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10月18日、グランド古希(75歳以上)野球リーグ第10節が吉岡町の2会場で開催された。町民グランドで2試合、八幡山グランドで3試合、合計5試合が行われた。このリーグ戦は、11チームの持ち回りで開催されていて、今回は吉岡クラブG古希の当番に当たった。選手を2班に分けて、町民グランドと八幡山グランドに分けそれぞれの試合運営を行った、私は八幡山グランドの担当となった。第1試合は予定時間より15分早く始めた。審判が整列、主審は正式審判で塁審3名は核選手が当たる。対戦チームは、高碕高陽クラブG古希と境スターズ東風で高碕高陽の先行で試合が始まった。試合は境スターズ東風が有利に試合進めていた。結局14X対4で境スターズ東風が勝利した。試合後のあいさつ。第2試合、西毛グランド古希と高碕グランド古希が対戦した。西毛グランド古希が3対2で高碕グランド古希を下した。第3試合は、前橋古希G野球クラブと全前橋グランド古希チームの対戦である。試合の方は前橋古希G野球クラブが有利に試合をすすめている。全前橋グランド古希も頑張っている、結局12対2で前橋古希G野球クラブが勝利した。<町民グランドの2試合の試合結果が届いた。小雨が降るとの天気予報の中、最後の試合まで雨が降らずに消化できた。グランド古希の選手の人数少ない我がチームは、古希野球のチームの選手の協力があり、やっとこ運営ができた。
2024.10.19
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昨日のブログで3月4日に29日ぶりの雨が降ったことを紹介したが、次の日の3月5日に今年2回目の雪が降り積もったのであった。4日の夕方のウォーキングの時に雪が降り出し、吉岡ホットメールで降雪量は10Cmから20Cmの大雪になるとの情報が配信された。4日の夕方には裏の畑にうっすらと雪が積もっていた。そして今朝起きてみると予報通りに雪が積もっていたのである。ビニールトンネルがすっぽり雪に包まれるまで積もっていた。玄関前に止めておいた妻の軽自動車にも雪が積もっていた、新聞配達のバイクの車の跡もはっきりと残っていた。家の前の道路にも雪が積もっていた。西の畑もビニールトンネルが雪に包まれていた。今日の積雪は15Cmを超えていた。
2025.03.06
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昨日に続いての、吉岡町八幡山グランドで古希北毛リーグ戦第8節が開催され、3試合が行われた。第一試合、第二試合の当番チームでの運営を済ませ、第三試合で渋川古希と試合を行った。試合の方は渋川古希の先行で始まった。吉岡の先発、山口投手はヒットを1本打たれたが4人で1回表を切り抜けて順調にスタートした。吉岡は初回、2番松岡選手が四球を選びすかさず盗塁を決めた。3番中島選手がライトオーバーの3塁打を放ち、松岡選手がホームを突き先取点を挙げた。4番岩崎選手がセンター前ヒットを放ち中島選手がホームインして2点目を挙げた。2回の吉岡は、この回先頭打者の8番の小林選手が相手エラーで出塁。盗塁をしたが相手キャッチャーの悪送球で外野に球が転がる間にホームを突き1点を挙げた。其の後も吉岡は攻め続け、5番清水選手のホームランを含め4本のヒットを放ち、打者11人の猛攻で7点を挙げた。吉岡は3回に2点、4回に3点を挙げ合計14点を挙げた。大会規定の、5回以降10点差でコールドゲームが成立し、吉岡IQ古希がコールド勝ちした。無事に3試合の運営を済ませ第8節が終った。グランドの整備を済ませた後は、松岡選手が苗から育てた大玉スイカ3個を提供してくれた。先ずは1っ個目のスイカを選手に配った、私も頂いた。スイカを大きなプラスチック容器に入れ水で冷やしておいたので、冷たくて甘さもすごくあり、汁を垂らしながら食べた。2個目のスイカを切った。3個目を切る。選手20人で3個の大玉スイカをあっという間に食べ切ってしまう。地元開催のリーグ戦だったので、このようなスイカ早食い大会が出来たのである。
2023.07.22
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昨日の午後5時過ぎに渋川市の整形外科病院でマレットフィンガーの手術をしてもらい手術が済んだ。手術前に手術着に着替え抗生物質の点滴を受けた。生理食塩水の点滴に変わり、手術室で、心拍計と血圧計をつけられてから局部麻酔をされた。腕の方まで消毒をされ手術に入った。X線画像を見ながら手術をしているようで途中で電動ドリルが回っている音も聞こえた。20分位の時間で手術はずんだようだ。上の図のように、2本のピンで剥がれた骨をくっつけておき、骨がつながるのを待つ。骨がつながるまでこのピンは頭の部分を外に出しているのである。手術後の処置は、アルミ板の添え木をU字型に曲げて挟んでテープと包帯で動かないように縛ってある。 抗生物質と痛み止め薬、胃腸薬が1週間分処方された。1週間後にまた診察を受ける。それまでに包帯が汚れないように、手袋を妻に加工してもらう。 手袋の人差し指と中指をつなげて1本にした。親指と薬指、小指の部分をハサミで切り取った。1本になった手袋の指に包帯を巻いた指を入れ、親指と中指、薬指、小指を出した。大変具合が良い、洗濯ができるように2枚作った。パソコンのキーボードは人差し指が使えないので、中指を使っている。手術した手は心臓よりも高い位置に保つようにして、冷やしたほうが痛みが少ないという。冷やす方法として、ケーキを買ったときについてきた小さな保冷剤を使っている。そして今日、送迎の仕事で車を運転した。まだ手術後の痛みは残っているがさほど支障はなかった。
