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He is just being funny. とか I'm being honest with you. という言い方。be 動詞そのものを現在進行形にしてしまったわけですね。He is just funny. や I'm honest with you. と、どういう意味の違いがあるのでしょう。 銀座ビジネス英語gymhttp://ginzagym.com
Feb 2, 2019
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英語の現在形と現在進行形、長い期間をカバーするのはどちらでしょう。(1) Water boils at 100 degrees. (2) Water is boiling at 100 degrees. この例をつかってご説明しますね。「現在進行形って、継続をあらわすでしょ。だから長期間をカバーするのは現在進行形でしょ」って思っているかた、う~ん、違うんだなぁ。銀座ビジネス英語gymhttp://ginzagym.com
Jan 23, 2019
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リスニング力をアップするには、英語をひたすら聞くよりも、ネイティブの速さで音読して 英語の脳内イメージを加速するのがいちばんです。加速音読のコツは、まず単語と単語の間をブツ切りにしないこと。自然体で加速しましょう。母音ではじまる単語は、その母音が自然と、直前の単語の最後の子音と結びつきます。さぁ、あなたもやってみてください。銀座ビジネス英語gymhttp://ginzagym.com
Jan 22, 2019
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「語学」は基本的にひとりでやるものです。でも独学では学べないこともある。(1) 会話の切り返しの気合いの訓練(2) 発音を直してもらう(母音の微妙な区別など)(3) 作文を添削してもらう(冠詞など日本人の弱みは作文で如実にあらわれる)ビジネスレベルで使える正しい英語をマスターできる英語スクールをお選びください。ネイティブ講師がいいとは限りません。多人数のクラスは、個々の受講生が口を開く時間が限られ、スクールにわざわざ通う意味がとぼしい。ひとりひとりのニーズに寄り添う個人レッスンがいちばんです。
Jan 15, 2019
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おカネをかけなくても、リスニング力はアップできます銀座ビジネス英語gym の YouTube ビデオ #1 ぜひごらんください
Jan 10, 2019
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阿川尚之さんは米国法(ニューヨーク州法とワシントンDC法)辯護士として活躍し、慶応大で学部長もつとめた著名人だが、阿川佐和子さんのお兄さまと言われると親しみが湧く。 その阿川尚之さんが42歳のころ書いた『アメリカが嫌いですか』(新潮社、平成5年刊)を今ごろ読んだ。 阿川さんは、米国ジョージタウン大学留学中に受けた「英作文」の授業のことを書いている。Expository Writing というコースで、≪留学中にとった授業のなかで、おそらくもっとも後々役に立った≫ と書いておられる。 ぼくも、自分が銀座ビジネス英語gymで実践している英作文レッスンこそ、受講生にいちばん役に立つと信じている。 阿川さんの回想する Expository Writing のポイントは、わたしが英作文添削で遭遇する問題点と結構似ている。≪一週3回、図書館の1階にある小教室に8人ほどの学生が集まり、カラダチ先生の講義を受ける。毎回宿題が出て、必ず何か書かされる。先生は提出した作文にたくさん朱を入れ、次の授業で返してくれる。≫ 「カラダチ」先生は、どこの国の出身なのだろう。karadachi でネット検索するとインド文字も出てくるので、インド系のひとだろうか。≪指導は徹底して実際的、論理的、単純、明快。まず、いかにセンテンスを書くか。受動態ではなく、能動態で書け。短い文章を書け。主語と動詞を離すな。コンマとピリオド、コロンとセミコロンを区別せよ。≫ たしかにこの辺は、ぼくも英作文添削で朱を入れるポイントだ。≪次はパラグラフの書き方。パラグラフ最初のセンテンスで要点をまとめ、最後のセンテンスで要点をまとめ、途中で考えを補足せよ。1つのパラグラフに2つのアイディアを詰め込むな。センテンスからセンテンスに、考えが流れるようにせよ。考えが飛ぶと読みにくい。≫ これは TOEIC や TOEFL 向けの Writing 教材によく書いてある。ぼくの英作文添削の受講生も、起承転結はどこへやら、密林を迷走するひとがいるものですが。≪主語を揃えろ。時制を揃えろ。能動態から受動態に移るな。当たり前のことを、繰り返し繰り返し、言われ、書かされ、直っていないと注意される。≫ ひとつの文のなかで主語が変わったり時制が混乱したりということは、ぼくも英作文添削をしながら、よく遭遇する。 作文で苦労する点は、けっこう似ているものですね。 英作文添削が売りの銀座ビジネス英語gym,受講をお待ちしています。http://ginzagym.com
Aug 20, 2018
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銀座ビジネス英語gymの泉幸男です http://ginzagym.com「一喜一憂するな」と言いますが、わたしが自然に実践している方法。いいことがあると「チッ、こんなところで運を使っちゃったよ」と脳のなかでひとりごと。悪いことがあると「ま、こんなつまらないところで貴重な運を使う必要はないよね」と心に思う。これだけのことで、けっこう心は安定するものです。でも、新しいお客さまが来てくださったら、これはすなおに喜びますよ。「いいところで運を使った!」って。創業2年、新しいウェブサイトをご覧ください。銀座ビジネス英語gym http://ginzagym.com
May 9, 2018
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銀座ビジネス英語gym の泉幸男です。http://ginzagym.com きょうは映画 "Darkest Hour" を観てきました。ウィンストン・チャーチル首相が苦悩のなかで英国民の心をつかみとる瞬間を描いた映画です。 チャーチルの秘書 Elizabeth Layton を演じた女優 Lily James さんがスキのない美しさです。2016年テレビ版「戦争と平和」でナターシャを演じたのも彼女。 チャーチルの奥さんが、性格も見た感じも ぼくの奥さんにすごく似ていて、他人とは思えませんでした。言うところはバシッと言うけど、深い愛があるんですねぇ。 有名な地下鉄内の人々との対話といい、ダンケルクに向かう800隻以上の民間船団といい、議会で満座の支持を勝ち取る瞬間といい、幾度となく涙が噴き出しました。 TOHO シネマズシャンテの上映は明日までです。銀座ビジネス英語gym http://ginzagym.com
May 8, 2018
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銀座ビジネス英語gym http://ginzagym.com銀座ビジネス英語gym のレッスンは、「フリートーク」と「自由作文添削」と「TED レクチャー聞き取り」の 3本立てです。創業から 2年間、この形に落ち着きました。受講生の皆さんの反応がよかったものを集約しました。10レッスン以上こなしたかたは、例外なく上達しています。受講生の声です。(受講生コメント全文は こちら です)当 gym は、高額な前金や入会金は一切なしの良心的経営です。あなたもぜひ、無料おためしレッスンをどうぞ! レッスン予約方法など、くわしくはこちら:銀座ビジネス英語gym http://ginzagym.com
May 7, 2018
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ネット上に拡散している「サンタクロース株式会社」のお話がおもしろかった。これを材料に大学の授業が1コマ成立してもおかしくない。 わたしが見たのはこちらのサイト:http://temita.jp/twitter/55192「小4娘がキャッシュフロー視点からサンタを疑いだした」(「小4娘」さんによる、かわいいイラストつき) ほんとうに小学4年生の娘さんが書いたものか、巧みな創作かはわからない。 推論をくりひろげるとき、ある間違いを「正」としたために、その辻褄(つじつま)合わせが第三者から見るとじつに笑えることがある。 天動説だって、地球を宇宙の中心に置いて太陽や惑星の動きを辻褄合わせて説明するために、じつに複雑な天球を想定するハメになった。 ≪拝啓 サンタさん私はサンタさんに多くのぎ問があります。最初私は、サンタさんは赤いぼう子と服を着て、トナカイに乗ってくる白いヒゲのおじいさんだと思っていました。でも大きくなるにつれてサンタさんへのぎ問がたくさんわいてきました。まずうちにはえんとつがないのにどうやって家の中に入ってくるのか不思ぎです。それにサンタさんの仕事はプレゼントを作ったり、買ったりしてとどけることだけれど、そのためのたくさんのお金はふ通のおじいさんだと用意できないと思います。トナカイが空を飛ぶのもまずありえないです。毎年お母さんは11月の終わりのころに小人から、プレゼントのリクエストを聞くために電話がかかってくると言います。でも私は、その電話をかけているのは小人ではないのではないかとうたがっています。≫ これがほんとに「小4娘」さんの作文だとしたら、母親への娘の信頼ぶりに敬服する。「ぎ問」があるというのも、「サンタさんはいます」という母親のことばをそれなりに信頼しているからだ。 小4生なりの理知が備わっていながら、サンタの存在を「正」としたために、その辻褄合わせのために小4生の大脳が動き始める。≪サンタさん、サンタさんは本当は子どもを喜こばせたい世界中の大金持ちの人たちがきふで作ったサンタかぶ式会社のぎょう者さんなのではないですか?毎年お母さんに電話をかけてくるのは、小人ではなくサンタかぶ式会社の新入社員の人なのではないですか?大人はみんなひっこしの時にサンタかぶ式会社に家のあいかぎをあずけているのではないですか? もしそうならサンタかぶ式会社のかつ動は、とてもすばらしいのでぜひこのかつ動をいつまでもつづけてください。≫ サラリーマンとしては、サンタクロースを「サンタ株式会社の業者」と推論し、御用聞きの小人(こびと)を「サンタ株式会社の新入社員」と推定しているのが、なんとも笑える。 この娘さんが大きくなったら、金持ちから寄付を募って心温まる方法で分配する NGO を立ち上げるかもしれない。これからも、まっすぐに育ってね! と応援したくなる。
Dec 24, 2017
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前篇【作品紹介1】は こちら 混色していないナマの絵具を支持体にぼってり厚く置き、支持体のうえで混色する――ただそれだけのことなら、白髪一雄が大昔に極めてしまった。 星山耕太郎さんの強みは、白髪一雄的世界の対極にある人物「写実」を徹底的に修業した上で、ぼってりナマ絵具で人物を描くという荒業(あらわざ)に挑んだところ。世界で星山耕太郎だけ、だ。The Artcomplex Center of Tokyo(最寄駅: 信濃町、四谷三丁目) で8月22日(火)~9月3日(日)の開催です(8月28日は休み)。 ちなみに8月22日から27日までは同じ会場の別室で「第26回美樂舎マイ・コレクション展」もやっていますよ。 星山流の人物画の窯変ぶりをご覧ください。星山耕太郎 「自画像」 Self-Portrait (墨、アクリル、和紙) 窯変の初期段階、わかりやすい作品。ただ、縞のシャツの左側が、やや単調になっちゃったかな。メリハリをつけるのって、むずかしい。 変容する顔面に、両の眼だけが写実世界を残していて、まるで此岸(しがん)から彼岸(ひがん)を覗き見しているかのよう。星山耕太郎 <左>「楷・行・草」 Formal, Informal, Rough; <右> 「自画像の前の自画像」 Self-Portrait in Front of Self-Portrait (墨、アクリル、和紙) 左側の「楷・行・草」には、やられた。星山ワールドの窯変は、書の世界の「楷書」「行書」「草書」と同じだよと。 そして右側「自画像の前の自画像」に、ぼくはシュワッチというウルトラの声を聞くのであります。星山耕太郎 「カーテンコール」 Curtain Call Revenge of 47 Ako Samurais in 1703 (墨、アクリル、和紙) 窯変して生まれたフィギュアは増殖し、勝手に主人公ヅラして出没し、はてはカーテンコールまで要求する始末だ!? 眺めているとアニメーションのようにも見えてくるからおもしろい。星山耕太郎 「俺は黙ったままじっと観ていた」 I Was Staring Without a Word (墨、アクリル、和紙) いたずらっぽいキャラ。銀色と黒の混色がいい味を出している。口もともニヒルに仕上がりました。星山耕太郎 「水色の裸婦」 Nude in Light Blue (墨、アクリル、和紙) 右下に乳房が見えるからヌードには ちがいない。なんとも異形(いぎょう)だけれども、星山ワールドにひたるとこれが可憐に見えてくる。黒から空色へとうつる背景もうつくしい仕上がり。星山耕太郎 「生む女」 Woman Giving Birth (墨、アクリル、和紙) これもお茶目だ。産婦人科の待合室の壁にかけたらブラックすぎるかな。星山耕太郎 「私は絵画になりたい」 I Want to be a Painting (墨、アクリル、和紙) 題名は「私は貝になりたい」の もじり。 ロスコ流の正方形の絵は、美術館の壁にあるようです。下のほうに柵が見えますからね。見入る鑑賞者はカメレオンのように絵と一体になり溶解していく。窮極の絵画鑑賞と申せましょう。美術館の壁面部分は銀箔を薬品で焼いて仕上げてあり、味があります。星山耕太郎 「アトリエにて」 In My Studio (墨、アクリル、和紙) 画中画に囲まれた芸術家の自画像。ついに、来るところに来ちゃってます。* * * 今回のACTでの星山耕太郎展は、昨年6月の ACT ART COM 2016(ACT アート&デザインフェアー2016) への出展がキッカケとなりました。 いい形で次につながったことが、とてもうれしいです。 昨年のアートフェア出展のようすは、こちらでご覧になれます:【作品紹介1】 日本画家・星山耕太郎 「水墨+アクリル」 の一気呵成が生む動幻画(6/16~19) @ ACT アート&デザインフェアー2016【作品紹介2】 星山耕太郎さん「水墨+アクリル」一発ワザが生む動幻画(6/16~19) @ ACT アート&デザインフェアー2016 このブログの前篇【作品紹介1】は こちら
Aug 25, 2017
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後篇【作品紹介2】は こちら 枯淡な墨絵と、ぼってり厚塗りのアクリル画。 ほんらい対極にあるはずの、これら2つの技を和紙上で衝突させ異次元空間へと昇華させるスゴ技を見せてくれるのが、星山耕太郎展 “ALTER EGO” です。 Alter ego はラテン語で「もうひとつの自分」。つまり自分の第2の人格、ないしは まるで自分そのもののような親友。そうです、人物が乱舞する個展なのであります。 The Artcomplex Center of Tokyo(最寄駅: 信濃町、四谷三丁目) で8月22日(火)~9月3日(日)の開催です(8月28日は休み)。 ちなみに8月22日から27日までは同じ会場の別室で「第26回美樂舎マイ・コレクション展」もやっていますよ。 何はともあれ、この絵を見てください。アートに関心のあるかたなら「…… え?! あの絵をこう料理しちゃったの!!」と、しばし見入ってしまうはず。星山耕太郎 「ベラスケスの「ラス・メニーナス」」 Velásquez’s “Las Meninas” (墨、アクリル、和紙) この有名な群像をここまで換骨奪胎しながら、それでもまぎれもなき「ラス・メニーナス」なのだから、これはもう様々な泰西名画の人物に化けてきた森村泰昌さんもハダシ。アート・バーゼルに持っていきたいね。 いっぽう、こちらは江戸時代。星山耕太郎 「忠臣蔵」 Revenge of 47 Ako Samurais in 1703 (墨、アクリル、和紙) 今回の個展最大の大作。本懐をとげた赤穂浪士47士が泉岳寺にある主君の墓前に吉良上野介(きらこうずけのすけ)の首級をそなえ焼香している光景です。 本作を描くために星山さんは泉岳寺に通い、浪士たちの思いに合一(ごういつ)したところで一気に描き上げました。 右下の、大石内蔵助(おおいしくらのすけ)と吉良上野介の首級をアップにしてみましょう。 やや時代が下(くだ)って、幕末の絵師の世界。星山耕太郎 「門弟の習作をみる月岡芳年翁」 Yoshitoshi Tsukioka Retouching His Disciples’ Studies (墨、アクリル、和紙) かねて星山さんは幕末から明治期に活躍した浮世絵師の月岡芳年に傾倒してきました。芳年の描いた人物を模写して人物描画の特訓をしたほど。 その思い入れが結実した作品。芳年が門弟の絵に朱を入れているところ。 かなうことなら、芳年さま、わたしの絵にも朱を入れてください…… と、そんな星山さんの思いがこめられているように思えます。 画中で芳年が朱を入れている門弟の習作が上下逆になっていますが、これをひっくり返してクローズアップしてみましょう。 そしてこちらは思い切り、動きをつけた一作。星山耕太郎 「キートンのバナナ滑り」 Buster Keaton Slipping on Banana Skin (墨、アクリル、和紙) 何ともお茶目。くるりと宙を舞う俳優さん。右上のバナナの勢い。背景の墨絵がまた、いかにもサイレント映画なのですね。カタカタという映写機の音まで聞こえてきそうですが、そこから前面に跳び出している人物にリアリティあり。 星山耕太郎 「ジャコメッティの眼差し」 Giacometti’s Glance (墨、アクリル、和紙) おりしも9月4日まで国立新美術館で回顧展開催中の Alberto Giacometti. ジャコメッティそのひとの人物画とジャコメッティ作品の幻影が、星山調で楽しめる。星山耕太郎 “True Colors” (墨、アクリル、和紙) 個展作品のなかで「忠臣蔵」に次いで大サイズの問題作。 自画像のように思えます。色分解と色合成というアーティストの作業がはらむ、ひりひりとした危うさを表現したのではないか。これは、ぼくの解釈です。 「忠臣蔵」と “True Colors” のサイズ感をこちらでご覧ください: 今回のACTでの星山耕太郎展は、昨年6月の ACT ART COM 2016(ACT アート&デザインフェアー2016) への出展がキッカケとなりました。 こうして、いい形で次につながったことが、とてもうれしいです。 昨年のアートフェア出展のようすは、こちらでご覧になれます:【作品紹介1】 日本画家・星山耕太郎 「水墨+アクリル」 の一気呵成が生む動幻画(6/16~19) @ ACT アート&デザインフェアー2016【作品紹介2】 星山耕太郎さん「水墨+アクリル」一発ワザが生む動幻画(6/16~19) @ ACT アート&デザインフェアー2016 まだまだ紹介したい作品があるので、このブログは【作品紹介2】に続きます。
Aug 24, 2017
