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急遽夫の実家の墓参りに行き 石巻経由で帰ってきました。。三陸自動車道・石巻方面は渋滞がひどいとのことで、下道&裏道を通って。壊滅した沿岸部の被害は甚大の一言ですが、内陸部もやはり道路が所々陥没したり壊れたり。震度6の威力は凄く場所によっては倒壊している家、屋根瓦が落ちている家などが多数。。そして気が付いたのは、例年であれば田植えの時期なのに 全く植えられていない状態であること。種まきの時期はライフラインも復旧したばかり、震災の後片付けに追われ それどころではなかったということですね。。実家と親戚の墓参りを済ませ、三陸自動車道の登米インター ⇒ 河北インターで降り、北上川=追波川(「おっぱがわ」と読みます)沿いに雄勝・女川・石巻へ。河北インターそばの道の駅「上品の郷(じょうぼんのさと)」近く、追波川河川運動公園は自衛隊のキャンプ地となっていました。石巻市河北町から東の太平洋に流れる北上川(追波川)の堤防が県道になっています。そこから見ると津波の残骸の倒木や家の一部、潰れた車や電化製品、船がまだまだ残っていて。。堤防も一部舗装が剥がれ砂利道。ここの河川敷の両側は葦の原っぱが広がり、秋から冬にかけて黄金色のそれは美しい風景となる場所なんです。。ここで刈られた葦が 今では貴重な茅葺屋根の材料になると聞いていましたね。。葦が風にそよぐ音は「宮城の音100選」(こういう名称だったと思う)になっています。たまたま2日は暴風警報が出て、おまけに前夜の雨で川が増水しさざなみが立ち、まるで海(恐)河口に向かって進むにつれて津波の爪跡が大きくなり、ついに堤防が崩れているため、堤防の内側の下・ただ鉄板が敷いてある所を走る状態に夫が運転し私は助手席。。。私から見ると、すぐ間際が茶色く濁った川の水がガンガン流れているんですよ。。。鉄板が進むにつてれ川の水でぬれているし!車の側面に水が 「ザッブーン!!」 怖いなんでものじゃありません「やだーー、そっち(右)へ行ってーー」まるで引きずり込まれるような感覚。。この道の先には、全校生徒108人のうち74人が津波の犠牲になった 石巻市立大川小学校があります。川が増水している側を通るだけでこんなに怖いのに、津波に襲われた子供たちはどんなに怖かったことか・・・・・そんなことを思うと涙が出て止まりません。。大川小学校から川上にあたる国道398号線と 新北上大橋のたもとの三角地帯を目指す途中で先頭から津波にのまれ、最後尾の先生と生徒がほんの数名助かっただけ。なぜ裏山に避難しなかったのか学校側が責められていますが、難しい判断だったことは間違いないと思いました。。リアス式海岸の地形では、平地があまり無くてすぐに急勾配の山が後ろにあるというところが多い。学校の裏山も上るための道が無く、低学年の生徒が急いで無事に上に登れるかと言われたら???せめて犠牲となった皆さんのご冥福と、先生方が生徒たちを一人残らず天国に引率してくれるのを祈るばかりでした。。。目指していた新北上大橋は残っていましたが、対岸の岸に近い部分は崩落していましたね。そして398号線のところでその先通行禁止。大川小学校からさらに海側へ行った長面(ながつら)地区に、夫の前の会社の同僚が住んでいるのですが。。海の直ぐ側ですから もちろん家が残っているわけ無いでしょう。。家族を含め無事でいてくれれば・・・堤防の反対側の富士沼方面の家も、残っている家は一階部分が柱を残して吹き抜け。。言葉も無く涙が溢れるばかり。。新北上大橋のたもとから右折し、398号線の上から見ると 津波がこんなに内陸まで入り込んだというのが良く分かる。やりきれない思いで峠の釜谷トンネルを抜けて雄勝町に。下り坂の先には さらに恐ろしい風景が広がっていました。。。
2011.05.03
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今日から5月。 震災からまもなく2ヶ月になるんだな・・・本日は夫が仕事なので、朝から片付け&掃除しています。あの日以来、重いもの、壊れたら困るものは全部床に置いている状態。本棚の上なんか空ですからね、役目を果たしていないってやっと落ち着いてきたというか・・・・・しかし。。あの日、私と夫が偶然仕事が休みで自宅にいたところに地震が発生したわけですが。あまりに強烈な出来事で、一時的に記憶が定かなかったみたい。先日まであの日どんな様子だったのか連続で思い出せないというか、断片的にしか浮かばないというか。。確か・・・リビングでまったりしていた時、突然テレビと携帯から 『緊急地震速報』 の警告音が鳴って「大変だーー!」 と夫は本棚を、私はキッチンの食器棚を押さえに走ったのですが。。すぐに強く揺れ始め 「これ、かなり強いかもよ」 と言った瞬間、ガタガタ・ガチャガチャ(食器がぶつかり飛び出して割れる音)という音と、何とも表現できない凄まじい轟音とともに『これが地震』 とマジで思ったMAXの揺れがやってきました。。冗談抜きで立っているのがやっと。この強烈な揺れが全然終わらないんですよ。。「もう止めてーーーッ」 と叫びたくなりました一旦収まりかけたけど、またMAXに戻ったと思った・・・三陸沖だか宮城県沖が最初で、そこからつられて福島だか茨城沖でも地震発生したんですよね?必死で立ってる状態を維持するのに精一杯、そこにありとあらゆる物が降ってきました。今思うとよく怪我しなかったなと。上には普段使わない伊万里焼やら九谷焼やらの大きくて高価なお皿や、パイレックスのグラタン皿などを収納してたのが、バンバン落ちて目の前で割れるのを見てましたからあれが頭を直撃していたら。。いや~、とにかく悪夢のような揺れは長かった。。。揺れが収まって 私も夫も 「今のは何だったの? あれを地震というのか?」 と呆然。。部屋の中、周りは全てグチャグチャ、メチャメチャ。冷蔵庫が動き、電子レンジ、炊飯ジャーなど家電が全て落下食器棚は私が押さえられなかったので倒れました。。本当にどうやったらこんなに散らかるんだって感じ。 正に足の踏み場も無かった。。。「あ~あ・・・やられたよ~・・・」で、とりあえずベランダに出て外の様子を見たりして。きゃー。。 エアコンの室外機(かなり重いぞ)が30センチほど前進し、プランターはひっくり返って土がこぼれ、小さい台車と車のジャッキ(これも重い)がコンテナボックスをボコボコにしてました。。鳥がバタバタ飛んでいくけど、とりあえずあまり変わらないように見えたのですが。。。これがやがてとんでもないことが起こる一歩手前だったのでした。。続く・・・
2011.05.01
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