2017.11.03
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吉岡町には「吉岡音頭」と「吉岡のうた」がある。吉岡音頭に興味が湧き、図書館からCDを借りてきた。歌詞カードも入っていたのでよかったと思った。しかし、2曲の歌を聞いてみると「吉岡町」ではなく「吉岡村」と歌っていた。歌詞も「吉岡村」「村」と有り、今の吉岡町にあっていなかった。町の行事で流れたときは吉岡町になっていたように思う。吉岡音頭の歌詞。吉岡のうたの歌詞。吉岡音頭の作曲家と歌手に驚いた。作曲家はあの有名な服部良一さんで歌手は春日八郎さんであった。別れのルース(淡谷のり子)、湖畔の宿(高峰三枝子)、青い山脈(藤山一郎)は服部さんの作曲。春日八郎さんは「赤いランプの終列車」「別れの一本杉」、「お富さん」などを歌った演歌歌手。我々の年代が知る人たちである。それぞれの歌には踊りの振り付けも添えられていた。吉岡村は、昭和30年に明治村と駒寄村が合併して出来た。吉岡町になったのは平成3年の町制施行で吉岡村から吉岡町になる。CDは残念ながら目的に沿わなかったが、いろいろと勉強できた。
2019.02.03
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7月19日、吉岡町八幡山グランドで古希北毛リーグ戦第8節が開催され、3試合が行われた。試合の運営は当番チームの我が吉岡IQ古希が担当した。第3試合には、渋川古希との試合もこなさなければならない。第1試合では、みなかみ古希と吾妻フェニックスが対戦した。試合の方はみなかみ古希の先行で試合が始まった。後攻めの吾妻フェニッっクスは1回に4点、2回に3点と試合を有利に進めていた。試合結果は吾妻フェニックスが9対2で勝利した。試合後に挨拶を交わす両チーム。第2試合は、沼田アトラスと昭和古希野球クラブとの対戦となった。試合の方は、沼田アトラスの先行で試合が始まりり、アトラスは5回に逆転した。6回には8点をいれてほぼ勝利を飾ろうとしていた。大会規定で新しいイニングに入らないとの宣言があり、昭和古希野球クラブは6回裏に逆転をしない限り勝利はない。結局、昭和は0点に抑えられ、13対4で沼田アトラスが勝利した。試合後挨拶を交わす両チーム。第3試合はわが吉岡IQと渋川古希との対戦が組まれている。試合結果等は次回に紹介する。
2023.07.21
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11月23日、畑に植え付けたニンニクが発芽して成長をしてきた。11月4日、食品品スーパーでニンニクを購入してきた。今年は自家製のニンニクの種が良いものが無く、仕方なく食品として売られているニンニクを植えつけることにしたのである。房をバラバラにして、しばらく水に浸けて置き薄皮まで綺麗にはがした。畑の穴あきマルチに竹の棒で深さ5Cm穴をあけて、そこににんにくの種をほおりこん植え付けた。穴に土をかぶせて植え付けが済んだ。11月23日。うまく発芽して目を伸ばしてきた。数個発芽しない種もあったが、すこぶる元気に成長していた。
2024.11.24
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先日、地元新聞の読者投稿欄「ひろば」に我が家の近くを流れる自害沢についての投稿があった。投稿の題名は、「自害沢」の地名常将伝説に由来、である。その投稿内容にたくさんの地名や場所などが出てきたので、ウォーキングをしながら訪ね歩いた。まずは自害沢であるが、自害沢川という川が流れている。我が家から一番近いところの川である。上流側には水沢山が見える。ここからさらに南に足を運ぶと吉岡川が流れている。川上を見るとやはり水沢山が見える。投稿内容の後半に自害沢川は吉岡町役場付近で吉岡川になるとある。つまり合流するのだ。その合流点を訪ねた。吉岡川からさらに南へ歩くと八幡川があり榛東村との境界になる。さらに南に向かい山側に登ってゆくと榛東村山子田の柳沢寺につく。船尾山とある、天台宗船尾山等覚院柳沢寺。そこから300mほど西にたどると、千葉(平)常将ゆかりの常将神社がある。この神社では4月と10月には神楽が奉納されるという。自害沢のことについては農夫から話は聞いていたが、このように詳しい話は聞いていなかったので興味が湧き尋ねることにした。
2017.02.16
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昨日の地元新聞に、吉岡町の森田家住宅が町重要文化財に指定された事が掲載された。吉岡町上野田の野田宿に森田家住宅がある。野田宿の通りの入口には、野田宿の由来と宿場の屋敷の屋号地図がある。野田宿の由来。森田家住宅の位置。新聞記事中の長屋門。この宿には屋号を書いた看板が各戸に建てられている。私はまだ森田家住宅の中に入ったことはない。宿の通りから白壁の長屋門だけは眺めている。機会があれば母屋や書院を見てみたいと思っている。
