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体の周囲のこと、
(それは人だったり、ものだったり、)
それらに対応すべく、五感はある、見たり聞いたり話したり、
呼吸したり、味わったり、とりわけ、目や口、耳は、
この世のものとの対峙のツールである、いずれも、心にあることの、
この世への表現のためにある、それらは目の前の人について有効なわけだが、
では、離れた人にはドーなのか、そもそも、目や口、耳は、
心の思い(指令)によって、動作する、目、耳を通し、情報を心に入れる、
心に秘めたものを口を通し表現する、が、その心には実は壁がない、(無限!?)
ところで、旧約の時代(今もいると思うが)、
Seerと言う見る賜物を持った人がいた、
https://www.slideshare.net/acyulo/prophets-and-prophesying
日本語聖書では、先見者と訳されるが、
預言者よりは格下ながら、
遠くのもの、近未来を見る賜物が与えられている、*ガドは有名、
それは、神の御旨を表すと言うより、
(御旨のケースもあるが、)
単純に、ただ見通すのである、その場合、見るのは心、
心を通し、時間の壁・距離の壁を越え、見通す、
(ある時は、コミュニケーションがあったかも、)
と言う事で、
賜物の類なので、自分の意志で、自由に、
遠くを見たり、行けたりはできないかもしれない、しかし、ここで大事なのは、
心のポジション・役目で、
(自分が考えるよりも)もっと深い可能性がある、(自分の)コミュニケーション活動は、
(異次元の世界の)この心をベースになされている、たまたま、目耳口があるので、
それで済ましてしまう癖、
即ち、目の前のことだけにしか、
心を使わない癖が付いているのかもしれない、ソーなると、コミュニケーション(心の働く対象)は、
目の前にいる人、事象のみとなり、
これは、しごく、もったいない話だ、
しばらく、実験ではないが、
心で遠くへ行く(見る)練習をしてみようと思っている、丁度、異次元の話題が随分出てきたので、
タイミング的にもいいかもしれない、ソー言えば、
ルカ17:21『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」
心が実は神の国へのポータルだったらーー、
これまでの 心のイメージ、

これから、

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