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すごーく久しぶりに開いたブログ。ログインできたw面白い画像が残ってたから、くっつけてみました。これ、読んでくださってる方 いらっしゃるのかな??最近、勝手気ままなおしゃべり録音を配信始めようかと思っててw何か、面白いテーマ、聞いてみたいテーマとか、あったらコメントお願いします。って、わぁ、すごーいここの空間 お久しぶり~★
2020.03.29
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雨がちらほらふっている、北緯一度。☆さて、この島の子育て仲間の声を聴いて、元気がわいてきた。☆会社の先輩(2児の母)から、メッセージが届いてた。☆☆☆全てを見守って、そして愛あることばをかけ続けてきてくれた女性。☆☆☆彼女から受け取ったもの、きっと他の方に還元してゆきたい。☆☆☆よき出逢いって、別れがきても、おわらない。☆☆☆だからいつも、はじまりは、終わりの真っただ中にあるんだね。☆☆☆愛を込めて、人の話に耳をかたむけことばを、かけ続けてくださったことわすれません。☆☆☆愛あるひとに、わたしもなりたい
2013.02.05
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10月にPostした先の日記から、3カ月が経過。☆少し、マストを高く掲げないといけない時期だわ。☆2013年1月30日 美しい空を見上げながら内容がないけど、今Postしておきたかったのです。読んで下さったかた、どうもありがとうございました。☆☆こうして、言葉を綴る場所があるってありがたく思う。☆がんばれ、じぶん。そう、今が大切。いつだって。☆すこし、ちからを抜くこともね。。。力を出したり、休めたり、どっちも大切だな。
2013.01.30
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「今日、ランチ一緒にどう?」と、絶妙なタイミングで先輩から社内メール★今日は、同じ担当の別のお二人の女性はランチに外出予定がはいっており自分は一人お弁当食べよっと思っていので、ありがたいお誘い。そう、あたしが8年半もの間育児休職でお休みしている間に、ふとしたタイミングで、「お久しぶりぃ~★」とメールを下さった2児のママの大先輩。今日も、中学のお受験についてや小学校の運動会について、お話をお聞きしました。わたしの、出稼ぎ状況もよくよく心配してくださっていて・・・アドバイスや、意見をくださいます。ありがたいんだなぁ。。昔々^^わたしが、23歳の新入社員の頃に、同じフロアにいらした方で先輩が育児休職に入られた時の第一子の娘さんが、来年中学受験のお年ごろ。美味しいランチを頬張りながら、「(帰国して復職後)1ヶ月たったけど、どう?生活なれた?」とお気遣いくださる。ありがたいなぁ。。。この御恩を、いつか返せる人に、はたらく母に、いつの日か私自身も、なれますように・・・。
2012.10.17
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たいへ~ん、ご無沙汰しておりまっする。シンガポールから、9月10日に帰国し翌日9.11から古巣の営業部に復職をいたしました。子育てをしながら、働いてゆきたい。今は、そこにたどり着く道中・・・を迷いながらしどろもどろになりながら、ヨチヨチと進んでいるような進んでいるはずなんだけど、沈み込んでしまうことも多々あり・・・ますが明日も、できることを精一杯やりたいと思います。今日は職場のビルまでシンガポールで出会った小学校のママ仲間がお昼をご一緒しに、会いに来てくださいました★フィリピン、葉山、世田谷、そして埼玉のあたし。一緒に玄米やらお味噌汁やら、和風バフェットランチを頬張りながらフィリピンから練馬の叔母さんに会いに日本に遊びにきているMくんのかわいいお目目を久しぶりに覗き込みながら、ママ軍団は思いっきりガールズトーク★昼間っから盛り上がりまくり!もぉ、シンガにいるんだか、東京なんだか、わからない感覚♡大好きな人達とのミニ同窓会。本当に、しあわせな気持ちになったし、職場のビルということもあって、なんだか自分のこれまでの4年4ヶ月のシンガライフが、夢物語ではなかった。本当に、大切な人々と出会ってきた、ということを改めて実感したのでした。ありがとう。美味しいごはん、楽しい語らい、そして嬉しい再会。今日は月曜日だったので、集まったのはママ達だけでしたのでMくんはお友達には一人も会えずじまいでごめんね。次回は、子どもも大人も一緒に逢えますように。Mくんママの提案は、香港で集合★とのことでした。あはは、本当に常夏モードな母達の会話って、た~のスィ~い★Love★
2012.10.15
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怒涛の5月が下旬を迎え、わたしの体もちょっとお疲れモード・・。「人生の中で3本指に入るくらいの大仕事を成功させたぞ!」と少し興奮気味に日曜出勤から帰ってきた夫は、自分も疲れているが、週末の時間を子どもらと過ごそうとナイトプールに誘い出してくれた。わたしは足つぼマッサージ10ドル(20分)&肩マッサージ10ドル(15分)にちょろっと行ってきた。でもでも、なかな~か、疲れはとれないね・・・。もっと、体を動かさないとね。常夏の5月、灼熱の太陽は今年はあんまり顔を見せず、雷雨や風がよく顔をだします。とは言っても、北緯一度の日差しはキビスィ~ぃ^^疲れをほどきながら、ゆきましょう。☆
2012.05.21
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1カ月前の4月12日の日記を読み返してみた。時がたったことを感じた。新しいお家に、5月4日夜から移り住むことができた。5月4日は学校行事もあって、本当に事前から当日から前後にいたって、いろいろな方にも力を分けてもらっての引越し完了。4年前のシンガへやってきたころには想像もできないほどに、沢山のご縁が私たちを支えてくださっていることに、わがことながら驚きと喜びとそして感謝の気持ちで、いっぱいじゃ。新しいお家で9日目の昨日、初めて小学校関連のお友達を一組みお招きすることができた。まだまだ段ボールがあちこちにありますが、少しずつ新しいお家での生活が刻まれてゆく、リズムができてきた感じ。お引っ越しでお世話になったご近所さんたちにも、今度ゆっくりと訪問していただきたいと思っている。大好きな人々が、それぞれ別のコンドミニアムに住まい、そして大切な友達も、次々日本や各国へ移動していった2011年の暮れ~2012年春。シンガは、ただ今1年で一番暑い季節を迎えています。新しい住所のお知らせ、作らないと。*******************************自分は今、何を願い、そしてどう行動してゆくのか。心穏やかに、心地よさと、わくわく感を自分自身の中に探して選択をしてゆかねば、と考えています。自分へのアンテナを、張ってゆかなくちゃ。月曜日の朝、到来です。ベトナムの地から、夫も今晩には戻ってくる予定。ギャング3人との週末を挟んだ4日間の最終日が始まります。常夏暮らし5年目の5月、健康に感謝をしながら、楽しんでゆきたいな。Have a nice week!
2012.05.14
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一昨日月曜日になくしてしまった、パスポート(自分・夫)2冊、滞在許可証1枚、お財布、クレジットカード2枚、身分証明書1枚、キャッシュ少々・・なんと、火曜日午後5時すぎに、全て戻ってきました!あああああああああああああああああああああああぁありがとうございます。神様仏様太陽さま常夏さまご近所さま駐車場で落としたのを、すぐにご近所の(面識のない方)がみつけてすぐに拾って下さっていたそうです。お時間ができ、バックの中にあった娘っ子の診察券に住所が書いてあり同じビルの住人だということを知り、届けて下さったそうです。名刺も一緒に下さって、ご近所でお店を経営していらっしゃるローカルの方だと知らされました。夫と二人、お礼に近々行ってまいります。あぁあああ、よかった。滞在許可証の更新の時期でして、まさに4月20日~27日にイミグレーションへ更新手続きにパスポート持参で馳せ参ずる予定でしたので・・・・今週パスポートを(特に、海外へ出張予定も控えている夫の分は特に)紛失するのは、本当に痛かった・・・のであります。よかったぁ。見つかって。こんなことって、あるんだなぁ~。さてと、4年間暮らしたこのお部屋とも、あと2週間でお別れです。新しい、リトルインディア(よりディープなシンガ)近くの集合住宅へお引っ越しをします。市内の交通の便の最も良いエリアに暮らしていたこの4年間。シンガに来てから、7ヶ月目(2008年)に妊娠→2年目(2009年)に第3子を出産→その後1年半は娘っ子との蜜月の時間(2011年3月まで)。昨年の春から第3子が保育園デビューして、私は、東京里帰りプロジェクトに携わり、2012年の春、今、ここで、これから先のことを考え始めたところ。最も重要な書類を複数も紛失してしまったこと、そしてそれがまるまる戻ってきたこと。この2~3日間の学びは、多くの気付きをもたらしてくれました。いらないものは、ざばっと、捨て去ろう。再申請など、ぜったいにできないものを、しっかりと抱きしめよう。手放してはいけないものを、毎日しっかりと、みつめよう。耳をすまして生きてゆこう。お引っ越しが終わるまで、ぶつぶつぶつぶつと、言葉を紡ぎながら新しいスタート地点に、たどり着きたいと思います。自分を大切に。鹿児島の祖母の言葉を、常に心に。介護施設→地元の病院→大病院→地元の病院と春に色々と動きのあった祖母ですが、この度、もとの介護施設に戻れるほどに!回腹したそうです。春休みに飛んで帰ってよかった~ぁ。また、祖母に会いに夏にも九州・薩摩半島へ飛んでゆく予定です!子ども達の成長を、お伝えすべく。そして、わたし自身のためにも。夫のためにも。大切な、いのちを繋いで下さった、祖母に会いに。すでに、天国にいる私方の祖父母達、4人のお写真が、今わたしの脇に。この常夏の日々を、見守っていてくれています。ありがとう、おじいちゃんおばあちゃん。これからも、見守っていてください。さてと~ぉ、お次!
2012.04.18
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昨日は、この島に暮らす日本人として、その存在を証明し、滞在を許可してもらっている最も重要な書類2つを紛失。それに加えて、夫の最重要書類も1つ紛失。今、わたしの存在をシンガポール政府に証明できる証明書類は2009年9月10日に夫との間に、娘っ子を出産した時にこの国で手配、取得した以下の2枚。(1)「Certificate of Registration of Birth」 シンガポール共和国発行の娘の出生証明書・両親(夫と私)の個人情報記載あり(2)上記の出生証明書の申請のために日本大使館で発行してもらった 「Marriage Certificate」 夫と私の個人情報あり。本籍地鹿児島県の記載あり。そして、、、紛失物の再発行の手続きのために鹿児島から川越に昨日帰って来たばかりの義父に、いそぎ速達便で戸籍謄本を取り寄せてもらうことに。午後はこちらへ行ってきます。↓Immigration & Checkpoints Authorityhttp://www.ica.gov.sg/「脇をしめて!」との、実母からのアドバイスを胸に。。わたし、加油!(がんばれ、の中国語「ジャーヨ」)
2012.04.17
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6月に親友の挙式参加のために単身で一時帰国予定~と、ウキウキしていたら・・・2歳の怪獣と息子たちと夫とともに、九州の祖母のお見舞いで日本滞在時間2日と20分、という短期間ではありましたが、4月頭に、緊急一時帰国をしました。4年ぶりの桜満開の日本に帰り、義父母とともに過ごした2日間。寝たきりになった祖母の、桜の花びらのようにすき通るような頬に、自分の頬をあて、手を握り、体を支え、笑い話もできました。何度もばあちゃんの前で涙が出てしまって「春休みで帰って来たの?」と尋ねられて、心がチクチクしました。「今会っておかないと、もう会えないかもしれないと思って、飛んできたよ。」とは言わず「春休みだから、おばあちゃんに会いたくて飛んで来たよ。夏休みにまた来るよ。 元気でいてね。」と何度も伝えて、病室を後にしました。2001年の節分に、結婚式で初めてお会いしたおばあちゃん達。昨年もう一方の祖母が他界してしまったので、私には、最後のおばあちゃん。(自分の実の祖父母は結婚前に他界)おばあちゃんと過ごせたおかげで、義父母と子どもらの様子も観察する時間が持てました。と言うのも・・・・秋の復職にあたり、子どもらはシンガで義父母にお願いをして、単身職場復帰案を3月11日に決意したものの71歳、67歳の義父母が二人体制での子ども担当ならばともかく今回、祖母の入院という緊急事態が発生したことで義父は日本から離れられないという事情に。老齢の二人を分かち、子どもらを置き去りにして・・出稼ぎに、今の日本へ単身帰る、という選択肢はたった二日間で心底疲れた様子を見せていた、義父母の事を考えると無茶苦茶なんだよ。と、私にもようやく分かった。夫も、同じことを感じていたことが、帰りの車の中で分かった。怪獣一人(2歳の末娘)を日本に私が連れて帰り復帰、義父と暮らし、私が義父と末娘の面倒を見る。義母に、シンガのBOYSと夫の食事や、日々のお世話をお願いする、という新たな案はあるが・・・3人兄妹をバラバラに引き離し・・・、夫とも離れて暮らし、鹿児島で入院中の祖母を共に心配をしている義父母を、離れ離れにしてまで・・・・、私の復帰のために家族を振り回すことが、果たして、私の望む生き方なのだろうか。そもそも、働く場所にオルタナティブな選択肢は、ないのだろうか・・・。自分の家族を日々営みながら、働く、生きるという選択肢はどこにもないのか?と考え始めている。そして、もう少し長期的な視野の必要性もあるんだよね。サステイナブルな暮らしを、考えたい。心地よさも、きっと大切。ここまでの長期の休職中、「腐っても会社員」だと思っていた私(今もね)にとって、復帰するといことが、ここまで長らくぶら下がってきた生活の中で静かな、でも確固たる心の支えであったのだよ・・・。休学して、海外をほっつき歩いていた22歳の頃、5年次に復学をし、就職活動&教育実習を必ずして、そして、卒業をする。社会人になるために。と思い描いて、疑うことなく、また悩むこともなく突き進んでいたころと、なんら変わらずに・・育休明けに復職をし、子育てをしながら、時短勤務や在宅勤務なんかも必要に応じて活用をして、働いている自分を、思い描いていた。就職活動の時から、育休明けても働き続けられる職場環境を探し当てて、ご縁があって働く場を得ることができたんだもの。また、そのご縁から、夫と出会ったり、さらに不思議なご縁で、婚約中に別会社なのに偶然に同じプロジェクトにアサインされてアタフタしていたりね^^結婚してからも、いつしか、会社の制度を活用して海外留学なんかもチャレンジもしてみたい!って、真剣に願っていた。(今となっては3児抱えて挑戦って・・どんだけ調整あちこち必要なんじゃ・・・ でも、やってみないとわからないじゃないか!ってな足元見れていない自分は なんら変わっていない)そして、何より「通信」の魅力に私も、彼も、惚れこんでいる。事業として携われるチャンスに、魅力を感じているのだわね。うん。3度も、復職します!って約束してきたのは、私だ。3月末に東京里帰りプロジェクトのボランティア活動を終える時に、1年を振り返りこんな言葉を綴った。↓「おさとだより」最終便3月31日発行に掲載・スタッフの寄せ書き~~~~子育てをしながら、どう日本の復興を願い、そして行動してゆけばよいのかな、と考え始めた時に、NPOマドレボニータさんからのツイッター@satogaeri担当募集を知り、迷わず手をあげました。想いを寄せ続けて下さる多くの方々との出逢いが、生きる力になりました。ありがとうございました。泣いても笑っても?春ですね。~~~~自分の言葉の中に、自分の望む方向性があるように感じた。”子育てをしながら、何を願い、どう行動してゆくのか”そう、家族の営みを始めた時に、夫と二人で語っていたのは「子育て」と言う”一生プロジェクト”が始まったということだった。何を願い、どう行動してゆくのか常夏暮らし5年目のスタートを迎える今、改めて自分に問い、考えてゆこう。視野を広く、多くのオルタナティブを考えて、一生プロジェクトの真っただ中を心地よく、楽しんでゆけるように。自分の願いに、フォーカスを当てる作業を、島内の引越し作業と並行して粛々と取り組んでゆきたいと思います。緩やかに、臨機応変に。すべては、一期一会だから。子育てをしながら働いてゆく”チャンス”を、逃すまい!ここから先の生き方を、夫と二人で話し合ってゆけることにワクワクしている自分がここ、しんがぷーらにおりまする。2012年4月12日 夜明け前