2019.06.23
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4月8日、9時より吉岡町八幡山グランドで第3回北毛地区古希親善野球大会が開幕した。北毛地区古希親善野球大会は、北毛地区の古希野球チームの6チームによる総当たりリーグ戦大会である。通称「古希北毛リーグ戦」と呼ばれている、我が吉岡クラク古希チームはこのリーグ戦の主幹チームとして1年間携わってゆく。開幕戦は3試合が組まれている。第1試合は、吾妻フェニックス対みなかみ古希の対戦である。試合前の挨拶、熱戦が繰り広げられる。試合結果は、みなかみ古希が最終回の7回に逆転して勝利した、第2試合は、昭和古希野球クラブ対沼田アトラス戦。試合前の挨拶。昭和古希野球クラブが逆転して17対3で勝利した。第3試合は、吉岡クラブ古希対渋川古希の対戦。吉岡クラブ古希の先行で試合が始まった。吉岡クラブ古希は6回に逆転されたが、7回に1点を挙げ6対6の同点にした。しかし7回裏に1点を取られサヨナラ負けをしてしまった。リーグ戦開幕、第1節の3試合の結果は、地元新聞社の2社にFAX送信しておいた。
2024.04.14
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我が家ではインゲンを4種類作っている。つるなしインゲン、つるありインゲン、まんずなるインゲン、メズラである。メズラ以外は収穫を始めているが一番遅れていたメズラが食べごろになった。さやの長さが50Cmを超えるなが~いインゲンである。長さを比較するとつるなしが15から20Cm、まんずなるが20~25Cm、メズラが40Cmは超える。食べ方は、普通に茹でて長さを切りそろえて醤油または、マヨネーズで食べる。これといった味はない。そのままほおっておくと50~60Cmになってしまう。食べごろの長さは35~45Cm位である。毎年種を取り、15年以上作りつずけているインゲンである。
2009.08.10
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今年のスイカの収穫は諦めていた。しかし奇跡的に復活の兆しが見えてきました。5月8日にいろいろな苗を購入した。その中でスイカの苗の植え付けが一番遅くなってしまった。5月31日に植え付けた。植え付3日前に日向に出したら葉っぱがやけどをしてしまった。一応はマルチを敷いて植え付けたが、既に苗は相当傷んでいた。6月2日の様子 6月9日の様子 6月13日の様子 6月13日時点で1本は完全に枯れてしまった。もう片方もいじけた葉っぱが2、3枚あるだけの惨めな姿で、このままでは成長も怪しくなってきた。今年のスイカは諦めた。せっかくマルチをかけたので、それを利用してサニーレタスの苗を植えることにした。 6月23日、サニーレタスはすくすくと大きくなっている。そして今日6月30日。今にも枯れそうになっていた苗が2本の蔓を1メートルほど伸ばしていたのである。スイカ苗の復活が現実味を帯びてきている。サニーレタスもそろそろ収穫できるぐらいに成長してきている。これからは、スイカの蔓の成長を最優先させる為、サニーレタスの早取りをしていく。今は、1個でもスイカが出来てくれることを願っている。
2013.06.30
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昨日の続きです。今朝の地元の新聞に、「おなかにっこり」の見出しで子供たちのへそ踊りが紹介されていた。ちびっこへそ踊りが終わり夕方の5時近くなり、参加企業や愛好会グループ習い事グループなどが会場に集まってきている。元勤めていた会社もこの祭りに参加しているが、相当前の方に陣取っているようだ。飛び入りで参加できるコーナーでは、若い人のグループがお腹に絵を書いてもらったあと赤色の腰巻を身につけて準備をしている。やや年配の人たちも、支度が出来上がり記念写真を撮っていた。早くも汗で絵が流れている。 参加グループのスタートの位置は祭り実行委員会から指定されているらしく、パレードが行われる道路の各所でへそ踊りパレードの出番を待っていた。新町五差路付近で、この祭りに参加するらしい元勤めていた会社の先輩と後輩にお会いした。どじょうの会のプラカードを持っていた。 五円玉を黒く塗りゴムひもで鼻に取り付け、黒いヒゲを顔に塗り、手ぬぐいをほっかぶりし、腰にビクを付け、しょうぎを持っている。明らかにどじょうすくいを踊る格好である、どじょうの会の意味がわかった。5時にパレードが始まった。へそ踊りのパレードが右に進んでいくが、道路の手前側は浴衣姿の女性が左側に音楽に合わせて踊っていく。 パレードも約30分を過ぎたあたりから雲行きが怪しくなり、遠くで雷鳴が聞こえるようになった。しばらくして、大粒の雨が降りだし雷も近くで鳴り始めた。見物客も傘を差し雨を避けるように会場を去っていく。私も雨合羽を着て、傘をさしながら車に向かっていた。踊りを踊っていた人達は近くのお店の軒下で雨宿りをしている。どじょうの会の人達も雨を避けていた。私はそのまま家路についたが、祭りの方はどうなったがは知らない。渋川のお祭りでもう一つ、2年に1回行われる山車祭りがある。どういうわけかこのへそ祭りと山車祭りの時には必ず雨に見舞われることが多いいと言われている。今年もへそ祭りが雨に見舞われた。来年開かれる山車祭りには雨がふらないことを祈るのみだ。
