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日本人と朝鮮人のBC級戦犯の話です。 軍国少年だった飯田進さんは希望を胸に軍に入隊。 「日本が欧米からアジア諸国を解放する」その気持ちに嘘はなく純粋なものでした。 彼はニューギニアに送られ戦闘に参加。現地人のゲリラを殺した罪で後にBC級戦犯となります。 日本兵によって女性と子どもを虐殺する事件も発生。 「自分の目的はアジアの解放のためなのに、これでは全く逆だ」飯田さんの心に疑問が生まれます。アジアを解放するなんておごりだったし、彼らに対して偏見や差別の気持ちがあった、と語っています。 朝鮮は日本によって植民地化されていました。日本兵の犠牲者が増えるにつれ兵士が不足、朝鮮でも徴兵が始まります。徴兵されるのは時間の問題と感じたイ・ハンネさんは自ら希望して捕虜収容所の配属となります。 そこでは鉄道の建設を捕虜たちにさせていましたが、環境は劣悪で多くの捕虜が命を落としています。骨と皮だけになった欧米人捕虜の映像もありました。しかし、建設を急ぐ上層部の命令により、イさんは病気の捕虜でも現場に送り込むしかありませんでした。この行為によってイさんも日本兵のBC級戦犯になるのです。 戦後、死刑の求刑も受けた飯田さんとイさんは、重労働20年の刑となり巣鴨プリズン(拘置所)で出会います。そして自衛隊の前身である「警察予備隊」が結成され、その幹部の多くが旧軍隊の中枢にいた人物であることを知ります。「命令を下した者がのうのうと生きて、従わざるをえなかった者が罪を背負う。おかしいじゃないか」戦犯たちの間に疑問が膨らんでいきます。 自らの罪も冷静に見つめた二人の言葉がとても印象に残りました。 飯田さん「戦闘で死んだ仲間もいた。でも餓死した人の方がはるかに多かった。ほとんどの人が野たれ死んでいった。個人的に彼らの死が無駄死にだったとは思いたくない。思いたくないけど、今の日本の繁栄があの死のおかげとは、どうしても思えない。撤退を転進と言い換え、敗戦を終戦と言う。なぜ敗戦と言わないのか。ごまかしばかり。日本人は事実を認識すべきだ」 イさん「飯田さんたちは罪に問われても"日本のため、天皇のためにやったんだ"という心のより所があるからまだいい。私たちには何もない。一体何のためにやったのか。日本人として戦犯になったのに、日本国籍を失って日本人じゃなくなったから補償もされない。私の国が補償を放棄したというけど、それはないでしょう」 二人の言葉には全く同意です。 今でも、「私たちが平和に暮らせるのは戦争で戦ってくれた人のおかげ」という言葉を聞きますが、違和感を覚えます。あの戦争によって何を得たのか分からない。国が国民に無謀な戦争をさせて多大な命を失わせただけだと思う。国の責任から目をそらすためには好都合な考え方です。 イさんに対しても矛盾を感じます。同じ日本人として戦わせたはずなのに簡単に切り捨ててしまう。日本人としての情けや誇りのカケラも感じません。 巣鴨プリズンで出会って以来、二人は平和への共通の思いを持っていて、今も良き友人です。穏やかに話すその表情がちょっとだけ救いでした。
2008年08月19日
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当初フィリピンはアメリカの統治下にありましたが、日本軍によって追われます。その時、必ず戻ってくると誓ったのがあのマッカーサー。日本軍はフィリピン人に日本語の使用や天皇崇拝を強制し自由を奪います。それが日本への反発を芽生えさせ、後に大きな悲劇を生むことになるのです。 やがてアメリカは首都マニラに進軍。日本軍と壮絶な市街戦を繰り広げます。建物が妨げとなり米軍も苦戦し、多くの犠牲者が出ます。一日も早く制圧するように、というマッカーサーの命により砲撃戦を開始。とてつもない数の砲弾を市街に打ち込み、米軍を味方だと思ってるマニラ市民までもが数多く殺されました。 一方で米軍はマニラ市民に銃を与えゲリラ隊を組織。ゲリラは一般市民の中に紛れ込んでいて区別がつかないため、日本軍の恐怖は増幅。人を見たら誰かれとなく撃ち殺すようになっていきます。さらにフィリピン人を密告者として働かせ、数百人の反日人物を処刑したのです。 日本の戦局がいよいよ苦しくなると最後の攻撃として「斬り込み」が行われました。暗闇の中、寝ている米兵に向かって軍刀一本で立ち向かうそうです。