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日記更新メール テスト
2024.02.16
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日記更新メールから
2024.02.14
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オリックス 日本一 連覇ならずですが、4歳の孫が 年中さん相手の 虎さんスクールで すっかりタイガースファンになり(タイガースの帽子もらったり、ファームや特別試合、WOMENの試合で甲子園ネット裏で観戦)とても喜んでいるので、いいかな・・・今日も 日本一のグラフ誌を孫のため買いました(もちろん まだ読めませんが、選手の顔と背番号 しっかり覚えているので)そういえば このブログ始めた頃 岡田オリックス!だったのです
2023.11.13
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昨日は甲子園で応援
2023.08.05
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テスト 再開できるか?
2022.08.16
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Test これで 日記更新可能?
2020.11.24
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毎年1月17日には震災について、阪神・淡路大震災について書いてきたが、今年は書かずにいた。朝から、近くの公園の慰霊碑、復活した市民追悼式、メモリアルウォーク、HAT神戸、三宮センター街の絵画展、東遊園地などを巡った。そして ヴィッセル神戸の『25周年特設サイト』で小川慶治朗選手のコメントが。ツイッターでリツイートしましたが、2月になってどうやら特設サイトの掲載がなくなったようで・・・ここに記録のために再掲します。(このブログは2月9日、記です)「1995年1月17日、僕は2歳でした。・・ヴィッセル神戸に加入してからは毎年震災とヴィッセルの繋がりを映像で観せてもらってヴィッセルとはどういったチームかを毎年心に刻んでいました。」・・・の部分は ツイッター掲載のため短文化し割愛したのだが 両親からその時の様子、避難の大変だったこと、みなが助け合ったことなど、さまざま折に触れ聞いてきたし、小学校では道徳の授業などでも知った という要旨でした。慶治朗くんは やはり ウチの子、KOBEの子!だと。そして こうして、よき選手を育てたよきチームが「俺たちのこの街」に生まれたことに感謝。その「あの日」を・・・。
2020.01.17
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震災25年の年頭に。そして、あの日、1月17日には わがヴィッセルは25歳。初タイトルの喜びよりも、なんか 肩の荷が半分おりた・・・?いや むしろ 仇討ち、敵討ちの ひとつが出来た様な。何の仇討だろうかと 自分でも不思議だが、そう思っている。震災相手に敵討ちしてとしても、亡くなった方や 地震で、震災で人生が変わってしまった多くの人たちが救われるわけでない。気休め?かもだが、私にとっては なんか ザマーミロ、地震なんかで 人間を 俺たちを やっつけられると思ったら大間違いだ。地震なんか ナマズの寝返りだ!この大地は、この街は ここに住み続ける者たち(動植物含め)のものだから。神戸讃歌にあるように「俺たちの この街」「俺たちは守りたい」「命ある限り」やっぱり・・敵討ち 少しできたかも。そして 初タイトルを胸に 開幕戦を迎える ヴィッセル神戸に こころから感謝をしたい。
2020.01.06
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元旦 天皇杯決勝に勝利でした!言葉ありません・・。ずっと 節目節目で、震災〇〇年で優勝、タイトルを!と望んでいた。ヴィッセルは1995年1月17日「あの日」生まれたチームゆえ。しかし震災10年の節目に降格、しかし そこで 神戸讃歌が生まれ・・・あの時の「もう一度 あの場所へ」「よみがえれKOBE」の標語には 震災復興とのダブルイメージ、ダブルミーニングが込められていたと思う。アツが 三浦選手がJ1昇格を決めたとき「神戸の街のように 蘇りました!復活しました!」と喜びの声を上げたのも まちがいなく復興とJ1復帰のダブルイメージの意味がこめられていた。20歳のヴィッセルには 初タイトル獲得はなかったが、25歳になる今年の ヴィッセルくんはついに!ついに!テレビ参戦で、勝利の瞬間 『やったーあああああ』と絶叫するかと(フラッグも手元に持って応援していたから、準備万全)思っていたのだが、我ながら 不思議に 泣けて泣けて・・・ただ 泣けた。そして ふと 震災のなかで知り合った方の息子さん 当時大学生・・が 何もなければ息子さんつれて 国立に行っていたかも いや おじいちゃん、息子さん、お孫さんで観戦?と、ふと思って また泣けていた。ヴィッセル おめでとう! そして ありがとな!KOBEのために。(記 2020.1.5.)
2020.01.01
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毎年 1月17日近辺には「あの日」を思い、日記を書いていますが、ことしは書けなくて遅ればせです。わが ヴィッセル神戸は 24歳になりました。(誕生日が1995年1月17日・・ですから)今年こそ タイトルを取ってほしい。私にとっては ヴィッセルのタイトル獲得がなければKOBEの、阪神淡路大震災の 真の復興は 成らない、とすら 思われるので。Wカップとヴィッセル応援を契機にサッカーに親しむ前は 世代なのでラグビーを見ていました。そのコベルコスティーラーズが 昨シーズン 復活、優勝。そこには「被災地から来た男」ダン・カーター(NZ地震で、本拠地が被災)の活躍、いや文字通りの 活!があり自分たちが何者であるかの再確認、レガシーの再構築があったと。以下は神戸新聞の記事です。https://www.kobe-np.co.jp/news/sports/201901/0012011098.shtml本文を以下に転載します↓↓↓↓ラグビー神鋼18季ぶり日本一 レガシー継承■決勝に作業着、重ねた魂 「鉄の男」たちは作業服を身にまとい、ラグビーの聖地に降り立った。 昨年12月15日、日本選手権決勝。東京・秩父宮ラグビー場に姿を見せた神戸製鋼フィフティーンは、ベンチコートと赤いジャージーの間にグレーの作業服を着込んでいた。「会社の人たちと一緒に戦う気持ちをつくりたい」。豪州代表CTBアダム・アシュリークーパーのアイデアだった。 「すごいチームになったな」。選手側から提案を受けた福本正幸チームディレクターは、半ば勝利を確信した。 雌雄を決する舞台。神鋼は開始直後から縦横無尽の攻撃ラグビーで王者サントリーを圧倒した。55-5の大差で、栄光の場所に返り咲いた。選手個々の能力はありながら「勝ちきれないチーム」だった近年の姿は、どこにもなかった。 なぜ、神鋼は変われたのか。世界的名手、ダン・カーターら大型補強も大きかったが、選手は「チームが一つになれた」と口をそろえる。その一体感こそが、鍵だった。 変革は、今季就任したウェイン・スミス総監督の下、創部90年の歴史を振り返ることから始まった。 ニュージーランド代表のアシスタントコーチとしてワールドカップ2連覇に貢献した知将は、チームと会社が積み上げてきたレガシー(遺産)を調べ上げた。そこから導き出したのが「スチールワーカー(鉄工所工員)のためのタフなスポーツ」(スミス総監督)であるということだ。 阪神・淡路大震災で神戸製鉄所(神戸市灘区)の第3高炉が被災し、作業員たちが決死の努力で復旧させた数カ月間のドラマに、チームの再生を重ね合わせた。 高炉跡から耐火レンガを持ち帰り、加古川などの工場見学にも出向いた。昨年11月には、首脳陣やカーターらが大阪の飲食店であったOB会を訪れ、日本選手権7連覇やそれ以前からの歩みに耳を傾けた。「第3高炉」と名付けられた練習グラウンドには、いつからか作業服とヘルメットがつり下げられた。 「誰のためにラグビーをするのかが明確になり、それが最後までぶれなかった」と前川鐘平共同主将。優勝を決めたグラウンド。大男たちはクイーンのヒット曲のメロディーに乗せ、誇らしげに歌い上げた。 「We are,we are Steelers!(われわれはスティーラーズだ)」◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇鉄の男 スティーラーズの復活、復興 なら 我らがヴィッセル神戸は「あの日」 阪神淡路大震災で街が消え、多くの命が失われた時に産声を雄々しく(いや 当時は 虫の息だったかも)上げた稀有なチーム。その後 多くの(文字通りの)サポーター(支える人々)が育ててきた ことし24歳の青年です。来年は 震災から25年、四半世紀。この節目にタイトル獲得しなくて いつするのかと!
2019.02.10
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「あの日」から一夜明け 18日の朝テレビ見ていたら こんなニュースが。心強い!前夜1月17日は 震災の記憶の風化が課題だと 盛んに報じられていたから・・。これからは 震災経験が極、幼い時か、まったく無い 先生たちが 同じように経験ない親御さんたちをもつ生徒さんたちへ 伝え、備える 事になる。まさに 真の伝承の始まりかと。 震災の経験伝え 備える動き 01月18日 06時35分 6434人が亡くなった阪神・淡路大震災から17日で23年となりました。 各地で追悼の行事などが行われ、震災を知らない世代が増える中、当時の教訓や経験を伝え、新たな災害への備えに結びつけようという動きは着実に広がりを見せています。 阪神・淡路大震災から23年となった17日、大きな被害を受けた地域では犠牲者を追悼する行事が行われました。 このうち、神戸市中央区の「東遊園地」で行われた追悼のつどいでは、あの日の出来事を世代や場所を越えて、いつまでも伝え続けたいという思いを込めて、灯ろうで「伝」という文字が形づくられました。 会場の一角では、ボランティアの学生たちが、当時を撮影した写真や映像を受け取り、デジタルデータにして後世に残そうという取り組みが初めて行われ、大勢の人たちが関心を寄せていました。 神戸市の市民グループのまとめでは、兵庫県内で1月17日前後に追悼行事や避難訓練などを計画した学校や幼稚園は1449と、去年より103か所増え、増加傾向にあります。 震災から23年がたち、当時を知らない世代が増える中、教訓や経験を伝え、南海トラフの巨大地震をはじめとする新たな災害への備えに結びつけようという動きは着実に広がりを見せています。
2018.01.19
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今日は 昨日から出張ゆえ、夕方5時46分の黙祷に間に合うように 午後早い時間に東京を発つ。当時 小学校2年生で、同級生をなくしている次女と一緒に。彼女は震災20年、ヴィッセルのメモリアルマッチを観戦したあと はじめて 東遊園地の1.17を訪れ、それから4年連続で・・。帰って神戸新聞WEBで ヴィッセルの4年ぶりの 1月17日始動を知る。吉田孝行監督のたっての願いだと・・・さすが わがヴィッセル神戸の われらが タカユキ!震災の記憶の風化がいわれるが ヴィッセル神戸のスタジアムに集う人々の 神戸讃歌の歌声ある限り風化はしない!と。以下に神戸新聞記事 転載します ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※2018/1/17 18:41J1神戸、大震災発生日に始動 4年ぶり黙とうも 阪神・淡路大震災の犠牲者に向けて黙とうする川西市出身の吉田孝行監督(中央)ら=いぶきの森球技場 J1神戸は、兵庫県川西市出身の吉田孝行監督の強い希望を受け、2011年以来となる阪神・淡路大震災発生日に始動した。クラブ全体での黙とうも4年ぶりで、三田市出身の小川慶治朗は「風化させてはいけない。気が引き締まった」と神妙に語った。 地震が起きた1995年1月17日に初練習を予定していた神戸。吉田監督はクラブの原点を見つめてもらうため、被災当時の映像などを自ら編集し、練習前のミーティングで流したという。 ピッチに移動後、横一列に並んだ選手、スタッフらが吉田監督の合図で黙とう。約350人のサポーターが復興とチームの歩みを重ねた応援歌「神戸讃歌(さんか)」をささげた。 震災について知っていたというルーカス・ポドルスキは「この場に立ち会えて感慨深い」と話した。(有島弘記)
2018.01.17
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三顧の礼で迎えた指揮官をシーズン途中で解任して・・他のチームでも同じ例があるのだろうがどうも わがヴィッセルは多いのでは?結局 戦術が一定せず、カンフル剤にはなっても 長続きせず ある時は残留争いまでいってしまうことも。では あるが、吉田孝行 吉田のアニキ(むろん私より実年齢は下ですよ)が指揮官としての 明日が初陣!なかなかスタジアムに行けず、ようやく以前からチケットを取っていた試合が偶然にも 吉田ヴィッセルの初陣とは。吉田選手は、二度目のJ2残留時のトモニ戦った選手であり トモニ立ち上がった 港町の戦士であり、震災20年の時のメモリアル試合の提唱者であり実行者の一人でもあるので 感慨大いに有り。実は三浦アツ選手が ヴィッセル経験者としては先に?監督として戻ってくるのではと 密かに期待をしていたのだが。それはそれとして。以下に 今日の芝氏のメールマガジンを転載し わが気持ちの代弁としたかったが、なぜか貼り付けができない・・・ので一部を抜粋します。ネルシーニョ監督には感謝しかありません。僕らに勝つ喜びを教えてくれました。「負けたけどいいねん」というレベルから、「タイトルが欲しい!」というところまで引き上げてくれました。ネルシーニョ監督のもとで今年は優勝したかったです。2年半ありがとうございました。ここから反撃開始です。僕らは新しい吉田体制を支えるのみです。ネルシーニョ監督は最後にこう言ったそうです。「扉が開いたら、進むしかないんだ」。明日は吉田監督を、目いっぱいサポートしたいと思います。絶対に絶対に勝ちましょう!
