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yuuの一人芝居
昨日、不思議な夢を見た…。41
あっという間にゴールデンウイークが過ぎて行く、私にとっては何のかかわりもない日々です。まあ、毎日が皆さんの休日と同じですから。
だけど、何も書けない日が続いています。まだ主人公の秋子の人生がまとまらないのです。いろいろの人生を構築していますが、その人生によって6人の女性の人生も変わるのです。
大変な物を書き始めようとしていることに躊躇する心があるのです。
この作品は女性の方たちへのメッセージになるのです。それ故に慎重にとりかかっています。
今の出版界には小説は不要という、つまり売れないということなので出版に積極性がない。まして無名の作家には門戸を開きません。が、今の日本の現状打破のために惜しみなく労苦と投資をするつもりです。また、その作品を舞台へ上げることも考えています。今その件に対しては出版社と交渉しています。
どうなるのか、公演は来年の秋を考えています。その小説を私が脚色するのです。演出するなると体がもつだろうかという危惧もあります。最後の花火の打ち上げです。
しずか 遊んできちゃった、たまにはいいか。結果報告をします、幾花さんはあなたと結婚することを喜んで承諾、家族の皆さんもそれを歓迎、みなさんは東京を離れてこの家で一緒に暮らすことになる。何か文句がありますか、私はあなたの親なの、あなたの気持が幾花さんを欲しがっている事はすぐに直感できたの。何か反論はありますか、あなたの心に沿っていなかったら言ってちょうだい
悠介 あなたに勝とうとも逆らおうとも思った事はありません
しずか なにを悟った様な事を言って・・・結婚なんか言ってみれば博打と一緒、丁と出るか半と出るか分からないから面白いのよ。だけど言っておく、この地球上には何十億と言う男と女が住んでいる、そのなかで出会って結婚する、恋をして戸惑い、愛して生きている事を実感する、これは偶然の奇跡ではなく、四億五千万年前から続いた歴史のほんの悪戯なのよ。だけどそれをみんな信じたいから結婚する、なぜと聞くならそれが動物の本能としておきましょう。本能に逆らう事は絶滅を意味しています。はい、賛成なら盛大なる拍手をお願い致します
悠介 親父もたいへんだったことでしょうね
しずか それだけは言わないで、私は運命論者ではない、何が起こるかそれは私が決めるってこと…
悠介 私の事も決めてしまったと言う事ですか
しずか ごめんね。何か出しゃばって、またやってしまった。あなたのお父さんの生き方に呆れていて恋をして、一途さを愛して、勘当され、あんたが生まれた、それは勘違いから生まれた私の歴史なのよ
サット行きかけて振り返り
しずか ああ、言うのを忘れていた、銀杏は安産祈願も受け付けているって・・・
明りが落ち、銀杏だけが照らし出される なか、ホリゾントに夕景が映える
暗転して幕
さて、私の夢は実現できるのか、夢で終わるのか…。
昨日、不思議な夢を見た…。42
私にとっては全く縁のない5月の連休は終わった。
そこには北朝鮮有事も憲法問題も、関係なく流れ時間であった。大国のエゴによるパァフォーマンスの残骸が横たわっただけであった。
アメリカは決して北朝鮮を爆撃するとは思っていなかったから、今のアメリカにそれだけの経済的な基盤がない。シリアに落としたミサイルは賞味期限が切れそうなもので攻撃目標に着弾していないことか背30年前のものと判断できる。また爆弾の母という代物はこれも名前だけのものでたいした威力はないことも証明された。
アメリカは決してシナと戦火をまみえることは絶対にない。それは相互の経済の破たんを意味し国益にならないということだ。カール・ビンソンがあたかもシナをけん制しながら日本海に入ったのも言って見ればパァフォーマンスでしかない。その裏でシナとアメリカは何を交渉しているのか、6か国、いいえ4か国の協議で話し合うことを進めているのだ。
考え見てほしい、中東のシリアの問題の方がアメリカにとっては近々に解決しなくてはならない問題だ。アメリカにしてもロシアにしても戦費の捻出に手を焼いている筈である。そこにトルコとイラクの思惑が絡んでイスラエル問題の解決などできそうもない。
