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泳いだアト、
露天スパに入っていたら、
60才くらいの男性と、世間話が始まり、
いつの間にか、葬儀の話になる、そして 、 うちの父母が、
死後、40日間自分に現れた話とかも出てきたが、
不思議と、全然違和感なく話せてしまった、そして、 先祖を供養した話になったとき、
彼は最後にこう言って、 スパを出ていった、「今度、 円海山 に行ってみて下さい、
わんさかいますよ、」
何がいるかと言えば、要はあれだろう、早速チェックしてみた、
→ Wikipedia:円海山

お寺がある、
あと、近くに霊園墓地とか、
南部斎場 (うちの父母がお世話になった) がある、それなりにそれなりだ、
マッ、それはいいのだが、
60才の男性の話を伺って、
改めて、先祖供養の大切さを思わされた、
供養 とは、
死者の 冥福 を祈ることであり、
冥福 とは、
死者が行く先である冥界での幸福を冥福と言う、
自分の場合、
昨年9/11に父母の納骨と先祖供養をした、その結果、 雲に乗った武士達 が現れ、

見事に、先祖は浮かばれた、
(と思っている、)
供養すれば(冥福を祈れば)、
浮かばれていない者たち、先祖は、
救われる可能性がある、
先ほど、ヨメさんにこのことを話したら、
「真の供養ができるのはキリストだけよ、」
とピシャリ、
オレもソー思う、
問題は、先祖供養の発想が、
当のキリスト教会にさえも薄いこと、死んだら、もう、おしまい的な感覚、
久保有政氏によれば、
その昔、 景教徒は、
先祖のためのとりなしを欠かさなかったとか、それはさておき、
円海山にもお寺はあるけど、
浮かばれないものがいると言うのは、 マッ、ソー言うことなんだろう、今度、試しに、円海山に行って、
冥福を祈ってみるか、
(追記)*またまた、ヨメさんからクレームがつく、
何処何処に行って祈ると言うのはナンセンス、
今はもう天と地がつながっているのだからどこでもいいのだと、
ということで、ここから円海山に向かって祈ることにした、
更新日時 2012年3月3日 1時22分27秒
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