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2006.07.07
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師匠、福島正伸氏がこのようなことを語ってらした気がします。本当ですね。菜の花鉄道をつくる会、始める前は電車にも花にも全く興味がありませんでした。単に、馬庭崇一郎を応援したかっただけ。んが、今は誰にも頼まれないのに草刈ったりコスモスのタネ買って蒔いたり・・・・もっと花でいっぱいにしたい。もっと美しい景色にしたい。どこに咲かせられるだろう。どこに咲いたら見る人が美しいと感じてくれるだろう。そんなことばっかり考えてます(笑)今まで何の気なしに眺めてた風景が、自分の中でものすごい価値を持ち始めたんです。そうすると、人生が輝いてるような気がしてきます。すげえことです。やっぱ、夢ですね。夢。夢しか、実現しない。
2006.06.22
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えっとですね。ご無沙汰しております。おかげさまで、かなり忙しくしております。ところで、私の記憶が確かならば師匠のお言葉の中に、標題のものがあったと思います。実はワタクシ、島根の応援団長(メンター)を自称していながら、私自身の夢はダメダメでした。私の夢は、こうです。地域に起業の風土を創り上げることで、郷土の産業振興に貢献、ひいては島根に雇用を生み出す!・・・知らなかったでしょ?いやあ、ずっと隠してました。あまりにもダメダメなので。つまり、全くもって漠然としているわけです。いつもね。起業家のタマゴたちに言ってきたんですよ。「環境問題を解決したい、地域を活性化したい・・・・そんな漠然とした夢じゃ、ダメだよ。いやあ、お恥ずかしい。こんなこと言いながら、「じゃあ、あんたの夢は何なの?」そう聞かれることが怖かった。だって、他人にモノ言う資格ないんですから。そんでね。ようやくそれを見つけたわけです。つまり、明確な夢を。そのうち発表しますけどね。ありがたいことに、夢が明確になると本当にやるべきことが次々と頭ん中に浮かんで来るんです。今の私、ちょっとスゴイです。まるで頭脳明晰かのようです(笑)逆に言えば、今までの私はできることをやってきただけで、成すべきこと良くわかってなかったんだなあと実感してます。そういうわけで、よっしい、世の中を変えます。え?不明確だって?まだ発表できません。が、ヒントを出します(笑)世の中から、○○○○をなくすための○○○○を創る!ちなみに、○○○○と○○○○は、同じ言葉です。謎でしょ?我ながらバカバカしくて燃えます。パワーアップしたよっしいに、ご期待下さい。ではでは。
2006.06.16
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今年もまた、熱い季節がやってきます。しまね起業家スクール。もちろん、講師は我が師匠、福島正伸。現地スタッフは、めぐろっちとか、だいすけとか、俺とか。要するに、NPO法人(予定)がっしょ。卒業生たちの力も借り、相互支援の嵐を巻き起こしますぜ。10月7日(土)、貴方も必ず泣いている。
2006.05.08
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一畑電車とは何の関係もないのですが、私のコンセプトとして「生涯一大社町民」というのがありまして、浜山公園の西入口にコスモス蒔いて来ました。咲くといいな。ここって、駅伝では2回走ってくれるんで、誰かの目に留まるといいな。選手が気付いてくれたりすると、かなりいいな。いずれ沿道が花でいっぱいになって、走る選手の誇りになったりすると、相当いいな。そしてこのコースが地元の誇りになったりしたら、最高に素晴らしいな。
2006.05.07
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さすがに、GWには萎んでしまいました。菜の花。で、やっぱり猪突なワタクシ。どうしてもコスモスを蒔きたくなってしまいました。今回は、出雲駅伝のコースと、一畑電車の接点を蒔きたいと思います。だって、全国放送だし。沿道に人は少なくても、花がいっぱいだったら絵になるし。なんとなく嬉しいし。そんだけ。だから、やっちゃお。あ。これは今日思いついたことで、昨日までの日記とは関係ない話です(笑)
2006.05.02
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皆さん、本当に応援していただき、ありがとうございます。気付けば、素晴らしい仲間しかいない。誰に感謝して良いかわかりません。感謝します。死んでも良いと言った言葉が舌足らずだったことにも気付かせていただきました。これは、我が師匠の言葉「想いの7段階」を意識したものです。1 誰かにやってほしい2 楽にできるなら、自分がやってもいい3 苦しくても、確実ならやりたい4 やれる方法を見つけ出して、なんとかしてやりたい5 例え捨てるものがあっても、やりたい6 すべてを捨てても、やりたい7 命をかけて、やりたい6までは、ようやくたどり着けたように思います。けれど、世に価値と感動を創って行くには、どうしてもこれでは足りないと感じています。逆に、この世に生を受け、育ててもらったにも拘わらず、命を我がモノとして生きることに若干の疑念がないでもありません。ただ、やりたい。我が儘言いますが、命をかけて、やりたい夢をこの年にして見つけてしまいました。きっと死にません。きっと実現しますから。ありがとうございます。これからも、よろしく。
2006.04.30
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まだ、詳しくは言えませんが、やることにしました。やめるのではなく、やります。私を育ててくれたこの地域に、どれだけ貢献できるか。命をかけてみようと思います。死んだら、笑って線香あげてね(笑)
2006.04.27
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いやあ、咲いた咲いた。見事に咲いたよ。まつりには1000人以上の人が来てくれた。菜の花ちらしも菜の花パンも売れたし、良かった良かった。最初に、馬庭くんが「一畑沿線を菜の花でいっぱいにしたい!」って言ってるのを聞いたときは、何じゃそれ?????って思ったんだ。電車にも花にも興味のない俺。そんな俺でも、大好きな馬庭崇一郎が理事になってくれと言ってくれたから、そりゃ応援せねばと思った。動機はそんだけ。ここまでだって、色々大変だったけどね。でもね、やってみるもんですよ。沿線に住んでるっていうおばあちゃんがね、ウチに蒔きたいから種を分けてくれないかってさ。嬉しいねぇ。錦織良成監督なんてさ、もう大興奮状態。春に撮影したいから、来年も是非咲かせてくれって。嬉しいねぇ。もう、島根中を花だらけにしたくなってきたね。花だって世界一になっちゃうよ?もう、スゴイよ。たったこんだけのことだけど、スゲエ感動だ。
2006.04.18
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師匠の親友「籏禮さん」と、一日一緒に過ごす機会に恵まれた。========================================================================籏禮泰永(はたれいやすなが)43歳。22歳で起業。ハウジナ・コーポレーションを土地有効活用のフランチャイズチェーンに育て、年商300億。店頭公開を目指すとき・・・傾いた取引先の支援を表明したことによって信用不安を引き起こし、自社が連鎖倒産に巻き込まれる。会社・個人の負債総額は27億円。本気で自殺を考えた。けれど、その絶望の淵から這い上がった。何故生きたのか、何のために生きるのか。彼はそれを3つの理由で説明する。●自分の生まれた意味:人さまに迷惑をかけるために生まれてきたのではない。人さまに喜んでもらうものを創るために生まれてきたんだ。●迷惑をかけた人たちのため:最後の最後まで債権者として残ったのは、自分を支えてくれた人たちだ。倒産から10年、あと3年の間に、この人たちに倍返しをしたい。●家族のため:結婚式を挙げた2ヶ月後に倒産。一緒に債権回収業者の恐怖に耐え、「倍返しするんでしょ!」と尻をたたいてくれる妻に報いたい。そして再起。現在、メンターバンクCEO、車輪庫取締役、、(株)アントレプレナーセンター顧問、(株)稲垣総合研究所顧問など。アントレプレナーセンターと稲垣総合研究所の両社長はともに債権者。にもかかわらず、籏禮さんを自社の顧問に迎えている。どんな信頼関係が成り立っているのか、想像してもわからない。そして籏禮氏、皆に無理だと言われた自動車づくりを成し遂げ、今度は地元で、倒産したその場所で、なんとまた建築業「絆家コーポレーション」を始める・・銀行からカネは借りない。全部共感してくれる出資者から集める。小切手・手形は使わない。なんと、全部現金払い!========================================================================不屈の起業家魂。けれど、籏禮さんのものごしは柔らかく、言葉は全て肯定型、声は優しい。日本に稀な、この敗者復活劇を生んだのは、「運の法則」に他ならないと思う。籏禮さんは、決して否定しない。籏禮さんは、決して他人のせいにしない。籏禮さんは、いつも相手の視点で考える。籏禮さんは、いつも謙虚だ。籏禮さんは、いつも本気で動く。だから、運が来る。籏禮さんだから運が来る、再起できるんであって、失敗が許される世相では、まだまだない。だから、籏禮さんは再起して成功しなければならない。
2006.03.06
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枯れ葉散る 白い テラスの午後三時 じっと見つめて欲しいのよ特別の愛で ふるえて欲しい・・・四十一歳の春だから元祖天才バカボンのパパだから冷たい目で見ないで本日をもって、バカボンのパパと同い年になりました。今後とも、冷たい目で見ないでください(笑)
2006.03.05
