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今朝のA新聞の一面にあったコラム、
寺で育った義母は、孫が病でふせっていると、
背中やおなかをさすりながらこの仏教語をひたすら唱えた。
六根とは目や耳や舌など、世界を感受する六つの器官、言ってみればいのちの座。
病はこの失調からくる。
それらが清らかに整うことを願ってこの語をくり返すのだった。
元来は寒参りや登山のときに唱えるらしいが、
私には人のいのちを深く愛(いと)おしむことばに聞こえる。
(Wikiから)
六根とは、眼根(視覚)・耳根(聴覚)・鼻根(嗅覚)・舌根(味覚)・身根(触覚)・意根(意識)のことである。
六根は人間の認識の根幹である。それが我欲などの執着にまみれていては、正しい道(八正道)を往くことはかなわない。
そのため執着を断ち、心を清らかな状態にすることを言う。
そのため不浄なものを見ない、聞かない、嗅がない、味わわない、触れない、感じないために俗世との接触を絶つことが行なわれた(山ごもりなど)。
実は、昨夜、 祈りは粒子である をUpして、
イロイロ祈りを詮索して行くうちに、究極的な祈りに行き着く、”御国が来ますように”、
主の祈り の冒頭フレーズだ、
御国とは、神が支配する国、
そもそも、世の中、万物の根源は、
即ち、イエス様の支配が行き届いているエリア・状況、
元々、聖い粒子(神の業)で、秩序があった、しかし、サタンが出てきて、汚い粒子が蔓延、
(CERNなんかもその一翼をになっているよね、)
これで、人間関係・自然環境、
他、政治・経済・健康・教育なども堕落、が、2000年前、キリストの出現で、
これが逆転を始める、サタンの支配は相変わらず続いている、
しかし、その支配領域は狭められる一方、
それ故、昨夜、寝床で、
傷ついた箇所(人間関係、病気、)に、
イエス様自身が来てくれるよう求めて、これが、結構、パワフルに感じたのは、
決して、感情的なものではなく、
的を得ているからだと思った、で、その後、癒しの祈りでも、とりなしの祈りでも、
このフレーズに一元特化する、-->”キリストが来てくださいますように”、これで必要充分かと、
六根は人間の認識の根幹。それが我欲などの執着にまみれていては、正しい道(八正道)を往くことはかなわない。
ポイントをついていて、感心したのだけど、
如何せん、人の努力の世界、
おまじないと修行、
見ない・聞かない・嗅がない・触れない・感じないで、
対処しようとするところに、限界が見て取れる、これこそ、”キリストの粒子”的対応で、
六根に、聖い粒子(御国の支配)を求めればいい、キリストは万物の本来あるべき根幹粒子なのである、
健康であれ、人間関係であれ、 秩序が回復するなら、
自ずと、本来のあるべき姿に戻るのではないだろうか、
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