詩・書・画・印 マクロビオ記

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丼古庵@ Re:明るさと安定(05/06) 大橋醒仙さんの篆刻についての記事は珍し…
2013年04月15日
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2013,4,15

一生涯にその人の恩人は必ず何人かいる。生きている、生かされている

ということはその恩人のおかげであろう。私の恩人の一人は上田桑鳩先生である。

まだ私が若い20歳のころ先生にこういったことがある。「先生、わたしはこの書を

外国に紹介し東洋の文化を西洋の人々に教えて普及したい」といったことがある。

そうしたら先生はすぐ「そんなのはダメだ、力もないのに行ったって駄目だ。それより

まず生活が先だぞ、」と。強い語調で厳しく言われたのであった。この先生の言葉が

いつも脳裏にあって就職するときに生活を安定させてからじっくり勉強しなければ

ならないといつも考えていた。そこで郷里の書の教員になった。15年で終わろうと考えていた。



しかしこの経験は決して無駄ではなかったと思う。

退職して7年がすぎたが、毎日書作の研究である。

近頃、アメリカから作品を出さないかと言ってきた。

40数年前の思いが通じたのかもしれない。今思うとやはり上田先生のあの一言

はきわめて有効で重かった。今なら何とか出品はできそうだ。急がば廻れか。


また上田先生はいろいろなところで、奇跡を起こしている。信じられないこ

とであろうが、会津若松市立日新小学校で公開授業をやりここで劣等生が書いた「道」作品を取

り上げてこんなに面白く独創的に書けるのは素晴らしい、とみんなの前で褒めたのである。すると

それからその子供は急激に変化して悪かった成績もぐんぐん伸びてとうとう一番になり立派な大学

にはいったのである。上田先生がこの子供の才能を見出し、点火したのである。


また会津本郷の宗像窯はつとに有名であるが、上田先生が会津に来られた時、厳君が宗像窯まで



ので皆で応援し続けていた。上田先生は全国の窯場を歩いて、自らも器を作る。焼物には特別な

情熱を注いでおられた。その上田先生が宗像窯を見られて「特に買うものはないな」ともうされ

帰ろうとした時に土間の入り口にあった「にしん鉢」を見つけられて「これはいい。これなら買

おう」といって買って帰られたののである。その時は今の宗像亮一先生の父親が対応され、上田

先生がこのにしん鉢をコンクールに出しなさい、といって帰られた。その翌年に「しん鉢は最高



上田先生は石が好きでこれも全国の川を歩いておられる。只見川に来られた時、柳津、三島、

金山、川口あたりの景色をみて、「これは日本一の川だ」

と太鼓判を押された。そのころそんなことをいう人は誰もいなかった。そのご2,30年たって、

それが証明された。その只見川の景色をとった写真家の作品がこれまた「日本一」になったのであ

る。それから今では多くのカメラマンが只見川に押し寄せている。天下の第一人者というものは

多くのものを見ているので目が肥え、すぐに審美眼が働き、そのものがどういう内容を持ってい

るか判断できるのであろう。上田先生のこういう話は全国いろいろ聞いている。

「嗚呼、上田先生」 合掌。








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最終更新日  2013年04月15日 07時22分11秒
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