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私の父は土木関係の仕事をしていて、それこそ高知城の基礎改修や東大赤門の基礎と結構な規模の基礎工事に関わった為に数百人の労働者(若い衆と言ったらしい)を引き連れて全国を移動していた。
よって、定住する訳にも行かず現役時代にはとうとう自ら家を建てることはせず、次の世代である私に託した訳である。
故に、私は幼い頃から借家やアパート住まいの暮らしが続いた。建てるチャンスは何度かあったようだが、とうとう踏み切れなかったようだ。里に帰れば父の実家はそれなりの家であり、父の母方の実家はと言えば豪農で屋敷の敷地だけでも数百坪と言う豪邸だ。10畳以上の部屋が幾つも繋がっていて走り回れる。父の尊敬する元社会党の浅沼稲次郎が生涯持ち家に住まず団地住まいだったことに共感していたのだろうか、持ち家にこだわることをしなかった。
子供の頃から友人宅に遊びに行くと皆持ち家で自室を持っていた。私はその頃6畳一間のアパート暮らしで友達を呼んだ事など一度もなかった。実際ところ金が無かった訳ではなかろうと思う。アパート暮らしでありながら乗っていた乗用車は当時でも高級なセドリックやグロリアだったし、トラックも二台保有していた。小学生時代(昭和40年代)の写真に羽の生えたセドリックの運転席で笑う自分がいる。意外ににも持ち家の友人宅には車がない家も多かった、あってもカローラやパブリカなどの小型車だった。3C時代はまだ先の話だ。
実際の所、これまでの友人の9割以上が昔からの持ち家に住んでいる。思い浮かべようとしてもアパート暮らしの友人などすぐに思い浮かばない。
そんなわけで小学生の頃から大人になったら自分の家を持つことに固執していた。実際に自宅を購入したのは夢を抱いてから30年もの歳月が経ってからだったが・・・。
20年前、本当は注文住宅にしたかったのだが35年ローンが組める限界の40歳まであと4ヶ月と迫っていたため現在の建売を購入することになった訳で、実は不本意なのである。自動車が2台以上停められて4LDKが条件で見つけた物件だ。まあ、特に不満は無いが満足かと言えば疑問が残る物件だ。
玄関を入るとLDKがあり、二階に上がると廊下に各部屋に繋がっている。当たり前と言えば当たり前だが、どうせ自分で建てるならと言う気持ちが強い。何か一工夫したいと思ってしまう。
夢に出てくる家は何故か部屋数が多い。決して広い部屋ではないが、数だけは多い。それも単純な配置ではなく、なにか迷路的な構造なのだ。様々なパターンの家が出てくる。ここに私のプランの源泉があると言って良い。だが、実際にデザインする上では悲しいかな制限が存在するため理想の3割も実現出来ない。
そして、展示場にあるモデルハウスはそれを実現している。まさに夢の家だ。敷地に制約がない今回、同じような家も設計してみたがどうもしっくり来ない。面白くはあるが非現実的な造りが多い。設備や調度品でごまかしている部分も多い。動線の整った家は私の妄想の家ではない。
故に今回も間取りが決まっても数時間後には変化する。妄想の家が常に頭から離れない。現実との葛藤は無限ループだ。妄想のストッパーと言うことで予算と言う制限を設けた。これがなければ際限がない。ある意味で予算と言うのは有り難い。増やした減らしたの目安になる。
本当に必要な部屋なのか、設備なのかなどをじっくりと吟味することが出来る。家族は無関心なので一人で決めるしかない。
完成後にきっと不満を言うのだろう。安保法案の如く、代案も無く反対や不満を口にする一部の人達のように。
私は4月から頭を悩ませているのに無関心な君達は何者だと言いたい。