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なかなか筆が進みません(笑)元来筆無精だからっちゅーのもありますが、それよりも、悪いクセがまた出てるんでしょう。人には「何でも相談してくれよ」と言いつつ、自分は誰にも何も相談しません。強い自分を作ろうとしてます。上手にできる自分を見せようとしてます。以前、どうしたら良いかわからなくなって、さすがに困って師匠に相談しました。答えは単純。「よっしい。上手くやろうとしてない?いいんだよ。どうせ一生やるんだから。」目が覚めました。めぐろっちやだいぽや井上くんと同じく、俺もかなり弱い自分です。臆病だから、どうしても上手にやろうとします。上手くないくせに上手くやろうとするから、無駄な時間が多い。自分で上手に自分に言い訳しては、先延ばししたりする。弱い自分と戦い続けるのは、結構大変です。上手くやるより、全力でやる毎朝唱えよ。
2006.03.04
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近年、改憲議論が盛んになってきました。とても良いことだと思います。十分に議論して決めれば良いと思います。私は改憲派ですが、改憲すべしという理由は一点に絞っています。今の憲法では、権力の横暴を抑制できないからです。誰がどう見ても軍隊にほかならない軍隊を「自衛隊」と言い換えて保持する。「人道支援」の名のもとに、権力者が勝手に海外へ軍隊を送る。こんな憲法違反を、主権者たる国民が止められないなんて・・・いや、むしろ国民は憲法違反を肯定していたりする・・・これほどまでに無視されている憲法は、もはや意味がないでしょう。また、改憲論議となると、第9条だけがクローズアップされますが、憲法全体が時代について来れてないのです。国家が国民に行うべき情報開示の規定がない。プライバシーの保護についての規定が定かでない。もう、いろんなところで破綻しています。今こそ、自らの手で世界に誇れる憲法をつくりあげるべき時です。そのために、議論に議論を重ねるべきです。憲法をどう創るか、それを考えること自体を否定する「似非平和主義者」に踊らされてはいけません。議論を否定することが既に憲法違反だということすら気付いてないんですから(笑)
2006.03.01
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前々稿を読まれた方は、右翼な私が天皇制の正当化をしようとしていると感じられたかも知れません。ですが、私は一部の極右な学者や評論家のように「天皇統治の復活を!」などと言うつもりは毛頭ありません。今は、天皇一神教などに頼らなくても、民主主義が、ひいては資本主義が日本型として十分に成り立つと考えています。私が延々と歴史の話をしてきたのは、理由があります。社会風土というのは一朝一夕にできあがるものではなく、何事にも流れと積み重ねが必要なのです。何故なら、バックボーンのない制度は必ず破綻するからです。現に、今の日本がそうではないでしょうか。けれど、今は今なりに積み重ねてきたものがありますから、それをきちんと活用すれば良いのだと思います。「一神教」に頼らなくても、今なら十分にそれは機能するはずです。では、何をもって日本型民主主義の礎とするか。それは、国民皆が無意識にでも必ず尊重しているものでなくてはなりません。そんなものがありますか?あるでしょう。私の答えは、憲法です。天皇なんていてもいなくても同じ、総理大臣など誰がなっても同じと思う人は多いかも知れません。が、憲法なんてあってもなくても、内容がどうだろうと同じだと考える人は皆無に近いでしょう。護憲派だろうと改憲派だろうと、憲法を大事だと考える立場に変わりありません。そんな、国民皆が(無意識ながらも)尊重している憲法。憲法を日本型民主主義精神の根本に据えると、いろいろなことが解決します。例えば、子供のこういう質問に答えられなくて困るという話があります。「どうして人殺しをしちゃいけないの?」「ひとりひとりには人権があって、それを侵してはいけないからだよ。」「じゃあなぜ、誰にでも人権があるの?」さて、どうして殺人はいけないのか、なぜ人には人権があるのか、それをきちんと答えられる人がどのくらいいらっしゃるでしょうか。これがキリスト教徒なら簡単です。「人は神がお造りになったものだから、その命を人間が勝手に侵すことは許されないんだよ。」「人は皆平等だというのが神さまの教えなんだ。だからだれにでも等しく人権が与えられているんだ。」もちろん、日本ではこんな回答は通用しません。神を根拠にすることは不可能。多くの日本人は「私は無宗教。宗教は大嫌い。」と言って憚りません。無宗教を自称される方々は「神なんていう、存在が確認できないものは信用できない。」と仰います。では聞きますが、人権はどうでしょう?人権なんて目に見えません。あるのかないのか、わからない。むしろ、ないと思う方が普通です。特に根拠がないのだから。それは単に理念であり、宗教に近い。もともと宗教からの理論なのであたりまえですが(笑)でも、たとえそうだとしても、日本国民には人権があるのです。これは確実にある。だって、憲法にそう書いてあるんですから。ですから、上記のような質問を子供からもらったとき、いっそのこと神の部分を憲法と置き換えてはどうでしょうか?「人にはそれぞれ人権があり、生きる権利があると、憲法に定められているんだ。だから勝手にそれを犯すことは許されないんだ。」と。それくらい、憲法が国民の誇りの域に登りつめれば、日本型民主主義は、きっと活き活きとしはじめると思うんです。
2006.02.28
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本論に戻ります。そういえば、議会の話に振ってしまったんでしたね。また横道に逸れて申し訳ないが、もうちょいつきあって下さい。最近、民主党の永田議員の、ホリエモンメールをめぐる真贋疑惑が取りざたされていますね。この騒動に関する思いは、皆さんそれぞれにあるでしょう。あるでしょうが、この騒動の治め方としては、謝って、済ませる・・・これ以外にないと思います。議会は、国民が国家権力に対抗するための手段として、その存在意義があります。ですから、議会での発言は自由でなければなりません。戦前でも、日本の言論・議会は一定のところまでは生きていました。それが死に絶えたのは昭和15年。その事件は、国会で起こりました。戦争の意義を問いただし、停戦を主張する議員に対して、軍部から圧力がかかったのです。それまでの議会は軍部ときっちり戦っていました。なのにそのとき、議会はその圧力に屈し、あらんことか、その議員を国会が圧倒的多数の議決をもって除名処分にしてしまったのです。国民の代表として国家権力と戦うべき議会。そこでの自由な議論を阻害する要因があってはなりません。たとえ国民の大多数が聖戦を肯定していたとしても、聖戦を否定すること自体で責任を問われるなどとは、論外。それなのに、戦前の議会は自ら死を選んだのですから、その後の議会が力を失うのはあたりまえ。その後、国が歩んだ末路は、みなさんご存知のとおり。もちろん、今回の永田議員の質問は、この例に比べればレベルが低い話です。こんなくだらないことで国会を停滞させて、誰かが責任とれよという意見があるのも無理ないこと。根拠もなく、調査もせず、疑惑があること、それだけをもって国会の場で質問すること自体は、誉められたことではない。だから国民に謝罪することは必要だと思います。けれど、ここはひとつ、すみませんでしたで済ませましょう。全ての質問が確実な根拠をもって行われなければならない、などという前例を作ってはいけません。それこそ権力側の思うツボ。「イラクに大量破壊兵器がない」ことまで質問者が証明しなければならなくなってしまいますよ?民主主義の牙城たる議会での発言は自由。この原則を国民と議会が、今こそ権力の手から守る姿勢を貫きましょう。
2006.02.27
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ベンチャーで成功した人たちの話を聞くと、皆がクチを揃えて言います。成功したのは、運が良かったんだと。決め手は運。けれど、運は天に任すものじゃない。無理やりつかむものでもない。また、つかもうとして掴めるものでもない。・・・どうやったら運をつかめるのか。運というのは、誰かが運んでくるものだ。では、誰かって誰なのだろう?それは誰だかわからない。けれど、もしも貴方が誰かに運を運ぶとしたらどうだろう。運ぶ相手を選ぶはずだ。運ぶ相手は、きっといい人のはずだ。信頼できる人のはずだ。だから、人から信頼される人は運をつかめる。運んできてもらえる。ギブアンドテイクなんて言葉があるが、そんなものは意味ない。ギブ・ギブ・ギブ。ひたすらギブだ。そこから得るものがあるとすれば、リターン。「人脈をつくれ」と言うのは、「知りあいをたくさん作れ」ということじゃない。自分を信頼してくれる人をできるだけたくさんつくることだ。多くの人から信頼された結果、リターンがあることがある。彼ら(成功者)はそれを「運が良かった」と言う。師匠の師匠。パソナの前社長、上田さんに語っていただいた言葉です。
2006.02.19
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ちょっと論文休憩。ある蛙の話をします。蛙がいました。おたまじゃくしの頃から、上手に生きてきました。おたまじゃくしは何の苦労もなく蛙になりました。あまりがんばらなくてもどうにかなるので、蛙は有頂天になっていました。自分は天才蛙なのではないかと。ところが、井戸から出た蛙は、世の中が広いものだと思い知らされました。上には上がいて、がんばらないと自分のやりたいことが実現しないんだと。蛙は遅まきながら努力というものを始めました。がんばって、なんとか認めてもらおうとしました。その甲斐あってか、蛙はようやく認めてもらえるようになりました。「よし。今の俺なら、俺の生まれた井戸をもっと住みよい井戸にできる。」そう思って、蛙はふるさとの井戸へ帰りました。ふるさとの井戸は暖かく、優しく蛙を迎えてくれました。そこで暮らすうちに、蛙はまたもとの井の中の蛙に戻ってしまっていることに気づきませんでした。外の世界を知っているというだけで、蛙はまた勘違いを始めていたのです。外の世界が進化していることも知らずに、蛙は自分の知っている世界だけを基準に行動していました。俺の生まれた井戸を世界一にする、と。蛙はやっぱり井の中の蛙でした。でも、ある日ようやくそれに気づいたのです。ずいぶん遅いけれど、蛙は気づいて良かった。世界は広い。スゴイ人たちが無限にいて、その人たちは日々努力を続けている。スゴイ人のすごさは、その人に会わないとわからない。世界の広さは、世界を歩かないとわからない。世界はスゴイ。目指し甲斐があります。蛙、やります。
