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ふぅ。
なんか選挙が続きますね~。来週、市議選の投票日でしたっけ??
昼間は、車でボリュームいっぱい名前叫んでる候補者ばっかり。
今回の大地震で、日本人の我慢と言うか規律の良さが、海外で称賛を浴びています。お行儀の良さと言うか、周りを見ながら、自分の行動を制御出来るのは、こういった危機的な状況では、尊敬される行動なのでしょう。
テレビ等で、海外で何か不幸な出来事が起こった時、周りを顧みずに自身のどうしようもない感情をストレートに表現されているのをよく目にします。それは、ある意味解りやすい表現で間違いではないのですが、その感情は良い意味でも悪い意味でも周辺に広がってゆきます。泣き叫ぶ人が多く出れば、よりパニック的な状況が生じてしまうのは、人の心理的現象でしょう。
日本人は察すると言う感受性で、悲しみや絶望感を共有していると思うのですが、必要以上にその感情を増幅しない。そのような特性があるのでは、、、と考えました。
一部では、報道されていない惨状や、店荒らし等の良からぬ出来事もある様ではありますが、相対的に見て日本人の有り様は、世界から見て珍しい事であるのでしょう。
しかしながら、多くの国の人が日本人の姿を好意的に見ている中で、私はふと考えてしまうのです。
現在、原発の事故に絡んで、政治的にいろんな駆け引きや、足の引っ張り合いが報道されています。
リーダーたるもののメッセージが国民に伝わってこない。ここぞとばかりに、元首相経験者や与党の一部で、首相おろしの動きがあったり、何か違和感を抱いてしまいます。(トップの足を引っ張って、その後自分が上がれると勘違いしているのでしょうか? 国民は誰が何をしているかよく見ています。)
原発の対応についても、官邸も東電も国民目線ではなく、何か都合の悪い事を告げないようにしているようにしか見えません。(これは、今回の事故に限った事ではなく、日本の中で起こった大きな事件では同じ様な事が繰り返されています。)
世界から賞賛される日本人ではありますが、これらの政治家を選んできたのも、原発を認めてきたのも、又日本人です。さらに言えば、想定外と言う言葉で片付けている震災の大きさに対して、想定する事をそらしてきたのも、又日本人です。
危機管理と言う点で言えば、事が起こってから対処療法的な手段をとるのは、いかにも日本人らしく見えます。
毎年1年にも満たない期間で総理大臣がコロコロ変わり、ある意味小学校の学級委員の方がよほど立派だと思いますが、そのような状況でも日本と言う国は、何処かでバランスを持ちながら、経済的には世界の中で大きな成果を作ってきました。
「個」が突出して利益を生む社会ではなく、主に社会の一部として機能してきた個々の強さが日本人にはあるのか、、、「個」と言うよりも、「共」という意識が日本の本質か、、、と改めて思います。
「共」であるからこその美しき面と、もたれ合いの様な良くない面を、しっかり自覚して日本人である私自身を見つめたいと思います。
はてさて、、、なんだか、だらだらと書いてしまいそうですが、
ちまたの名前を叫びながらの選挙活動。いったいどうしたら良いものか?
取りあえず投票所には行くとして、、、、それからどうしましょうか???
いろんな意味で、日本人が日本人をどう考えるか、、、、年金問題、少子化、財政問題、、、、、原発だけではなく、待ったなしの問題が山積み。震災のインパクトが大きすぎて、これらを忘れてしまいそうですが、、、、、、放ってはおけません。
今回の出来事(まだ地震も原発問題も続いていますが、、)は、非常に悲しいことばかりですが、私自身が自分を顧みる機会だと思っています。
本当に何かを見いだすには、少し時間が必要、、、、。
しかし、未来の為に、前に進もう。。。。私のすべき事を進めながら、、、。
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