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延原時行歌集「命輝く」
(第750回)
「復活の家出発進行ー感謝無限の旅一歩一歩」(162-3)
原初の傾斜即風の歌、新著『宇宙時代の良寛・再説-「無→者」のためのホワイトヘッド風神学と共に』完成の歌、昨日書店にての歌、昨日の歌、道の歌、朗々の歌、しばた良寛講演「宇宙時代の良寛・再説-風の歌省察」にての歌、立つ場所の歌、妹背会話の歌、建学の精神稿の歌、二階の歌、しみじみの歌、この秋ほどほどの歌、いぶし銀本の歌など、夕餉の歌、三友便りの歌
(2013年10月9-18日)
10月12日
道の歌二首
建学の精神出ずる一歩前復活の主に弟子見(まみ)へたり
(備考:建学の精神元々Oxford, Leuven等欧州諸大学形成の源なり。それ今日にては日本のキリスト教諸大学にも伝はれり。St. Andrew's University(桃山学院大学)その顕著なる一例なり。その建学の精神「自由と愛の精神」謳うなり。「桃山学院の学院章には、"SEQUIMINI ME" (我に従え)という言葉が刻まれています。それはアンデレがイエスに従ったように、「自由と愛の精神」をもって生きることです。使徒パウロが書いています。「あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。」(ガラテヤの信徒への手紙5章13節) 自由には他者への愛と責任がともないます。「自由」とはひとりひとりの人格と主体性を尊重すること、「愛」とは互いに仕えあいながら他者と共に生きることです。この「自由と愛の精神」は、たんにキリスト教と立場でけでなく、すべての人間が一致しうる普遍的な理念であり、人類共通の目的です。/ 人間のそのような可能性を開花させながら、理想をめざしてチャレンジしつづけていくこと、それが桃山学院の一世紀を超える伝統がめざそうとする「キリスト教精神」であり、「世界市民」への道なのです。」このような読みかえも可能なるも、原本的には、先のテキストに言う「自由」とは「罪よりの解放=Reーmissio Peccatorum(罪人達の赦し即再派遣)なりき。「愛」とは「我が羊を養へ」(ヨハネ福音書21・15-17)という主の招きに従うことなりき)
汝(なれ)我をこれら物より愛するや問ひ給ふ主に従うぞ道
(備考:共同訳「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」(ヨハネ21・15、聖書協会訳も同様)は世紀の誤訳なり。復活のイエスの問ひしは、「船や網一切の漁師の仕事に関わる物、ひいては宇宙全体を指して、これらの物より我を愛するか」という根本的設問なりき。それをヒューマニズムの愛の競争主義に貶めるべからず。宇宙より復活者を愛することは、復活者から宇宙人生全体を「受け取り直す」(キエルケゴール)ことを意味するなり。これーーキエルケゴールの言ふ「反復」ーー「キリスト教主義」の原意なり。この原意「焚くほどは風のもて来る落ち葉かな」なる、良寛の一句に通底する事、知る人知るなり。宇宙人生すべからく「風のもて来る」賜物なれば。この恩寵観を逸するならば、仮令愛を語っても地上的競争主義を脱し得ず、宇宙人生の第一歩で過(あやま)つなり。ああ誤訳恐ろし)
朗々の歌一首
朗々は完璧なりし今日の妻何が動きてかくきびきびす

昨日は、大事な仕事をやり終えてから、近くの飯屋さんでの親しい人たちとの「忘年会」で、なごみのときを過ごしました。わたしには、おさしみと地酒が、いちばんの御馳走で・・・。 おにぎりが、最後にでてきて、これも「ごちそうさん」でした。
仕事柄、かつてこの年末の時期は、「忘年会」もつづきましたが、このところ静かな年の瀬で、仕事ははかどります。あとは「クリスマス」ですね。
ところで、須磨離宮公園の洋ラン展の写真は、おもいのほか沢山撮っていたようで、今回でも終わらず、ようやく明日で最終回になります。「美しいもの」はいいですね。
どうぞ、きょうも、良い一日を!!