2006.02.17
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日本は民主主義の意味を噛み砕かないままに直輸入したために混乱していると書きました。例えば、人権とか平等とかいう概念もえらく誤解されています。人権については以前に書いたことがありますし、平等についても機会があればまた書くこととして、ここでは飛ばします。噛み砕かないままに直輸入したと書いたのとは矛盾するようですが、きちんと噛み砕いて輸入していた時代もあるのです。なんと、それは明治維新の頃なんですね。黒船来航、開国以降、日本は列強諸外国からこぞって不平等条約を強いられていました。独立国としては耐え難い屈辱。なんとかこれを撤廃して対等になりたい。そのためには国を富ませ、軍備を増強しなければならない。それを急いで実現するためには、欧米列強の民主主義&資本主義を大至急輸入するしかない・・・しかし、実際に欧米を見た伊藤博文さんや西周(にしあまね:津和野町出身)さんたちは、本当のその神髄に触れてしまい、そして愕然としたんです。なんと、これは「一神教」がないと成立しない論理ではないか。そんなものは日本には古来から全くない!唯一絶対の神が言ったから、そうなる。そうでなければならない。それは神の意志・・・このような考え方が日本に根付くはずがない。日本の神仏は「願えば助けてくれる救済の神仏」であり、命令なんてしたことないんだから・・・そう考えた彼らに、逆転ウルトラCの発想が浮かんだのです。そうだ!唯一絶対の神を創ろう!なんと恐れを知らぬ考えでしょう。しかし、デモクラシーとかキャピタリズムなるものを日本に根づかせるにはこれしかない。幸いにも日本には「それらしき存在」が古来から、それこそ神代の時代からおわすではないか。そう、それが天皇神格化という大発明だったのです。当時まだ、偉いけど人と考えられていた天皇を神に高めるためには、国家が神だと指名してはダメです。そこで、五箇条の御誓文(ごかじょうのごせいもん)の登場です。ご誓文というからには、誓ったわけです。明治天皇は、ご誓文によって国のあり方をこうすると誓った。誰に誓ったか?アマテラスをはじめとする皇祖神・先祖に誓ったのです。先祖が神なわけですから、当然に天皇は神の子。神の子が神に誓った以上、神との契約であり人民に対する預言(神の言葉)となるわけですね。こうして急造ながらも完璧な日本版キリストが誕生したのでありました。嗚呼なんたる奇跡か。一、広く会議を興し、万機公論に決すべし一、上下心を一つにして、盛んに経綸を行うべし一、官武一途庶民にいたるまで、おのおの志を遂げ、人心をしてうまざらしめんことを要す一、旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし一、智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべしこれが日本版「新約聖書」となり、明治元勲さんたちの目論みは奇しくも的中しました。士農工商があたりまえだった国民に平等であると教えました。なぜ平等かと言えば、それは神たる天皇陛下のお言葉だからだと。藩を廃し、国直轄の県を置くことにした。こんなことは他の国なら大乱になりそうな暴挙。これがなんと粛々と進んだのだからオドロキ。他にも地租改正、徴兵制などといったトンデモない無血革命が短期間に次々と実現し、ついには民選の議会そして憲法が出来上がってしまったのです。これを見て仰天したイギリスの日本公使は「天皇は神だ」と言っとか。司馬遼太郎さんは「一君万民の気性」がこの国に流れていたからだと説明してます。確かにいくらかはあったでしょう。けれど私は、それよりこの時期の政治家たちのプロデュース能力の高さを買いたい。こうして、急造ながらも日本の歴史と伝統を活かした日本型民主的国家が創られつつありました。もちろん、まだまだ生まれたてですからいっぱい不備もありました。後に、それが破綻の原因になったのも確かです。けれど、昭和の一時期、軍の暴走を結果的に許してしまったこと、一時的に言論の自由がなかったことなどをもって明治大正まで暗黒の時代かのような印象を持ってしまうのは明らかに間違いです。日本型民主国家は、確かに出来上がろうとしていました。大正デモクラシー(※1)をもってそれはさらに高まり、次に来る時代には日本型民主主義がまさに確立しようとしていたとき・・・それは死に絶えたのです。実行犯は確かに軍部でしょう。しかし、日本民主主義に最後の留めをさしたのは民主主義の牙城たる「議会」だったのです。(※1)大正デモクラシー日本版「王権神授説の否定」が活発だった時代。「天皇機関説」(天皇イコール神であることの否定)などが自由に議論できる、いわば最も言論活動が自由だったと時代も言える。ただし「天皇という存在の否定ができなかった」ことが最大の欠陥と言われる。言われているが・・・・彼ら自身の中に天皇家崇拝があったり他から圧力があったりしたわけではなく、「天皇が神であり国王でることが日本型民主主義の根幹」と彼らは認識し、これを覆すことはこの時点では不可能だったのではないだろうか。
2006.02.07
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ここまで読んで、7割の人は面倒くさくなり、2割5分の人は意外に感じ、5分の人はこの先が読めたことでしょう。これから先は当分、意外に感じた2割5分の人たち向けのブログとなりますので、7割5分の方々はココでさようなら(笑)嘘。もうちょい付き合って下さい。話は民主主義の方に飛んでしまいました。けれどこれは避けて通れないことなので、ご勘弁を。さて、日本型民主主義を仮定するにあたって、日本人は自らの自覚に欠落があることを自覚しなければなりません。○民主主義という完成された何かがあるように勘違いしていること。○民主主義とは素晴らしいものであるかのように勘違いしていること。○勘違いしたまま、自らが民主主義を理解しているかのように勘違いしていること。こうなってしまったのは、学校教育の欠陥でもあるでしょう。けれどここでさらに教育論に飛ぶわけにも行きませんので、他人のせいにするのではなく、自らが自覚して行くことから始めましょう。さて、もう一度書きます。民主主義国家とは、国家の重大な決定は国民の意志により為され、国家権力は国民の負託により存在し、国民の生命と財産の保全は国家権力によって保障され、国民の権利が国家によって制限されることが限りなく少なく、憲法は国民の意思によって定められ、国家権力がこれに違反することが絶対になく、国家権力が憲法に反した場合は国民が国家権力を排除する権利を実質的に有するような国家です。これは民主主義の概念というより、社会契約(※1)の概念です。それは、権力者は人民との契約によって権力を持つという考え方です。この考え方が、以降の欧米社会を変えました。この頃は、ちょうどイギリスなどで国王の力が強くなっていた時期でもあります。けれど、一方で清教徒革命などという市民革命の勝利があった後でもあり、市民の意志というものを国王たりとも無視できなくなっていたのです。そこで、王が王である理屈として、市民が王に従うものだということを正当化する必要がありました。そのために生まれたのが教科書にも出て来る「王権神授説」なのです。神が王と認めた存在に対しては、つべこべ文句を言わずに従えと。が、これの理屈に牙をむいたのが、プロテスタント(抵抗者)でした。法王ですら否定する人たちです。国王なんて認めるわけがない。彼らプロテスタントの理屈はこうです。王だろうが貴族だろうが騎士だろうが商人だろうが農家だろうが、法王ですら、所詮最初は土塊から神が創られた造物。↓神というとてつもなく大きな存在から見れば、目くそ鼻くそで、同じはずだ。↓だから、国王なんてものを神が選ぶはずがない。↓皆同じであるが、国をまとめるための権力者は必要だ。だがそれは、皆に選ばれた人であるべきだ。↓権力者は人民との契約によって権力を持つものだ。この考え方が18世紀のフランス革命やアメリカ独立の論理的根拠として浸透して行きました。そして、後に民主主義の発明を生み、それから平等や人権といった思想に発展するのです。つまり、民主主義にしても平等・人権といった考え方にしても、はじめに神ありき。神の思し召しによって平等であり、ひいてはすべての人が同等に人権を持つのです。長々と関係ないようなことを書きましたが、何が言いたいかというと、民主主義というのは極めてキリスト教(プロテスタント)的理念であり、それを理解しないままに「ヘタな輸入」をすると、その社会はかえって混乱してしまうのです。まさに今、というより戦後ずっとですが・・・日本はそういう混乱状態にあります。これを平常に戻すには、日本人の多くがプロテスタントに改宗するか、日本型民主主義を創り上げて行くしかありません。改宗論はあまりに非現実的ですし、私自身も無理なので(笑)、やはり予定どおり後者の方を考えてみましょう。(※1)社会契約説本来なら「ジョン・ロックが17世紀に唱えた社会契約説」とかいう出典を出すべきところですが、そういう憶えなくても良いことは、このブログでは無視して行きます。
2006.02.06
