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1 アドラー心理学の復活
アドラーの死とナチスの迫害は、アドラー心理学に壊滅的な打撃を与えました。
第二次世界大戦後、ヨーロッパのアドラー心理学研究者が集まったら、ほんの数人しか集まらなかった、といわれています。
ウィーンで生まれたアドラー心理学は、アメリカで復活します。
アルフレッド・アドラーの死後、ルドルフ・ドライカースが精力的に活動して、アメリカでアドラー心理学を広めます。
ドライカース以外のアドラーの弟子としては、ハインツ・L・アンスバッハー夫妻が理論面を整理しました。
アドラーは自分が必要とされる世の中を駆け抜けていきました。彼は、本を書くのよりも講演や仲間たちと話をすることに精力を使いました。それでも、発表されたアドラーの著作に含まれた理論は、現代のアドラー心理学の理論のほとんど全てを含んでいました。
しかし、彼は整理された本を残しておらず(ウルフなどの弟子が整理したものはありましたが)、アンスバッハーが整理するまで「おもちゃ箱をひっくり返したような状態」だったのです。
アドラー心理学の復活には、エレン・ベルガー「無意識の発見」にアドラーの功績がフロイト、ユングと並んで記述され、かつ大きく評価されたことが影響しました。
「無意識の発見」の発刊によって忘れ去られていたアドラー理論が、再び心理学の専門家たちの注目を浴びるようになったのです。今まで見向きもされなかったアドラー心理学が研究されるようになりました。
アドラー派でもないエレン・ベルガーがアドラーの業績を非常に高く評価したのです。ベルガーの評価は緻密な研究も相まってアドラーに対する公平な評価として受け入れられたのです。
ま、わたしから言わせると、アドラーの理論がすごいことは当然なのですが、なぜ、公平な立場にいたエレン・ベルガーがそんなにアドラーを高く評価したのか?
ぜひ、「無意識の発見」を読んでみてください。もしかしたら、20世紀初頭からの今までの臨床心理学の歴史は、フロイトによって歪められた「人間への見方」が、アドラーが「人間知」と呼んだごくごく妥当な見方に戻ってくる過程にすぎなかったのかもしれません。
2 ドライカースの活躍
対人関係のカウンセリング、神経症や精神病の治療に関してはアドラーによってほとんど完成された状態でしたが、アドラーが目指した究極の部分「育児と教育」が手つかずでした。
ドライカースはアドラーの有力な弟子の一人でした。
ウィーンで中心的な働きをしていましたが、ナチスの手から逃れブラジルに亡命します。その後シカゴに移り、シカゴを拠点として、精力的にアメリカ全土にアドラー心理学を広めました。
「教師の教師」と呼ばれた彼は学校教育に積極的に関わりながら、アドラー心理学に基づいた教育の方法、育児の方法を完成させます。
一つには、精神的治療の分野ではフロイト派の精神分析が、浸透しており、アドラーという名前は忌諱されました。それで、教育の分野に広めるしかなかったというのも一因といわれています。
現代のアドラー心理学は、ドライカースがいなかったら存在しなかったろうと言う人がいます。アドラー=ドライカース心理学と表現する人もいます。
ただ、私は、そう思いません。アドラーの業績は、一時期忘れ去られましたが、復活するに十分な力強さを備えていました。ドライカースの貢献は大きなものですが、ドライカースがいなかったら存在しなかったことはなかったでしょう。
ドライカースの功績は、フロイト精神分析医の牙城となった心理クリニック(精神分析医の牙城に心理学者が入り込むようになったきっかけはカール・ロジャースの功績です。アドラー派は入り込めませんでした。)から相手にされなくなったアドラー心理学を
教育の分野に広めたことでした。まあ、他に行き場所がなかったということもありますが、この育児・教育への道筋もアドラーが生前に意図していたものでした。
日本のアドラー心理学者の中には、アドラーの理論を古典物理学、ドライカース心理学を現代物理学に比して、その意義を説明する人がいますが、全く間違ったことです。
ドライカースの業績は、全てアドラーの展開した理論の延長にあります。
3 影響を与えるアドラー心理学
アドラー心理学の理論は他の心理学や精神医学に大きな影響を与えるようになりました。
アドラーは自分の心理学を「人間知=常識」と呼びました。アドラーの知見はフロイトのように偏向して考えない限り、まともに考える限り心理学の行き着く先の理論でした。
ですから、フロイトの後継者の中でも、フロイトの定めた「精神分析の儀式」にさほどこだわらなかった人々の理論はアドラー心理学理論ときわめて似た理論となりました。(ネオ・フロイト派など)
初期の「防衛規制」ですらアドラー派の理論に対抗して作られたのは明確です。「補償」なんて、アドラーの主張そのままですしね。
ですから、いろいろな心理学者は違和感なくアドラー心理学の概念や理論を受け入れたのです。アドラー心理学の理論や概念ほど無断で他の学説に使われているものはありません。「共同採石場」と言われているくらいです。(「無意識の発見」エレン・ベルガー)
たとえば、後に人間性心理学(第三潮流)の旗手となるアブラハム・マズローもニューヨーク時代のアドラーに学んでいました。
だから、第三潮流の基礎理論はアドラー心理学と同じく全体論であり、現象学的なのです。
実は「論理療法」を開発したアルバート・エリスは、ばりばりのアドレリアンなのです。
※心理学系の論文で一番引用が多いのがこのアルバート・エリスの論文と言われています。
エリスはずっと北米アドラー心理学会の重要メンバーの一人でした。ですから、「論理療法」って、基礎理論が全くのアドラー心理学と同じです。フロイトの精神分析とは全く矛盾しています。
元々フロイト派の精神分析医だったエリスは、フロイト精神分析のあまりに非効率的な治療にあきれて、治療の中心をアドラーの長男のクルト・アドラーから学んだアドラー心理学に変えてしまったのです。
そして、そのアドラー心理学的療法をわざわざアドラー心理学という名前を付けないで(つけると忌諱されるから)「論理療法」と銘打って 広めたのです。
ということで、論理療法を元とする、今はやりの認知療法も、実はアドラー心理学の流れなのです。「認知バイアス」なんて、アドラーの現象学(認知論)そのものですよね。
私のお師匠のジョセフ・ペルグリーノ博士も 最初ユング派のカウンセリングを学び、その後ロジャース派に学び、何かもっとよいカウンセリングはないかと模索しているときに
ハインツ・L・アンスバッハーの講演を聴き、これだ!と電撃を受けたような衝撃でアドラー心理学と出会ったとおっしゃっています。
アンスバッハーの英語はドイツ語訛でとてもへたくそだったそうです。それでも、その中身は十分な衝撃だったとおっしゃっています。
ヨーロッパのアドラー心理学もアメリカの学会と相互に影響を与え合いながら発展してきているそうです。
アドラー心理学を学びたい人は 東京のヒューマンギルド http://www.hgld.co.jp/
か 熊本こころ相談室 http://cocorosodan.jp/
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