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夏の恒例、マイコレ展。今年は The Artcomplex Center of Tokyo(最寄駅: 信濃町、四谷三丁目) で8月22日(火)~27日(日)の開催です。 詳細は「第26回美樂舎マイ・コレクション展」をご覧ください。 最終日27日は午後3時から講演会(日影 眩「アメリカのアートの現状と日本人作家たち」)も予定されています。 さて、今回 泉ユキヲが出展したコレクション2点は、これです。服部新一郎 “Angel-06” (平成27年作品、パステル、紙 40 × 28.5 cm) 銀座一丁目の万(よろず)画廊のはす向かいにある Gallery Stage-1 で買ったものです。 心おどるだまし絵。どこまでが 描き手のいる「こちら側」の世界で、どこから向こう側の世界(=絵そのもの)なのかが、ふいに不分明になる。この絵を見ている自分自身まで絵のなかに引き込まれそうになる。 手馴れた筆致のパステル画の作家は昭和37年生まれ、広告制作会社でイラストレーターとして勤務。パステル画のみならず油彩でも水彩でもパワフルに魅惑の世界を繰り広げるひと。おカネができたら何点か買いたいと思っているアーティストのひとりです。Ki Yoon Ko (平成26年作品、油彩、パネル、50 × 50 cm) 海外作家の作品紹介に積極的な Hiromart Gallery(文京区関口)で購入したものです。 かかえられた少女の服装は東欧の衣装でしょうか。南米先住民の少女かもしれません。男の赤い筒型の帽子とだぶだぶのズボンは、いかなる民族なのか。 何かのできごとがあったにちがいなく、それはおそらく寒冷なる森でのできごとでしょう。 背後にものすごい量のストーリーがありそうで、それを作家から聞ければどんなにいいでしょう。絵のタイトルが何かを示唆していないでしょうか…… あれ? 作品のタイトルは? タイトルは無いそうです。 タイトルなしの作品に Untitled ないし「無題」というタイトルをつけて良いか? つけたら untitled でも無題でもなくなってしまうではないか! そもそもわたしはね、絵にタイトルをつけるのも画家の仕事のうちだと思っておるのですがね。とくにこの絵のような意味深な作品には。 さて、この絵の作家 Ki Yoon Ko はドイツ・ハンブルク在住の韓国人。 San Francisco Art Institute(サンフランシスコ)で絵画、Pratt Institute(ニューヨーク州ブルックリン)でイラストレーション、Virginia Commonwealth大学(ヴァージニア州)で絵画と版画を学び、平成12年にサンフランシスコで初個展を行っております。 美樂舎の他の会員諸氏の出展作品を見てみましょう。 <左の作品> 富樫 梢 「レーゼ ―laze―」(平成16年作品、油彩、マニキュア、コラージュほか、キャンバス、90.9 × 72.7 cm) この左側の絵を見て、青木 繁「わだつみのいろこの宮」を思い出しました。青木繁が描いたのは山幸彦ですが、山幸彦と張り合う海幸彦がじつは女だった! というストーリーなどいかが? 富樫作品「レーゼ」を見ながら、ぼくにはそんな想念が浮かんだのでした。 では女神の上半身をアップにしてみます。 斜め方向からになりますが、こんなトリミングはいかがでしょう。 作家の富樫 梢(とがし・こずえ)さんは昭和58年生まれ。きらびやかなコラージュ作品の大作を制作する美大生として10年前には注目を集めており、『美術の窓』誌の「今月の隠し玉」(平成19年6・7月号)で取り上げられたほど。 華々しくスター街道を歩むかと思われていたのに、美大卒業と同時に ぱったりと作品を発表しなくなり、いま どうしているのか まったくわからない、とは 本作品の購入者にして出展者の丹 伸巨(たん・のぶお)さんの辯(べん)であります。 以下、美樂舎「マイ・コレクション展」の展示風景写真です。
Aug 21, 2017
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5月14日の配信「またまた合意破りの韓国政府」に関連して、読者からメールをいただきました。≪私ごとで恐縮ですが、2年前に95歳で他界した小生の叔父は、戦時中、徴兵を受けるとシナ大陸では徐州作戦、ビルマではインパール作戦に参加しています。そんな叔父の戦友会の会合があったので、その場に加わった小生は、朝鮮人慰安婦について出席者に尋ねました。彼らから返ってきた答えは、1. 下級兵士は朝鮮人慰安婦を「ピーさん」と呼んでいたそうです。2. すると「ピーさん、ピーさんとパカにするな、わたしらも、白い米くって、黄色いウンコし、お前ら兵隊と同じ、陛下の赤子や」と抗議されたそうです。3. シナ大陸では、どういう訳か分かりませんが、日本軍が進出する地域を朝鮮人の女衒(ぜげん)は既に察知していて、日本軍が現れる前に慰安所を設置していたそうです。4. そして、参列者の一人に尋ねました。すなわち「慰安婦におねがいしたことがありましたか」と。すると、出撃する前夜なんかは、まず飲んで、それから慰安所に行って、また飲んで、帰営するのが遅れると「明日出撃でありますが、冥途の思い出として、朝鮮銀行に貯金しました」と言えば上官も理解して、堪忍してもらえたそうです。5. 軍は慰安婦に色々な便宜を図り、結果的に一般兵士よりも生活状態はよかったそうです。という訳で、日本軍が朝鮮人婦女子を拉致し奴隷のごとく扱ったというのは、100%虚構であると信じています。それにしても、条約とか賠償協定において finally and irreversibly といった文言が挿入された場合の意味が韓国人は理解出来ないのでしょうか? もしそうなら、かの国との外交交渉は不可能です。≫【泉ユキヲより】 慰安婦は、その大半は朝鮮人や中国人ではなく日本本土(内地)から来た日本人女性だったので、まずその点は補足しておきたいです。 いただいたメールの「軍は慰安婦に色々な便宜を図り」というくだりだけとらえて「そォら見ろ、慰安婦は軍に属していたのだ!」と嬉々として言いつのる勢力がありますね。 朝日新聞が巻き起こした慰安婦騒動も、軍が慰安所に関与していた! と、さも大発見のように1面トップで大報道したのが、ひとつの出発点でした。 軍が動けば食べ物が必要で、米と缶詰くらいは持って行けても、野菜や肉を日本から運べるわけはなく、当然ながら現地調達です。 どうやって調達したか。その辺の畑や豚小屋から盗んだのか。 嘘八百でおとしめられる日本軍ですが「日本軍は畑や豚小屋から菜っ葉や豚を奪ってばかりいた」と語られることがまずないように、基本は現地の農民にカネを払うか物々交換で菜っ葉や豚を調達したわけですね。(残念な例外も若干はあったでしょうが。) こういう現地調達物資を安定供給してくれる現地の人々には「お出入り業者」として軍が「色々な便宜を図る」わけです。 まさかこういう現地農民までが「日本軍に属した」とは、反日諸氏も言いつのれますまい。 慰安所を経営した朝鮮人の女衒(ぜげん)のことも、軍は「現地業者」扱いして「色々な便宜を図る」。戦地なのだから、慰安所という prostitution の場所に軍の関知があったのは当然です。 軍が関知しない場所に、だいじな兵隊がふらふら行くのを軍が許すはずがありません。 なお「ピーさん」の「ピー」は現代中国語(北京語)で「女性器」を意味する俗語です。漢字では “尸” の下に “穴” の字を書きます。 “尸” の下に “水” を書けば “尿” ですね。会意文字なわけですが、その流儀でできた漢字です。 たしか明(みん)の時代にできた漢字だったかな。孔子・孟子や杜甫・李白の時代には なかった漢字なので、ふつうの漢和辞典には出ていません。 それにしても、朝鮮人の女衒が軍の進軍に先回りして慰安所を設置していたとは。なんという情報力! 現代の北朝鮮の工作員に脈々と受け継がれる、生き残りの知恵でしょうか。 「冥途の思い出として、朝鮮銀行に貯金しました」という兵隊さんのひと言に、慰安婦とのひとときに大枚(たいまい)をはたいていたことが推し量られます。
May 16, 2017
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あの国の人たちのことは、とっくにあきらめているけれど、5月13日土曜日の産経1面の見出しにはクラッときた。≪慰安婦合意 見直し勧告 国連委報告書 日韓両政府に≫ ジュネーブ発の共同通信報道に産経がつけた見出し。脳内は瞬時にふたつの赤ランプだ。「いまごろ築地は祭りだな」「やれやれ。月曜にはまた村田蓮舫議員が口をぐんにゃり歪(ゆが)め近隣国の代理人を務める姿を Facebook で見せられるのかね」 あの国の人たちは、どうでもいい。いちばん不愉快なのは、日本人のフリをする人たちだ。■ サンフランシスコ平和条約も見直しか ■ 共同通信の報道文を読んでみると、そもそもこれは韓国と連合国組織(いわゆる「国連」)専門家グループの間の話であって、日本政府は当事者になっておらず、いわばトバッチリを食っている状態にすぎないことが分った。 以下、共同通信の報道。≪国連の人権条約に基づく拷問禁止委員会は5月12日、韓国に対する審査報告書を発表し、慰安婦問題をめぐる2015年の日韓合意について「被害者への補償や名誉回復、再発防止策が十分とはいえない」と指摘、両国政府に合意見直しを勧告した。報告書は、両国政府は被害者への補償と名誉回復が行われるようにすべきだと強調した。≫ 「最終的かつ不可逆的に解決され」たはずの日韓合意にもかかわらず、韓国政府は早々に合意を破って連合国組織に審査を申請したわけである。 たとえて言えば、日本政府が「広島・長崎の被爆者への補償と再発防止策が不十分だから」と、サンフランシスコ平和条約の見直しを国連に審査申請し、これをうけて国連が平和条約の見直しを勧告するようなものだ。■ 韓国政府は提出資料全文を開示せよ ■ この「審査報告書」の原文を見たいと思い、いろいろ検索をかけてみたが、わたしの腕前ではムリだった。 いずれにせよ、国連に審査申請したのは韓国政府だから、審査資料は韓国政府の筋書きに沿って編んだものに違いない。 5月15日、月曜朝から日本政府が韓国にすべきことは・ 日韓合意は「最終的かつ不可逆的」ではないのかを問い詰めつづける・ 韓国政府が国連に提出した審査申請の全文の開示要求・ その内容の不備に対する容赦のない不備指摘 状況を整理してみたら、なぁんだ、むしろ日本側の見解を都大路(みやこおおじ)で堂々と主張する好(い)い機会を韓国からもらったようなものだ。韓国はまたまた墓穴を掘ったな。 すやすや眠って翌朝の日曜、5月14日の産経を見たら、案の定(じょう)である。■ 韓国の筋書に沿って国連の一グループが審査した ■ 5月14日の産経の1面トップの見出しは≪韓国 10億円拠出触れず≫ やっぱりね。≪韓国が国連拷問禁止委員会に提出した文書で日本政府の10億円拠出に触れず、日本側の履行が十分でないため慰安婦問題が解決されていないとの見解を示していたことが、5月13日に分かった。≫≪誤った情報に基づく勧告に日本政府は強い不快感を示している。≫ 予想どおりだが、あらためて、あの国の政府には あきれるね。 国連の Committee against Torture が出した審査報告書のさわりの箇所が、5月13日の共同通信英文報道に引用されている。U.N. panel calls for revising ‘comfort women’ accord to add compensation, reassurances for Koreans≪The agreement should be modified to“ensure that the surviving victims of sexual slavery during World War II are provided with redress, including the right to compensation and rehabilitation and the right to truth, reparation and assurances of non-repetitions,” the committee said in a report.≫ ■性奴隷か売春かハッキリせよ■ あいかわらず sexual slavery である。 日本政府は、「性奴隷」ではなく「売春 prostitution」であると、はっきりさせるべきだ。sexual slavery なり sex slave というキーワードが独り歩きするうちは、堂々巡りが続く。この議論から、日本政府は逃げてきた。もう逃げないでほしい。 sexual slavery と prostitution の違いは、何か。・拉致されたのか・本人(ないし家族)への対価を伴ったか この2点である。 慰安婦は、拉致されたものではなく(じつは拉致した朝鮮人業者もいて、それは総督府が取り締りの対象にしていた!)、本人への対価を伴っていたから、明確に prostitution なのである。この辺の議論をこれまで日本政府は対外的に ちゃんとしてきたのだろうか。 さて、共同通信報道の上掲箇所を和訳すると≪委員会は報告書のなかで、日韓合意は修正されるべきであり、それにより「第二次世界大戦中の性奴隷制の被害を被った生存者らに対する補償を確保せねばならない。確保されるべき補償には、賠償金および名誉回復への権利、真実が明らかにされる権利、償い、そして再び繰り返されないことの保証が含まれる」。≫ 上掲の 「 」 内の部分が原文である。 共同通信報道の和文にある「再発防止策」は、この英文を読む限り、第二次世界大戦中に慰安婦だった女性たちが再び慰安婦として動員されることがないようにする、ということだ。 世の中にいろいろな嗜好があるのは確かだが、さすがに老齢の彼女たちが性産業に再び動員されることはないと、これはもう100%保証できるのではなかろうか。 国連に言うとすれば、まずは日本国民に the right to truth を保証してほしい。真実が明らかにされる権利を日本国民こそ望んでいる。真実から逃げ回っているのは韓国であり、踊る国連のほうだ。
May 15, 2017
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帯広告や世間の評判でハチャメチャな本かと思っていたが、読んでみたら藝大生たちの話を真摯に聞き書きしたものだった。登場するいちばんの変人は、彫刻科に学ぶ学生さんかもしれない。著者自身の奥さんである。二宮敦人著 『最後の秘境東京藝大 天才たちのカオスな日常』 (新潮社、平成28年刊) いくつか、はじめて知る業界用語が。 作曲科の入試で。≪試験には新曲視唱というものがあります。初見の楽譜が渡されまして、しばらく目を通して、それからその場で歌う、という試験です。いかにリズムや音階を正確に歌えるかがカギになりますね。≫ (52頁) 鍛金にはこんな技法がある。≪木目金(もくめがね)という技法がありまして、色合いの違う金属を組み合せて木目のような模様を作る技法なんです。銅合金に銀とか金をパイみたいに挟んだりして、それをガス炉に入れて800度くらいまで温度を上げて、1日まるまる焼いたら金属がアツアツのうちに出してきてプレス機で物凄い圧力をかけてある程度まで潰します。冷めないうちに今度は鍛造機のでかいハンマーでガッツンガッツン叩いて潰します。最後のほうでは手で金槌もって叩きます。最初に10センチくらいの厚みだった金属の板が、1センチくらいになります。ここまですると違う金属どうしがくっつき、それをグラインダーや鏨(たがね)で彫ると、色の違う金属がつながった縞模様が見えてきます。それをさらにローラーにかけて薄い板にします。すると模様が木目のように見えてくる。これが木目金。3年生の前期で習う技法です。日本独自の技法です。江戸時代に考案されたみたいですね。≫ (134~135頁) 動力機械のない江戸時代にこの工程を行っていたとは! ネットで画像検索してみたら、たとえばこんな鍔(つば)。 声楽科で喉のケアは、プロポリス、ボイスケア、龍角散の3派に分かれるが、≪本当に調子がわるいときは、のどあめじゃダメなんです。何を使うかっていうと、響声破笛丸(きょうせいはてきがん)。漢方薬なんですが、これはききますね。最終兵器です。≫ (168頁) このかたは、仮面ヒロイン「ブラジャー・ウーマン」。絵画科油画専攻の立花清美さんだそうです。171~183頁をご参照ください。アートにオモテからもウラからも向き合う、すごいひとです。 上の画像はネットから拾ったもので、本のなかにはありません。 声楽科のひとによると≪声って、成熟してくるのは30歳から40歳くらいと言われているんです。≫ ということは、ミュージカルの役者さん、たとえば笹本玲奈さんなど、これからが いよいよ開花のとき、ということか。 ぼくもたしかに、自分の声をうまく調整できるようになったのは50代からで、それまではやたらと大きな声を出すことしか知らなかったが。 さて、アートって何?≪知覚できる幅を広げること……かなぁ。≫ (先端藝術表現科 村上愛佳(まなか)さん)≪ちゃんと役に立つものを作るのは、アートとは違ってきちゃいます。この世にまだないもの、それはだいたい無駄なものなんですけど、それを作るのがアートなんで。アートはひとつのツール、なんじゃないですかね。人が人であるための。≫ (院 先端藝術表現専攻 植村真さん)≪その時その時で面白いと思ったことをやっていこうかと。レールに沿って何かをやっていけば成功するとか、そういう世界ではないと思うんです。個人的にやりたいことがあってこそ。他者のニーズとは、あとからすり合わせていけばいいと。≫ (作曲科 山口泰平さん) 勇気がわいてくる名著です。
Mar 16, 2017
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あけましておめでとうございます。 わが家の玄関の正月飾りをご披露したいと思います。 右の生け花は、小原流の免状をいただいている家内がいけたものです。壁の家紋は「丸に剣片喰(けんかたばみ)」。 置物は、伊予一刀彫の南雲(なうん)工房のものです。 「仲よし親子」は南雲工房の平成丁酉年のための新作です。 こちらも南雲工房の「福寄せ宝尽し」の小屏風と「招福獅子」です。 絵は、阿部清子さんの「残響」。これはお正月だからということではなくて、廊下の置き台にずっと出してあるものです。モデルさんが家内に似ていらっしゃるので。 鶏の置物は「和」―― これも南雲工房の品です。12年前の平成乙酉年のための作と思います。 このブログを家族が読んでいないから書きますけど、今年はスイスのバーゼルで開かれるアートフェアと、ヴェネツィアのビエンナーレに行ってみたいのです。これをいま口にしたら血を見るのは確実なので家では黙ってますけど、ドイツ語とイタリア語の勉強に秘かに馬力をかけています。 商社をやめて収入が激減しちゃったので家での立場が微妙に悪いわけですが、サラリーマンでなくなったメリットは、メリハリつけつつきちんと生かしていきたいです。 平成丁酉年、皆さまそれぞれに いい年になさってください。
Jan 1, 2017
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銀座一丁目の Gallery Q で12月24日まで開催の Heartwarming 2016展で久々に絵を買いました。 クリスマス少女のサンタさんがモチーフなのですが会期中に持って帰るわけにはいかないので、ぼくの部屋で飾るのは来年ということになります。それで、ブログで公開しておきます。黄之洙(こう・ししゅ) Jisoo HWANG 「ある冬のアトリエ」 [ミクストメディア 455×530mm] 黄之洙さんは弘益(Hongik)大学(韓国ソウルにある私立美大)を卒業し、現在は多摩美術大学の修士課程2年目、油画を学んでいます。 ところで、この絵の右上にご注目ください。 あ、上田雄三先生ではないですか! 多摩美で教鞭をとり Gallery Q の主宰でもある上田先生を配した心憎い作品です。 来年12月に部屋に飾るのが今から楽しみです。
Dec 24, 2016
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わたしが長年親しくさせていただいている松山市の伊予一刀彫・南雲(なうん)工房の西川南雲(なうん)先生の「酉」の一刀彫が、来年・丁酉(ひのととり)の82円年賀切手の図案に採用されました! めでたいことです。 南雲工房からは、平成16年・申(さる)年の50円年賀切手にも「三番叟(さんばそう)」の一刀彫が採用されています。 新作工藝が2度も年賀切手に登場するとは、尋常ならざる栄誉です。 この話題の酉の一刀彫は、↓ こちらのサイトで簡単にお求めいただけます。http://www.naun.co.jp/top.shtml「伊予一刀彫 南雲工房」ひのと「冠」(桐箱つき) 10,000円+税一番どり 6,000円+税福酉 3,500円+税 わたしが購入したのは、こちらの鶏一家のほのぼのした一刀彫です。仲よし親子 8,500円+税 お正月の慶びがまたひとつ増えました。「仲よし親子」を玄関に飾れるのが楽しみです。