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これから、世界史上未だかつて登場したことのない日本型資本主義とはどんなものであるべきかを解明したいと思っています。が、いくら日本型とはいえ、資本主義であることにかわりないので、まずは資本主義である要件を備えている必要があります。ですから、まずは日本国という社会がその要件を備えているかかについて考察してみます。とは言っても要件を細かく挙げるとキリがありません。ですので、最も単純に言います。最低でも絶対に必要な条件は「同時に民主主義であること」。これに尽きます。後でなるべく解りやすく説明するつもりですが、民主主義と資本主義は一人のお母さんから生まれた子供、その脳と心臓みたいなもので、どちらかが欠けても機能しません。例えば、中華人民共和国が一党独裁国家のままでいかに資本主義的な方式だけを取り入れようとしても、絶対に上手くいかないのです。一時的に成功したかのように見えるときがあるだけで。では、我が国は民主主義国家であり、私たち日本人は民主主義者なのでしょうか?これには疑問があります。なぜ疑問かというと、民主主義自体を理解している人があまりにも少ないからです。これが芸術のハナシであれば、写実主義とか印象派なんていう後付けの「分類」で済みますが、社会科学ではそうは行きません。もしも貴方が、「私は民主主義者ではなく個人主義者だ」と言うなら、貴方は自分という個人がいったいどういう主義主張を持っている個人なのかをはっきりと自覚して伝えることをしなければなりません。また、相手という個人がどういう人なのかを理解する必要もあります。それと同じことです。では、民主主義とは何か。それを説明するために民主主義国家とはどういう国家であるかについての要件を挙げてみます。○国家の重大な決定は国民の意志により決定されること○国家権力は、国民の負託により存在すること○国民の生命と財産の保全は、国家権力によって保障されていること○国民の権利が国家によって制限されることが限りなく少ないこと○憲法は国民の意思によって定め、国家権力がこれに違反することが絶対にないこと○国家権力が憲法に反した場合は国民が国家権力を排除する権利を実質的に有することこういったことでしょうか。他にもあるかも知れませんが、学者さんの論文ではないのでこれくらいにしときます。さて、どう思われたでしょうか。概ねこのとおりだと思われたことでしょうが、ここには学校で教わった選挙とか議会制とか多数決とか三権分立とかが一切出て来ないことに気づきましたか?これらの制度は民主主義を実現するための過程として、仕方なく採用された方式に過ぎないのです。民主主義とは本来、日本の教科書に書いてあるような些末なことではありません。上に書いたとおり、民主主義とは国家権力と国民の戦いなのです。結構意外ではありませんか?まあ、「それはあなたの意見でしょ?」と思われるかも知れませんが、そうではありません。私の説はこれから展開するものであり、これは歴史が立証する事実なのです。さて、早くも結論が出てしまいました。民主主義が浸透していない、そして未だに官僚(国家権力)支配を許しているような我が国は民主主義ですらなく、つまりはアメリカ型資本主義どころか、そもそも資本主義国家でないのです。そもそもの要件を備えていないのだから、人類未到の日本型資本主義に行き着くなんてあり得なということになります。無理です。ちゃんちゃん。あ。これでは話が終わってしまう。終わっては仕方ないので、強引に日本型民主主義を考えてみましょう。面倒ですねえ(笑)
2006.02.05
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最近、ホリエモン氏や村上世彰氏の影響か、アメリカ型資本主義に対する風当たりが強いですねえ。批判する人たちが誌面や電波を使って異口同音に唱えるのは、「日本にはアメリカ型資本主義はなじまない。日本は日本型資本主義で行くべきだ」というような理屈。けれど、日本型資本主義とはどんな主義なのかについて語る人になかなか出会えません。少なくとも、私は納得できる説明に出会ったことがありません。評論家の方々も学者の方々も、それを言うならきちんとした社会科学として、日本型とはどんな主義なのかを論理的に説明するべきではないでしょうか。私の意見を言えば、上記方々の意見に半分賛成です。アメリカ型資本主義&アメリカ型民主主義は、日本にそのまま輸入しても根付かないと思います。というか、相当に検査し、創造的付加価値をつけるべく加工しないと、輸入したって全く売れない(受け入れられない)ものになることが容易に想像できます。ですから、日本型資本主義なるものが万が一実現するならば、それを理論的に考察し、これだと思えば一心不乱にそれを目指して行くべきだと思います。あ、先に半分賛成と言いましたが、こう言った以上、もちろん半分は反対なのです。アメリカ型資本主義は日本に馴染まない、つまり同じことが日本で実現不可能とは思ってますけど、同時にそれは、現在人類が到達している資本主義のスタディケースとしては最高のものだと思っています。我が国では、いわゆる(現時点では世界的に最高の)資本主義的な考えを全うする姿勢を見せている人に対して、マスコミが垂れ流す有識者の意見は、上記のように無能または無責任あるいは偏見にすぎない批判と評論に終始しています。これでは、これからの時代を担う起業家たちが迷ってしまいます。特に、島根という地域性なのか日本の教育が不十分なのか、私の周りには「利益を得ることは(なんとなく)気がひける」または「本質的には商売は好きじゃない」という起業家が多いのです。こういうことでは、国が危うい。仕方ないから、日本型資本主義について自分で考えてみることにしました。経済学とか資本主義なんてのは空気みたいなもんで、そこにはあるけど普段は意識しません。けれども、多かれ少なかれそういう空気を吸って私たちは生きています。いざそれがなくなってしまうと当然に死に絶えますし、それに備えてエラ呼吸することもできません。ですから、結論でるまで・・・おそらく・・・2週間もかからない・・・といいな・・・と思いますが・・・これからの時代を創る起業家の皆さまに、是非これだけは知っていていただきたいということを、私の知る範囲内で一生懸命書いて行きたいと思います。結論を先に書きます。利益を得ることは、社会ひいては世界に対する貢献です。利益を出すことで、世界の平和に貢献できたりします。さらに言えば、たとえ利益が出なくても、起業することそれ自体が社会に対する貢献となるのです。嘘だろ?マジ?と思った方は、是非ちょっとだけお付き合いください。長くなったら申し訳ない。まだ、構想をまとめないままに書き始めてる、ちっともマネージメントされてない文章の始まりです(笑)
2006.02.04
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今度、松江でデザイン活用戦略セミナー(←すみません。クリックするとPDFが開きます)ってのを開催します。しまね世界一のためには、デザイン力が欠かせないよねってのが俺の考えです。デザインって言っても見てくれのデザインだけの話じゃなく、まあ言ってみれば商品企画全般をイメージしてます。初めは単に私的な想いだと思い込んでいたのが、いろんな人が共感して協力してくれて、実はかなり感激してます。で、このセミナーではモノづくりな方々の悩みにデザイナーが答えるという無料相談会なるものをやります。予算ガバって取って大々的に開催する類のものではなく、ほとんどゼロ予算事業。つまりデザイナーの方々には手弁当で来てもらい、無料で相談にのってもらうことになります。しかも、来てもらうデザイナーの方は、こっちが勝手にこの人はスゴイと思ってお誘いする人ばかり。ちょっと気がひけます。で、あるデザイナーの方にそれを頼みに行ったときのことです。「あの~。私たちの思いに、どうかご協力願えませんでしょうか?」おそるおそる尋ねる私に対して、その人はこう答えてくれたんです。「これはまさしく私が夢見てたことです。」なんてステキな答えでしょう。単に「了解しました。」とかではなく、私たちをやる気にさせてくれる一言です。こんなキャッチコピー(と言っては失礼ですが)が即座に出てくるような人間になりたいとか思ってしまいました。最近、デザイナーの方々と触れる機会が増えました。とにかく、皆さん熱いです。暑苦しいです。こんな人種ばっかりだったら人類の危機です。ヤバイです。でも、こういう熱気が島根に温かさをもたらしてくれると、また一歩世界一に近づくような気がします。
2006.02.03
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自称右翼な俺としては、誠にあるまじきことなのだが、実は俺は右翼の要件の最重要事項を満たしていない。それは、右翼たるべき必須事項なのだ。「皇室崇拝」。これが欠けている以上、俺はいつまでも「自称」右翼の範囲を超えない。で、今回話題の皇室典範改正問題について、持論の私論を述べる。愛子さまが天皇になられるのは、何ら問題もないと思う。巷に言われてるとおり、女性天皇は、今までにもいくらでも例があるし、今の状況を考えれば、当然の話だと思う。ただ、これだけは言いたい。女性天皇と、女系天皇の違いを、どれだけ皆さん理解してらっしゃいますか?女系天皇がもしも認められるなら、俺は次に述べることをします。本気でやりますから、日本国民の皆さま。ご覚悟を。計画はできあがっている。我が子には、今から俺が勝手に「帝王学」を授ける。俺の持つ「口説き」のノウハウを全て伝授する。3歳児なのに(笑)もちろん、幼稚園から学習院に入れる。金はかかるが、大いなる野望のためだ。仕方ない。我が愚息は、残念ながら敬宮愛子内親王より1歳年下だ。だが、幸いなことに、目茶苦茶に男前である。しかも、俺の子なだけあって、優しく且つ男らしい。従って、皇室には申し訳ないが、愛子さまを落とすのは我が子に間違いない。時代の風潮のおかげで、愛子さまが我が子七生に惚れてしまったら、誰も抗えない。めでたく結婚のはこびとあいなるわけです。かくして俺は、右翼としての最高位、天皇の義父と、あいなるわけです。その後に産まれる陛下は、全て我が血を継ぐ子となり、かくして俺さまは平成以後、天皇の祖先になるのであった。わっはっは。え?それはそれでいいけど、よっしいの血を継ぐ天皇陛下なんて敬愛できない?うはははは。そんなこと言っても無駄よ。その後に生まれる「第1子」が天皇になると。今回の皇室典範改正で決めちまうんだから。え?それでも何かいやだ?と思うなら、女性天皇と、女系天皇の違いくらいは理解しといた方がいい。世界中にそこら中にあまたある王室と、日本の皇室との違いは、次の一点に絞られる。海外どこでもある王室は、いわば暖簾を守ってきただけのこと。家系を保つためなら、養子でも養女でも、婿でも何でも良しとしてきたのが、そこいらの王室。我が国の天皇家だけが、(「今の感覚」での良し悪しを敢えて置くなら)、血筋を守って来た。それが、日本国天皇の稀少性であり、何度も落ちぶれながらも国家の危機的タイミングでは、必ず担ぎ出されて崇められた、そして何度も我が国の危機を支えてきた(具体的には後日書く)、日本国民が歴史的、潜在的に持ち続けてきた敬愛のココロなのだ。2600年間(かは疑わしいにしても)保ち続けた我が国固有、世界史上無二(もちろん、ギネスブックにも載っている)の価値を、単に今でしかない現代感覚で、捨てても良いのだろうか?俺でも天皇の祖先になれるかも知れない皇室が、果たして国民の敬愛を得られるだろうか?それが得られない皇室なら、これから20年後または200年後に起こるかも知れない国家の危機を(これまでのように)支えることができようはずもない。もしも、国民の意思として、尊敬できない天皇家をわざわざ生み出すくらいなら皇室自体を廃止した方がいい。(右翼失格!)と、俺は思う。皆はどう思う?
