PR
Keyword Search
Calendar
Comments
Freepage List

延原時行歌集「命輝く」
(第699回)
「復活の家出発進行-感謝無限の旅一歩一歩」(154-10)
友の激賞嬉しの歌、被爆思ふ時の歌、元気溌剌の歌、摂理の歌、学術マラソンの歌、驚けりの歌、入賞の歌、自己超ゆる時の歌、麗しき時の歌、エコ懺悔の歌、自己超ゆる時の歌、麗しき時の歌、エコ懺悔の歌、昨夜の歌、生涯誓願の歌、妹背会話の歌、書贈るの歌、書簡復刻の歌、新文明の歌、宇宙観の歌、新言の歌、絶対矛盾自己同一の歌、今日の歌、慰霊の心の歌、を巡りて、の記。
(2013年8月9~16日)
8月15日
絶対矛盾自己同一の歌六首
西田氏が絶対矛盾言ひし時実在両端述べしなりけり
ただそれら自己同一に結びしよこれ不思議なるMとしか言へず
(備考:M=Mediationなり)
西田言ふM滝沢の不可分よされど神のぞ属性非ず
滝沢は神と言ふ時バルト言ふ神性(die inner-trinitarische Gottheit)をぞや意味せるが如
神性と人と不可分言ふことは究極者また間なりとぞ
(備考:重要なる知見は、究極者は究極者であるとともに究極者と非究極者の「あいだ」でもあるということなり。この「あいだ」西田言ふMなり。滝沢の「インマヌエルの原事実」にこの「あいだ」秘められたりとは我が所論なり。「あいだ」は空なり。空空自らを空ずる故に、神人一体の「一体」となりて現るるなり。それ故、「インマヌエルの原事実」は原事実であるとともに原生成なり。原事実だけ見るならば、固定さるるなり。原事実の奥は間としての原生成なり。かりにもし原事実には奥なしと言はば、原事実は単純に原事実にして「原生成」のダイナミズム失うなり)
間なる究極者是神性の自己滅却の姿なりけり

延原さんの歌には、だれにでもすぐにひびく、日々の生活の歌とともに、今回のような、哲学的省察の、講義用にも適するような歌もあって、毎日、まことに独創的な表現につつまれています。
延原さんの場合は、若き日よりマルティン・ルターやカール・バルトといった本格的な神学の研鑽と共に、1970年代の半ばより、滝沢哲学/神学との出会いを契機に、いっそう哲学的省察に磨きがかかっていきます。
そして米国クレアモントを拠点にして、1980年代には、AAR(アメリカ宗教学会)に「プロセス思想と西田学派宗教哲学」という部会を新しく創設しながら、東西思想の対話交流に務め、「延原神哲学」ともいわれる「至誠心の神学」という延原さん独自の神学・哲学思想を確立して、世界の宗教・哲学界でいま注目を集めているのです。
こうして、深い哲学的省察を歌において詠われていく妙は、誠にお見事、昨日も面白い、嬉しい歌が、いくつも届いています。
くわえていつも、延原さんからは、わざわざお電話で直接、出来立てのうたの詳しい、わかりやすい、アドリブつきの解説もいただいております。
さて、今日の写真ですが、冒頭のものは、昨日の日没の景色です。本日の快晴を予感させる美しいものでした。
そして、上は「須磨離宮公園」です。見晴らしのよいレストランで昼食をいただいて、ぶらりぶらり・・・・。神戸空港にむかう飛行機も・・・・。公園には、年中野鳥もたくさんいます。・・・