Dec 12, 2016
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「アートとは何か」みたいな論考は山ほどある。しかし、もっと根本的な問いへの答えをほとんど読んだことがない。 「アーティストはそもそも、金銭上の成功確率も極めて低く、企業年金もつかず老後の安定も望めない<アート作品制作>という行為になぜこれほどのめり込むのか」 ミハイ・チクセントミハイ著『楽しみの社会学』の序文で、この問題が滔々(とうとう)と論じられていて腑に落ちた。M・チクセントミハイ著 『楽しみの社会学 ―不安と倦怠を越えて―』 (今村浩明 訳、思索社 昭和54年刊、新思索社から新装版 平成13年刊)≪遊びに典型的に見られる楽しい経験への没入は、ゲーム以外にもしばしば生ずる。この考えは実に十数年前、制作中の藝術家たちを観察したときに、わたしの心のなかに結晶しはじめたものである。あるひとつの事柄がとりわけ興味をそそるものとしてわたしの心を打った。絵を描くことから名声も生活の資もほとんど得られないという事実にもかかわらず、わたしが調べた藝術家たちはほとんど熱狂的に彼らの作業に打ち込んでいた。彼らは昼夜を問わず制作し、彼らの生活の中でそれ以外のことは眼中にないかのようであった。しかし制作が終わるや否や、彼らは自分の絵や彫刻に対するすべての関心を失うようであった。また彼らはお互いの絵や力作に対しても、さほど大きな関心を示さなかった。ほとんどの藝術家は美術館へ行かず、自分の家を美術品で飾ることもせず、自分や友人の作品の美的価値について語り合うことにも次第に退屈し、困惑を感ずるようであった。≫ このくだりにピンときた。わたしも不思議に感じていたからだ。 画廊などで会うアーティストと話をしても、彼らは画廊巡りなどという趣味を持っていない。ほかの作家の作品を見てまわるということがほとんどない。並み居るアーティストたちより、商社マンふぜいのわたしのほうがよっぽど多くの藝術作品にふれていた。 アーティストが、愛する自作品で部屋の壁を埋め尽くしているかというと、そういうこともなくて、部屋の壁に作品が立てかけてあるのは単に「ほかに置場がないから」。置場がない作品はけっこうさばさばと廃棄処分しているようなのである。コレクターにとって、あるまじきことなのだが。≪彼らが非常に好んだのは、些細な技術上のこと、美術制作に含まれる行為・思考・感覚などのスタイル打破について語ることだった。絵を描くという活動それ自体のなかにある何ものかが彼らを制作させつづけているということが、次第に明らかになってきた。作品を作る過程が非常に楽しいので、彼らは制作する機会を得るために多くのものを犠牲にしがちであった。そこには、木枠にキャンバスを張る、絵具のチューブを絞る、粘土をこねる、キャンバスの空白部分に絵具を散らすといった、何らかの身体活動的な要素があった。制作を進めるうえで、問題を選び取る、主題を決定する、新しい組合せの形式や色・光・空間を試すといった認知的活動があった。できあがりつつある作品に関して、自分の過去・現在・未来について考えるという情緒的な働きかけがあった。藝術的過程のこれらすべてが、その魅惑的で構造化された経験のなかに統合されていた。≫ アーティストの心のなかでは、図らずも、できあがる作品よりも むしろ作品制作のプロセスそのものが 制作活動の主目的となっているのだという事実を発見したわけである。≪藝術家たちは内発的動機づけの重要性についての手がかりを与えてくれた。彼らの行為は、仕事が生活に楽しさと意味とを与え得ることを暗示した。≫ 著者はこのあと本論で、チェスやロッククライミングなどを取り上げてアンケート調査に基づく社会学的考察を展開する。 とりわけ読ませるのが、外科手術にたずさわる外科医たちの話。まったく予想外の話だが、外科医にとって外科手術は最高に自己達成感を得られる魅惑のプロセスらしい。
Dec 6, 2016
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人工知能が2040年に中国でしでかす「あること」について本を書く準備をしています。(小説という形式になるでしょうね。) 「ハーバード・ビジネス・レビュー」誌の小論文を掲載した本書から若干抜き書きしておきます。『人工知能 機械といかに向き合うか』(ダイヤモンド社、平成28年刊)≪上級の辯護士は法律を熟知しているが、法律のあらゆる細かい点を探求する専門家であることは稀である。彼らは労力の大半を新規案件の獲得――昇進に直結する実績と見なされることが多い――に傾けており、クライアントの懸命な相談相手として振る舞う。もし機械が法律文書を読み取って行動や議論の方向性を示すことができれば、彼らがそれ以外の仕事に向けられる余力は増えるだろう。このことは、その他の専門職、たとえば上級の会計士、建築士、投資銀行家、コンサルタントにも当てはまる。≫ (23頁) なんとまぁ、パートナークラスの辯護士の目下の主業務は “営業活動” かよ、とまずビックリです。≪(ある財務アドバイザーの言)台本を読むだけならばもちろんコンピューターにもできますが、クライアントを説得して投資額を増やしてもらうには、それ以上のスキルが必要です。現にわたしは株式仲買人というより精神科医のような役割を果たすこともしばしばあります。≫ (34頁)≪人間は前例のない状況でも、普通には利かないアナロジーを利かせ、見立てていく。1回や2回の経験からも即座に気づき、学ぶ、これは生命にとってのある種のサバイバルスキルといえる。≫ (52頁)≪AIは問いを投げかける力を持たない。人間の知性の源といえる「複数の視点から本質的なポイントを見つける」「コンテキストに合わせた現象の総合的な理解とその意味合い出し」というような広く深いパターン認識も期待するのは困難だ。」 (52~53頁) そうとも言えないんじゃないの? 人間だって、けっきょくは「あてずっぽ」「下手な鉄砲」の積み重ねでやってるだろう。≪これまでは人間の手で現実世界の森羅万象の中から変数を取り出し、それをコンピューターに与えていた。たとえば、ビールの売上と気温の関係を重回帰分析するとしよう。このときは気温が変数だが、気温ではなく湿度や曜日を変数に置くことも考えられ、何を変数に定めるかは個人の判断で変わる。人間の勘と経験に依存していたともいえる。機械学習ではこうした変数を「特徴量」と呼ぶ。特徴量に何を選ぶかで予測、分類、回帰、分析の精度は大きく変化する。人間のばあい、同じ作業を何度も繰り返すなかで適切な特徴量を決めるコツをつかむ。同様の作業を視覚でもやっており、子供のころから目の前に何があるかを理解するためにさまざまな特徴量を無意識のうちに導き出している。従来のコンピューターは、何が特徴量かを自発的に構成することができなかった。これが機械学習における最大の問題であったと言っても過言ではない。そうしたなか、2012年にカナダのトロント大学が開発した Super Vision が大きな衝撃を与えた。データをもとにコンピューターがみずから特徴量を作り出す機械学習の方法であり「表現学習」の1つとされる「深層学習」(ディープラーニング)によって、驚異的な画像認識の精度を実現したのだ。AI の研究が始まってから約50年刊、コンピューターが自動的に特徴量を探し出せることなど想像もされていなかった。それをディープラーニングが可能にしたことで、「人間の知性はコンピューターで再現できる」という当初の仮説の証明に向けて大きな前進を迎えた。≫ (108~109頁) コンピューターに、特徴量の候補をそれこそ“やみくもに”列挙させ、それぞれを試しに特徴量と置いて“下手な鉄砲”よろしく分析させ、その分析結果を比較させてはどうだろう。 そうすれば、実態にもっとも適合する結果を生む特徴量を選択させることができるのではないだろうか。 コンピューターに“決め打ち”を期待してはいけない。 ムダな作業を厭わないことがコンピューターの取柄なのだから、人間ならやらないようなムダをさんざん繰り返させればよい。≪デジタルの進歩の多くがGDPに勘定されない。たとえばウィキペディアは、昔ながらの『ブリタニカ百科事典』とは違って無料です。つまり、はるかに多くの人々に付加価値をもたらしても、GDPの数値には含まれない。≫ (206頁) であれば、Gross Domestic Product に替えて Gross Domestic Convenience のような概念を打ち出してはどうかな。≪初等・中等教育では、適切で有益なスキルを教えなければなりません。つまり、コンピューターが得意としないもの――創造性、対人スキル、問題解決などです。≫ (211頁) そう、けっきょく人間に残るのは「対人スキル」なのだと思う。 ぼくは、自分が対人スキルにおいて からきしダメなのか ほどほどなのか、じつはよくわからない。
Nov 23, 2016
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斉藤蓮舫議員の二重国籍問題で、国政の場で日本国民を代表すべき人士の氏素性への関心が高まったのは良いことです。 わたしに言わせれば、国会議員は芸名ではなく戸籍上の本名で活動すべきでしょう。選挙のときだけは芸名も認める、という線でどうでしょうかね。 大臣に就任すると資産を公開することになっており、所持している株式の銘柄と株数まで公開されます。 公人として そこまで 公開すべきものなのなら、いっそのこと、大臣や政党役員は二等親(祖父母、父母)までの国籍変遷(誕生時以来の国籍がどうなのか)を公開し、タブー情報にしないという決めごとにしてはどうでしょうね。 もちろん、親が韓国人であろうが、米国人であろうが、本人がいま現在日本人なら堂々と日本国民の代表を務められるのは当然です。 ネット上では、かねてより「土井たか子=李高順」説とか「福島瑞穂=趙春花」説とかが浮き沈みしてきました。二等親までの国籍変遷を公開することが「国民の知る権利」確保のためにルール化されれば、ダークな言説は払拭できます。 いいことだと思うのですが。
Oct 1, 2016
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北方領土は、白か黒かの議論でまとめようとすると、妥結は不可能だろう。ロシアが択捉(えとろふ)島までまるごと日本へ引き渡す気配は まったくないし、日本が これを軍事力で強要するという選択肢もありえない。 わたしの長年の主張を、具体的に書いてみた。(1) 歯舞群島・色丹島・国後島・択捉島に対する日本の主権は譲らない。(2) これらの地域は、旧地権者に対して日本政府が最低限の補償金(昭和22~25年の「農地改革」時の低額の補償金に物価変動率を掛けたもの)を支払い、すべてを日本国の国有地・政府直轄地とする。(3) これらの地域を ロシアの租借地とすることを 1945年に遡って認める。(これによってロシアによる不法占拠は遡って合法と位置付けられ、日本に対する侵略国家は竹島を不法占拠する韓国のみとなる。)(4) 租借地とする期間は 歯舞群島・色丹島は 2018年まで、国後島は 2020年まで、択捉島は 暫定的に2045年まで(昭和20年から数えて100年目)とする。(5) 択捉島の租借期間に関する最終交渉は2043年までは行わず、2044年から開始することとする。 ロシアとの交渉対象を「租借期間」という延長伸縮自在のモノサシにすれば、「白か黒か」とは別のいろいろな選択肢が出てくる。 ロシアが択捉島を引き渡す気がまったく無いとすれば、租借期間をたとえば西暦2100年までとする手もある。 それでもダメなら「西暦2200年までロシアが租借」とすれば、ロシア人はゲラゲラ笑いながら署名するだろう。■ なぜ霞が関官僚らはホンキでないのか ■ 日本政府もロシア政府も、千島列島に地下資源がありそうか、さんざん調査はしたはずだが、今日に至るまで何も出てこない。石炭もガスも石油もその他の鉱物資源も無いようだ。 北方領土問題をわざと日露間に残したのは、当然ながら米国の巧妙な策略だ。ロシアが冷戦に敗れたあとも、米国は北方領土問題に手をつけさせなかった。 米国を刺激しすぎると、北方領土問題で米国が日本側についてしまう。そうなると不利だから、ロシアもこれまで慎重で、国後島にミサイル基地を作ったりはしなかった。 米国という重しがあったがゆえに、北方領土返還交渉は今日に至るまで防衛上の課題とはされてこなかった。 漁業権は、領土問題と切り離して日露間で交渉を行うことも可能だから、これまでそうやって乗り切ってきた。 領土交渉が、産業上も防衛上も直接には大きな意味を持たないとすると、残るは「国家としてのメンツ」と「かつての島民の望郷の念」という情緒的なところに収斂してしまう。 これでは霞が関の官僚たちがホンキで取り組まないわけである。■ 色丹島はデカい ■ 北方領土返還運動の原動力が「かつての島民の望郷の念」にありとすれば、旧島民らから土地を買い上げるなど論外、ということになる。 しかし、それでよいのか。 色丹島はひょっとしたら安倍政権のうちに戻ってくるかもしれない。 「色丹島が戻ってきたぞ、バンザーイ」と叫んだ翌日から、旧島民を地上げ屋が訪れて土地を買い占め、産業ゴミを野積みで廃棄する場所として利用する、なんてことにならないか。 色丹島は納沙布(のさっぷ)岬から70キロ以上も離れている。面積は225平方キロ。東京の山手線の内側の総面積の約3.6倍である。 国後島・択捉島に比べると小さいから、どうでもいい島のように考えている向きもあるかもしれないが、それなりにデカい島なのである。色丹島と国後島 (NASAによる衛星写真) 意外にデカいこの島の人口は? Wikipedia ロシア語版によれば、2010年に わずか2,820人である。(ほかの言語版には、もっと少ない人口が記載されている。) こんな好条件の場所がまるごと日本の国有地だったとしたら、まさか「観光地として整備しましょう」みたいなことは言わないよね。 砂漠もなく、シベリアのように広大な未開の地もない日本に、色丹島のような場所が国有地・政府直轄地としてあったなら、用途は一点だ。 原発が生み出す高レベル廃棄物の地層処分の場所として使いたい。■ あらゆる問題が回避できる ■ 高レベル放射性廃棄物は、どのように保管するのか。水に溶け出てはいけないし、空中に飛散してもいけないから、ガラスと混ぜて固める。このガラス固化体を金属容器に入れ、粘土で覆って、地下300メートルよりさらに深い安定した地層に保管する。 保管期間は10万年だ。SF小説じみるが、要すれば「人類文明が続く限り」である。 人類が滅んだら、バルタン星人かメフィラス星人にでも面倒をみてもらうということだ。 こんな場所を、北海道から沖縄まで、既存の地方自治体で探すのは至難の業である。 住民への補償金だけで兆円単位になるだろう。あらゆる反日団体が全国の痴呆老人を総動員してウンコにたかる蠅のように集結し、トンデモない知事や市長・町長が登場して延々と裁判沙汰が続く。 疲れるね。 色丹島を国有地とし、根室市にも北海道にも属さない政府直轄地にして入島をきびしく制限すれば、あらゆる問題が回避できる。■ もはや他人事と言えない経産省 ■ 色丹島の地質調査を行って、適地が見つからなければ、残る候補地は国後島である。 国後島の面積は1,490平方キロ。東京都の面積の0.68倍である。沖縄本島の1.24倍の面積だ。 ここに適地がなければ、次は米国にウン兆円払ってネヴァダ州にでも適地を求めるほかあるまい。 北方領土返還交渉に、高レベル廃棄物の地層処分がからむと何がいいか。 これまで他人事(ひとごと)と考えていた経産省をはじめ国土交通省や総務省など、あらゆる中央官庁が俄然、交渉推進役に回るだろう。 逆に最悪のシナリオは、巨額の経済支援と見返りに色丹島(や国後島)を取り戻したあと、旧地権者らが のさばりはじめて、国策による土地利用に対して巨額の賠償金を要求するというケースだ。 そういうとんでもない状況を回避するためにも、歯舞群島・色丹島はさっそくにも国有化・政府直轄地化が望ましい。 中国がモンスターとなったいま、外交戦略としてロシアを日米側につけることは当然必要だ。傲慢中国のおかげで、日露間の領土交渉を急進展させるべき状況は十分に整った。
Sep 26, 2016
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「銀座ビジネス英語gym」は 事前予約制の英語教室です。まずは、初回おためしレッスン(50分、1,000円)を体験してみてください! みなさん「おもしろかった」と言ってくださいます。 入学金・前金は一切なし。レッスンごとのお支払いです。 詳しくはこちら:http://plaza.rakuten.co.jp/ginza1gym/diary/201608240000/ 受講者に Should English education start from the first year of elementary school? というお題で英文を書いてもらいました。 やりとりは、メールで行っています。<受講者の writing>It seems to be the unavoidable fact that English ability broaden the possibilities of one’s life today. Therefore, I believe it is good for children to have environment to come into contact with English early and become to think that speaking English is not special. But they should learn their native language firmly before they gain the ability to think logically. So, I think it is good timing to start a class to familiarize children with English from the first year of elementary school, and grammar and writing should start from junior high school.<泉 ⇒ 受講者> 考え方がよく整理されていて、いい writing だと思います。 an unavoidable fact という言い方はあるのですが、ここではちょっとネガティヴすぎるかな。 母語をしっかり学ぶことで論理的に考える力を身につける必要がある、という展開はとてもよいと思います。母語を「しっかり」身につける というつもりでの firmly ですが、learn something firmly というのは しっくりこないです。Google 検索しても、ヒットする例が少ないですね。 若干手をいれてみました:It is a clear fact today that your ability in English will broaden the possibilities of your life. I believe it is good for children to have a learning environment to come into contact with English at a very early stage. Speaking English should not be something special. But it is also advisable that children might learn their native language very well so that they gain the ability to think logically. In conclusion, the good timing to begin an English class to familiarize children with the sound of English would be the first year of elementary school, whereas learning the grammar and writing in English may start from junior high school.