そこには世界の軍事産業のいらだちが見え隠れしている。ようするに戦争をしくれなくては暇でしょうがなく儲からないということだ。最新鋭の装備と火器の開発費がかかり、売れ残っている火器は賞味期限を過ぎると売れないということだ。
それに国際金融は戦費を貸し付けるところがない、日本も前の大戦時に莫大な戦費を調達したとみていいがその支払いがどうなっているのは全く表に出てこない。日露の戦いの戦費は80年間でようやく支払っている。これも国民には一切知らされることもなかった。
世界で紛争、戦争が起きなかったら軍需産業も国際金融も儲からない、裏での巨大な組織であるのだ。
戦争のシナリオを書くのは彼らである。
オバマ、ヒラリーがアラブの春を作ったのもその手の教唆によって行われたことは明白である。国民はたまったものではない、巻き込まれた国の国民は被害者である。
日本がなぜ攻撃の対象になるのか、それは先の大戦において植民地を失った各国の恨みがこもっているからだ。見てほしい、植民地政索を行っていた各国の疲弊ぶりを、今のイギリスをオランダを、そしてアメリカを、何の産業もなく植民地から搾取した遺産を食いながら国を維持していたがもう限界に近づいている事を。
ここらで第三次世界大戦でも起こして再生を図りたいと考えるのは仕事当然である。
歴史は世界戦争の歴史で彩られている。その歴史を見ればこれからが予測できる。世界のナンパーセントの人が利益を独占するシステムになっている。
戦争が起きるのは必然である。
今、シナがやっていることはイギリス、アメリカが植民地をものにした通りのシナリオを実践しているのだ。インデアンを全滅させ大陸を奪い、労働者を入れてハワイを奪い、キリスト教の宣教者を使い植民地を拡大させたイギリスの真似をしているのだ。これは白人を真似たシナの覇権主義の実態である。
そんな中で日本国はどのようにして国民の生命と財産を守るのか、反日やリベラルのたわ言に迷わされぬ国民の国防意識を高めなくてはならない、まず自衛隊を増強し、最新鋭の武器を開発し、他国との自衛のバランスを保つことが急務である。そして一日も早くアメリカの核での守りから自国で守るということを憲法で発布しなくてはならない。
こんなことを夢うつつの中で思ってうなされた…。
昨日、不思議な夢を見た…。44
最近の静寂は不気味と言えよう。
世界は激しく動いているのに、日本は別世界の様に変わらぬ日々が訪れていることに…。
日本人は恐怖もなく怒りもなく。まるで命を棄てた仙人なのか…。
この国ほどの自由がある国は世界のどこにもない。天皇に対しての不敬も、総理に対しての罵声も死ねという言葉も、慰安婦、南京事件、731石井細菌部隊、靖国参拝などありもしないことで国を国民を世界的に辱めても謝罪もない。外国が攻めてきたらどうぞと命を差し出すという、なんと国民は鷹揚なことか…。
日弁連を筆頭に、NHK、朝日、毎日、東京、それに全国の地方紙の狂いぶりには目に余るものがある。何をしても現行の憲法では許されるという錯覚がある。
まず、この国の知力の粋を集めていると言われる学者のなんと偏狭な人が多いか、金のためには堂々と学説をひん曲げる貞操のなさには現代の女性を見るようだ。女性の方貴女ではない
政治家、学者、文化人と称する偽物、らは欲心を棄ててほしい。それは元をたどれば維新の歴史を誤って教えられたことが原因し今がある。
薩長は江戸幕府をクーデターで政権を奪い取ったが、国民のためという錦の旗をかざしておいて、士農工商という身分差別を開放する、果たしてそれが身分差別であったのか国民は意義を申し立てなかった。一方、維新政府は侯爵公爵伯爵子爵男爵と貴族としてふんぞり返った。それでは言っていたことと違うではないかということもなく認めた。維新政府にすり寄った人たちは優遇され財閥へと成長し、政府の庇護のもとに銀行が幅を利かしだしていく、北海道に土地を貰った大地主が農民から搾取していく、その中に岡山の県北の勝山藩2万石の下級武士であった鳩山、民主の元総理の家もあった。
有島武夫氏は農地をすべて農民に開放している。
まあ、維新の政治は薩長の都合がいいように行われた。その後ろで糸を引いていたのはイギリスとロスチャイルドであった。それらの書いたシナリオ通りに事は運ばれた。