2012.04.11
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おはようございます。こころが、苦しい朝です。昨日の地震、とっても怖かったです。地震と津波で、多くの命がなくなった日からたった3日しかたってない夜に、真っ暗な海岸に打ち寄せる津波の報道にそれがたった10cmだったと知っても、怖かったです。余震を経験していない自分ですら、この重たさ。今朝、学校や仕事場に足を運び、日常生活をスタートされたみなさんはもっと、重たい瞼や心持なのでは、、、とお察しします。いらんお節介ですが、携帯電話の電池(フル充電済み)が予備で1こバックに入っていたら、ほんの少し安心かな、、と思いました。必要な情報が、ききたい声がいつでも届く場所に、ありますように。常夏より、愛を込めて3月22日が新月だそうです。なんだか心が騒々しく感じます。1月は新月22日の翌日の夜23日に震度5の地震が発生しました。静かで温かな4月を迎えられますように。まやこびゅ より
2012.03.15
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大変ご無沙汰しちゃいました。昨年5月の投稿から、すでに10か月が経過していました。ログインパスワードもすっかり忘れてしまって・・・・(涙)さっき、再設定をいたひました~3月11日は、昨年の東日本大震災の発生から1年の節目の日でした。今もなお、行方不明の方々が多くいらっしゃる現実、そして悲しみはとても辛く感じます。また、被災された方々の、これまでの軌跡に声援をお贈りし、これから先の毎日に、1つ1つの笑顔があることを希望します。そして、お亡くなりになられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。私は昨年4月より、被災地の妊産婦さんと赤ちゃん・ご家族を支援する東京都助産師会が母体の「東京里帰りプロジェクト」の活動に賛同し、ボランティアとして、また、一子育て中の母として、日常生活の中でできうる範囲のお手伝いをしようと、活動を続けてきました。主に、活動内容の情報を発信し、心を寄せてくださる方々へのお返事などをやりとりする広報のお手伝い。時折、公式Twitter @satogaeri の中の人で夏の終わりごろからは、プロジェクトの「今」を伝えるメールレター「おさとだより」の編集部員になりました。公式Twitterを一緒にチームを組んでやってきてくださった方がこれまた熱い情熱を、静かに携えた、敏腕女性会社員&1児の母!でしてねこの方の仕事っぷりが、すごいんですわぁ~。Uyo-san私は子育てにかまけて、この常夏で脳みそが溶け出し放題で・・・お恥ずかしい限り。春から夏、そして秋冬と、学びの宝庫の1年間を過ごさせていただきました。また、「おさとだより」編集部になんとなく参加させてもらい始めて・・・7便、8便と回を重ねてゆくうちに、その活動の意義たるや!なんと素晴らしい~と開眼! 更に更に、学びの宝庫であるこの経験に、心から感謝をしておりました。バックナンバーはこちらです>>2012年2月発行「おさとだより」第8便 被災地でご活躍する専門家の方々の声、被災された妊産婦さんの声、現場の声、様々な生の声に触れる機会に恵まれたことは本当にありがたいと思っています。海外で、昨年の3月11日を体験した私にとって、この1年の間に流してきた涙は自分の体の痛みとして受け止めることができていないのでは・・・という不甲斐なさから来るものだったのかな、と思っています。温度差は、ぜったいにあったはず。それでも、子育てをこの島でしながら、私にできうることをしたかった。広報チームの面々の、それはそれは個性豊かで、愛情溢れていて、オモシロ可笑しいことといったら!!協働って、こんなにも面白いんだ!と、近い将来働きにでることを前向きに考えていけるパワーをもらいました。今年の3月11日(日)私は、子どもらがぎゃ~ぎゃ~賑やかな日中に、夫と声を張り上げて!?秋以降の、暮らしについて話し合う時間を持つことができました。今私たちが想定している条件が変わらなければ(子どもの健康なども含む)、日本へ帰って、わたしは復職したいと思います。彼は、以前からその考えに賛同してくれているのですが、もしや・・・・三行半?? 私なんか居なくてもへっちゃらってこと?? もしや・・・・・すでに愛情なんてないのか・・・も・・とか、、変に不安になってしまっていたのですが。本音・根拠を聴くことができました。そして、どうやら嫌われちゃったわけでは・・なさそうだと知り少し、ほっとしたところでもありまする・・・。そんな会話ができたことに、感謝をしました。すっと心が軽くなりました。これからどう家族として生きてゆきたいのか、すりあわせたり、会話したり意見を聴いたりすることが、わたしはこれからも夫としてゆきたいのだ、と強く感じました。梅雨のころ、会社に挨拶に行ってきます。母になって初単身フライトの予約を、格安航空券(マレーシア経由)で手配をしました。それも11日の出来事でした。親友の慶事もあり、昨年の一時帰国から8カ月ぶりの日本。楽しみです。一人旅です。エア・アジア航空です。格安航空券で、4万円弱ほどのお値段でした。手荷物のみで、電車に乗り込むかのように旅支度。(預け荷物【有料】はなし!)ブランケットやらご飯やらアメニティーもなし!日付変更だって無理~はて、どうなる!?こんなに、エキサイティングな初夏が待っていようとは。1年前の私は、思い描くことはできませんでした。なんとなく、希望はしていましたけどね。スゴク、貴重な1年でした。大震災は、つらく悲しい出来事に違いありません。しかし、その後の活動を通じて得られた人々との出逢い、そして協働の経験は私の人生にとって、大変重要な時間に違いないと確信しています。ここから1年が、また一つの大きなステップなのだと自覚しています。来年の春、わたしは、どんなことを考えているのだろう。常夏暮らし、間もなく満4年になります。この島で、目指してきた「常夏美人!」に、どれだけ近づけたのだろう。そして、ここから半年、私は何を目指してゆくのか、今一度しっかりと自分自身と向き合って、春の日差しを楽しんでゆきたい。常夏シンガポールは、春4月から6月が1年の中で一番暑いんです。最後の常夏の春、毎日が春爛漫~溶けだした脳みそは帰ってこないんだよねぇ~またひょっこり、ブログ更新いたしますね。ご機嫌よう!
2012.03.12
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小さい頃、わたしは手紙が好きだった。初めて英国へ一人旅だった夏(中一12歳)のときに、祖母(江戸川区小松川3丁目)に贈った手紙には、おもしろカタカナ英語が書いてあった。「ロードにカーが走ってる」ってさ(^^)・・<英語になっとらんがな・・・お祖母ちゃんの遺品の中から、この葉書が出てきたので、おじさんおばさんに話して、もらってきた。今も我が家の書斎に、お祖母ちゃんの写真と一緒においてある。自分の手元には残っていない、中一の夏を過ごした英国の私立学校のある町の絵葉書だった。へたくそな字。でも、お小遣いから切手を買って、貼り付けて、ポストに入れたんだろうな。忘れてるけど。おばあちゃんからの返信はもちろんこなかったけど。そんな葉書が何枚か、わたしの手元にある。大切な思い出の品々だ。大学を休学し(1997年春~)、再び英国を訪れ、そこで出会った家族には小さな娘さんが二人いた。2歳と4歳。かわいいさかり。幼稚園へ行く前に、毎朝お芝居タイム?があってね。小さな女優さん達が、素敵なリビングの中で、楽しい話をしてくれていました。毎朝、パパがママに朝一番の紅茶を入れてあげていて、私の部屋にもミルクたっぷりTeaを届けてくれた。ドアをあけると、ちいさな小動物が、ちいさなちいさな声でご挨拶。「Good morning!」と、私の部屋へハイハイでゆっくりと入ってくるのだ。妹の方のぷっくりした2歳ちゃんだった。ドアのあたりにもぞもぞして、入ってこない朝もあったっけ。ミルクたっぷりTeaと同じくらいに、かわいい訪問客に朝からテンションがUPしたものだ。彼女たちとウェールズの海辺近くのコテージにご一緒させてもらった、初夏の旅が終わると私は、香港経由で常夏の国シンガポールへ向かったんだ。お別れのときに、4ヶ月弱の間にとりまくった写真の中から小さな写真を2冊に分けスクラップをして、4歳ちゃん用、2歳ちゃん用にコメントをつけて、プレゼントをした。(1997年当時英国では写真フィルムを現像すると、トリプルプリントと言って、1枚は通常Lサイズ+2枚ミニサイズのお写真がプリントされるサービスがお得でわたしのお気に入りだった。日本の家族にもミニサイズを送ることもできたしね。)4歳ちゃんには”To My little princess"2歳ちゃんには" To My little Lion"パパに、娘が生まれたよって2009年にシンガからご報告をしたときパパが思いだして話していたよ。娘が生まれてよかったね。その昔、僕の娘にくれた写真の本に、なんて表題を君がつけたか覚えているかい?「小さならいおんちゃんへ」だったね。二人も大きく、美しい娘に成長したよ。ってね。常夏の島、シンガポールで、わたしに娘が誕生したことを、喜んでくれてそして、懐かしい時間を共に思いだしたりして、心潤うひと時だった。人々をつなぐ、The Internetを使いこなせるパパ(小学校の教頭先生)でよかったあ。ママは、よく手紙をくれた。でも、ママとパパ、今離婚調停中なですって。悲しい~。人生中で、沢山の出会いと別れがある。”出逢い”が時を経て、更に発展的に広がる力をわたしは信じています。物理的距離に制限を、きっとされないで。1998年の就職活動中、一緒に面接を受けている人(2人組か3人組位だった)のお話を聞くのが、とっても楽しかったことを覚えている。自分に話をふられている時間以外は、話している学生さんの話に聞き入って面白ければ笑ったり、納得したり、へえ~と感心したり、緊張感はもっていたつもりだけど同じ学年の仲間は既に社会人になっていたので、就職活動中にご一緒した人々との時間をなぜだか、とっても有意義にすごさせてもらってたっけ。きっと、一緒に受験していた方は、迷惑行為!とかって、思ってたかも・・。すんまへん。その場限りの出会いって、本当に沢山ありますよね。でも、わたしはそれぞれの出会いが、またいつか網の目の中で復活することもあると思っています。共に、集う時間があってこそ、”出逢い”。その集いの場さえも、物理的距離に制限はされない時代になったんだ。古代サンスクリットの「獅子【Singha】」+「街【Pura】」で「獅子の街」が語源のシンガポール。わたしは、いまここで、生きています。1998年に仕事を決めて、ふらふらと歩いていた夏休み明けのころにわたし(のんきな大学5年生・友達はみーんな社会人)は杉並のキャンパスで素敵な笑顔に出会いました。大学の構内で開催されていた小さな写真展でした。それが、その笑顔の写真パネルが、ネパールへの扉を開けることになろうとは・・・23歳になりたての私はまだ、知る由もなく・・・。ネパールという一つのキーワードで、数か月後に、彼(今の夫)と出会うきかっけにつながるというのは、なんだか、今でも不思議な感じ。いつか、ネパールへ家族でわたしは行きたいな。OKバジが住む、東パルパ州のドリマラ村へ息子達と一緒に、彼と一緒に行ってみたい。シンガのEvelyn姉さんが、2011年3月中旬に電話をくれた。日本の家族は大丈夫?友達は?あんた大丈夫? ってな感じで、質問をされて、大丈夫よ、と応えるや否や、子どもに受話器を取られてしょうもないことを子どもらがしゃべりだすと、そっこーで「ごめんね、ご家族が無事ならよかった。じゃ、また時間作って電話するわ。じゃ。」って、通話終了。人生の中で、不思議と絡み合うことができる人々に感謝の気持ちでいっぱいの今日この頃。子どものしっぽを、ゾウの親は鼻でぐるっと持って、はぐれないように一緒に歩くそうだ。獅子の街で、しっぽふりふり私はゆこう。笑顔に導かれて、これからも。インド文化圏への憧れは、ネパールの地を訪れて、ますます高まることに。(脱線しすぎじゃが。。。つづく)2011年3月11から2カ月。この2ヶ月間という時間は、自分にとって、本当に貴重な時間だった。常夏の島シンガポールで、母国日本から目が離せない日々。情報を得れば、得ただけ、涙がとまらなくなった日々。それは、実は、今も続いている。シンガで、いま 生きていることの意味を、自分なりに振り返りつつそして、これから先のことを、しっかりと構築してゆきたい。まずは、心の整理から。からみあったしっぽ? いや、お世話になった多くのご縁に報いる最善の策を、自分のなっとくの行く形で、みつけてゆくために。母として、活かされる命として、前進してゆくために。しばしば脱線しつつ・・・・にょほ
2011.05.12
