韓国生活&子育て日記

韓国生活&子育て日記

仕事編


天津で仕事するより上海で仕事をしたかった。上海人の友達にも、もう仕事見つけてあげたからはやくおいでとの事。が。。上海人はあまり信用ならない。上海へ行く前に天津の大学で日本の某銀行の求人を見つけた。まあ、私が銀行でなんて働く訳ないやろうけど、一応、上海で仕事がなかった時の為にと連絡先のみを控えていく。その後上海へ行き、友達に見つけておいてくれた仕事はどんな仕事かと尋ねると、やはりまだはっきりとは決まってないとの事。やっぱりあてにならんわ。。。かといって他に行き場所もない。
しばらくの間友達の家に居候させてもらう。そのうち同じマンションに住んでいた日本人に出会う。思わず、何か仕事ないですか?と聞いてしまった。
たまたまその人はいわゆる100円均一の店を上海で展開しているところだった。そこでしばらく手伝わせてもらうことになる。が、商売のほうがあまりうまくいってなかった様で私もここではもう無理だと思いはじめる。
天津の銀行のことがふと頭を過ぎる。銀行かあ。。。銀行なんて私の性格にむいてないし、どうしよう。。。考えた末、銀行っていっても日本での銀行じゃないし、海外独特の仕事をさせてくれるかもしれないとふと思い、連絡してみた。仕事内容を聞いてみると、現地の日系企業への営業との事。
営業かあ。。。営業といっても新規開拓とかでもない。既存のお客さんを回るだけ。これは私にとって絶好の仕事やと思った。仕事的にはどうだかわからないけど、日系の企業を回るってことは企業のトップの人達との接触があるということ。そこで知り合いができればなんらかのコネで今後仕事が回ってくる可能性だってあるかも!それが私の作戦だった。
面接に行き、即採用決定。それから私は銀行員になった。そこで2年働いていたある日、上海で働いている日本人の友達から連絡があった。うちへこないか?との事。待遇も日本で働くのと同じにしてくれるとの話にフラ~っと気が傾き転職することに。が、ここでの仕事が私に仕事をする気力を失わせ、中国をきらいにさせた。
仕事内容は営業。日本の内装製品を販売するのである。出社第1日目。
上司は誘ってくれた友達である。日本の販売する製品を一通り私に見せた後、ほな行ってきて!この一言から私の地獄の生活が始まった。
行ってきてって。。。昔学生で上海に住んだことはあるけど、もう友達は皆帰国してしまってるし、仕事上での知り合いなんていない。どこ回れってゆうのん??!!泣きそうになった。。。っていうか泣いたわ。。
しかも日系企業は自分がほとんど回ったから他回ってとの事。他って言ったら中国の国営企業か、台湾、香港企業しかない。軽い気持ちでフラ~っと来てる場合ちゃうで!!私の考えが甘かったわ。。。人生こんなに甘いわけがない。この場から逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。が、ここで負けたら友達に対してもくやしいわ。こうなったらやれるとこまでやったるわ。
その日から一日中上海の建築現場を1件1件回った。その後日本でも仕事をしたが、ここでの経験が一番辛かった。今考えると頑張りすぎるくらい頑張った。自分で自分を褒めてあげたいです!←どっかで聞いたセリフやなあ。。(笑)
結局、仕事は頑張っていたが、そこで住んでいた家の問題、水漏れで下の住人とのトラブル等々、色んな問題が重なり、中国での生活が嫌になっていた。もう、ここまで頑張ったら気すんだわ。。。もう帰ろう。中国留学から5年、ようやく帰国する気になった。
最近は日本人でも中国へ仕事を求めて行く人も多くなってきているみたいやけど、やっぱり異国での仕事は、辛い部分もいっぱりあるけど、得るものはすっごく多いと思う。みんな!中国へ行こう!!面白いし、韓国より生活も気分的に楽やよ!!


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