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2014.02.09
平野遼 『二人の人物』 素描
カテゴリ:
カテゴリ未分類
時間のとれるときに私蔵品をひとつずつ紹介しています。
全ての私蔵品はこちらに掲載しています。
http://www.geocities.jp/art_cafe_gallery/index.html
SWITCH 1998年11月号 118頁
眼は掴み、手は走る
『世界は支離滅裂で、どっぷり重い空気に覆われている。
人間の行末は当てもなく暗い。
いかに文明の進歩が人間をよりよい生活に進ませようと、地平の果てに核が存在する間は、幸福ではない。
靉光は、一種本能的な危機感をもって、彼の作品中最も重要な毛筆デッサンを残している。
(中略)この戦慄すべき作品群は、油絵以上に評価し、もう一度見つめる時代に来ていると思う』
平野にとって靉光の作品は、戦後間もなく上京した焼け跡の中、東京都美術館で行われた自由美術家協会展で出会って以来『美しい虹のように』眼前を通り過ぎるもので有り続けた。
平野遼が瞠目し続けた靉光が上海で戦病死してから半世紀以上が過ぎ、平野自身も土に還ってから丸6年、仏教的に言えば七回忌を迎える。
そして今秋、靉光の本格的な展覧会が東京で10年ぶりに行われ、平野遼本人の遺言による遺作展が北九州市で開催されることになった。
この偶然と重なり、あの世からこちらを見つめて居るであろう平野にとっては自然な再会とも呼べる時空の重なりの中で、冒頭の文章中『靉光』を『平野遼』自身に置き換えて、本展覧会にささげたい。
平野遼は、高等小学校(現・中学校)卒業以来、美術学校教育を受けることも特定の師につくこともなく、独習によって絵画に没入し続けた絵描きであった。
すでに本誌でも2回採り上げられ(96年10月号、97年12月号)、NHK『2人のアトリエ』(97年4月ETV特集、6月衛星第一で放映)でもその生涯や作品が紹介されたことから、生命の深淵を描いた作風をご存じの方は多いことと思う。
昨年6月には、北九州市立美術館で没後初の大々的な回顧展『平野遼展』が開催され、初期の蝋画から晩年の未完の油彩まで幅広く展示された。
回顧展では、アトリエ蔵の作品も出品されたが、それとは別に平野遼は生前、清子夫人に遺作展開催のための水彩画を託していた。
その事実を知ったのは、展覧会終了後であった。
平野にとって仕事、画を描き続けることは、己に対して常に死を突きつけることでもあった。
それは敗戦後、美術教育を受けず、何の後ろ盾もない、地方出身の青年が画家を目指すこと自体、死との境界線に身を置くことであった現実と無縁でなかろう。
時代が移っても、平野の画に対する姿勢は終生変わらなかった。
『隅とは、つまり、最後に人間がみな消えて行く、あの死という奴である。
私の仕事は、こいつを忘れては始まらない』。
隅を凝視することによって命そのものを表現しようと自己に迫り続けた。
死を目前にした晩年の日記には『急いで仕事をし、孤独に耐へて自己完成を果すしかない・・・うやむや姿のまま消えたくない。
一見、矛盾と自己韜晦に満ちているようだが、生涯孤独に自己と対峙し続けた画家にとって当然のことであった。
『みんな詩人は一人で、詩という野原を淋しく歩いてゆくのです』
そう言って、“旅人かへらずの”西脇順三郎はこの世から消えたのだと平野は引用したことがある。
画家の歩む姿も同じだということであろう。
生涯を通じて流れる、孤独感という通奏低音がのしかかってくる言葉である。
一人でこの世から消えて行くことを誰かに知らせる必要はない。
問題は、画家が何を表現したか、にかかっている。
遺作展は絵描きとしてこれだけは見てほしい、という万感の想いが込められた『明快な自己主張』なのである。
通常、遺作展が開催されるとき、作者は不在であるから出品作品の選定は残された人間が行う。
しかし、平野遼の場合は違った。
平野は生涯、何通か遺言書を作成している。
最初の遺言書は39才を目前にした1966年2月、清子夫人宛てに作成された。
そこには、、葬式をしない、自分の死の公表は死後1ヵ月経ってから行うこと。
そして遺作展をすることなどが記されていた。
30代から既に遺作展を意識していたことが窺える。
1975年9月、小倉公証人合同役場に遺言公正証書を提出して以降、平野は遺作展に向けて一つひとつ実行に移していった。
木目そのものが見える白木(ナラガシ材・額寸84×69cm)のシンプルな額縁を注文。
アトリエの上棚に常備。
折々、気に入った作品を自らの手でマットを装し、アトリエ奥の倉庫に保管し続けた。
それを証言するかのように、空の額がアトリエに、刃を入れていないマットが倉庫に眠っている。
現在も、描けるだけ描こう、選べるだけ選ぼうという体制にあるのだ。
紙の作品を額装するほとんどの場合、画面分の穴を開けた紙製や布貼りのマットを入れて、内面から画をのぞかせる。
マットの内側を歪みや狂いなく切り抜くには熟練した技が必要で、通常は画家がマット装の作業まで行わず、大抵、画材店に依頼する。
しかし、平野はいつも自らがカッターを持ち、玄人はだしの腕前でマットを切り、額装を行っていた。
遺作展用の作品も同様で、自らの手で額装し、後は会場で並べるばかりの状態にして保管していた。
自作に対して並々ならぬこだわりや愛着があったことを忍ばせる。