2017.08.19
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熊本地震から1か月過ぎて、ロアッソ熊本は 自らのホームスタジアムでの開催が未だできない苦闘が続いています。そんななかで、水戸戦は 柏のホームスタジアムを使っての ホーム開催試合として行われました。ホーム開催ですが 熊本でないためサポーターはすぐには 駆けつけらません。そのかわり?と言っては 変ですが 熊本支援にのために 他チームサポが 続々と 熊本の応援のため続々とかけつけ、色々なユニを着たさまざまなチームのサポーターが 熊本コールするというまさに Jの絆 を目の当たりにする光景が繰り広げられたようです。超ロアッソ熊本掲示板http://bm.best-hit.tv/rosso/を読んで それが分かりました。それで・・・明日の わがヴィッセルのホームであるノエビアスタジアムでの 熊本対町田も 熊本のホーム開催試合。ということで 19時半というちょっと遅いキックオフですが、同僚誘っていくとことしました。で、掲示板のぞいていると・・・ガンバサポで 神戸在住で 21年前の震災を幼稚園の頃に体験した女性の書き込みがありました。同じ 被災者、被災地に生き続ける 同じサッカーを愛する 若い仲間の言葉として胸を打ちました・・・。あす 神戸のスタジアムで どこかで 同じように熊本コールをしているのかなと思いつつ。以下に 転載させていただきます。☆(掲示板名)ゆき女性 (タイトル)チケット買いました! 先ほど、チケット買いました。ゴール裏にお邪魔します! 他サポ来るの嬉しいと言って下さった方もいらっしゃり、安心しました。ガンバサポも応援してますよ、ということで、ガンバのユニも持って(着て?)行きます。端に寄るなど配慮はしますが、青いの浮きそうですし、当日それはちょっと…と思われている方が周りにでもいらっしゃれば、すみませんが指摘して下さい>_<私はずっと神戸に住んでいて、阪神淡路大震災を経験しました。幼稚園に上がるくらいだったので、暗闇に響く轟音と悲鳴、水を手に入れるための長い行列、くらいしか記憶はありませんが、地震が何をもたらすのか、少しくらいは知っているつもりです。 被災地で諍いが起こることもあります。街の復興にはすごく時間がかかります。街が直ったとしても、地震のせいで大事な人・宝物・慣れ親しんだ生活環境などを奪われて、2度と同じものは戻って来なくて、ずっと悲しい気持ちを抱えて生きていく人たちがいますよね。 被災地のこと、すごく心配です。 皆さんと、被災地に想いを馳せられればと思います。ロアッソ熊本の応援は初心者ですが、よろしくお願いします!(iPhone ios9.0.1) 2016/05/26 20:56以上が 掲示文です。うちの娘たちは 震災の時 小学生でしたが、幼稚園児だった彼女は幼いなりに いや幼いからこそ 覚えていて いまも・・と思いました。そして、ガンバサポの中には わざわざ神戸のスタジアムまで 神戸讃歌にブーイングしに行く とツイッターで公言する信じられない アンポンタンもいたりして・・万博スタジアムには かつてはフーリガンを気取った?荒くれさんもいたりして 決していい印象ばかりでなかったのですが・・いや やはりガンバサポも 同じ Jの仲間だなと!思っています。
2016.05.27
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遅ればせに 今年の1月17日の記事を書きましたが後で 午後2時46分には 東を向いて 東日本大震災の被災地へ向かって犠牲者、被災者の方々への黙祷があったことを知ったそれは東北から神戸の黙祷に参加した人のツイッターで<早朝から大変なのに、午後 その時間になると ほんとうに沢山の人がわらわらと どこで仮眠をしていたのかと不思議なくらい 集まってきてくれて東北の被災地のために・・・>という趣旨がつぶやかれていたが反対に東北 石巻では 5時46分に 神戸、阪神・淡路の被災地のための黙祷が 行われていたことも知った石ノ森萬画館前広場で同じように 灯火を並べ東北の震災の風化が言われるたびに KOBEは、KOBEの子供たちは(そう「神戸賛歌」を歌う我々ヴィッセルサポーも含めて)東北を忘れません!と言っていたが東北が KOBEを 阪神・淡路大震災を 忘れないのだと また 胸が熱くなった
2016.02.20
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阪神・淡路大震災 21年のこの日各地の追悼行事が 20年の昨年と比べて半減という報道もあったがわが街の 公園では 公式な追悼行事こそなかったが 同じように「絆」という字が刻まれた記念碑の前に 多くの花が供えられていた。記帳ノートの中には この公園すぐ近くでお子さんを亡くした知り合いの方の名前も・・そして 昨年に引き続き当時小学生2年生だった娘と一緒に 午後5時46分の 東遊園地の黙祷に(つまり早朝でなく夕方の部)たしかに昨年よりは人は少なかったと思うが同じように 祈る人たちことしは 文字で「未来」が加わっていたたしかに次世代に 未来への記憶へつなげていく必要がある・・・震災の記憶を(なおこの稿 2月20に書いています。遅ればせに・・・。)
2016.01.17
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戦後70年の 天皇誕生日に 今上さんの談話。いつか、しみじみと(ある悔悟をもって・・そんなことがないよう望むが)すべての日本国民が思い出すことがあるかもしれないと考えて・・・全文をhttp://digital.asahi.com/articles/ASHDP5R67HDPUTIL02Q.html?rm=891朝日新聞デジタル>記事社会皇室 東京災害に胸痛め、ノーベル賞の2人に喜び 陛下の会見全文2015年12月23日05時08分写真・図版オーエックスエンジニアリング社で、陸上競技用の車いすの製造現場を視察する天皇皇后両陛下=12月8日、千葉市若葉区、関田航撮影 天皇陛下は82歳の誕生日を前に記者会見に臨んだ。全文は次の通り天皇陛下、82歳に 「先の戦争を考え過ごした1年」 ◇【宮内記者会代表質問】 今年は自然災害などいたましい出来事があった一方、日本人2人がノーベル賞を受賞するなど、明るい話題もありました。天皇陛下は戦後70年の節目に当たり、新年のご感想で「満州事変に始まる戦争の歴史を学び、今後の日本のあり方を考えることが極めて大切」と述べられ、パラオをはじめ、国内外で慰霊の旅を重ねられました。また、全国戦没者追悼式では「さきの大戦に対する深い反省」という表現を新たに用いてお言葉を述べられたほか、玉音盤の原盤や、御文庫附属庫の公開もありました。年明けには、フィリピンへの公式訪問が予定されています。 戦争や平和への思いに触れながら、この1年を振り返るとともに、来年へのお考えをお聞かせください。【天皇陛下】今年の自然災害としては、まず5月に鹿児島県の口永良部島の新岳(しんだけ)が噴火して、海岸まで達する火砕流が発生し、全島民が島から避難したことが挙げられます。火砕流は雲仙岳の噴火災害のお見舞いに行った時に見ましたが、海岸まで達する火砕流は本当に恐ろしい光景だったと思います。島民は幸い皆無事でしたが、まだ避難生活が続いていることに心を痛めています。 9月には豪雨により鬼怒川などが氾濫(はんらん)し、8人が亡くなる大きな災害となりました。氾濫により多くの人々が家々に閉じ込められ、どんなにか不安な時を過ごしたことかと思います。自衛隊を始めとするヘリコプター等の救助活動により、人々が無事に救出されたことは本当に幸いなことでした。危険を伴う救出活動に携わった人々に深く感謝しています。水につかった家屋や田畑の復旧作業には多くの労力を必要とするもので、多数のボランティアが協力してくれていることをうれしく思っています。困難に遭遇している人々を助けようという気持ちが日本人の中に豊かに育っていることを非常に心強く思います。後日、常総市の被災地をお見舞いしましたが、泥水につかった田畑が広がり、苦労して作物を育ててきた人々の気持ちはいかばかりかと察せられました。 今年の喜ばしい出来事としては、まず二人の日本人がノーベル賞を受賞されたことが挙げられます。大村博士の生理学・医学賞は、アフリカや南米で、人に感染すると盲目になる危険をもたらすオンコセルカ症を治す薬を地中の菌から作り出されたことなどの業績によるものです。私は以前、オンコセルカ症を患って盲目になった人々が連なって歩いている痛ましい映像を見ていましたので、この病気を治す薬が出来たということを本当にうれしく思いました。一方、梶田博士の物理学賞は、神岡鉱山の地下にあるスーパーカミオカンデにおけるニュートリノの研究で、ニュートリノに質量があることを見出されたことに対する授賞でした。11年前、スーパーカミオカンデを訪問したことが思い起こされました。お二人の長年にわたる地道な研究を誠に尊いものと思います。 また、日本製のジェット旅客機が完成し、試験飛行が行われたこともうれしいことでした。かつて日本で戦後初めてつくられたプロペラの旅客機YS11の試験飛行を、羽田の空港で関係者と共に見守ったことが懐かしく思い起こされました。それから50年以上がたったわけです。 今年は先の大戦が終結して70年という節目の年に当たります。この戦争においては、軍人以外の人々も含め、誠に多くの人命が失われました。平和であったならば、社会の様々な分野で有意義な人生を送ったであろう人々が命を失ったわけであり、このことを考えると、非常に心が痛みます。 軍人以外に戦争によって生命にかかわる大きな犠牲を払った人々として、民間の船の船員があります。将来は外国航路の船員になることも夢見た人々が、民間の船を徴用して軍人や軍用物資などをのせる輸送船の船員として働き、敵の攻撃によって命を失いました。日本は海に囲まれ、海運国として発展していました。私も小さい時、船の絵葉書を見て楽しんだことがありますが、それらの船は、病院船として残った氷川丸以外は、ほとんど海に沈んだということを後に知りました。制空権がなく、輸送船を守るべき軍艦などもない状況下でも、輸送業務に携わらなければならなかった船員の気持ちを本当に痛ましく思います。今年の6月には第45回戦没・殉職船員追悼式が神奈川県の戦没船員の碑の前で行われ、亡くなった船員のことを思い、供花しました。 この節目の年に当たり、かつて日本の委任統治領であったパラオ共和国を皇后と共に訪問し、ペリリュー島にある日本政府の建立した西太平洋戦没者の碑と米国陸軍第81歩兵師団慰霊碑に供花しました。パラオ共和国大統領御夫妻、マーシャル諸島共和国大統領御夫妻、ミクロネシア連邦大統領御夫妻もこの訪問に同行してくださったことを深く感謝しています。この戦没者の碑の先にはアンガウル島があり、そこでも激戦により多くの人々が亡くなりました。アンガウル島は、今、激しい戦闘が行われた所とは思えないような木々の茂る緑の島となっています。空から見たパラオ共和国は珊瑚礁(さんごしょう)に囲まれた美しい島々からなっています。しかし、この海には無数の不発弾が沈んでおり、今日、技術を持った元海上自衛隊員がその処理に従事しています。危険を伴う作業であり、この海が安全になるまでにはまだ大変な時間のかかることと知りました。先の戦争が、島々に住む人々に大きな負担をかけるようになってしまったことを忘れてはならないと思います。 パラオ訪問の後、夏には宮城県の北原尾、栃木県の千振、長野県の大日向と戦後の引揚者が入植した開拓の地を訪ねました。外地での開拓で多大な努力を払った人々が、引き揚げの困難を経、不毛に近い土地を必死に耕し、家畜を飼い、生活を立てた苦労がしのばれました。北原尾は、北のパラオという意味で、パラオから引き揚げてきた人々が入植したところです。 この1年を振り返ると、様々な面で先の戦争のことを考えて過ごした1年だったように思います。年々、戦争を知らない世代が増加していきますが、先の戦争のことを十分に知り、考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なことと思います。 私はこの誕生日で82になります。年齢というものを感じることも多くなり、行事の時に間違えることもありました。したがって、一つ一つの行事に注意深く臨むことによって、少しでもそのようなことのないようにしていくつもりです。 今年もあとわずかになりました。来る年が人々にとって少しでも良い年となるよう願っています。以下は 毎日新聞 宮内庁撮影の近況映像ありです・・天皇陛下・82歳の誕生日 記者会見の全文毎日新聞2015年12月23日 05時00分(最終更新 12月23日 09時59分)
