『詳説・ウォッカについて』
■Vodka(英)ウォッカ
■定義
■12世紀ごろからつくられるようになったロシアの国民的飲料「ウォッカ」のこと。
蒸留酒を「生命の水」(Aqua-vitae , Whisky , Eau-de -vie)といい、略して「水」という。
ウォッカも「 ジーズナヤ・ヴァダー 」→「ウォダ」(水)からきた言葉である。
「生命の水」という表現から、錬金術師が蒸留酒を指すときに用いたものだから、
ウォッカの始まりも錬金術の恩恵によるものであるのは確かである。
なお、ウォッカという言葉が文献に現れたのは16世紀になってからである。
■無色、無臭、無味であるので、すべての調合酒に向くところから、
カクテルの流行に伴って、おおいに活躍してきた。
■ウイスキーは穀類、ブランデーはワインと原料と決まっているが、ウォッカには決まった原料が無い。
どの国でも、その国で得られる最も安価で手に入れられ易い原料でよい。
しかも、他のスピリッツと違って無味(ノー・フレーヴァー)であるところから、
「何か粗悪な原料を使ったのを隠すために木炭で濾して、無味にしているのであろう」と勘ぐった結果、
ウォッカは「ポテト・スピリッツ」であるという伝説が、古くから世界的に流布されている。
■ウォッカはロシアの蒸溜家が発達させたもので、その製法が極秘にされていることが余計に、
そのような伝説を裏付ける結果になった。
しかしロシアは有数の麦の生産国であるから、
ポテトからウォッカを製造することは少なくとも20世紀になるまで、ロシアには無かったという。
■ある文献によると、12世紀ごろのウォッカは蜂蜜を原料にしたものだったろうと推測されている。
その後、18世紀ごろまでは、ライ麦が主原料であったようで、
後に、大麦や小麦、アメリカ大陸からもたらされたとうもろこし、ポテトなどが使われるようになった。
■最後の3代にわたるロシア皇帝の愛用酒として、又貴族の飲料として名声を高めたのであった。
アメリカへは禁酒法(1918年)以前に少しは輸入されていたが、アメリカで製造されていたという記録は無い。
産業革命の時、ウォッカ製造技術が白系ロシア人によって南ヨーロッパに伝えられ、
1933年アメリカの禁酒法廃止と同時にアメリカに伝わった。
1955年ごろ、アメリカの蒸溜家ヒューブラインがウォッカに全力打ち込んだとき、
他の蒸溜家は一顧も与えなかった。
その後のウォッカの台頭を見て、それらの人々は再びそのミスを繰り返すまいといったという。
■現代のウォッカは、こうした農産物からアルコール濃度の高いグレーンスピリッツを作り、
それを水で60度から40度に薄めた上(アメリカの法律上の定義では40度まで薄めてよい。)
ウォッカ原酒1アメリカン・ガロンあたり(最低)1.5ポンドの白樺や、
椰子を焼いた活性炭を詰めたタンクのバッテリーを最低8時間かけて、
ゆっくり通過させて、濾過した精製スピリッツをつくる。
■こうするとアルコールに溶けにくい成分が活性炭に付着して純度が高まり、
色もクリスタル・クリアな状態になる。
その結果、ウォッカは無色でライトな酒質のなかに、
原料の由来する微妙な香味をわずかだけ残した爽やかな酒として生まれる。
■アメリカは「オレンジ」、「トマト」、「アップル」などのジュース飲料の一番消費が多い国であるので、
これらを混ぜるのに適したスピリッツとしてウォッカが選ばれ急速に伸びたのである。
■本来のウォッカは50度、60度とアルコール度数は高いが、
こうも考えられるだろう、40度はある種、現代(EC統合)の「スコッチ・ウイスキー(ブレンデッド)」と同じで、
もし50度とすれば「ボンデッド・ウイスキー」と同じである。
※樽香のつかない「ウォッカ」がアメリカで好評を博した原因は、
禁酒法時代アメリカ人が親しんだ、同じく樽香の低い
「ライト・ウイスキー」(カナディアン・ウイスキー)の流行が背景にあることと、
上記にあげたジュースとの愛称が良いということと、
無味無臭なのでビジネスランチでお酒を飲む場合に都合が良いことがあげられる。