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今年は、人生で一番苦しい1年でした。
2/1に父を亡くしました。
1月12日まで、夫婦で暮らしてたのに、父が急遽入院となり、
母の心の内はわかりませんが、一気に認知症が進行しました。
父の見舞いから帰ると、寒い中真っ暗な玄関先に、裸足のまま、外をぼーっと見つめたり、
夜中に3階の窓から、月を見てたり・・・
想像ですが
「お父さん、まだ帰ってこないの?」と父の帰りを待っていたのだと思います。
20日の入院で、始めの2日間程で父は意識がなくなりました。
兄家族が帰ってきて、面会規制もあるので、兄家族に面会の機会を与えたら、
その時は、「兄ちゃん、大丈夫だから!」と話したそうです。
私は、入院前から、毎日父に付き添っていたのに、私への最後の言葉は聞けなかった。
今でも、お父さん、純子に残す言葉はなかったの?と問いたくなります。
あっという間に意識は無くなり、病院側の理解もあり、コロナ真っただ中でしたが、
日中は長時間父の近くに付き添え、毎日、髭剃り、口腔ケア・清拭などさせてもらえて、
別れの準備ができたことは病院に感謝です。
しかし、その間も母の認知がひどくなり、夜中の失禁が始まると、
父の事、母の事で、私も追い込まれ、1年前に母の認知症診断を受けた際にお世話になったケアマネさんに頼り一時的に施設に預けることとしました。
母を施設に入れるその日は、叔母さんも長崎から来てくれ、
なんせエレベーターない3階から1階に下ろすことも大変だったため、
介護タクシーの高級バージョンをお願いし、3名の看護師に来ていただき、車いすごと
3階から下ろしてもらいました。
母には受診という形で「嘘」をつき、施設にいれたこと、
施設入所の初日、母を置いて、施設から帰る時は、胸が痛くて、苦しくて、涙が止まらなかった。
お母さんごめん・・・ごめんと何度も心の中で呟きました。
父の病院、母の施設への顔出しの中、やっぱり、母がデイサービスで、ずーっと机に顔を伏せてる姿は
今でも忘れなれない。
娘に捨てられたと思っていたと思います。
入所してからも「家に帰る」と夜中荷物をまとめたり、家の方向を指して、「うちはあそこだから」と
話していた、とスタッフから聞くと、胸が痛くて、こんな胸の痛み方があるのか、と人生で初めて感じた痛みでした。
2/1に父が亡くなり、葬儀の手配、母の施設が親切でないので、あらたに施設探しをしたり、
葬儀後の香典返し、49日の手配など、もうその頃は忙しくて、そして、少しの時間があると
父や母を思い出し、毎日泣いていたなぁ。
鹿児島市内の施設を沢山見て回って、でも、どこも何か引っかかる、
せめて、母が幸せな時間を過ごせる温かみのある施設を探してあげたい、
それでも家が良いに決まってる、そういう思いで、なんとか私の家からは遠いですが、
スタッフも施設も良さそうなところに巡り合うことができました。
その後は相続の手続き、実家の片づけ・・・
実家の片づけは想い出が多すぎて、北部清掃工場に大きな荷物を捨てにったり、
父の洋服を処分した日などは、やはり帰りの車の運転中に涙が止まらなかった。
辛抱して、物を捨てられず、子供のために沢山の資産を残そうとしてくれた。
なので、余計に捨てることが胸を痛めました。
年末まで、「こんなゴミ屋敷嫌だ」と散らかっていること指摘ばかりしてました。
「片付けようか」といっても拒否したり、ゴミ捨て場から私が捨てた実家のごみ袋を持って帰ってくる父に「ケチ」と暴言を吐いてた。
そんなことじゃなかったんだと思います。
父や母には、そんなゴミ屋敷にも二人にとって大切な空間だったと、何故理解してあげられなかっただろう、と思います。
今年は、何度も、何度も、涙がでたな・・人生で一番泣いた1年だった。
11/21にようやく、相続税の納付を終えることができました。
実家はまだまだ荷物が沢山あるけど、母の洋服等もあるし、生きてる間は、そのままにしていてあげたいと思います。
僅かな希望で、家に帰れる状態になるかもしれない・・
いや、そういう日は来ないと分かっていても、実家を処分することはできない。
父と母が長らく住んでいた家。
今思い返せば、もっと色々手伝ってあげればよかった。
一緒に生活してなかったので、分からなかったけど、きっと、93歳の父は85歳の認知症の母が
家で生活できるよう沢山の介護をしてくれていたと容易に想像つきます。
母はこの11ヵ月でさらに認知症が進み、面会にいっても
「ここはどこなのか分からない。家も忘れた。毎日死んでるのと一緒」と言います。
人は必ず老いるもの。
しかし、親の老いや死は体験して初めて、色々感じることがあるのだと実感しました。
テレビや本、ネットで沢山の情報を得てきましたが、この喪失感は、体験しないと分からないものだと思います。
とりとめのないブログになりましたが、2023年はほんとに忘れられない、苦しい、別れの年となりました。
でも、まだ、母は元気なので、これからは私にできる精一杯の親孝行をしてあげたいと思います。
今、もし、父と母に私の声が届くなら、
「ほんとに、二人の子供で良かった、有難う。
元気なとき、優しくできなくてごめんね」と伝えたいです。