2013.07.28
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8月17日、ハクビシン対策で張っておいたネットが破られていて、とうもろこしが食べられていた。8月11日、畑の近所の人からハクビシンが出没するとの事で、とうもろこしを守るためにネットを張り巡らせておいたことは紹介済み。8月17日畑に行ってみると、とうもろこしがネットの下に有るのを発見した。ネットの下に有ったとうもろこし。ネットの中も、とうもろこしが倒れやられている。北側のネットに行くと、そこには大きく破られた後があった。この破られたところを観察すると、ネットが外側に開かれてるようになっていた、おそらく、ネット内から逃げ出すために破られた穴である。とうもろこしがネットの下に有ることから、ハクビシンは、ネットの下側の隙間から侵入し、逃げるときにはネットを破って逃げたと推測する。北側にネットを張った時の物を再度良く見てみた。北側のネット。写真を拡大すると、2つほど小さな穴が開いていることが分かった。おそらく下の穴を大きく破りハクビシンが脱出したと思われる。とうもろこしの被害は5本食べられていた。ネットの穴あきを修繕して、ネットの裾の隙間をなくす処置をする。ネットの裾にレンガを置く。8月18日現在ハクビシンの被害はない。
2023.08.19
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8月30日、渋川市金島ふれあいセンターでジョイフルファンの集いカラオケ発表会が開かれるというので聴きにでかけた。以前紹介した「ろばた焼き・大盛屋」のマスターと、大盛屋3号店のスナック「MI-」のママが、今回のカラオケ発表会で初舞台を踏むというので応援に出かけた。ふれあいセンター入口に、オレンジのTシャツを着たスタッグの方が出場者の受付をしていた。一般向けのプログラムを配布していたのでもらってきた。このカラオケ大会は当日にプログラムが配布されるという。プログラムを見ると169名の方が発表するという。プログラムの中身を紹介しておく。 169曲の発表がある。主催者は、渋川市北牧にある「カラオケ歌の広場‘ジョウフル‘」である。開演に先立ちジョウフルの店主があいさつをしてすぐに発表会が始まった。 スナック「Mi-」のママは10番代、大盛屋のマスターは100番代で発表していた。発表者の中には、目の不自由な方が奥様のサポートを受けてカラオケを披露していました。店主の紹介で、80歳を超える4名の方たちも発表するという。最高齢者は92歳の方だという。56番の発表が終わったあとに、カラオケ歌の広場ジョイフルに集う仲間たちから店長夫妻に大きなご祝儀袋の記念品が贈呈された。 人・心・歌・出会いに感謝のキャッチフレーズに今日の発表会が多くの仲間に支えられ開かれたことに大変感謝をしている。今年で第3回目の開催であるが、仲間のみなさ様によってお店が成り立っています、これからも発表会を開いていけるように応援をお願いします。とお礼の挨拶をした。発表会はまだ前半戦である、衣装にヒョウタンをたくさん飾り付けて「瓢箪ブギ」を歌った方がいたりしてさらに発表会が進む。 発表後半には、プログラムにもあるゲストコーナーで3名のプロ歌手が歌を披露した。同じ吉岡町に住んでいる人や、高校時代の友人夫婦など、数人の友人が発表していた。発表会の途中で、バックダンスをしたり、カラフルな衣装を着て舞台に上がったりして見に来た方を飽きさせない工夫もしていた。今回の発表会にビデオカメラを持ち込んで、初舞台を踏んだマスターとママの歌いっぷりをビデオに収めた。発表した友人から、特に歌が上手な人をピックアップしてもらい、その方たちの歌もビデを撮影をしておいた。上手い人がどのように歌っているか参考にするために撮影した。169名の発表と3名のプロ歌手の歌をすべて聴き終わったら午後の20時だった。たいへん疲れた発表会だった。
2015.09.02
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今日送迎の仕事が休みだったので、カラオケボックスで一人カラオケを楽しんできた。一人カラオケのフリータイム料金は税別で2000円との事。フリータイムといっても時間制限かあるという。5時間が限度だった。今日のカラオケの目的は、最近流行っている新曲の情報集めだ。最初は数曲カラオケの練習をした。「十六夜舟」森進一「ふたりの始発駅」一条貫太残念ながら思っていたほど良い点数が出なかったので、情報集めに専念した。事前に新譜案内の資料を持っていったので、最近発売された曲を次から次えと流した。ボーカル入りの曲は優先的に収集した。練習曲以外で情報が取得出来た曲数は30曲。ほとんどが男性が歌う歌であるが、7曲ほどの女性歌手の情報も得た。5時間の一人カラオケを楽しめると思っていたら、5時間は長く感じ少し苦痛を感じたひとりカラオケだった。
