー・ユダヤ人は宗教的なユダヤ人。 それらのリーダー的な者たちは、ユダヤ教という宗教において、同じ思想を抱いてきました。 それは終末に向けて世界を一つにし、やがて登場する救世主を自分たちの力で作り出すこと。 ・・・イエスはそれを見抜いていました。 彼は旧約で預言された人物こそ自分であると確信していました。 それで、旧約に綴られたその生涯を、十字架の道を歩んだのです。 またイエスはアシュケナジー・ユダヤ人が現れてくることさえ、知り抜いていました。 それがマタイの福音書に書かれています。 『 忌まわしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。 改宗者をひとりつくるのに、海と陸とを飛び回り、改宗者ができると、その人を自分よりも倍も悪いゲヘナの子にするからです。』 (マタイ23章15節) ・・・イエスは改宗者はもっと悪い地獄の子だと告げました。 彼らはそれを恨んでいます。 それで長い長い年月をかけて・・・。 世界をのっとる計画を推し進めてきたのでしょう。 その彼らの計画の要諦が示されたのは1897年であったといわれます。 そのときスイスのバーゼルにおいて初めてのシオニスト会議が開かれ、そしてその会議でシオンの議定書は生まれたのです。
2008.02.13
・・・世界の火薬庫とも呼ばれる中東。 アラブとユダヤの対立。 1948年5月。 その問題はイスラエル建国と共に始まりました。 パレスチナの地はユダヤ人がAD70年に離散した後、ずっとイスラムの人々の地でありました。 ところが、第一次世界大戦の頃からシオニズム運動が叫ばれるようになり、ユダヤ人は神が我らに与えてくれた土地として武力を使って、その土地の奪還を果たしたのです。 彼らの行いに対して旧約聖書の預言というべきものがありました。 それが前回に紹介した「アブラハムへの神の祝福」でした。 その中に記された神の言葉。 「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。 」・・・。 この聖書の言葉によって、ユダヤの建国を祝福すれば、私たちも祝福されるとして、欧米諸国は強引なユダヤの建国であったにもかかわらず、それを認めてしまったのです。 それが宗教戦争の始まりだったのです。 しかし、もともとパレスチナの地にはアラブ人とユダヤ人が生活していました。 離散した一部のユダヤ人たちで、帰還した人たちがいたからです。 それで彼らはお互いを認めながら共存してきたのです。 その理由は聖書を見ればわかります。 アブラハムと本妻のサラとの間に生まれた子どもがイサクで、これが後にユダヤ人の流れとなり、アブラハムとハガルという女性との間に生まれたイシュマエルがアラブ人の始まりになるからです。 つまりアラブ人とユダヤ人の始祖は同じアブラハムであったからです。 ところが、そこに別のユダヤ人が現れました。 その民族は今日のカザフスタン、かつてのカザール帝国にいたカザール人と呼ばれる人々でありました。 この民族はいつしかユダヤ教に改宗し、本来ならユダヤ教徒カザール人と名乗るべきであるはずなのに、自らをユダヤ人と名乗ったのです。 彼らをアシュケナジー・ユダヤ人といいます。 彼らは白人系のユダヤ人。その人たちが今日ユダヤ人の90%になっているともいわれています。 しかし彼らはそれを認めているわけではありません。 それはこのアシュケナジー・ユダヤ人はアブラハムを始祖とはしていないから、それはユダヤ人ではない証となってしまうからです。 アーサー・ケストラーはこのカザール起源説を主張しました。 そして彼自身アシュケナジーユダヤ人であったのです。 彼には日本でも知られる多くの著書があります。 『スペインの遺書』や『真昼の暗黒』『黄昏の酒場』『見えない手紙』『夢遊病者』『コール・ガールズ』など。 彼の死後、その業績は高く評価されました。 しかし、その業績とともに彼の多くの著書は紹介されましたが、その中である書物だけが挙げられることはなかったのです。 また、彼のことは世界大百科事典でも詳しく掲載されているにもかかわらず、『ユダヤ人とは誰か』。 ・・・白人系のユダヤ人のルーツを探ったこの書物だけは掲載されることはなかったのです。
2008.02.12
聖書が歴史的史実であると捉えた場合、世界で暮らす人々はノアの子孫となるのでしょう。 ノアの箱舟・・・そこにはノア夫婦とその息子たち3人、そしておのおのその妻が乗り込みました。 そして災いが過ぎ、その後ノアの息子、セム、ハム、ヤペテに次々と子どもが生まれるのです。 その史実は創世記10章に記されています。 そしてセムの子孫からユダヤの始祖であるアブラハムがやがて登場することになり、そして神はこのアブラハムを祝福し、大いなるものとするのです。 「 その後、主はアブラム(後のアブラハム)に仰せられた。 あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。 あなたの名は祝福となる。 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。 地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。 」 (創世記12章1~3節) ・・・そのような祝福を受けた民族であるユダヤの国はやがて南北朝に分裂します。そして南ユダ、北イスラエルという国に分裂した後にも、北イスラエルはアッシリアという国によって滅ぼされ、南ユダはその後、バビロン国によって滅ぼされ、南ユダの人々はバビロン捕囚となり、異国の地で過ごすことになるのです。 アブラハムの子孫はそのとき、12部族に分かれていました。 そして南ユダは2部族で構成され、北イスラエルは10部族で成り立っていたといわれます。 その後、バビロンで奴隷とされた2部族は元の国に戻ることが許されました。ところが、北イスラエルの10部族の民族は、そのときを境にして今も行方がわからないのです。 それで今日ユダヤ人と呼ばれる人々の祖先は南ユダの2部族であるのです。 そしてその中からイエスが現れ、イエスの処刑から40年後、彼ら2部族は世界に散らされてしまったのです。 このような歴史を振り返るとユダヤ人の歴史は苦難の歴史であるかのようです。 散らされた国々での数々の試練にも、彼らは耐えてきたのです。 そして1948年5月、彼らは創世記12章を頑なに信じてイスラエル建国を果たしたのです。 それがシオニズムと呼ばれるものです。 ところがここに問題が隠されていました。 それはイスラエル建国の中枢を占めたユダヤ人が聖書に記されたユダヤ人ではなかったからです。 続く
2008.02.09
今年1月19日、「ヒトラーの贋札」という映画が封切られました。 http://www.nise-satsu.com/ この映画は第二次世界大戦中、ナチス・ドイツがイギリスの経済かく乱を狙い画策した史上最大の紙幣贋造事件で、この「ベルンハルト作戦」に関わった、ユダヤ人印刷工アドルフ・ブルガーの証言に基づいて制作されたそうです。 ・・・まさにヒトラーはユダヤ人にとって悪魔であったのかも知れません。 しかし、彼の心の奥底に潜む憎悪の念はいったいどこから生まれたのでしょうか。 その一つが世界征服綱領と呼ばれるシオンの議定書ではないだろうかと思います。 彼はその内容を知り抜いていた。 それが、ユダヤ人に対する憎悪の念を駆り立てたひとつの要因であったのでしょう。 それともう一つ・・・、「ロンギヌスの槍」との出会いがあったのです。 ロンギヌスの槍とはイエスが十字架刑で、最後にわき腹に突き刺された槍のことです。 十字架刑の最後には足の骨が折られます。 それでイエスの両脇にいた囚人たちは足の骨を折られ、全身の重みが手に打ち付けられた釘の部分に急激にかかり、その衝撃で心臓発作を起こし、囚人は死亡に至ったのです。 しかしイエスは違いました。 彼はその時点で既に死亡していたのです。 それでイエスの場合だけは、ローマ兵がその死を確認するために、わき腹に槍を突き刺したのです。 その記録がヨハネの福音書19章34節にあります。 ロンギヌスの槍の由来には多くの諸説があるそうです。 その一説にはイエスの体を刺した兵士の名が「ロンギヌス」であった事から、名付けられたといわれています。 ヒトラーはこのロンギヌスの槍を我が物にし、ナチスの大本営が置かれたニューンベルクで保管したというのです。 ロンギヌスの槍はヒトラーが愛したワーグナーの作品にも度々登場し、一説にはそれがヒトラーに影響を与えたとも言われています。 そのワーグナーの作品の中に「パルジファル」という戯曲があります。 その中で聖杯を守る騎士団の敵でクリンゾルという魔術師が「ロンギヌスの槍」を探し出し、黒魔術に用いるといったエピソードが展開されているのです。 またワーグナーはこのロンギヌスの槍について、魔術王として知られるランドルフ2世の逸話からインスピレーションを得たと言われており、そしてまた、ヒトラーがこのクリンゾル、そしてランドルフのようにロンギヌスの槍を捜し求め、世界征服への野心を燃やしていくと言う一説があったことも事実なのです。 ヒトラーが初めてその槍を目にしたのは1912年9月でした。 それでその出会いを後日、次のように語りました。 「 私はその槍の前に立って、数分間、ただ静かにそれを見つめていた。 するとそれが何か、私の奥底で眠っていたもの、あるいは私が直視することを避け続けてきた何かを強烈に呼び覚ましているような感覚に襲われたのだ。 そして私はその槍を、自分が生まれる以前、数世紀前にも一度手にしていたような気がした。私はその槍を持って世界を手中に収めようとしていた、そう感じたのだ。」・・・と。 ・・・その槍に秘められた魔力とでもいうのか、彼のもう片方の心はオカルト的な部分に興味を抱くようになってしまったのかも知れません。 ・・・それが悪魔の囁きだったのか? 彼は多くのユダヤ人の命を奪っていくのです。 ところが不思議なことがあるのです。 彼はスファラディ・ユダヤ人、つまり本当のユダヤ人は一人も殺しておらず、犠牲となった人たちはアシュケナジー・ユダヤ人と呼ばれる白人系のユダヤ人であったのです。 ・・・しかし、彼がそれを知っていたかどうか、その真相は分かりません。 それから31年後、アーサー・ケストラーにより「The Thirteenth Tribe」、邦訳「ユダヤ人とは誰か : 第十三支族・カザール王国の謎」が出版されたことで、ユダヤ人の真相が知られるようになったのです。 続く