ここではっきりと書いておきたい。坂本龍馬は維新の立役者でもなく武器商人であったことを、それは竜馬が暗殺された経過でもわかるし、彼の妻が彼の亡き後維新政府から何の恩恵も授けられなかってことでもわかる。
日清、日露、そして、大東亜への道筋はイギリス、ロスチャイルドの言うがままに進んだということである。それはドイツの例をとっても明らかである。日露戦争の戦費は80年間ロスチャイルドに払われている。また、第二次の戦費は誰に借入だれにいつまで払ったのかも知らされていない。
ドイツの第一次の戦後賠償はだれが払い返したのか。その戦費を抱えたヒトラーの台頭の陰役者は、なぜに金持ちのユダヤ人をユダヤ人のヒトラーが虐殺をしなくてはならなかったのか、などなどはほとんど真実は語られていない。また、「アンネの日記」のアンネが生きていたということは現実して語られている。
日本はそして、敗戦、今に至る国民は果たして本当に生きたと言えるのだろうか、生かされた奴隷であったという方が正しいように思える。今の国民のだらしなさを見れば納得がいく、一部の反日リベラルにいいように操られまったく主体性がなくなっているのを見てもよくわかる。
そのすべては憲法にある。
戦勝国は敗戦国の法律を改ざんしてはならないという国際法がありながらアメリカは日本に現憲法を押し付けて今の覇気のない国民を作り属国として上米をはねているのだ。
その憲法をおメリカとの安保を反対している反日リベラレはありがたく押し頂いていることに何の矛盾も感じていないという現実がある。これを無節操という。
国民の無知にはあきれる。
作品も書かずにこんな夢を書きすぎている…。
昨日、不思議な夢を見た…。46
あとがきに変えて
古希の時に、
「倉子城物語 倉子城草紙」を出版して五年の歳月が通り過ぎている。
歳を取るということは何かおもちゃが必要であることを感じた。
戯曲を書くのをやめてもう十五年になる、が、何かしなくては退屈でしょうがない、世界、日本の歴史、世界の宗教、文明の遺跡などに興味がありその方面のことをつぶさに眺めていた。
そんな中で、「砂漠の燈台」を書き始めていた。これほど時間をかけた作品はない。爾来、私は速筆な方で構想がまとまれば一晩で書き上げたものだが、やはり歳なのか、それに書き進めているうちに新しい発見をしてついついそれをどのように入れ込むかという問題もあって、書き始めて、気分のいい時には書き進めることが出来るが、自律神経失調症に左右され何か月を費やした。
この物語は一人の女性の心の成長を日本の文明と重ねて書いた。人様に読んでいただくためではなく私がこのような物語が読みたいと書き進めたものです。
そして、三十歳で書いた「天使の子守唄」添えさせてもらった。老人の性を問いました。
「麗老」は定年をした男がいかに生きるのかを一面的な視点で書きたかった。綺麗に老いる、それはどういう性質のものか、真実などあるわけもないことを承知していた。少し遊び心を入れて重たいテーマを軽く書こうとした。老いという側面を多少なりともかけていればと思いたい。書いた後、私には弁解の余地などないことを承知しています。読まれた方がなんだーと思われてもそれについて煩労をする勇気もない。こんな生きかた、があってもいいとご寛容に理解していただければ、書いた甲斐があったというもの、書き手のいい逃れは一切しません。
本にするつもりはありませんでした、が、草稿の原稿を読んだ人から本にしてという要望が多くあった。その人たちに後押しされて出版することにした。貧しい知識の中に出来上がったものをと思うけれど開き直っています。
この作品集を出版するに至って「幻冬舎」の編集者下平駿也さんに多大なる支援を頂きましたことを御礼申し上げます。
今、書こうとしている「めぐり来る季節の中で」の構想がまとまらない。これは秋子の一生を書くことにしている。戦前に生まれ戦中を過ごしそして戦後、平成29年の春、桜の満開のもとで旅だつとしている。その生きた期間に何を感じ生きていたのかがこの作品のテーマでもあり、そこに新しい女性の生き方を、今まで感じなかったことを書き加えるつもりでいる。秋子の子供たち、孫たちの人生は秋子の人生の中に組み込まれているものとした書き、そこに色々な亀裂を乗り越えなくてはならない秋子の生き方が絡んでくる。