2019.02.21
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12月15日、白色皇帝ダリアが一輪半の花を咲かせた後、霜に会い今年の活動が終った。12月21日現在は、霜のために葉っぱが枯れて、幹の色も茶色に変化してしまった。来年も芽が出てくるように冬越しをする。地上部の幹をノコギリで切り、土を盛って寒さにあわないようして、さらにその上に麦藁を敷き防寒対策をする。剪定ばさみで枯れた葉っぱや細い幹を切ってゆく。太い幹や細い幹のすべてを、地上部を5Cm位残してノコギリで切り倒す。切り株に砂を盛り上げる準備をする。切り株に10Cmぐらいの土を盛る。充分に土盛りをして凍結しないようにした。土の上にさらに麦藁を敷いて、風に飛ばされないようにテープで藁を固定しておく。昨年も同様な冬越しをしておいたが、白色の皇帝ダリアは越冬したが、紫色の八重咲き皇帝ダリアは全滅してしまった。来年も芽を吹いてもらいたいと思う。
2022.12.22
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伊香保温泉の一泊家族旅行で、私えのサプライズが有った。4月2日、毎年孫達の春休みに伊香保温泉での一泊家族旅行は昨日紹介した。6時30分から夕食会が始まった。めいめいが飲み物を注文している。梅酒と梅ジュースで乾杯をして会食会が始まった。この写真は若い仲居さんが撮影してくれた。仲居さんが孫達の年齢を聞いて来たので孫達はそれに答えていた。私が4月22日で80歳の傘寿を迎えることも話しておいた、長男が食事中に私に渡すものが有ると言い出して、大きな花束を持ってきた。そしてお父さんの傘寿祝いに、孫達から花束を贈りますとの事。席の後ろに立つと、孫4人が揃って「じいじ、おたんじょうびおめでとうございます。」と言って私に花束を渡してくれた、まさかこの場所で傘寿のお祝いを家族の全員から受けるとは全然思ってもいなかった。大変なサプライズである。まさかのまさかのサプライズ。あとで話を聞くと、私の妻が子供や孫を抱き込んで仕組んだとの事だった。床の間の前で記念写真を取ることにした、すると福一の若い仲居さんが黄色のちゃんちゃんこと帽子を持ってきてくれた。こちらから事前に頼んでいたものではないと子供たちは言っていた。ちゃんちゃんこに着替え帽子をかぶり、家族写真を撮ってくれた。そして傘寿のお祝いの記念写真も撮ってくれた。其の後もゆっくり食事を楽しんだ、部屋に戻ろうとすると、若い仲居さんが傘寿のお祝いと言って記念品を渡してくれた。お祝い品は、写真盾で有った。写真盾の裏側にも福一と書かれていた。宿の予約の時もお祝いをすることなど話していなく、当日の夕食時の時間の時の情報で、ちゃんちゃんこと帽子を貸していただき、記念品までいただけるとは思ってもいなかった。我が家族への福一からの素晴らしいサプライズであった。若い仲居さん、ありがとうございました。
2024.04.05
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昨日、元会社の同僚と久しぶりにカラオケスナックで歌ってきた。このカラオケスナックは渋川市にあるろばた焼き「大盛屋」の3階にある系列店だ。大盛屋の1号店はカウンターと席でろばた焼きを提供、2号店は1号店の2階に有り30人ぐらいの宴会が2つできそうな部屋がある。2号店の上に3号店が有り、ここが今回訪れたカラオケスナック「Mi」である。同僚の奥さんと従兄弟の方と私の妻の5人で歌ってきた。順番に歌って行って、3巡目ぐらいに歌った私の歌が「88点」を出した。お店にはこんなサービスがあった。点数で66点、77点、88点、及び90点以上を出すと先着10名迄に賞品を出すという。これに該当したので賞品を頂いた。商品は家に帰って見たら「アルミランチトートバック」で、保冷保温ができるものだった。 その後も5人で歌を歌ったが私が77点を2回出した、先着10名とあるため私は最初の88点の1回しか資格がなかった。ほかの人がゾロ目を出せば先着10名の資格が生じるので賞品をもらえる事になるが、残念ながら出なかった。このカラオケスナック「Mi」は平日に3人以上でいくと、アルコール飲み放題が野口英世2枚、飲まなければ1枚で済む、格安のスナックである。前回に今日と同じようにカラオケをしたときは、妻が77点を出して賞品を頂いている。我が家にとってはたいへん縁起が良いスナックである。
2015.03.20
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昨年、古希野球の試合中に右人差指の怪我をしてしまった。指先が自分の力では真っ直ぐにできず、マレットフィンガーと診断された。昨年の11月2日にマレットフィンガーを治す手術をした。その手術は黒田式のピンを2本指に刺して、剥がれた骨を元のところにくっつける手術である。12月14日に固定していたピンを抜いた。ピンを抜く直前の写真12月21日に第1回の術後の経過を見た。残念ながら指先は曲がっていた。12月27日、2回目の術後の経過を見た。曲がったままで、肌は綺麗になっているがあまり変化はしていない。1月18日、第3回目の術後の経過を見た。相変わらず改善が見られない。そして2月22日の今日、第4回目の術後の経過を見た。ピンを刺した骨は正常に治っているが、残念ながらこれ以上の改善は難しいと医者に言われた。左手の指と比較をしてみた。自分の力で真っ直ぐにしようとしているが、指は真っ直ぐにはならない。手術をすれば指は真っ直ぐになるものと思っていたが、残念ながら元には戻らないことがわかった。たいへん悔しい思いである。
