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紅白をみているときにしゅーちーの携帯がなった。いやな予感は的中。病院からだった。「意識が弱まっています。病院にきてください」えーっと何を持っていかなきゃいけないんだろう?赤ちゃんのミルク。おむつ。それから。。頭はパニックでうまくはたらかない。子供二人は寝ていたので、赤ちゃん連れてすぐにしゅーちーと病院にむかった。病室に行くと息苦しそうなおじいちゃん。「おじいちゃん。大丈夫?聞こえてる?来たよ。赤ちゃん連れてきたよ。さっきは連れてこれなかったけど。見えてる??わかる??」と赤ちゃんを見せながら耳元で大きな声で叫びました。 おじいちゃんはハアハアいってわかっているのかわかっていないのか私にはわからない。でも一生懸命呼びかけた。 「おじいちゃんかえってくるんやろ。家に帰ってくるんやろ。ごめんなあ。いつもキツイことばっかりいうて」と泣いてしまった私。 先生は明け方までもつかどうか。。との診断。 私は個室の病室で付き添うことに。しゅーちーも2時までつきあってくれたけど家にいる子供たちも気になるので家にもどってもらった。ソファで私は横になり赤ちゃんはベビーカーで寝かせました。夜中お乳をあげながらの付き添い。看護士さんに「耳は聞こえてるんでしょうか?来てるのわかってるのですか?」と聞くと「わかっていると思いますよ。耳も最後まで聞こえてると思いますから話しかけてあげてくださいね」と言われました。 おじいちゃんに話しかけていましたが、おじいちゃんも無意識に起き上がろうと何度も手足をあげていました。朝5時過ぎ看護士さんに「だんなさん呼ばれたほうがいいと思います」「え。そうなんですか?だめなんですか?」とあわてて電話。私は一生懸命呼びかけました。血圧や心臓の脈をとっている機械。まだ心臓うごいてるよね?「おじいちゃん!!聞こえてる???」と大声で呼ぶとピっと反応して脈をうつ。「おじいちゃん!おじいちゃん!家に帰るよ!赤ちゃんも来てるよ!」と呼びながら機械とおじいちゃんを交互にみていた。何度も呼びかけた。そのうち先生がきました。「1月1日午前5:47分 お亡くなりになられました」まだ反応してるのに。。でももう苦しそうな息遣いはしていない。でもまだ呼んだら反応するんじゃないのかな。しゅーちーが病室にはいってきた。「おじいちゃん死んじゃったよー」と大声で泣いてしまった。しゅーちーは私を抱きしめてくれた。私はさらに泣きじゃくっていた。赤ちゃんはベビーカーで眠ったまま。二人の子供たちをいつも面倒みてくれていたおじいちゃん。もう苦しくないんだね。でもまだまだ生きたかったよね。家に帰りたがっていたもの。。こんな風にしてかえることになるなんて。。
2009.01.23
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29日病院を転院し、危ないといわれたおじいちゃん。30日には翔といっしょに病室へ。もうだめかも。。息苦しそう。。話はしたけど病室をでると悲しくなって翔の前で泣いてしまいました。「おじいちゃんな。お母さんのお父さんやねん。だから悲しいねん。」と言いました。翔はだまってきいていました。31日には私だけ3時ごろおじいちゃんのところへ行きました。息苦しそうだったけどなんとか話しはできました。「あしたお正月だよ」というとうわーほんまかあ。。という顔をしていたおじいちゃん。私はもうだめだと感じてたのでエレベーターのなかで泣きました。でも現実問題として子供たちに着せる黒っぽい服を買いに行かないと。生きているのに用意もしなくちゃいけない、お葬式のこともだいたい考えておかないといけない。私しかする人がいないから。。とってもやるせない気持ちでした。しゅーちーもいっしょになっていろいろ手伝ってくれました。 でも年内って言われたけど、ちょっと息苦しいそうだったけどおじいちゃんは体力あるから大丈夫なんじゃないか?そうだよ。きっと大丈夫だよ。黒っぽい服は春にいとこの結婚式があるからそのときに着ればいいし、と頭のなかがごちゃごちゃになっていました。29日に家族が嘔吐下痢になって31日のおせち作りは参加できませんでした。 そんな気分でもなかったし。。だいたい家の掃除だけすましてたら おせち作ってあげたからとりにおいでと電話。姑さんちから病院が近いので 赤ちゃんだけあずけて19時ごろ二人の子供たちをつれておじいちゃんのところに行きました。おじいちゃんがお年玉用意しておいてといっていたので ポチ袋にお金をいれて持っていきました。そしておじいちゃんから子供たちに手渡ししましたがそのときは話しをしているけど何を言ってるかいまいちわかりません。わかるところもあるんだけど。。 管を抜いてしまうからと腕はしばられていました。看護士さんに言ってすこしはずしてもらい「遼 救急車で運ばれて目の上を切ったよ」というと困ったなあかわいそうにという顔をして傷をなぜようとしていました。遼は痛そうだったけど我慢してたよ。。大丈夫か?ということも言っていたように思います。 「がんばってね。お正月だよ。元気になったら家に帰ろうね」と子供たちともいってバイバイしました。帰り道何を言ってるかわかんないから50音順のボードを用意して指さしてもらおう。忘れないようにもっていかないとと話ながら帰りました。家に帰ってきて紅白をみていた11:45ごろしゅーちーの携帯がなりました。なんだかいやな予感。。。やっぱり病院からでした。
2009.01.09
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おじいちゃんは元旦の朝5:47に天国に旅立ちました。私は最後まで看取ることができました。1,2日は斎場もお休みで3日にひっそりと告別式を行いました。喪主はしゅーちーにお願いしてばたばたしたけど無事終わることができました。また詳しく書きますので報告だけいたします。
2009.01.08
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今病院です。電話があり駆付けました。朝迄付き添いします。
2009.01.01
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