2008.02.07

ヒトラーは1889年、オーストリアの小さな町で生まれました。 それから彼はオーストリア・ハンガリー帝国の兵役を逃れるために1913年、ミュンヘンに移住します。 しかし同年に勃発した第一次世界大戦を契機に彼はオーストリア国籍のまま、ドイツという国を愛するがあまり志願兵として入隊するのです。 しかし彼の昇級は結局伍長止まりでありました。 そんな彼がやがてはドイツの国家元首まで登りつめていったのです。 彼はドイツという国、そしてアーリア人(通常アーリア人といえばイランとインドに住む民族のことを指しますが、ヒトラーは「ドイツ人は最も純粋なアーリア人」と主張していた。また日本を東方のアーリア人とも呼んでいたそうです。)を愛していたのでしょう。 ドイツという国は美しい国です。 ドイツを訪ねた方から教えていただいたことで印象に残った言葉は、「どこを見ても絵葉書になる。」という言葉でした。 彼は一時期、画家を目指したこともありました。 その画風は写実的で独創性に乏しいと言われ画題としては人物より建築物や廃墟などの風景などを好んだと言われています。 しかし、もしかすれば彼のその思いが現在のドイツに表れているのかも知れません。 彼は世界で始めてアウトバーンという高速道路を建設しました。今日見かける高速道路の立体交差などはヒトラーの時代に完成されたものでした。 また多くの国民に夢を与えようとして、フォルクスワーゲンという玉子型の車を量産したのです。玉子型にした理由はもちろん安全対策を考慮した上でのことであったらしいです。 立体交差の曲線、丸みを帯びた車、そのような部分においても彼が画家を目指したことから美意識というものがあったと読み取れるのではないでしょうか。 またヒトラーは大変、子ども好きであったといいます。 それで彼の別荘には側近たちの子どもたちで賑わっていたとも伝えられています。そして何よりも有名なのは愛犬家であったことでしょう。 それでこんな逸話を聞いたことがあります。 「 アドルフ・ヒトラーは大の犬好きだった。 その中でも彼が最後まで愛し、側に置いたのはブロンディというジャーマン・シェパードである。 ヒトラーは非常に熱心にこのブロンディをトレーニングした。 ヒトラーを取り巻くナチス・ドイツの高官たちの見守る中で、ブロンディは高さ1.8メートルの塀を飛び越えたり、狭い平均台の上でバランスを取ったり、階段を駆け上がったりしたのだった。 ナチス・ドイツが崩壊する約1年前の1944年4月19日、まもなく誕生日を迎えようとするヒトラーは特別招待客として、このブロンディをパーティの席に着かせた。 ブロンディはその才能を余すところなく発揮し、招かれた人々をびっくりさせたのである。 ヒトラーがピアニストに命じてある音楽を奏でさせる。 そうすると、驚くべきことにブロンディがそれに合わせて歌を歌ったのである。集まった高官たちはこのブロンディの歌いっぷりに度肝を抜かれた。 かくのごとくヒトラーはブロンディを愛し、訓練し、そしていかなる時にも最も身近に置いていたのである。 ヒトラーが愛したのはシェパードのブロンディだけではなかった。 第一次世界大戦中には、至る所に塹壕が掘られ、ヒトラーもドイツ兵士としてその塹壕の中で生活していた。そのときの出来事である。 一匹の犬がその塹壕の中に偶然迷い込んできた。ヒトラーはその犬を手元に置き、やはり辛抱強く訓練した。 その犬はフォックス・テリアで、フォークスルと名付けられた。 ヒトラーはフォークスルと共に多くの戦場を駆け回り、戦い続けたのである。 多くの人々が金を積んで、その犬を譲ってくれと頼んだという。 しかし、ヒトラーはどれほどの大金を積まれてもフォークスルを手放すことはなかった。 しかし、フランスのアルザス地方で何者かにそのフォークスルを盗まれてしまったのである。 その時のヒトラーの落ち込み様は酷かったと言われている。 ヒトラーの最期の日、1945年4月30日を迎える。 ヒトラーは居間のソファに身を埋めたまましばらく黙っていた。 やがて懐から二個のカプセルを取り出した。 それは一週間ほど前、医者から自殺用にと渡されていた青酸カリだったのである。 すでに外では砲弾が炸裂する音が聞こえてきていた。 まずエヴァが一つの青酸カリのカプセルを飲み干した。 数分で息絶えた。 そして、残れるもう一つのカプセルを普通ならばヒトラーが飲んでしかるべきであるが、彼はしなかった。 彼はその青酸カリのカプセルを愛犬のブロンディに与えたのである。 ヒトラーは愛犬の死後、傍らにあったピストルで自らの頭部を撃ち抜いた。 はたしてこれほど犬を愛した人物が悪人だろうか・・・。 ヒトラーがブロンディをどれだけ愛し、ブロンディによってどれほど多くの慰めを最後まで得ることができたかを考える時、彼はブロンディをピストルでは撃ち殺せなかったのである。 」 続く
2008.02.06
旧約聖書から新約聖書に受け継がれた預言。 その中でこれから起こるべく重要な点を紹介させていただきます。 うまくお伝えできないかも知れませんので、その点はお許しいただきたいと思います。 旧約聖書ダニエル書。 その第7章に預言者ダニエルは自らが見た夢を書き記していました。 ・・・それは四頭の大きな獣たちの夢でした。 第一は獅子、第二は熊、第三は豹、そして第四の獣が登場するのです。 この獣たちはかつての国々を表していました。 獅子はバビロン、熊はペルシャ、豹はギリシャを指すのではと捉える方がいます。 そして最後に登場する第四の獣がローマであるというのです。 それで第四の獣については以下のような表現で記されました。 『 その後また、私が夜の幻を見ていると、突然、第四の獣が現れた。それは恐ろしく、ものすごく、非常に強くて、大きな鉄のきばを持っており、食らって、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。これは前に現れたすべての獣と異なり、十本の角を持っていた。 私がその角を注意して見ていると、その間から、もう一本の小さな角が出て来たが、その角のために、初めの角のうち三本が引き抜かれた。 よく見ると、この角には、人間の目のような目があり、大きなことを語る口があった。』 (ダニエル書7章7~8節) 以上から第四の獣は非常に強い力を持った獣、それで預言者ダニエルの夢は続きます。 『 彼はこう言った。 第四の獣は地に起こる第四の国。 これは、ほかのすべての国と異なり、全土を食い尽くし、これを踏みつけ、かみ砕く。 十本の角は、この国から立つ十人の王。 彼らのあとに、もうひとりの王が立つ。 彼は先の者たちと異なり、三人の王を打ち倒す。 彼はいと高き方に逆らうことばを吐き、いと高き方の聖徒たちを滅ぼし尽くそうとする。 彼は時と法則を変えようとし、聖徒たちは、ひと時とふた時と半時の間、彼の手にゆだねられる。 しかし、さばきが行なわれ、彼の主権は奪われて、彼は永久に絶やされ、滅ぼされる。 国と、主権と、天下の国々の権威とは、いと高き方の聖徒である民に与えられる。 その御国は永遠の国。 すべての主権は彼らに仕え、服従する。』 (ダニエル書第7章23~27節) イエスはダニエルによって語られた一人の王を新約マタイ伝の中で「荒らす憎むべき者」と告げました。 『それゆえ預言者ダニエルによって語られたあの「荒らす憎むべき者」が聖なる所に立つのを見たならば(読者はよく読み取るように)そのときはユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。・・・ そのときには世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないようなひどい苦難があるからです。 もし、その日数が少なくされなかったら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、選ばれた者のために、その日数は少なくされます。』 (マタイ伝24章15~22節) ・・・ダニエル書7章の中で気になる部分、もしかしたら第四番目の獣とはこれから登場する欧州合衆国ではないだろうか、また十本の角とは欧州の王家のことではないだろうか、それと「よく見ると、この角には、人間の目のような目があり」と記されていますが、これが三角の中にある目、つまりフリーメーソンになるのではないだろうかと思えてしまうのです。 いずれにしても数千年も前の時代に記録されたものなので、その解釈は難しいと思います。 また、やがて現れる独裁者にひと時とふた時と半時の間、その支配権が与えられること、これはヨハネの黙示録においても何度も告げられていたことでした。 この一点だけを吟味しても、旧約聖書から新約聖書は密接な繋がりがあることが分かります。 そしてそれは今の時代になって、分かるものかも知れません。 それで「荒らす憎むべき者」とは、これから登場するヒトラーを超えた独裁者であるのでしょう。 するとヒトラーは彼らにとってどのような存在であったのでしょうか? 私たちは傲慢で残忍で多くのユダヤ人を虐殺した恐るべき人物という認識しか知らされていません。 ・・・菜食主義者というと平和主義者であるように思われませんでしょうか? 実はアドルフ・ヒトラーは完全な菜食主義者で酒も煙草も嗜まない。 そのような人物であったのです。 続く