2018.02.22
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勤務先がある渋川市で、第30回日本のまんなか「渋川へそ祭り」が今日行われたので見に出かけた。パンフレットによると、JR渋川駅近くから新町5差路の少し先にあるへそ地蔵までの道路がへそ祭り会場となっている。 午後の3時頃に会場に到着。路上イベントはちびっこへそ踊りパレードが始まるところだった。 祭りを見に来た大勢の人に囲まれながら、ちびっこのパレードが来た。 パレードは途中で休憩が入った。この時にはちびっこの親たちが記念写真を撮ったり、水分補給をさせていた。 休憩後今来た道を戻り約1時間のちびっこのパレードが終わった。夕方の5時からはメインパレードの大人のへそ踊りが始まるという。会場近くに設けられた本部の横にテントが2張り有、ここは当日飛び入りでへそ踊りに参加する人たちが大勢いた。それぞれが大きな腹に絵を書いてもらい、腰に手が付いたハッピをつけて出番を待っていた。 大人の部が始まる前に、日本のまんなか しぶかわし観光大使委嘱式が行なわれた。観光大使に任命されたのは群馬県出身のヴァイオリン歌手 心奏(らら)さんでした。阿久津渋川市長から委嘱状が手渡されていた。メインの、おとなのへそ踊りに参加する団体の数がだんだんと増えてきた。この続きは次回とします。
2013.07.27
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地元の農協の主催で「健康体感館」が期間限定で開かれている。40人ほどが着席できるプレハブの建物の中に、20席の椅子に高圧電気を流していてその椅子に20分ほど腰かけていると、血の流れが良くなり疲労、神経痛、血行不良、慢性の便秘に効果があるという。電圧は7000Vから15000Vとのことで電流はごくごく微小とのこと。この椅子に20分間腰かけている間に、担当者が健康についてや、病気についての説明をわかりやすく解説してくれている。電気を通すと、人間がもともと持っている自己回復力を高めることができるとのこと。私は腕のひじが痛いので、痛みが取れるのかと思い通っている。4日ぐらい通うと改善がみられるとのこと。同じ会場で週3日ほど、アルカリイオン水が一人2リットル無料でいただけるのでそれもいただいて来ている。こちらは、人間の老化に活性酸素が関係があり、アルカリイオンで活性酸素を中和してしまうと老化が防げるという。アルカリイオン水はPH(ペーハー)が9、5とのこと、この値が人間が飲める最高値で10,5では殺菌効果あ大変あるという。まだ通い始めて3日目である。目立った効果は表れていないようだ。椅子に座って電気を通してもらうのも、アルカリイオン水もすべて無料である。4月29日までこの場所で体験できるという。その日まで通い続けてみるつもりだ。この「健康体感館」については、角田さんに教えてもらって一緒に通っているのだ。ここを利用している人は、開館してから420人を超えているそうだ。
2011.07.13
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昨日、久しぶりに元同僚夫妻と私たち夫婦でカラオケを楽しむことにした。渋川市のろばた焼き「大盛屋」3号店のスナック「Miー」に午後8時に落ち合った。店には先客の方が3名おられた。私たちはしばらくの間おしゃべりをしてからカラオケを歌いだした。元同僚がスナックの舞台に登って北島三郎の「人道」を歌った。私も三山ひろしの「男の流儀」を歌った。それがなんと88点を出して景品をスナックのママ「ミーさん」からいただいた。先客の人と私たち4人で順番にカラオケを楽しんでいると、若い青年男女のグループが3組ほどお店に入ってきた。スナックでは私たちの演歌の歌が流れ、若い青年たちのテンポの速い歌が流れる。若い青年2人が歌の題名は忘れてしまったが、私たちが昔歌った女性の歌をキーも下げずに時々裏声を入れて歌ってくれた。良くもあんなに高い声が出せるものだと感動した。今の時間は夜中の0時30分は過ぎていた。ようやくお店を占める時が来た。若い青年男女の方々にブログに写真を載せたい旨を話すと、快く承諾してくれた。大盛屋のマスターもお店を閉めて3階に上がってきた。若い青年男女のエネルギーをたっぷりいただくことができた。
2017.08.10