Sep 19, 2016
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Sep 17, 2016
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「銀座ビジネス英語gym」は 事前予約制の英語教室です。まずは、初回おためしレッスン(50分、1,000円)を体験してみてください! みなさん「おもしろかった」と言ってくださいます。 入学金・前金は一切なし。レッスンごとのお支払いです。 詳しくはこちら:http://plaza.rakuten.co.jp/ginza1gym/diary/201608240000/ 皆さんにぜひお薦めしたい学習英英辞典に出会えたので、ご紹介します。 Newbury House Dictionary plus Grammar Reference [5th Edition]. 版元は米国ボストンの National Geographic Learning 社です。 Amazon で 3,988円で購入しました(現在は在庫切れ、入荷待ち)。 この第5版は書籍上には2014年刊とあり(Amazon では発行日 2013/3/12 となっている) イキのいい辞書です。 blogosphere とか cloud computing のような新語を積極的に取り上げて丁寧な語釈を加えています。 見出し語が約4万語ありながら、字が英字新聞並みに読みやすく、57歳のわたしが1頁をまるまる読んでも苦になりません。 例文も充実しており、辞書を回遊しながら学習する楽しみが存分に味わえます。 収録語は、専門用語を減らして、かわりに現代生活で使われるイキのいい語彙を取り込んでいます。たとえば Y の項をみると、見出し語はこんな具合です:y, yacht, yachtsman, yack, yackety-yack, yahoo, yak, y'all, yam, yammer, yank 知らない単語がいっぱい……。 yack や yackety-yack, yahoo, yam, yammer, yank にはそれぞれ例文がついています。 それを聞いただけで 好奇心をそそられる というかたは、もう立派な語学好きといえましょう。 基本単語は、語釈に凝るよりも言い換え語彙を習得させることに重きを置いています。たとえば move の項を見ると…… ここで注目すべきは、例文表示にわざわざスペースをとって、言い換え語彙をつかった例文もフルセンテンスで示していること。学習者に例文を読んでもらうことで、ことばが学習者の血となり肉となるようにと願う編著者らの思いが伝わってきます。 たとえば move の第1語義ですが、たんに to advance, proceed と言い換え語彙を表示することで済ませることもできるのに、あえてTraffic moved slowly out of the city during rush hour. Traffic advanced (or) proceeded slowly out of the city during rush hour.と、かなり長めの例文を示しています。 ことばって生きものだなぁ! と実感します。こういう長めの例文を読んではじめて、文脈のなかで息づく英単語が学習者の脳のなかにも居場所をつくるわけです。 わたくし、この辞書は通読しようと、マジで思っています。冗長な記述は排除しつつ、次々と新しい情報に出会わせてくれる名著です。
Sep 16, 2016
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溝上憲文さんが オワッタ「ブラック上司」なら部下もオワル と題して一文を書いている。(1) 部下依存(上意下達型)上司(2) 「おれの背中を見ろ」上司(3) 独裁型上司(4) 「飼い殺し」上司という4タイプの上司像を挙げて解説している。 まずは自省から。ぼくは強いていえば (2) の「おれの背中を見ろ」型だったかも。 プライドが強すぎて上司への営業力(媚びを売るとか週末ゴルフとか)にとことん欠けた。事務能力はあったので、与えられた仕事を自己完結型に黙々とこなした。 たまに部下が来ても仕事を任せることができず、部下を育てるのが不向きの人間と見なされたようだ。 しかしこれだけは言えるが、ひとに物事を説明するのはうまいほうだった。 某役員やその傍仕えの人たちの見識の低さを軽蔑したのが自ずと伝わり、40代後半で半ば干されてデスクワーク業務に縛られた。 ヒマを持て余して、勝手に社内研修講師を始めた。「ガスタービンの仕組み」とか「プロジェクトファイナンス入門」とか。会議室を予約し、本部内の一斉発信メールで「研修やりますよ~」と参加者を募って。いわば、趣味の研修講師だった。 ほんとは部下を育てるのもほんとは上手だったのかもしれない。よくわからない。 * * * いっぽう、上司はどうかといえば、「飼い殺し」型だった。溝上憲文さんの解説を引こう。≪有能な部下を抱え込んで、使い倒すまで手放さない上司のことだ。ブラック企業ならぬ “ブラック上司” だがこのタイプの上司は多い、と指摘するのはサービス業の人事部長だ。「上司にとっては戦力となる兵隊が集まっていたほうが、自分にとっては楽だし、優秀な人材を囲い込みたがる人が多いのは事実。しかし、部下にとっては他の部門で活躍できる可能性があるのに、その芽をつぶしていることになる」例えば、部下が自己申告書で毎年異動希望を出してもずっと無視する。社内公募に応募しても「君はこの部署を背負っていく人間だ」といった甘言を弄して封じてしまうことすらやってのける。しかし、昇格することなく、本人も腐ってしまい、仕事に対する意欲も失ってしまう。≫ じつは入社後に英語の試験があったとき、点数が同期130余名のなかで1番だった。海外留学組よりいい点数だった。 語学力も事務能力もあったのだが、けっきょく海外駐在は入社3年目から6年目にかけての3年間の北京駐在だけだった。あとは東京本店に縛り付けられ、便利屋として重宝され続けた。じつはテヘラン駐在とニューヨーク駐在の話もあったのだが、便利屋として使おうとする人々によってつぶされてしまった。 振り返ってみると、やはり会社組織で上に上がっていくには、適度に鈍感、適度にオバカでなければならない。 ぼくは敏感すぎた。上に立つ者はぼくより見識のある人間であるべきだという理想論に支配され、それに当てはまらない上司のことは軽蔑し、それが自ずと上司本人にも伝わった。 批評家となるには それでよいが、組織人向きではなかったということだね。
Sep 9, 2016
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ようやく「シン・ゴジラ」観てきました。なんか9月に入って世の中のモードが変わってきて、ネタバレだろと思わせるような文章が新聞に出るようになっちゃいましたからね。 石原さとみさんのファンですから、彼女の出演シーンはとくに注目したんですが、難しい役どころですね。役を消化しきれず、役に振り回されてしまって、俳優・石原さとみの気負いがナマのまま表面に出てしまった感じがします。 彼女は忙しいので、あまりリハーサルに時間を取れなかったと思います。 8月4日の The Japan Times に Mark Shilling さんの書いた映画評が出ていて、そのなかで石原さとみさんは ". . . the badly miscast Ishihara and her shaky English are not meant for export.(痛いミスキャストの石原と彼女のイマイチの英語は、そのままではこの映画を海外へは持っていけまい)" と酷評されていて残念でした。 さとみさんは、自然な英語になるよう一生懸命に取り組んでいらっしゃるんですが、英語のセリフのなかで不自然に不明瞭なところがあって、ネイティブの英語よりも聞き取りにくい英語になってしまっていました。 さとみさんの英語は poor English ではないのですが、shaky (= not completely correct) English という評はやむをえませんでした。 英語はあのスピードでしゃべると、そこここで ほとんど聞こえなくなる単語が散在するわけですが、それでもキーポイントとなる単語は明瞭に残ります。さとみさんの英語の場合、キーポイントとなる単語がふにゃっとなっちゃったんですね。日本人がスピードを上げて英語をしゃべるときに、どこをつづめるか、その勘所を現場でさとみさんに教示するスタッフがいなかったのが惜しまれます。 藝能プロダクションは、そういうところを指南する多言語スタッフを必要に応じて外注してほしいです。 ぼくがキャスティングするなら、さとみさんの演じた役どころには Sylvia Grab (シルビア・グラブ) さんを充てたいところです。もっとリアリティが出たと思います。 「シン・ゴジラ」はセリフが異常に多いシーンがあるので、海外に出すとしても字幕は難しく、吹き替えになるでしょうね
Sep 8, 2016
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「第25回美樂舎マイ・コレクション展」が Artcomplex Center of Tokyo (新宿区大京町12-9) で、8/23 から きょう 8/28 まで開催されています。 きょう最終日は展示は11時~15時。 15時すぎからは講演会「丸沼藝術の森30周年を迎えて」(須崎勝茂さん・丸沼藝術の森 代表)とクロージングパーティー。 展示観覧は無料。講演会・パーティーは会費1,000円となっております。 さて、わたしのコレクションからの出展は3点です。 右側の作品から解説いたします。Roby Dwi Antono “Ballad of Hero III” [平成27年制作、油彩] 作家はインドネシア人。Art Fair Tokyo 2016 でフィリピンの画廊のブースで購入しました。「ヒーローのバラード」三連作は、ほかにウルトラマンと仮面ライダーをモチーフにした作品があるのですが、戦隊戦士を換骨奪胎した本作がベストと思います。 まるでダリ作品のような明るい光の中、メカニックな仮面から“内臓”としての脳があらわにされ、兎は苦渋の喪失感のうちに そこに たたずむ。 「ヒーローが日常に戻ったとき」というのは、ありそうなテーマですが、本作はさらに原初へと戻って、メカニックなヒーローの肉体の核をさらけ出すことで、輝く存在の内実の虚しさをさらけ出しています。 手前の蛙は、これを現実世界から眺める我々自身だと思いますね。高松ヨク 「フランケン」 [平成24年制作、ボードにアクリル] Gallery Tsubaki (京橋三丁目) の高松ヨク個展で購入しました。フランケンシュタイン博士の怪物の沈黙は深海のように深く、哀しみが螢光を放ちます。 作家は昭和20年生まれ、IFAA(国際幻想芸術協会)所属。一作一作の、じつに丁寧な仕事ぶりに感銘を受けます。松岡平四郎 「加護(Divine Protection)」 [平成27年制作、パネルにアクリル] Gallery Art Point (銀座八丁目) の若手グループ展で購入しました。 ヒーローロボットの背後の光にかすかに女神の姿が見えます。ロボットは苦悩の表情だがその闇を加護の光が包み込みます。SF画の心情表現が宗教画の域に高められたのです。活劇イラストを超えた松岡ワールドの今後が楽しみです。(写真を見ると上部と右側がフラッシュの照り返しのように見えますが、これは絵そのものに描かれた女神の加護の光です。) さて、他の皆さんの出展作品を見てみましょう。 まず、わたしの左隣りの丹伸巨(たん・のぶお)さん。今年は髑髏(しゃれこうべ)と女性をモチーフにした小品3点です。左が 高田美苗 「冥婚2」。 右が 鳥居 椿 「接吻」 会場で目を引くのが北林憲次さん出展の三木富雄の「耳」作品。それに楢崎卓茂さん出展の菅井汲(すがい・くみ)のリトグラフを配するという心憎い配合となっております。三木富雄 “The Last EAR” 菅井汲 「青 ’60」[昭和35年制作] 三木富雄の「耳」は、昭和52年に制作された粘土像を原型に昭和63年に8体限定でアルミニウム合金で鋳造されたものです。 さて、会場でいちばん高価なのが、松原寿幸さん出展の古吉弘作品と奥龍之介作品。わたしが出展したものが100枚買えてしまうようなお値段なのですが、さすがそれだけのことはあります。といっても、わたしはやはり、わたしのコレクションしたものが至上と考えておりますが。左が 古吉 弘 “MIKI” [平成23年制作、油彩・キャンバス M10] 右が 奥 龍之介 「バイオリンを持つ少女」 [昭和55年制作、油彩・キャンバス F15] 会場でこれまた異彩を放つのが、鈴木忠男さん出展の絵幟(えのぼり)です。鈴木さんは、現代アート蒐集の一方で、絵幟コレクションは日本でも指折りのものをお持ちです。 今回出展のものは明治後期の作とされるもの。もとはもっと大きな絵幟でしたが かなり朽ちてしまい、馬の部分だけを切り取ったものが今に伝わり鈴木コレクションに収まったわけです。 コレクターが蒐集品を出展しあう マイ・コレクション展、略して「マイコレ展」。これに自分のコレクションを出したいというのが動機で、わたしもコレクター団体「美樂舎(びがくしゃ)」に入ったのでした。 さまざまな傾向の作品が出展されるのですが、それぞれに蒐集家が作品に寄せる愛が伝わります。今年も、いい展覧会になりました。
Aug 28, 2016
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拙著『英語学習の極意』(文春新書)は、帯に≪リスニング強化には高速音読法が効く!≫と銘打ってある。典型的語学教材のような ゆっくりモードではなく、ニュースのアナウンサーのような速度で音読練習をバシバシやることを勧めている。 横山カズさんの新刊も「パワー音読」と称して同じことを勧めている。同志が増えるのはいいことだ。横山カズ 『英語に好かれるとっておきの方法 4技能を身につける』 (岩波ジュニア新書、平成28年刊) 行き着く先は同じなのだけど、パワー音読の途中過程で目新しいのは次の2点だ。【ささやき音読】≪10メートル先に立っている友達に全力で内緒話をする感じです。声を使わずに、息だけで強く口に出します。要するに子音しか使えない状態を作り、全力でやればすべての子音が一気に強化できるということなんです。≫ (79頁) 英語の発音はとりわけ、子音が際立つというか「粒立つ」。子音をはっきり発音するのは、英語の発音でとてもだいじなのだけど、その練習法として「ささやき音読」は確実に効くはずだ。【和訳音読 ⇒ 感情音読】≪英文の内容を和訳して日本語で読みます。直訳でなくても、少し自分でアレンジした日本語でかまいません。「自分だったら日本語でこう言うだろうな」と想像しているとよいでしょう。自分らしい日本語で読めば、当然 感情や思いが格段に乗せやすくなります。≫≪「和訳音読」で感情をこめて読んだ文を、今度は英語で読みます。すでに自分の感情と文を一致させて日本語で読んでいますから、その気持ちを今度は英文にこめて読みます。≫ (80頁) 音読練習をするにしても、英文が機械的な棒読みになってしまっては実戦力につながりにくい。自分自身の英語に感情をこめるのは、英語国に行って英語環境に身を置けば自然にできることだけど、日本にいながらこの境地に達するのはむずかしいことかもしれない。 それを乗り越えるために、和訳音読という迂遠(うえん)な道をあえて経由しようというもの。 自分はそんなこと、さらさらやるつもりはないから、ひとにも勧められないのだけど、方法論としては的を射ているね。 横山カズさんは『CD-ROM付 最強の英語独習メソッド パワー音読入門 英語を話す筋力と反射神経を鍛える』という本を平成27年6月に上梓している。* * * あともうひとつ感心するのが「途切れなく話すための “ ,(カンマ) which” 」というくだり。日本人が苦手とする関係代名詞を自分のモノにするための、とてもいい方法だ。≪ “,which” は「そしてそれが」もしくは「そしてそれを」という和訳で最初は覚えておきましょう。短い文をどんどんつぎ足しながら途切れなく話すことができるようになります。≫ (99頁) たしかに、これも効く。「 “,which” のトレーニング」として著者の横山カズさんが挙げているのが、こんな文だ。≪I went to Kobe the other day and met my old friends, which was a great time because we had such a nice conversation, which I want to do again sometime soon, which could be pretty difficult though as my job usually doesn’t allow me to do it, which I hate.≫ (99~100頁) 横山カズさんは本書前半では身の上話をいろいろ書いている。この辺も『英語学習の極意』の同志だね。
Aug 15, 2016
