カール兄ちゃんと弟ピースでございますパート2
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2012年 (平成24年)3月22日(木)AM6時50分 母亡くなる。今でも・・・死んだ事が夢の様で 病院にいる様で、実家に居るようで~2月11日母が、救急車で運ばれる。便が出にくくなっており摘便して頂き自宅に戻ってきた。それから数日して、「辛い」と言うことで、父が病院に運ぶ。闘病生活・・・28年ぐらい膠原病と戦ってきた母。ご苦労様 辛かったね~ 頑張り屋だったね。 少女の様な純粋だった母。 小さい頃ドーナツを作ってくれた母。 炊き込みご飯・笹寿司・お豆さんを煮るのが上手だった母。厳しかった母。・・・母の色んな顔 亡くなる10日ほど前から、タンが自力で出しにくくなり、食べたものは吐く・・・点滴をしていた。あの時・・・私も 兄も・・・「これはヤバイな~」と思っていた。タンを吸ってもらうことをイヤがり「死んだほうがまし!」と言った母 細い血管に注射針を刺すのは、「イヤ!」と言った母。仕事を理由に、亡くなる前日・・・病院に行かなかったのが悔やまでる。22日は、卒園式で、AM7時過ぎ、父から「さっちゃん・・・母ちゃんが~」と言った時 毎回、不死身に母は、乗り越えて来たので、「やっぱり!」と思う反面 夢の様な気持ちだった。父も、亡くなる日の晩、その日はスースー眠っていたらしく看護師さんから、「お父さん自宅で少し休んで下さい」と言われていて、父は帰ったらしい。母の、最後を誰も看取ることが出来ず・・・今でも辛いです。10年ほど前の写真ですが、父が撮ってご機嫌に笑っている写真です。葬儀は、家族葬にしました。早朝、亡くなったので9時間ほど自宅に連れて帰り、母とゆかりのあった方・集落の方が、来て下さいました。看護師さんから頂いたお化粧道具で、妹が綺麗に化粧をしてくれていた。お念珠を付けられる母の頑固な手は、細く綺麗な手に変わっていた。父が選んだ、淡い薄紫の着物を着せてもらい、棺には、父が退職の時買ったと言う、赤紫のスーツを足元に入れた。料理好きの母に、兄と妹と私で、クッキングブック・トマト・お気に入りのタオルを入れてあげた。いつも、人のために、DVDを作って来ましたが、亡くなる一週間ほど前に、病室で母に見せてあげようと、父との古い写真数枚・私達の子供の頃の写真・父との旅行写真などでDVDを作ったのがあり、御通夜の日父に見せると、「葬儀に流してもらえるといいな~」と言ったので会館の方に頼みました。自分で言うのも何なんですが、母のこと、よ~く分かってもらえるDVDになり 私達も、一時母との別れを噛み締められました。葬儀のあと、父・兄・妹 家族水入らずで、母のこと・・・父の今から・・・喧嘩しながら深夜遅くまで、話をした。我が家は、熱い家なので、喧嘩もよくします。で、葬儀の翌日から2日間で、父が看病でバタバタになった家の片ずけ、倉庫の片ずけを、兄夫婦・妹夫婦 私達夫婦で行なった。父は、お参りに来られた方と話をしてました。妹の旦那が、仕事場のダンプを借りてきてくれたので、3台分クリーンセンターに運んだ。兄夫婦が帰ってこれるまで、父が過ごしやすい様にタンスの位置を変えたり、使わないものは処分した。 母の手作りや、使っていた懐かしい物は、大切に保管して・・・3日目は兄と私で軽トラで倉庫2階の離れの掃除をした。私は、22日(木)から26日(月)まで年休をとる。仕事に出れば、元気も出るが、帰り道や自宅に戻ると現実!・・・気力が湧かない。母は、偉大だったな~。「産んでくれてありがとう」いっぱい♪ いっぱい♪愛情をもらっていたこと・・・情けないが、亡くなって気づく 亡くなって見えてくるものが沢山あります。
2012.04.08
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