ミューンの森~Forest of Mune~

ミューンの森~Forest of Mune~

♪ 2



♪ Shall We Dance?  ♪

2.



「さあ、これで出来上がりですわ。」

 女官に肩をポンっと叩かれて、半分眠っていたラスティアはハッと顔を上げた。
その様子を、すっかり身支度を整えた王女が、楽しそうに眺めている。

「やっぱり私が思っていた通り、本当に素敵なお姿ですわ。」

 うっとりとした王女の視線に内心ビビりながら、大きな姿見を覗き込む。
 そこに写っているのはラスティア本人に間違い無いのだが、しかし、これは......。
 線は確かに細いけれど、紛れも無い極上の男性の姿が其処にはあったのだった。

「ラスティア様だと知っている私でさえ、心臓がどきどき致しますわ。本当に恋してしまいそう......。」

 冗談でも止めてくれ。......帰っちゃうよ。

 ラスティアの心の叫びを知ってか知らずか、涼しい顔をして笑う目の前の美女は、何時にもまして美しく着飾っていた。
 折れそうな程細く絞ったウエストから流れるように広がるシルクのドレスは、王女の繊細な雰囲気に良く合っている。胸元を飾る薔薇を象ったネックレスは、めずらしい白金とピンクダイヤで出来ている。結い上げた髪が何時も以上に王女を高貴に見せていた。

 これは嫌でも人目を引くな。

「王女様、そろそろお出ましになりませんと。皆様お待ちかねです。」

 女官の声に本気で逃げ出そうとしたラスティアの手を強く引いて、王女は大広間へと歩き始めたのだった。


休廷の楽団が奏でるワルツが流れる中、大広間の2階から見下ろした光景にラスティアは息を飲んだ。色とりどりの花々が咲き乱れている様な錯覚に襲われる。立ち上る白粉と香水の香りに、気が遠くなりそうである。

「さあ、ラスティア様、これから貴方はお母さまの古い友人のご子息のサイモン・シンファル侯爵。いいですね?」

 ラスティアは軽いため息と共に、何度も繰り替えし暗記した自分の偽の経歴をもう一度頭の中で繰り返した。

 王女が黄金に輝く髪の身知らぬ若者を連れ立って大広間の階段に現れたとき、広間にひしめく人々の間から、次々と感嘆の声が漏れた。

 女性達は、王女の白い手を取ってゆっくりと階段を降りて来る若者の、女と見まごう美しい姿とその優雅な身のこなしに息をのみ、皆一様に頬を染めた。(女だってば)

 一瞬の静寂の後、広間はその青年の事を噂しあう興奮気味の声で溢れかえった。
 当のラスティアは、こそこそと囁きあいながら自分を見つめ、目線が合おうものなら「きゃっ!」と叫んで頬を染める女性達の姿に、
(ほら、云わんこっちゃ無い、バレバレだよ、女が男のカッコしてバカみたいって笑われてるじゃないかー!!!)
 と逆に頭に血が登り、顔を赤くして唇を噛んだ。その仕種が更に女性達の「護ってあげたい」本能を燃え上がらせ、騒ぎを大きくしている事に気付くはずも無く......。

「やっぱりティアナが思った通りですわ。皆ラスティア様の麗しいお姿に釘付けですわね。」

 王女が満足気にラスティアに微笑んでも、本人は「い-え!皆して私の事を笑っているのですっ」と取りつく島も無いのだが、王女にとってはそんなラスティアの膨れっ面さえ可愛らしく感じられるようで在る。

 ラスティアは限界にまで高まった緊張に、初めて経験する晴れがましい席の興奮が相まって、一種の恍惚状態に陥ったらしい。

(こうなりゃ、もう何でもありよ!)

 折しも始まったワルツの曲に、優雅にお辞儀をして王女にファ-ストダンスを申込むと、二人は親し気に手を取り合って皆が見守る中、これ以上は無いと云う程完璧に、パーティーの始まりを告げるダンスを披露したのだった。