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この島(マレー半島の突端)には、きっとわたしは根っこがある。しっぽ?かもしれない。そ~んな、気がする。その昔、実の父が初めて海外の地として訪れたのが、マレーシアのボルネオ島だそうだ。今でいうところの青年海外協力隊の前身にあたる平和部隊?とかなんとかいう、学生を招へいしての現地訪問型ボランテイア的な活動に参加したんだとか。。。1960年代ね。わたしが生まれたのは1975年。小さいころから、何度も夢を見たこ。頭に白い布をぐるっと巻いている人の姿。前世はムスリムだったのかも(^^)以前は、地中海周辺(アフリカ側かも)の農業従事者っていうイメージを持っていた。どうなのかなあ~。それは、さておきシンガに戻ろう。1984年新嘉坡からの大学生を小学校に迎え入れ、文化交流会に参加した小学3年生。1996年なぜだか、シンガポールに来ようと決めた、大学3年生(21)の無謀極まりないころのわたひ。1997年夏、英国での素晴らしいホストファミリーとの数ヵ月後に、初めてやってきた常夏の国シンガポール。そして遭遇した、故ダイアナ元妃の事故死の衝撃的なニュース、そのニュースが世界中を駆け巡る最中に、インドで執り行われたマザーテレサの葬儀。わたしのアンテナは、マザーテレサをひきつけたインドという国へ向かった。そして、急ぎインドへ飛び立たんばかりの私に示唆的なメッセージをくれた、シンガポール人のEvelyn姉さん。「インドへ行くなら、まずはネパールへ行きなさい。 同じ文化圏の中でも、ネパールにはインド文化の良い面が沢山残っているから。 そして、次にインドへ行きなさい。 きっと見えてくる世界が違ってくるわよ。(^^)」そして4カ月弱のシンガポール滞在を経て、わたしは大陸・中国へと向かった。1998年に大学へ復学し、兼ねてから憧れていた教育実習も体験した。そこで感じたこと、それは「この教職員室という空間で、わたしは何十年も過ごしてゆくことは、きっと無理。」という自らの声だった。学生時代、ずっと仲が良かった旅仲間に言われた言葉も的を射ていたのかも・・(当時はそうなのかなあ??って思ってたんだけど)「海外に行って、理想もずいぶん変わったんじゃない?」 友はよく見てるもんだ。1998年は大学5年目、改めて、職業選択・就職活動に向かい合う中で、1988年(中学一年12歳)の夏、英国に一人旅立ち初めて海外から経験したコレクトコールの心臓バックバク体験と、受話器越しに聞こえてきた、母の声が、突如として胸に湧きおこってきた。就職活動中の世の中は、インターネット時代に突入しており、1994年春の入学時にはもらえなかった学生個々メールアドレスが、大学から配布され、活用されていた。事業を営む実父の考えも、インターネットという新たなブームに、零細企業ながら商機を見出し、通信機器・PCへの設備投資も開始していた。しかし当時の就職活動は、手書きのハガキ郵送や、履歴書を面接時に持参をしていた。自分の中で、英・仏・シンガ・越南・マレーシア・インドネシア・香港・中国を人々にお世話になって過ごしてきた1年間が、非現実的な夢のようで、そしていて、今ここにある現実そのものにも感じた。出会いは、物理的距離を超えて、そしてこれから先、わたしの人生の中で大きく影響力を持ってゆくに違いない!という確信だけがあった。受話器越しに聞こえた、母の声は、わたしを今でも強く支えてくれている。たとえ、遠く離れても、たとえ、時差があろうとも。時を経て、大人になってしまった今でも。わたしは、「通信」の魅力に興味を持った。そして、いつの日か、ネパールの地を訪れる夢を忘れていなかった。10年後に、Evelyn姉さんの暮らす国シンガポールで33歳を迎え、そしてこの島で3児の母になろうとは・・・当時22歳の私は知る由もなく。就職活動まっただ中の1998年の新緑の頃。つづく2011年3月11日の大震災から2カ月を迎えたこの日。わたし自身を振り返ろうと思いました。この2か月という時間は、なんと尊い毎日だったことでしょう。また、この2カ月という貴重な時間を、当地シンガポールで迎え過ごしていることもきっと、何かのしっぽ。いや、ご縁に違いない。大震災で被災された方々へお見舞いの気持ちを常にわが心に。そしてツイートに。北緯一度の常夏シンガポールより 愛を込めて ~そうyo, すべては 子どもと地球の未来のために~70億人が集う星の未来のために
2011.05.11
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こんにちは。どうしても娘っ子のお迎え前にエントリーしておきたくて1カ月ぶりにログインしました。今、応援をしている『東京里帰りプロジェクト』の活動を通じて今までとはまた1つ子育てのステージのステップが変化してきていることを感じています。丸3年前、当地シンガポールへ転居の為にお部屋さがしに来ていたころのわたしには想像できなかったくらいに、”生きている”って感じています。なんと、不謹慎な・・・と怒られるかもしれないけれど・・・大好きな日本からは、遠く離れてはいるわたし。でも、だからこそ、今日本の妊産婦さんと赤ちゃんをこころあら応援したい。ここ4年間、時間さえあればダラダラとあっちのブログ・こっちのサイトへ、、とアンテナびんびんで彷徨い歩いていたときそのときの気持ちとは、一歩も二歩も、前に進んでいる感じがしているわたしです。折しも、2011年3月17日よりシンガ生まれの一番したの娘っ子Ksumiちゃんはローカル保育園にお世話になり始めました。土曜日も希望者は先生が面倒をみてくださいます。Viva☆シンガで子育て…今日、また1年間の家族分のVISAが更新されました。春です。今日からお仕事復帰されたかたもちらほらおめでとうございます。それぞれに、春。3人の子ども達の母として、またシンガを拠点にアジア各国のお仕事に奔走する夫をこころから愛するわたしなりに、今できることを、少しずつ・・・やってゆきたいと思います。そうそう、昨日は、家族でボーリング場へ行って遊んできました。息子たち(6歳4歳)も、自ら転がってレーンを進むような??おもしろボーリングでしたが。・。マレー系のファミリーが息子達をかわいがってくださり、写真を一緒に!と声をかけてくださいました。息子達の投球?の度に、拍手喝さいをしてくださったり、もう本当に一期一会☆この出会いに、そしてこの小さな島の人々と共に成長をしている3人の子ども達に胸をはって、わたしも毎日を過ごしてゆきたい。少しずつで、いい。そして、来年の春には、いまとまた違った自分でありたい。きっと!Ciao
2011.04.18
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今日(2011年3月14日)は、母の66歳のお誕生日。昨日は、義父の70歳のお誕生日。明治生まれの祖母は、今の日本の状況に対して、どんな言葉を寄せてくれるだろうか。祖母が母の花嫁道具に準備してくれた、着物の帯を手に今は、わたしは祈る。大地震・津波・原発の爆発などの大惨事、被災された方々に心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。今朝、母@埼玉に電話をした。母の声が聞こえて、少しほっとした。停電前(予定・第2グループ)で、せわしなく忙しい様子だった。なんという1日。祖母の第9子として戦時中1945年3月14日生まれの母。わたしが、妊娠を確認したとき、母と一緒に祖母のお墓参りに行った。(2004年盛夏)まだ産科病院で確認前だったので、手を合わせて、未来の子どもの幸せを祈り祖母にだけ、内緒でご報告をして富士の麓から、東京へ新幹線で帰って来た。その翌日に、夫と実母と一緒に産科を受診。超音波の写真を手に、母子手帳をもらいに走った、わたし・・・当時27歳。現在、北緯一度にて、動揺しているわたし・・35歳。まさに今、TVではNHK国際放送or Channel New Asia、PCではTBSのUst、Twiter、OCNメール、Skype、携帯を常時傍らに。今日になってから、シンガポールのフランス人のお友達から日本を心配しての携帯メッセージ届く。英国のホストファザーから心配してる、とメールが入る。母の54歳の誕生日を、大学卒業旅行を兼ねて英国のホストファミリー宅でお祝いしてもらったなつかしい記憶が、ばばーと浮かんできた。。当時23歳・大学5年?生のわたし1999年3月14日地震・津波・原発爆発・自衛隊10万人派遣と、予想だにしない事態が続いていて、緊張感の渦が、赤道直下まで。被災された当事者・ご家族の思いやいかばかりか、、、そしてそして広範囲の大地震・続く余震・各地での津波・原発の爆発の最中に、停電や交通機関や物流が滞っている生活に突入した家族・友人たち、愛する日本から目が離せません。お母さん、お誕生日おめでとう。こんな一日になろうとは、思っていませんでした。今も、地震速報が。そして原発爆発のけが人情報が。今年、6月には、弟夫妻に待望の第一子が誕生予定。わすれもしない、私が娘の誕生を心待ちにしていたあの夏2009年の体験。心ここ(シンガ)にあらずのお母さんの様子。今、いのちを授かり妊婦ちゃんの義妹も、地震の11日は一晩がかりで会社から帰ってきたと聞く。弟は、11日に自転車で帰宅、今朝も自転車で東京の会社まで出勤したと聞く。姉は、教育現場で11日には保護者の方々へ子ども達を引き渡し、今朝からまた小学生子ども達を笑顔で迎え入れているだろう。大人も子どもも、どうかみなでこの事態をのりきってゆきたい。遠くに住まっているが、今自分も、しっかりしないと。お母さん、お誕生日おめでとう。きっと、この未曽有の事態の中でも、きっと日本のどこかで新しい☆いのちが誕生しているお母さんのお誕生日つながりの新しいいのち達。どんな状況下でも、あたらしいいのちには「おめでとう」って言ってあげたい。日本のみなさん、応援してます。こころの底から。大好きなおばあちゃん、富士の麓から、どうかどうか、私たちを守ってください。あ、娘っ子起きました。今日は、ヘルパーさんが来てくれる日で、助かった。彼女(シンガポーリアン・日系企業の駐在ファミリーのヘルプ暦30年弱)も、日本の様子を心配してくれている。涙がでるって胸に手をあてて、話を聞いてくれた。こんなに遠く離れた場所のわたしですら、共感してくださる人のありがたさを感じる。被災された方々、日本の方々のこころを癒し、寄り添い、ともにあれるようなそんな自分になりたい。富士の麓に眠るおばあちゃんとおじいちゃん、お母さんを産んでうれてありがと。義理のおばあちゃん(夫の祖母達)は、今それぞれ鹿児島で不安な思いでいることと思う。声を届けよう。今、ここからでもできるんだから。生きているって、本当に、すばらしい。#prayforjapan ~すべては、子どもと地球の未来のために~
2011.03.14
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こんにちは。今日は曇りときどき雨のシンガです。「余裕」、ってどうしたら持つことができるかな、と少しテンション低めに 過ごしている 木曜日の午後です。娘っ子が今日1歳半になりました。今朝は小学校1年の息子のクラス皆が作成をしたジオラマの町の公開日。宿題でそれぞれが作成してきたお店や公共の場所(警察署・消防署・学校・マック他)がお教室の床に道路を模して造られた道の両サイドに展示されていて、作成者の一人ひとりが説明をしてくれました。息子の作品も、愛おしく、そしてみんなの作品との遥かな完成度の違いに、わたしは、驚きと、反省と、そして、そんな少しのヘルプしかしてやれないわたしに、不平不満を一言も言わず、クラスのお友達と仲良くすごしている様子の息子を見て、息子が受け入れてくれている自分に対して、テンションが下がってしまったわたしです。毎日、体力的にも精神的にも、2011年に入ってからと言うものぶっちゃけ、わたしは余裕がない。甘えているつもりは、なかったけれど・・・・こうして、子どもたちはわたしを受け入れてくれているんだ。文句も沢山あるだろうに・・・・。特に長男は、沢山の思いを抱えているだろうに・・・・。子どもって、本当にすっごいギフトだ。そのありがたさを、こうして日々かみしめて、育てられているんだな・・。わたしは。きっと、自分ひとりでは、自分のあり様・生き様を、客観的に見ることができないでいる、わたしだから。だから、この子らを授かったんだろうと思う。もう少し、日々の生活に潤いが必要かも。余裕はなくても、子どもたちへの感謝の気持ち、家族みんなの健康に対する感謝の気持ち。そんな気持ちを、もっと持たねば。お腹もたっぷり満たしてあげないとね。切り替えて、次へ。日々の営みは、日々続いて行くから、営んでいることになるんだわん。は~い。つづく
2011.03.10
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現在、常夏の国シンガポールで3人の子どもたちを育てています。そして、子育ての仲間と集い(目標毎月開催)、語り会い、そして磨きあうようなそんな時間を過ごすことを、幸せに感じています。それぞれの子どもたちが、それぞれの家族の中で、この北緯一度の灼熱の太陽を浴び毎日、成長をしています。大黒柱のお父さんたちは、出張で亜細亜からミクロネシア・中東・アフリカ諸国へ毎週とか毎月とか、時たまとか、この小さな島をハブ拠点に、ビジネスの旅へ飛び回っております。実家は遠い海の向こう。ご近所や、子育て仲間の綱がりが、子育て家族には本当に大切なセーフティーネット。だって、「お父さん雨がすごいよぉ。お熱もすごいんだよぉ・・(涙)」、ってパプアニューギニアに出張中の父子が電話で会話ができたとしても・・・タイやベトナムに長期出張中(何ヶ月とか、数年とか・・)のご家族だってあるんだし、熱が出てる子どもたちの看病をしている時に、一品届けてくださるお友達の”愛”がどれだけ、ありがたく、そして支えになるか・・・。子育て仲間の関係性、家族ひっくるめて、その有機的な協力関係を持てる地域性があったら、とってもしあわせ。きっと、これ、どこに暮らしていても、同じことなんだと思う。子どもを持って、家族を営むという日々には、群れを成すサバンナの動物の様にみなで子どもたちを囲み、見守り、そして助け合うことが、生きてゆくすべ。外国人労働者を各家庭が雇うメイド文化が一般に広く根付いているこの島であっても文化も言葉も、子どもを育てるという日々の積み重ねに対する考え方の異なる人の手を借りる場合の、様々な課題や失敗談や困った体験談も、よく耳にします。子どものいる家庭を営むということは、どこにあっても、どこに暮らしていてもきっと、母親・父親一人が抱え込んでは、やりきれない代物。だって、子どもは一人では創れないしさぁ(^^)そう、子どもは多くの人間たちの関係性の網の目の中で、ぼよよ~ん、ぼよよ~んって、バウンスバウンスしながら、喜んで成長してゆくのさ。わたしに、その気づきを下さったのは、世田谷の小さな社宅に一つ屋根の下に一緒に暮らしていたみどり姉さんの一言からだった。「Kちゃん(長男・当時1歳半位)と一緒にお茶しにこないぃ?」わたしとは、全くもってタイプの異なる、繊細で奥ゆかしくてそれでいて優しさ溢れている白のレースのフリルがたっくさんついた可愛いエプロンで毎日お料理をしている、そんな、女性だった。鍵盤奏者の音楽家でもあった。第2子の妊娠を、地域の人に初めてお伝えしたのも、みどり姉さん宅だったっけ。今は、取り壊されてしまった懐かしい社宅(昭和30年代に建造って記念碑もあったっけ)でも、そこで両腕一杯に受け取った、温かなやり取りと会話、その空気感は今でも、鮮明に覚えているわぁ。子どもを育てる日々に必要なエッセンス、それは、子育て家族の周囲との化学反応みたい。忘れもしない、みどりお姉さんの旦那様が、掛けてくださった一言。わたしが二人目の産後に息子たちに怒鳴り散らして、へたれこみそうになっていた夕方だった。階段ですれ違った時にさ「おつかれさまぁ~」って、普通~に挨拶して駆け下りていったんだよね。。。清々しく。わたしの中に、風が吹いたよその一言、今でも思い出すと涙が出るくらい、うれしかったんだぁ。毎日、夫を「いってらっしゃい」「気をつけてね」って送り出して「おかえりなさーーい」って迎えて(寝ていることも多々あるが・・・)いてもねやっぱり、母親だって、子育ての日々の努力を認めてほしいんだよね。そんな一言を掛け合える仲間がいるから、今、わたし3人の子らと共に暮らしながらどうにか、こうにか、生きていられます。発狂しそうになったり、旦那にぶちきれたり、涙が止まらなくなったりもしてるけど。どうにか、こうにか、言葉を綴る勇気は持ち続けられています。2月も終わる。2011年3月には、一番下の娘っこが社会デビューを控えている。現在夫はミクロネシアの空の下、治安悪いからホテルの外にもでれなくて、出張前にご近所さんから頂いた日式カップラーメンを食べているとな。家族丸ごと、お仲間にお世話になっている、我が家です。ありがと~。今日は、この島でであった双子ちゃんファミリーが本帰国の日。また会おうね~。昨日は、埼玉の母からの小包が届いた。父からの韓国旅行のお土産の品や、お米、姉が購入して送ってくれたわたしと夫のための厄除けのお守り、子どもたちへの本他。手元に届いた品々に、心から感謝。明日は、姪っ子のお誕生日。おめでとぉ~。夫が帰ってくるまで、あと3日じゃ!週末、母子4人。がんばろう。そして、2011年春爛漫を楽しめるように、お掃除お掃除、お掃除をしよう。いらないものを、いらない脂肪を、不要なものたちを、さようならするのも春だから。常夏で3人の子どもたちと過ごす、この大切な空間を、もっと居心地のよいものにできたらいいな。つづく とっちらかった日記になってしまいました。。お付き合い、ありがとうございました。よい日曜日を!