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毎年畑で山芋を栽培している。秋に掘り上げる時に深い穴を掘り収穫しているが、腰に多大な負担がかかる。波板を使った栽培方法だと簡単に収穫でき、腰にさほど負担がかからないというので、今年波板栽培に挑戦した。3月31日、波板をホームセンターで購入、植穴を斜めに作り波板っを置く。波板の上に、フルイで振るった土ともみ藁と化成肥料を混ぜた土を10Cmの厚みに敷く。その上に種芋を並べてゆく。種芋の上にさらに10Cmの厚さに、先ほどと同じ土を敷き、雑草退治の為の黒マルチを張り、養生をしてゆく。5月3日、山芋が発芽してきた。伸びてきた蔓は篠竹で誘引する。10月9日には葉っぱが枯れ始めた。11月1日、葉っぱが完全に枯れたので、収穫することにした。誘引の篠竹を整理して、防草の為の黒マルチをはがすことにした。上の土を丁寧にはがしてゆくと、種芋のかすがあらわれて来て、山芋はその下に有るようだ。更に表面の土を取り除くと芋が現れた。波板に沿って直線的に芋が出来ていた。収獲に際して、深い穴を腰をかがめて掘る姿勢は全くなく、手で表面の土をどけるだけで収穫できた。収獲した芋。今まで通りに食べられる大きさに育っていたのは3本位であった。10本ぐらくぃは、来年の種芋には十分すぎるほどに成長してる。波板を使ったことによる芋の形がアルトサックスに似た形になった。伸びて行く芋の先端が、波板の上方向に伸びていったので、サックスの形になったみたいだ。来年は、しっかりした種芋がたくさん取れたので、栽培面積を広げる予定である。
2022.11.02
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先日「杉の木の色」について紹介したが、そのときに昔「杉玉鉄砲」を作って遊んだ事を思い出した。頭の中には、鉄砲の作り方が微かに思いだされて来た。今でも其の鉄砲が作れるのか試そうと思い製作に取り掛かった。材料は「竹ひご」と「篠竹」「杉玉」だけだ、材料集めをした。近くの川の土手に生えている篠と、近所の神社の裏にある杉林で杉玉を調達。 竹ひごはどこで売っているのか判らなかったので「バーベキュウ用の竹串」を百均店で買った早速製作に取り掛かる。 篠の一節を使って、筒になる部分と手で持つ部分に切って分ける。竹ひごは手で持つ部分にしっかりと取り付け、ひごの長さは筒の長さよりも杉玉が一個筒の中に残る長さに切る。これで「杉玉鉄砲」が完成したと思ったが、大きな問題が発生した。筒の穴の大きさが杉玉よりも大きくて、ゆるゆるなのである。これで玉をいくらつめても、空気が漏れて玉は発射されなかった。杉玉がきつくはまるような太さの篠を使い、竹ひごをナイフで細く削り直し作った。一応完成したのがこの鉄砲である。杉玉も筒にきつくはまっている。二発目の杉玉をこめて、ひごの部分を押し込んだ、「プチッ」と音がして球が飛んだ。5m以上は飛んでいる。小学生のときに聞いた「プチッ」と言う発射音、55年以上前の懐かしい音だ。次々に玉をこめて、夢中で「杉玉鉄砲」遊びを楽しんだ。杉玉がゆるゆるな鉄砲は、玉をテッシュペーパーを噛み砕いたものに変更し「紙玉鉄砲」として楽しんだ。発射した、杉玉と紙玉。今回製作した鉄砲は3丁である。上2本が紙玉鉄砲に転用したもので、下の1丁が杉玉鉄砲紙玉鉄砲の発射音は「パチッ」で相当威力のある速さで玉は飛んでいった。杉玉を飛ばすには、竹ひごの直径は2mmまで削ったものになり、鉄砲の全長は12Cmと言う大変小さなものになった。杉玉の大きさにあった鉄砲を作ろうとすれば必然的に筒の穴が小さくなるので、篠の節と節の間隔が短くなる。紙玉鉄砲のほうは、22Cmと18Cmの長さになった。半世紀以上前の記憶を頼りに作れた「杉玉鉄砲」。鉄砲が作れたことに内心驚いているのである。どこに其の記憶が保たれていたのだろうあらためてよみがえった記憶の不思議さを感じ、自分の記憶に感謝しつつ、楽しい時間を過ごすことが出来た。
2011.03.06
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1月の末に私のブログに、サザンクロスの田村修三さんが永眠されたとのコメントをぽんぽこぽんさんよりいただいた。2年前に地元のスナックに遊びに来ていた田村さんと一緒になり、写真を撮らせていただいたことをブログに載せていた。ネットで調べてみると「ボーカルの田村修三が2013年末に肺炎にて倒れ多臓器不全を併発し、危篤状態のまま翌2014年1月16日、52歳の若さで生涯を閉じた。」との記事が見つかった。驚きと、無念さがこみ上げてきた。心からご冥福をお祈りいたします。
2014.02.22
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12月14日、マレットフィンガー手術を受けてから6週間が過ぎた。固定用のピンが抜かれることになった。手洗い後、処置室で2本刺さっているピンを抜いた。すぐに消毒と包帯が巻かれて処置が済んだ。2本のうち最初に抜いたときは痛みはなかったが、2本目を抜いたときは一瞬痛みが走った。一週間後にレントゲンを撮り、異状がなければ治療が完了すると思われる。医者から指が痛くても動かすように言われた。挿入されていたピン2本を記念として頂いてきた。ピンの長さは30mm有り太さはノギスで測定すると1.1mmφほどだった。ピンの先端は平たく潰され、三角形に尖っていた。ピンを抜く前の画像に、抜かれたピンを重ねてみた。GIF-01 posted by (C)田舎の自由人