2008.02.05
最近、聖書について旧約に記された神と新約の神は異なっているという説を唱えている人がいることを知りました。 またある方の日記に以下のように書かれていたことも気になりました。 『 「エジプト軍が追ってくる、災厄が町を通り過ぎる。 あなた方は家ごとに一歳の雄の小羊をほふり、 その血を家の入り口の二つの柱と鴨居に塗っておきなさい。 そして種入れぬパンと苦菜を食べなさい。 私はエジプトのすべての神々に審判を行うだろう。 私は主である。その血はあなた方のために印となり、 私はその血を見て、あなた方の所を過ぎ過ごすであろう。 あなた方は私を滅ぼすことはない」と。 このほかにも旧約聖書には生け贄を求めるシーンがたくさん出てきます。 今でも、子羊を生贄をして 儀式に正式に利用しています。 オーストラリアから羊がそのために輸出されて、 なんと舞台の上で喉をかき切られて、失血死に至らされるそうです。 いけにえを求めてくる神ってなにかおかしくないでしょうか? 』 ・・・それらについて思ったことを書いてみようと思います。 まずは上記に紹介された聖書の一説は映画「十戒」で登場した部分です。 モーセがユダヤの民をエジプトから脱出させるとき造物主はエジプト人の長子に災いを与えるとモーセに伝え、逃れるためには家の鴨居と門柱に羊の血を塗るように命じました。 そして、その所には災いを与えないと告げたのです。 たしかに生贄というと残酷に聞こえます。 それと日本は国家仏教を取り入れて殺生を禁じていたので余計そのように感じやすいと思います。 たしかに日本人的な感覚で捉えればそのとおりだと思います。 でも、実はそうではないのです。 その前にお伝えしたいことは聖書は宗教の書物ではありません。 たしかに旧約聖書を元にキリスト教、ユダヤ教、イスラム教などが生まれましたが、それが聖書のすべてではなく政治、哲学、文化、芸術などそれらの土台となるものも数多く生まれているのです。 聖書はたくさんの預言者により、神の言葉が記録されたものです。 ・・・ということは預言者と呼ばれた方たちは真剣に忠実にその言葉を記録していたと思われます。 ですからいい加減な書物では決してないということが理解できるのではないでしょうか。 ・・・聖書を調べて分かること。 それは人間が本来「悪」であるということです。 創世記では造物主は人間を造るために全宇宙を創造され、最初に男が造られ、その男のあばら骨から女が造られると記されています。 そして女が禁じられた実を蛇にそそのかされたときから、悪の歴史が始まるのです。 そして蛇が言った言葉、これは重要な言葉です。 「その実を食べると神のようになれる。」 これが人間を狂わせてしまったのでしょう。 それで旧約と新約を合わせると2000ページに及ぶ書物であるにもかかわらず、人間が過ちを起こして神から離れる史実は、聖書の冒頭数ページ目に記されているのです。 ・・・ですから聖書を知れば人間がいかに愚かであることが判り、そして数千年の時代を隔てた今に至っても人間の精神的な部分は何の進歩もしていない、それが明確に判るのです。 話を戻します。 先ほどのある方の日記に書かれた部分で、 「 あなた方は家ごとに一歳の雄の小羊をほふり、 その血を家の入り口の二つの柱と鴨居に塗っておきなさい。 そして種入れぬパンと苦菜を食べなさい。 」 ・・の部分は実は日本で今でも行事として行なっているのです。 大晦日からお正月にかけて日本では昔から行なわれる伝統的な慣わしがあります。 それは鴨居にしめ縄を飾り、門柱に門松を立てることと、お餅を食べる慣わしです。 これは日本の神道系の伝統的な慣わしですが、旧約聖書の掟といえるものだったのです。 もちろん日本は仏教があるので生き物を殺して血を塗ることはできません。ですからその代わりにしめ縄と門松を飾ったのです。 そして種を入れないパンとは、もし聖書を日本人が直接訳していたならば、それはお餅と訳したはずです。 醗酵させないパン、それはお餅のことだからです。 次に生贄についてですが、聖書では人が罪を犯したとき、その身代わりとして家畜の中から立派なものが生贄とされました。 それは牛であり、羊であり、貧しいものは鳩であったと記されています。大事なことは自分が手塩にかけて育て上げた家畜であったということなのです。 ですから人は愛情を込めて育てた家畜を殺すことに、心から改心しようとしたのです。 こんなにつらいことはなかったはずです。 しかし、造物主はすべての動植物を人間の手の中にゆだねていました。 そして唯一の許しは人の命を紡ぐために他の命を奪って食べること。 それは許されていたのです。 よく肉はいけないと言われますが、これは一概に言えることではありません。 日本は非常に恵まれた国であり、農耕民族であるがゆえに肉はほとんど食べなくても過ごせますが、不毛の地で生活する狩猟民族はそのような生活が難しいのです。 ですから農耕民族は穀菜食で狩猟民族は肉食が主となるのです。 しかし、肉食を主にすると争いを好む性格となります。 ・・・そのように、風土が違えば食物の文化も変化します、できることなら穀菜食のほうが穏やかな人間が形成されていくのでしょう。 しかし、肝腎なのはそれが人の生を維持させてくれることです。 ですから食事をするときは「いただきます」、「ごちそうさまでした」という感謝の念が心から必要であるのです。 他の命が人を生かしてくれるからです。 ・・・それで人間の代わりに捧げられることは「犠牲」であります。 漢字で「犠牲」の「犠」は「牛」、「羊」、そしてその下に「我」と書きます。 ・・・何故でしょうか? 漢字は中国から伝わってきたものです。 しかし、中国は仏教儒教の国であり、旧約聖書の教えではありません。 またお正月の慣わしで私たちはオトソというお神酒を頂きます。 オトソは漢字で「お屠蘇」と書きます。 ・・・屠殺されて蘇生する。 何故、お正月のお神酒がそのような意味になるのか? これもよく考えればまことに不思議なことであるといえるのです。 ・・・ですからこの日本にも聖書を知る民族がいたということになるのでしょう。 ・・・それで最後に旧約と新約の神が違うということ。 これは全くの誤解だと私は思います。 それを唱える方は聖母マリアの予言というものを根拠のひとつにされていると聞きました。 実はこの聖母予言ほどおかしなものはありません。 よくカトリックでは聖母マリア様と呼ばれます。 しかし新約聖書の何処を調べてもイエスの母であるマリアを「聖母とせよ」とは一言も書かれていないのです。 それでヨハネの福音書には以下のように書かれています。 『イエスは、母と、そばに立っている愛する弟子とを見て、母に「女の方、そこにあなたの息子がいます。」と言われた。 それからその弟子に「そこに、あなたの母がいます。」と言われた。 その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。 』 ヨハネの福音書19章26、27節 このようにマリアは母親ではありましたが、聖母マリアではないのです。 ・・・私は聖書はあくまでも聖書だと思います。 そして宗教は後から生まれたもの。 ですから、そのような捉え方ができないと真実が曲がってしまうことがあるのではないかと思うのです。 続く
2008.02.04