2015.12.23
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久しぶりに・・・ブログを。天皇杯を前にして・・・。26日には 安達元GMも長居に。以下転載朝日デジタルから兵庫)ヴィッセル神戸、元相談役の安達さんがエール笠井正基 2015年12月18日03時00分 26日のサッカー天皇杯準々決勝で、ヴィッセル神戸が浦和レッズに挑む。阪神大震災が起きた1995年に本格始動して20年。「トーナメントは勢いに乗ればチャンスがある」。創生期からクラブを支え、今年1月に相談役を退いた安達貞至(さだゆき)さん(77)は節目の年での初タイトル獲得にむけ、エールを送る。 「ヴィッセルを愛した点でオレの右に出る者はいないよ」。強化部長や社長なども歴任した安達さんだが、その胸には大きな心残りがある。「優勝と名のつくものがない」 西宮で育ち、GKとして関西学院大、ヤンマーでプレーした安達さんは94年冬、強化部長に就任した。震災が起きた95年1月17日は、チームが誕生してから初の合同練習を予定。外国人選手と契約するためポルトガルにいたが、契約を棚上げして急いで帰国した。 ログイン前の続き追い打ちをかけるように最大出資者のダイエーが撤退し、クラブの存続が危ぶまれた。選手が練習場を求めて避難した岡山県倉敷市と神戸を車で往復して、スポンサー探しに腐心。神戸市などの支援をえたが、練習場を確保できず、選手は須磨海岸を走って練習したこともある。「当時の笹山(幸俊)市長が『ヴィッセルはつぶさない』と言ってくれた。市も大変なのに心遣いがうれしかった」 Jリーグ入りを確実にした翌96年のリーグ最終戦。神戸ユニバー記念競技場に集まった約2万4千人の大声援が忘れられない。「復興半ばだった多くの市民が、自腹で応援に来てくれた」。当時珍しかったプロ契約の自負もあり、昇格を置き土産に2年契約を終えてクラブを去った。 2005年にゼネラルマネジャー(GM)で復帰すると、若手の育成に尽力した。試合前、サポーターが震災復興とチームの成長を願ってつくった「神戸讃歌(さんか)」を口ずさむのを聞くと、自然と胸が熱くなった。「ずっと歌い継いでほしいし、チームは結果で応えてほしい」26日、大阪のヤンマースタジアム長居である試合に安達さんも駆けつける。(笠井正基)
2015.12.18
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本日は兵庫県考古博物館主催のウォーク参加遺跡と災害についてめぐり 住吉から岩屋までなおツイッターはじめ サッカーも含め以下でつぶやいてますhttps://twitter.com/vissel19950117ブログは更新遅れ、写真も貼り付けままならずで・・・。ヴィッセル 本日対ガンバ0-0。浦和戦でも ともかく相手の優勝を目の前でみるのは阻止を!
2015.06.07
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1失点は余計だった気がしますが、4点は上出来。今日も 絆タオマフ持参のサポ多かったですね。甲府のGK荻晃太くん、古巣に4失点・・・コウタくん、ごめんね。いや謝ることはないが・・・。晃太は頑張ってくれていたからなあ。最初のJ2時代の活躍忘れられない。さあ、これから反攻へ。なお、今日もハーフタイムに バックからサポ席へ行こうとしたら いったんサポ席へ行くと戻れない と係の人が。しかし それって変でないか?? 前半には扉は閉まっているし。一時 自由に往来できるようになって サポ席に挨拶に行けていたが たしか ちょっと前からだめになっている。その時は 観客が多いから移動を制限? と勝手に思っていたが。今日は15000人越え。
2015.04.12
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毎年 開幕は心待ちだが しかし、それでも今年ほど 開幕戦そのものが 待ち遠しいことはなかった・・・それは 全来場者への タオマフプレゼントがありそこには WE NEVER FORGET 1.17 と書かれていてそのタオマフを 皆が スタジアムに集う 皆が掲げて「神戸讃歌」を歌うのかと 思うと・・・いままで 神戸讃歌を知らなかった人も はじめてスタジアムに来る人もあるいは いままで来ていて 神戸讃歌ええ歌やなあと思ってききながらも なんとなくタオマフは掲げなかった人ももらってしまったんですから きっときっと 掲げてくれるでしょう壮観ではないかと 一人思っていますそれが 震災 あの震災から 20年の年の 開幕戦だということにあの日 生まれた わが子のような ヴィッセルを讃えて 多くの人が集まってくることが無性に嬉しいでも 違うかな そんなにタオマフ掲げてくれないかなあわたしが、こんなこと書くのも (阪神淡路大)震災5年ごろ あることで東京に行ったときある先輩が 私の労をねぎらいつつも「まあ震災も今度は10年が区切りだね」『しかしそれまで被災地以外では誰も覚えていないだろうなあ』と 変な慰め方?されずっとそれが心に残っているからです。10年経ったら、街も復興し 全壊して再建した我が家も家族も安定し、みなも震災の傷跡も薄れ・・<君も家族もきっと前向きに生きているよ>という先輩なりの励まし?という含意もあったのだろうが・・それにしても・・。しかし10年を過ぎ15年を過ぎても 誰も忘れはしない。忘れられない。幼かった娘は東日本の被災を知ってそれまで「(小さくて)なーんにも覚えていない」と言っていたのが「全部、思い出した!」と。そして20年。きっとあの震災の後に生まれた子供たちも タオマフを掲げてくれるのではそこには<わたしたちは 1月17日を 決して忘れない>という文字、そして絆。それだけで 小生は 15年前に戻って その先輩に言ってやりたい衝動があります。「いや、区切りはないと思いますよ。10年経っても、15年経っても、いや20年経っても 震災の後生まれた世代も きっと忘れていませんよ」と。(あ、ちなみに 娘にはA型はしつこい と 上記の10年一区切りの話しをすると ちょっと嫌がられます。)追伸 開幕戦3月7日は 東日本大震災発災の4日前です当然 WE NEVER FORGET 3.11 と思い タオマフを掲げる気持ちです
2015.03.03
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(2月1日にこの項を書いています)遅ればせながら・・・阪神・淡路大震災 発災の 1995年1月17日から20年後の この日兵庫県メモリアルウォークに参加し HAT神戸、追悼式、人と防災未来センター、兵庫県美術館での震災関連展示を巡り、ヴィッセル神戸チャリティーマッチに 娘とかみさんと一緒に。20年後の「あの日」に こうした催しがあって それに参加するなど 思いもしなかった。20年を実感する。そして「神戸讃歌」・・・1月17日に聖地で歌う『神戸讃歌』であるこうやって 伝えていけるのなら、繋がっていけるのなら サッカーというスポーツ文化の素晴らしさを 再認識します。復興について どう伝えるかを 神戸大名誉教授の室崎先生は「スポーツも含めた文化のちから」、「災害文化」による継承の大切さを発信しているが『しあわせ運べるように』とならんで ヴィッセルという「あの日生まれた」チームとサポーターに歌い継がれていくであろう この『神戸讃歌』はそうしたものの一つではないだろうか。発起人の吉田アンバサダーの「1.17は絶対に忘れない。3.11も忘れてはならない」という言葉に、ふたたび このヴィッセル神戸というチームを誇りに思う。そして そのサポータの一人であることも 誇りに思いました。その後 娘と東遊園地の追悼式へ。夕方5時46分の黙祷に。チャリティーマッチに誘ったら「お父さん その後 東遊園地に行くん?・・・ことしは行こうかな」と。この項を書くため 昨年の自分のブログを読んでいたら・・以下の記事が1995年1月17日「あの日」については 人それぞれ様々な受けとめがあると19年経った今 つくづく感じました。身近なことでいうと 当時小学校3年生で 同級生の男の子をなくした下の娘は バレンタインデーには毎年お宅に行きますが、「あの日」には行けないと(ことし初めて知りました。)そして「来年20年かあ・・、来年は(東遊園地の)追悼式行ってみようかな・・、行けるかな」と。そうか 1年前から考えていたのかと。ところで この時 当時小学校3年と書いたが 1月17日は、 正確には小学校2年の3学期。その4月に3年生になったのだ。いずれにしても 彼女には彼女の 震災20年があったのだと つくづく思った次第。父親は 何かの仇をとるような気持ちで 様々なイベント、シンポ等に参加したきたし 「絶対忘れさせてやらへんど」みたいな気持ちもあっての20年。ついには50歳過ぎて ユニ着てフラッグ持って スタジアムに行くオヤジになり(それまでサッカー見たことなかったくせに とよく家族に言われてます)たまたま隣になった親子連れのボクに 思わず「帰ったらあかん。神戸讃歌 歌わな。選手も一緒に歌うから」と言って お連れのお父さんにも不審な顔されたりしてます・・・が、そういう なにがなんでも震災じゃあ、とイキってきた20年もあれば ずっと行けなかったところへ行く そういう20年も・・・。
2015.01.17
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(記録のために)次世代へ歌い継ぐ語り継ぐ 市民のつどいに寄せて(神戸文化ホール)へのメッセージ転載次世代へ伝えたいこと、被災者の方々への激励など、よろしければメッセージをお書き添えください『震災の時の文字通り老若男女、世代性別、住む所、そして勿論国籍を越えた助け合いは当時30台後半だった私にとって その後の20年間の支えでした。厳しいときも「人間捨てたもんじゃない」「しんどいときはお互い様」「必ず救援は来る」と信ずることができましたから。東北の皆さん、うれしいことの何倍も 悔しいことがあるでしょうが、皆さんのために復興を祈っています。』
2015.01.15