2006.01.26
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久々に爆発するけどさ。あと、マスコミ。ホリエモン事件で、マスコミは相変わらず用語を混同したり関係ないことをごっちゃにしたりして、鬼の首とったかのように喋ってるよね。まあ、自分らが狙われた側だから、そりゃあ嬉々としたもんだわな。俺は大嫌いだから筑紫氏の番組は見ないが、だいぽの日記によれば、彼はまたトンチンカンなコメント出したようだねえ。筑紫さんの批判はいずれ徹底的にやらせてもらうが・・・だいたい「近頃の勝ち組・負け組的風潮」ってなによ。お得意の形容詞だらけの表現は意味がわからんよ。いつだって、勝ち組と負け組はいるわけ。しょーがないでしょ。一応、資本主義国家なんだから。がんばってる人でも負けることはありますよ。がんばってないけど勝っちゃう人はあまりいないと思いますけどね。ホリエモンちゃんのビジネスモデルはなかなかに革新的なものだったし、彼だってものすごくがんばった人なのは間違いないでしょう。(確かに、本業が何かってのは見えにくかったけどね)勝ち負けは市場(お客さま)が判定するし、信用を失えば、市場から退場を余儀なくされる。この原理が若い人たちや子供たちに、ようやく伝わってきたと思ってんのに、意味不明な水のさし方やめてよ。実際、だいすけが迷っちゃってるやんけ!どーせ、「派手に活躍するキリギリス」ってのは「ヒルズ族」とか「IT長者」とか「モノ言う投資家」を指していて「地道に努力するアリ」ってのは筑紫さんが大好きなプロレタリアート(労働者階級)を指してるんでしょ?で、キリギリスは「マネーゲームで稼ぐ輩」や「モノも作らないIT虚業人」って言いたいんでしょ?またその、意味不明な比喩表現が、もう既に無知をさらけ出してるわけですよ。早稲田の政経学部ってとこは、経済教えてくれないの?あ、もしかして・・・マルクス経済学?ものづくり職人だって、経営者になる。地道にがんばって、もしも会社が上場企業になったら、経営者として株価を気にせずにはいられない。大きな資本調達と引き換えに、上場したら会社は株主のものになり、マイ企業から、パブリック企業になるのだから。・・・筑紫さんが「マネーゲーム」と呼んでいるのをやっている経営者はほとんどいないんですよ。経営者なら株価を上げようとする努力はします。それは業績を上げる他に、株式の分割や配当や、IRでの「操作」です。これを怠る経営者は、むしろ経営者失格なんです。こういうのを経済学的には資本の梃子と言って、資本主義には不可欠な原理の利用なんですよ。地道に業績上げてれば、市場が評価するなんてことはないんです。かのソロスでさえ「市場は常に間違える」と言ってるくらいですから。こういう地道な経営者の努力の結果、金が金を呼んで利益を産むことは、資本主義では至極正当なんですよ。逆に、これを否定するなら、それこそ汗水垂らして働く人たちが職場を失う破目になっちゃいますぜ。筑紫さんてさー。専門の政治も法律も弱いけどさー、経済とかになるとさっぱりだよねー。筑紫さんが昔から夢見てきた「お手々繋いで皆が平等」目指した国家は潰れちゃったでしょ?もう、市場から退出するべきなのは貴方自身ですよ。俺、ホリエモンがキャスターやってる番組のほうが、まだ見たいわ。
2006.01.20
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いや~、参った参った。ホリエモンちゃんのおかげで随分スッちゃったよ。そうは言っても今んとこ、わずかな運用資産の5%だから、泡吹くほどでもないけどねぇ。最初は何やらわかんなかったんだけど、どうやら合法か違法かの論議を真面目にしたらクロになりそうだね。けど、アレだね。役人(東京地検)ってのも、無粋だねぇ。自分らは「汚れた英雄」を洗ってカッコイイつもりだろうけどね。自分らのカッコ良さ演出することで、いったいいくらの国民の財産を吹っ飛ばしたんだろーね。もちろん、不正の疑いがあれば捜索するのがあたり前だけどねー。いきなり東京地検特捜部の家宅捜索だもんねー。時代の寵児じゃなきゃ、こんな扱い受けられないよねー。東京地検ってすごいねー。いや、マジで恐いね、国家権力ってのは。オウム真理教なら農地法違反でも捕まるってのを思い出したね。そういや、マスコミから逃げるために車を転回させたら家宅侵入罪っちゅーのもあったよねー。それを誰も責めないってのがすごかったよねー。警官ってすごいよ。相手次第で、捕まえるか捕まえないかを判断できちゃうんだから。一見、法治国家に見えて、これじゃ完全に官僚独裁国家だよね。そういや、最近知って驚いたことがある。大蔵事務次官だった土田正顕さんって(もう亡くなったようだけど)東証の社長になってたんだね。前社長ってことになるらしいけど。・・・今頃知ったこともずいぶん恥ずかしいが・・・この人、大蔵省銀行局長だったときに、バブル経済を潰そうと「総量規制」って通知文を銀行宛てに出して、見事なまでに国民の資産をふっとばしてくれた御方なんだけど・・・バブル(悪)を潰すって言えばカッコイイようだけど、潰れた後になって皆が「バブル」って言い出したことで、当時は単に「好景気」と受け止められていただけだった。そりゃ確かに、土地や株が実態経済を大きく超えて評価されていた状態ではあったけど、優秀な官僚であれば、それをどう「ソフトランディング」させるかを考えるはず。それを、何をご乱心召されたのか、一枚(10枚かも知れないが)の、通達で、しかも政令でもなく、大臣名ですらない局長通達で、全国民を不景気のどん底に落とした人だよ?こんな経済オンチなお方が、のうのうと官僚の最高位である事務次官にまで昇りつめ、日本経済活動の中枢と言える東京証券取引所のトップに天下ってんだから・・・・すごい。すごすぎる。貴族だね。憲法弟14条第2項(華族その他の貴族の制度は、これを認めない)違反だね。すごい。この国はまだ独裁国家だ。官僚天国、官僚統治。ちょっと公務員の給料下がったくらいで、国民は安心しちゃいかんよ。公務員の俺が言うんだから、間違いない。
2006.01.19
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今年俺は所謂厄年ってのにあたる。本来、俺は占いも血液型も風水も六曜も姓名判断もUFOも信じない。当然、陰陽道など信じるわけがないので、厄年も無視してきた。しかし・・・・今年はまだ始まって2週ちょいだというのに、何もかもが最悪だ。19日間のうち、既に5日は38度5分を超える体温で過ごしている(今も)。両親は事故に遭い、東京地検さまのおかげなのかホリエモンのせいなのか、株は突然の暴落。仕事でも私事でもろくなことない。愛知の会社にプレゼンサポーターとして呼んでもらったことだけが、唯一の救いだ。正月、出雲大社さんでお賽銭ケチったからか。厄年ってホントなのか。いやぁ、参った。お払いにでも行こかな。
2006.01.19
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世界一を目指す人間は、当然に世界を良く知ってなきゃならない。目の前にあることばかり見て、世界一がんばったって世界一にはなれない。わかった。世界中を見て歩くことも大事だし、世界一の人に会うことが大事なんだ。世界一はニューヨークにいるかも知れないし、シドニーにいるかも知れない。そして、東京にも愛知にも岩手にもいる。わかった。感動ツアーも世界大会も、世界一になるための準備だ。そういう体験を積み重ねていくと、何で世界一になりたいかが変わってしまうかも知れない。そうだとしても、仕方ない。だって、俺はまだまだ世界を知らなすぎる。わかった。だから、一生やるんだ。
2006.01.16
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課題はどこにでもある。大企業にだって、中小企業にだって、大都市にだって片田舎にだってある。急速に伸びているベンチャー企業にも、それはある。ひとりひとりも、必ず問題を抱えている。現実には、問題が起っていても気付かない場合が多い。論理的には、そんなの論外なのだが、実際に多い。すごい人は、課題に対して真剣に向き合い、敢然と立ち向かう。けれど、問題が起った後にそれを解決するのは割と困難だ。それに立ち向かうことは勇気と根気が要るし、残念ながら「遅すぎた・・・」ということになりかねない。けれど、すごい人は決してあきらめない。で、もっとすごい人は、問題が起る前に、それが起らないようにきちんと対処している。これは相当にすごい。本人にはかなりの注意力と洞察力とセンスが要求される。そしてさらにスゴイ人は、問題が起らないように対処する過程、それ自体をプロデュースしてしまう。これはものスゴイ。周りの人たちが、かなりの注意力と洞察力とセンスを身に着けたくて仕方なくなってしまうのだ。課題が増殖し続けるってことは、複雑化した現代社会ではある程度受け入れなければならない現実だ。一方で「課題の解決」という使い古されたような言葉も、活き活きと進化している。その進化が増殖すると、世界一の企業とか世界一の地域になる。逆に言えば、いわゆる従来の「課題解決型ビジネス」は、もうビジネスにはならない。
2006.01.15
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その夜、夜空に浮き上がる花火を、何故かだいすけと見ていた。語り合ったテーマは、Loveだった。もちろん、俺とだいすけはモーホーではない(笑)「愛って深いよね。」しみじみ語っていた。(ような気がする。実は酔っ払ってたので記憶は曖昧)ギリシャはさすがに哲学発祥の地だ。愛を指す言葉が4種類あるらしい。アガペー、ストルケ、フィリアそしてエロス。これらの言葉はそれぞれ「慈愛」「家族愛」「友愛」「性愛」と(一般的には)訳されている。俺とだいすけが語り合っていたのは、このギリシャ式区分によれば、おそらく友愛だろう。けれど、考えれば考えるほど、何か違うような気がする。確かに、仲間たちとの間に「友愛」はあると思う。連帯感も気持ちいい。だけど、少なくともそれが俺の動機ではない。人間をつき動かすのは、愛にほかならないが、俺たちのモティベーションって友愛か?違うんじゃないだろうか。ぢゃあ、地域愛(トポフィリア)?そうじゃない。たとえ郷土を愛する気持ちがあっても、それに全ては賭けられないよ。「慈愛」でも「家族愛」でも「友愛」でも「性愛」でも「地域愛」でもなく、もっともっと自分の内なる自己実現への欲求だと思うのだ。メンターたる俺は、他人を支援するのが使命だ。だけど、それは他人のためにやっていることではない。俺のためにやっている。自分の力が人の役に立ったり、ひいては社会のためになったりという自己満にひたりつつ、俺はメンター道を進んでいる。んー。そして、これは自己顕示欲でもない。顕示できなくてもかまわないから。なんだろうこれは。「愛って深いよね。」何度語りあっても、結論は出ないだろうな。