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≪マルセル・デュシャンの時代は終わりました。現在のアーティストは、絶えず変化する現実のなかで進化しています。<中略>アートとはつまり「ある個人がこの世界にどう反応するか」ということで、結果としてアートはきわめて政治的になります。(ロレンツォ・ルドルフ)≫ (186頁) 「アート」とは何か、という青い問いにパシッと答えてみせることが、現代の藝術談義には欠かせない。≪私がアートを定義するとすれば「世界との新たな関わり方を生み出す活動」かな。現代アートが嫌いな人は、自分たちが常識だと確信していることを覆されたくないのです。そういう人は、世界がどう動くのか前もって知っていると信じている。ところがアート作品は、私たちを取り巻く世界のはかなさを示してくれます。そういう既成概念を壊すのがアーティストですからね。私はアート作品を前にしているとき、なぜこの作品に心が動かされるのか考えるようにしています。それこそが、人が感じることのできる最も繊細で高度な感覚です。 (ニコラ・ブリオー)≫ (298頁) このニコラ・ブリオーさんの定義のほうが、ぼくには納得感あり。≪現代アートを追いかけるということは、同時代を生きるということであり、会社で機械のように働かされて失った自由を買い戻す行為でもある。画一的になるいっぽうの社会で若者たちは、ほかの人との差別化をはかる最後の砦としてアートをとらえている。<中略>新しい世代にはふたつの欲望がある。自分がユニークな個性の持ち主であることを主張したい欲望と、承認欲求を満たすことのできるグループに所属したいという欲望だ。≫ (225頁) アートコレクターもまた「失った自由を買い戻す」ためにアート作品を買っているよな。コレクターとしてのぼくは確実に「ほかの人との差別化をはかる最後の砦」としてアート作品を買っていたな。 「承認欲求」というのもだいじなキーワードだ。銀座ビジネス英語gym でも、学習者の「承認欲求」に寄り添うことが大切だ。ダニエル・グラネ/カトリーヌ・ラムール著 『巨大化する現代アートビジネス』 (紀伊国屋書店、平成27年刊) 作家かつ実業家のジョゼ・フレッシュ氏いわく「アーティストと企業家はいずれも冒険家であり、リスクを恐れません」「有名アーティストはブランドにすぎない」。≪アーティストと企業家はどちらも、グローバル化した世界で消費者に働きかけること、作品または工業製品の付加価値を高めることを責務とし、原価が販売額とはなんの関係もないのも同じである。商品を認めてもらうために、PRやマーケティングに頼ることが必要なのも共通している。ブランドを維持し、販促に努め、さらには作品のシリーズ化など普及に向けた取り組みも、一般企業に似ているという。この傾向はアートへの投機熱によって加速しているとも言えるだろう。≫ (211頁) 去年(平成27年)の秋、美樂舎の月例会で、ニューヨークのアートシーンは俺が熟知しているぞみたいな天狗氏が招かれて講演したのだが、いわく「イーゼル ペインティングはもう古い」。ぼくは、アート様式に古いも新しいもないだろ、と大反発した。絵画作品を切り刻んで 3D にしたら感動が増すわけでもないし、飛び出す絵本がふつうの絵本より感銘を与えるわけでもなかろう。 そしたら本書にこんな一節があった。≪(コレクターのボブ・カル氏によれば) フランスはアート市場で大変な遅れをとりました。そうなったのも1970年ごろからのコンセプチュアルアート運動に影響を受け、絵画は終わったとして、それを強制したからです。公立の美術学校でもつい最近まで学生たちに「絵を描いて時間を無駄にするな」などと教えていました。これは馬鹿げています。デッサンは人間にとってプリミティブなアートです。それに、昔からずっと、競売で値がつくのは絵画なのです。≫ (272頁)≪(フランスの)国立美術館の学藝員は、かつでとは逆に同胞より国外の新進アーティスト、とくにアメリカ人を優先しているとも言われた。そうしてインスタレーションや映像作品など、新しい形のアートばかりを購入した結果、長く絵画が排除されたのではないであろうか。そのことが、ここ10年、絵画がふたたび勢いづいてきた国際市場でフランスが足をすくわれた理由にならないだろうか。≫ (273頁) ははぁ、なんのことはない。「絵画は古い」などと、誤った新旧論をふりかざしたさきの天狗氏は、周回遅れの大馬鹿だったわけだ。 産経新聞社の色が濃いばかりに産経以外の日本のメディアが無視してかかる「高松宮殿下記念世界文化賞」について本書は ≪アート界のノーベル賞と言われる≫ と紹介し、≪毎年、栄えある5人の受賞者に選ばれることは、アーティストにとって国際的にその才能を認められたことを意味する。賞金は1,500万円だ。≫と述べる。 『巨大化する現代アートビジネス』は、ぼくのアート界への見方をゆさぶり、柔軟にしてくれる良書だった。
Aug 15, 2016
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以前働いていた商社では、上司(部長およびチームリーダー)が部下と年に3回、考課面談を行う仕組みだった。各個人の業務目標設定を確認しつつ、ボーナス査定結果の考え方を上司が伝える場、という位置づけだった。 そこに「面談をすることによって職場の生産性を上げる」という考え方はなかった。 ところが今から90年近く前の昭和3~5年に早くも George Elton Mayo(メイヨー)は、電話機製造工場で2万人の労働者と面接調査を実施し、当時としては「意外にも」面接(じつは雑談)しただけでその内容にかかわらず生産性が向上したという経営学上の発見をした。≪・ヒトは経済的対価より、社会的欲求の充足を重視する。・ヒトの行動は合理的ではなく、感情に大きく左右される。・ヒトは公式(フォーマル)な組織よりも非公式(インフォーマル)な組織(職場内派閥や仲良しグループ)に影響されやすい。・ゆえにヒトの労働意欲は、客観的な職場環境の良し悪しよりも職場での上司や同僚との人間関係に左右される。会社の定めた仕組みやルールを押し付けてくる厳格な上司よりも、チームや個人の状況に耳を傾け裁量権を与えてくれる上司のもとでこそ士気は上がり、生産性は上がりました。同僚たちとの関係が良好で、公式な組織と非公式組織がちゃんと一致している職場でこそ、生産性は上がりました。≫ (46頁) この本を読んでいて、まずこのあたりにビビッとくるあたりが、ぼくのかつての職場における心境を物語っているのかもしれない。三谷宏冶 著 『経営戦略全史』 (ディスカヴァー・トゥエンティワン、平成26年刊) いま ぼくらは「シナジー」という用語を便利な飾りとして頻用するが、もともとの意味を意識する必要があることを知った。≪事業間の相乗効果のことを「シナジー」と呼んだのは Igor Ansoff(アンゾフ、1918~2002)でした。もともと生理学用語で、ある動作(投擲(とうてき)など)を行うとき、数十もの筋肉が一糸乱れず連携して動くための筋肉間の協調性(協応構造)のことを示します。各筋肉を脳がいちいち統制していたのでは、滑らかでムダのない動きはできません。各筋肉は高い自由度を持ちながら、上手に協調(=制限)することで全体の力を発揮しているのです。≫ (81頁) 読んでみたくなった本が W. Chan Kim/Renée Mauborgne 共著の Blue Ocean Strategy だ。 よい戦略とは、敵のいない新しい市場を創り出すこと。つまり戦略とは、新しい市場コンセプトの案出とそれを実現するケイパビリティの創造(= value innovation)である、というスローガンに共鳴する。 Duncan Watts というひとにもしびれる。 大失敗の要因は1.過去と現在を必然と思いたがる2.結果に目がくらむ3.自分や自社に甘い だから、大失敗の回避のためには1.過去(成功)から学ばない2.結果(成功)だけで見ない3.自分で自分を評価しない。≪闇夜のドライブだからといって強力サーチライトをつけるのではなく、抜群の視力と瞬時のドライビング技術と車の旋回性能で突っ走ろうという作戦です。≫ (330頁) そう来ましたか。 変化の速度もフィードバックの速度も上がった現代において、戦略は現場での試行錯誤とそのフィードバックによってのみ成立するのだというのが、本書の最後の百ページを貫く主題になっている。≪そこで、わかったのは「やってみなくちゃ、わからない」ということ、そして、どう上手く素早く「やってみるか」、そしてそこから素早く「学んで修正して方向転換するか」という力こそがすべてだ、ということでした。高速試行錯誤の力です。≫ (375頁) 英語教室経営のための力づけを得ました。
Aug 15, 2016
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8月15日は「終戦」か「敗戦」か、と問うひとがいるが、わたしはこう位置付けている。 8月15日は「戦(いくさ)を終(お)える」ことを日本国が能動的に 決めた「終戦」の日。 そして9月2日がミズーリ号艦上で降伏文書に署名せざるをえなかった「敗戦」の日であると。 8月15日をもって「敗戦」というのは、まだ早い。 降伏文書署名後、日本のメディアに占領軍の苛烈な検閲が入り、新聞・ラジオは急速に異国の奴隷と化して現在に至る。 千島列島と樺太(からふと)でソ連軍の侵攻をはばむ祖国防衛戦争は、8月22日まで続いた。これも忘れてはならない。
Aug 15, 2016
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もと外交官の美根慶樹(みね・よしき)さんが東洋経済オンラインに書かれた小論が、論点整理として とてもよく まとまっています。「尖閣問題、中国の主張には2つの誤りがある なぜ、今になって強硬姿勢を見せているのか」 このまま消えていくのはあまりに惜しいので、再録させてください。≪ 8月5日から中国漁船に続いて、中国公船(中国政府に所属する船舶)による尖閣諸島周辺の領海・接続水域への侵入が始まった。その後、公船の数は十数隻にまで、また漁船数は200~300隻にまで増加した。 日本側からは岸田文雄外相はじめ各レベルで中国側に抗議するとともに、我が国の領海・接続水域から直ちに立ち去るよう求めたが、中国船はその後もなかなか退去しなかった。 中国の公船による我が国領海・接続水域への侵入は過去何回も繰り返されてきたが、今回はその規模、行動の執拗さなどから見てまれにみる悪質なものである。中国はなぜそのような行動をとるのだろうか。ここであらためて歴史的経緯を含めて検証しておこう。■国際法的に日本の領土であることは明らか■ 尖閣諸島は、日本政府が1895年1月、無主の地であることを確認して日本の領土に編入して以来日本の領土となっている。サンフランシスコ平和条約でも沖縄の一部として扱われており国際法的にも日本の領土であることは明らかだ。日本政府は、表現は若干違うところもあるが大筋はこのような立場であり、かつ、有効に支配している。 一方、中国は、尖閣諸島は中国「固有の領土」だと主張し、また、尖閣諸島についての記述がある古文献を持ち出してその主張の正当性をアピールしようとすることもある。 しかし、このような中国側の主張にはあまり説得力がない。古文献には、かつて中国人が航海した際に目印となっていたことを示す記載はあっても、中国が実効支配していたことを裏付けるものはない。それどころか、中国の領土は明代まで原則中国大陸の海岸線までであったことを示す文献が多数存在している。 このような事情から、日本政府は、尖閣諸島については「解決しなければならない領有権の問題は存在しない」という見解であり、中国側が国際司法裁判での決着を望むならいつでも受けて立つという姿勢である。 厄介なのは、日本が軍国主義の下で中国から領土を奪取したという歴史観が中国にあることであり、それは、具体的な表現はともかく、筋道としては誤りでない。■日本が尖閣諸島を編入したのは侵略の一環?■ たとえば、中国は、1895年に日本が尖閣諸島を日本領に編入したことを日本の侵略の一環としてとらえている。日本政府は、日清戦争(1894年6月~1895年3月)とは関係ないことであったとの立場だが、中国側は狭い意味での戦争行為のみならず、日本の行動全体を問題視しているのだ。この両者の異なる立場について明確なかたちで白黒をはっきりさせるのは困難だろう。 しかし、中国の主張には明らかな誤りが2点ある。その1つは、日本が編入するまで尖閣諸島は中国領だという前提に立っていること。もう1つは、中国が尖閣諸島は台湾の一部と考えていることだ。しかし、地理的な近接性が領有権の根拠とならないことは確立された国際法である。 中国の歴史観は、1992年に制定した「中華人民共和国領海及び接続水域法(領海法)にも表れている。この法律では、「台湾、尖閣諸島、澎湖諸島、東沙諸島、西沙諸島、南沙諸島は中国の領土である」と途方もないことを規定したのだが、これらはたしかに、かつて日本が領有していた島嶼・岩礁であった。 中国は南シナ海、台湾、東シナ海を含む広大な海域について、「管轄権」を持つと主張することもあるが、同じことである。 国際法的には、サンフランシスコ平和条約の解釈が決定的な意味を持つ。同条約では、台湾は日本が放棄すると明記されたが、尖閣諸島の扱いは何も記載されなかった。しかし、その後の米国による沖縄統治の間に尖閣諸島は沖縄の一部として扱われた。したがって国際法的には尖閣諸島は沖縄の一部であったと解されていたのである。 今回の侵入事件のきっかけとなったのは、さる7月12日、南シナ海におけるフィリピンと中国との紛争に関し国際仲裁裁判所が中国側全面敗訴の判決を下したことだ。この裁判は台湾や尖閣諸島を対象にしていないが、中国にとって今回の仲裁裁判結果は、台湾や東シナ海についての領有権主張も「根拠がない」と判断されることを示唆する危険な判決だ。 尖閣諸島についての根拠の有無は前述した。台湾の状況は尖閣諸島と同じではないが、やはり中国の主張には問題がある。 台湾が中国によって支配されるようになったのは、1683年以降である。当時の中国は清朝であり、その年より以前は鄭成功が統治していた。この人物は明時代の人物だが明朝廷の命を受けて台湾を統治したのではなく、個人としての行動であり、また、その期間は22年という短期間であったので、明は台湾を支配していなかったというのが通説だ。■清朝は台湾の一部を支配していただけ■ また、清朝は台湾の一部を支配していただけであった。台湾の西半分であり、東半分は最北端の一地方だけであった。そして清朝政府は統治外の地域、すなわち東半分の大部分を「番」と呼ぶ住民の居住地とみなして漢人がその地域へ入ることを厳禁するなど、統治下と統治外の地域を厳格に区別していた。 このような歴史的経緯は台湾の教科書に明記されていることであり、中国としてもそれは百も承知のことである。にもかかわらず、台湾を中国の「固有の領土」と主張するのは、繰り返しになるが、日本から取り戻したいからである。 ただし、台湾についてはもう一つの事情が加わっている。中国にとって、台湾の中国への統一が実現しない限り第二次大戦直後から始まった中国の内戦は終わったことにならないのだ。 中国は今回の判決後、むしろスプラトリー諸島(中国名「南沙諸島」)などでの攻勢を強めているきらいがあり、そのため今回の裁判はあまり有効でなかったという見方もあるようだが、真相は全く違うと思う。 中国としては南シナ海、台湾、東シナ海の領土問題の根底には、日本の軍国主義との戦いがあり、手を緩めることはできない。もし国際社会の言うように物分かりの良い態度をとれば政治的に大問題になる恐れがあるのであり、今回の判決のように中国にとって危険なことが起これば強い態度で出ざるを得ないのだと思う。戦闘的な行動形式は今や多数の国家にとって無縁かもしれないが、中国にとっては、いざという場合には必要なことだろう。 中でも中国軍は、日本によって奪われていた領土を取り戻すことをもっとも強く主張している機関であり、「日本が南シナ海の仲裁裁判に不当に関与したので懲らしめてやろう」という気持ちが強く出たのかもしれない。軍に比べ中国外交部の地位は相対的に弱いといわれており、今回の事件についてはこのような内部事情も影響している可能性がある。 しかし国際社会においては中国の内部事情がどうであれ、中国のそのような特異な考えは認められない。日本が仲裁裁判に関与したなどという裁判批判は荒唐無稽だ。■国際法にのっとって解決することが必要■ 日本が放棄した島嶼や岩礁の帰属問題は国際法にのっとって解決することが絶対的に必要だ。各国が国際法を無視して取り合い合戦を始めれば新帝国主義的争いとなる危険さえある。 日本政府が「国際法と国内法令に基づいて、今回の事件について冷静に、かつ毅然とした態度で処理する」という方針で臨んでいるのは正しいと思う。また、米国との情報交換などもよく行っているようだ。 一方、中国のフラストレーションにも注意が必要だ。中国は、南シナ海の問題、あるいは尖閣諸島の関係で不満が高じると、ほかの問題で代償を求めてくることがありうる。外相会談が開催できない原因を日本側に押し付けてくるようなことはすでに始まっているようだ。 残念ながら、共産党による事実上の一党独裁の中国では、分野あるいは案件をまたがっての政策調整は比較的簡単にできるが、民主主義国家では困難だ。そのため中国政府がとりうる政策手段の幅は日本などよりはるかに広く、時として日本の対中外交は困難に陥るが、日本としては安易な妥協は禁物であり、国際法に従って問題を処理することが、結局は中国にとっても利益であることを粘り強く説得していくことが肝要だ。 また、領土問題に関する主張の奥には、日本などとは比較にならない危険な政治状況がありうるということを常に念頭に置いておくことが必要だ。≫ スタンスとして日本をかなり突き放した目で見ながら、日本をはじめとするまともな国々の主張をしっかり論点整理し支持していますね。とてもよい論説です。
Aug 14, 2016