2011.02.26
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2011年2月もあと5日ですか??早いですね。時は、音も立てずに過ぎてゆく、、本当に最近そう感じます。シンガへの出発を目前に、小竹向原の産後クラス(2008年2月)で弾んだ仲間との卒業の笑顔から丸3年経過。みんな、それぞれの3年間。そう、わたしもきっと同じ。ここからの2年間が、また面白いことになりそうです。あの時、一緒に思いを巡らせた5年後のわたし(たち)。また会いたいな。遠くない将来に。今もSNSで繋がっていて、身近に感じて過ごせているお仲間に感謝!わたしは、昨日産後4ヶ月のお友達とご一緒して、いろいろお話をしあうことができ大きな収穫があった。栗色の髪の毛が美しい赤ちゃんを抱っこして、その温かい香りにとろけそうになった。今日は、踊るということを通じて、わたしはすっごく浄化されたように思う。人の話に耳を傾けること、、わたしにはあまり得意ではない分野だけれど大切な時間だな、と改めて実感。図書館での立ち話の数分間にも、刺激的な収穫があった。出会いというのは、やっぱり、運命なのかもしれない。今日は心を入れ替え?、学校&園から帰ってきた息子たちの話にも、身を乗り出して(^^)覗き込むようにして、それぞれに耳を傾けてみた。これがまた、楽しい。長男は遠足の話。二男はお友達とぶつかってアイスパックをしてもらった話などなど・・・踊ることで、心のバランスを整え、体のエネルギーを生み出すことができた今日に心から感謝したい。エネルギーが生まれて来ると、わたしはもっと”わたしらしく”いられる。そんな気がした。~常夏の戸惑い~だれしも、この暑苦しく、そしてのんびりとした常夏の島で温めている様々な種がある。わたしにも。「まや・こ・びゅう」それは、ネパール語で「愛の種」の意味。わたしの中から、芽生えてゆこう。わたしらしく。支えてくれる、あの人やあの人やあのお方、愛するあの方やこの娘。運命は、出会いの中に宿っている。いつもいつも、みなさまには心からアリガトウございます。と伝えたいです。子育てのステージから飛び出して♪存分に~ここから、わたしらしく・・・(←呪文か?のろい??)楽しく、踊ろ~う。踊り狂うちょこっと手前まで☆
2011.02.22
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2月1日からスタートした胃腸炎巡回術??1~5日長男6日~まだまだ 夫7日~たぶん今日まで 二男9日~まだまだ絶賛★下痢子さん(娘っ子1歳5ヶ月)今日は、娘っこ1歳5ヶ月のお誕生日★あと1ヶ月、1ヶ月の辛抱じゃ。(ここ細菌 もとい 最近のわたしの呪文♪)1歳半から、半日保育でローカル保育園にお世話になります(予定)。二男がシンガ来星してすぐ(1歳8ヶ月)から、3歳を向かえインター幼稚園に入園するまでお世話になっていた、家から徒歩3分程度の園です。先生方も、よく知っているし、日本語のサポート0ジエロですが、毎日外遊びも、お絵描きや、朝ごはんだって出るのさぁ。(シンガはローカル系だったら朝ごはん給食も当たり前)子どもも、子供同士の方が、活動時間帯は楽しいんだよな。実際。プレイグラウンドで遊んでいたって、ご近所のお子さんと遊ぶときの子どもたちの目の輝き具合といったら!元気に、社会生活スタートしてもらうためにも、健康維持が大切です。今回の、家族内感染の事態を受けて、本当に、母がどういう形でも(ボランティアでも趣味でも仕事でもPTAだって)社会と関わりをもって活動をするには、家族みーんなの健康が何より大切だなぁ、、と思いました。なにより、このわたし(毎日母やってます)の精神衛生上も、家族み~んなの健康が大切なのよぉ~。家族って、社会生活の最小単位であってして同時に、沢山の手に目に見守られて、ようやく、機能できうるもの・・なのだなぁ。(そう言えばシンガでは、病時保育って聴いたことないわ。外国人メイドさんが多いからだからだわね。全世帯の5~6世帯に1世帯は外国人メイドを雇っていると聞きます。)なにはともあれ、目下★看病10日目!看病の合間に、短時間でも読書を楽しむ美味しさを知っちゃいました(^^)(病院へ通う地下鉄の2駅の時間も、心ほくほくに♪ パタン!と本を閉じて、「床に座らないの!!」(怒)と、電車の中で お行儀の悪い息子をしかりつけて、降車してゆく、わたしでありました・・・。 本を読んでても、読んでなくても、息子らをしかりつけているわたしには 変わりはないのですな・・。残念。)明日は金曜日★みなさんよい週末をお過ごし下さい~★
2011.02.10
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今夜も涼しく、過ごしやすいシンガより。旧正月を迎え、町もすっかりお正月モード。お店もお休みが多いです。4連休(3~6日)の二日目。今日は、ドラエモンの映画(中国語吹き替え)をローカルTVで観てお昼ご飯を食べ、午後は階下の広場で息子たちがサッカーなどしている間に相方に娘っこを子守してもらって15分間ウォーキングマシン?に初挑戦!してみた。スピード5のレベルで15分間歩いてみた。空調が入っていない狭い運動部屋だったこともあって(マシン4台分)たった15分で汗びっしょり。日焼け止めの白いクリーム首まで流れてきたよ3年ほど住んでいるが・・、今日初利用のマシン!これは良い効果がありそうです。たった15分でも、集中して体を動かすと、こんなにも汗をかいてしかも、体中がぽっかぽかになりました。(常時熱帯気候なんですけれど、石の床や薄着の空調有り生活だと、結構体は冷え冷えの場合が多いのです)ただし、定期的に続けることが大切ですね。今日は、こころとからだが喜ぶ時間を少しだけでも確保できてよかったです。連休は、残り2日!3kidsと相方との5人旅☆☆☆☆☆2011年のチャイニーズニューイヤーはのんび~り。
2011.02.04
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おはようございます。なにやら、とっても涼しい朝のシンガより。昨日からスバ(FIJI)入りしている相方。そろそろ着いたかなぁ、と午後になってからSMS(携帯のショートメッセージ)を送ると数時間たってから、返信が来た。どうやら着陸したとな。でも、次の乗り継ぎ(3回目)を控え、2回目のフライトの到着手荷物待ち。そっかそっかぁ、豪州経由ねぇ。。なーーんてのほほんと構えているとまた少ししてからエクスクラメーションマーク!!!!!いっぱいのSMSが来た。「Lost baggage!!!でも、次のフライトに搭乗するって決めた。」と、ある意味、搭乗するぞ、と自分に言い聞かせるような、、、そんなメッセージだった。うわぁ、2011年は相方は男の大厄(1970年生まれ)の一年なんじゃった。チャイニーズニューイヤーには、しっかりお参りに行って厄払いせな!2011年2月3日は、新しいルナニューイヤーの始まり。旧暦のお正月あと、相方との結婚生活11年目のスタートの日。現在、絶賛現実逃避モード全開のわたひは、娘っこ(1歳4ヶ月)の寝ている間に大好きな女優中山美穂さんの旦那さん(辻仁成さん)の著書『サヨナライツカ』を一揆読み、一機、一気!結婚・出産後、初めて中山美穂さんが出演をして映画化(監督は韓国の方)そして2010年1月に公開されたよな。観てないけど、観たいような、観たくないような。でも、小説を読んだから、映画も観てみたい気もするかな。ストーリーに出てくる二人の女性が、ともに主人公の男性(豊)に手紙や詩を届ける。中山さんが演じた、沓子という女性は最終章で亡くなる。死する時に、意味をなす思い=人を愛するということという物語のメッセージに、少し違和感を覚えなくもないような、でも本来そうあるべきのような。愛って、簡単じゃない。要は、大切なものは、手放しちゃいけないんだ。その保管場所が、生活と密着した形か、銀行の貸金庫の中なのか、はたまた生きている限りの人の心根なのか、それぞれDeあるっていうことか。。。で、Baggageは無事にかえってくるんかな。現実に戻る。相方は、元気にお仕事を終えて帰ってきてくれますように。チャイニーズニューイヤーイブのお帰りまで、3Kidsとの時間、どうか、わたしが穏やかに過ごせますように。きっときっと、頭がおかしくなる!とか言っているわたしのこの日々もいつか永遠に目を閉じるときを迎える頃には、違って見えてくるはず・・。気持ちの切り替えには、なったよ。『サヨナライツカ』辻仁成 著ありぃがとぉ、さよぉなら。。。スーツケ~スゥ
2011.01.27
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こんにちは。朝は娘っこ(1歳4ヶ月)には、朝7時~8時台の時間帯はとっても刺激的?らしくお兄ちゃん達が登校した後、朝9時には、寝てくれます。これって、二度寝か。。。お影で、家事一通りが朝一番で済ませることができ、助かってる。ありがと。昨日のことを、少しだけメモ。ここのところ、風邪で体調が完全でないことも影響していると思うが息子たちの兄弟喧嘩の喧騒が、どうやら、わたしの許容範囲を超えてしまった兆し。雑音、騒音、にしか聞こえてこない。きっと、子どもたちは、遊んでいるだけ。。そしてわたしだけ、毎日、毎日、ゲンナリしててる。喧嘩の仲裁に入ろうにも、息子たちの声が騒々しすぎて、とにかく静まってほしいとどなってしまう。そのときに、一番うるさいのは、間違いなくこのわたし。(もうどうしてよいのか分らなくなって、きっと顔もしわくちゃだろな)ご近所さんには、本当にお世話になってて、ちょろっと顔をみれるだけでもその時間、助かってる。きっと、愛してる。ありがと^^。お料理教わったり、声をかけてもらったり、こんなに幸せな子育て環境、なかなかないって心から感謝してる。ありがと。たぶん一生あいしてる。なひゃひゃ。愛って深いねぇ。昨日は、夕刻に二男の幼稚園で保護者会。定時退社してきた彼に、鍋と炊き込みご飯を子どもたちに食べさせてね!と引継ぎをして、一人で夜の幼稚園へ。二男は、園ではとっても良い子でがんばっているらしく、英語や中国語のレベルもぐんぐん上達していると、先生方にお聞きし、少し肩の荷が下りた。フリーフローの飲み放題オレンジジュースとスライススイカに、みかんなどのフィンギャーフード(かたかな英語じゃ。。。おつまみ?か。)が園の教室前の広場に用意されていた。園長先生や、スタッフ(主に教師、補助教師)の方々、他の同学年の保護者の方々と交流をしばし楽しみ、オレンジジュースを4杯のんだっけ。おなかがすいていたんだった、わたひ。担任の先生には、BOYSライフに寄り添うTipsをご教示願ったりして。旧友に国際電話かけてみて、気分の切り替え方を尋ねてみたり。図書館で借りてきた本をバス待ち時間に読んでみたり。シンガ来☆初期からお世話になっている友人にSMSしてみたり。同じく3KIDSのママに携帯メールで自分の状況を相談してみたり。保護者会で、先生が言ってた。夕飯にでもせっかくだから今から一人でいっちゃいなさいよ。路線バスに乗って、岐路に着くも、自宅のコンド(集合住宅)前をするーーり通過。どこへともなく、進んでいく窓の景色が、マリーナエリアへ進む。今年初めて近くで見たなぁ、マーライオン。そうだ、終点まで乗っているよりも、ここで夕涼みがいいや。ふと、バスの席から立ち上がり、停留ボタンを押して、マーライオン公園横で降車。幼稚園の最寄で購入したカレーパフ(カレーパイみたいなもの)をほおばりながらマーライオンのお膝元? 脇の階段に一人座って、もぐもぐった。目の前に聳え立つマリーナベイサンズホテルの美しいこと。シンガはチャイニーズニューイヤーが目前(今年は2月3日~)で、ライトアップやデコレーションで、町中が着飾っているみたいなお祭りモード。子どもたちに、お土産にと思って買っておいたレッドビーンバン(大判焼きみたいなもの)4つとも、もぐもぐっちゃったぁ。気がつくと、携帯電話が充電切れ。家の子どもたち(特に一番したの娘っこ)のことが気になり始めマーライオンさんに、ありがと、して帰路についた。歩いて。スイスホテルの円柱状の建物が、まるで、夜空につきだした巨大万華鏡みたいだった。旧最高裁の建物の屋根近くの石像が、薄暗い夜の帳の中で、なんだかわたしの今に判決でもくだそうとしているのか、と少しおびえたり、その荘厳な佇まいに、ただただ、心の底から、清らかな風が吹き込んでくるような、そんな、気すらした。颯爽と、まるで仕事帰りの女性みたく?みえるかな?なーーんて、いつもと違う(すこしだけ)ヒールのある靴を履いていたので軽やかに歩いてみたりして、パラナカンミュージアム手前についたころ(家のバス停まであと2つ)には靴擦れができてしまった。。とほほ。結局バスに乗り込んで、帰ってきた。家に入ると、「マァミィーーー」と、長男二男が抱きついてきて、思わず、頬がゆるんでしまった、自分。帰りたくない、って思ってフラフラしてきたけど、よかった。帰ってきて。保護者会にしては、長すぎるとは分っていても、夫は何も言わず、眠っている娘っこの子守役交代!といわんばかりに、すぐに長男と一緒に夜の日本サッカー観戦へと出かけていった。サッカーバーとかでやってたんかな。。一番気になって帰ったはずなのに、結局娘っこのことをこの目にしたのは、深夜になってから、タオルケットを掛けに子ども部屋へ入ったときだった。1amころ。午後6時半から、そんなに長い時間、しかも夜に彼女から離れていたことってなかったな、あの子が生まれてから。いや、正確には、離れていた時間はそんなに長くない。帰ってきたのは10時pm位だったはず。でも、彼女の元へゆかなかった。寝かしつけは、夫が昨夜はやってくれていた。歯磨きもしないで、、二男と二人で、眠ってしまった。深夜に子どもたちにタオルケットを掛けて、歯磨きをし、充電が終わった携帯を持って綿毛布に包まった。眠ることができて、朝になった。正直に、自分の状態を夫に朝ごはんのテーブルを囲む皆の前で、話してみた。夫は自分のサポートが足りないからだろう、と言ってくれた。子どもたちにご飯を食べさせ、送迎を買って出て、さっさと食卓テーブルを片付けてくれた。解決策を考える、そして問題解決手段をさっと講じようとできる彼はきっと凄腕の相方。数週間前、わたしは毎日がなんだか、幸せすぎて、泣けてくる。ってアホかもしれないけど正直に思っていた。だって、本当に、いろいろ騒がしいけれど、子どもたちは可愛いし、毎日楽しいもの。今、なぜか、数週間前の気持ちと違う感覚が、自分の中を占領している。占領。そんなかんじ。まずは、元気になろう。健康でないと、こころが、こころがおれちゃう。まずは、健康。わかっちゃいるわい!!と、強気発言ができるようになってきたので、ここいらでUP.お付き合い、ありがとうございます。言葉にするって、本当に、大切。もっともっと、わたしは相方と話がしたい。わたしのこと、彼のこと、二人のこと、子どもたちのこと、そして、近い将来のことを。朝の風邪薬、飲んでから、始めましょ。水曜日。そろそろ、キッチンのコンロ上のフードライトの修繕業者がやってくる。シンガのコンド(集合住宅)って、本当にいろいろメンテナンスが必要。日本のサービスのクオリティーは、どこをとっても素晴らしいことを、海を隔てて暮らすほどに、実感しつづけている今日この頃。よい1日を。ステキな、出会いに感謝。
2011.01.26
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お休みのはずの、週末。あたまがオカシクナルンジャナイカト、我がことながら少しばかり冷ややかに心配したくなってしまう、今日この頃・・。突如ベッドからジャ~ンプして二男が長男のおなかの上に着地!無論、長男のぎゃン泣きが聞こえてきたり、長女1歳が歩いているのに、二男が足をわざとひっかけて・・・、確実に、ぎゃン泣きの娘っこ・・・、普通に歩いていたのに、足元の穴にズボっとハマリ、片側ひざ下が下水路?にはまってしまった二男が痛みをこらえて座り込んだり・・・。バスの中では遠吠えみたにうなっていたり。。。← あ、これも二男。まんなかの人(3人兄妹)のポジショニングが難しいのは、わたしも知っている。でも、でも、彼のここのところの様子は、少しばかり(?)度を越えている気がするのは私だけであろうか・・。3者3様で楽しくはあるのだが、兄弟喧嘩は絶えず、驚くべき事件が多発し、毎日、やってほしいことをやらせるために、怒鳴りたおして就寝時間までの夕方は戦場。わたしは、本当に気が狂いそうになってしまう。でも、そういう状態である上に、風邪をひいて体調が悪くあっても週末は容赦なく、やってくるのだ。ようやく、月曜日の朝を迎えることができる。嬉しい、わたしは土日ですっかりふらふらよ。そうそう、運動しよう。考えても、始まらない。健康な体に、まずなろう。夜勤で家を深夜にでかけていった相方。一人で外歩きができるあなたに、嫉妬してしまいます。そんなこと、ここで語ってもしかたないんだけどね。働きに出かけているんです。わかっております。明日は、ヘルパーさんにお願いをして、自分時間を確保しよう。子どもを預けて出かけると、最近ヘルパーさんはいい顔をしないんですけどね。それもそのはず、1歳4ヶ月にもなったら娘っこはヘルパーさんのお仕事の邪魔はお得意中のお得意ですから!お仕事できないもんね。ま、それはそれでOkと伝えておこう。狂気の一歩手前の週末、おーわり。よかった、月曜日かもーん。
2011.01.23