2005.09.28
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人々は変革を求めている。このことは、先の衆議院選挙で明らかになった。これほど大差がつくとは、正直予想外だったが、なぜこういう結果になったかは明らかだ。小泉さんは郵政民営化を争点に置いていた。だけど、この法案を読んだ国民は、おそらく1%もいないと思う。法案は読まずとも理解している・・・こういう人もほとんどいないんじゃないか。俺も新聞の解説くらいしか読んでない。(賛成だが)つまり、郵政民営化が支持されたのではない。ぶっちゃけ「何でもいいから変えたい」という国民の本音がこの結果を招いたのだろう。日本経済は、もしかしたら踊り場を脱したかも知れない。景気は、良くなっている。東京~名古屋が全体を底上げしつつある。けれど、停滞感は拭い去れない。このままじゃイケナイという焦りが充満している。だから「何でもいいから・・・」という感覚は、あながちおかしな話でもない。小泉さんの勝因は、論点が明確だったことに尽きる。明確なことは伝えやすい。郵政民営化は、自分のライフワークだと言い切り、それにこだわり続ける姿勢が共感を呼んだのではないだろうか。「他にも大事なことはたくさんある。」・・・他党の主張も正しい。だけど、それは形容詞でしかない。商売で言えば、「うちのお店は安くて良いものを置いてます、接客もとっても良いです、きっとご満足いただけます」・・・・これと同じだろう。こんなキャッチコピーではお客さまは集まらない。こういう点で、今回の選挙は市場原理と似ていた。資本主義と民主主義は本来同体だから、ようやく日本も民主主義的になってきたと言えるかも知れない。少なくとも主権を官僚から国民の手に取り戻しつつある、そういう意味で良い選挙だった。夢が明確だったがゆえに人々の共感を得た小泉さんは、今、夢を実現しつつある。けれど、国民の「このままじゃいけない」は、郵政民営化に集約されてるわけじゃない。明日の日本のために、首相にはもっと夢を抱いて欲しいものだ。
2005.09.19
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マイブログのタイトルである。今更意味を解説するのも変な話だが、メンターである俺が修行をしているのではない。メンターになるために、修行しているのだ。現時点では、俺はメンターになれていない。死ぬまでなれないかも知れない。いや、なれたと思った瞬間に俺はその目標を失うだろう。しかも、俺がメンターであるかどうかは、相手が決める。自分が信頼されるかどうかは自分では決められないことだから。だから、とりあえず、信頼される人間になる!と想い続けないとメンターにはなれない。メンターという概念は、俺の努力目標で、永遠のテーマだ。
2005.09.07
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気付いたら、爆睡してたようだ。しまった!!なんてもったいないことを。ラストは60時間耐久レースみたいなもんだったから、予想どおりといえばそうなんだが・・こんなに美味い酒が飲める機会なんて、一生ないかも知れないのに。酒はいかん。酒は。判断力や理性を根こそぎ持って行かれる。歌もね。密かに練習してたんだよね。歌は下手だから、歌はキライなんだけどね。でも、全然歌えんかった。あんな光景見ながら、踊れるヤッシーは、やはり悪魔の化身だ。酒はいかんね、酒は。なんだかわからんうちに、壇上に上げられた。壇上に上がるのは大好きな性格だが、こういうときはイヤだ。誰も見ないようにしてたのに、中村か○りが眼に入った。礼を言ったりまじめな話をしたりしたら、かなりブザマなことになりそうだった。テキトーに逃げて、なんとか誤魔化しきれた。酒はやばいね。酒は。夜空に浮き上がる花火を、何故かだいすけと見ていた。むさくるしいことだが、えらく幸せだった。酒まはまずいね。冷静さを失くすね。それから俺はどうなったんだ?気付いたら、帰りのタクシーで、福島先生が泣いていた。何かを話そうと思っただろうが、何を話したのか、話せなかったのかは憶えていない。それが記憶の最後だ。なんてもったいないことだろう。それなのに、酒がやめられんのは何故だろう(笑)8月8日追記=================================================福島先生のblogを読んでわかった。皆が「しまね世界一の歌」を合唱している間中、当の先生は写真を撮りまくっていた。あの「謎な行動」は、泣き出しそうになるのを必死で誤魔化していたんだって(笑)→福島先生のblogぎゃははは。
2005.08.07
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奇跡は起きた。正直、昨日の昼、いや夕方、いや夜中の時点でも、今年こそはダメかも知れないと思っていた。俺は諦めかけていた。でも、彼らは諦めなかった。最後の最後まで考え、また悩み、行ったり戻ったりを繰り返しながら、それでも彼らは粘り続けた。諦めかけていた俺も、その姿を見て復活できた。本人が諦めかけても、メンターは諦めない。それがメンターのはず。それなのに俺が先に諦めてどうすんだ?俺はアホだった。彼らのおかげで迷いは吹っ飛んだ。・・かと言って、最後の最後に手伝えることはあまりにも少ない。最後は本人が決意し、創り上げたものでなければ意味がないからだ。一晩、俺にできたことは単に、がんばれがんばれと念じるのみだった。そして決して最後まで諦めなかった3人の勇者と、最後の最後までもっと上を目指した3人の聖女たちは、奇跡を起こした。なんて堂々とした、そして感動を呼び起こす姿だろう。彼らが浴びる喝采が、まるで彼らの上に降り注ぐ光のように見えた。それが奇跡だと、聴いていた人は誰も思わなかったかも知れない。それでいい。奇跡は、偶然には起こらない。努力に努力を重ねた必然の上に、最後にちょっとだけ偶然が応援してくれるだけだ。努力したことをアピールしなくったって、見る人が見ればそれはわかる。壇上に立つ起業家を見ながら、また俺の中に「あの感じ」が去来してきた。いつも感じる感覚なんだが、どういう感覚なのかは説明のしようがない。何度も感じるこの感覚は、年々強くなっているのに。「賞賛」とも「感動」とも「達成感」とも「喜び」とも「満足」とも「感謝」とも違う。福島正伸はこう表現する。まあ、そう言うしかないですね、先生。「いいんだよ。どうせ最後は皆で泣くんだから。」
2005.08.06
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やっぱ人生さ、気合は要るよね。気合って大事。強がりだけだと空しいけどね。強がりだったとバレると、めちゃめちゃ辛いからね。と、説教じみたことをとりあえず言ってはみるものの、俺ぁこう見えても眼力があってね。眼ぇ見りゃだいたいわかるのさ。本気になってきたんだろ?そいつを待ってたのさ。もう、俺も迷わん。一切信じる。がんばれ。困ったときには電話してくれ。おまえが本気なら、俺ぁ何でもやる。
2005.08.02
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子供が宝だ。間違いない。子供って、やっぱすげえ。たった一晩で、別人になっちまう。アクティヴコミュニケーションもすげえが、子供は想像を超えてすげえ。国も県も市町村も地域も産業振興財団も定住財団もメンターズクラブも県民ファンドも起業家スクールもGasshoも相互支援ネットもテキーラズもワタナベ先生も、俺もおまえも、もっともっと子供の可能性を感じる感性を持たないとダメだね。俺の時代(そんな時代は来なかったのだが)は、終わったな。めぐろっちもだいすけもゆっきもゆうこも、そろそろ終わりだ(笑)次の世代のために動かなきゃいかんな。俺たちは、島根を変えよう。子供らが、きっと世界を変えてくれる。
2005.07.31
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友人の裕美ちゃんが、「応援してるふりして、自分がやってる」と誉めてくれた(多分、誉めてるのだろう)。めぐろっちも、誉めてくれた。嬉しい気持ちはもちろんあるが、俺は今、メンターとして壁にぶつかっている。奥ちゃんは「やりすぎだ」と言う。「伝わってない」とも。むー。確かにそんな感じ。この「伝わってない」というのが最大の問題。福島正伸氏いわく、メンターとは相手をやる気にさせる人。そして相手の持つ可能性を最大限に発揮させる支援ができる人。さらに、メンターは、「自らが見本となって行動し、相手を信頼して支援」する。むー。要するに、自ら行動するだけでなく、相手に信頼され、尊敬される人間でなければならんわけだ。相手に伝わってないとすれば、俺が相手に信頼され、尊敬される人間になっていないということなのだろう。しかも、これを壁だと感じるのは、相手を信頼するということができていない証拠ではないか。むー。メンター修行中。未だ道遠し。今日も精進。
2005.07.30
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母校が負けた。いや、単に高校野球なのだが・・・13年ぶりの甲子園出場をかけ、江の川高校と対戦したのだが、結果的には1-5と、「惜しくも」はつかない負けだった。我が母校は野球(以外にもスポーツ各種)では「伝統校」と言われている。県内唯一「体育科」を持ち、文はまだしも武においては県下でも有名・・・だった。東京で暮らしてた頃でも「大社高校」といえば、半分くらいの人が「あー。聞いたことある」くらいは言ってくれた・・・ものだった。だが、最近は野球では県大会でも下馬評にすら上がらなくなってしまった。陸上とかサッカーとか体操とかでは、今も県下トップクラスなのだが・・・・やはりなんといっても甲子園!まあ、甲子園への思いは本人たちの方が何百倍も強く持っているだろうから、決勝に進んだことをもって「やれる!」という自信にして欲しい。がんばれ!大社高校!そしてがんばってくれ!江の川高校!
