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今週は、月、火、水と週頭から快走して仕事が集中してはかどったんだけど、終わりが見えてきて、ラストスパートを迎えた今日はなんだかダラランと中だるみ気分。夕べ、ノーマンロックウェルとエッシャーのDVDを観て気分が次の制作に移ってしまいそうなせいかも。ノーマンロックウェルはアメリカの国民的画家で感情表現豊かな古き良きアメリカを描いたアーティストでした。あたたかい作風が私も大好きです。ごく普通のアメリカ人の働く姿や日常を描いているのです。床屋さんや鍛冶屋さん、カフェのカウンターや村の寄り合い所、元気な子供たち、希望に満ちた恋人たちや新婚さん、大家族で囲む温かな食卓。。DVDのなかで何人ものアメリが人が作品のコメントをするのですが、「彼は理想のアメリカ人を描いた、善良で前向きで希望に満ちた普通の人々。」と言う表現をして、実際は違うんだと言っています。彼の絵を見てちょっと悲しくもなると言う女性がいました。「普通の人々」とはなんなんだろうかと考えてしまいました。「普通」というものを自分は持っていないと感じている人が多いのです。安定した安らぎと平和のある、健康的な温かい世界がロックウェルの世界観です。日本も同じです。「普通」と形容されることを日々実現するためには大変な努力がいります。ある面ではとても恵まれていたとしても、別の面では普通の人がうらやましいと思うかもしれません。ロックウェルの絵の題材も後期になると、公民権運動での事件をテーマにしたりーー初めて白人学校に入学した黒人の女の子にトマトが投げつけられている絵は有名ですーー社会的なテーマを中心にとりあげました。ロックウェルが人気だったのは、一般のアメリカ人の心を代弁したからです。こんなちょっとしたことが日常であったら幸せだなあ、こんなことがあったら胸が痛いな、あんなことは許せない、そういう声を絵にして、ずっとアメリカの人々の心と一緒にいた画家でした。毎号100万部という雑誌サタデー・イーブニング・ポストの表紙を47年間飾り続けました。各家庭に必ず1冊あり、みんなの共通の話題でした。アメリカの田舎には美術館はないけど、ロックウェルの絵だけはみんな知っている、美術を目指す若者は、ロックウェルに影響を受けた人もたくさんいました。温かい理想の世界を書き続けたロックウェルをセンチメンタルな理想主義者だと言うことは簡単です。でも勤勉なアメリカ人同様、朝早く起きてアトリエへ通って、きっちり50年以上描き続けるのは、名人の職人のようで、そういう世界であってほしいと言う彼の願いのようにも感じます。
June 5, 2008
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取引先の方が通われている早稲田の特別講座に代理で出席してきました。とても勉強になったのでブログに書くことにします。この講座はGMOの熊谷社長が寄付&講演依頼をされて実現した豪華メンバーの公開講座で、未だキャンセル待ちが数百人という人気です。早稲田大学寄付公開講座「リーダー12人による勝ち組ベンチャー企業の条件」今回はその内の1つ株式会社レックスホールディングス 代表取締役 西山知義氏の講演です。講演での西山氏の印象は、情熱的で厳しいけど、とても暖かい誠実な人柄というもので、男性の経営者に好かれる(結構いろんな記事でいろんなベンチャー経営者が西山さんが好きと話しているのを読んだ記憶が・・)理由がわかる気がしました。-------------------------------------------------------------------西山知義氏 1966年3月世田谷生まれ 妻・子供2人の4人家族 父親が不動産会社を経営していたがオイルショックの際倒産 父親の影響で起業家を志し、大学を中退、不動産会社で1年勤めた後 21歳で独立。不動産会社を創業。30歳で焼肉店を開き外食産業に参入。 商号を(株)レインズインターナショナルに変更し上場。 昨年株式会社レックスホールディングスに社名変更し、現在に至る。株式会社レックスホールディングス 1987年6月 不動産会社 国土信販(株)創業 1996年1月 焼肉1号店オープン 2000年12月店頭公開時 売上 87億円 2005年期末決算 売上1486億円 経常利益 65億円 2006年予測 売上2000億円 経常利益100億円 ----------------------------------------------------------------☆会社沿革を下調べしていって何故?と思ったのは次のことでした。 ☆不動産会社創業から焼肉1号店まで10年、そんなに大きくならなかったのに 焼肉屋を始めて急成長したのは何故か? →経営者としての人格的な面の変化があったのか? →具体的に何をやったのか? →ビジネスの起爆剤的な何かがあったのか?-----------------------------------------------------------------プレ創業期(1986年不動産会社勤務時代) 会社経営を勉強するため、営業マンが17~18人の小さな不動産会社に敢えて就職。 入社7ヶ月でトップセールスマンになる。独立を目的に働いていたため、 「常に何故?