***********


 立て続けに数曲を踊り通してから、二人は顔を見合わせ笑いあってダンスの環から抜け出した。
 秘密を抱える女同士が顔を寄せあい楽し気に語り合う仕種も、周りから見れば恋の真只中の甘い触れ合いに見えてしまうから不思議だ。
 最初は必要以上に神経質になっていたラスティアも、一番の不安材料だったダンスが思いのほか上手く行って、大分余裕を取り戻していた。明るい笑顔のラスティアは、より一層「美青年のオーラ」を振りまいている。会場の半数余りを占める男性達は、この新参者の若者に鋭い視線を投げつつ、どう接すれば一番自分に得になるかと思案している顔である。色恋沙汰にはとんと疎いラスティアだが、駆け引きや打算、と云った感情はお手の物だ。次々と王女を通して自分に語りかけてくる男達をあしらいながら、それなりにこの場を楽しみはじめた。ティアナはティアナで、見知らぬ連れの男性に付いて質問を浴びせる女性達を相手に、久しぶりに晴れやかな気分を味わっているようで在った。


 その時。

「ティアナ王女。このような晴れがましい席にあなたがお出ましとは、珍しい事もあるものですね。」

 聞き覚えのある、低いゾクッとするような美声が急に間近で聞こえ、ラスティアは驚いて振り向いた。そこには一つに纏めた長い髪を背に垂らした、長身の青年が立っていた。冷たい眼をした青年だが思わず見とれてしまう美しさだ。

「まあ、これはレムオン様。」

 ラスティアは王女の弾むような声に驚いてその顔を伺った。嬉しそうに微笑むその表情に、青年に会えた事の喜びが見て取れた。

「今日は古いお友達が訪ねて来て下さったのです。それで私も久しぶりに出席する気になりましたの。」

「ほお。......婚約者殿がいらっしゃっているというのに宜しいのですかな?......まあ、貴方がこちらの青年に御執心に成られるのも無理は無いでしょうがね。」

 最後の言葉は、真直ぐラスティアに向けられたものだった。むさ苦しいゼネテスよりラスティアといる方が楽しかろうと云うこの青年の言葉に思わず破顔してから、その前の台詞に思わず王女と顔を見合わせた。

「あ、あの、ゼネテス様がいらしている、と仰るのですか?」

「先程、お見受けしましたよ。相変わらずグラスを傾けながら、面白い余興だと、お二方を眺めておいででしたよ。」

 唇の片端を上げて、皮肉気にゼネテスの事を語るこの人物に、ラスティアは微かに眉を顰めた。ゼネテスが言ったと云う「面白い余興」の一言がずしんと心にのしかかった。

「......紹介しますわ。こちらは母の古い友人であるシンファス侯爵の御子息サイモン様です。」

 来る筈の無い許嫁がこの場にいると云う男の言葉に敢えて何でも無い顔をして、ティアナはラスティアを紹介した。目の前の冷たい眼をした美しい男性は、ラスティアが思った通りリュ-ガ家のレムオンだった。
 以前ラスティアが、王女の部屋で会話を聞いたその人である。

「これ程女性達の心を騒がせる若者がロスト-ルにおられたとは。婚約者殿もうかうかしてはおられませんね。このままでは貴方に攫われてしまうやも知れません。」

 ラスティアはレムオンの言葉に、「嫌みか?」と心で毒づきながら「私と王女はとても良い友人ですが、残念ながらそれ以上でもそれ以下でもありませんよ。」と優雅に微笑んでみせた。

「婚約者殿がそう思われれば良いのですがね。......まあ、あの男は寛大だ。それに自分の行動を振り返れば、貴方が少し火遊びをしたからと云って責める事など出来はしないでしょう。」

(こいつ、絶対面白がってやがる......。)

 からかうようなレムオンの言葉に、ティアナは平気な顔でラスティアに向かって微笑んでみせた。

「親同士が勝手に決めた許嫁ですもの。私が何をしようと私の自由ですわ。」

 ティアナの言葉に、隣で佇むラスティアの方が気が気ではいられない。

 何で今日に限って来やがるんだよ、ばかゼネテス。今まで一度だって、舞踏会になんか顔を出した事が無いって聞いてたぞ!