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後半 アデイショナルタイムが3分。2分経過したところで 何度目かのウヨンのコーナーキック。バックスタンド観戦で ほぼ、目の前。しかし今日は何度もGKに阻止されているし・・・これがラストチャンス。ウヨンが両手を挙げて バックとサポ席に 盛り立ててくれと合図。こちらも 拳を突き出して応援。と・・・なんと 「あの男(ザ・マン)」河本ちゃんが ヘディングで決めてくれた!河本は 昨季のJ2の戦いに大宮から戻って参戦した 筋金入り<港町の戦士>にして、 元祖(?)J2戦士。最初のJ2の戦い・・・塹壕戦の様な苦しい戦いも戦い抜いた 背番号5番。実は私は5番のタオマフで参戦していますので、感慨ひとしお。「こうもと~、ようやったあ~」の呼び声もかかった。課題はあれど 貴重な勝ち点3。ヒーローズラン?ていうんですか? サポ席に投げ込むボールもって ピッチ廻るときバックからも 河本ちゃんに声かかり、この日は 家族連れおおくて 子供さんも手を振る。しかし いつもの シャイな河本ちゃんらしく ちょっと俯きかげんで スタンドに手をふるでもなく 行く。愛想はないが 真面目さが伝わってきました。よう 戦ったもんなあ。(あ、こういう関西人もいるんです。全国のみなさんへ・・)勝利の後の「神戸讃歌」が また格別。でも サポ席から「バックのみなさんも よかったら肩組んで歌いましょう」と いつも声かかりますが・・小生の性格からか いつもまわり見回しながら・・・肩組めずにいます。今回は 右も左もご家族連れ。あれ?また歌うの?という感じもあったが 両方のご家族とも帰らずに清聴。小生 いつもながら 思わず 歌が、がなり声になって 左のお父さんに思わず見つめられてしまった・・。ものすごい音痴なので 最初の神戸讃歌は 抑え気味にしてるんですが 勝ってしまうと おもわず がなり声で歌ってしまう。(家族は 歌でない。お経かお唱えか何か別のモノだと言います。)敢闘賞の橋本選手が「優勝が目標」と言ってましたが、ほんまに そうなってほしい。来年は 阪神・淡路大震災20年そうそう、対戦相手の新潟は ことし10月で 中越地震10年を迎えますね。サポーターのためにも 新潟にも頑張ってほしい・・。追伸本日は 神戸の4番 北本も交替でピッチ入り。手堅く守り、全面復活とみました。しかし1-0でよかった~。ドローだったら 試合開始早々のPK 入れとかなあかんやろうと ずっと思うところでした。とはいえ、1点先取して 新潟も猛攻でしたから1-1になり・・・後1点が遠い・・という展開もあったかも。一方、神戸にも、ゴールの好機沢山あって 帰りがけ後ろの席では「1-0の試合ちゃうやろ」という人も・・。たしかに。追伸の追伸今日の マッチデイプログラムの表紙は 河本ちゃんでした!
2014.08.09
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でしたが・・・後半けっこう厳しかった。追加点はならず。ま、追いつかれなかっただけ よしとすべきか。この項1週間遅れで5月18日に書いています。この日 紆余曲折(というわけでもないですが)の末 プレミアソシオクラブで観戦・・。いわゆるバラ売りにダメ元(だって1組限定先着順に募集3日間の最終日の夜に 半分冷やかしで応募したのですから)で応募したら なんと限定の1組になってしまい それから大変でした。かみさんは腰の痛みと足のしびれで入院中(一種の外科なので治療は日にち薬ということで、大丈夫ではあるのですが)、娘は発熱。こんなときに行くのか!ですが やはり行きました。軽食おいしいのと ビールなど飲み放題。ワインとかもあり。それはそれでいいのですが・・。当方以外は??たぶん年間で買っていらっしゃる常連さんばかり・・。なんか すごいなあ・・。ゴージャス感。まずユニ着てる大人が少ない。しかし、ポケットチーフが臙脂だったり、特注?のボルサリーノ(正式名称なんていうんでしょうか、いわゆるHATです。つば広の紳士用帽子)が全面臙脂色でヴィッセルのワッペンが透かし彫り風にあるとか(あ、昔売ってました??)。カッターシャツの襟だけ臙脂のラインが入っているとか なんかオシャレで粋ですが 考えようによっては・・・あ、やめとこ。みなさん顔見知りらしく、なんか上流の特別な倶楽部(戦前のお金持ちの夜会とか)に迷い込んだ雰囲気。ちょっと大げさかな。ま、優雅に観戦するという感じでしたが、 しかし! 当方はサポ席のコールにこたえ、手をたたき フラッグ振って 普通に(いや いつもより気張って?)参戦モードで。バックスタンドから見ていた同僚が「どこにいるか分からなかったけど フラッグ振るといっていたから、あそこそういう人少ないから ああ、あれかなと」この項 加筆予定で・・・とりあえず。で、この日は ヴィッセル初観戦の会社の若いスタッフといっしょに。バックスタンドの同僚は同じ職場の同僚をまたリクルートして、試合後 いつものギョーザのお店で。<神戸讃歌生できいて・・いいですね。やみつきかも>という話とか色々。またまた ヴィッセルファン増やしたので よかったかなと。
2014.05.10
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わがヴィッセル神戸が この時期に 首位!首位! 首位!ともかく、これを今日のブログに書いておきます。一昨日 鹿島を倒して(アウェイでは21世紀になって初勝利)暫定首位。昨日 広島の試合結果を受けて勝ち点同じ 得失点差で まさしく首位。何か月後かに そうだ あの時に首位に立ったからこそ・・と 感慨深く思えるのかそういえば あの時は 首位だったな あの頃は色んな夢があって、でも いい夢見せてもらったぜと・・遠い夢の様に思い出すのかともかく今は夢でない、しかし夢のような いやいや 夢に終わらせてはいかんのですまずは 今週のセレッソ戦です!わがチームは 震災のチーム 「常に備えよ」 の精神で トモニイコウです
2014.04.21
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アウエイの大宮戦 3-0の快勝新加入 外国人 大活躍、マルキーニョス、ペドロ ジュニオール。補強は本物。森岡も3点目。慶治朗がちょっと迫力不足というか 思い切りがいまいちというか ペドロやマルキに遠慮?しパス偏重で彼の持ち味が生きていないような・・ところが心配だが。暫定ながら 3位です。一方ベースボールではオリックスが気が付いてみれば開幕6連勝で単独首位・・開幕前の予測ではドベ予測が多かったのだが(まだまだ分かりませんが)。KOBEの震災関係チームが好調というこの日を覚えておこう。それに桜の季節の 69年前のこの日 戦艦大和最後の出撃の日。1945年4月6日徳山港外に集結し 午後1時大和艦上で第一遊撃隊司令、幕僚と第二水雷戦隊司令、幕僚、各駆逐艦長それに連合艦隊参謀との作戦打ち合わせ。午後3時20分「錨挙げ」 順次出撃 軽巡矢矧から駆逐艦8隻 そして大和。午後7時50分 豊後水道通過し 潜水艦を警戒する配置に変換 前方に駆逐艦5隻傘型に。翌日7日 午前から米機動部隊の雷爆攻撃を受け・・午後2時5分大和沈没。残存艦による救助活動は辛酸を極め 救助中には米潜水艦の攻撃まで受けたが8日朝 佐世保に帰投 3000人以上の人命が失われた(生還率は1割だった記憶)作戦だった。69年前と同じ 桜の季節
2014.04.06
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大変遅ればせの記載 恐縮です(対レッズ戦勝利 お祝いします。小生 参戦できず・・・残念)ガンバ戦 万博スタジアム19時キックオフを なぜか18時と勘違いして やりくりして17時半ころ到着おかげで 18時のサポミにも参加このところホームではバック観戦が多いので、ナンさんとお久しぶりにご挨拶。mumumuさんともハーフタイムに。今季初アウェイ参戦は0-2なかなか手強い。J2時代よりガンバは手堅くなった??ウチも 持っているだけでは突破できんわなあ・・・(でも 今回の浦和戦の結果みると 個人技といえ 突破力あり、かつカウンターも。このまま上げ潮で!)そうそう、ガンバも <万博スタジアムへようこそ>(だったと思いますが)というウエルカムアナウンスするんですね。でも 拍手はなかったような(聞こえなかっただけ??)ちょうど浦和サポの件があったので わがヴィッセルが「ようこそわがKOBEの街へ」というアナウンスがありそれにサポーター席だけでなく会場全体で拍手して迎える わがチームのビヘイビアを やはり誇りに思ったりしていたので、敏感になっただけかもです。アウエイだけに 頑張って声出し、手を打って応援しましたが・・・。結果は結果。スタ飯では ハーブフランクが美味でした。
2014.02.19
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みなさん あけましておめでとうございます。大変遅くなった新年のごあいさつですが・・・やはり1月17日「あの日」が終わらないと 新たな年がはじまったという 新たな気持ちになれない・・訳ではないですが 何か区切りがついて 気持ちに区切りがつくというのも毎年ながら実感なもので。ヴィッセルのメルマガ担当 芝さんからのメール 今回も転載します。ヴィッセルをサポートする多くの人たちの気持ちと 芝さん自身の「あの日」を忘れられない気持ちがよく伝わってきますので・・私の新年のご挨拶、始動!のご挨拶にかえて掲載させていただきます。トモニイコウ!今年も宜しくお願いしたします。ヴィッセル神戸MFCの芝です。こんばんは。今日は1月17日。阪神・淡路大震災が起きた日です。そしてこの日は、ヴィッセル神戸にとっても特別な日です。創設間もないヴィッセルが、チーム初の練習を行う予定の日でした。今朝は通勤しながら、あの日はこんなに寒い中に放り出されたのかと、改めて思いました。当時僕は19才。もう震災後の人生のほうが長くなります。当時は灘区に住んでいました。大学生でした。大きな揺れで、住んでいた家は1階が崩れ、大切な人を失いました。僕は2階にいましたので無事でしたが、救助も何もできませんでした。あれから19年、いまだに事務所で誰かが歩いて床が揺れると恐いです。あの揺れを思い出してしまいます。震災に対する負い目も感じます。今日も朝の追悼イベントに誘われましたが、どうしても行く気持ちが起きませんでした。震災を直視できない自分がいます。それでも今朝の景色は違って見えました。震災は、決して忘れることはできません。その日に生まれたヴィッセルは、今年が20年目のシーズンになります。スタジアムに来るお客様の中には、特別な思いの方もいらっしゃると思います。僕もそうです。スタジアムで行われるのはただのサッカーの試合に過ぎませんが、愚直にボールを追い、強い相手に立ち向かい、一心不乱に応援し、全員で戦って掴む勝利の喜び。ともすれば日常に疲れてしまいがちな毎日に、ヴィッセルの戦いを通じて、「また1週間がんばろう」という元気をもらいます。「宿題がんばろう」という子どもたちも多くいるでしょう。まだ果たせない優勝。それでもヴィッセルという船は、僕たちを乗せて「優勝」に向かって着実に進んでいるはずです。時には右に行ったり左に行ったり舵をなくしたり、周りの船より大変そうではありますが、間違いなく僕らは年々前に進んでいます。20年目のシーズンに向けて、気持ちを新たにした1月17日でした。今シーズンもトモニ戦うことができて幸せです。早く開幕して、みなさんに会いたいです。ありがとうございました。では、またのメルマガで。今日のメルマガ担当:ヴィッセル神戸 芝英幸※追伸この芝さんのメールで1995年1月17日「あの日」については 人それぞれ様々な受けとめがあると19年経った今 つくづく感じました。身近なことでいうと 当時小学校3年生で 同級生の男の子をなくした下の娘は バレンタインデーには毎年お宅に行きますが、「あの日」には行けないと(ことし初めて知りました。そして「来年20年かあ・・、来年は(東遊園地の)追悼式行ってみようかな・・、行けるかな」と。
