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今朝の朝日新聞記事 「myバンクーバー五輪」

記事を抜粋します。
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「バンクーバーに行きたくない」と言ったことがある。1年前のことだ。
2009年2月にバンク―バ―で開かれた四大陸選手権。五輪本番のリンクを体験できる貴重な機会だった。大会前になって「出たくない」と言い始めた。姉の舞が「あんな真央は初めて」と振り返るほどの「大事件」だった。
2ヶ月ほど前の12月に韓国で行われたグランプリ(GP)ファイナルで、浅田はキムヨナに競り勝って、3季ぶりにタイトルを奪還していた。「あれですべての力を出し尽くしちゃった」。言わば「燃え尽き症候群」のようなものに陥っていたのかもしれない。
「でもなぁ…。みんなは私が出ると思ってるし、期待されてるし、出なかったら申し訳ないよね。」ため息交じりにつぶやいて、結局はバンクーバーへ向かった。中途半端な気持ちで臨んだ四大陸選手権は3位。続く世界選手権(ロサンゼルス)も4位。シニアで表彰台を逃したのは初めてだった。
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「あの時のこと、本当に反省しています。『出たくない』と言った時点で気持ちが逃げていた。出場すると決めたからには、万全の状態で、本気で、練習しないといけない。スケートは私の一番好きなもので、生活の一部。もう二度とあんなことはしません。」
15歳でGPファイナルを制し、世界へ華々しく飛び出した。初出場の07世界選手権は銀メダル、08年には日本で5人目の金メダリストに輝いた。一見、順風満帆。だが実際には、大きな波も小さな波もあった。ただ、それを人に見せなかっただけだ。
初めて人前で「スランプ」をさらしてしまったのが、今季だろう。トリプルアクセルジャンプが決まらず、前半戦のGPシリーズ2戦で思うような結果は残せなかった。常連だったGPファイナルの出場を逃し、五輪の切符は年末の全日本選手権までもつれこんだ。
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4連覇を飾った全日本だったが、開幕の3日前には「間にもジャンプが跳べなくなってしまって、焦りがあった」という。練習で泣いた。転んだ。それでも起き上がって跳び続けた。苦しみ抜いてつかんだ、初めての五輪だ。
「本当に待ち望んでいた。周りの人も待ち遠しかったと思う。金メダルだけがすべてじゃないけれど、小さい頃からこの大きな目標に向かってがんばってきた。支えてくれるたくさんの人に恩返しできる場所が、五輪だと思う」
バンクーバーに乗り込む気持ちは、昨年とは明らかに違う。
「今は早く試合に出たい」
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「浅田真央18才」出昨年の四大陸のことを知りました。元気が無いような気がしたのですが。今年の四大陸は頑張りすぎることなく、気負わずに臨んで欲しいと思います。
つい最近の全日本の前のスランプなど、1つ1つ困難を乗り越えた先には必ず栄光の場所が用意されていると思います。それがバンクーバーなのかは神のみぞ知る(本当に“神のみ”だったらいいですね)
イチロー選手が真央ちゃんを応援したくなるのは、アスリートとして同じにおいを感じ取ったのかもしれません。(昨日の報道ステーションで真央ちゃんと、ロスのピザ屋さんで会った美姫ちゃんと織田君に注目していると行ってましたし、別の記事でも載ってました。)
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