レーガン政権時代の経済ブレーンの一人にハリー・E・フィギー・Jrという人物がいます。 彼は元大統領諮問委員、その人物は15年ほど前、恐るべき書籍を著していました。 「1995年合衆国破産」 彼は大学時代、一人の教授からあることを聞きました。 それは第一次世界大戦後のドイツ・ワイマール共和国で起きた事実。 その彼の書斎には、歴史の教訓として、当時ワイマール共和国で発行された高額紙幣が飾られているといいます。 彼はこのまま行けば1995年に米国は経済が破綻すると予測し著書の中で二つのシナリオを提示されました。 彼は以下のように綴っていました。 「アメリカ経済崩壊の悲劇がどのように幕開けるか、その正確な姿をとらえることはできないが、二つの可能性のうちのいずれか、あるいはその二つが組み合わされた過程を経て、アメリカ経済の基盤が崩壊していくことは確かである。 一つのシナリオは「ハイパーインフレによる破産」と呼ぶべきもので、物価が調整不能となり、ドルの価値が最初は一ヵ月単位、次には一週間単位、そしてついには一時間単位で下落するものである。 もう一つのシナリオは「恐慌による破滅」と呼ぶべきもので、世界の金融市場のトレーダーや投資家たちが、アメリカを破産に追い込んでしまうことなる。」・・・と。 ・・・ドイツ・ワイマール共和国の教訓。 1920年にはドイツ政府は歳入の60%を借り入れに頼っていました。 1923年までに、歳入中の赤字が占める割合は88%まで上昇、しかし政府はそのほとんどを新規造幣で補っていました。 大幅に切り下げられた新紙幣の需要に対応するため、ワイマール政府は造幣をドイツ全土の印刷業者に命令しなければならなかったほどだと言われるほど、市場に流通された紙幣の量は1921年初めの6700万枚から、1923年12月には4960億枚という信じがたい数字に達したといいます。 それで1922年8月から1923年までの16ヵ月間で物価は1兆200億%も高騰したのでした。 当時0.29マルクであったライ麦パンの価格は1923年の夏には1200マルクに上昇し、同じ年の12月にはなんと4280億マルクにまで急激な高騰となるのです。 ドイツ国民は夕食用の買い物をするためだけでも、現金をかご一杯に詰めていかなければ用が足りなかったのです。 そのような経済破綻を経験したドイツ、・・・このあとヒトラーの登場が用意されていました。 それはいったい何を意味していたのでしょうか? どちらにしても、米国は今年経済的に最大の難関を迎えたかのようです。 それは同時に世界的な問題となり、そして米国に代わる政府の登場。 彼らがその教訓を生かすように・・・私たちもその教訓を生かすべきではないでしょうか。 (画像は1923年の超インフレ。紙屑となった紙幣で暖炉に火をつける女性。) 続く
2008.02.02
中国製の冷凍餃子による食中毒被害の多発。 今、世間を騒がしているこの騒動には恐ろしい何かを感じます。 ・・・そのような観点から最近の動向を整理してみたいと思います。 まず一つ目は中国の状況です。 それで、誰もが想像されることは、今年北京オリンピックが開催されることと、経済成長が目覚しい国であることだと思われます。 しかし、中国の状況変化はそれだけではありません。 外に表れにくい部分で重要なことがあるのです。 その一つは中国の主要な人たちがフリーメーソンとの距離を置き始めたこと。 これがまず重要なポイントです。 そして二つ目が1月12日の産経新聞の報道です。 その新聞の見出しに「新型鳥インフル恐怖のシナリオ」とありました。 関連記事 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080111-00000947-san-soci それによると1月10日、中国の南京で初めて人から人へのインフルエンザが確認されたとのこと。 この新型インフルエンザが日本に上陸すれば、少なくとも64万人が死亡し、経済損失は20兆円に及ぶという記事でありました。 今まで過去に人から人への感染で死者が確認されたのは東南アジアの北スマトラなどの数例だけでしたが、今回の南京での発症は、そのときよりも人に感染しやすい状態に変異したのではないかと危惧されております。 以上が現在の中国の姿であるといえるのです。 ・・・それで話は変わりますが、実はNHKで異様ともいうべき出来事がありました。 産経新聞の報道と時を同じくした1月12日午後9時、NHKスペシャルにおいてあるドラマが放送されたのです。 ・・・「感染爆発」というドラマでした。 それは三浦友和主演で人間対ウイルスという近未来の危機を描いたドラマでした。 http://www.nhk.or.jp/special/onair/080112.html そして明くる13日、NHKはさらにそのドラマを裏付けるドキュメンタリーを放送したのです。 それが「調査報告 新型インフルエンザの恐怖 」でした。 http://www.nhk.or.jp/special/onair/080113.html ・・・これは何を物語るのでしょうか? 実はNHK内部は思想的に対立があると聞きました。 真実の報道を伝えたい・・・。 NHKスペシャルはNHKの顔とも呼ばれる番組、心ある人たちはそれで真実を伝えようとしたのかも知れません。 余談ですが、NHKから昨年暮れに出版された書籍、「2012 地球大異変」。これもまさかNHKが、という内容の書籍なのです。 http://www.bk1.jp/product/02946859 ・・・いつものようにうまくお伝えすることができないのですが、産経新聞の記事、NHKの放送、何故これらが同時期に起きたのでしょうか? さらに不思議なことは1月23日付けの日本経済新聞では30面と31面に新型鳥インフルエンザが取り上げられていたのでした。 そして、NHKは1月12、13日に放送したこれらのドラマやドキュメンタリーを間を置くこともなく1月15日、16日に深夜枠で再放送したのです。 かつて第一次世界大戦を終結させた要因はスペインから始まったインフルエンザでありました。 その死者は全世界で4000万~5000万人に及んだといいます。 しかしこれから起こりうるかも知れない伝染病はさらに恐ろしいものとなるかも知れません。 それで、そのような事柄と合わせて、ある人物らが述べた言葉を以下に挙げさせていただきます。 「また現在、世界の人口は一日5万8千人ずつ増加している。(現在は一日20万人) 戦争も、これまでのところ何ら大きな効果を上げることができず、人口倍加は両大戦を経てもなお続いている。 したがって戦争はこの観点から見れば期待はずれであった。 だが、細菌戦争ならば効果があるかもしれない。 14世紀にヨーロッパの人口を激減させた(黒死病)(ペスト)のようなものを各世代に一度ずつ、世界中に蔓延させることができれば、生き残ったものは自由に子どもが作れるし、世界が人間であふれることもない。その時点での不快感はあるが、それは何ほどのことだろう。」 (バートランド・ラッセル) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%AB 「私は究極の敵と出会うことが出来た。その敵とは人類である。 あまりにも多くの無駄飯食いがいて世界にゴミをまきちらし、天然資源を必要以上に消費し、川や土や海を汚している。 今後、この無駄飯食いの数を少なくとも半分の25億人にまで減らさねばならない。 それも2005年までに実現させることだ。 伝染病などを使って高い死亡率を達成し、不要な人間を殺してしまうことになる。この計画には工業や大規模農業の破壊も盛り込まれている。 失業や飢餓を生み出して、病気や死に拍車をかけようというわけである。」 (アウレリオ・ペッシェイ ラッセルの弟子) 上記の言葉はまさに世界を上から見ている、まるで自分たちが神であるかのような立場で世界を動かしている者たちの言葉です。 それで、長くなりましたが以上の事柄を踏まえると、今回の餃子事件は彼ら(世界を裏で動かそうとするもの)が、まず中国を牽制して陥れるために、日本において起こしたテロである可能性があることがわかります。 その意図は人口削減、中国経済の弱体化、北京五輪の阻止など色々考えられると思うのです。 それで新型鳥インフルエンザとは生物化学兵器であるのでしょう。 今回はその実験ではないでしょうか? 検査の甘さから、テロに利用される隙があったのかも知れません。 そして、そのような警告をNHKが既にしていたこと。 これは南京で人から人への感染が発覚した日から、たった二日間であったことから予めそのときのために用意していたとしか考えられないのです。 ですから今年はやはり激流の年の始まりとなるかも知れません。 以上、ややこしい説明となりましたが、お伝えさせていただきます。
2008.01.31

・・・彼らは絶対に聖骸布を認めない。 しかし、その布に残された数々の血痕を聖書に記述された事柄と合わせて検証していくと、それは限りなくイエスそのものであったという結論が導き出されてくるといわれます。 もしかすれば過去に起きた三度の火災は、その妬みから彼らが引き起こしたものであるのでしょうか? 聖骸布がイエスであるならば、それは大きな身体であることがわかります。 身長は180~182cm、そして身体には120箇所もの鞭打ちの跡が数えられたというのです。 一般にユダヤで鞭打ち刑が行なわれる場合、39回までとされていました。 40回を超えると心臓を麻痺させるため、死に至る手前で留められていたのです。 しかし聖骸布に残された鞭打ちの跡は120回、しかもローマの兵隊は単なる皮の鞭ではなく、その先には金属片や動物の骨が組み込まれていたといわれます。 それらから察すれば、イエスは十字架にかけられるその前から、死に匹敵するほどの苦しみを受け続けていたということになります。 聖骸布に写されたその人物の顔はとても薄いものでありました。 血や汗は付いていましたが、人間の輪郭を示す部分はほんのわずかであったのです。 ところが1898年、セコンド・ピアという人物が初めてこの聖骸布を写真にとって、その原版を現像液の中に入れると、時間の経過とともに驚くべき現象が現れてきたそうです。 そこに写っている人物の正面、背面の姿が現れ、顔や身体が写真のように見えてきたのです。 これが今日多くの人が目にする聖骸布の写真です。 ・・・それゆえにサンヘドリンは常に否定し続けているのです。 