2014.01.19
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すでに節分も過ぎていますが・・・覚えのために。ややこしいことですいません。阪神・淡路大震災から19年のこの日兵庫メモリアルウォークに参加してHAT神戸まで「がんばろう東北」のジャンパーを着た年配の方が私の前を歩いていらした。3年前なら思いもしなかっただろう。昨年夏まで職場が京都で 2年間 「この日」に神戸に駆けつけることができなかった。2年前は夕方の5時46分黙祷には 駆けつけたのだったか?この項続きます・・・
2014.01.17
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最近本格的に運用開始のツイッター。港町の戦士さんのリツイートで三木谷氏の明日神戸参戦を知りました。「三木谷浩史 H. Mikitani @hmikitani 1時間 明日の仙台での楽天の優勝パレード、本当に残念ながら参加できません。神戸で最終戦かつ父のメモリアルマッチです。九年間、楽天イーグルスを応援して頂いた方々に大感謝。まともな分配ドラフトもしてもらえないとこらからのまさしくゼロからのスタートだっただけに感慨深いです。本当に良かった。」そうでした、御父君が亡くなられていたのでした。そして「明日はサポーター席にも、挨拶に行きますね。」と。(当然といや当然、オーナーなんだから とは言えますが 今年はまた別の思いも。あ、昨年を思い出した 安達さんの涙声を。ことしはいっしょに喜びたいし、来季への期待もこめて!)色々あったが、やっぱりLOVE KOBE。(たしか震災でご親類が亡くなっていると聞いたこともありますし・・)いっしょに「神戸讃歌」歌えるといいかなと(・・・ほんま勝つんやろな、ヴィッセル)追伸 以上書いた後で なみへいさんのツイッターとブログ拝見。みなさん思いは同じだなと。同じ思いで スタジアムに行くのかと心強く・・ところで明日、いや今日のキックオフは12:30、しかし遠足の前の小学生状態・・・若くはないのだから・・・寝過ごしたらことだ!
2013.11.23
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日曜日 ホームでの熊本戦で 長い(ようで短い、いや長かった)J2での戦いが終わります。先回「京都戦を前に」で いらんことを?書いたためにか ヴィッセル優勝、京都2位、ガンバ3位という予想(夢?理想?いや またいらんことゆうてる)は 叶わず。まさかの(いや順当か)負けて2位確定昇格。優勝まであと1歩だったと思いながら、ここがやはり 現在の神戸の実力と納得し 来季のJ1での厳しい試合に臨む覚悟が あらためて出来ました。あとは他チームながら京都さんの3位は確定も 6位争いが激化4位長崎 勝ち点665位千葉 勝ち点656位徳島 勝ち点647位札幌 勝ち点63(得失点11)、松本山雅 同じく勝ち点63(得失点ー1)また ない頭で計算すると 長崎も安泰でなく 長崎と徳島が直接対決ここで徳島が勝つと 勝ち点67で4位浮上。同時に 千葉が鳥取に勝利すると勝ち点68で5位。札幌が北九州に勝利して勝ち点66で長崎と並んで 得失点で上回る・・・え?ほんまか。あと、千葉が万が一鳥取に負けると・・・あ、もうやめとこ。よそさんの心配より、わがヴィッセル。最終戦を勝利で終えて「神戸讃歌」を歌わせてほしい!昇格祝いの讃歌にもなるのですから。1年間を「トモニ」戦い「トモニ傷つき」立ち上がってきた港町の戦士たちと いっしょに「あの日生まれた」ヴィッセルのために ヴィセルサポータとともに 歌いたいので。それに(1995年1月17日「あの日」に生まれた)ヴィッセルにとっては特別な意味を持つ「17」を背負って戦った吉田選手の引退試合。勝利でかざって 讃歌で送ってあげたい。追伸 11月17日 3年ぶりに復活した「震災モニュメントウォーク」参加してきました。これも「あの日」から生まれた絆です。
2013.11.21
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「京都戦を前にお伝えしたいこと」というタイトルで届いた10月31日にヴィッセル神戸のメールマガジン・・・文面読んでちょっといい感じでしたので ここに転載します(これっていけなかったんでしたっけ?でも ヴィッセルを思うみんなの心に通ずるものがあると思いますのです・・・。)いよいよ 明日!ですね。ガンバ対熊本が13時でしたっけ。ガンバが勝利していたら、ヴィッセルも一歩もひけません。文面は以下にヴィッセル神戸MFCの芝です。こんばんは!10月も終わりですね。風がめっきり冷たくなりました。いよいよ今シーズンは残り4試合です。そしてあと1つ勝てば、「J1復帰」というところまで来ました。振り返ると、長いシーズンでした。開幕の徳島戦、ゴール裏に集う仲間の多さにビックリしました。いきなり3連勝して首位に立ち、ちょっと浮かれました。雨の京都で、現実に引き戻されました。その後は首位を守りながらも、「油断したら落ちる」という危機感でいっぱいでした。岡山に追いつかれ、福岡に勝てず、「これがJ2か」と思い知りました。5月。満員のノエスタで、ガンバに勝つことができました。勝利はもちろん、「トモニイコウ」を実感できたことが大きな喜びでした。この一体感が、今シーズンの原動力となりました。ホームで鳥取に負け、首位から陥落したのが5/26。それでも一体感は崩れませんでした。6月は無敗で切り抜けました。順位こそ2位のままでしたが、僕たちは常に前を向いていました。7月、アウェイで岡山に負けました。少しこたえました。でもその後ホームで連勝し、ガンバと勝点で並びました。迎えた真夏の万博に、再び全員が集結しました。選手とトモニ戦いましたが、負けました。それでも僕たちはひとつでした。そして戦いは続きます。横浜FC戦、栃木戦とホームで連勝したものの、アウェイで岐阜と山形に連敗。今シーズン最大のピンチでした。少し心が揺らぐのが分かりました。8月半ばのことでした。この窮地に、救世主が現れました。チームに再び勢いが戻りました。もう迷いはなく、前に進むだけでした。そして5連勝。首位に立ち、再び2連勝して現在に至ります。次節、京都に勝てばJ1復帰。残り4試合全勝すれば優勝。全員の力で、ここまで来ました。振り返れば、3月は遥か彼方。目の前には頂上が見えています。目指すはJ1復帰、そしてJ2優勝です。京都戦。相手は強敵です。なんでしょう、この不安。なんか落ち着きません。でも、僕らはひとつ。絶対に大丈夫です。試合当日、スタジアムには2万人を超える人たちが詰めかけます。負けるわけがありません。想像してください。満員のスタジアム。全員がクリムゾンレッドです。絶対に勝てます!スタジアムでトモニ戦いましょう。神戸魂を集結させて、京都に勝ちましょう!ありがとうございました。では、またのメルマガで。今日のメルマガ担当:ヴィッセル神戸 芝英幸
2013.11.02
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明後日に迫った 対京都戦勝利すれば昇格決定。逆に京都は 神戸に敗れ ガンバが勝てば 3位(以下)決定(つまり神戸もガンバも自動昇格の2位以内決定)ということのようです。京都は昨年最後の最後に勝ちきれず3位になって、その後6位以内との昇格トーナメントで敗れたということもあり、自動昇格への願望大でしょうが・・・。なにせ京都さんには 2010年奇跡の残留での FC東京を破ってくれた恩義?があります。 (あのとき京都は降格が決まっていましたが意地をみせてくれました。FC東京は神戸の結果に関わらず、引き分け以上で残留でした。反対に浦和と戦うヴィッセルは、FC東京が京都に負けなければ たとえヴィッセルが敵地で浦和に勝利したとしても降格。小生、死力を尽くして勝利して、しかし悲劇の降格・・・というのもKOBEにはありだな と心の隅で思いつつ浦和に参戦しました。その前に残留争いについて会社で聞かれて「勝っても、FC東京が負けなければ降格です」というと、スター軍団?のFC東京のことを知っている周りは「ま、無理ですね」と。それでも浦和に行くという小生に 物好きだなという(別に用事もちょうど東京にあったのですが)目で。「いいんです。勝って降格しても それはそれでKOBEらしく また蘇りますから」とうそぶいていました。) ですから、わがヴィッセルが自動昇格はもちろんですが(あるいは優勝!)、3日に神戸が勝利しても、京都さんが このさいガンバを抜いて2位に浮上する手はないのか 数学(いや算数!)が不得意な頭で考えてみました。<補足→シミュレーションの前提は神戸1位優勝、2位通過京都という選択以外ないのですが 考察の過程であれこれ書いています>▽少なくともガンバが3日に(対熊本)勝利してしまうと この可能性はありません。ガンバはいま勝ち点77で 3日に熊本に勝利で勝ち点80。対する京都はいま69点で、引き分けたとして70点。残り3試合で勝利し ガンバが負け続けたとしても(次々節は京都対ガンバ!これを京都が勝利しても)追いつけません。 ところでシミレーションしたくないが ガンバ勝利で、神戸が京都に敗戦の場合は京都72点。その差8点。ガンバ残り3連敗、京都3連勝で 最終節勝利で勝ち点81点で 勝ち点80のガンバに対して京都が2位浮上。 神戸は次々節からは3連勝で勝ち点87の優勝。▽ガンバが熊本に引き分けなら勝ち点78。次々節の直接対決で 京都がガンバを降すと(ヴィッセルと引き分けであった場合は)京都勝ち点73。残り2試合 京都連勝で勝ち点79。ガンバが残り2試合(山形、群馬)負けた場合に 京都は2位浮上。神戸が京都に勝利の場合は 京都の勝ち点は69のままですから、ガンバとの勝ち点差は9点で、京都の残り3連勝とガンバの3連敗で同点、あとは得失点差。▽3日にガンバが熊本に敗れて勝ち点77のまま。京都が神戸に敗れれば勝ち点69のまま。その差8点。次々節直接対決で京都がガンバを降すと ガンバ77対京都72。その差は5点。京都が残り2試合連勝して勝ち点78。ガンバが残りを連敗で京都2位。ガンバ1敗1引き分けで勝ち点同じ78で、あとは得失点差。▽ガンバ、神戸ともに敗戦で 神戸78点、ガンバ77点、京都72点。首位神戸との差6点。次々節京都とガンバの直接対決制して75点。神戸は勝利し続けて最後は86点。ガンバと京都の差が2点。残り2試合で京都2位浮上あり。うーん、でも もし神戸が京都に敗れ、次々節ガンバは京都に勝つと どうなるんだ?神戸は勝ち点78。ガンバは熊本に勝って勝ち点80。互いに残り連勝のままで、1位ガンバ、2位神戸。あかん、あかん!いろいろと 無い頭で考えてみたが、やはり 次節 京都に勝利!しかありません。2010年の恩義は恩義として そんな余裕かますほど 余裕あるチームでもない。石にかじりついて 勝ちあがって いかねば!(すいません あほなシミレーションにおつきあいいただき・・。)追伸京都はここのところ連勝で調子よく 神戸との戦いを勝ち、ガンバとの直接対決を制すれば2位浮上の可能性あり・・という一部報道での解説やらもありで いろいろシミュレーションしてみましたがそもそも 京都が両方勝つと その時点で勝ち点75。神戸は次々節札幌に勝ったとして81点、ガンバは熊本に勝っていれば80。神戸もガンバも残り2試合勝てば、京都は追いつけない・・。神戸が京都、札幌と連敗した場合勝ち点78で、その差3点。なるほど ここらで射程圏か・・。札幌も侮れないチームですし、こりゃあ何が何でも 京都に勝つ!でないと、こっちが自動昇格できなくなるではないか!勝てば自動昇格、そして目指せ優勝!