 このまま回れ右をして宮殿からさよならしたい衝動にかられたが、この一週間、青年貴族シンファス侯に成るべく努力をさせられて来た成果か、なんとか理性を働かせて踏み止まった。

「............シンファス侯。またいつかお目にかかる時も在ろう。では。」

 レムオンはラスティアにそう言い置いてから、ティアナの耳もとで優しそうに何事か囁いた。そうしてざわめく人々の中に消えていった。

 この会場の何処かにゼネテスがいる。
 そう考えただけで、ラスティアの胸は千々に乱れた。
 長い間、その姿さえ見る事が叶わなかった想い人。その人が同じ場にいる。会いたいのに会いたく無い自分の複雑な立場が恨めしい。

 人いきれに酔ったと、ラスティアはティアナに暫しの暇を告げた。何処に居ても好奇の視線を感じて落ち着かない。独りに成れる場所を求めて広間を抜け出し、先程の控え室に逃げ込んだ。今は女官達はパーティーの仕事にかり出されたのであろう、数本の蝋燭の明かりだけになったその部屋は人の気配等無く、混乱した今のラスティアにはお誂え向きに感じられた。
 上着を脱ぎ、襟元のボタンを外して大きく深呼吸をする。
 出来るならずっとここに隠れていたいな。とラスティアは思った。
 王女は自分とゼネテスが知り合いだ等とは夢にも思っていないだろう。下手をすると彼女にゼネテスを紹介される、なんて最悪の事態に成らないとも限らない。それだけはどうあっても避けたい。

 倒れ込む様にソファに身を投げてから眼を閉じる。そうしていつも自分の心の中に在る人の顔を思い浮かべた。

「......ゼネ、さん。」

「......はいよ。」

 思わず口を付いて出た名前に、誰もいる筈の無い空間から聞き知った声で返事が返って来て、ラスティアは小さく悲鳴を上げソファから飛び上がるように身を起こした。

「そんなに驚くこたぁないだろう。......ハッキリ言って驚いたのはこっちの方だぜ。」

 懐かしささえ感じるその声。

「ゼ、ゼネテス......。」

 薄暗い部屋の奥にあるテラスの方からグラスを片手に現れたのは、漆黒の正装を颯爽と着こなした長身の男だった。
 ほのかに漂って来るのはいつもの酒の匂いでは無く、さわやかな柑橘系の香水。きちんとまとめられた短い髪に綺麗に剃られた頬。目の前に立っているのは初めて見る「貴族」のゼネテスである。冒険者の名残りは何処にも見られない。

 ラスティアは今すぐに、その髪に指を差し入れて掻き乱してしまいたい衝動にかられた。自分の知っているのは、乱れた髪を額に垂らし、皮肉な笑いを浮かべた優しい瞳の男だから。それがラスティアの知るゼネテスだから。

「昨日叔母貴から、お前さんが舞踏会に出席すると聞いた時には俺は耳を疑ったぞ。」

 グラスの液体を一気に飲み下し、そのグラスをテーブルに置きながらゼネテスは口元に皮肉気ないつもの表情を浮かべた。

「あれからずっとお前さんには会えずじまいだったからな。ドレスに身を包んだあんたが見られるのかと、つい口車に乗って来ちまったが......まさかこう言った姿を見る事になるとはな。」

 不躾な視線に真っ赤になりながら、ラスティアはいたたまれなくなって立ち上がった。その手をゼネテスの大きな手が捉え包み込んだ。肉刺だらけの堅い掌の感触に、ラスティアの膝が震えた。

「俺にはそっちの趣味は無いと思っていたんだが。こうして男装のお前さんを目の前にすると......自信が無くなって来たな。」

「じ、冗談でしょう。」

 不敵な笑みを浮かべる目の前のゼネテスは、ゆっくりとラスティアを自分の方へ引き寄せる。余りにも間近にゼネテスを感じて、ラスティアは全身が恥ずかしさに燃えるような気がした。

「い、いい余興だったでしょ、ははは......。」

 なんとかこの場の雰囲気を変えようとラスティアが口走ったのは、因りにもよって先程レムオンから聞いたゼネテスの台詞だった。

「............お陰で酒を呷る羽目に成っちまったよっ。」

「......あっ!」 

 苦し気に眼を細めた黒衣の男は、腕の中のラスティアを羽交い締めにすると、荒々しくその唇を奪った。
 痛い程に締め付けてくる大きな腕の中で、ラスティアは自分が地雷を踏んでしまった事に気付いた。


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2003.10.20 UP

************************
......まだ続きます。
このラスティアちゃん、言葉遣いが男の子になってます。
勝手に喋っちゃうので困ってしまう......。
やっとの事で出て来たゼネさん。この登場の仕方も何パターンも書いて、やっと此れに落ち着きました。
レムオン様をカッコ良く書きたいのに、余りに力及ばず玉砕。
平にお許しを~っ!




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