それは不思議な現象でした。 実は聖骸布の裏にはその人物の姿はいっさい現れていないのです。 わずかに染み出た血液を見ることができるだけでありました。 ところが、その表側には人物の遺体を包んだ部分が茶色に変色しているからなのです。 この現象は今日までの科学で証明することは出来ません。 それで、それらの現象からこの聖骸布なる人物は神からの特別な力により新たなるエネルギーが与えられ、新しい身体に変化したと多くの人々が思うようになったのです。 つまりそれは「イエスの復活」を裏付ける可能性を秘めたからです。 ・・・このことは彼らにとって受け入れがたい現実となりました。 それを認めれば、イエスは創造主の力で復活したこと、そして2000年間の歴史が誤りであったことの裏付けとなってしまいます。 それで数々の異論が出るようになりました。 そのひとつは聖骸布はレオナルド・ダ・ヴィンチであるとされたことです。 しかし、これは間違いであることがすぐ判ります。 それ以前に聖骸布がすでに世の中にあったことが証明されているからです。 また炭素測定法によってイエスを包んだとされる聖骸布は、今から500年前の布であるともされました。 これは科学的な証明となり、多くの賛同者が現れたそうです。 しかし上の写真を見ていただくと判ります。 聖骸布はずっと隠されてきたものではなく、何百回も人々の前で公開されてきました。 その結果、多くの人たちの手に触れられてきたのです。 特に写真から判るように、当時の聖職者たちは聖骸布の端を5、6人で持ち、人々に公開していたことが記録として残されているからです。 その結果、彼らの手の油や、手の汚れがそのまま聖骸布に付いていたとしても不思議ではありません。 それで端の部分は新たな布が張り替えられていたこともあるのです。 炭素測定法は1988年に実行され、500年前という結果となりましたが、測定された部分は公開したときに多くの人々が手に持って掲げたその場所そのものであったのです。 それにしても聖骸布は不思議です。たった一枚の布が2000年という歳月をまるで生き続けてきたかのようです。 それが今に至る聖骸布の歴史・・・。 ・・・その中でサンヘドリンの計画も着々と進められているようです。 その最大ともいうべき事象が来年1月に登場するEU統合ではないでしょうか? 一国の憲法が消えて、それよりもより大きな力を持った憲法が制定される。 それはそれぞれの国の政治の意志が否定されてしまうことになるのです。 ・・・いい方を換えれば世界支配。 国家の主権を示す最後の砦は通貨だといわれます。 EUは1999年1月からその主権を放棄しました。 EU共通通貨ユーロ、それは来年に実現される第一歩であったのです。 日本においては「円」であります。 しかしこの国はすでにその力を無くしているのかもしれません。 続く
2008.01.30

・・・世界の謎、 ・・・その中のひとつに「聖骸布」というものがあります。 イタリアのトリノで保管されていることから「トリノの聖骸布」と一般的には言われるそうですが、これが十字架から降ろされたイエスの遺体を包んだ亜麻布であると多くの人々は思い続けているのです。 しかしそれを思いたくない人々もいます。 そのような世界の謎と呼ばれる聖骸布、実はこの聖骸布は過去に三度、大火事に遭うというエピソードがありました。 そしてそれらの危機を通り抜けて現存してきた聖骸布が果たしてイエスを包んだ亜麻布であるかどうか、まずはその経緯を下記に引用させていただきます。 「 紀元30年4月7日(金)、その日の午後三時にイエスは息を引き取った。その後イエスの遺体が十字架から引き降ろされることになったが、イエスの遺体の引き降ろしの許可を、誰がエルサレムにあるローマ総督ピラトから受けてくるかということが問題であった。 イエスの弟子たちは身分の低い人々であった。多くはユダヤ国家の北方ガリラヤ地方の人々であり、ガリラヤ湖で漁師をしていた人々であった。 しかしこの時、ひとりの人物が現れた。 アリマタヤ地方のヨセフである。 彼はイエスを旧約聖書の預言どおり、ユダヤの救世主であると心から受け入れていた。 しかし、サンヘドリンがイエスを十字架につけようという決定を下し、多くのユダヤ民衆を扇動していく中、彼は自らの心情を披露することができなかったのである。 ヨセフは怖じ恐れ、自らの臆病に滅入っていたのであった。 彼は一般のユダヤ人とは異なり、ユダヤ最高議会・サンヘドリンのメンバーだった。 今日でいう国会議員、あるいはアリマタヤ地方の名士だったのである。しかし、イエスが息を引き取ったと聞いた時、それまでの迷いの心をふり切って、彼はイエスの遺体の引き取りをローマ総督ピラトに申し出たのであった。 ピラトは驚いた。 なぜならばイエスがあまりにも短い時間で息を引き取ったと聞いたからである。 彼はローマの下役にすべてを調べさせた。そして、百人隊長を呼びつけて、イエスは本当に息を引き取ったのかと確かめた。 その確認の後、ピラトはアリマタヤのヨセフにイエスの遺体を引き降ろすこと、そして埋葬することを許したのであった。 ユダヤ国家では毎週金曜日の日没からを安息日としている。仕事とされるすべてのことをやめて、神を崇めなさいという旧約聖書の律法の掟があったのである。 そのためヨセフ及びイエスの弟子たちにとって、イエスの遺体を引き降ろし、かつ葬るためにはあまりにも時間が足りなかったのである。 ヨセフはこの時新しい亜麻布を買ってきた。そして、イエスの遺体をその亜麻布の上に置いたのである。 この想像図でわかるように、イエスの遺体を包むようにして墓に納めることにしたのである。 アリマタヤのヨセフはやがての自分のために用意しておいた墓を、イエスの葬りのために提供した。 こうして安息日が始まる前にすべてが完了した。イエスの遺体は十字架から取り降ろされ、亜麻布で包まれ、そして、ヨセフが提供した墓に葬られたのである。 土曜日が過ぎ、日曜日となった。 当時のサンヘドリンの議員たちはローマ総督ピラトのところに行った。 イエスが生前「自分は三日目に必ず復活する」と述べていたことを思い出し、墓を厳重に監視するようにと申し入れたのであった。 彼らは、もしイエスの遺体を弟子たちが盗んで、イエスが復活したなどと嘘を民衆に言えば、もっと騒ぎが大きくなると恐れていたのである。 ピラトはそのことを認めた。 イエスの墓には大きな石が戸のようにもたせかけられ、その周りをローマの兵卒数人が囲むようにして監視したのである。 しかし、大きな変動が起きた。 それは地震のような大きな揺れであった。 兵卒たちは恐れてその職務を放棄して、エルサレムへ走り帰ってしまったのである。 新約聖書によれば、この時青年の姿をした天使が、墓を訪れてイエスの遺体に香料などを塗ろうとしていた女性たちに向かって「イエスはここにいない。彼は約束どおり、よみがえったのである。あなた方はガリラヤ地方で会うことになるであろう」と伝えたというのである。 確かにイエスの復活を聞き、あるいはイエスの復活を見た弟子たちの心に大きな変化があった。 それまで述べたように、身分も何もない人々である。ただ恐れることばかりであった。しかし、この事件の後、彼らはエルサレムのユダヤ人たちの真ん中で「イエスは復活した。私たちはそのことの証人である」と大胆にメッセージをするようになっていったのである。 サンヘドリンはこの弟子たちの行動を憎み、多くの役人を遣わしてそれを阻止せしめようとした。 しかし、弟子たちはどれほど脅されようと、どれほど苦しめられようと、イエスは復活したというメッセージを止めることはなかったのである。 果たして何が起きたのであろうか。 一枚の布、これが今に至るまでサンヘドリンを恐れさせている。 しかも2000年にわたって彼らは「聖骸布」と言われる一枚の布を意識しつづけてきた。 」 続く
2008.01.28
サンヘドリンというグループが存在します。 そのメンバーは71人、そしてそのグループは今もなお世界のどこかに本拠地を持ち、決して表には登場せず、裏で世界を動かしていると、密かにいわれているのです。 彼らは新約聖書の中では祭司、律法学者、またはパリサイ人と呼ばれた人たちで当時から指導的な立場にある人たちでした。 彼らはユダヤ人は神の選民であると自負し、またその指導的立場にありながら旧約聖書を母体にしてはいませんでした。 彼らはバビロン捕囚の後、旧約聖書による神への信仰を止めてしまい、バビロンの宗教を受け入れ、そして神の選民を傲慢に捉えて、ユダヤ民族のみが人間で他は家畜と決め付けました。 そしてタルムードという経典を生み出して旧約の教えを悪魔的な宗教に変貌させてしまったのです。 ・・・イエスはこれを痛烈に批判していたのです。 その史実がマタイの福音書に記されています。 イエスは旧約聖書は絶対的真理である、サンヘドリンは旧約聖書の言葉をバビロン宗教の思想で解釈しているために間違いであると指摘しました。 しかし、彼らは指摘されたことに耳を傾けることはなく、逆に憎悪の念を高まらせていくのです。 それでイエスは「自分は天地の創造主から遣わされた者であり、旧約聖書の預言どおり自分は神の子である」と宣言します。 これがサンヘドリンを怒り狂わせ、イエスを十字架に追いやる決め手となってしまうのです。 紀元30年4月7日(金)、イエスは十字架上でその生涯を終えました。 イエスを葬り去ることで彼らは目的を果たしたかのようにみえました。 しかしサンヘドリンの恨みはそれで果たされることはなかったのです。 それは「イエスの復活」でした。 それが2000年を経た今日においても、彼らの子孫の脳裏から消し去ることができないのです。 もしあれほど憎しみをつのらせ、十字架に追いやり、そして死刑に処されたイエスが創造主なる神の力によって復活していたとすれば・・・・・。 彼らは神の選民でありながらとてつもない大罪を犯してしまったことになってしまうからです。 事実、イエスが十字架で処刑されて40年後の紀元70年、ローマ軍がエルサレムを包囲し、多くのユダヤ人は殺され、そして戦いの果てにユダヤ人たちは世界に散らされてしまうのです。 これが世にいうディアスポラと呼ばれものです。 そしてこのイエスの呪いとでもいえるユダヤの離散はイエスの十字架刑が起きるなお1500年も前に旧約聖書の申命記28章63~66節にモーセが記していたのでした。 しかし、彼らは世界に散らされて様々な苦難の中におかれても、そして今日においてもその事実をかたくなに認めようとはしないのです。 その憎悪の念はやがて世界は我らの手に、そしてやがて現れる救世主も我らの手で登場させる。 これが歴史の見えざる部分で今も続けられているのです。 続く