皆バンザイを叫びながら突っ込み、結局は機関銃でやられ遺体の山となりました。でも米兵にとっては恐怖でナイフを胸に置きながら眠る日々でした。 米軍勝利後はフィリピン人同士の争いが始まります。家族を失った人たちが日本軍に協力した密告者たちを捕らえていき虐待のすえ処刑。双方の心に消えない傷を残しました。 1ヶ月の攻防で日本軍16,555人、米軍1,010人、マニラ市民10万人が戦死。ビューティフルタウンと呼ばれた美しい街は廃墟となりました。 フィリピン人、元米兵、元日本兵の多くの証言を聞けましたが、各人に共通するのは目に涙をためて必死に堪えている様子でした。その表情には勝者も敗者もなくて耐え難い苦しみがあるだけでした。 家族を失ったフィリピン人女性「日本だけが悪いとは思わない。でも結果として多くの人が家族を亡くし全てを失ってしまった」 米兵「なぜあんなことになったのか分からない。自分はどうしてあの場に行ったのか。それは、そこに行けと命令する人がいたからだ。命を下す人が前線に立てばよい。そうすればどうなる?戦争なんてなくなるさ」 このマニラの悲劇をどれだけの日本人が知ってるんだろう。今でも日本の戦争責任を訴えるアジアの国は中国と韓国。他の国は過去を水に流して友好的と勝手に思いがちだけど、そんなことは全くないのがよく分かります。国民性の違いなのか声高に訴えることはないけど、泣き顔からは秘めた思いが伝わってきました。ガレキと共に横たわる裸の赤ん坊や母親たちの無残な姿は本当に悲しかったです。
2008年08月16日
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作家の高村薫さんがあるコラムで、戦後63年の今の日本を危惧していた。時の流れは仕方ないとして、今の日本人は不景気と物価高騰の影響で63年も前の戦争に思いをはせる余裕がない、これでは戦争の記憶は遠くなるばかり。戦争体験がないのは幸せだが、その恐ろしさを知らない人が増えている。確かこんな内容だった。 本当にその通り。生きるのに必死なだけの毎日になると過去の戦争も異国の紛争も、遠い世界のお話に聞こえてしまう。自分のこと以外には無関心になると、気付かぬうちに不穏な靴音がすぐそこまで来てるかもしれない。今年もTVでは様々な戦争特集が組まれ、映画「靖国YASUKUNI」も公開中。特に印象に残ったものを数回に分けて書きたいと思います。 「解かれた封印~米軍カメラマンがみたNAGASAKI~」 米軍カメラマン、ジョー・オダネルは原爆の破壊力を記録するため長崎に入ります。目にしたのは想像を絶する光景でした。「ここで人間の営みがあったとは思えない」と語っています。 ある救護所では、目も鼻もつぶれて肉の塊のような顔になった人から「アメリカ人なら自分を殺してくれ!」と言われます。ないと思った目からは涙が流れていました。彼はどうすることも出来ずに逃げ出しました。「この人たち、子ども達が一体何をしたのだろう?」真珠湾攻撃で死んだ友人の敵をとるため入隊した彼の意識が変わっていきます。 被爆地を歩くと親を失った子ども達が数多くいました。軍の規律に反して彼は自分のカメラで密かに30枚の写真を残しています。その一枚が下の少年。息絶えた弟を背負い焼かれる順番を待っています。焼き終えるまで少年は微動だにしませんが、ずっと唇をかみ締めていたので血がにじんでいたそうです。少年はオダネルにとって忘れられない存在になりました。 帰国後、彼は悪夢にうなされるようになり、記憶と共にネガもトランクの中に封印。その後、彼の体にも残留放射線の影響が出始めガンを宣告され、米国に救済を訴えますが却下。何の危険性も知らされずに長崎に送り込まれた不信感が残ることになります。 封印から43年。彼はトランクを開けて写真を全米に公開。母国の過ちを告発しますが、分かってくれる人はおらず非難の嵐を浴びます。彼の行動を理解できない妻とも別れ幸せだった家庭は崩壊。それでも彼は訴えることを止めようとはしなかった。「自分はあの光景を見たんだ。死の灰の上を歩いたんだ」彼の言葉に彼の思いが凝縮されている気がします。 番組HP http://www.nhk.or.jp/special/onair/080807.html
2008年08月16日
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