2017.12.17
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毎朝田んぼの水管理に出かけている。稲の穂もたくさん出てきて伸びています。 出口の水の勢いが良すぎるので、入口の水を絞りに行った。入口の水はほとんど流れていない。なのに出口の水は勢いよく流れて出ている。この現象は、田んぼの土手にモグラが穴をあけたので上の田んぼの水が穴を通して下の田んぼに流れ込んでいると推測される。写真にある土手でモグラが開けた穴を探してふさがないといけない。穴がありました。田んぼに溜まった水が穴から下の田んぼに流れ出ている。穴のふさぎ方は、枯れ草を丸めて穴の奥まで2、3回詰め込みます。 最後に田んぼの土を詰め込んで穴をふさぐ。水が漏れていないか確認して作業は終わります。一応モグラの穴ふさぎが終わったが、まだ土手から水が流れ落ちている音がしていた。まだほかにも穴があるらしい。もう一つ穴が見つかりました。こちらの穴もふさいで一件落着です。普段通りに入口で水管理ができるようになった。でも相手は気ままなモグラ、また出てきて穴を開けるかもしれないので見回りは欠かせない作業です。
2012.08.22
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畑に2本の小玉スイカの苗を植え付けて、成長したところで今年は4本仕立で育てている。5月26日、4本仕立てが完了。6月1日、そのままビニールトンネルで育成中。そして今日(6月17日)ビニールトンネルからスイカのツルがはみ出してきたので、ビニールトンネルを剥いだ。4本仕立てにしたのだがたくさんのツルが伸びている状態になってしまていた。ツルを整頓していると、小玉スイカの実がなっているのを発見した。まだまだ小さいが実ができている。ツルの中を他にもまだ実があるか見つけてみたがこの2個の実しか無かった。この2個の実がうまく止まってくれれば良いと思っている。
2019.06.17
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9月に大根の種を撒き順調に成長して収穫を始めている。長期保存のため土盛をして寒さ対策とした。9月11日に高畝にした畑に種蒔きをしてうまく発芽し、9月21日に土寄せをしておいた。11月2日、順調に成長して大根らしくなってきた。混みすぎている所の大根をうり抜いた。順調に育った大根の太さは8Cmは越えている。11月5日には、栃木の孫が大根の収穫をした。11月28日、大根の長期保存をするために大根の周りに土盛をすることにした、大根は土の上に出ている部分は傷みやすいので土を盛るのである。この大根の畝に土盛をする。青首大根の地上部は15Cm位はある。天鍬で大根に土を盛った。15本ぐらいの大根に土盛をした。来年の春までこのまま保存がきく。
2022.12.02
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1月27日、下野田の畑の老朽化した黒マルチを撤去した。サニーレタスと玉レタスを黒マルチで2年間ほど栽培していた。今年の収穫を終えた畝の黒マルチ。1年の春と秋に苗を植えつけて栽培しているので、2年間で4回黒マルチを使用してきた。そのために黒マルチはぼろぼろの状態である。黒マルチは土で止めてあるので、黒マルチの周囲の土を天鍬で堀り起こす。黒マルチをはがしてゆく。黒マルチの撤去が終り、次の畝の黒マルチの撤去にかかる。次の畝の撤去も終わった。約1時間弱の作業であった。この後は、堆肥と米ぬかをすき込んで新しい畝を立てる予定でいる。
2023.01.28
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10日前頃から出窓にお雛様が飾られていた。娘が生まれたときに5段飾りのひな壇を購入した覚えがある。子供たちが小さいうちは毎年飾っていたように思うが、大きくなったら飾らなくなった。子供たちが成長し家を離れ、夫婦二人だけの生活が長くなっている、5,6年前ごろから妻が「お内裏様とお雛様」だけを出窓に飾るようになった。雛人形は、ただの装飾品ではなく、女の子の健やかな成長や幸せを祈る象徴だそうで、母親はいくつになっても娘の幸福を祈っているらしい。娘や孫娘に、母親の願いが届くとうれしいと思う。
2025.03.03
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3月の初旬に、昨年の10月に畑に苗を植えつけたものが順調に冬を越したので、鶏糞肥料を施肥した。昨年の10月18日に黒マルチを敷いた畑に、自家製の苗を植えつけた。10月29日、うまく活着した。葉っぱも元気に成長を始めた。3月2日、寒い冬を越したいちごの苗。株と株の間の黒マルチに穴を開ける、手シャベルで一握り程の鶏糞を施肥。まだ地面んに張り付いているような葉っぱ。花を咲かせている苗もある。この花はまだ早いので、全部摘み取ってゆく。
2024.03.10
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