2008.01.26
・・・1489年、ユダヤ地下政府の一部の出張所がトルコのコンスタンチノーブルにありました。 そのコンスタンチノーブルに、フランスのマルセイユにあるユダヤコミュニティから一通の手紙が届いたのです。 コンスタンチノーブルのユダヤ総主教はウススという人物でした。 届けられた手紙によるとフランス国王がカトリックを国教にするためユダヤ人にも改宗を迫り、これを拒めばフランスから追放されるという内容でありました。 それでウススは彼らに次のような返事を送ったのです。 「 モーセに従う親しい同胞達。 汝等の報告によるとフランス国王が汝等にキリスト教に改宗せよと強制しているそうだが、やむを得ぬ、改宗せよ。 但しモーセの律法は決して忘れては成らぬ。 彼等は汝等の財産を奪うとの事だが、されば汝らの子を商人に育て、将来はきっとキリスト教徒達の財産を身ぐるみ巻上げるがよい。 また、生命も危険にさらされているというが、それなら子どもらを医者や薬剤師に育て、そのうち彼等の生命を奪うがよい。 神殿の破壊に対しては子どもらをキリスト教の神父にし、やがてキリスト教会を破滅に導く事だ。 その他、様々な圧迫が知らされているが、子ども達を弁護士や公証人にして、あらゆる問題に介入させねばならぬ。 こうして遂にキリスト教徒達は汝等にひざまづき、汝等の世界支配の日は来たり、彼等への復讐も達せられよう。 ここに記した指図をよく守れ。そうすればあなた達の一時的な降伏も、やがて未来への栄光の道となるだろう。事実がきっと証明するに違いない。・・・ 」 この手紙が書かれてから500年以上の年月が流れました。 この手紙には復讐を誓って、四つのことが書かれていたのです。 第一はユダヤ人の子孫を商人に育て世界中の財産を巻き上げること。 第二に子孫を医者や薬剤師にして異邦人の命を奪うこと。 第三はキリスト教の神父にしてキリスト教会を内部から破壊させてしまうこと。 そして最後は弁護士や公証人にしてあらゆる問題に介入させることでした。 ・・・それから500年。 ・・・実はもうそうなってしまったのです。 その中で特に恐ろしいことは第二の問題です。 今、病院は山のように増えました。 そして医学は科学の発達と共に飛躍的に進歩したかのようです。 ところが、それ以上に病人も増えているのです。 はたして病院というところは本当に患者のための病院といえるものなのだろうか? 病院経営のためには莫大な投資が行なわれています。 最新式の医療機器やコンピューター技術が導入されなければ名のある病院は評価が低くなってしまいます。 それで優秀な医師なども投入して経営にあたると多くの病院はそのために多額の投資を強いられてしまうのです。 それで病院経営を維持するには患者が減っては困るわけです。 ですから病院は患者を治すよりも、儲けることが主体に経営されてしまうのでしょう。 しかし、このウススの手紙からするならば、現在日本で行なわれる西洋医学はユダヤ医学でその始まりは異邦人の命を奪うためにあったということになるのです。 これは極論かも知れませんが、この点についても岡田茂吉氏は述べていました。 それを以下に紹介します。 「 ユダヤ医学 フリーメーソンが医学を造り、病気を治るように見せかけて、人間の生命をとるんであります。 この医学に全世界の人間が生命を任せているんで、全世界の人間の生命はユダヤ人に任せてあるのであります。 医者に生命を任してるんですが、その医者のやってることはユダヤ人が造ったもので、深く考えるとユダヤ人に全世界の人間は、生殺与奪の権を握られてるのであります。 ユダヤ人はその他の世界の金権とか、各新聞雑誌とか、言論機関一切を掌握しているのであります。 そうしてあくまでも世界を蹂躙しようとしているんであります。 で、観音様は日本の神様で、伊都能売之大御神とも、国常立大神とも、天照皇大御神にもなるんであります。で、観音様は、それをそうさせまいとして蹂躙されない為に、大変な仕事を始められるのであります。」 「 共産主義の元は、やはりフリーメーソンですね。 マッソン秘密結社と言って、二千年前に出来た。 世界を掌握するというんですね。それが中途で派に分かれた。 フリーメーソンの方は、その中でごく良い方ですね。 これは資本主義を作ったものです。アメリカはフリーメーソンですね。アメリカの偉い人はほとんどフリーメーソンの会員です。 いっぽうマルクスですね。あの方は共産主義を作った。学理と労働ですね。 これによって世界を得ようというんです。ですから、ぜんぜん反対同士が、今闘っているんですね。 その他に・・・この根本はユダヤですがね。生粋のユダヤ人もあるが、これは宗教否定どころか、固いユダヤ教信者ですね。 そこで、マッソンですね。根本というのは素盞鳴尊じゃないんですが、素盞鳴尊が非常に働かれたんです。 その奥の奥というのはサタンです。 最初マッソンが出来た時には、事務所を当時の石屋組合ですね。 そこを事務所にした。ですから、フリーメーソンの儀式の時は前掛けをしてますね。 非常に厚ぼったいのをね。あれは石屋の前掛けです。 それで、「石屋」と言う言霊は「医者」になる。だから、医者は石屋なんです。 そこで石屋組合は、どこまでも神はないと否定した。そして、すべて物質で治すという事を見せようという事が、唯物科学の医学になったわけです。 それは、神はない。人間の病気も物質で治すという事を信じさせようという一つの深い謀略ですね。それにみんな引っ掛かったところがなかなかうまく行かない。 うまく行かないが諦めては、彼らの目的は達しられないから、どこまでも、治るように見せかけてやっている。その根本は人間の体を弱らせなければならない。つまり、謀略で弱らせて自分の目的を達しようというんです。」 続く
2008.01.25
「 よく、なになには身体に薬だから食べたくないものを我慢して食べるってことがありますが、あんなのはまったく嘘ですよ。 食べたいって欲が起こるのは身体に必要だから食べたくなるんです。 食べたくないってのは身体に必要ではないか、あるいは食べてはいけないんです。 人間の身体ってのは実にうまく作られているんですよ。それなのに人間のほうで間違ったことをやってるんですよ。 」 御光話「御光話16号」昭和25年1月20日 テレビを見ているとよく「身体にいい食べ物」と称してそれを食べれば、栄養が豊富で、まるで薬のように病気に効くという食べ物が紹介されています。 岡田茂吉氏は「あんなのはまったく嘘ですよ」と喝破しています。 その中で納豆を食べると血液がサラサラになるというのがありますが、これには多くの国民が騙されてしまったようです。 納豆を食べても血液はサラサラにはなりません。 納豆にはナットウキナーゼという日本人が発見したといわれる血栓溶解酵素があります。 テレビでは血栓の入った試験管に納豆を入れて血栓が溶ける映像を見せたりしてその凄さを伝えたりもしています。 しかし、ナットウキナーゼは分子量が大きすぎて腸から血液には吸収されることがないのです。 ナットウキナーゼの分子量は二万、腸からは分子量が約一万以下の物質しか物理的に血液中には吸収されません。この時点で血液サラサラ効果の最大の根拠が崩れてしまうのです。 現に、納豆を食べて血液中のナットウキナーゼが増えたなどというデータはないそうですし、もし血液中にナットウキナーゼが吸収されてしまったとなると血栓を溶かすことは可能ですが、血栓は血小板や赤血球や繊維物質などで出来ているので、正常な人にナットウキナーゼを点滴したら血小板や赤血球は破壊されてしまい、出血しやすくなったり、貧血になったり、黄疸になったりする危険が増すのです。 上記については下記サイトを参照下さい。 (でも納豆は決して悪者ではありません。) http://www.mynewsjapan.com/kobetsu.jsp?sn=563 それでは栄養とは一体どのように捉えるものなのか? 岡田茂吉氏はそれを簡単に述べています。 「 次に、食物について説いてみよう。 食物とは何ぞや、いうまでもなく人間を初めあらゆる生物を造られた造物主が、その生命を保たしむる目的を以って、それぞれの生物に適合する食物を与えられているのは自明の理である。 故に人間には「人間が食すべきもの」として、大体定められているのである。 そうしていかなる食物が人間に与えられたるものでありやを知るべきであるが、これはまことに容易な事である。 何となれば、その条件として「味わい」なる要素があるから、それによってよく分かるのである。即ち、造物主は人間に対しては、味覚なる本能を与え、食物には「味わい」なるものを含ましてある。 この理によって、すべての食物にはそれぞれの味わいがあり、それを楽しみつつ食することによって栄養となり、生が営まれるのである。 故にビタミンがどうの蛋白質がどうのなどという事は、何らの意義をなさないのである。 前述のごとく、ビタミンのごとき栄養素が仮に人体で必要であるとすれば、いかなる食物からでも体内の機能が製産し、変化させるのであるから、食物に関する限り自然でよいので、特に栄養学などと、学問的に研究する必要がないのみか、却って有害でさえあるのである。 この理によって、各人それぞれの環境、職業、体質等によって、嗜好物にも自然差異が生ずるのであるが、その時欲する物は、その人に必要であるから摂ればよいのである。 喉が渇いた時、水がほしいのと同様である。」 栄養学 「明日の医術第一編」 昭和18年10月5日