2013.11.01
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かつて ヴィッセルに在籍し 最初のJ2降格をトモニ戦い J1昇格に貢献したキャプテン(だったですよね)、三浦淳宏(アツ)元選手すでに2011年に引退表明していたのですが このたび引退した時のチーム横浜FCゆかりの三ツ沢で引退記念試合だということですhttp://www.diamondblog.jp/atsu_special/J2降格から昇格のとき<震災で傷ついた神戸の街とともによみがえりました!><神戸の街のために戦い勝ちました>と叫んでくれたのもアツだったし、その後も「自分は地震の時はいなかったが」と前置きして 神戸への思いを熱く語り「生涯KOBE宣言」までした神戸の17番は 同じく昇格を戦った同志である松田監督との意思の疎通がなーぜかうまくいかなくなって・・神戸を去りましたが・・アツは 横浜でも神戸と同じ17番をつけてプレーしていました。17番へのこだわりはKOBEの震災(の日付)にも所以があるというようなことをどこかで・・・。わたしは丁度、アツが横浜で活躍した時 何度目かの単身赴任で東京住まいだったもので三ツ沢に足を運びました。ヴィッセルの臙脂色のリストバンドして横浜FCのユニ着て(といいたいところでしたが せっかく17番の背番号をつけてもらうようにお店に頼み、さあ週末に着ていこうと取りにいったら ちょっと納品が遅れてといわれ ガーン。そやから東京はいややねん、と一人つぶやき・・・いろんなこと思い出しました。その後の試合では着ていけたのかな)大変豪華なメンバーです。日本代表チームでも大事にされ 出場しなくても存在感があったという三浦選手ならではかと。しかし 2年たって なぜ今なのか とも思いますが、それはそれ。11月3日に アツにとっても古巣のヴィッセルが対京都戦に勝利すれば自動昇格。その翌日に ドリームチームでアツがピッチを駆け抜ける・・見に行きたいなと思いながら、果たせないのが残念。そうそう、いまの17番吉田選手も今期で引退ですね。偶然でしょうが何か因縁というかめぐり合わせというものを感じています。吉田選手も出場です。試合は ATSU FRIENDS対横浜FRIENDSの2チームでAtsuFRIENDSには 恒さんや平瀬元選手(現ベガルタ仙台アンバサダー)、横浜FRIENDSには 吉田孝行選手、それに懐かしい薮田選手(現横浜FCアカデミーコーチ)や三浦カズといった面々がいやあドリームチームですね文字通り以下 久方ぶりに更新されたアツのブログから 今回の経緯と神戸に言及しているところを抜粋します「さてさて、三年目での引退試合…珍しいと思うので簡単な説明をします 引退した年は、娘の誕生で目一杯愛情を注ぎ、妻と一緒に2人で子育てをすることが自分の1番やりたいことだったので、娘と妻と家族の時間を楽しみました 二年目は、グラウンドの関係等を含めタイミングが合わずに見送り… そして三年目に、皆様の頼もしい協力の下、引退試合が実現する運びとなりました チームは… 横浜FRIENDS vs ATSU FRIENDS です! 僕は横浜にある三チームを制覇しているので (笑) 横浜フリューゲルス・横浜マリノス・横浜FC このチームの仲間と トルシエJAPAN・ジーコJAPANの代表時代の仲間達が集まってくれることになりました シーズン中にも関わらず、皆快く「出させて戴きます!!」と、言ってくれて、凄くハートの良い熱い仲間達に恵まれた事に、改めて嬉しく思いました!! 引退した方々も、仕事で多忙の中、スケジュールを空けて下さり、本当に有難いです!! 皆、どうも有難うございます 11月4日は、皆と一緒に、サッカーを一日思いっきり楽しめる日にしたいと思っています この場をお借りして…ヴィッセル神戸と東京ヴェルディ1969の仲間・スタッフ関係者の皆様方に心から感謝を伝えたいです! 特にヴィッセル神戸は想い入れが強くて今でも大好きなチームで、ヴェルディは、味スタのこけら落としの思い出や、大怪我をしてスネにボルトを入れる手術、妻との出逢い、諦めていた代表復帰~節目節目で分岐点となる時代を過ごしたチームであり… どのチームも自分のサッカー人生の中で外すことのできない大切で大好きなチームです! そして、引退試合をさせて戴くニッパツ三ツ沢球技場さんは、プロデビューの横浜フリューゲルス、引退の年は横浜FC、どちらもニッパツ三ツ沢球技場という、何とも不思議な縁なんです! ニッパツ三ツ沢球技場さん、現役中は、多くの芝をはいで大変ご迷惑をおかけ致しましたペコリです 4日は、なるべく芝をめくらない様に、最新の注意を払いますので(笑) 一生に一度の引退試合、当日どうぞ宜しくお願い致します!! それでは皆様、11月4日、お会いしましょう」元気なアツにまた会えた気がしています。11月3日の対京都決戦を前に いいニュースが入ったなと個人的に思っています。
2013.11.01
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対松本山雅戦は7-0前半2点先取するも、山雅もこのままで終わるチームでないからなあと思っていたら河本キャプテンが 見事なシュートこれが起爆剤になって もう止まりません大量得点と勝利はもちろんですがけがに泣き 復帰した 5番河本キャプテンの活躍がうれしいです最初のJ2時代をトモニ戦い、ヴィッセルの危機に 大宮から自らの決断で戻ってきた ナイスガイ(古いかな少々表現が)KOBEを誰よりも愛する漢「帰ってきた熱き男」とオフィシャルイヤーブックに書かれた通りの活躍!しかし、以前から ずいぶん怪我に泣かされたし、今回もせっかく「帰ってきた」のに また負傷で戦線離脱・・・精神的にもけっこう辛かったでしょう(たしか以前の前戦線離脱はけっこう長かったし シーズン中に必ず戻りたいという気持ちもあっただろうから)そういうこともあってヒーローインタビューも コウモッチャンらしく 控え目でした。それもコウモッチャンらしいなと好感。後半には 4番北本もピッチへ もう言うことありません!ですが 残念なことが ひとつだけなんと 試合前後に家で用事あって テレビ観戦生で あの シュートを見れなかったことと 試合後 5番のタオマフ掲げて「コウモトー ようやったぞお コーモトー」と絶叫できなかったこと が残念参戦した後輩たちは深夜 携帯メールで「先ほどまで○○(仲間の名前)と祝杯あげてました。来週は鳥取にのりこみます」と熱烈サポが 続いてくれるのは大歓迎!・・・ですが いっしょに祝杯とならなかったのも残念こんな大量得点で乾杯何度もできるなんて もう まず ないやろしなあ「えらい盛り上がったみたいや」と言ったら 娘が「お父さんがいなかったからじゃない」とうーん でも 画面で何度も何度もシュートを見て画面の前でフラッグ振ってましたから それもいいかな とこの勢いで次の勝利へ!BS中継で 解説の山本さん ホムスタもといノエスタを とても誉めてました 器も見やすさもピッチとの近さと それに熱気も
2013.10.20
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前半もたついていてが、後半28分にマジーニョの技ありシュートで1点(水戸のFW 鈴木隆行 なかなか存在感ありでした)30分に森岡に替わって都倉 (うーん、がんばれよ ほんとうに点入れろよ)35分 その都倉君に絶好のチャンス、2点目を絶好の位置で都倉が狙ってシュート、しかし・・・。いい位置にいたことは誉めてやります しかし いっつも詰めが甘くないかね君は。決めるとき決めないとサッカーは・・・という なんか いやな予感もしたが、鉄人北本も入り(先発でなかったので、あれ?ようやく5番河本ちゃん、不動の4番北本のコンビが復活したのに と思っていましたが、クニはまだ本調子でないのか)万全と思った矢先後半38分に 1-1その後攻めるも・・・わたしも叫びましたが、後ろの席からも「トクラー、あそこで決めんかったからやあ」と ため息のような叫び声のような呟きのような・・・ちょうどバックのゴール真横 ゴールラインの席でしたので。なお 今日は 各種割引チケット(地下鉄利用で バック自由席に飲み物引換券、あるいはシーズンシートにお友達招待券)だったので、(京都勤務時代に 私とヴィッセルの応援に一緒に行って以来)スタジアムに通うようになった若い同僚が 大阪勤務になって周囲を巻き込んで(?)二組のご夫婦(一組はお子さんも!)を連れてきました。勝利して「神戸讃歌」きいてほしかったのですが・・・。結果としては ガンバが負けて首位。今日勝てば 最速で次期 千葉戦で昇格決定だったのですが(神戸新聞の記事から)、こうなると どうなるのでしょうか?計算しないといけないなあ。あ、後半 近藤岳登選手ピッチへ! お帰り?いや違う 敵だが そう思えません。
2013.09.29