を繰り返し」、「成績のいい先輩が何をしてるかノートに書き」、 「期限を決めて1つ1つ解決した」。第1創業期(1987年~1995年国土信販(株)時代) 21歳で独立。優秀な営業マンだったので億万長者確定だと思っていたら全く違った。 「自分で成果をあげることと、チームで成果をあげることは全く違うことを 知らなかった」。 自分ができるために社員がバカに見えて社員をなじるので、入ってもすぐに辞めて しまう。横領事件も起こった。600万円が金庫からなくなって、内部の犯行だとなったが 誰がやったか話し合ってもわからない。社員みんながグルのようだった。 結局みんなに辞めてもらったら、労働基準局から給与の未払いを払うように通達が来て、 支払わないと業務停止になるので、サラ金でお金を借りて払った。 その後、資金なんてもっていないはずの元社員達が集まって競合の不動産会社を立ち上げ たのを知ったときは、すっかり人間不信になってしまった。 でも当時は自分が悪かったとは全く思わなかった。 当時社員は完全歩合給で雇っていたが、それは職人と同じで、気に入らないとすぐに 辞めてしまうんだ、「職人不在の会社ができないか?」と思った。 そんな時、マクドナルドの本を読みアルバイトだけでオペレーションをまわしている ことに驚きを覚え、社長ということを隠してアルバイトとしてマクドナルドに入った。 そこでの体験が自分の人生観を変えることとなった。 「西山君、ポテトは7分立ったら捨ててくれる?」「え?7分ですか?」 「だって君が何度もきてくれるお客さんだったら、冷めたポテトをたべたくないだろ?」 「・・・・・。」自分はお客様のことなんて考えたことがなかった。。 不動産会社では冷めたポテトをいかにしてお客に売りつけるか、そういうテクニック ばかりで、それができるのが優秀な営業マンだった。でもそうじゃないんだ。 また一方、アルバイトの子達がマニュアルを一生懸命読んで勉強しているのが不思議で 尋ねたら、「お客さんに喜んでもらいたいんだ」というのを聞いて驚いた。 「ものが売れることよりも、喜んでもらって、また来たいと思ってもらえることが 大切なんだ」と思い至った。 それから考え方が変わって、横領事件は自分のせいだったんだと思うようになった。第2創業期(1996年~1997年 焼肉屋1号店~直営3店舗時代) ある日知り合いに誘われてベンチャーの集まりに出たところ、自分も含め経営者達が 色々と質問された。その中で、 「あなたの会社の差別化は?」という質問に、他の経営者はみんな 「うちの特徴は・・・です。」「うちの優位性は・・・です。」と応えていたのに 自分だけ何も答えられなかった それがすごくショックで、帰り道空しくなった。 何の差別化もなく接待営業で仕事を取る今の自分の不動産の仕事、 一体何のためにやっているのか? 「人に喜ばれたい」「自分の存在価値を感じたい」 「なくては困ると言われるような会社をつくりたい」と強く思った。 生まれ変わった気持ちで、お客様に喜んでもらえる仕事がしたいと思ったが、お金も 担保もなく、銀行を回っても相手にしてもらえなかったので、 あまり資金をかけなくてもできる外食を始めることにした。 焼肉屋にしたのは、当時社員がよく通っていた近所の焼肉屋が、長蛇の列の人気なのに サービスは良くないし、食材の質も良くない。だったら自分がいい店を作ってやろうと 思った。 「当時焼肉市場は、5700億円市場で1万7200件あるうち3分の2以上が個人経営、 チェーン店は叙々苑のような高級店かファミレスみたいな店だけだった。 一方、外食に一番行く世代は20代~30代前半で、月に2.3回、1回3000円の予算 だった。この世代に合った焼肉店がないことに着目した。」 「どのターゲットのお客様に、いくらくらいで、どんな商品を出していけば 喜ばれるのか?」これを考えなければいけない。 「焼肉店をやると決めたが、外食は素人。朝日書店の「焼肉店」という雑誌を4冊 買ってきて、タレのつくり方、石焼ビビンパのつくり方など、新婚当時、自宅の マンションに社員を呼んでみんなで研究した。」 「最初から完璧なものはできない。まずやってみて、お客さんに叱られたら改善する。」 不動産業の傍ら焼肉1号店を三軒茶屋の商店街の外れの地下にオープン。 初日はほとんどのお客さんに怒られた。デザートの後にご飯が出たりサンチュがでたり、 配膳の順序がめちゃくちゃだった。 クレームをもらうと悔しくて涙が出た。でもとにかくクレーム&「改善」を続けた。 「悪口を言ってくれたら300円差し上げます」というサービスまで用意して、お客さんの クレームを集めた。 最初は閑古鳥が鳴いて、奥さんと2人で駅前で毎日チラシを配ったり、どんなチラシにすれば お客さんがきてくれるのかすごく悩んだ。 ある日、近所の団地の人が来てくれて、いつものように「悪口を言ってくれたら・・」というと 「悪口なんてないよ。今まで焼肉は家族で2ヶ月に1度しか食べられなかったけど、このお店の おかげで今では月に2回食べられるようになったよ。ありがとう。」と言ってくれた。 「ありがとう」という言葉を初めて聞いて、嬉しくて涙がでた。 「もっとたくさんの人に喜んでもらいたい、この喜びをスタッフみんなにも味わってもらいたい」 と思うようになった。 (後編に続く)
June 15, 2006
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