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自分が好きなのは、芸術家ではデュシャン、
小説家はベケット、俳句は井上井月、
数学者はゲーデル、物理学者はアインシュタイン、
演歌歌手は村上幸子だ、笑い。
演歌以外はちょっと、変人ぽい。
今日はベケットなんだよ。
楽しみにして、見た。
これは以前書いた小文です。
小説家ベケットを紹介します。
新緑第17号 福井県失語症友の会会報 1996年
以前、「ゴドーを待ちながら」を東京で見た。
笑いもある、緊張の舞台だった。
目の前で不条理劇が演じられている奇跡に感謝した。
学会の昼に、当日のキャンセル待ちで入れた。
ああ~~、多くのものを自分は感じなから、
考えて生きていたんだ。
(あらすじ) あらすじは変だな、内容紹介です
今日の教育テレビの芸術劇場は、サミュエル・ベケットだ。生誕100年記念だ。
最初に フランスのオデオン座
だ。ベケットの劇場と言われていた。
「パリ・ベケット協会」会長さんが登場だ。
劇団「地点」主宰の三浦さんが、紹介してくれる。
起承転結のない不条理劇だと、説明してくれる。
晩年の「伴侶」を演出している。
そこでは肉体もない、声だけになっている。
究極の「自分とは何か」を問い詰めた。
1953年に「ゴドーを待ちながら」がフランスで
初演された
。それは衝撃だった。
人間存在そのものを描く演劇ができたのだ。
それを見た安堂氏が日本に帰って紹介した。
演出したのだ。 別役実さんが「芝居は自由だ、
解放感を与えた、現代劇を解体した」
と紹介する。
ベケットのフランスのアパートが撮された。
「クラップの最後のテープ」の紹介だ
。
テープレコーダーを使って、自分の回顧録がモチーフだ。
声の問題を手がかりに、自分と他者の関係を追求していく。
1972年「わたしじゃない」は、暗闇に口だけだ
。
喋り続ける。主体なき、無意識の喋りになるのだ。
自分の中に他者がいて、それはコントロール不能だという。
言葉と肉体を切り離した。呟きだけになる。
孤独で不確かだ。1981年「ロックバイ」。
小説と同じく、人間を究極した演劇なのだ。不条理の演劇ではない。能の「離見の見」について、自分が主体だが、客体でもある。
国際ベケット・シンポジウムの紹介だ。
ゴンラスキー教授の話がある。作品を再発見していかなければならない、と強調した。
そして、普通の人だと強調していたそうだ。
べケットの墓だ。三浦さんは結論する。
ベケットが突きつけたのは 、「意味つけることなく人間と向き合え」。
これが命題だとまとめた。
ここから、演劇が始まる。
----------------NHKの公式HPで調べると、
○サミュエル・ベケット生誕100年○世界の劇場「オデオン座~パリ~」
【劇場中継】
●「エンドゲーム」
<作> サミュエル・ベケット
<演出・美術> 佐藤 信
<出 演> 手塚とおる、柄本明、三谷昇、渡辺美佐子
<収 録> 2006年 9月29日 東京・シアタートラム
「エンドゲーム」と柄本明さん、渡辺美佐子さん、三谷昇さん、
なじみの芸達者揃いです。手塚とおるさんは、知りませんでした。
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手塚さんの公式HPで調べると、
■手塚 とおる
生年月日 1962年6月27日
血液型 B型
サイズ 身長175cm 体重58kg
1983年2月「黒いチューリップ」(作:唐 十郎 演出:蜷川 幸雄)で
デビュー。 1986年から劇団健康に参加。1992年の解散まで全作品に出演。
1993年シリ-ウォ-クプロデュ-ス「お茶と同情」で初作、演出をする。
その後、ナイロン100℃、野田地図、大人計画、劇団新感線、劇団燐光群
等の舞台に客演し、現在 舞台、映画、テレビドラマで活躍する。
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灰色の部屋で、イスの上の男だ。
柄本さんが、登場して、ベケット独特の無意味な饒舌だ。
そして、イスの男が長い沈黙の後、空っぽの饒舌だ。
「いない、一人か?」。シェルターの中らしい。
笛で柄本さんがやって来る。介護しているみたいだ。
・・・・・
ついに、 ドラム缶から男と女が登場する
。二人の会話が続く。
三谷さんと、渡辺さんだ。凄いよ~~
上演した写真は見たが、こんな感じだったんだ。
不条理劇だと言われなから、今では普通に楽しめます。
いや、古典のような重厚さを感じます。
時代がベケットに追いついたのだろうか?
いや、良い物は良いのだ。時間が、本質をむき出しにしてくれる。
お~~、神は7日で世界を作ったが、俺のスボンの修理はまだか? のセリフがあったゾ。
意外にも、望遠鏡で客席から笑いが起こる。柄本さんの演技で笑えるのかな~~
・・・・・
まだ続きますが、とりあえず、ベケットを紹介します。