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商社の現場にいて、TOEICやTOEFLのことなどツユほども考えずに過ごしてきたのですが、英語教育を仕事にするとなると、TOEICやTOEFLがだいじになってきますね。 TOEFL iBTという、PCを使って解答していく新タイプのテストに挑戦している学習者が銀座ビジネス英語gymに来られて、わたしもTOEFL iBTにホンキで取り組むことにしました。西部有司 著 『はじめての TOEFL iBT テスト総合対策』 (アスク出版、平成27年刊) 『はじめてのTOEFL iBT テスト総合対策』という本を読んだら、だいぶ要領がわかって、オンラインの模試のリーディングとリスニングで満点を取れたので、ちょっとホッとしています。9月10日のTOEFL iBTを受けるべく、申し込みをしました。 これに目を開かせてくれたのも来訪した学習者のかたなので、すごく感謝しています。 受験技術は若干あるものの、基本は速読力(=キーワードになる単語を素早く選別する目)と 聞き取り力(=慣れ+一般常識)、文章構成力ですね。 さきの学習者のかたには、こんなプログラムをご提案しています:<レッスン前半> ニューヨークタイムズの、以下のビデオ(ネパールの白内障手術。いかにもTOEFLで出てきそうな話題です)を見て、事前に聞き取り練習をします。学習当日に、キーワードをブランクにした用紙を渡し、単語を書き込んでもらいます:https://www.youtube.com/watch?v=ARJIzIL3Fvc<レッスン後半> 講師側が設問を書いたカードをたくさん用意します。 学習者は、カードをめくってそこに書いてある設問を読んだら 15秒の準備の後に、自分の答えを45秒間しゃべります。 次々にカードをめくって、これを何度もやります。 銀座ビジネス英語gymの学習時間枠は、いっぱい空いています:http://plaza.rakuten.co.jp/ginza1gym/diary/201607310000/ みなさまのご来訪、お待ちしています。初回おためしは1,000円です。
Aug 12, 2016
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銀座ビジネス英語gym レッスン予約をお待ちしています。詳しくはこちらをご覧ください:http://plaza.rakuten.co.jp/ginza1gym/diary/201608240000/ 初回おためしレッスンは1,000円です。入会金・前金は一切なしです。 泉家は大した家柄ではないから「泉家の当主は誰か?」なんてことは親族の誰も考えない。議論もしない。しかし、それなりの家柄であれば「当主」の概念がある。 ある家の「当主」が誰かは、その家に属する人たちが決める。(この場合の「家」とは、いわゆる核家族ではなく、もっと伝統的な「一族」の概念である。) 一族の決定に対して、市役所だの県庁だの法務省だのが介入する余地はない。仮に介入するなら、それは重大なる「基本的人権の侵害」にあたる。日本国憲法に反する行為となる。 この常識を、今回の議論の出発点にしたい。■ 当主を選ぶということ ■ 天皇とは、どういう人なのか。 天皇家ご一族の「当主」である。そして政治以前に、神道の祭祀長である。カトリック教会の教皇のごとく。 日本国憲法の根幹である「基本的人権」に基づいて考えれば、天皇家の当主の決め方は天皇家ご一族に一任すべきであって、そこに国家が介入してはいけないのである。まして、天皇家ご一族以外の他家の者があれこれ口を出してはいけない。 「泉家の当主」を誰にするか、国家も他家のひとも干渉してはならないのと、いっしょである。 ものの順序としては、まず天皇家ご一族の内部の議論の帰結として「天皇家一族の当主はこのひとです。すなわち、このひとが天皇です」という結論を出してもらう。そこに国家は関わってはならない。 誰が天皇なのか、天皇家ご一族に決めていただいたところで、ようやく国家が登場する。天皇家ご一族が天皇と定めたひとに、国家が憲法に基づいて「国家・国民の威光としての国家元首」の地位を託する(かどうかを、国家が判断する)。 そういう段取りである。■ ローマ教皇とバチカンの関係 ■ バチカンの国家元首はローマ教皇である。政府の長は、ローマ教皇庁の枢機国務長官が務める。 誰がローマ教皇になるかは、カトリック教会の枠組みで決められる。教会が定めた教皇が、二次的にバチカンの国家元首となる。 そういう段取りだ。 かりにバチカンという国家機構がこの世から消えても、教会があるかぎり教皇は選ばれ続け、存在しつづける。そのとき教皇はいずれの国の元首でもなくなるが、それでも「教皇」なのである。 まったく同様に、日本国の国家元首は天皇である。政府の長は、内閣総理大臣が務める。 誰が天皇になるかは、神道祭祀を司る天皇家一族が協議して決めるべきなのである。天皇家一族が定めた天皇が、国憲にもとづき二次的に日本国の国家元首となる。 そういう段取りだ。 かりに国憲から天皇の規定がなくなっても、神道祭祀があるかぎり天皇は選ばれ続け、存在しつづける。そのとき天皇は日本国の元首でなくなるが、それでも「天皇」なのである。 9世紀以来、21世紀の今日に至るほとんどの期間、日本の国家権力は天皇にはなかった。 それでも「天皇」は選ばれ続け、存在しつづけた。宗教祭祀の長なのだから。そして「天皇」は権威たりつづけた。 歴代の武家国家も、この権威を外に追い出すのではなく、内に包み込み、内に包み込まれることを選んだ。■ 皇室典範を天皇家ご一族の家法のごとく運用する ■ 皇室典範は、宗教祭祀の長をどのようにして選ぶかを規定している。だから、日本国憲法の政教分離の大原則に照らせば、国の法律であってはいけない。 大日本帝国憲法の下では、皇室典範は天皇家一族の「家法」だった。 それが敗戦のどさくさに紛れ、昭和22年に法律として位置づけられてしまった。国際法違反やりまくりの占領軍の圧力によるものだった。 いまさら皇室典範を「国法」から「家法」に戻そうとするのは、さすがに非現実的だろう。 しかし「家法」のごとき運用を、国民の総意とすることは可能だ。 皇位継承について天皇家一族が内部での議論の末に、いまの皇室典範と異なる規定を望まれるなら、それがよほど常軌を逸したものでない限り、つとめてそれに従って国会が皇室典範を改正するのがスジである。 国会が「議論」すべきものではない。 皇位継承をどうするかは、ほんらい天皇家一族の問題であって、そこに国家が介入するのは、ほんらい「基本的人権の侵害」にあたるものなのだから。■ 万機公論ニ決スベシ ■ 近代日本の国憲の原点は、慶応4年のいわゆる「五箇条の御誓文」である。 ≪広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ≫と、明治天皇が天神地祇(てんじんちぎ)にお誓いになった。 皇位継承の問題もまた、天皇陛下おひとりのご意思ではなく、天皇家ご一族の総意として示されるべきものと考える。 天皇家ご一族のなかで広く会議をひらき、すべてを公平で正当に議論して、天皇家ご一族の公論の結果を国民にご提示いただけるものと考える。
Aug 8, 2016
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「無料レッスン」と言われても、構えちゃうな~ という皆さんのために、あす8月6日(土)13~17時を無料オープンタイムにします。 予約は不要です。画廊みたいに、ふらりとおいでください。 ビールやお茶もご用意しております。お暑いなかですが、ちょいと涼みにいかがでしょう。 ちらっと壁の絵を見て5分で帰られても結構ですし、 イントロダクションのパワーポイントを見て、ゆっくりなさっても結構です。 ようやく名刺ができました。2つ折りタイプに仕上げたので、裏面にはレッスンメニューも書いてあります。 お待ち申し上げています。 中央区銀座一丁目15-7 マック銀座ビル801号室 銀座ビジネス英語gym
Aug 5, 2016
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7月の「おためしレッスン」のようす。生徒は、アーティストの松井靖果さんです いよいよ8月1日から語学スクール「銀座ビジネス英語gym」の営業スタートです。主任講師は、文春新書『英語学習の極意』の著者・泉幸男(いずみ・ゆきお)がつとめます。 従来の英会話学校は多人数授業のため、1コマの授業でひとりの学習者が英語をしゃべるのは わずか2~3分。20~30万円の高額の授業料を前払いさせる理不尽なものでした。「ネイティブが教えます」が売りですが、実態は「ネイティブさまの雑談に学習者がカネを出してお付き合いする」。本末顛倒の世界でした。 1対1レッスンが基本の銀座ビジネス英語gym は、ひとあじ違います! 学習者ひとりひとりのニーズに寄り添い、学習者が英語の自習を効果的に進められるようアドバイスします。 自分で英語を勉強していくための刺激を得る場所、それが銀座ビジネス英語gymです。 104-0061 東京都中央区銀座一丁目15-7 マック銀座ビル801号<8階>最寄駅は (地下鉄)銀座線京橋駅、有楽町線銀座一丁目駅、都営浅草線宝町駅、(JR)山手線有楽町駅* * * レッスンは事前予約制の少人数授業です入会金・前払金はありません。毎回精算の明朗会計です。 レッスン1コマは50分です。自動予約システムではありません。 下の時間表を見て、ご自身とスケジュールが合う時間枠をさがしてください。 ginza1gym@gmail.com へ メールで「希望時間枠」と「お名前」をご連絡ください。 泉幸男からの予約承りの返信で予約確定となります。はじめてのレッスンの受講料は1,000円です。 はじめてのかたは、ウォーミングアップの英会話のあと、英語学習のコツをまとめたパワーポイントを使ってイントロダクションを行います。 そのあと、学習者の英語レベルと関心分野に合わせて、主任講師が教材を選び初回レッスンを行います。【8月のレッスン予約表】(新規予約ごとに更新中)8/1(月) 10半■ 12■ 2■ 3■ 4半■ 5半■ 7■ 8■8/2(火) 10半■ 12■ 2■ 3■ 4半■ 8/3(水) 10半■ 12■ 2■ 3■ 4半■ 5半■ 7■ 8■8/6(土) 10半■ 12■ 2■ 3■ 4半■ 5半■ 7■ 8■8/8(月) 10半■ 12■ 2■ 3■ 4半■ 5半■ 7■ 8■8/9(火) 10半■ 12■ 2■ 3■ 4半■ 5半■ 7■ 8■8/10(水) 10半■ 12■ 2■ 3■ 4半■ 5半■ 7■ 8■8/13(土) 10半■ 12■ 2■ 3■ 4半■ 5半■ 7■ 8■8/15(月) 10半■ 12■ 2■ 3■ 4半■ 5半■ 7■ 8■8/16(火) 10半■ 12■ 8/17(水) 10半■ 12■ 2■ 3■ 4半■ 5半■ 7■ 8■8/20(土) 10半■ 12■ 2■ 3■ 4半■ 5半■ 7■ 8■ 8/23(火) 10半■ 12■ 2■ 3■ 4半■ 5半■ 7■ 8■8/24(水) 10半■ 12■ 2■ 3■ 4半■ 5半■ 7■ 8■8/27(土) 10半■ 12■ 2■ 3■ 4半■ 5半■ 7■ 8■8/29(月) 10半■ 12■ 2■ 3■ 4半■ 5半■ 7■ 8■8/30(火) 10半■ 12■ 2■ 3■ 4半■ 5半■ 7■ 8■8/31(水) 10半■ 12■ 2■ 3■ 4半■ 5半■ 7■ 8■ 10半■ は「午前10時半からはじまるレッスン」です。7■ は「夜7時からはじまるレッスン」です。 赤色で10半■ とあるのは、その時間枠が予約済であることを示します。新規予約は、紺色で表示されている時間枠をお選びください。2回目以降の料金体系 2回目以降は、以下のような料金です(消費税はいただきません):・1人でレッスンを受ける: 4,800円・お友だちと2人でレッスンを受ける: 3,500円/人 × 2 = 7,000円・お友だちと3人でレッスンを受ける: 2,500円/人 × 3 = 7,500円(注1) 「お友だち」とは、学習者がご自身で連れて来られる同伴者を指します。銀座ビジネス英語gymでは、レッスンで突然に見ず知らずのひとと同席することはありません。(注1) アート関係者には特別の割引制度「アート割」があります。詳しくは こちら をご覧ください。おもなレッスンメニュー 銀座ビジネス英語gymでは、YouTubeなどのビデオ(文字起こしつき)や英文ニュース記事を教材のメインに据えています。 基礎固めをご希望の方には「中3英語クイック総復習」もお薦めです。 海外に打って出たいアーティストのための特別プログラムもご用意しています。 ビジネスに携わる人向けの上級コース「英文契約書の基本表現」も準備中です。9月の予約 ← こちらをクリック
Jul 31, 2016
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商社勤務をやめて、平成28年8月1日から語学スクール「銀座ビジネス英語gym」をオープンします。(7月18日~30日は、おためし無料レッスンを行います。) 講師は、文春新書『英語学習の極意』の著者・泉幸男(いずみ・ゆきお)がつとめます。 104-0061 東京都中央区銀座一丁目15-7 マック銀座ビル801号<8階>最寄駅は (地下鉄)銀座線京橋駅、有楽町線銀座一丁目駅、都営浅草線宝町駅、(JR)山手線有楽町駅* * * 【7月のおためし無料レッスン予約表】 まずは以下の3つのコースを開設します:1.学習法のアドバイス 漠然と「英語を勉強しなきゃ!」と思ってはいるけど、何をしたらいいのかよく分らないひとのための実践的アドバイス講座です。2.中3英語クイック総復習 「英会話は中3英語で十分だ!」 よく言われることです。 でも、オトナが中3英語をスピード感をもって総復習できる場は、なかなかありません。中3生向けの学習塾にまぎれこむわけにもいかんでしょ。 銀座ビジネス英語gym は、オトナの学習者の実力に合わせた中3英語の授業を、基本的には英語のやりとりでもって進めていきます。自然なスピード(=けっこう速いです)と抑揚で英語を音読できるようになることが主眼です。 中3向け学校英語教科書(400円。無料レッスン中はお貸しします)と、gym 特製のパワーポイント教材を使用します。3.英文の契約書の読み方マスター 講師の総合商社勤務経験を生かしたコースです。 教材は『契約書が楽に読めるようになる 英文契約書の基本表現』(牧野和夫・著、日本加除出版・刊)(2,600円。無料レッスン中はお貸しします)と、gym 特製のパワーポイント教材です。 お手持ちの英文契約書の読み方の相談にも随時応じます(守秘義務厳守にて)。この機会をぜひご利用ください。 レッスン予約は自動予約システムではありません。 以下の時間表を見て、自分とスケジュールが合う時間枠をさがし、ginza1gym@gmail.com へ メールで「希望時間枠」と「お名前」をご連絡ください。泉幸男からの返信のやりとりで予約が確定します。 いちどに予約できるコマ数は 3コマまでとします。7/18(月) 10半■ 12■ 2■ 3■ 4半■ 5半■ 7■ 8■7/19(火) 5半■ 7■ 8■7/20(水) 10半■ 12■ 2■ 3■ 4半■ 5半■ 7■ 8■7/23(土) 10半■ 12■ 2■ 3■ 4半■ 5半■ 7/25(月) 10半■ 12■ 2■ 3■ 4半■ 5半■ 7■ 8■7/26(火) 10半■ 12■ 2■ 3■ 4半■ 5半■ 7■ 8■ 7/27(水) 10半■ 12■ 2■ 3■ 4半■ 5半■ 7■ 8■7/30(土) 10半■ 12■ 2■ 3■ 4半■ 5半■ 10半■ は「午前10時半からはじまるレッスン」です。 赤色で 5半■ とあるのは、その時間枠が予約済であることを示します。(=つまり今は予約がほとんど入っていません) レッスンの長さは、1コマ50分です。 基本は1対1の授業ですが、おふたり、3人で来られるのも大歓迎です。8月のレッスン予約
Jun 27, 2016
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19日(日)まで開催の ACT ART COM 2016(ACT アート&デザインフェアー2016) のB1Fメイン会場奥のコレクターブースで、わたしは日本画家・星山耕太郎さんの最新連作を出展しています。(会場や時間の詳細は上のリンクをクリック) 星山耕太郎さんは昭和54年生まれ、多摩美術大日本画出身です。星山耕太郎展示コーナー全景 文字通りくずおれる色っぽさのこちらの作品、好きです。星山耕太郎 「蛇性の淫」 [M10 墨・アクリル・和紙] 怪異なる「雨月物語」の1篇。中央の女性とその侍女は、蛇の化身(けしん)なのであります。右端にいる夫はこれに憑(と)りつかれている。祖父母を連れて物見遊山の道中、土地の古老に正体を見破られた女は滝壺に跳び込みます。 絵の中央をクローズアップしてみましょう。星山耕太郎 「蛇性の淫」 部分 [M10 墨・アクリル・和紙] うってかわって風雅なる1枚。星山耕太郎 「漁村山水」 [200×600mm 墨・アクリル・和紙] 中央右手、水滴のように見える箇所は、エアブラシを使った星山さんの秘技の結晶です。星山耕太郎 「漁村山水」 部分 [200×600mm 墨・アクリル・和紙]星山耕太郎 「昇華」 [P6 墨・アクリル・和紙] 上掲作の波浪の表現も、星山さんの秘技です。星山耕太郎 「草枕」 [200×600mm 墨・アクリル・和紙] 凄みのなかの諧謔。星山耕太郎 「草枕」 部分 [200×600mm 墨・アクリル・和紙]星山耕太郎 「漂客雲井に行くが如し」 [M40 墨・アクリル・和紙] 気のいい旅人が此岸(しがん)(=人間界)から彼岸(=理想郷)へ去ってゆく。 この作品を前に立った人自身が、あたかも去りゆく旅人を窓から見送るが如き趣向をということで、作品の四辺の銀箔は窓枠をイメージしてのもの。 わたしはこの作品の下部の水の表現に惹かれました。クローズアップしてみましょう。星山耕太郎 「漂客雲井に行くが如し」 部分 [M40 墨・アクリル・和紙] 作品展示場所・日時は、以下のとおりです:場所: The Artcomplex Center of Tokyo (新宿区大京町12-9) B1F日時: 6月16日(木) 11時~15時6月17日(金)・18日(土) 11時~20時6月19日(日) 11時~17時【作品紹介1】へ戻る