2008.01.18
「 以前アメリカで流行されたフレッチャーリズム喫食法という食事法があった、これは出来るだけよく噛み、食物のネットリする程よいとされている、これを私は一ヶ月間厳重に実行したのである、ところが漸次体力が弱り、力が思うように出なくなったので驚いてやめ、平常通りにしたところ、体力も恢復(かいふく)したのであった、そこでよく噛むという事が、いかに間違っているかを知ったのである、それはいかなる訳かというと、歯の方でよく咀嚼するから、胃の活動の余地がない、という訳であるからすべて食物は半噛みくらいがよいのである、ゆえに昔から早飯早糞の人は健康だといわれるが、この点現代文化人よりも昔人の方が進化していた訳である。 」 栄養の喜劇「光13号」昭和24年6月18日 昔からなんでもよく噛んで食べることが身体には良いことだと思われていました。 それで消化のためには一口30回は噛んだほうが望ましいともいわれています。 しかし岡田茂吉氏は自らの体験で上記のように語られました。 例えばこれは極端かも知れませんが、豆腐を一口食べるごとに30回も噛んでいれば、ドロドロになってしまいそうで美味しく食べることは出来ないでしょう。 また食べ物を食べるごとにいちいち回数を数えていてはそれがストレスになってしまうかも知れません。 ですから噛む回数などは一切考えないほうがよいのではないでしょうか。 昔ならイザ知らず、最近は柔らかい食べ物が多く全体的に噛む回数が少なくなっているために、よく噛んだ方がよいといわれるのでしょうが、固いものを食べれば、誰だって自然に何十回も噛まなければ飲み込むことが出来ません。結果的にある程度の噛む回数は必要ですから、柔らかいものばかり食べないで、硬いものも織り交ぜて食べるようにすればいいのです。 また、柔らかいものが消化がよいかのように言われていますが、そうとも限りません。 運動する事で筋肉が鍛えられ身体が丈夫になるように、胃腸も筋肉でできていますから消化の悪いものでもお茶漬けでも、適度に食べて胃腸を活発に働かせて鍛えたほうがよいのです。 戦前、軍医は胃を悪くした兵隊にどのような治療をしたかというと、お茶漬けにタクアンを丸ごと飲めと言ったそうです。 実はそれがいちばんの特効薬であったからです。 消化の悪いものが胃の中に突然入ってきたら胃はそれを消化させるために何としても働かなければなりません。それで胃が正常になっていくのです。 よくTVなどの胃腸薬のCMで「食べる前に飲む」とやっていますが、これは大きな誤りで、そんなことを続けていれば、胃は自らの働きを停止させ、最後には胃腸薬を飲まなければ食べれなくなってしまう身体になり、病気になってしまうのです。 岡田茂吉氏は「胃の活動の余地がない」と言いましたが、胃の消化機能を考えた食べ方、ですから柔らかいものばかりではなく、消化が悪いといわれる硬いものも噛む回数を考えずに美味しく楽しく自然に食べたほうが身体にはよいと示されたのではないでしょうか。 自然食を食べるといっても食べる人の心が自然でなければ、本当の自然食とはいえません。 だからあくまでも基本は安全なものを美味しく楽しく食べること。 それで感謝の念が湧いてきて心と身体の健康が築かれていくのでしょう。 続く
2008.01.15
浜松から伊那谷に向けて、一直線に伸びる国道があります。 国道152号線、別名秋葉街道とも呼ばれ、秋葉神社(火除け)への信仰の道として栄え、静岡県相良の「塩」を信州へ運ぶための「塩の道」として使われ、また、武田信玄が信州攻めの際に通った軍用道路(信玄の棒道)とも重なっていたといわれています。 武田信玄といえば上杉謙信との川中島の戦いが思い出されます。 あの戦さにまつわる故事として「敵に塩を贈る」というのがあります。 甲斐の武田は塩が絶たれ上杉は同じ土俵で戦うことを決心し、武田信玄に塩を与えます。 そして川中島の合戦へと向かって行ったのです。 その歴史から「塩」はとても貴重なものであったということが分かります。 ですから町の名に「塩」の字が残されたところは当時の塩の経由地であったのでしょう。 ところが現代では減塩という言葉があることから、摂りすぎると身体に良くないというイメージが強調され、塩の重要性というものが忘れ去られてしまったかのようです。 持続的に嘔吐や下痢などで塩分が多く排泄されると、低ナトリウム血症となり衰弱し、ふらつき、全身倦怠感、食欲不振などの症状が現れ、重症になると脳障害を起こし昏睡に陥ることもあるそうです。 ですから塩分を制限すれば少なからず身体が衰弱するのです。 また塩分制限の味気ない食事は、まずくて食べたくもないものを無理をして食べるということにもなりかねず、大きな精神的ストレスにも繋がってしまいます。 実は塩分制限も糖尿病の食事療法における糖分制限も衰弱療法で、一時的には症状が改善したようになりますが、病気が治ることはなかったのです。 塩分の摂取は血圧に大きな影響を与えていると思われていますが、本当はそのような人は少ないのです。 かと言って塩分を多く摂ったほうがよいのではなく、また少なすぎてもよくはありません。 適量を摂ることが望ましいのです。 適量とは食べて美味しく感じる量です。 これは運動量やその日の状態で変化しますが、そのために味覚というものが身体に備わっていて、それが必要量を教えるセンサー的な働きをしてくれているのです。 それでも塩であれば何でもいいというものではありません。 一般の塩は塩化ナトリウムの純度が高すぎ不自然な塩といえます。 かと言って、ミネラル成分が多ければよいというものでもありません。 塩は海水や岩塩などを人工的に精製した精製塩と粗製塩とがあります。 精製塩は塩化ナトリウムの純度が高すぎ美味しくなく、塩というよりも塩化ナトリウムという薬剤のようなものです。 粗製塩には自然海塩、自然湖塩、再結晶塩、岩塩があります。 自然海塩は海水を粗製した塩でミネラル成分は多く残っています。 しかし、世界中の海、特に日本の海は川から流れる工業排水や生活排水などの化学物質に汚染されています。その汚染された海水から作るのですから何らかの悪影響は残されているかも知れません。 自然湖塩は外国の大陸内地の塩の湖水を粗製した塩です。 湖の塩水は岩塩が溶けたものです。この湖水を天日干しにした天日塩や天日塩を水に溶かして再結晶させた再結晶湖塩などがありますが、この場合は使用した水の安全性が問題となり、天日塩のほうがより自然に近いといえるでしょう。 再結晶塩は外国の岩塩などを日本で水や海水に溶かして、再結晶させた塩です。この場合も水や海水の安全性が問題となります。 それで岩塩は外国の大陸内部から掘り出された塩の結晶で砕いて使います。これが塩の中では一番自然に近い塩といえるものです。 「 岩塩の霊気 岩塩は非常に美味である。 長く地の霊氣を受けているのだからである。 地霊は非常に味を付けるもので、無肥料栽培は地霊を充分受けるから味が良いのである。」 神智之光 神解明編 昭和24年1月6日 岡田茂吉氏は岩塩について以上のように述べています。 岩塩は自然海塩に比べてミネラル分は少ないのですが、体的な成分栄養学からだけみればミネラル成分が多い自然海塩がよいといえます。 しかし、霊的な霊気栄養学からみれば地の霊気を長く受けている岩塩のほうがよいといえるのではないでしょうか。 場所にもよりますが、外国の大陸内地は化学物質汚染が少ないでしょう。 続く
2008.01.12
