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今朝未明、示唆が来た、
主の祈りの成句、
「御国が来ますように」 、神の支配がなりますように、
との意でもあるが、今朝は、誤解に気づかされた、
これまで、この成句を祈るとき、唱えるとき、
*XXさんに「御国が来ますように」とか、
自分の祈りそのものが、
御国を来たらせるような思いがあった、すると、力が入る、
気づかない内に力みが出る、ソーして、疲れて、
そのうち、止めてしまう、(のが常、)今朝方の示唆、
「御国」は、実は、
それ自体がいのちを有する、
それ自体が自治権を有する、自分の祈り自体は構わない、
しかし、その祈りは、何ももたらさない、
*いや、もたらすが、
祈りそのものは何ももたらさないの意、主権は御国、神の国にある、
自分の祈り「御国が来ますように」は、
選択肢を出すだけのこと、
一介の請願書に過ぎない、
架け橋を架ける、とでも言ったらいいか、御国は来るかもしれない、
来ないかもしれない、しかし、とにかく 、架け橋を架ける、
そして、自分は待ちの姿勢となる、
追記)
これをUpして、思い出した、聖書に、多くの”待つこと”、
”待て”、”待ち望め”があったこと、しかも、たいてい、
神様からの諌めであることが多い、昔から、 いかに人が性急であり、
主従が逆転していたかの証拠、ことを成すのは神様であり、
いわんや、そのタイミングを操作しようとするなど、
僭越の極み、冒涜もはなはだしい、
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