「春告げ鳥」夏告げ鳥」「秋告げ鳥」「冬告げ鳥」と章を分けて、秋子が書いた日記を読み孫たちの人生に対しての真摯な生き方を問うことになる。
人が生きていくうえでどうしても避けられないものがある、そのことを重点的に書き表したい。
こんな夢のような作品が、なぜ今なのかということは、現代の世相が男も女も本能というものを考えないで生活し、未来を予言することが必要だと考えたゆえんでもある。
誇大妄想の夢を書き表そうとしている75歳の春の終わり、夏告げ鳥の鳴く燕の声に託したいと思っている。
昨日、不思議な夢を見た…。47
木立を縫って五月のみどりの風がわたってくる。その風はなんと快く人の心に安らぎを与えてくれるものなのか。草木は息を吹き返したように芽を出し新緑の葉を広げお日様の恵みをいっぱいに受けつぼみを付け花びらを開こうかと準備している。五月の季節の戸惑いが時に滋雨を振らせてその成長を励ましている。我が家の草花は満開乱舞の様相を見せている。名も知らぬ草花に「ありがとう」と声をかける。その言葉は肥しのように感じて一層花を美しく着飾らうとする。バラが今開こうとしている、アジサイも準備が出来たと言っているようだ。
最近の母の日にはカーネエションよりアジサイを贈る人が多くなっている。家人はカーネェションを貰って飾っている。
母に感謝する息子たちの志である。
花の命は短いが、次の年のこの季節を知っていてまた新しい芽を出し花をつける。
私は物語を書いていて人間を省察するとき果たして人間は何時花を咲かすのかと思う。人間が何時か、最近不確かだが老いていく中で今花を咲かしていると感じている。若い人はその若さで美しく、歳を取る過程でもみんなそれぞれの美しさを見るのだ。が、人生の終焉期に開く花は、生きて感じた知恵を持っているだけにより美しいと感じるようになった。
今の世界の老人はいかに美しく老いるのかを考えて生きてほしいと思っている。これはもう迷うことなく生きることだ。考えて生きることで答えを出すべきなのだ。
今どのように生きるかを花にたとえると散る時を感じて生きることだ。
歳を取ることは欲心を棄てることなのだ。澄んだ心で生きることなのだ。
これは花に学ばなくてはと思う。咲いて散り枯れていく、その姿を私は好きなのだ。もののあわれにこそ美しさがある。
これは私の美学であり概念であるので納得する必要はない。
残りの生き方の中であとひと花、などと考えることもいらない、自然体で過ごし出来れば、人のためになることが必要とされていれば完璧である。
年寄りには玩具がいる。「麗老」という作品の中で若い頃から定年退職したら読もうと5千冊を買いそろえた男を書いたが、その本の背表紙を見ているだけでも心が持たされ豪快ではないか。また、保育園、幼稚園の子供たちの中に入ってその無邪気さを生きがいにすることも心を開放することで生きている実感を持つことが出来よう。
定年退職をした一人の男がそのあとの人生をどの様に生きるのかを書いた。
この作品も出版する中に入れた。現代の高齢者の問題としてのメッセージとした。
今、緑の若葉とみどりの風の中で大きく胸を張って深呼吸をしている。
今年の春は昼は暑く夜になると冷え込んでくる。花も戸惑っていることだろう。春を告げる鶯もカッコウも・・・。だが、毎日名も知らぬ花の姿に勇気付けられ生きる力を戴いている。
「あなたに差し上げられるものは、五月のみどりの風とあなたを愛するこころだけです」
イギリスの作家、クローニンが書いた言葉が思い浮かぶのだ。スコットランドの五月の自然の営みから生まれたものだろう。
春は私の持病、自律神経失調症が気圧の変化に糾合して私の体を狂わせる時期でもある。長い付き合いでも耐えられない苦しみがある。
が、夢を見ることにしている。夢は決して成就するものではなく、心の滋養なのだ…。
昨日、不思議な夢を見た…。48
久しぶりに日本映画を見た…。
「わが母の記」井上靖氏の小説を原田眞人氏が監督脚本を手掛けていた。
この原作を書いた井上靖氏の母御のことを書いているが母と子の、その一族の血という問題を絡めていて喧噪であっても情というものを感じ取らせていた。
まだこのような映画が作られていることに驚き感嘆した。映画製作に携わった人たちの良心を見せられた。このような映画が製作できる土壌があることを喜んだ。