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26日は久方ぶりのユニバースタジアムでした。結果は4-0という快勝やはり森岡選手が復帰したというのが大きいのでしょうか?ユニバでの記憶は なんといっても2006年の最初のJ2時代に バクスター監督の離日前の最後のホームでの試合 対ヴェルディ戦の記憶です。また、今回の福岡は その年の入れ替え戦のお相手でありました。2006年8月26日にヴェルディ戦があって 暑い夜だったと記憶(そうそう、今回はユニバでは風があって涼しく感じました)0-1だったのを、河本ちゃんが1-1にして ヒデが2-1にして勝利したんですね。あれから8年、ヒデ頑張ってますねえ。河本ちゃん早く怪我から復帰してほしい。丹羽竜平(いま鳥栖にいます)が退場になって10人。でも負ける気がしなかったです。バクスター監督に勝利をプレゼントしなければならないという選手の意気込みやサポーターの願いがあって・・それをひしひしと感じていたからかも。震災の復興とJ1復帰がイメージとしてだぶっていましたので、手負いのヴィッセルが負けるはずがない、いや一人いないからこそ勝つのだと。今回は福岡のGK神山が退場。神山選手の言動(レッドカードが出た後のボールけっとばしや その後 神戸サポへの仕草など)について福岡サポのブログなど拝見すると チーム自体の防御システムについて課題があってキーパーとして相当ストレスが溜まっていたのではと。それはともかく、替わって入ったキーパー笠川永太結構よかったんじゃないですか? 小生の座席の後ろの方も 同感だったようです。敵ながらあっぱれみたいな感じでいっしょに来られた方と話されていましたが、なんかの きっかけで 私も話しの輪に入って・・。後ろの方は あとできくと姫路から来たと。車で1時間くらいだそうです。JFL時代からのオールドファンで、息子さんがサッカーしていた時代にはよく見に来たそうです。ユニバでの試合がもっと多かったというので・・・帰ってから調べると なるほど2000年までは ウイングスタジアムが建設中(改築)ですべての試合がユニバー、2001年は1試合だけウイング。最終戦の横浜戦がウイングの こけら落としだったのですね。いっしょの方に「カズもおったんやで」で言われてましたし、「キーパーで掛川おったでしょう」とわたしにきかれてましたから 2005年くらいまでかな?(掛川誠は神戸在籍2000年から2005年まで)終わりかけに お相手の人が もう出るかみたいな感じになると「いや、二次会があるはずや。ヒーローインタビューの後二次会がな」と。終わってから「二次会はどんな具合ですか。長いですか?」ときかれるので 野球で勝利した後 応援団とファンで盛り上がる例の「二次会」のこととわかり「いえ、それほど長くないです。でもヒーローインタビューがあったあと選手みんなで神戸讃歌を歌います。ご存知ですか?(ご存じなかったようで)それはきかれた方がいいですよ」と。神戸讃歌をご存じないということ、ユニバーでの試合数の多さ、掛川やカズの在籍年代からJ2の後半くらいからは観戦されていないのかも。神戸讃歌の後「これはあつい!」握手してお別れしました。あとユニバというと ヴィッセルとボルトンの試合ありました。2005年、カズの神戸での最後の試合でもあったと記憶。※HPから 2006年8月のユニバーでのヴェルディ戦後のバクスター監督コメント抜粋採録し掲載します。「最初このチームの監督に就任したときは、ご存知の通り(阪神大震災という)サッカー以上のことがありました。最初にユニバー競技場に来たのはサッカークリニックでした。それは震災で被災した子供達を対象としたものでした。 住むところも失った人がいたにも係わらずサッカーが出来たのは、神戸の人たちが応援してくれたからです。ですから私達はサッカーだけでなく、この町の再建にも責任があるのです。 神戸とのつながりのプロセスはサッカーだけから生まれた関係ではありません。絆なんです。そして何よりも神戸が大好きなんです。」そして サポーターへの思いは?という問いかけに「サポーターというのは、クラブの血です。」と。このバクスターの言葉が チームがJ2になっていた苦境もあり ずっとヴィッセルをKOBEを支える!と決心させた言葉でもあったなと・・・いま思っています。そうそう、今回HPを読んでバクスターがこう続けていたことも知りました<例えばヨーロッパではサッカープレーヤーは高収入な選手が多く、とかくサポーターの重要性を忘れがちになります。以前私がイングランドでお世話になった監督がこんなことを言っていました。「選手の価値は自分が獲得したトロフィーで満足するのではなく、どれだけの人を幸せにしたかで評価されるものだ」と言っていました。その意味では今日のゲームは成功でしたね(笑)。>
2013.08.27
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後半戦からの半額チケットで入場。きっちりハーフタイムにならないと販売しないということで、列を作っていると場外の大画面に「COME ON! VISSEL」(で正しかった?)の文字がそれからメンバー表の上の表示が1-1に。後ろの方といっしょに「あれ?どうしたんや」。すぐに携帯でチェック。「先制して、前半終わりかけで同点・・いやな感じにならなけらば いいですけど」などと言い合い 待つことしばし。販売開始して 早足でスタジアムへ。バック自由席のゴール近く前から3段目通路わきが ちょうど1席だけ空いていて ラッキーとばかりに もぐりこみました。家族連れも多かった印象です。後半開始そうそうに2点目。気をもんだだけに爽快でした。そのまま守りきって勝利。そして神戸讃歌。いやあ、かけつけた甲斐がありました。これでホーム6連勝でしたっけ?日曜日も 勝ってほしい。
2013.08.21
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前節の岐阜0-1に続いて、山形に2-3の敗戦実況をまだ見れていないので どういう具合だったのか・・・試合数の多いJ2では 好調だった降格チームが7,8月に足踏し そこからが正念場、また最初はびびっていたJ2チームも一度手合せすると 手の内がわかってそうそう勝てなくなる と、どっかVスマ?かで読みましたが 夏の正念場が?!ここへきたのか。今週の対東京戦 行く予定ありませんでしたが こうなったら後半だけでも行かねばと。
2013.08.18
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五山の送り火のあった16日に 念願の大文字山に。2年間の京都で果たせなかった 大文字山登山を 送り火の日にできたわけですが、送り火の日には 登山規制があるので保存会関係の方といっしょに登りました。暑かった・・・が 見晴しよし。点火されたらもっと熱かった。 送り火の前には 読経あり。大文字の横一文字と 人の字の交錯するところに弘法大師さんが祭られていて そこが一番大きな火床になっている。 点火の後も お坊さんがカンカンカンと木を打ち鳴らし続けていて・・ なるほど 祈りの火なのだと 実感お盆の送り火ですから、死者を悼み 想いながら 見つめる火だと、生者が死者を見送るための火だと 頭では理解していましたが、宗教行事だと よーく分かりました。※8時に点火、8時30分過ぎから下山する人が増え 下山路が混雑する懸念あってわたしたちも下山。懐中電灯で足元を照らして 滑らないように気をつけながら。登山口まで降り切ると 10人近くの方々が待っていまいした。同行者が「えらいなあ、これから 消し炭とりにいきはんねん」と。送り火の消し炭を持ち帰り 水にまぜて飲むと1年病気しないということです。 日中 湿度もあって少しガスっていたと思うが、「妙」「法」などの 別の山の送り火が くっきりと見えました。何度も登っている同行の知り合いも「いやあ、くっきり見えるなあ」と。また後日 京都在住の職場の同僚も「大文字 きれいでしたね」と言ったので (これは市街から見ての感想)、すこし大気がゆらめいたぐらいが ほどよく光が屈折して美しく見えるのか?※なお、お堂は弘法さんなので真言宗の開祖だと思いますが、この大文字山で読経し祈祷するのはふもとのお寺で 後で確認すると浄土宗知恩院派のお寺でした。ご祈祷の読経も 般若心経のほか南無阿弥陀仏など。真言があったかどうかはわかりませんでしたが。そういえばお盆て 宗派は問わないし・・わがやは神道ですがお盆やります、故郷の宮崎の村では盛大に迎え火、送り火をしていたと父親からきいたことがあります。(以上 『五山の送り火の日に 大文字山登山、祈りの火を実感・・・』でした)
2013.08.17
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昨日、栃木戦は いわば師弟対決。かつ前回のJ2選手の近藤も栃木の1トップで出場。試合前の選手紹介で近藤祐介に大きな拍手。もちろん松田監督には ひときわ大きな拍手でした。因縁は因縁として2-0の勝利。祐介は途中交替、ちょっと乗り切れていない感じも(そりゃあ、あれから8年の歳月だから体の動きも違うか・・・)。後半 ひやっとした瞬間あり、逆にもう1点の追加点の可能性もあったのですが。やはり 栃木の戦い方 どこかヴィッセルと似ているなと感じました。堅守速攻が持ち味で強みですが やはり守備にどこか ほころんで 同じような形で失点を重ねる弱みあり。栃木 後半 守備崩壊??かと危惧しましたが そこは ふんばってくれました。小生は いい試合だったなと(祐介が1点返して こちらが もう1点という展開も夢想したのですが)田代に替わって入った 都倉君!もう少し仕事してほしい・・・。あいかわらず加速スイッチがはいらない。もっと、球際でハングリーに 凄みを出してほしい。加速に失敗してゴール前でこけてはいけない。観客から大きなため息・・・残念を通りこして 練習せい というヤジが出てました。ちょっとかわいそうかな。これだけ素質に恵まれているのに。(会社の大型新人とダブるので 都倉君デビューのときから注目し、会社の同僚と 同じことを言いあっています)ヒデの大活躍と モギーニョ茂木弘人の敢闘賞受賞が うれしかったです。(モギーニョにフラッグのサインをもらっただけに親近感も)帰り道 会社の同僚とあれこれ話すなかで やはり 素質に恵まれているのに根性出せない?(出しているのでしょうが そう ガツガツとみえないのが歯がゆい)トックン&うちの大型新人を ないまぜにして 批評会しながら・・・とある焼き肉店へ。なんと 後で近くの席に 都倉君本人が(ほかのメンバーもいました、後で気づいたのですが)。焼き肉店では 批評会は終わって 今後の展開 千葉や京都との直接対決などなどに話題がうつっていたので・・・・。しかし 驚いたなあ。帰りに 握手だけして やはり うきうきして帰りました(サインとかは「大人の対応で」と若い同僚がいうので やめました。少し残念。)がんばれ都倉!ゴールをゆらせ!もっと 貪欲に!
