比べる


なんだか、違和感があったので、
『比べる』について勝手気ままに考察。

■そもそも、なぜ比べるのか?
ある状態と、ある状態を比べてどういった状態にあるのかを認識するため。

朝か昼か、歩道か車道か、男か女か、大人か子供か、
比べないと状況を認識できない。

人は比べないと生きていけないじゃないのかな?
現在の状況がどんなものなのか、無意識にいろんなものを比べてる。
比べないと上も下も、前も後ろもわからなくなる。

比べなくなったら自分というものがなくなってしまうんだ。
自分というものと、外界との違いを実感するからこそ、
自分というものを、はっきり認識することができる。

比べるって大切。

■人は比べるから生きていける。
比べすぎるのがまちがってるんであって、比べてないわけないんだよな。
そもそも、人と自分をまったく比べないで生きている人間は
誰かの庇護なしにいきることは不可能だろう。

となると、比べやすいものと比べたくなるのが人情。

自分より何かをうまくいっていない、不幸そうな人を捜そうとすれば
まず、みつけることはできる。

でも、あの人より私は幸福って考えはあっても
あのイヌより幸福、あの虫より幸福って
本気で思っている人はいないだろう。

自分の方があのイヌより貧乏くさいとかはあるけど・・。

他の生き物やものと比べると、実際よくわからないことになる。
そうなると、沢山いるし、わかりやすい『人』とくらべることになる。

今、どういった状態かを知るためになにかと、なにかを比べるんだ。

状況がわからなければ、なにもしようがない。

現在の世の中で人と比べずに生きていけることなんてありえない。

■今、比べて無い人間も、過去に比べて比べて比べぬいたからこそ
比べる必要がなくなったんじゃないだろうか?
いきなり、比べないところから始まったら本当になんにもなくなる。
自分という人間そのものが無いに等しいことになる。
まずは、比べることが大切、そして、比べ抜いたら手放す必要もあるかも。

■比べる?
比べるときに順位をつけることができます。
順位をつけることで何かを分析するときや、
競技のようにそれ自体に価値があるときは
非常に役にたつ。

でも、順位をつけるってかなりあいまい。
順位をつけるときに公平かつ厳密に判断するのって
実際、むちゃくちゃむずかしい。

■国語のテストが80点だとしても、その内訳はひとさまざま。
漢字の読みとりが得意な人もいれば、読解がうまい人もいる。
得点をつけるっていっても、一概に国語力が高いと判断するのはむずかしい。

たぶん、名だたる小説家で国語の点数が高かった人はそんなにいない気が・・。

IQさえ高ければ給料がたかくなるわけでもなく、
からなずしも天才がいいというわけでもない。

また、それが点数的に上にいるからといって、いったいなんになるのか?
っていうのも問題になってくる。
これができたら高得点!!
へ~すごいね~、でもそれって実生活でなんの役にたつの・・・。

順位っていがいにバックリこんな感じってことできめてる。

もちろん、スポーツとかは上を目指す前提で作られているので順位を意識しないと話にならないけど。。
とはいえ、すっごい限定された条件のなかでの、順位を付けてるにすぎない。

ようは、一般に上だの下だのっていっても、
ばっくりとあなたは、このへんのことが得意なんですよってことや
これに嫉妬したり、その状態を欲しいとおもってるよってことを教えてる。
ただそれだけのことでもある。

■いろんな人、いろんな価値観にふれていると、
実感できることがあります。

それは、すごい人がいっぱいいるな~という謙虚な気持ちと、
自分というものの存在。

けっこう変わったと思っていても、たいして変わってないなーと。

なんだかんだいっても、変わらない部分ってのはあるんだなと思います。
自分の本質ともいえる部分はそれが欠点だとしても変えようがない。
ただ、それがもとで悪い結果がでてくるってのを防ぐことはできます。

自分というものがわかっていれば、欠点をおぎなうことができるようになる。
それをなくそうと努力するより、おぎなうほうが遙かに楽です。
だって、もともと持ってるもんはしかたないじゃないですか。。

■時間にルーズなことを本質的に直すことはむずかしい。
けど、時間に遅れないように防御手段をとることはいくらでもできる。
待つのがいやなら、時間ぴったりに行くように工夫すればいいし、
待ち時間を有効につかう方法はいろいろある。

太りやすい体質だってわかっていて、
自分がどうやったら太るのか分析できていれば
太らないようにコントロールすることはいくらでもできる。
たとえ太ったとしても、自分の望む状態を手にいれる方法も
いくらでもある。(もちろん限度はありますよ)

そのかわり、自分自身のみたくない、認めたくない部分
をしっかり認識することになるので、
それはそれで、けっこうショックではありますが・・。

ようは、いかに自分という人間の特質を知るか?・・だと思います。
これは、もう比べる以外に方法がない。

■飯会は自分の位置をわからせてくれる。
ここ1ヶ月ほどで18人くらいと飯会をさせていただきました。
いろんな話や情報をいただけて感謝です。

飯会をすればするほど、自分というものがわかってきている気がします。
カーナビとかの原理ってしってます?
軌道衛星3つから、車の位置を把握して地図におとしこんでいる。
ようは自分とその他の点との距離がわかれば正確に自分の位置がわかるってことです。

人生という地図に、いろんな点をプロットしていくと自分というものがわかってくる。
プロットはかたよらずに、沢山ある方がより正確に位置がだせる。

いろんな分野、いろんな人と話をするって重要だなと思った今日この頃です。



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