Jun 16, 2016
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19日(日)まで開催の ACT ART COM 2016(ACT アート&デザインフェアー2016) のB1Fメイン会場奥のコレクターブースで、わたしは日本画家・星山耕太郎さんの最新連作を出展しています。 ぜひぜひ、ご覧ください。(会場や時間の詳細は上のリンクをクリック) 星山耕太郎さんは昭和54年生まれ、多摩美術大日本画出身です。わたしはこれまで星山作品を10点以上所蔵しています。星山耕太郎 「慧可断臂図(えかだんぴず)」 [F20 墨・アクリル・和紙] 禅宗の二祖・慧可(えか)が、面壁座禅をする初祖・達磨(だるま)に弟子入りを乞う図です。師走未明、大雪の山中で誠を尽くすも思いは初祖に届かず、ついに自らの左腕を切断することでその心意気を証しして達磨を振り向かせた瞬間です。 右側の一気呵成の厚塗りから、達磨の眼が見えてきます。星山耕太郎 「慧可断臂図(えかだんぴず)」 部分 [F20 墨・アクリル・和紙] なまなましく横たわる慧可の断臂です。星山耕太郎 「息吹」 [P6 墨・アクリル・和紙] 天から舞い降りる神獣と見ました。作家の意図はちがうところにあったようですが。 水墨画は やり直しがきかないし、完成した水墨画にアクリル絵具を厚く盛って一気に調合して形象を生み出す瞬間もやり直しがききません。一発勝負です。星山耕太郎 「夜光」 [P6 墨・アクリル・和紙]星山耕太郎 「雨月物語抄」 [400×1200mm 墨・アクリル・和紙] 絵巻物のような風情のある「雨月物語抄」は、かの有名な怪異物語9篇ら3篇を選んで構成しています。星山耕太郎 「雨月物語抄」 右部分 [400×1200mm 墨・アクリル・和紙] 高野山で野宿した親子が豊臣秀吉の亡霊に遭う「佛法僧」から。星山耕太郎 「雨月物語抄」 中央部分 [400×1200mm 墨・アクリル・和紙] 崇徳院(すとくいん)と西行(さいぎょう)の論争を描いた「白峯」から。星山耕太郎 「雨月物語抄」 左部分 [400×1200mm 墨・アクリル・和紙] 人食い僧が坐禅して果てる「青頭巾」から。【作品紹介2】へ進む
Jun 16, 2016
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Raymond Carver さんが、こんなことを言っていて、ぼくの心のちょっと陰った部分にビビッときた:≪いつもうまくいっている人たちはいますよ、そうなったらすごいなと思いますけどね。でも、その一方で、しようとすることが、一番やりたいことが、大小にかかわらず人生の支えとなるものが うまくつかめない人たちがいる。そういう人生こそが書くにふさわしいんです。うまくいかない人たちの人生。わたし自身が経験してきたことも、直接的ないしは間接的に、そういう状況になってしまうものばかりでしたから。わたしの登場人物たちのほとんどは、自分の行動が大事なものになってほしいと願ってると思います。しかし同時に、そうはならないと承知してるところにまで来てるんです。じつに多くの人たちがそうであるように。もう全然意味がないと思ってる。かつては大事なことだと思い、必死に求める価値のあるものだと考えていたものが、一銭の価値もなくなった と。自分の人生が不快なものになり、人生がこわれていくのが目に見えている。なんとか立て直したいが、しかしできない。そして大抵の場合、彼らはそういうことがわかっていて、そのうえで やれる範囲でベストなことをしてるんだと思います。≫ (227頁) Carver さんは、小説を本格的に推敲するのは第3稿や第4稿をつくってから。詩は40回から50回は書き直すのだと。あぁ、それに引き比べると、ぼくなんか、甘い。 あこがれている作家について聞かれて Carver さんは止まらなくなった:≪アーネスト・ヘミングウェイですね、まず。初期の「ふたつの心臓の大きな川」、「雨のなかの猫」、「三日吹く風」、「兵士の故郷」、その他どっさり。それからチェーホフ。チェーホフが好きでない人っているんですかね。わたしが言ってるのは小説のほうですけど。戯曲ではなく。かれの戯曲は動きがスローすぎます。トルストイの短篇はどれもいい。そして中篇。そして『アンナ・カレーニナ』。『イワン・イリイッチの死』、『主人と下男』、「ひとにはどれほどの土地がいるか」、これらのトルストイは最高です。それからイサーク・バーベリ、フラナリー・オコナー、フランク・オコナー。ジェイムズ・ジョイスの『ダブリンの市民』。ジョン・チーヴァー。『ボヴァリー夫人』。去年、この本を読み返したんですよ。それを書いていたときのフローベールの書簡の新訳といっしょにね。完璧です。トバイアス・ウルフの短篇集『北アメリカの殉教者の庭で』。マックス・ショット。ボビー・アン・メンソン。ハロルド・ピンター。V. S. プリチェット。≫ (233~234頁)パリ・レヴュー・インタヴューI 作家はどうやって小説を書くのか、じっくり聞いてみよう! (岩波書店、平成27年刊) 青山 南(あおやま・みなみ)編訳 『パリ・レヴュー』誌の作家インタビュー集、さきに読んだ 第II巻(抜き書きはここをクリック) のほうが面白かったかな。第 I 巻は11名の作家のインタビューを収める。 Isak Dinesen:≪最近のだとオルダス・ハクスリーの『クローム・イエロー』を初めて読んだときのことは覚えてる。未知の、さわやかなフルーツをかじったって感じだった。≫ (16頁) Toni Morrison さんからの入れ知恵:≪学生たちに言ってるのは、どういうとき自分はベストな状態にあるかを知っておくのがなにより大事だということ。しっかり自問しておく必要がありますよってね。自分にとっての理想の部屋とはどんなものか。音楽は欲しいか。沈黙が欲しいか。自分の外側は混沌としていたほうがいいか、平穏であったほうがいいか。自分の想像力を解き放つにはどういうものが必要か。≫ (287頁)
May 29, 2016
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文藝誌“The Paris Review”掲載の作家インタビューから11篇を選んだもの。パリ・レヴュー・インタヴューII 作家はどうやって小説を書くのか、たっぷり聞いてみよう! (岩波書店、平成27年刊) 青山 南(あおやま・みなみ)編訳 『百年の孤独』の著者 Gabriel García Márquez が語ったこのくだりは、藝術に広く当てはまることを短く言い当てている:≪たとえば、象たちが空を飛んでいる、と言っても、ひとは信じない。ところが、425頭の象が空を飛んでいる、と言ったら、ひとはたぶん信じる。≫ (170頁) ぼくは、自分をうまくだましてくれと切望しながら小説を読み、演劇を観、絵を眺める。欲しいのは、ウソを真実と言いくるめるリアリティの演出だ。受け手をうまくだますために必要なのは、出来事の細かい叙述であり、丁寧な職人藝。 藝術に広く当てはまることだと思う。 マルケスは、写真集を集めるのが好きなのだって。イメージの具体化に役立つこともあると。 John Irving さんは、別のアプローチだね。≪ぼくが書きたいと思ってる小説は、この社会のみんなが当たり前だと考えることを、そうじゃないんだぞ、と みんなをどんどん不愉快にさせるようなものだ。作家たちは悲惨なことを書くべきなんだ。そして悲惨なことを書くにはもちろんコミカルに書かなくちゃいけない。ジョージ・バーナード・ショーは 〔中略〕 大事なことは、真実をひとつ見つけたら、それをおおげさに書け、しかも軽快に、そうすれば いずれ それは だれの目にも明らかになる、と言ってる。だれの目にも明らかなんていうのは あんまりポストモダン的じゃないけど。≫ (275頁) Susan Sontag さんが信頼に足るひとなのか、よく知らないのだけど、彼女の居室はひとつの理想のように思える:≪スーザン・ソンタグが住んでいる家具の少ない5部屋のアパートメントは、マンハッタンのウェストサイドのチェルシーにある建物の最上階である。本 ― 1万5千冊ほど ― や紙がそこいらじゅうにある。美術や建築についての、その他もろもろについての本たちは、ざっとながめるだけでも一生かかりそうだ。さまざまなヨーロッパの文学が ― フランスやドイツやイタリアやスペインやロシア等々のが、何百冊もの日本の文学についての本や日本についての本といっしょに ― 言語別におおまかに時代ごとに整理されている。≫≪ソンタグは大の切り抜き魔なので、本という本が切り抜きでいっぱいで (「どの本も印だらけでばらばらになっている」と彼女は言う)、 本棚は、読まなければならないものの名前を走り書きしたメモがどっさり、花綱のように咲き乱れている。≫ (297頁) 彼女がなぜ文学に傾倒したか。≪子供の頃はずっと、医者になりたかった。ところが文学に呑みこまれた。あらゆる人生を味わってみたかったのね。作家として生きるのであれば、いちばんたくさんいろんなものが味わえるだろうと思ったわけ。≫ (302頁) あぁ。欲張りなひとなんだな。 『悪魔の詩』でホメイニから死刑宣告を受けた Salman Rushdie さんは、いまニューヨークにいる。 「イスラム過激主義が擡頭してくるのは、それを外向きの顔として利用できるんじゃないかと人々が考えた結果のことなんだから」―― みたいな真実をさらりと言ってのける。≪クロサワは、ぜったい入れない文化に、サムライの世界に、連れてってくれる。わたしはサムライ的な考え方はしないが、体をぽりぽり掻く(「椿三十郎」の)トシロー・ミフネはだれだって好きにならずにはいられない ―― ただちにかれに味方したくなる。そういうようなことを藝術作品にはやってほしいんだよ、行ったことのない世界に連れてってくれるとか、こっちの世界を膨らましてくれるとか。映画制作のあの偉大な時代は小説家たちに教えてくれるものがどっさりあった。映画で教育をうけた、とわたしはいつも思ってたよ。≫ (371~372頁) ラシュディー著の『真夜中の子供たち Midnight’s Children 』が平成5年に、マン・ブッカー賞の25年の受賞作群のなかから最優秀作として表彰されたのだって。『悪魔の詩』も「大半はロンドンについての小説さ。サッチャリズム下のロンドンでの移民たちの生活についての」だって。 これは読んでみないとね。
May 5, 2016
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電車内のつり革が、一般人の手で引きちぎれるとは驚きだ。プロレスラーならいざしらず。わたしが通勤で利用する地下鉄千代田線でいっとき、犯人を見かけたら駅員に知らせてほしいと車掌アナウンスが流れていたことがある。 平成28年4月19日の日経夕刊15面にこんな報道があった:≪つり革ちぎった男逮捕 警視庁、器物損壊容疑 混雑への不満供述電車内のつり革を引きちぎったとして、警視庁捜査3課は4月19日までに、会社員の松村道雄容疑者(63)=東京都足立区東和4=を器物損壊容疑で現行犯逮捕した。都内では昨年11月以降、大手私鉄やJRの電車のつり革が盗まれる被害が約200件確認されており、同課は関連を調べる。同課によると、松村容疑者は「電車が混雑していて立ちっぱなしで疲れていたため、鉄道会社を困らせようと思った」と供述しているという。逮捕容疑は4月16日午後7時40分ごろ、東京メトロ千代田線の町屋―北千住間の車内でつり革を両手でつかんでねじり、引きちぎった疑い。同課によると、千代田線では4月5日につり革が盗まれる被害があり、防犯カメラに同容疑者とみられる男が映っていたという。≫■ 実名報道される・されない ■ 63歳にもなって電車のつり革を(おそらくは200本も)引きちぎる行為に及ぶとは、一般人の用語でいえば「頭がおかしい」状態、専門用語でいえば「心神喪失」「心神耗弱(こうじゃく)」状態にあったのではないか……とも言えようが、現行犯逮捕された容疑者は、年齢・氏名はおろか住所も「東和(とうわ)四丁目」と丁目まで報道されてしまった。 わたしの感覚からいくと、たとえ後のち「心神喪失」と判断されて無罪になったとしても、年齢・氏名を報道することは正しい。住所は「足立区」までで とどめるべきかなとも思うが。* * * なんでこんなことを突然書くかといえば、2年前の平成26年におきた「アンネの日記破損事件」のことが思い出されるからだ。犯人逮捕後の当局対応の不可解さに、いまだに納得がいかないのである。 「日記」本の破損がどのようなものであったか、こちらにもっと写真がある:http://yomouni.blog.fc2.com/blog-entry-4694.html「よもぎねこです♪ 報道しない自由 アンネの日記破損事件」 上のブログにもあるとおり、事件発生当時は日本国の名誉が傷つくほどの国際問題となりかけた。事件について忘れたかたは、Wikipediaの「アンネの日記破損事件」の項も参照いただきたい。 犯人が逮捕されるまで、新聞もテレビも「アンネの日記破損」のことを詳しく報道していた。ところが、平成26年3月14日に小平市在住36歳の無職の男が逮捕されて以降、メディアの追及はパタリと止んだ。顔写真はおろか、実名も報道されなかった。そして、まるで臭いものにフタをするかのように、6月20日、東京地方検察庁は容疑者の「心神喪失」を理由に不起訴とし、幕が引かれた。■ 心神喪失って、どういう状態 ■ わたしの感覚では、心神喪失の状態とはたとえば、図書館で突然奇声をあげながらペットボトルのジュースを本棚にぶちまける行為を言う。図書館や書店で「アンネ本」だけを選び出して秘かに破損させるという“知的”で意識的・計画的な悪事が「心神喪失」で片づけられるとしたら、およそ全ての殺人や強盗や傷害事件は「心神喪失」で片づけるべきなのではなかろうか。あっさり実名報道された「つり革ひきちぎり男」のほうが、よほど「心神喪失」していると思う。 「アンネの日記破損事件」の真相を知らせようとしない捜査当局の意図に唯々諾々(いいだくだく)と従って、一斉に矛を収める日本のメディアの横並び体質。 平成28年4月20日に「国境なき記者団」(本部・パリ)が世界各国の報道自由度ランキングを発表し、日本は180ヶ国・地域のうちの恥ずべき「72位」だった。(アンネの日記破損事件のあった平成26年には、日本は「59位」。) メディア後進国のレッテルを貼られたのは悔しいが、アンネの日記破損事件の顛末を思えば、わたしは国境なき記者団の評価を受け入れざるをえない。■ 辛坊治郎さんの正論 ■ 平成26年3月19日に衆議院内閣委員会で日本維新の会(当時)の中丸啓(なかまる・ひろむ)議員が、アンネの日記破損事件の犯人逮捕後に容疑者の実名報道がない理由について質問した。国家公安委員会の古屋圭司委員長が答辯している:https://www.youtube.com/watch?v=FQuSo3yaN0g「中丸啓:アンネの日記の事件でなぜか実名報道がない」(12分45秒~16分06秒のところ) 古屋委員長の官僚答辯には全く納得できない。おそらく中丸議員も納得していまい。 この問題について辛坊治郎(しんぼう・じろう)さんが論じている。じつに正論である:https://www.youtube.com/watch?v=TY92pW3NTaQ「アンネの日記破損事件で、犯人の実名報道がされないのは何故か?【辛坊治郎ズームそこまでいうか!】」 このうち2分40秒~4分04秒を文字起こししてみた:≪匿名って、おかしくないかっていう話で。当然、重度の精神障碍で心神喪失の場合に刑事責任を問えないのはそれは万国共通ですよ。それに関しては近代刑法は世界共通で、日本だけの話ではないので、それに関しては当然なんだけれども、名前を出さないとか、報道しないとかいうのは、イコールじゃないからね。罪に問えないということと、名前を報道してはいけないということは、別次元の話で。世界じゅうがそうしてるよね、心神喪失の場合に罪には問えないけれども、どこの誰が犯人なんだという名前と顔は報道するよ、ふつう。≫■ 大事を一笑に付するか ■≪日本はなぜか、「罪に問えない」ということと「報道しない」ということがイコールになってるって、こんな変なハナシはないわけで、それ、違うでしょと。我々が報道するのはべつに、罪を問うために報道しているのじゃなくて、どこの誰が何をという事実関係を確定させるために報道しているわけだから、刑事責任があるのかないのかというのとは本質的に違う問題なんだけれど、今回全部、警察も匿名で、どこの誰が犯人か分りません。じゃぁその人物が本当に刑事責任を問えないような状況なのかもわからないし、思想的背景があったのかなかったのかも検証ができない。いっぽうで何となくそういう中途半端なリークで、あたかも思想的背景で行われたということになると、日本の国際的な立場がきわめて悪くなる。異常だよね、この現状は。≫ わたしが政治家や言論人に会う機会があるとすれば、まずぶつけたいのが、ここで辛坊治郎さんが述べた論点だ。 アンネの日記破損事件など、過去の些末(さまつ)なできごとだと一笑に付するような御仁には「あんたがそんなふうだから、日本の報道自由度は世界72位なんだ」と一喝したい。
Apr 24, 2016