2005.07.27
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う~む。やっぱり今年も「最後はみんなで泣く」んだろうか。毎年毎年「今年は、そうはならないんじゃないだろうか・・・」と思うんだが・・・あ、もちろん、別に泣くのが好きなわけではない。だから「最後はみんなで泣く」ことにならなくっても、全くモンダイはない。いや、男らしい度120%フェロモンぷりぷりの俺さまとしては、むしろ泣くことなんかない方が嬉しい。とにかく、あと2週間で、起業家たちがひとつの節目を迎える。あと2週間だ。これからずっと苦しいんだから、この2週間くらいはどうってことないよね?とはいっても、内容の濃い2週間になるだろうなあ・・・そういやあの時も・・・なんて思い出してたら、泣けてきた(笑)また俺は一生の宝を手にすることができるんだな。ステキな人生だ。
2005.07.22
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片岡勝が、またトンデモないことを言い出した。「3年経ったら、アジアに拠点を置く」と言ってたおっさんが、突然「島根に住む。」と言い出したのだ。しかも、大田だよ?さすがに365日は住めないらしいが、200日くらいは居そうな勢いだ。実際、このオヤジが何考えてんだかさっぱりわからん。ずっとわからん。「よっしー。わかんねーだろー?」とニヤニヤする顔が許せん(笑)だってよー。わけわかんねぇんだもんよ。あんたが俺のこと、わりと認めてくれてるのは、わかる。ちょっとだけうれしい。俺もあんたが好きなことは認めよう。むかつくけど。ちょっとはわかってるつもりでしたが、貴方が目指すものは、俺が思うほどありきたりではなかったようです。誤解してました。すみません。しっかし、わかんねー。わかんねー。むかつく・・・結構うれしい・・・くそっ
2005.07.20
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コロンブスの卵という、あまりにも有名な話は、実は寓話らしい。けれどこの「つくり話」は、英雄・傑物・天才と呼ばれる所以を如実に表している。要するに、後になったら誰でも何でも評論はできる。誰かがやった後に、同じようなことを、もしかしたらもっと上手にできるかも知れない。だけど、一番最初にそれをやって見せる、やり遂げることは、本当に難しい、ということだ。俺が尊敬するギタリスト、エディ・ヴァンヘイレンの「ライトハンド奏法」なんて、今じゃ中学生でも普通にやっちまうんだが、初めて見たときの驚きたるや、ものすごかった。そういやもっと前、今でこそバンドと言えば数人で楽器演奏しながら歌うのがあたりまえだが、ビートルズがメジャーになるまでは「バンド」といえば「バックバンド」のことだった。アイドル(死語?)は、歌いながら踊るのがあたりまえだが、それを「あたりまえ」にしたのは、やはりエルビス・プレスリーだろう。天才が実演した後は、普通になっちまう。普通にしてしまうことって、かなりスゴイ。現在というのは必ず歴史の積み重なりの上にある。脈々と受け継いで、その上で「普通」になるものもあれば、ひとりの天才の手によって一気に「スタンダード化」されるものもある。それから、その両方が偶然に出現することがある。今年はNHKの大河ドラマで「義経」が放映されているが、この時代が日本史上、最もものすごく偶然と必然が奇跡的に重なった時代だと思う。この頃(平安末期)、所謂「貴族」は、時代の要請から必然的に力を失う時期だった。だけど、それが必然だと思ってる人は誰も居なかった。この時代に、3人の天才が、偶然にも同時代に生を受ける。平清盛、源頼朝、そして源義経。平清盛はかなり多才だが、特に「経済の天才」としてすごい。源頼朝は、政治(というより、来るべき未来を読む洞察力)の天才だ。そして義経。いわずもがな、戦の天才。この奇跡的な現象は、その後500年も経ってから再度日本国に出現する。信長(=清盛)、秀吉(=義経)、家康(=頼朝)というカタチで。そして、なぜか同じような歴史の流れになる。信長&清盛は、軍事・政治・経済の天才だ。トータルの才能で同時代の他の2人を圧倒している。何といっても、それまでの常識のを全て覆す(廃れた貴族や幕府が統治する世の否定&農産物経済から貨幣経済への移行)眼と実力を持っていたのだから。けれど、残念ながら2人とも志半ばに最期を迎える。その後に生まれるのは、当然に混乱。そしてその次に、時代に華々しく迎えられるのは、軍事の天才。義経&秀吉。彼らは確かに軍事的には天才だったが、それ以上でも以下でもなかった。特に義経は、時代の流れを読む眼は全く持ち合わせてなかったようだ。過去の遺物にしなきゃならない後白河法皇から官位をもらって喜んでいたのだから。秀吉は、信長が「無位無冠」を貫いた理由を知っていたのだろうが、いかんせん「血統」という御旗がなかった。遺物から官位をもらうしかない。そして、結果的にはその後の平安をもたらすことになる頼朝&家康。彼らは政治的にはものすごい才能を持っていた。(家康は、鎌倉幕府の「源氏滅亡」の例を知っていたから、同じ轍を踏まないように砕身している)最終的には頼朝や家康が天下を獲り、安定した世をつくっている。つくってはいるが、先の天才が創ろうとした時代を逆行させた面もある・・・・・・・歴史に「たら・れば」はないが・・・もしも清盛が高熱に倒れず、信長が本能寺に倒されていなかったら、日本はもっともっと・・・・いや、考えるのはよそう。これも歴史の積み重ね。考えるのはよそう・・・あー。しかし、どうしても不思議なのは、わが国では「一人の天才」が出現すると、何故か非業の死をとげるのだ。そしてその「天才的な志」はなぜだか受け継がれないのだ。キリストやマホメットが変えた、ルターやロックが変えた、マルクスやケインズが変えた、ダーウインやコペルニクスやアインシュタインやボーアが変えた、ビートルズやプレスリーやエディが変えたような劇的な変化、革命は、わが国では起こらないのだ!何故か・・・わが国の歴史上でも、確かに奇跡的な天賦の才に恵まれた(?)勇者が、まるで時代に要請されるかのように生まれてくる。そして、その才を発揮した勇者は(歴史は繰り返すというが)わりと高確率に非業の死をとげている。彼らは皆、古いものを古いと、誰もが「あたりまえ」だと思っているものを「違う」という眼を持ち、それを実践した。だから天才なのだ。そして、古くて遺物で死にそうな輩に葬り去られてしまっている。これは、何度も繰り返されている、歴史的な事実だ。友よ。時代を切り開こうとしている、愛する天才的友たちよ。この苦難は、多かれ少なかれ、君たちにもきっと降り注ぐだろう。間違いない。さて。それはそれとして、行こうか。行くよな?行くべ。おまえらが行くなら、俺もつきあうわ。
2005.07.17
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長年(とは言ってもつきあいは5年だが)尊敬している社長がいる。この社長に何とかして成功してもらいたいと思いつつ、何もできないまま時が過ぎて来た。ようやく・・・ようやくビジネスになりそうな話を持っていけた。持っていけただけで、すぐに成功するような話ではないだろうが、5年間想い続けた甲斐があったような気がする。何もできない俺と5年もつきあってくれた社長に、ちょっと恩返し。かな?いやいや、これからだ。
2005.07.13
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第5期しまね起業家スクールの発表者が選ばれた。発表者として選ばれた人もいれば、選ばれなかった人もいる。けれど、カリキュラムとしては相当緻密に計算されていて、選ばれたか選ばれないかは、実は受講生にとって全く関係ない。座学が終わり、これ以降は、選ばれた人が、選ばれなかった人が、その現実を前提として受け入れ、どう行動するかの実践に移るだけのこと。形の上では、発表しない人が発表する人にメンターシート(応援メッセージみたいなもの)を書いて渡すという一方通行に見える。なんとなくメンターシート書いてなんとなく相手に返すだけでは、確かに発表者以外はメリットがない。が、もしもそれを本気でやるならば、応援する側のメリットは無限大になる。1.人のプレゼンを見ながら、「こういう風に言うとわかってもらえるんだ」と解る2.人のプレゼンを見ながら、「こういう風に言うとわかってもらい難いんだ」と解る3.人の事業計画の発展を見ながら、「これだけ努力をすれば、共感が得られるんだ」と解る4.人の事業計画の停滞を見ながら、「これだけ努力をしても、まだ足りないんだ」と解る5.人に意見を言うことで、自らの考えを明確にすることができる6.人に意見を言うことで、自らの課題を明確にすることができる7.人に意見を言うことで、「他の人が何を求めるのか」を実感できる8.人を「本気で」応援すれば、なぜだか自分にも応援が集まってくる9.人を応援することで、自らを高めることができる10.人の成長を見ながら、「自分もがんばろう!」と思える・・・etc.福島先生の理論の核に「自主・自立・相互支援」というのがある。以前も書いたが、実は非常に難解な概念なのだ。「Give and Take」とは全くちがい、(この理論でいう)相互支援は「Give and Give」。(俺は「相互支援とは、自己研鑽の競争」と訳した)「相互支援」の部分を中途半端に理解すると、かなりの確率で滅びる(笑)「応援してください」と懇願してたところで、本気で応援してくれる人は見つからないし、「応援します」と言ったところで、24時間365日応援できるわけではない。まずもって、「もたれあい」は、起業家精神に反する。他人は変えることはできない。自らができることは、自らが変わる(成長する)ことのみ。これが起業家精神のキモな部分だと、俺は受け止めている。
2005.07.10
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がぴ~ん。思わぬ方向にコトが進んでいる。以前、書いたこと============================================株式投資は、ギャンブルではない。経営への参加、でかく言えば資本主義社会への参画である。だから、惚れた社長、大好きな会社の株を買い、持ち続けることが・・・・したいのだが・・・・============================================俺が世界一大好きな会社といえば、もちろん我がオリエンタルランド社である。いずれはオリエンタルランド社の安定株主になりたいと思っている。(70万近くする株を持ち続ける余裕は、残念ながら今はない)数ヶ月前、ライブドアVSニッポン放送の、あるいはフジテレビとの株争奪戦があったときのこと。ホリエモンの顔も眺めながら、一番最初に連想したのがオリエンタルランドのこと。筆頭株主京成電鉄(当時約27%保有)とオリエンタルランドの関係だ。その頃、京成電鉄の株式時価総額は、オリエンタルランドの1/4に過ぎなかった。ヤバイと思った。けれど、テレビを見ながら一番身近に危機感を持っていたのは、加賀見社長(当時)その人だったろう。5月17日にオリエンタルランドは自社株買付けを発表し、京成電鉄から株式を大量に買い受けた。現在、京成電鉄の持ち株比率は20%を切っている。やれやれ、これで大丈夫と安心したのが先月中旬だった。だが、冒頭に書いた、思わぬ方向というのは・・・プリヴェチューリッヒ企業再生グループが、京成電鉄株を買いあさっている。まあ、現在6%だというし、既に京成の持株比率は下がっているので、33%を争ったニッポン放送騒動とはずいぶん様子が違う。「社長!セーフ!」と言えよう。OLC経営陣はきちんと防衛できた、と考えられる。だぁ~が・・・モンダイは・・・この俺が「プリヴェチューリッヒ企業再生グループの株主」だということだぁぁぁぁ。先週末、295円で1000株、305円で1000株買った。無論、単に上がると思って買ったのだけなのだが、結果的に、とはいえまさか愛するオリエンタルランドを標的にするような会社の株主になってしまうとは。むむむむ。これは即刻売ってしまわねば!今日昼現在、プリヴェの株価は327円・・・・儲かっている。本日の国内全株式市場の売買高トップ・・・・ものすごい出来高。まだ上がりそうだ・・・・。近日中にストップ高が来るかも知れん・・・むむむむむ。============================================株式投資は、ギャンブルではない。経営への参加、でかく言えば資本主義社会への参画である。だから、惚れた社長、大好きな会社の株を買い、持ち続けることが・・・・したいのだが・・・・============================================経営参加・・・経営参加だよ。・・・儲けることが目的じゃないんだよぉ・・・・・(苦悩の自問自答)