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一番下の娘(1歳4ヶ月)をしばし預けて、上の息子たちの学校&園へ伺うために移動中のこと・・・。地下鉄に乗車中にうとうと、、としてしまって目覚めると「ハッ!ベビーカーがない!!」と、一人で町歩きをしていることを忘れて、子どもを連れて行かれちゃった!と、一瞬焦って目を見開いてしまった。降車するなり、目の前の階段を回避する必要はなく、階段をヒョイヒョイとあがってゆくことができる。当たり前だが、この島での生活の多くが、子連れ町歩きの日々を送ってきたので不思議な感じ。昔、地下鉄の乗り継ぎに一番近道ができる車両の出口や階段の場所をイロイロ記憶して移動をしていた頃の記憶の中の感覚が、ふっと思い出された。いつも、走っていたなぁ。。。妊婦De通勤の朝とかも・・・。最近、走っていないことを痛感。せっかく、階下にある運動施設が利用し放題なのに、活用度が低すぎた。短時間でもいいから、2011年は毎日の中に体を動かす時間を心がけて作りたい。家をでて、自分時間を作るのはなかなか難しいけれど、できるだけ試みてみよう。~~~昨夜、東チモールから無事に帰った相方が、子どもたちの傍らで眠っている。そう言えば、まだ家族が二人だったころ、相方は月の3分の1は海外出張だったっけ。1年一緒に暮らしていても、4ヶ月間はそれぞれ別の場所で過ごしていたってことか。この島に来てからは、海外出張はめっきりと減ったのだが、今年はミクロネシア方面へ出張予定が続いているとな。相方不在の日は不安に感じることも多いが、やはりそれ以上に、帰ってきた後には一緒に暮らせることをありがたいと素直に感じるのが、収穫。どんなに一緒にいたいと願う相手でも、時に離れている時間があると、わたし的にはちょうどいいみたい。でも、基本的には家族はやっぱり一緒がいいな。これから先も、都度都度、臨機応変に家族の有り方、生活の形を整えてゆけますように。家族のいる生活は、本当に様々な点において、コミュニケーションと調整、意見交換が欠かせないものなのですね。。。我が家は、もっと会話が必要。これからのためにも、今のわたしの為にも。
2011.01.20
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今日は火曜日。バレエ♪に行くのです。にゃは。このわたしが。。2010年3月にスタートして、時たま通う程度でまだじぇーんじぇんバレエらしい踊りはできていないんですけど、、とにかく、ソフトシューズ(薄いピンク色、トーシューズもまだ手にしておらず・・)を手に、スタジオ入りするだけでも、心躍っちゃうわたし☆最初の姿勢のチェックや、音楽に合わせて体を動かす(踊るよりずいぶん手前ですが。。)そして、ポーズ?!や跳躍(きっと違う言い方があるはず。。)、最後にマットの上でストレッチ。盆踊り以外、踊りに縁のなかったわたし。2011年はフラダンスやベリーダンスも踊ってみたい。こころとからだが喜ぶ時間を過ごしたい。昨年末にベリーダンスを横森理香さんに2日連続ワークショップで教わってとっても楽しかった。何より、横森さんが踊るときの表情がステキだったぁ。あんな柔和な表情。。思い出すだけでも、わたしは癒されちゃう感じ。。心地よい時間を過ごせる踊りに、2011年は出会えますように♪
2011.01.18
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こんにちは。お久しぶりです。新年、あけました。どうぞ、本年も宜しくお願いもうしあげます。ここのところ続いております、洪水被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。スリランカも豪州も、大変そうです。週明けから、相方はミクロネシア方面へ出張予定。元気でお仕事をして、帰ってきてくれますように。で、出発前に疲れをとりたい(に決まってる・・)相方の眠そうな顔を後に息子娘とお散歩に出たのが、土曜午後。午前中はエアコンサービス(清掃業者)の作業中で、お外には出れず。(もち、相方は爆睡・・・・、業者さんの作業に合わせて部屋を移動しつつ・・)玄関のドアを開けるや否や、突然のスコールが・・・。しばし、階下の広場で雨宿りしつつ、水分補給。その後、ぐるっとコンド(集合住宅)の周りを1週している間に、小降りになりいざ、出発☆近所の百貨店でお友達へのギフト調達と、子どもらのお年玉を遣ってのお買い物。シンガの旧正月前のセールで、20~50%の割引期間とあって大混雑☆レジも長蛇の列で、ラッピングサービスやオマケの品々をもらうのにも並ぶ並ぶ。老若男女、ショッピング袋を抱えてる。みんな、それでもまだ何かを探している感じ。衣料品売り場も、おもちゃ売り場も、寝具もレストランも大賑わい。女性トイレ前にも行列が。。。昨年、経済がV字回復を果たしたシンガポールの人々の購買力は、すっごく☆頼もしい。2011年も、みなさんにとって、より一層健康で♪笑顔溢れる日々となりますように。。____ひゃっくりが止まらない、日曜の朝。白いカーテンが涼しく揺れて、朝は肌寒いくらいです。この島に、この賑やかで穏やかな夢のような日々に、感謝。_____ことばが、溢れでる。そんな日々を1年過ごせたら、わたしは幸せです。ゆれているのは、カーテンだけじゃないみたい。
2011.01.16
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週末、二男坊のお遊戯会終了。8月まで長男が通っていた年長さんクラスの発表もありその様子を、観客席から眺めている長男様子が、心持が気になって仕方のなかったわたし・・・。シンガローカル学校暦のチョイ英国系インター系幼稚園の為1月から11月がスクールカレンダーの1年間。年度末なのでございます。しかしながら、系列の小学校は夏8月に始まるのでございました。他の同系列の園も、8月からスクールカレンダーが始まる園ばかり。すなわち、ここの園にはシンガポーリアンのご家族も多く通っていらっしゃるわけでございます。シンガポーリアンは、原則インター小学校へは通えませんが、幼稚園は自由選択。で、そんな嗜好のファミリーにも喜ばれているのがシンガポール学校暦のチョイ英国インター系の幼稚園なのです。同系列の小学校へ入学するには、年長さんを途中で8月に抜けて転校(小学部がある支店へ転入・小学校入学)となったのが、我が息子。おりしも、今年のお遊戯会のテーマは「Friends お友達」。8月まで2年強、毎日仲良く遊んだお友達のステージ、3ヶ月前までは一緒に机を並べて、毎日一緒に汗をかいていた仲間。小学校入学というタイミングの違いで、同じステージに上がることができなかったという思い、、、息子の中で、どう消化されたのだろうか。小学校入学は、親の選択。このお遊戯会を終え、来年1月から同じ小学校へ上がってくるお友達もいる。そういう選択肢も、考えたよ、私たちも。でも、小学校の初めっから一緒に学ぶ機会を得ることのメリットを選びました。幼少期という、とっても心の形成に大切な時代の親の選択。ともだち、という人生の大切なエッセンスを学び、体得し、心の栄養にしてゆく時代の、途中での転校&小学校への入学という経験。これから先も、転勤などで環境がかわってゆくことはあるだろうと思う。でも、どんな状況の中にあっても今までの自分、自分を支えてくれたお友達、そしてこれからも仲良くしてゆきたいお友達のみんなと笑顔で再会ができる、そんな、柔軟性と適応力をもった男の子に成長してほしい。6歳半の長男。あっと言う間に、小学生。4歳を迎えた二男坊。初めてのインター幼稚園でのお遊戯会。前夜に枕元でわたしに言った。「マミー、●●(長男の名前)と一緒にコンサートやりたかった」母の胸には突き刺さるコメントだったよ。でも、それぞれ本当によくがんばったね。お友達が沢山いて、わたしも嬉しい限りです。日曜日には二男坊のお友達のお誕生日会。シンガポールで一番大きいというKIDS Partyスペースには同じ幼稚園の別のクラスのお友達もいたっけ。パーティーが終わってからも、アスレチックから離れない二男坊。クラスのお友達はみーんな帰った後に、その別のクラスのお友達(ご家族でいらしていた)を見つけ、一緒に楽しく遊んでいたっけ。ラテン系のご夫妻と、初めましてのご挨拶。子どもが広げてくれる、わたしの世界。なんだか、新しい境地に入っている気がする。そして、自分が作り上げてきた今までの世界と、また違った新しいスタートがきられたような、そんな気配。長女1歳2ヶ月、笑顔がかわいい、ハナタレ娘。昨日のお誕生日会へは、娘と長男はお留守番。二男と二人っきりの時間を過ごしました。夜、みんなが寝静まった後、2010年1月からのイベントを書き出してみた。なんと、いろいろあったことか・・・。日本から1月2日に帰り、姉家族と一緒にセントーサビーチで娘っこ初ビーチ☆そのビーチで話が決まった、産後初のらんぶーたんはミュージックケア☆二男がインター幼稚園に入園、そして長男の小学校見学スタート2月は、旧正月でイスタナへ家族5人で行ったね。2月下旬には、絵本(ブックスタートのご紹介)の会も楽しい一時だった。長男の小学校の申し込みもこの時期でした。3月は憧れのバレエ教室へ通い始めたのだぁ。でも、自分が点滴をうったり、夫が病名を探してMRIを受診したり、図書館ツアーしたり卒業大学のOB会の方々にお世話になったり、二男の初プレイデイにお誘いを受けたりJ+の味ミ隊の取材に参加させてもらったりぃ(^^)第2学期が始まり、娘っこを抱えて週1回のヘルパーに行ったのね。(5月末まで)長男のクラスは、算数。二男のクラスは砂遊びのヘルプ。楽しかったよ。4月は母に緊急ヘルプに来てもらったり・・・、大学の大先輩方をご案内したりお家の契約更新のためにビューイングしたり再契約の条件を洗い出したり・・、らんぶーたんのチャリティー音楽会でNPO2050へ奨学金をみんなで寄付したり同時にインドのNGOへの緊急募金を実施したり。続いてお肌のセルフケアも楽しかった~。マドレの『産褥期2』もご来★。5月は長男のお誕生日会やレダン・マレーシアへの旅行、運動会に、お部屋の契約更新、そしてキッチンの修繕、ようやく落ち着くか、と思ったら小学校からバス送迎がないです!との連絡あり・・・・。そこから交渉がスタート・・・。ボランティアで連載をシンガの産前・産後を書いた記事(1)が発行されたり。6月は、着付けを始めた母を横目に娘がインフルエンザ、続いて息子二人の手足口病、看病3週間明けには、次男が荒れて園で事件3連発★★★参った・・。久々に、母として凹んだわ・・。7月ご近所さんで七夕をお祝いさせてもらいました。シンガで3回目の七夕★で、恩師と幼馴染の来☆、週1回の着付けにようやく通えるように!小学校入学準備、ようやく小学校の送迎バスの交渉終了!大成功★8月はナショナルデーあり、長男が転園&小学校入学で宿題がある生活がスタート年長さんのクラスメートを3度に分けてプレイデーを楽しんだ。小学校入学当初はカリキュラム説明会や、算数の専門家を囲んでの保護者向けの夜の講義あり、3人とも小学校の音楽室で託児してもらったっけ(^^)。二男のプレイデーも初めて我が家で開催。3月末にお誘いくださった二男のお友達が再度お声掛けくださって、お返しのプレイデーができていなくて、心苦しかったがお邪魔した。ついでに、長男の学校行事の間、二男を預けて外出させてもらっちゃった。その後、上手に意思疎通ができなくなって、今に至る・・。残念。転校してしまったので仕方もないのだが、せっかく二男が仲良くなったお友達ご家族。お世話になりっぱなしでご縁がなかったということに、自分の中でできないでいる。忙しい中でも、二男のためにもう少し時間を工夫して、言葉を駆使して、再会できる場所を、私からも感謝の心を伝える時間を作りたかった・・・。着付けボランティアで、初めて夫に1日3人の子どもたちを預けて外出しました。8月といえば・・・夫のお誕生日も静かだったけど、家族でお祝いしたっけ。9月は、産後1年のお祝い旅行(バリ・インドネシア)、そう娘っこ1歳に!ボランティア記事を仕上げ、自分は35歳を迎えた。ハリラヤのお祝いランチに二男の先生宅へ押しかけたり、お友達のお誕生日会へお招きを受けたり、らんぶーたんのたこ焼き2010も美味しかった~。小学校では中秋のお祝いの集会や、長男のクラスの朝会あり、ユナイテッドナショナルデーという集会もあったし、小学校に入学してからも、以外に沢山のイベントで結構朝から大忙しだったわぁ・・。週2回、日本人会へ足を運ぶように。(内1回は単身で参加)10月には、長男が秋休みを家で過ごし、ドサクサに紛れて長女は卒乳★YES。2008年に1歳半で来☆した二男も4歳になった。パパはフィジー出張男親子遠足あり、着付けボランティアでターフ倶楽部へ行ってみたり、週2回の着付けは、刺激的でした。(9月初級・10月中級クラス+倶楽部)シンガの産前・産後の記事(3)も編集入り。11月、長男の個人面談あり、長女は高熱&中耳炎あり、ほんでもって、二男はお遊戯会にお誕生日会~よぉ。母は七五三の着付けボランティアを経験して感動ひとしお~★♪日本文化ってやっぱりとびっきり素晴らしいと思うわ♪まだまだ続くわぁ、2010年の年末に向けてラストスパートよぉ(^^)2010年の毎日ほんと、いろいろあるね。でも、わたし、いま こうして 生きています。今朝、夢見たわ。マドレのマコ先生が夢枕に。。。「ディプロマとらないの?」ってぇ(^^)集中講座のDVD受講しようかしら・・・今日は、吉岡マコ先生、バンコク・タイにいらしているのですね。近くにいらしてくださったのを、わたしは夢の中で感じていたのかしら・・。ほんと、わたしアホだわ。でも、母となってからの人生、これからも続くしわたしらしく、そして健康に、生きてゆきたいです。
2010.11.15
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こんにちはーー。ミクロネシア方面出張中の相方も、間もなく飛行機に乗り込んでシンガへ向かう時刻かなぁ。。今週は、ヘビーーな1週間でしたぁ。子ども3人と母一人、がんばりました。二男の4歳のお誕生日&お誕生日会(幼稚園)あり、着付けのお教室の最終回あり、二男の親子遠足(長女はベビーシッターさん)あり、原稿締め切りあり(ボランティア)、バレエ教室ももちろん行ってきた~、そして長男の卒園式!セレモニーの最後に、ガウンを羽織った卒園生達が、園長先生の合図に合わせて帽子(外国の大学生みたいなもの)を空高く投げてわたしは、感動してしまいまひた。二男もしっかり同席。長女も、最初っから良い子で途中からスヤスヤ。家族の写真撮影にも、母と子3人で参加してきた。(写真撮影前にはちゃんと目覚めた娘っこ★えらい!)お友達の家族も、みな、笑顔が一杯だった。お仕事でこれなかったパパさん達も 本当、見に来たかっただろうなぁ。ビデオも写真も、娘っこをおんぶしながらしっかりとってきまひたよー。園庭の風を感じながら、北緯一度の卒園式。きっと、最初で最後のこの感動。ファミリーフォトセッションが希望者にはあり、シンガのお友達のお母さん達は、黒をベースにしたシックな装いの方が多かったです。西洋のお友達はラフなTシャツとか、チュニックとか。(フォトセッションは希望していなかったのかもしれません)日本のご家族は、フォーマル&落ち着いた色合いの方が多かったです。私は?白地に赤とオレンジの花柄のサマードレスで★(^^)(わたしが主役かって??でも背中にはおんぶですけどぉ。)~~~~~ま、それはそれでOK。卒園式に参加してから、園庭で汗びっしょりになるまで遊んだ長男。同じ小学校へ通うお友達と一緒にサブウェイでランチをして、学校へ送り届けました。二男はセレモニーの後に、クラスへ戻りました。わたしは、お家に帰ってくるとき、近くのコピティアム(大衆食堂)でライムジュースを飲んできた。冷たくて、美味しかった~。娘っこ(1歳1ヶ月)も、ハードスケジュールをよく元気で乗り切ってくれました。ありがとー。帰りの電車からスヤスヤ。8月には転校(幼稚園)&小学校へ入学、というステップを踏んでいたのですが卒園式はまだだったし、入学式もなかったのでなんだか、節目を感じていなかったのですが(同じ系列の学校でしたし)今日は、本当に長男の成長を心から嬉しく感じました。子ども3人と一緒に、わたしはどんな風に写っているのかなぁ。お写真が出来上がるのが、今から楽しみです。さて、週末はお誕生日会、そしてハローウィーーーン★常夏!大好き★
2010.10.29
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2006年2月14日夕方に私は二男の存在をこの目で確認をした。妊娠初期のわたしの胎内に、その存在がある(あろうこと)を産科医の先生の「おめでとうございます」という言葉と共にがっしりと受け止めた。うれしかった。2年前の初めての妊娠(長男)の時と同様に、検査薬を自宅で確認した時にはパートナーには伝えず、産科受診予約を電話で済ませて、1日自分の中で温めて・・・産科医の先生に妊娠を確認してもらってから翌日に、超音波写真と共に、パートナーの帰りを待った。メールや電話をしたい気持ちを、ずっと楽しみながら。その前日、検査薬の結果を見て産科医の予約を入れながらも、翌日の先生の夕方の枠を希望した。偶然にも、その枠が開いていた。午後5時台@新宿。ベストな予約だった。そして、わたしが産科医受診前に足を運んだ(託児付イベント)のが2006年2月14日この日のイベント。検査薬の印が気になりつつも、このイベントに行かないことには産科受診どころではなかったのだ。(笑)イベント告知の最後のうたい文句の秀逸なこと!(以下2行、イベントサイトより引用)「なにか新しい動きへの第一歩になる予感。ぜひその瞬間をその目で!!」まだ姿形が見えなかった、あの日(2006年のバレンタイン)の二男坊が今日、2010年10月25日この常夏の島で4歳の誕生日を迎えました。そんな二男が、おなか一杯になった自分のおなかに手を当てて「ぼくのおなかから赤ちゃんが生まれそうだよぉ。」というので、大葉ナナコさんの著書『いのちってスゴイ!赤ちゃんの誕生―おなか... 』(知の森絵本) 大葉 ナナコ を広げて、話が膨らむ膨らむ☆たのしい夜だった。幼稚園での朝のお誕生日会。シンガのおばあちゃんのように接してくださっているヘルパーさんにお世話になってわたしは午後一人学ぶ時間を過ごしたり。夕方はご近所さんにお祝いしてもらったり。子どもたちが喜んでいて、わたしも幸せだった。みんなが寝静まった頃、大仕事を週末から今夜までびっちり完成させて納め会をお客様として帰ってきたパートナー。子ども部屋に、ふらふらと何度も行ってタイマーが切れた扇風機をONしていたっけ。今、寝言「・。・。・。いちいちでんわしてくるなよ・・」 (爆)お疲れさま。あの日から4年8ヶ月。今も、これからも、子どもたちの傍らに。わたしらしく、たくましく、そして 背筋を伸ばして笑って~☆元気が一番☆第2子の産後満4年。嬉しい一日をどうもありがとう☆生きていくって、本当に、毎日が大冒険みたいだ。楽しもう~♪明日はバレエ☆