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この小説は、男女関係もからんでいて、テレビドラマにすれば視聴率が取れるだろう。主人公の片瀬画廊社長・片瀬真治をコテンパンにするファンドマネージャーの江波志帆は、北川景子さんに演じてもらおうか。 ドラマ制作の過程で、小説の設定に出てくる数多くの美術品(日本画、油画、現代アート)を美術さんがアーティストに下請けに出すから、アーティストにも仕事ができる。 美術という、価格があってないような一点ものにまつわりつくドロドロを描くが、その一方で現代アートへの世間の関心を高めて、マーケットに金持ちを誘導もしそうだ。マーケットの一部は活性化して、いいものが動くだろう。 著者・里見蘭さんはアートのことをよく勉強しているし、アートへの愛が端々に感じられるね。≪現代アートはもはやたんに美しさを鑑賞するための美藝ではなく、哲学的な内容を持ち社会状況を反映したコンセプト抜きには語れない知的なゲームという側面のほうが大きくなっている。コンセプチュアルな部分でのプレゼンテーションは必須。≫ (128頁)≪よくもわるくも美術史は彼ら(=西洋)が作ってきたんです。そこで勝負するなら彼らのルールを理解するしかない。〔中略〕コンテクストへの理解やコンセプトの裏打ちなしに美術史にインパクトをもたらすことはできない。〔中略〕欧米の研究家や評論家に“発掘”されることで、それまで忘れ去られていたムーヴメントや作家の価値が再評価され、マーケットに火がつくという現象も起こり得る。≫ (132頁)≪中国人はマネーの力でマーケットに既成事実を作り、それによってコンテクストにまで働きかけているが、作品そのものが欧米に評価されていればこそマネーも影響力を発揮できるのだ。アジアのアートの価値を決めるのはアジア以外の評価システムであり、アジアにおいてそうしたインフラを確立できないかぎり今後もそうした状況は変わらないだろう。アーティストもコレクターもアートワールドでこれほどの存在感を見せる中国の国内には、美術批評が存在しない。アーティストや美術館は批評家に金を払って自分たちに都合のよい記事を書かせている。美術館に権威はなく、資金も不足していて、アーティストは金さえ払えばそこで展覧会を開くことができる。美術館が日本の貸しギャラリーのようになっているのだ。≫ (133頁)
Mar 30, 2016
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このひとは、カラヴァッジョが好きにちがいない。個展初日の画廊にご本人がいらして、聞けば、そのとおりだった。仙石裕美個展「いくつもの空をつなぐ人たちの話」 @ Niche Gallery(銀座三丁目3-12) 扉を開けて目に跳びこむこの作品に圧倒された。仙石裕美 「空と海が溶け合うところ」 “Where the sky meets the ocean” 人類は、人間のからだをこの姿勢で、この角度から描いたことが、これまでなかったのではなかろうか。 思い切りのよさが、四肢の末端のかたちにくっきりあらわれて、この女性の左手のかたちなど、ほれぼれする美しさだ。手をこの角度から描くことも稀だろう。 手と足が赤みを帯びているのも、人間の「気」が満ちていることを連想させて、健康美なのですね。 空間全体は白い雲の存在によって大空になっているはずなのに、絵のそこここで白い波浪に変わる。雲から波へ、波から雲への遷移が巧みで、見る側をみごとに だましてくれる。 ぼくにとって「きれいに だましてくれる絵ですね」は最高の褒め言葉。 跳び込む女性がまとう白い雲の色のスキャンティに行きつくまで、作家は試行錯誤を重ねたのだそうだ。 最初は赤い水着だった由。紆余曲折を経て白いスキャンティ姿に行きつくわけですが、では現実に海で白いスキャンティ姿で跳び込むかというと、それはないわけです。 跳び込む彼女の姿がいきなり「ありえない姿」だからこそ、そしてそれでいて描かれた雲や白浪、女性の四肢がリアルに「写実」されているからこそ、「ありえなさの写実」は見る者の脳を一気にワープさせる。仙石裕美 「空と海が溶け合うところ」 [右側中央部分]仙石裕美 「空と海が溶け合うところ」 [左下部分] 泳ぐ男の水面下のからだの見え具合の描きっぷりも、おみごと。 ものをよく見ながら、それを写真的に写実するのではなく、油画の筆致に落とし込むにはどうするか、作家が研鑽を重ねているのがよくわかります。 「空と海が溶け合うところ」は美術館入りしてほしいですが、お金持ちになったら買いたい作品リストの上位に載せました。仙石裕美 「胸に世界の果てをもつ者は、世界の果てまでいかねばならぬ」“You should go to see the world's end, if you have it in your heart” 鎌近(かま・きん)所蔵の 松本竣介 「立てる像」 を即座に想起しました。 すっくとした思い切りのよさ。すがすがしさ。 松本竣介「立てる像」も仙石裕美「胸に世界の…」も、人物のスケール感が見る者を「だまして」くれる。 どちらも人物が巨人のように見えるけれども、では「巨人」として描いているかというとそうではない。 「巨人じゃないのに、なんで巨人に見えるんだろう」という自問が尾をひく。仙石裕美 “Good shoes take you to a good place” 白い靴のなかに大空。立体作品です。すてきな遊び心。靴は廃品利用ではなく、紙粘土で制作したもの。仙石裕美個展は平成28年4月2日まで Niche Gallery で開催。10時~6時半。日曜休廊。* 仙石裕美さんは平成26年12月にも同じ Niche Gallery で個展を行っていて、そのときの作品+シェル美術賞展の作品を画像紹介したブログがあるので、併せてご覧ください:仙石裕美個展 @ Niche Gallery(銀座三丁目)~12/27 フォルムとしての純粋肉体http://plaza.rakuten.co.jp/yizumi/diary/201412270000/
Mar 24, 2016
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「李」の日本語読みはあくまで「り」だから、「李承晩ライン」は 「りしょうばんライン」が正しい。 「李承晩」は、ソウル朝鮮語では “イ・スンマン” のように読まれ、平壌(へいじょう)朝鮮語では “リ・スンマン” のように読まれる。 もともと朝鮮語は語頭の「ラ」行が苦手で、「離別」は “イビョル” となる。語中では「ラ」行への抵抗がなく、「距離」は “コリ” となる。しかし北朝鮮では、朝鮮語表記の漢字使用を建国早々に全廃した際、「離」は語頭でも語中でも「リ」と読むように言語を人工的に変えてしまった。 語頭「イ」・語中「リ」のままだと、漢字の裏付けをなくしたら語源をたどれなくなるからだ。だから「離別」は “リビョル” となった。 「利益」も、韓国では昔ながらに “イイク” だが、北朝鮮では “リイク” と なった。 「李」の読み方が韓国と北朝鮮で異なるのは、そういう経緯である。 「李」姓を英語で書くとき韓国では、朝鮮語での読みが “イ” であるにも かかわらず、ローマ字では Lee と書くのが一般的。ごく少数が Yi と綴る。Wikipediaに説明あり: https://en.wikipedia.org/wiki/Lee_(Korean_surname) 「李承晩」は Syngman Rhee と書かれ、「李明博」は Lee Myung-bak と 書かれる。これはもう変更不可である。
Mar 18, 2016
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鹿児島でがんばっている純朴なパンダ絵師、あごぱん さん。ぼくは個展で6回ほどお会いしているのですが、まだご本名を聞けずじまい。六本木七丁目6-5 の Shonandai MY Gallery で 3月22日まで「あごぱん展 ―神輿をかつぐ―」が開かれています。今回はこれを購入。ブロードウェイ・ミュージカルのような華やぎが気に入りました。あごぱん 「飛ぶ神輿」販売価格の 35,400円は、神輿の「ミ・コ・シ」に引っ掛けた由。今回の個展で「神輿」をモチーフに据えたきっかけは、昨年あごぱんさんが宮島に行ったときに、建物がお神輿を彷彿とさせてイメージがふくらんだのがキッカケだそうです。そこで、個展のメイン作品はこちら。販売価格は「ミ・コ・シ」に引っ掛けて 354,000円となっております。あごぱん 「パンダ宮島の神輿祭り」絵のそこここでいろんな出来事が起こっていて、おもしろいです。曼荼羅といいましょうか、人生双六といいましょうか。あごぱん 「パンダ宮島の神輿祭り」 [左上部分]あごぱん 「パンダ宮島の神輿祭り」 [左下部分]窓にうつるシルエットがなかなかおもしろい効果をあげています。ぼくが買った「飛ぶ神輿」もビル群の窓にシルエットが浮かんでおりますな。昨年の「あごぱん展」@ The Artcomplex Center of Tokyo で、あごぱんさんの ある作品に描かれた窓のシルエットがおもしろく思えて 褒めたことがあるのですが、それが今回、あごぱんさんの背中を押したそうです。あごぱん 「パンダ宮島の神輿祭り」 [中央部分]パンダたちは燕の背に乗って空を飛んでいます。ぼくが買った「飛ぶ神輿」も、ご本尊が燕さんです。さてこちらは対照的に、珍しくモノトーンの「和」の作品。じつは、これも買いたいなァと心が動いていました。あごぱん 「おばけみこし」いっぽうこちらは、西洋のテイスト。あごぱん 「おはなみこし満開」あごぱん作品は総じて色彩がじつにヴィヴィッドですが基本は和のテイスト。「おはなみこし満開」のような西洋の花卉の色は、じつは あごぱん作品には珍しいものです。あごぱんさんに帝国劇場ロビーのステンドグラスを作らせたら、これはもう、みんなアッと驚くだろうなぁ。世界でも あごぱん さんだけのユニークな世界が、パブリックアートの場で展開されたら、どんなに楽しいことでしょう。
Mar 17, 2016
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ギャラリーじゅう全部買いたくなる作品に時たま出会う。山際マリさんの幻想画は、そういう作品。ぼくのストライクゾーンど真ん中に来ました。日本橋三丁目2-9 の Masataka Contemporary で3月19日まで2人展が開かれています(新、アーティスト展 vol.3 FROM WEST: 八太栄里(はった・えり)+山際マリ)。ぼくが購入したのは、この作品。今のぼくとしては、かなり奮発しました。山際マリ Fragment of Nostalgiaサービス精神いっぱいの丁寧なコラージュ。えてして、画面上でやりすぎてしまう作家がいるものですが、山際さんはちゃんと止めどころを知りつつ、あふれるような多彩なイメージで心を満たしてくれる。それでいて作品の奥には、はるかかなたまで広がる空虚が感じられる。オモテの華やぎと、そのウラにある切ないほど虚しい渇き。そのふたつが、ひとつの平面上に展開しています。山際マリ Grow into Yourself山際マリ作品を見ていると、ダークなミュージカルの世界にも入っていけそうです。山際マリ Daydreamコラージュが平面にとどまらず、キッチュなモノたちの饗宴をつくりだしています。モノたちの立体感は画像では伝わりにくいですが、左のほうにロマ人(びと)の色糸の房も見えますね。山際マリ Connection with the New World細部までおろそかにしない丁寧なお仕事です。山際マリ Plastic Dolls異なる作風。Trevor Brown さんのウィットを感じます。トレヴァーさんほどグロテスクに走らない、しずかな きれいさが好きです。山際マリ Into the WoodsInto the Woods は、有名なミュージカルです。この作品を公演ポスターにできたら、なんとすてきでしょう。山際マリ Banquetこの女の子の表情・仕草、好きです。ステンドグラスのような背景もすてきです。山際マリ Sacrifice左腕のタトゥーの色味は、タトゥーにありそうでない色です。こういう細部が幻想感を高めてくれるのです。山際マリさんは昭和46年生まれ。美大出身ではなく、キルト作家として活動したあと(絶妙のコラージュのセンスはキルト制作の修業が育てたものなのかも)33歳で絵画制作を本格的に始め、37歳のときニューヨークで個展を開きます。最近は大坂の乙画廊やアートスペース亜蛮人で個展をなさってますね。今回、すばらしい作品に東京で出会うことができて、とてもしあわせです。
Mar 17, 2016
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日本軍兵士による朝鮮少女らの拉致・運送、慰安所直営、暴行、虐殺・焼却 ── とんでもない大ウソを映像化し「史実にもとづく」と標榜する反日映画「鬼郷」が韓国で大ヒットしている。 こういうノイズは脳から即座に消し去ってしまいたいところだが、いったい如何なる映画なのか、予告篇映像をネットで探してみた。 「鬼郷」と漢字で検索して出てくるのは、2チャンネルのコメントを編集したような文字映像ものが多い。そこで朝鮮語のハングル文字で「クィヒャン」を検索したところ、予告篇は簡単に見つかった。■ 黒田勝弘さんの切ない嘆き節 ■ 予告篇のYouTubeサイトをご紹介する前に、産経新聞ソウル駐在特別記者・黒田勝弘さんの嘆きを引用させていただく。産経・平280305・5面から。≪慰安婦を主人公にした映画「鬼郷」が人気を集めている。1週間足らずで早くも観客動員100万人突破!などとニュースで大いにもてはやされている。もともと7万人以上の個人募金を集めて制作された独立プロダクションのキャンペーン映画だが、いわば“時流”に乗り、マスコミの宣伝が加わって大衆映画として大ヒットしている。しかしこの映画はひどい。1970年代から韓国の映画やテレビ、舞台で数多くの反日ドラマを見てきたが、これは最悪である。「慰安婦として強制連行された可憐な韓国の少女たちと極悪非道の日本兵」という図式で、日本兵による少女たちに対する殴る蹴る引き裂く…の残虐な暴行、拷問場面の連続は正視に堪えない。客席からは悲鳴が上がるほどで、暴行によって少女たちはいつもみんな顔が腫れ上がり、唇は切れ、体は血だらけ、傷だらけだ。しかも驚くべきことに、日本兵は慰安所から脱走しようとしたとして少女たちを野原に引き出して全員銃殺し、死体は穴に蹴落とし石油をまいて焼いてしまう。映画はわざわざ「元慰安婦たちの証言による事実にもとづく」と銘打っている。荒唐無稽なストーリーもさることながら、マスコミや識者、文化人から異論や批判はまったく出ず、絶賛一色という知的現実が実に切ない。≫ これを「切ない」で終わらせる、黒田勝弘さんの武士の情けが実に切ない。■ 予告篇 ver.1 ■ まずは、この予告篇をご覧ください:https://youtu.be/N195hUscuRI ん? 拉致も暴行も出て来ないじゃないか。 そうです。これはまだ撮影が進んでいない頃の予告篇で、詩的映像のみから成り立っています。 末尾に出てくるテロップがふるっている。≪日本軍慰安婦強制動員被害者少女たちの実話にもとづいて作られた映画「鬼郷」は、他郷で亡くなられた20万人の無念の英霊たちをはじめとして、魂だけでも故郷のふところにお祀りし、あたたかいご飯のひと口なりとも差し上げようという映画です。現在まで(2014年10月30日)1万人以上により韓国・米国・日本各地で募金された後援金で1場面1場面を制作しつつあります。映画が作られて1度上映されるたびに、ひとりの魂が故郷に戻ると思いつつ、鬼郷制作陣は最善を尽くします。≫ こういう言い草に、ころりと騙されてきた日本人は多かった。韓国人の洗脳は今も刻々と進行中だ。■ 予告篇 ver.2 ■ では、拉致・暴行が次々と出てくる予告篇 version 2 をご覧ください:https://youtu.be/Bpt5JBjBQJA 仮にこれが本当に起き、朝鮮総督府がほったらかしにしたなら、総督府は連日にわたり何十万人もの 怒りで捨て身の朝鮮民衆に取り囲まれ、朝鮮統治そのものが重大な危機に陥ったろう。 20万人の朝鮮少女が日本軍に拉致されたとなれば、父母・親族は百万人単位である。それが京城に押し寄せる。 そうならなかったのは、これが真っ赤なウソか、朝鮮人がよほどの腰抜け揃いだったかの、どちらかである。 後者でないことは確かだ。 「鬼郷」には、貧しい家から親の合意の上で少女らを連れ去った朝鮮人の女衒(ぜげん)は出てこない。慰安所を経営した朝鮮人業者も出てこない。 慰安婦さんらに兵士が暴行したら、真っ先に怒るのは、高いカネを払って少女たちを調達した朝鮮人業者のはずだ。カネがかかった慰安婦さんらを無駄死にさせることなど、朝鮮人業者が絶対に許さない。 慰安婦の大半を占めた日本出身の慰安婦も出てこない。 もうこうなったら、本当は居合わせたはずのそういう人たちを映像の中に据え直した、ちゃんとしたホントの慰安婦映画を日本人が作るしかないのかもしれない。■ 北朝鮮の手のひらの上? ■ 制作現場の映像も含めた予告篇 version 3 もある:https://youtu.be/iuJdBaZhjSs それにしても映画「鬼郷」は、日・韓・米の精神的離反にみごとに貢献する。 韓国人は、昨年末の「最終的かつ不可逆的解決」を反故(ほご)にしたくなる。 うぶな米国人はこの映画を観てドキュメンタリーと思い込み、ホロコーストだ! と叫び声をあげる。 日本人は、史上最低の反日映画を作り広めるトンデモない韓国など、いっそ中国・北朝鮮に併呑されて結構! と思いたくなる。 慰安婦問題でなぜか静かな北朝鮮のほうがよほど可愛く見えてくる。 そこで出てくるのがわたしの全くの私見だが、この「鬼郷」もまた北朝鮮の工作員らが上手に仕組んだものではないかなぁと。
Mar 16, 2016
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