2013.08.05
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オリックスブルーウエイブのホームだった 現「ほっともっとフィールド神戸」スタジアムへ。オリックス対千葉いつ行っても(外野ですが)見やすくて 気持ちのいい球場と思います。長年のヤクルトファンゆえ東京での単身赴任中は神宮へよく行きましたが(いまは改修されたようですが)神宮の外野はコンクリートに腰掛ける形式だった記憶 しかも それが弧を描いていないので なんとなくダイヤモンドを見てると 場所によっては脇から見るような具合で微妙に体をねじらないといけませんでした。1995年の震災時は 神戸の球場も改修前?で同じような作りだったのかもですが・・・。いわずとしれた元祖「がんばろうKOBE」の聖地でもあります。試合は千葉に敗れましたが・・・。うしろの年配の方は ブルーウエイブのネームが入ったパチパチメガホン(かなり年季が入っていると推察)を手にされていました。
2013.08.03
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JR神戸線が運転見合わせで 阪急に振替で乗ってようやくスタジアムにたどりついたときは文字通り立錐の余地なく・・・通路にもみなさん総立ち そこを「すいません」といいつつ最上段の隙間に入れてもらって 試合終了まで 動かず(動けず)応援。1-2から1-3は痛かったですが 2-3からの怒涛の攻撃(きょう21日にjsportsの録画でみたら あまりそうは感じませんでしたが)サポ席から見ていると 審判のあやふやな対応や ここで笛ふかんでもええやろ せっかく神戸ボールで攻めかかっているのに というのもありましたが 負けは負け。やはり決定機に決めきれなかったのが敗因。まことにあと1点が・・・。惜しくて見ごたえある試合でしたが。敵地での「神戸讃歌」とはいきませんでした。3-3に追いつくのには もうちょっと思えましたが万博スタジアムといえば 2010年の降格危機のとき10月30日のガンバ戦から敗戦なしで 最終のレッズ戦勝利で「奇跡の残留」になったわけですが その「奇跡」への第1歩の勝利の「神戸讃歌」の記憶。あるいは2007年の能登半島地震当日、万博へむかう電車のなかでラジオききながら 若い時仕事をした「穴水」や「輪島」の地名がでて じりじりとした気持ちでいた記憶。そして2年前の 東日本大震災支援のチャリティマッチ。ガンバの選手もヴィッセルの選手も募金箱をもって協力し、サポーター席からは東北の被災地へとどけと みなさんと声を合わせたエールの記憶。帰りは モノレールの人ごみに驚いて 近くのビアガーデン風出店のテラスでビールとからあげで時間を過ごしました。そこでも臙脂のサポユニのみなさんも結構多く。帰りの阪急電車でもかなりお見受けしました。昇格へむけて険しい道がつづきますが トモニあの場所へ!再び!かえろう です。ところで河本、北本の復帰は?個人的には この前フラッグにサインをもらったモギーニョの出場が増えたのはうれしいのですが・・。
2013.07.21
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このたび 京都から大阪に職場が変わりました。ショージキ最初は面食らうこともあり(おんなじ関西かあ?いや京都は ほんまは日本でない?地球ですらない!・・・ちょっと大袈裟)ましたが ま ようやく様子もなんとなくわかりだして あと1年くらいは京都で仕事するかなあと考えていただけに残念でもあります。さすが千年の都(実際は蛤御門の変で市街の三分の二が焼失しているので、150年前は 多くの日本の戦後の都市と同じく 戦災復興都市でした。方丈記の時代には直下型地震で壊滅しているので800年前はKOBEと同じ 災害復興都市。)つまり 何度も何度も 灰燼から「ともに」「立ち上がって」きた復興する都市と市民の底力、不屈の粘り強さがこの千年の都の魅力の源泉で、そこに伝統と革新、保守と新し物好きという相反するものが お互いに独特の調和をみせながら 強力に発信しつづける原動力になっているのだと つくづく。実際 京都の町並みは明治における再建・都市再生・あるいは近代化策による新生の賜物です。戦災をこおむらず江戸期にも大火にあわなかった各地の小京都より京都の町並みの方が新しい、しかし ずっと古い貌で 魅力を 常に 新たに再生し 発信している ということになります。※たとえば 私の父母の郷里・宮崎の飫肥の武家屋敷が残る町並み、あるいは豪農や豪商の屋敷が残る各地の宿場町と比べると 京都はまことに明治の都、都市という・・・。(平安千年の都という発信力はこれまた別で。ここらへんが ま 京都の魔術というか魅力なのでしょう)ということで 京都は7月は祇園祭の季節・・・これも戦争中に中断し、戦後ようやく何基かの鉾ではじまった祇園祭が いまや110万人を集客する大イベントに復活しています。仕事で また 京都に行くこともあり、このうだる様な季節に 祇園囃子をききながらもええなあと ふと思っています。
2013.07.08
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勝ちました!2-0にっくき?ガンバを完封。でも、ガンバサポさんのおかげ?で 2万人の観客数でした。ミサキガーデンで ヴィッセルスマイル 創刊号をゲット。河本ちゃんが巻頭インタビュー。今日のVIEWも河本ちゃん。インタビュー記事読み 男やなあと。義を見てせざるは勇なきなり とはこのこと。ともかく、2-0は見事でした。組織だった攻めと守り。こんなええチームがなんで降格したんかなと 同僚と言い合いながら 帰路につきました。首位決戦勝利を みなさんとお祝いします!
2013.05.06
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きょうは 千本えんま堂の狂言に。夜の部。冷え込みきびしかったです。こちらは台詞のある劇。ただし、今日 最初の演目「芋汁」は無言劇。同じ 無言の狂言である 壬生狂言と 手振りの大きさや 動作の速さが 違いました。壬生狂言の方が ゆっくりと 大きな動作。芋汁、鬼の念仏、舌切雀、そして土蜘蛛。こちらの土蜘蛛は テンポ早く 25分くらいで終了。壬生狂言は50分くらいで、舞台から土蜘蛛が飛び降りたりそれを武者が追ってまた 飛び降り・・・などアクロバティックでしたが・・・。土蜘蛛登場のシーンでも おどろおどろしく迫ってきましたし。ちょっと怪獣映画を思わせるところもあったりしてスリリング。無言劇ならではの工夫か?一方、鬼の念仏、舌切雀など せりふある狂言はききやすくて ほとんど現代劇の様。言葉も かなり 現代化している?かも。ほのぼのとしたユーモラスなやりとりを 楽しめました。一時(9年間ほど)中断し、しかも中断期間中に舞台や衣装が焼失するという悲運にみまわれたが、それをバネに再興したそうです。気がついたら 会社の同僚も見に来てました。この後 松尾大社のやまぶきのライトアップ見に行くということでした。
2013.05.03
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アウェイ参戦のみなさま お疲れでした。神戸 積極的に攻めていたようですが・・・。いよいよ、6日にホームで 対ガンバ戦。1位、2位対決となりました。たしか いまヴィッセルが勝ち点27、ガンバは24ですからガンバが勝てば同率1位。あ、でも3位の長崎も いま勝ち点24か。長崎も勝つと 三つ巴。いやいや、わがヴィッセルが勝利して2位以下をまた一歩リードしなければ!久しぶりに参戦できます。では、トモニイコウ!で。
2013.05.03
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昨夜は 壬生狂言の最終日。この日だけ夜の部があるので行ってみました。ニュースなどでよくみる焙烙割は昼のみ。こちらは23日に縁あって拝見。ですが直前に私のどまん前に初老の割と背の高い方が座られたので・・・。隣の人と顔寄せながら肩越しに見ることになり、26日に時間をみはからって この焙烙割だけ再挑戦。ちょうど?昼に激しい通り雨だったので 前の席があいて よく見えたし迫力ありました。壬生狂言は仮面をつけた無言劇。パントマイムというか しぐさの謎解きをこっちの頭でするものもあるので ジャスチャーという感じも。なかには 23日の「金蔵酒蔵」のような 解説皆無で 大いに笑えて いまのコントとかコメディーもいっしょだ!というものもありました。29日は 昼夜入れ替え。昼は途中の15時からの「紅葉狩」から「桶取」「橋弁慶」まで。入れ替え後 18時からは お坊さんが読経する結願式から「夜討曽我」「花折」「土蜘蛛」(糸をゲットするとお金がたまるお守りになるらしく・・・。昨年の壬生寺 盂蘭盆 万灯供与会で お獅子と蜘蛛の対決のとき 子供達が争って取り合いっこしてました。今回 たくさん蜘蛛の化身は糸をはいてくれて観客大いにわきました。)「湯立」そして「棒振」で打ち上げでした。終わりは22時。7時間 ほぼ 座りぱなしでしたが けっこう飽きずに見れました。ちょっと はまったかな?なお「橋弁慶」は能からの脚色ですが、なんと義経が五条の橋のたもとで千人斬りをしていて、そこに弁慶が懲らしめに来て・・・対決して 弁解は負けて家来になる というストーリー。わたしの知っている 牛若丸と弁慶は 暴れん坊なのは弁慶の方。五条の橋で刀千本を奪おうとしている弁慶を 牛若丸が懲らしめるという筋でしたが・・・。きのうは舞台の上で 牛若丸役の幼い子どもさんが ばったばったと 比較的若い演者さんたちを切りまくっていて これはこれで痛快!でも、ふと気付くと この劇では 正義の味方のはずの牛若丸が殺人鬼になっているのだが・・・。しかし、これは壬生狂言の脚色でなく 能の元本「橋弁慶」でそういう設定らしい。いやあ 奥が深いというか、なんというか。ただし能では 実際に牛若丸が 罪も無い?通行人をばったばったと斬るシーンはないようです。打ち上げの鉦(銅鑼)の音をききながら 名残惜しいなあ・・・という感慨が。お隣の方々は毎年来られるらしく「また来年ですなあ」といいながら 席を立たれてました。
2013.04.30
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まさしく京都戦の雪辱。スコアもちょうど逆。快勝から2日後ですが、小生も みなさんとトモニ この勝利の余韻を味わっています。(あ、仕事がいろいろで、そうそう ひたっていられないというのも ご同様ですが)実は小生、誕生日でもありまして・・・前半は かみさんといっしょにバックスタンドで応援。フラッグタイムていうんですか?選手入場のとき夫婦でフラッグを振り続けました。前半は2-1.いい感じで これはいけるのでは?後半は かみさんは用事をしに行き わたしは 一人分あいていた2段目に移動。やはり迫力ありますね。選手の姿が間近というだけでなく、サポーター席からの歓声が降ってくるような感じで。勝利の神戸讃歌。おとなりさんに「肩組みますか?」とはいいそびれ サポ席見ながら 体ゆらしてました。ひさしぶりのミサキガーデンで 顔見知りの方とも話し、いつも行くギョーザのお店へ。ところが前回と同じようにしまっていて(最終日曜がお休みのようで)、あきらめきれず元町の赤満へ。神戸名物の(大阪も?かな。阪神間??)味噌ダレ餃子を堪能。その後 家では娘手作りの中華スープもあり。「(ヴィッセルの勝利は)いい誕生日プレゼントだったね」と。そいうえば、ほかにプレゼントもらってない・・・。去年はもらった??あ、サッカーの話でなくなってきました。そうそう、勝利の後 都倉くんが ゴールまでうずくまっていましたが・・。あれ 嬉しかったのか?自分が 草津への恩返しゴールを決められなかった悔しさから?慶治朗 大活躍ですね。なんか カンジョみたいなスタミナと動き(カンジョも小柄でしたけど。)将来が楽しみです。これからも勝利を積み重ねて、ガンバや千葉 そして京都にまた当たるときまでに勝ち点を積み重ねていかないと!
2013.03.26
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