2010.10.25
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こんばんは。涼しいシンガの夜です。4晩続けて、いいこで朝までねてくれた娘っ子(1歳1カ月)★昨日は、ボールで抱っこして弾んでいるうちにすやすや・・・。おやすみなさーい。今日は、上の子たちに絵本を読んでいるあいだに、お休みに・・・。なんて、手のかからない子なでしょう~。娘が、第3子として私のもとへやってきてくれて、本当によかった。第1子のときには、昼寝をどうやってさせたらいいのかわからず、ひたすら、生活リズム大混乱&育児ハイ状態のまんま、長男を追いかけまわしてへとへと&へらへら(^^)の日々。そして、まんまと第2子受注。(当時長男1歳9カ月)第2子の切迫早産の診断が下り、突然の入院生活に。初産から2年3か月して、初めてオムツ替えをしない生活、独り身の時間(心臓2つ)。突然、母子分離状態となり実家でいとこと一緒に保育園生活がスタートした長男をかわいそうに思って?、長男の面倒みるためにパートナーは第2子の産前1カ月と産後1カ月の合計2ヶ月間、育児休職を取得。おもしろいのは、産前は第1子(当時2歳4カ月)の育児の名目で取得。(無給。ハローワークからの育児休職中の手当てもなし。国の支給対象は1歳~1歳半まで。夫の会社では3歳のお誕生日まで育児休職の取得が可能)産後1カ月間は、第2子の育児休職として取得=無給ですがハローワークからの給付金あり★会社も、前例のないケースだったので、社内規定などを改定して対応してくれまひた。ありがたや。第2子の産後は、妊娠中の安静入院生活の影響が大きく、また、産後1カ月で復帰した夫は復帰後3日目にはロンドンへ旅立っていったので。。。私の体力・気力が2男児の育児のタスクに追い付くのに、大変苦労しまひたっけ。でも、夫の育児休職中に、当時住んでいた世田谷区の「子育てカレッジ:産後のセルフケア講座」を申し込んでいたことで、救われまひた~。その後のわたしの足跡が、2007年1月(第2子の産後3か月のころ)にスタートしたこのブログでごじゃいまする。わたしが運よく?、2007年お正月明けに出会ったのが、「産後ケア」というヘルスケア。今日は、シンガの朝日新聞にも16日土曜日に掲載されていた「産後」に纏わる記事をご近所さん(昨年のシンガ出産仲間・産後11か月)がわざわざ持ってきて下さった。ありがとぉ。そしてそして、同じ階に生後5カ月の赤ちゃんがご来☆、先月されたことを知る。「日本で産後クラスを受講していらっしゃいました?」ってご挨拶の次に、聞きそうになって まずはご出身地から。。。と心改める。なはは。どこの地において、子育てをしていようと、家族の事情で、様々な困難を携えていようと、はたまた紛争の地に新しい命を授かったと、仮にしても、やっぱり、新生児を抱き、生活を再スタートする女性の健康は、なにより大切。世界の土台。未来の根っこ。今夜は、世界人口白書2010をダウンロード☆____<国連人口基金東京事務所のサイトより↓>国連人口基金 「世界人口白書 2010」平和と安全には、 女性の権利とエンパワーメントが不可欠 2010年10月20日ロンドン本日グリニッジ標準時正午(日本時間午後9時)、国連人口基金は「国連人口白書2010」を世界同時発表した。日本語版(抜粋)_____言葉が大切。言葉にすることで、明らかになることがある。言葉に残すことで、伝わることがある。わたしが1998年冬にネパールの山奥をあるくOKバジさんの後ろについて目からうろこ落ちまくりの日々を過ごした時にヒマラヤを眺めながら、青空トイレを経験し、そして、心に沸き起こった、テーマ。「(女性の)識字と自立」その後、北インドの土地を一人歩き、現地NGO,JICA,UNDP他のプロジェクト地を巡ってNGO事務所に寝泊まりさせてもらったり、国連OB宅にホームステイさせて頂き、職業訓練や教育の場を提供している、インド人によるインド人の子どもたちの為のNGOを見学させてもらったり、心ばかりの寄付をよろこばれ小さな基金を作って下さったり、バナラシのガンガー(聖なる川ガンジス)のほとりでぼーっと行き交う人々を観察したり、そんな沢山のことが交錯して、伝えたくて伝えたくて、インターネットカフェに立ちよりまだ、メールアドレスしか知らなかった彼(今の夫)に、インドからの便りを送った。マザーテレサの眠る施設マザーハウス(教会だと思いましたが。。違ったみたい)で、真っ白な棺の前に立った時、涙があふれてきてしまった。彼女に声をかけてもらったことはない。でも、彼女の作った孤児院を訪れたとき、ベビーベッドに4人も5人も一緒に入っていた1歳~2歳くらいの子どもたちが私に言った言葉が、耳から離れなかった。「わたしを一緒に連れて帰って~」大きな、大きな目が、しっとりと涙で輝く、その大きな瞳でとらえられ浅黒い手を差しのべられた自分には、本当に、なんと声をかけてあげたらいいものか、一体これから何をすべきなのか・・。NPOを通じて、奨学金をお届けしていた奨学生の女の子が、すこし崩れた藁ぶき屋根のお家から、恥ずかしそうに出てきたとき、なんだか私は、その出会いを静かな温かみのある光を浴びるように感じていた。その村で、ライムを手にわたしに微笑んでくれた、幼い女の子の写真。わたし、大好きな1枚だった。いま、あの写真はどこにあるかな、、。あの子は、いまどうしているのかな。。。農奴の家庭の子どもたちを、学校に通えるようにと必至で活動をつづけている現地NGO代表のご家族とのひと時は、緊張感をぬぐえなかった。学校に火が放たれたこととか、命を危険にさらしても続けている活動・・・。村村から女性が集まって、普通はしないような、人前での発言の機会をつくりお互いにマイクを手に、自分の経験やお話をする場に立ちこめる土埃とその埃をよけるために彼女たちがサリーの色鮮やかな布を顔にあてているしぐさ。もちろん、青空ひろば。2月だったけれど、わたしの心と体は熱かった。そして、余りにも重い課題を持って、わたしは帰国の途についた。当時大学5年生のわたし。卒業まであと1カ月。インドの圧倒的なごった煮状態の世界から、東京へ戻ると、わたしは表現する力を失っていた。1999年2月自分に一体何ができるのだろうか。就職後の毎日は、忙しかった。社会人となって、わたしが続けようと思ったのは南西アジアを中心とした貧困農村の子女に対する奨学金をNPO2050経由で届けること。1999年~地域の活性化、次世代につなげる指導者の育成、貧困を解消するために一番てっとりばやく、そして重要なことが、女性への支援。その第一歩が、奨学金。ネパール、そしてインドへの道を開いてくださった、NPO2050の方々に学びながら。でも、いつしか私は知る。最大に運よく、北インドの女の子が学校へ行く機会を持て、自分の地域に戻り先生や、他の職業につき、指導者的な立場につくことができたとして、結婚、出産を機に、はやり彼女たちも一つの壁にぶち当たるのだ。そう、産後。日本の産後とは、違う。でも、それぞれの「産後」。地域で指導者的な立場になれた女性だって、産後、子どもを抱えて、その先の人生をどのように生きてゆきたいのか。しっかりとしたビジョンを自分で紡ぐことができなければ何も始まらない。世界のどこで、どんな子育てをしていても。どんな困難の中で、子育てをしていようとも。☆★☆社会人になってから参加したフィリピンの貧困農村における女性向けの職業訓練及び、地域産業興しのプロジェクトの始動に際し、NPO2050代表にくっついて出向いた時、女性が職業を手に生きることのインパクトを知った。2001年夏あきたらず、またまた夏休みを当てて NPO2050の研修旅行に参加し、パプアニューギニアの地を訪れ三百を超える少数民族、500を超える言語という未開の地!に足を踏み入れてみれば、白い豪邸とヨットハーバーを見下ろす山の中には、都市へ流入した若者や貧困家庭がスラムを作って生活をしている集落があり、UNHABITATのプロジェクト地域を案内してくれた現地の案内人いわく「あの白い(外国人の)家家に爆弾をおとして、爆破してやりたいよ」と真顔で話していた。衝撃的だった。女性のことは、女性に聞かないと分からないよ。と、当時のUNDPパプア代表にお話をきいた。治安が悪く、女の子に安全に教育を受けさせようと思ったら、豪州など、外国での教育をさせる他はない、と言い切る人もいた。レストランでサービスをしている女の子たちに尋ねてみたら、きっと言葉にできない辛い経験をしている子ばかりだよ。とも。だれもが、きっと同じだよ。とそんな、暗黒に見える女性の地位の国にも、おいしい料理はあったし楽しいひと時もあった。きれいな海もあったし、極楽鳥もいた。きっと、パプアにはいつかまた行く日が来る。そんな、気がした。2002年夏今も、そう。でも、今はまだ、なんだな、きっと。(夫は近々訪れるそうですがね☆2010)母となってからも、はやりNPO2050のニュースレターを通じて大きな衝撃を受けた。それが、フィスチュラという病気による産後の女性の健康問題と社会からの隔絶の問題。2004年夏だったか・・自分の日本・世田谷での産後の体験しかしてなかった当時でも、その辛さを想像するに、涙がとめどなく出て仕方がなかった。そう、女性のことは、女性に聞かないと、わからんのだよ。識字それは、言葉の力。自立それは、女の力。「ことば(識字)と自立」~~~来☆して2年半。インドやネパールやパプアの国々は、日本よりもずっとずっと近いのだ。近いけど、そうやすやすは行けないですけどね・・・。がんばれ、未来の根っこ☆(ずらずらと書きなぐったようなエントリで申し訳ありません。おつきあい、心より感謝申し上げます。)
2010.10.19
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今週1週間は、長男(小1)の秋休み。金曜午後は、長男のお友達宅へ3匹をつれてお邪魔予定・・だったんですが、お招きくださったお友達のお母さんが体調を崩され、キャンセル。今日は半日保育でお願いした二男坊もお昼前にお迎えずみ。。さて、どないするべ・・・。大きなバックに娘っこの半日分の大荷物(ランチ・着替え・オムツ他)を詰め込んでもちろん息子たちのプールセットにお土産のおやつ、飲み物、二男の幼稚園バックにベビーカー、長男はサッカーボールを抱えていると、来たもんだ。。チャンギ空港?キッズアドベンチャー?いろいろ考えて、今日はプール日和ときたもんだ!そう、家のプールにGO!家に帰ろうにも、もちろんTAXIならひょいっと帰れるのは分っている。でも、いつでもTAXIとなると、お金もかかるし、子どもたちには便利な公共バスも大人気。よって、幼稚園の近くから路線バスに乗って帰宅。昼時の路線バスは結構混んでいて、ベビーカーを畳んで3人連れて乗り込むなり2席を譲っていただき、直後に3席目も。息子二人、そして娘を抱っこした私が、全員すわり、荷物は一塊にして私が片手で席とドアのスペースに置く&抑える形で出発。この体勢に収まる前に、男性がベビーカーを抑えてくださっていた。向かいに座ったローカルの女性二人がこちらを向いて話している。「シンガポールの女性はこうじゃないわね。」すこし、不安な気持ちになる私。目が合ったのを機に、その女性達と私の会話が始まった。お一方は、お孫さんのお迎え時間(午後3時)まで家に帰る途中とのこと。「韓国人?日本?」日本人です。「おおーー、「いちばん(日本語)」!(^^)」(^^)ありがとうございます。「お行儀がいいお子さんたちね。何歳?」ありがとうございます。1さい3さい6さいです。「私の孫も、1歳と5歳よ。娘は働いているし、二人を面倒みるので精一杯。 メイドを雇ったとしてもね、わっかい娘さんみたいな外国人だから、頭痛の種よ・・・ あなた、3人の面倒上手にみれて偉いわね。シンガポールには長いの?」2年半です。「これから(3人もつれて、お荷物を持って)どこへ?」家に帰ります。「どこで降りるの?」次の駅で降ります。「そう、一緒ね。それじゃ、荷物降ろすの手伝ってあげるわ。」ありがとうございます。「さっき、運転手さんも、マナーの良い子達だね、って言ってくださっていたわよ。」そうでしたか(中国語だったから分らんかったわ、わたし)。___幼稚園のお迎えをされているというお話好きな女性が、ベビーカーをおろしてくださりもう一方が、二男3歳の手を引いて降りてくださった。お二人とも、60代にお見受けしたがなんとも心あたたまる一時。一緒にいた娘っこはとってもよい子でした。息子二人は、サッカー選手のカードを手になにやらごにょごにょ話していた模様。自宅前に降り立ち、ベビーカーに二男を座らせて帰宅。3人連れて外歩きは(お迎えして帰宅しただけですが・・)、やっぱり大変。でも、こうして声をかけてくださったり、手助けをしてくださったり、子どもたちに怒って「カードしまいなさい!」とか「ちゃんと座りなさい!」とか声を上げていても、優しく見守ってくださったり、「いちばん!」なーんて、日本語で笑って下さったり、、いろいろな方々のストロークがあることで、わたしはこの島での子育てを楽しむことができている、そんな気がする。帰宅と同時に娘っこはお昼前のお休みタイム。荷物を置いて、ランチ、着替え、そしてプールへgo.息子たちがはしゃいで水遊びをしている間に、娘っこのランチ@プールサイド。ふと、左足の中指をみると、そこだけネイルが剥がれている。ネイル?ぺティキュアが剥がれていると思ったら、ちがった。足の爪が半分割れて、上半分が剥がれおちており、出血していた模様(止血済み)。その衝撃で、ネイル(ぺティキュア)は剥がれ落ちたのだろう。そう、帰宅途中で二男の足とベビーカーと私の足が絡まって痛みを感じた。そう、そんなことがあった。でも、だからと言って立ち止まったり、自分の足を覗き込んだりそんな余裕はなかったし、「痛い」という感覚を、「痛み」と捉えたから泣くこともないし、行動を止める理由にもならなかったんだわね・・・。自分が、こんなにも自分の感覚に反応するのが鈍くなっていることに少し、ショック。母は強し。という表現では、終わらせられない。少し反省。足の爪が半分に割れて、血が出て、半分剥がれ落ちたとしても3人の子どもたちを連れて、路線バスに乗り込み大荷物を抱えて帰宅する、女。そうだわね、女性達が言っていたように「シンガポールの女性はこうじゃないわね。」そうかもしれない。シンガポールの女性は、日本の合計特殊出生率より低い数値をたたき出している。共働きの家庭であれば、子育て期には外国人メイドを雇うのが普通。東京23区と同じ広さの国土ですから、結婚して実家を離れたとしても実家はすぐ近く。(最大でも1時間半程度)子育て期の共働き夫婦を、祖父母が全面的に支援している3世代協働生活がふつう。介護ライフの担い手も、もちろん外国人メイドは主役です。シンガポール政府は、家族単位での介護期の協力を推進し、外国人メイドの受け入れも1970年代から推進してきている。産前産後で合計4ヶ月間(昨年までは3ヶ月間)の育児休職期間。産後2日で退院がふうつ。入院中、こちらから赤ちゃんへの授乳の体勢や含ませ方などを尋ねれば、教えてはくれるが、夜勤・日勤などなど、都度都度応えてくださる方は別々だし、教えてくださることなんかも、結構一定ではなかったりする。授乳に関する指導は、1度退院前にビデオ(10分程度)を見て、助産師さん(ラクテーションコンサルタント)が赤ちゃん人形で実演するのみ。私が日本でお産をした時に体験した、「母乳マッサージ」なる助産師さんによる産後の母乳ケアは、ない。2日目からオシモだって自分で消毒だった。0歳児を抱えているときに、何度「まだ母乳上げているの?」と聞かれたことか。いろいろ、違いはあるが、わたしはわたしでやっていこうと思う。子ども3人の傍らで、日本人のわたしが、今この島でしている子育て。シンガポールの人々の温かな手、声かけ、席をさっと譲ってくださる優しさ、そして、毎日のこの灼熱の太陽。皮膚炎治療中の娘っこを抱きかかえ、週末がまたやってくる。わたしは、剥がれた爪の消毒しなくちゃ・・。今からかいな。。。日本のみなさんも、シンガのみなさんも、どうかステキな休日をお過ごしください。(とめどもなく、まとまりもなく、書いてしまいました。最後までお付き合いありがとうございます。)忘れちゃいけないことが1つ。わたし、哺乳類生活卒業できました。2010年10月11日大成功。娘っこ1歳1ヶ月。かわいいまっ盛りです☆母乳をせっせとあげていた自分のこの1年1ヶ月に、心から乾杯。特に何のトラブルもなく、卒業できたみたいです。2ヶ月後、日本に帰国した際にはいつもお世話になっている助産師さんに卒乳後のケアをしていただこうと思っています。ひとつ、育児の、というか 人生の大きなステップを終えた感じがする金曜日の夕方でした。おーしーまい。