「 高血圧と首のこり 動脈硬化と高血圧の原因は、二者似て非なるものものであるから、別々に説明してみるが、動脈硬化は薬毒が体内の動脈付近に固結し動脈を圧迫する場合と、毒血が動脈のある部分に滞溜固結する場合とであり、後者の方は段々毒結が集溜しつつ膨張する。 これが動脈瘤である。 この毒血は薬毒と今一つは肉食による血の濁りが原因であるから、こういう患者は薬をやめ、菜食にすれば案外早く治るものである。 次の高血圧の原因は、左右顎下の凝りのためであって、こういう人は平常文字をかくとか緻密な手の業をする等の原因が多く、査べてみればよく分る。 しかし医学では高血圧は脳溢血の先駆としているが、これは誤で、間接的には幾分の影響はあるが、直接的にはないから安心して可なりである。 」 動脈硬化及び高血圧症「アメリカを救う」昭和28年1月1日 上記は岡田茂吉氏の論説ですが、この説を元にある医師は以下に解説されています。 「高血圧の原因は、左右顎下の凝りのためであって」と示されてことは、解剖学上、顎の下の首のところには総頚動脈の分岐部に位置する頚動脈小体があります。 頚動脈小体は、血液中の炭素が減少したり、二酸化炭素が増加するとその刺激で全身の血管を収縮させ、血圧を高くします。 顎の下の首のこりは物理的刺激であり、酸素の減少や二酸化炭素の上昇は化学的刺激であって、刺激の種類に違いはありますが何らかの関連性が生じてる可能性があります。 高血圧と脳卒中 病院に行って血圧が高いと、ほとんどの血圧を下げる薬を出され、「血圧の薬を飲まないと脳卒中になる」と脅しのようなことをいわれることがあります。 果たして高血圧の人が薬を飲まないとほとんど脳卒中になり、薬を飲んでいればほとんど脳卒中にならないのでしょうか? 「医学では高血圧は脳卒中の先駆としてあるが、これは誤で間接的には幾分の影響はあるが、直接的にはないから安心して可なりである」と示されています。 脳溢血とは現在では脳卒中といわれている病気です。 薬を飲まないで血圧が高いより、薬を飲んで血圧を下げた方が脳卒中などの病気になりにくいと思っている人が多いと思います。 高血圧の薬と脳卒中の関連を調べた医師の研究によれば「百人の高血圧の人が薬を飲まないと五年間に3.5人が脳卒中になり、薬を飲んでいても2.2人は脳卒中になった。よって治療をしようとしまいとほとんど脳卒中にはならない」「脳卒中になった人の実数は高血圧の人よりも正常血圧から発症する人の方が多い」となっています。 また、ある調査によれば、薬を飲んでいない血圧が高い人たちのÅグループと薬を飲んで血圧を正常にしている人たちのBグループを比べると、心筋梗塞になった割合は薬を飲んでいるBグループの方が少し低かったのですが、心筋梗塞で死亡する差がありませんでした。 そして心筋梗塞を含めた重い心臓病や脳卒中になった割合は差がありませんでした。 さらに薬を飲んでいないAグループより薬を飲んでいるBグループの方が、がんで死亡する割合や総死亡率は高く、自立生活者の割合は低かった、とのことです。 これでは飲まなくてもよい薬を飲まされている人たちが病気になったり死亡したりする確率を高めていることになるのです。 高血圧といっても、その診断基準には疑問があります。 最高血圧が160、最低血圧が95(mm/Hg 以下単位略)であった基準値を日本高血圧学会が2000年に最高血圧140、最低血圧90に引き下げてしまったのです。 「昨日まで血圧が150~92の健康な人が、今日からは高血圧の患者にされ薬を出された」となり、健康人が病人にされているのです。 診断基準を下げて新たに2100万人の高血圧の患者さんが増え、これまでと合わせて3700万人が高血圧となり、血圧を下げる薬が膨大に出され、製薬メーカーの利益になったのです。 また、血圧は自宅よりも病院で計った時の方が高くなることがよくあります。このように場所によって血圧が変わることは移動性高血圧と言えるでしょう。 自宅で計った血圧がいつも正常であれば、病院で計ってもらった血圧が高くても高血圧と思いこまなくてよいことがあります。 血圧は高いより低いほうが長生きできると思われていますが、80歳の人の5年生存率を最高血圧から調査した研究によれば、180以上の人たちの生存率が最も高くなりました。 最高血圧が121~140のグループが一番生存率が低くなりました。 そもそも高齢になると、血圧が高くなるのは正常な生理作用です。 年を取るとだんだん身体が固くなるように、血管も老化現象で少しずつ固くなっていきます。血液の栄養成分を身体の細胞に送り込むには、血液の圧力、すなわち血圧が必要です。 血管が固くなればより強い圧力を必要とします。いわば必然的に血圧を上げているのです。 減塩や薬で血圧を下げると、細胞に必要な栄養素を十分に送ることが出来なくなります。 脳では脳細胞に必要な栄養素が減って痴呆性老人が増えた可能性があります。 減塩や血圧を下げる薬が病気を作っているのです。 「 今日の医学はある病気に対しては塩を制限し、ある病気に対しては糖分を禁止するが、これらも誤っている。なる程、それによって一時は軽快に赴くが、持続するにおいて逆作用を起こし反って身体は衰弱し、病気は悪化するものである。 」 食餌の方法と原理「新日本医術書」昭和11年 続く
2008.01.10
新年おめでとうございます。 2006年12月から無肥料栽培を始めて一年が過ぎました。 授けていただいた畑は一般的にいえば粘土が多く水はけも悪く、客土をするか堆肥などを大量に投入して土壌改良をしなければ良くならないような土壌です。 そこで最初タマネギを作付けし、そのほとんどは小さく、春先にジャガイモを定植し、これも成育は貧弱、夏野菜も思うような成育をしてくれずと、なかなか収穫の喜びを味わわせてもらえることはありませんでした。 そんな中ではありますが、性懲りも無く今回またタマネギをしかも今度は5000本ほど植えましたし、それと夏場と冬場にはキャベツ、ブロッコリー、レタスもほとんど同じところで欠かさず栽培しています。 無肥料栽培と言っても、米ぬか、EMボカシ及び堆肥は少し使用していますが、それらの有機物は極力控えた使用となっております。 無肥料栽培にこだわろうと自分で決めたことなので、仕方がないといえばそれまでですが、やはり成育状態が貧弱だと畑に行く楽しみが半減してしまうのは事実です。 そして栽培中の白菜もその色からして窒素分が少ないのがよく判り、葉も黄色くこれもまた成育は貧弱な状態であるのです。 ところが窒素分がないにもかかわらず、虫食いがひどく、実はこれを見てはいつもがっかりし、信念が揺らいでしまっていたのです。 そんな中、私が指針としている炭素循環農法のHPに「一度は通らなければならない浄化現象(虫食い)」と題したコメントが追加更新されていたのです。 その内容を以下に紹介します。 『 転換初期に必ずといって良いほど起きる現象に、極端な「虫食い」があります。第一関門です。 慣行栽培の時より、遙かに酷い食害を受けるのが特徴です。 ハクサイなど葉が網目状になり向こうの景色が透けて見えます。 もし、この現象が未だ現れていないのであれば、浄化以前の状態であると考えた方が良いでしょう。 この際、注意深く観察して下さい。 幼虫(青虫やヨトウ虫など)が全く見られず、飛来する成虫(テントウムシダマシなどの甲虫類)だけによるものなら、土の浄化が順調に進んでいる証拠です。 この現象は土がある程度、綺麗になったがまだ不十分。 微生物による養分供給量も少し足りないという時に起きます。 また一旦、土が綺麗になったが養分が足りないからと、肥料(化学肥料、堆肥、畜糞など)を施用した場合にも現れます。 一見、同じように見える虫食いでも、幼虫がいるようなら、典型的な施肥状態で単なる「施肥障害」。 施肥・防除農法(慣行農法、有機堆肥農法)から、いきなり無農薬にした場合などによく見られます。土の浄化が全く行われていません。 土壌中に有り余るほどの無機態窒素があると、肥効成分の吸収抑制作用が見られます。 これは過剰吸収を避ける自己防衛機能。生物の生理から考えて当然の機能です。施肥農法で施肥量を増しても効率が落ち、施肥量増に収量増が比例しないことでも明らかです。 ところが肥効成分が減り、微生物からの養分供給も、まだ不十分。 このような、養分の絶対量不足の状態になると、少しでも多く吸収しようとします。すると、残っている無機態窒素の分に見合う他の成分がないため、相対的な窒素過剰状態に陥ります。つまり肥料汚染に対する防衛機能減退の結果が、異常な虫食い現象なのです。 「硝酸の減少過程=浄化過程」で起きるため、通常は避けることはできません。 一・二作は全滅の覚悟が必要です。 しかし焦らず、直接の被害のない緑肥栽培に置き換えれば最小限の被害ですみます。基本である、高炭素資材による「無機態窒素の生物化」を継続することが唯一の対処法です。 』 ・・・と書かれていました。 白菜の状態はここに書かれている状態とほぼ同じ状態であるのです。 この方は石の上にも三年、そして畑は五年といわれます。 ・・・それで、 それを信じて、無肥料栽培を続ける気持ちが強く持てるようになりました。 実はこの方はブラジル在住の方ですが、今日本に来ておられます。 長野県で1月20日頃まで、滞在されるとのことですが、お名前もたしか林さんだと思いますが、私はお顔も知りませんし、当然お会いしたことも一度もない方なのです。 その方が昨年11月に宮崎県綾町で講演されたそうです。 http://page.freett.com/tenuki/sanko/shiryo5.html それが上記で紹介してあり、ダウンロードすればその内容が聴けるそうなのですが、いかんせんパソコンに疎い私はこの圧縮ファイルがうまくダウンロードできないのです。 全く困った輩です。 ・・・というような近況では御座いますが、畑につきましては焦らずに、いつものようにぐうたら農法で行こうと思っています。 また新たな発見がありましたら、お伝えさせていただきます。
2008.01.03
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