2005.07.07
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金曜日に、菜の花鉄道をつくる会で、標題の企画をしました。これがもう、盛り上がったのなんの。デハニ号は、やっぱ地域の財産だわ。お座敷電車→三味線だ!というベタな企画ではありましたが、「初めて」(運転手さん談)だというから、ベタでもやってみるもんです。どう盛り上がったかは、こちらで垣間見てね。乗ってみたら楽しいよ~。お座敷電車。
2005.07.03
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世界がもし100人の村だったら、地球の面積も6千300万分の1で済む。従って、その面積は8.95平方キロ。直径3.2キロの円に100人が住んでいるくらいの計算になる。多分。と考えれば、ものすごい人口密度だ(笑)だが、当然に人間のサイズも小さくなる。平均身長を180cmとしよう。その6千300万分の1だから、0.0000285714285714286ミリ・・・3万5千分の1ミリなのだ。砂つぶどころか脂肪細胞より小さい。そんな目にも入らない生物が、直径3.2キロの広さに100粒(粒ですらないが)しか居ないのだ。はっきり言って、こいつらがウンコ垂れ流そうがポイ捨てしようが毎日地球環境を考えようが、どんな人生を送ろうが死のうが、地球さまには何ら影響などないのだ。どうせ細胞より小さいんだから、自己満で地球環境論ずるより、自分や家族や子孫のために、できることを最大限にやってみる自己満のほうがずっとステキだ。と、俺は思う。
2005.07.02
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ちょっと年いってる出雲人なら、このフレーズに聞き覚えがあると思う。昭和34年から昭和54年の間、一畑山にあった一畑パーク。これのテレビCM歌が標題の歌詞なんだが、なんともレトロで耳に残る。先日、この唄をBGMにしながらNHKの告知コーナーに出演した。これが息子(2歳)に大ウケ。VTRを何度も見ては「いちばちゃぱーくへいこっかなあ」を毎日唄っている。俺も確か、一畑パークで撮った写真があったよなあとか思いつつ探してみた。で、結果的に「私の一枚」には右の写真を選出。これは一畑パークではなく、たぶん一畑百貨店の屋上ではないかと思われる。パークにも胸を躍らせた記憶があるが、「ひゃっかてん」という響きも子供心を震わせたものだ。電車や沿線って、やっぱ俺たちの世代にはワンダーランドだったんだよ。我が子は、十数年、数十年後にいったいどんな風景を思い出にできているのだろうか。風景をつくってやることはできないが、彼にとっての原風景となるものが、今でもここに存在していることを願う。
2005.07.01
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みどちゃんが、無事出産したようだ。(今頃、遅い?)みどちゃん、おめでとう。ホントに良かったな。親歴2年、子実績1人の俺はえらそうには言えないが、子供ってほんとに素晴らしい存在だぜ?子供を育てたこともないくせに、なんだか勘違いしてエラそうにしてた頃の自分が、今思えばこっ恥ずかしい。子育てしないと、人間として一人前になれないと、あえて言い切る。(欲しくてもできない人はどうなるんだ?という話はあるだろうが、ここでは話の流れ上、それは別とさせてもらいます。)なんというか、人間が人間を育てるということの、理屈抜きのスゴさを感じる。苦しい、嬉しい、むかつく、はがゆい、かわいい、うざったい、すごい・・・とにかく感動の連続攻撃だ。楽しいばかりじゃないけど、いつでも振り返ると充実に満ちている。やっぱこれってLoveだよねー。愛は地球を救うと言うが、マッタク、愛しか地球を救わないだろうなあ。
2005.06.30
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変人だと思われても仕方ないが、俺は「規則を作る」のが好きだ。規則に縛られたくないという人もいるが、縛られたくないなら縛られない世界にど~ぞご勝手に移住されれば良いと思っている。一方で「規則を守れば安心だ」と仰る方もいらっしゃるが、俺は逆。いつも規則を変えていかないと安心しないタイプ。私案の憲法改正案を、既に20回くらい改正してる(笑)規則にはいろんな原則があるが、最も大事なことは「予め」決めてあるということだ。コトが起こってから騒いで怒って、起こった後に「安全装置を義務付ける」なんてアホな大臣は、あり得ない。今、コムースさんと一緒にコーポラティブハウスを計画している。ここでの俺のテーマは「良きコミュニティ(信頼)」と「安全(危機管理)」と、この2つの結果生まれる「安心&住みやすさ」なのだ。勘違いしてる人も多いが、集合住宅はどう足掻いても面倒くさい。集合住宅に入れば、本人が知ってようが知るまいが、管理組合の一員となる。で、そこには決まり(規約)があり、いざってときに「知らなかった~!」では済まされない。だから、想定できる危機は「予め」皆で話し合って決めとくのだ。先にやる方が、絶対に楽。事故った後は、気分と感情が入り乱れて最悪になるに決まってるから。我がコーポラティブコーポは、コミュニティー(信頼と連帯)が形成されるに決まってるってところがすごい。だって創るんだもん(笑)んだから、なーなーでやれるところはなーなーにすればいいのだ。そう決めて。我らが「くにびき相互支援ネット」と同じ。自主(自ら動き)・自立(自ら責任をとり)・・・・そしてその上で「相互支援」なのだ。そういう暮らしが、実は最高にステキなのだ。と、俺は思う。
2005.06.27
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今、仕事的にマイテーマなのが、デザインだ。俺は、仕事がら、経営者の人と話す、または話された内容に触れる機会が多い。もちろん守秘義務を負う公務員だから、内容はしゃべらない。内容は喋らないが、俺が今とっても困ったちゃんなのが、デザインなのだ。広い意味では経営自体がデザインなのだが、もうちょっと狭めて言う。以下、体験に基づくフィクション。==========================================================================「これがねー。(商品を出しながら)売れないんですわ。」「そうなんですかー。(そりゃ、そのデザインでは売れないでしょ・・・)」「工夫と努力とこだわりで、これほどのモノを作ったのに、売れないんですわ。」「何故でしょうね?(そりゃ、そのデザインだからでしょ!)」「やっぱり、島根では、良いものが解ってもらえないんでしょうね。」「そういう面もあるかも知れないですね。(いや・・・島根だからではないんですけど・・・)」「こだわりを解ってくれるのは、やっぱり東京の人ですよね。」「いえ。東京の人は、忙しいですから。忙しい人に解ってもらうには、もう一工夫要るんじゃないでしょうか?」「話せば解ってくれますよ。島根とはやっぱり違いますから。」「ち、違うといいですねー。」=====================================================================・・・・この程度が、俺の限界。本気でデザインしてない(または、勘違いな)ものを、本物でこだわりの商品だとわかってもらう労力・・・・(遠い眼)まずは、デザインを見て気に入って、それから本物かどうかを試すのがお客さん。デザインがテキトーだと、中身もテキトーだと思うのが、普通のお客さん。この「ワールド」の差は、果たして埋まるのだろうか。果たして、これを埋めるべくがんばるべきなのでしょうか。センセー。教えてください(泣
2005.06.26
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菜の鉄のイベントが終わりました。イベントの感想は、菜の鉄のblogにて。イベントが終わった後の飲み会で、陶山さんと荒川先生とコムースさんと、なぜかさだまさし氏の話で盛り上がった。陶山さんは、さだ氏のセーターを創ったりしている。俺はフォークソング世代のちょっと後なので、さだ氏の唄にはあまり興味がなかったのだが、年をとって改めて思い起こすと、ものすごく良い詩を書くひとだ。この人の作品のひとつに「まほろば」という歌がある。高校生の頃に「名曲だ!」と感動した記憶がある歌だ。その曲が一番良いと言ったら、コムースさんが歌え歌えと誘うので、勇気を出してうなってみた。正直、歌詞は忘れてたんだが、カラオケってのは文字でそれを追えるからありがたい。・・・んで、読みながら唸りながら、この歌詞のスゴさには驚愕した。泥酔が醒めるほどに、だ。これって、古事記から万葉集から方丈記から、日本文学の粋を寄せ集め、寄せ集めた上で哲学にまで高めた超名作ではないか!?(言いすぎ?いや、そうではないと思うが。)飲みながら盛り上がってた話というのは、「さだまさしさんに出雲の歌を創ってもらおう!」という中身だったのだが、酔いから醒めた今でもやっぱり思う。この詩を超えるものが詠われるならば、我が出雲の国を置いてほかにないっぺ。(どこ弁だ?)==================================「まほろば」春日山から飛火野辺りゆらゆらと影ばかり なずむ夕暮れ馬酔木(あせび)の森の馬酔木(まよいぎ)にたずねたずねた 帰り道遠い明日しか見えない僕と足許のぬかるみを気に病む君と結ぶ手と手の虚ろさに黙り黙った別れ道川の流れは よどむことなくうたかたの時 押し流してゆく昨日は昨日 明日は明日再び戻る今日は無い例えば君は待つと黒髪に霜の降るまで待てると云ったがそれはまるで宛名の無い手紙寝ぐらを捜して鳴く鹿の後を追う黒い鳥鐘の音ひとつ馬酔の枝に引き結ぶ行方知れずの懸想文二人を支える蜘蛛の糸ゆらゆらと耐えかねてたわむ白糸君を捨てるか僕が消えるかいっそ二人で落ちようか時の流れは まどうことなくうたかたの夢 押し流してゆく昨日は昨日 明日は明日再び戻る今日は無い例えば此処で死ねると叫んだ君の言葉は必ず嘘ではないけれど必ず本当でもない日は昇り 日は沈み振り向けば何もかも移ろい去って青丹よし平城山(ならやま)の空に満月詩・曲:さだまさし
2005.06.25
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