2010.10.15
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UNFPA東京事務所のメルマガより(引用)━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━●●● ●●○ 国連人口基金東京事務所 [2010年09月21日発行]●●● ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━○○○ プレスリリース国連人口基金 事務局長、世界のリーダーに女性の健康を開発の中心課題とするよう求める━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━2010年9月20日国連、ニューヨーク国連人口基金(UNFPA)事務局長のトラヤ・A・オベイドは今日、世界のリーダーに向けて、家族計画を含む性と生殖に関する健康への財政的支援を増やすこと、そして女性の健康を各国の国家計画の中心に置くことを求めた。「言葉だけでなく、実際に予算をつけて行動に移すべき時が来ました」と、今日から国連本部で開催されているMDGサミットで行われているイベントにおいてオベイドは語った。「女性は子どもを産み、家族、コミュニティや国全体のために働きます。今こそ、女性を守るべき時が来たのです。新しい命のために失くしていい命はありません。しかし、この死は防ぐことができるはずのものです。今でも毎日1,000人もの女性が、妊娠や出産時の合併症で亡くなっています。今でも2億1,500万人もの女性の家族計画への需要が満たされておらず、200万人もの女性が分娩時の悲惨な疾病であるフィスチュラ(産科ろう孔)で苦しんでいます」「性と生殖に関する健康に投資をすることは、将来高い利益を産み、生産性を向上させ、経済成長と女性の権利をもたらすことにつながります。女性の健康は保健分野だけに焦点を置いたものではなく、教育、保健、栄養、ジェンダーの平等、そして社会基盤など、多くの分野の計画や投資などに関係するものです。例えば、道路や電気は、女性や家族を支援するための保健所の設置に向けられるべきです。国家計画は、家族計画、妊産婦の健康とケア、そしてHIV予防と治療を含む、総合的で手頃な価格で必要不可欠な保健サービスをコミュニティが享受できるよう優先的に計画すべきです」事務局長は、2015年までに国家の保健システムの強化や性と生殖に関する健康を誰もが享受できるよう、国連人口基金は支援すると世界のリーダーに断言した。「私たちは世界保健機構(WHO)、国連児童基金(UNICEF)、国連エイズ合同計画(UNAIDS)、そして世界銀行と共に、優先度の高い国において、妊産婦と新生児の死亡率を減らすために共に取り組んでいる」とトラヤは語った。リプロダクティブ・ヘルス・サプライズ・コアリション(Reproductive Health Supplies Coalition)と協働し、国連人口基金は、2015年までに1億人の女性が家族計画に必要なサービスを享受できることを目標としています。私たちは、各国の助産師の育成や配置、またフィスチュラの予防と治療についても途上国政府をサポートしています」「国連人口基金は、9月22日(水)に国連事務総長によって発表される、2015年までに1600万人の命を守るための、母子保健のためのグローバル・ストラテジーを全面的に支持します」とオベイドは結んだ。(中略)●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○国連人口基金東京事務所〒150-0001 東京都渋谷区神宮前5-53-70 国連大学ビル7階TEL: 03-5467-4684FAX: 03-5467-8556tokyo.office@unfpa.or.jphttp://www.unfpa.or.jphttp://twitter.com/UNFPA_Tokyo○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●引用は以上これから、22日のプレスリリースを見よう。
2010.09.22
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あら?気がつけば金曜日?昨日は、7月に来星してくださった恩師の新聞投稿記事を姉が携帯メールで送ってくれて、届いた。嬉しかったぁ。言葉にするって、すばらしい。あ、まだ言葉の喋れない娘っ子が、なきだした。
2010.09.17
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こんにちは。朝からスコールと雷のシンガでしたが、今お昼前は静かな曇り空になっております。今日は、ふと午前中にシャワーを浴びていて思ったんです。「書くことをやめちゃ、いけない!」と。日記なんかもなかなか続かない私ですが、やっぱり、感じたこと、経験したこと、考えたこと、想いなど充分な表現することは難しいけれど、少しでも、アウトプッチ(ト)をしてゆくことが必要と。昨日、バレエのお教室へ久しぶりにお伺いしました。お教室の夏休みもあったり、先生のご都合のキャンセルもあったりなにやらかんやらで、2カ月ぶりのレッスンでした。夜には、体は心地よい疲れによって、眠りに誘われました。一つ一つの体の動き、ほんの小さなポーズ、腕の角度、本当に、見ていることと、実際に体を動かしてみることは異なるもの。少しずつでもいい、やってみよう。好きで始めたことだもの。続けないと、意味がない。やりたいのだから、やればいい。シンプル。Ni hao ma? 元気?シンプルに、生きたい!勝手にすればいい☆そうすれば、いい。(ことりが、窓辺にとまってる。あ、飛んで行った♪)
2010.09.15
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9月半ば。気がつけば、2010年もあと110日弱?お久しぶりのエントリになります。みなさん、ご機嫌いかがでしょうか?わたしは、無事産後1年をBali・インドネシアでお祝いしてシンガに11日に戻って参りました。英国、日本、シンガの恩師・親友・お友達・先輩からは、父母から生を受けた日(13日)のお祝いのメッセージもいただきました。時を同じくして、学生時代に中国で共に活動をしていた(政治的活動じゃないでっすぅ)仲間の一人が、病床にある知らせが届きました。「初めまして」で、連絡を取り合った友達のパートナーさん。突然の病、そして何と言っていいのか言葉がみつからない友の容態。いのちの鼓動は続いている。飛んでお見舞いに駆けつけたい気持ちと、自分のやるべきことの優先順位に泣ける。傍に行って、その優しさに、感謝の気持ちを伝えさせてくれ。わたしの帰国便が成田につく頃、友人よ、あなたに会えたら嬉しい。でも、もう十分にがんばってるよ、あなたは。明日は、パートナーさんとの愛の奇跡2周年記念日なんだってね。あんたは、やっぱり優しいよ。母から、生まれた日の様子を綴ったメールが届いた。先週、父母宛に投函した手紙がちょうど13日に届いたとのこと。よかった。今回は「おめでとう」、だけじゃなかったメッセージが多かった。「自分をもっと磨いて」とか、「しっかり学んで」とか、「体を気をつけよう」とか、「思いやりを持った行動を!」とかね。友人のパートナーさんの言葉が最強だった。「最期まで幸せだったと思ってもらえるように、がんばります。」いのちが続くと、「おめでとう」なんだ。いのちは、始まった瞬間から「おめでとう」が続くよ。最期の「鼓動」まで生きている。人は、「生き抜く」友よ、2周年おめでとう。あなたの手を握って、言ってあげたかった。「おめでとう」の次に、友にわたしはなんて言おうかな。会いたいよ。あなたに。強く、あなたらしく、生き抜いて。あ痛い(→変換ミス・・)会いたいよ。なんでだよぉ。だって、あなたは今も生きている。「おめでとう」のつづき、それは、あなたへの感謝・愛だ。みなから届いたメッセージを常に心に、わたしも生きてゆくとあなたに誓います。また、会えるよね。きっとね。
2010.09.13
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お久しぶりです。あまりにも長い間ログインをしていなかったのか、ログインパスワード間違えてしまいまひた・・。ほひゃ。気がつけば、2010年7月末を迎えている。最終日の明日31日は、長男の親友くん(2週間後に同じインター小学校へ入学予定)のお誕生日Partyです。カード、書かないと!っていうか、長男に書かせないとぉイロイロかきたいことはある。あるけれど、今はこれだけ。また時間を作ろうと思います。ステキな週末を!
2010.07.30
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七夕が過ぎ、☆が動いたのか??うごめき始めている、そんな今日。家族、友達、恩師、過去・現在・未来、新しい出会いへの一歩、新しいいのち、大きなお腹、日本・ノルウェー・シンガ・フランス・ドイツ・ニジェール・メキシコ・ベトナムを行き交う人々とのやりとり。様々なステージで出会った人々とのご縁とつながり。うわぁ、なんだかキャパ拡大中?オーバーフロー目前か?動き出し直後に・・・足元見て、進もう!まずは、掃除じゃ☆
2010.07.08
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私の中で、どうにも上手に言葉にできない大切なこと。いのちの奇跡竹内正人先生のサイトを拝見して、今日改めていのちの軌跡 が 姿形を変えて存在し、生き続けていること・・・・・でいいんだって、思えた。☆に願いをこめて今夜は休もう。大切な人々の願いを胸に。
2010.07.07
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園バスをスルーしてもらって、2週目・・・。週末には元気になった(と思う、そうとしか思えない!!)息子らに月曜午後からは幼稚園へ言ってもらおうと★月曜午前に小児科受診!幼稚園バックに着替えや水筒、大好きなおやつまで詰め込んで。手足口病は隔離部屋にて受診でごじゃる・・。子どもらもマスクを着用。私たちの前に、どんな病気の受診患者さんがいらしたかわからんので、クーラーがきつくて保温用のタオルを借りようにも少しばかり勇気がいる。もうこれ以上病原菌さまのご来訪は、ご勘弁を・・・。隔離受診部屋の良いところは・・・、TVにDVDがセットされており、子どもらは日本語のドラえもんに夢中で、しずかーに座っていてくれることか・・。(ローカルTVで、ドラエモンが放映されておりまするが、音声も字幕も中国語なんですなぁ・・・。喜んで毎週みていますけど、息子達♪ しずかちゃん(ちんしゃー)も、のびた(だーしょう)も、じゃいあんも(ばんこう)、つねお(しゃおふー)も中国語名の方が、子ども達の口から先に出てくるから面白い。日本名もちゃんと教えてあげないと。。。)DVDに夢中になっているうちに、待ち時間終了★母:先生こんにちは。小児科医I先生(以下I):おはようございます。さて、どちらからにしますか?母;お兄ちゃんから、お願いします。I:で、どこが一番症状がひどかったばしょだっけ?診せてください。母:え、口です。I:あぁ、おかぁさん(先生は私をコウ呼びます。)、これ、まだもう少しですねぇ。母:あ、、、、そうですか。じゃぁ、明日また来ます。I:これは一日じゃ、完治しそうにないですから、水曜日朝一でいらしてください。そしてその足で、幼稚園へ送ってあげましょうね。母:あ、水曜ですね。了解です。午後から幼稚園作戦、しっぱいしちゃいました(笑)I:あははぁ、わかりますよぉ、お母さん。幼稚園行ってほしいもんねぇ(^^)母:はいぃ。(お次は二男坊)二男は、舌がひどかったです。I:お、こっちはもう大丈夫そう。もう明日から幼稚園いけるね。母:ありがとうございます。I:はい、じゃぁ今日はお薬はなしね。証明書を発行しておきます。では水曜日に!お大事に。母:ありがとうございましたぁ。(息子らに、挨拶をさせようとするも、彼らDVDに首っ丈・・・・どんだけ日本語に飢えている??って言うか、先生にご挨拶ぐらいしなさいぃ!!(怒))~~~~~そのまま、お会計の方が来てくださるのを待つ。もちろんDVD観ながら・・・。ついでに個室をいいことに授乳もすませちゃう。なは。はぁ、かくして、2週目の月曜日も3人の子守がつづくのでありました。病院のあるショッピングモール1階のパン屋さんで、ご近所さんに会う。そちらも、同じ病院を受診された帰りだとか。でも、会わなかったねぇ、って、そうなのぉ、我が家は隔離部屋で受診組みなのよぉ(涙)お昼をご一緒したくても、お子さんにうつしたら大変!!ということで、パン屋さんでバイバイ。病院を出れば、子どもらも私もマスクはポイ!考えてみれば、家の外を出歩くっていうことは、様々な汚染物質と共生してゆくということなのだなぁ、と実感をする。<第3子は自ずと強くなるはず。。家にいるのに、病原菌に囲まれてるんですから。。0歳で★>免疫UP!健康第一!母ののど風邪も、ひどくなる前に撃退せねば★2010年の6月は、なんだか看病三昧で、月末を迎えそうです。ただ、手足口病がこれほど3歳児に辛い症状が出るとは(症状の出方は人それぞれだそうなんですが、二男は口の中がひどかったです・・・・。泣いていました。4日間。)、初体験の看病体験でした。どうかどうか、長男の回復で、我が家の病院通いが終了しますように。姫(9ヶ月)に、うつらずに過ぎてゆきますようにぃ・・・。あ、今日6月21日(月)は甥っ子のお誕生日だった!よかった、思い出して。よかった、日記を書く気になって。って、おおおおーーーーい、昨日が21日だった??よね。あぁあぁぁ、、、ごめん、今日お電話するからねぇ(涙)曜日感覚も、日付も、ここのところ、すっかり頭からふっとんでる・・。反省。みんな元気になったら、快気祝い★しよ。マッサージにでもいこか。久しぶりに、ボタニックガーデンへお散歩に行こうかな。
2010.06.22
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木曜日、いつも月曜日にヘルパーさんが来てくださるのに夕飯の用意をしていると、玄関のベルが鳴ってドアを開けると、彼女がいた。靴を脱いでいて「I Help You」と、家に上がってきた。あ、あ、と頭の中で計算機が時間給などを思い浮かべてしまった私。彼女は、昨年娘さんが第二子を出産され、産後ヘルプも通いの形で続けてこられたおばあちゃんでもある。3匹の子豚。。。もとい、子ども達の看病でてんてこ舞いであろうと思って仕事帰りに我が家によってくださったんだ。「ご飯つくっちゃいなさい。」って、娘を抱っこしてくださって、幼稚園に欠席中で遊びたい一心の二男坊と遊んでくださった。長男とも、同様に。一時間弱だったかな。夕飯の準備も終わり、彼女も家に帰るわぁ、と言うので、「ご飯食べていってください。」って、初めてお誘いしてみた。旦那さんがお迎えに来るので、「ごめんねぇ、ありがとぉ。」って笑顔でお帰りになった。わたし、ありがとうの気持ちが溢れてきた。ドアを閉めると、リビングに山積みになっていた洗濯物がすっかりキレイになくなってそれぞれのタンスへ静かに収まっていた。手早い。ありがたい。何よりも、押しかける勢いでヘルプに来てくださったお心遣いが、胸を熱くした。シンガポールのおばあちゃんみたい。ありがとう。~~~土曜日の今日、義父母から子どもらがリクエストをした おせんべい が箱いっぱいに詰め込まれて、届いた。お礼の電話をしたけれど、義父は不在。義母と2週間振りに話をした。おばあちゃん、おじいちゃんがいるって、なんてありがたいことなんでしょう。子ども達には、かけがえのない大切な祖父母達。そして、私ら夫婦にとっても、同様だ。明日は、父の日。今年の母の日同様、なんら贈り物の手配もせずにのんきな私。感謝の気持ちは、届けようと思う。
2010.06.19
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近所のラサール芸術大学の卒業制作の展示会 The Lasalle Show へ。様々な素材や空間、衣服やアニメーション、多彩な芸術作品に触れることができました。って、そこで見かけたオブジェに、思わわず話かけたくなってしまった、わたすぃ 「ボニータさまっ?」人違いかな、内股だし、肩に力入りすぎ?背中の溝も浅かったからなぁ・・。
2010.06.11
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火曜日、体調が良くなりバレぇ教室へ!小さな頃、憧れてみたが自分の体型には無理。と、諦めていた♪バレリーナの夢。産後、3人産んだあと、ここシンガポールだからか?勇気を出して、楽しみな時間として、ご近所さんと通い始めて3ケ月目。春は一番好きな季節なのに、なぜか体調を崩すパターンのわたし。今年も、やっぱりそうでひた。でも、今日から再開できて、嬉しい。午後にたった1時間のクラス。(産後のリシェイプクラス:ストレッチなどが中心で踊る以前の段階のクラスですが)でも、体だけじゃなくて、心もすっかり幸せモードになりました。お料理だって、いつも嫌なお片付けだって、お洗濯ものたたむのだって気分がかなり高揚していて、楽しくできました。よかった。気がつけば、「踊れるお母ちゃんになりたいんです」(^^)って元シンガポール国立バレエ団のバレリーナだった先生に言い放っている自分がいた。少し、張り切りすぎかもしれないが、先生のように美しい腕の動かし方、デコルテから視線の動き、指先の柔らかさ、などなど憧れているだけじゃなくて、鏡の中にいる自分の体で表現をしてみようと努力することが 楽しく感じる。やっぱり、今夜もバレぇで使った筋肉の疲労や緊張感からか夜になると、疲れの他に少し不具合あり。。でも、続けてゆきたいと思っています。鏡の中のわたし☆まだまだ、盆踊りですけど・・・。