そして、まだまともな俳優がいて演技が観る人の心を揺さぶることも感じた。
タイトルバックが流れ、俳優は何人か知っている人がいたが、制作スタップの中には一人も記憶する人がいなくなっていた。時は流れ私はその忘却の中にいることを知った。
皆さんも時間があれば見ても時間の浪費にはならないと思う。GYAO無料映画サイトで見られる。
流行作家とその母の物語だ。母は認知症が出て来て奇行を繰り返す、家族はそれに振り回される、その認知症の母の言葉の中に昔のわだかまりを説くカギが、その真実が明かされる過程は脚本監督のお手柄である。決して安物ではない。井上靖氏の原作を読んでいないので何とも言えないが、ここまで映像を作り上げる腕と才覚には狂喜乱舞をさせられた。
秀逸は役所広司である。作家が持つ風貌と気骨さと細やかな愛を併せ持った演技だった。それに宮崎あおいの娘役はこの人しかできないだろうと感心させられた。母親役の樹木希林さんは、爾来老け役と個性的な役どころは演技がたやすいということでこの女優なら楽にこなせていた。また、わきを固めていた俳優の確かな演技、見せ場と落としどころを知っていた。カメラの自然を切り取る目はこれもほめなくてはなるまい。奇をてらったものでなくアップとロングを巧みに使い分けて流れを止めることもなかった。
作家は母に捨てられたと思い母に懐疑的な思いがあるが、
「わが子の中で一番強い子を日本に残した」台湾に赴任した夫の所へ向かう戦時中の家の血を絶やさない思いを知ったときの激しい後悔と愛情を気づかされる作家、また、幼い頃書いた詩をいつも持ち歩いていた母を知り母の思いの深さを知るところなど今の作家に書けるはずはない。深い思いは決して表に出したらそれは安物に代わることを教えられる。
戦前のあった日本の伝統、風習も的確に表現され、昨今の時代考証、衣装考証のなさにうんざりさせられていた私は目を見張った。
この映画に引き込まれ、まだ日本に映画があることを確信した。
今私が書いているテーマとダブるところもあり影響を受けないように注意が必要であることも感じた。
全ての芸術作品はそれに接した人たちを生きていてよかったと思わせなくてはならない、それが作り手の信念でなくてはならない。決して空振りをさせてはならない、その審問で想像してほしい。
私が夢を大切にといつも言うが、そう簡単に夢が実現しないから夢が必要なわけで、それは心の安らぎでもありゆとりがあって初めていい夢が見られるということなのです。
昨日、不思議な夢を見た…。49
倉敷は今日一日中小雨が落ちていた。5月というのに暑かったり寒かったり、季節の変わり目の気圧は体や心までもてあそぶ。そこの気候に左右されて自律神経失調症は体の場所を攻撃してくる。まあ、毎年の恒例になっている体への攻撃だから慣れてもいいようだが、この病気でまず死ぬことは無いのだから鷹揚に構えていればいいものを小心者で弱虫の私は常にびくついている。そんな日々の中で「めぐりくる季節の中で」を書くために登場人物の箱書き(職業、教養、ものの考え方、性格、癖)書き込むための準備をしてている。今までいろいろと書いたが、構想にこれほど時間をかけたものはない。ます、私が女性7人の書き分けをしなくてはならない、それもセリフではなく地の文でとなると今までやったことがない。
今回出版する作品も女性主人公の人生を自然と歴史を題材に沿うて人間の普遍的な生き方を書いたのだが、これは意外とすんなり書き上げることが出来た。幻冬舎の編集者も作品ついては直すところは何一つありませんと言ってくれていて今月の終わりには最終ゲラが私の手元に来ることになっている。それが終わればあとは表紙のデザインと帯び符ということで印刷にかかることになるだろう。意外と早く完成し出版が出来ることになる模様。
その作品と比べて私の頭は回転しすぎで纏まらない。300-500枚の作品を考えているがそこで終わるか疑心暗鬼だ。
昭和元年に生まれて平成30年で没する、戦前、戦中、戦後の時代背景を知り尽くさなくてはそこで波間を彷徨う人たちのことは書けない、そして、また、どれほどの家柄なのかも書く上で貴重なことになる。
この日記は、私が命を終える前に書こうとべージをあけておきました。まず、この日記の前文を読んで、最初から読んでほしいのです。そこには一人の女の生き方が見えてくるでしょう。着飾った表現は、いつまりのものは書いてはいません。