本人が選んだ作品、そのものについてふれよう。
27点の抽象性の高い水彩画の中で最も初期の作品は『奇術師』(57年作)で以降、晩年までの35年間の歩みを見ることができる。
この他、過去の個展で出品した作品も含まれる。
これらは『個展はいかなる構成であろうとも作者の客観凝視の場なのである』という、作者本人の厳しい眼による試練をかい潜った強者、と言えよう。
その一方で晩年近くに描かれたのであろうか、サインもなく、題名不詳、制作年不明の作品もある。
生前の展覧会出品作に題名のない作品は存在しない。
『平野が生きていたらすぐに題を教えてくれるんですけどね・・・』
と夫人が画面を通して彼方をみつめる。
画面に広がる微妙な色と形の中には『抽象性と具象と、見る眼と見えてくる眼』がある。
透明水彩を塗った後に水で洗い流すことにより紙に色を定着させる技法『洗い出し』によって醸し出される微妙な色合いやにじみ。
画面の奥へ浸透する透明感が広がる一方、絵具が塗り重ねられる部分が存在することによって『画面の内部に踏み込んでゆける空間を押し広げる』色彩の面と量の間には、ペンの細く走る線と、ときには紙そのものをひっかいた線が交差し、ある形態が見えてくる。
透明な水彩や紙、画材の持ち味を十二分に活用することにより、大画面の油絵とは別の、凝縮された空間の醍醐味が存在する。
画を囲むオフホワイトのマットは、時には画面を大きく包むように開かれ、時には覗き穴のように小さく開けられ、見る者を画の世界へといざなう。
すべて平野遼が遺した造形である。
作品の前に立つことは、画家平野遼の魂にふれることなのだ。
今展覧会では、画家本人が選んだ作品以外に、未発表のペン画、素描を含めた30点が並ぶ。
その背後には『頭だけ、手だけ・・・つまり抽象だけ、具象だけ・・・を見て平野遼と思ってほしくない』という清子夫人の言葉があり、更には『実体のない抽象はない』という画家の極意がある。
平野は生前、午前中は油絵の大作、午後は小品、そして夕方にデッサンを行うというスケジュールを毎日こなしていた。
『私の仕事は見たものを掴みだしたものだ』
『外側から内部へ、肉体から精神へ、こうした循環によって、私の絵画は生まれてくる』
と述べている。
すなわちこの言葉は、平野遼の画の世界が、対象の外側を見て行うスケッチやデッサン、観た内部を表現する抽象画の循環によって、生まれてくることを示す。
かつて平野はデッサンについて、こう記している。
『今度並べた作品は、スケッチを基にして描きあげたものである。
(中略)
ここでは、いつもの自己主張を引っ込めて、その何気ない身振りを呈示しながら、人間の真実に迫ろうという訳である。
さりげなく歩道の電柱の端に佇立しながら、
デッサンは素早く描かねばならない
。
対象は、勝手に振る舞い、その変幻自在はいつはてるともない』
抽象の水彩、油彩でも見られる素早い線の動きが、素描では一瞬の動きという獲物を捉える狩人の眼の動きにあわせて走る。
素描を鑑賞する者は、狩人が捉えた新鮮な獲物、呈示された変幻自在の一瞬に潜む真実を味わうことができる。
それは、われわれが、『ついに、見失うもの』まで逃さない狩人の眼の動きに、固唾を呑むことでもある。
眼の動きだけではない。
『大量の素描は、その油彩にくらべて、平野遼という画家の、内面の眼の生理や身ぶりみたいなものをベールをかけずに直接ナマに出したすごさがある』
と過去に評されたように、画家の内面を駆けめぐる血流を直接凝視したような感がある。
『内面の眼の生理』
抽象や油彩では塗り込められてしまう、外部から摂取した獲物が内部へ消化吸収される過程。
そして逆の内面から外側への流れ・・・である。
逆の流れ、とは対象の命にそそがれる慈しみの眼差しや、ときに『自己主張を引っ込めて』外界の透き通った光そのものを表出する反射的な生理である。
素描には、画家が展開した外側と内面の循環を、鑑賞者もたどることができる楽しみが隠されている。
1991年7月の日記にはこう記されている。
『私の絵画は底に空間感覚と理念のせめぎ合いによって生み出されて来た。
表現方法の問題は嫌悪されるべきであり、そればかりでなくその問題化は、もはや動くことを忘れてしまった精神の衰弱を示すものだ。
鋭い凝視と感覚をもって対象に向かう時、描くべき対象は、ほとんど無限に続くというのだ。
自由であることの意味は、多角的造形を展開することでもある。
自己のスタイルとか限定されたテーマとかでは、複雑な世界は描き得ないのだ。
見える形から型の奥にあるもの。
更に空間の中で生の要求に即応されなければならない。
表現は自由なのだ。
具象も抽象も芸術家をコウソクしない』
一瞬のうちに疾走してゆく対象の真実を、自らも疾走する眼と手をもつことによって、抽象・具象に拘束されず自由に表現し続けた絵描き。
見える形から型の奥にあるものを凝視して捉え、展開した造形さえも、次の瞬間には疾走してしまうと感じる。
無限の対象を追い続けた『永遠のチェイサー(狩人)』
平野遼の遺作展を見ることは、画家の魂に出会うことであると同時に、複雑な世界の真実を突きつけられることでもあるのだ。
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最終更新日 2014.02.10 06:36:45
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