2010.06.01
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「先が見えないと、嫌なんだ。」と、リビングのカレンダーを6月に替えていた相方。デスクでは、半月するとカレンダーは翌月にしているそうだ。びっくり。わたしは、1日の朝に「あぁ~、●月だぁ。カレンダー替えよう!」という人。ま、私の場合は、カレンダーの上に、数か月先までイベント(園行事など)や備忘碌をちょくちょくメクッテは記入しているところが、相方と違うところかな。相方は、カレンダーには書き込まないタイプ。小さなことですが、それぞれの価値観、関わり、好み、ありようがあるわけ。それが、当り前か。共同生活って、そういうものをひっくるめて共に生きてゆくことなんだわな。全てにおいて。当たり前のように、お互いに目配りができ、そして互いが思いを伝えあい、そして子どもらの要望に最大限応えてあげようと、タッグを組んでゆける。そんなパートナーシップを念頭に、今の絆を、より強固なものにしてゆけたらと、思っています。\\\\\\楽しみな先の見通しは、そして・・・6月:園児夏休みプログラム&3学期スタート、らんぶーたんの集い、歌の集い、マドレ仲間、娘予防接種&健診、二男予防接種、友人のお誕生日会、マグロの解体ショー、妊婦Mちゃん宅へ・・7月:園児写真撮影、日本語スピーチコンテスト、らんぶーたんの集い、恩師&友人来星、長男卒園&入学準備、日本人会大運動会、ご出産予定の友人U宅へヘルプシフト・・8月:長男卒園&入学&語学テスト、義父母来星、日本人会夏祭り、相方40歳9月:娘1歳・私35歳、旅行、らんぶーたんの集い、歌の集い10月:二男4歳、アニュアルディナー(子連れ不可)、歌の集い細々としたことは、できる時にさっさと済ませよう。楽しみがてんこ盛りじゃ・・。熱も出したり、突然加わることもある。まだまだ、いろいろあるんだわね☆楽しいことが☆>>>>>いたずらに、時は過ぎてゆく。南洋ボケしたおばあちゃん体質では、楽しめない!!自分のこと、しっかりしよう。プライドを持って。夢も、持って。子どもらと共にあるこの常夏暮らし、一つ一つが、記念日のつもりで。大切にしよう~っと。子どもとの会話も。見えにくい、先のことだけど・・・・つどつど、自分の手を動かして書き出してみよう。先のことは、今この胸の中に。
2010.05.30
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今日は、病院へ。2日前から首とその周辺(背中上部・背骨)が痛むようになり夜中の授乳で起きるのにも、時間がかかるったら・・・。娘号泣でごじゃいまする。寝返りもままならず、、でも日中には少し回復して、抱っこもできるようになるんですが、体を休めると、一気に症状が悪化。休めることが必要なのか、服薬が効果的なのか、それとも整体?ストレッチ?緩やかに温めること?シップ?自分の体なのに、痛みがひどくなると何をどうしていいやら・・。医師の処方してくれた薬、いつもあんまり服薬せずにいる私。今夜は、どうしよう。(今日は、痛み止めと筋肉をほぐす薬2種類)どうやら、この暑さもあって体が悲鳴をあげつつある様子。日焼けと汗とで皮膚炎がすごい。特に両肩と腕と足の甲。体調が悪いと、必ず調子が悪くなる歯。歯肉炎が続いている。おばあちゃん化してる、気がする・・・。持病の薬も、最近サボってのんでないな。血液検査も産後ちゃんと受けていなかったっけ。のびのびにしてた。体の悲鳴、ちゃんと聞いてあげよう。新しく始めたいことは沢山ある。でも、今は整えることが 必要なんだと思う。時間、無駄にできないな。5月が終わる。
2010.05.29
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北緯一度で生活していると、高湿度・年中高温の毎日でやっぱり寝心地良いのは、軽くクーラーを入れながら休むこと。2年目まではあまり利用しなかったんですが今年になってからは娘がクーラーきかせているとよく寝てくれることなどもあり、少し利用頻度が増えました。今も、子ども部屋とベッドルームで2個稼働中。「今夜は遅くなるよ。」、と相方が朝言って出かけました。深夜1時半を過ぎても、お仕事中なんだわなぁ、大変。今日はどこ時間のお仕事をしているのでしょう。シンガはアジアだけではなく、世界各地のお客様拠点とのお仕事があり地球上のどこの拠点さんと一緒に仕事をしているかで相方の勤務時間はいろいろ変わりまする。子どもたちは時折面白いことを言います。「おかあさん、お父さんが帰ってきたら「お帰り」って言ってね。 ぼくは(朝起きたら)「おはよう。」って言うから☆」「お父さん、また来てねぇ!」→ 朝のお見送りの際に・・・夜起きている間に帰宅すると、玄関まで猛ダッシュで駆けつけて「おとうさーーーん☆」「ダディーーー☆」と抱きつき くっつき、よじ登り(^^)2匹の猿が飛びつきまする。最近は、娘もお座りしつつ、ジャンプしそうな勢いで 喜んだ表情を見せ相方の帰りを 子どもたちは心待ちにしている様子。きっと、働く人には 帰った時に迎えてもらえる空気って大切なんだろうなぁって思います。寝かしつけで小一時間絵本を読み終え、そろそろ消灯ですって時に帰宅する相方に昔は キィーーーー(怒)ってなっていた私。最近は、脱力こそすれども、「お疲れ様」って思えるようになった。少し、進歩か。これも不思議なもので、産後2か月のころは違った。遅くなる理由が、どうしても 仕事だけ と信じられなかった。←爆(かなりの被害妄想?信用不安?パートナーシップの危機?どうなる私達?って 一人勝手に困っていましたっけ。。。産後2か月って、自分は尿漏れとかでも 少しへこんで困っていたころだったっけ・・・。)色々な疑惑が 勝手に思い浮かんできて 私の心を離さなかった。・なんでTシャツのタグが前のまんま?一日中それ着てたん?・タグ前後ろ確認したって、それ朝?それとも。。?・今日、足裏マッサージでもやってきたの?足裏今日きれいすぎない? とか。。・・・勝手な思い込みって、怖い。でも、もっと怖いのは 本音で語り合えない間柄になってしまって気づかないことか。産後って、本当にへんてこな自分になることがある。今回の産後は、ご近所さんによく笑われたっけ、私。そして、笑い飛ばしてくれることで、ずいぶん救われて来た気がする。産後8カ月の今、元気に過ごしているけれど実は、ちょっと要注意な時期なのかもしれない。浮き沈みが、思ったよりもある。心と体に、もう少し 耳を傾けて過ごしてみようと思う。産後だからこそ、語ることって大切。言葉にすること、会話をすること、互いの意見を照らし合わせること。互いの言葉に、応えること。今年、結婚10年目を迎えている私達夫婦。パートナーシップは、まだまだ序の口これからか。お部屋の空気はひんやり涼しくなっても二人の仲は アツアツ常夏モードであり続けたい☆←アツアツ?ってぇ・・・?空調同様、適宜 調節しつつ参るべし。 2時amでーす。
2010.05.24
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今日は、月に1回の多言語サークル。シンガ在住日本人家族2組と、クアラルンプール(マレーシアの首都)から1組の参加。そして、ローカルの学生&社会人10名位。赤ちゃんと同じように、多言語を自然習得してゆこう!という活動を日本人とローカルメンバみんなで一緒に様々な歌やダンス、ゲームや語り、を集う場を通じて続けている。クアラルンプールから車で3時間半かけてきて下さったご家族(小3と年中さん)と我が家の息子達(6歳、3歳)はとっても波長が合った模様。娘8カ月も、参加者のみなさんにかわいがられて、本当にいつも楽しい会なのだ。参加者みんなが、子どもも大人も、大切に受け止めてくれる。一緒に手を握ったり、走り回ったり、歌を歌ったり、みんなでやるのだ。赤ちゃんを抱っこしてくれたり、中国語やマレー語、スペイン語や福建語や韓国語など様々な言語で遊んで、そして、わたし自身も、のんびりと楽しい時間をご一緒できる。今日は、午後1時から活動開始。最近オープンしたマリーナエリアのパルコ(日本から進出!)へみんなで繰り出し、夕飯までご一緒して、幸せお腹満腹、心もふんわりで帰宅。東京24区とも称されるこの小さな島、シンガポール。積極的に、意識的に、このマレー半島周辺に暮らすローカルの友人たちとの関わりを持つことは、日本人としてこの地に暮らす上で、とっても大切なことと感じる。それはきっと、私にとっての世界の広がりであり、同時に子どもたちにとっての第二の故郷=シンガポール(マレー半島の突端)へ根を張る、大切な積み重ね。人は、地に足を付けて 成長してゆく。その土地に住む人々との交流なしに、その成長に広がりと安定感を兼ね備えることは難しい。海外だからこそ、日本人同士の交流が大切な経験となることと同様にローカルの人々との関わりを、大切にしてゆきたい。シンガポールが私は大好き。子育て家族にとっても優しいから。日本帰国が決まったママが、共通して思い浮かぶことは「シンガポールに居たい!」ということらしい。私の聞いた範囲の話ですが。。。湿度はほぼ毎日60~80パーセント、平均気温は年間を通じて27度の北緯一度。赤道直下のマレー半島の突端の小島、シンガポール。楽しんでゆこう。日焼けした肌をいたわりつつ・・・・。
2010.05.22
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産後8カ月という時期に、わたしはどうやら内なる思いが冴えわたる?と言うか、溢れだすようだ。第1子の産後8カ月の時(2005年1月)・・・・夢を観た。そして 見知らぬ人から プロポーズ をされる自分がいた。そのプロポーズというのが 変。「君は、きっと(これから)僕のことを好きになるから、お嫁においで。」そして、そのプロポーズ大作戦のダイナマイトが投げられた「世界旅行に君を連れてゆくから。どこへでも。」とな☆妊娠前はあっちへこっちへと旅していた自分が、妊婦になってからというもの旅らしい旅をしていなかったことが、どうしても、いやだったらしい・・・。そんな話を相方(父になって8カ月)に申し入れ、わたしの産後旅三昧の1年が始ったのでありました。その月に長男8カ月のパスポートを取得し、翌月雪のソウルへ焼き肉ツアーに始り、その翌月には 相方の出張先へ長男を連れて出国。初の国際線母子旅。その旅先が、ここ、シンガポールでありました。ご縁ですな・・・。その島へ3年後引っ越してこようとは、ましてや第3子を産むことになろうとは・・・・。その年2005は旅の勢いは止まらず・・・鹿児島(曾祖母達に会いに)英国(イギリス&ウェールズへの旅)仏国(パリ・ベルサイユは美しかった・モンさんミッシェルは行けなかったけど・・)泰国(初めてのタイエステに心もとろけた・ゾウさんが路上でうんちぼとぼとしてたけど・・)2005は貯蓄0の年の瀬・・我ながら恐ろしい、どんぶり旅行っぷり。で、また懲りずに妊婦になってるんですわ。年明け2006年2月には☆~~~日本で産後8カ月目をもう一回迎えたことも[第2子]忘れがたい。第二子の妊娠を確認した日(長男1歳9カ月)に、産後ケア入院などの韓国の産後事情をお聞きする会(渋谷)に足を運び、第一子の時に空回りしていた地域での子育て仲間との繋がりなんかを振り返りながら、産後2007年にリハビリツアーを半年みっちり楽しんで、その後は子育てと国政を考える四つ葉PJさんに学び、そして子育て支援に興味を持ち始めていた頃。ちょうど産後8カ月を迎えた頃(2007年夏)のつぶやき(長文)はこちら。そう、今思えば、二男との旅をスタートしたのも、産後7~8カ月の頃でした。沖縄(久米島)の美しい海で、泳いだのが、初国内フライト。2007年7月沖縄のお料理がおいしかったぁ!お宿のスタッフもとってもよかったぁ。二人の息子を連れて、初母子(2男児)国内旅は福岡便。2008年3月その時にであった、一風堂(本店)さんの味を、これまたシンガで味わうことになろうとは、、ご縁ですなぁ。一風堂さん、昨年シンガポールへ進出。ベビーカー(娘4か月頃)を押して、食べにいっちゃいました☆2010年1月おいしかったぁ。~~~そして、今、どうしてこんなにも自分の中が 騒々しいのか?と不思議に思った。そっか、私にとって 産後8か月というのはきっとそういう時期なんだ。赤子も動き出したしね。3回目の産後8カ月。自分のくせ?というか、心と体のパターンが分かってくると付き合いやすいかも。8カ月の娘との旅も、先週のマレーシア・レダン島の旅でスタートした☆もう、どんぶり旅行三昧っていうわけには参りませんが★やっぱり旅が好き☆ここは常夏!北緯一度★いけるところまで、行きたーい★そう、時間は限られているから。(あ、バジェット[予算]もだった・・・。)思いは溢れだすタイミングでも、お金は湧いて出てきませんもん。産後8カ月、まずは家計簿の見直しからかぁ元気で働けるお母ちゃんを、目指していることやっぱり忘れちゃいけない。そんな風に、今は感じる。メモしておこう。人生という旅を、これからも、もっともーーとあなた達(家族)とともに楽しんでゆきたいから。世界一競争力のあるというこの島、小さな島。ここに今、わたしが学ぶべきことは、沢山ある。そんな風に、今感じている。
2010.05.21
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一年で一番暑い季節を迎えている、シンガポール。5月は、本当にいろいろある。常夏3年目のスタートじゃ。風邪っぴきになりやすいので、というか調子を取り戻したばかりの子ども達。園から帰ったら、まずは手洗いうがい!と、たったこれだけのことをやらせるのに、大騒ぎ・・・。長男はやっぱり成長した。6歳ってすばらしい。二男3歳半は、これはギャングそのもの。母も毎日のことなのに、毎日どなっている自分に呆れて、終いには二男に水をカップでばしゃーーっとかけて「かってにしなさい!」と洗面所のドアをバタン!とやっちゃうわけでした・・・。かなり自分的にも引く行為だがその時には止められない。でも、ここは二男坊、さすがです。「つめたぁいいぃ。(涙ぐえっぐえっぐえぇ。。)だっこしてぇ。」と来るから、こちらも抱きしめて 謝るのでごじゃいます。(で、そこでうがいを二男がするかは、その日による・・・、かなり中途半端。 どうか、母の思いが、いつしか彼らの心にしみ込んでくれますように。 ・・・あ、水をかけたりするのは、忘れてちょ・・。やっぱり身勝手な私・・)どうにもこうにも、二女の私と二男のバトルは まだまだ 続きそう・・。そして、着替えが終わるころに、二男は言うのです「マミーマミー、さっき、頭からお水がでてきたよ(^^)」っとな。どこまでわかってんだか・・・。おちょくられているのか、わたし。そんな騒ぎを、穏やかに?したたかに? 見ている 娘ちゃん 8カ月。ハイハイで、あっちへ こっちへ 大冒険中。長男のレゴパーツを拾い集めては、ひやひやの母。子どもらの騒ぎがおさまり、パートナーと話をする時間が持てたところで言葉がついて出てきた。「子育てだけしてたら、おかしくなるっつーの。」(なぜか天井に向かって話している私・・・)パートナー「じゃぁ、ママさんたちにお話をして・・」そうね、もちろん、本当にママ友さんとの時間も超×1000大切&必要!幼稚園へも娘を連れて週一回、クラスのお手伝いへも行っているし、来月からはバレエに加え、新たにBabyと体操教室もスタートで楽しみ。でもねふと、手元にあった、先日のベビーシッター利用時のパンフに目がとまったの。「ベビーカーフリーで過ごす時間。」というフレーズ、これ、なんだか昨日の自分にはぴったりと感じたのでした。~~~~いろいろあるが、そして なかなか 進歩できない自分が今もここにいるが今朝は、パートナーが起きてこなかったので 自分で子どもらの身支度からお食事からおむつ替えやら、何やら全部一通りやっていて、子ども達一人ひとりを、ぎゅーって抱きしめてみた。「今日もかわいいね」って、言うと 「かわいい子の母にしてくれてありがと。」て素直に感じた。それぞれかわいいのだ。そう、それは確か。そして、今傍らにいられる時間も、限られているのだ。そう、そう思って、いまこの選択・生活をしている。でも、自分なりにそろそろ、変化の兆しを受け止める時なのかも。娘ちゃん、お目ざめ☆そうそう、子育てしててもしてなくても、きっと大切なんだ 生きるには変化してゆくことを 恐れないことが。ネットで今日出会ったフレーズ、自分なりの注を加えてメモするべ。”acquire life skills before starting their families.”向いあい、そして受け止め、わたしは変わってゆきたい。
2010.05.21
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愛とは、なんだべか。ご縁とは、何たるものか。子どもの日が、間近に控えている。子どもを授かることがいのちの意味合いに劇的な変化を もたらすことを生きている間に 知ることができたことを わたしは 感謝したい。~~~~夜空に、月が浮かんでいる。同じ月を、今 どこかで 見上げている人が いるんだ。夜空にまんまるに美しく 輝いている月の光が 好きだ。静かで、星空と調和しているから。満天の星空を、もう一度。月夜に願う 常夏の春。
2010.04.26
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