一人の女がどのようにして生き何を考え何をしたかということを丹念に書き込みました。
それは娘たちや孫に伝えたいという思いもありますが、それをあなたたちがどのように取り入れるのかは自由です。
この日記を読む人たちの心の葛藤を書き込んでいきます。
最初の書き出しと、最後の言葉が出来上がると作品の90%は出来たとも言えます。
この作品には4つの区分として、
「春告げ鳥」「夏告げ鳥」「秋告げ鳥」「冬告げ鳥」というサブタイトルがついている。
季節の中で、その季節に遭遇する自然の光景をぜひ入れたいと思っている。また、場所は倉敷、東京、京都の季節感を入れたい。
人間は環境で変わる。
作品を書きながら、フランク・シナトラの「マイ・ウェイ」を聴きながら書き進められたら楽しく書けるかもしれない。
前に書いたものは本当に楽しく書けた、のびのびと表現を綴られた。
今回の作品もそのように書けるといいがなと夢を見ている…。私にとって夢は精神の滋養でありゆとりとして大切にしているものです…。
昨日、不思議な夢を見た…。50
梅雨が近づいていることを実感している。空気が肌にしっとりと絡んで来るように思える。私の様な自律神経失調症を持っている人間には気圧が微妙に体に変化を与えてくるので分かることも多い。頭は無論、目がしょぼしょぼし、息苦しく、手足は冷たくなり、心臓は不整脈を起こし、便秘になり、脚も浮腫こともあり、気圧の変化で症状が出るところが異なる。これは若い頃、突然発病した。
倉敷の青年たちに演劇を教えていた倉敷演劇研究会の台本を書いて面倒をみ、岡山県青年祭に出場させ、最優秀賞を取り、全国青年大会の会場の東京に行くときにそれは起こった
東京駅の階段で息が切れて動けなくなった。宿舎は渋谷区の神宮前のオリンピックセンターだったが青年の介護でようやくたどり着けた。そこの診療所に行くと風邪です薬をくれて飲んでも症状は一向に良くならない、演劇発表の場の目黒公会堂の近くの医院に飛び込んだが、風邪という診断だった。当時はまだ精神的疾患に対してはわからないことが多かったのだった。まだ心療内科などというものがなかった時代であった。
岡山県の代表として最高の舞台を涙を流しながら見ていた。
最優秀舞台美術賞、優秀演技賞、脚本賞は岡山でもらっていたが、その賞に見事輝いた。
が、私は名前のない傷病に苦しんでいたが青年たちに賛辞を惜しまない言葉を伝えた。宿舎に凱旋して私は最初に胴上げをされた。宙を廻っていた、頭はとっくに宙を回っていたのだが。
そんな青年たちの努力に報いる為にアイスノンを頭に巻いて4作台本を書き全国大会へ出場させた。
その時の夢をよく見るようになっている。小説を書きながらの台本の執筆であった。その頃は懸賞小説に応募していた時期でもあった。太宰治賞は宮本輝氏の「泥の河」に敗れ、オール読物新人賞は志茂田景樹氏に持っていかれていたが私にはそれより得難い青年たちの心意気を受け取っていた。
このころから公演台本を書くことになる。岡山の演劇のエポックリーダーとして青年とともにあった。
今でもその当時の今は60歳を過ぎた昔の青年から賀状をいただいている。
演劇の御蔭で全国の演劇人との交流によってその世界に浸ることになる。
60歳で演劇を棄てるまでその中で生きてきた。
私の足跡は、日本演劇協議会によって戯曲は百数作羅列され、公演の映像は文化庁の要請により早稲田大学が保存してくれている。
若かったころの足跡はそこにある。
これらは若き日の夢なのかもしれないと思う…。嫌、残がいなのかもしれない…。
今、遺書のつもりで書いたものが出版されるということは夢の続きなのかもしれない…。
全て突然衝突をして始まるものかもしれない…。
だが、一つだけ言える、その偶然の衝突が無かったら人生は味気なく過ぎていったことだろうと…。
夢はただ夢でしかないという人がいる。そんなつまらない生き方をしたのですか、と…。
50回でひとまず終わりたいと思います。読んでくださった皆さんありがとうございました。
「いつか何処かで…」はこれから暇を見つけて書き込む予定です。よかったそこでお目にかかりましょう…。
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