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地元タウン誌のコラムが目に付く、
あれは夢だったのか 文 ・ 志賀 泉(福島県南相馬市出身小説家)2018.04.19
先日、詩人の男女二人を福島県の被災地に案内した。噂が広まると嫌なので浪江町の某所としておく。浪江町は沿岸部が津波で壊滅的な被害を受けている。おまけに原発事故で人命救助が打ち切られ、助かる命も助けられなかった土地だ。
さて、詩人二人と某所をめぐり駐車場に戻ったところ、車のボディにべったりと泥の手形がついていた。大きさからすると子供の手だ。子供がいる場所ではないし、仮に子供の悪戯だとしても泥が乾いている。そんな時間はなかったのだ。詩人の女性は自称霊感の強い人で、「女の子の悪戯だと思う。大丈夫、悪い霊じゃない」と性別まで断定した。
僕は不思議なことをよく体験する方だが、こんなふうにあからさまな(ある意味でベタな)現象を目の当たりにしたのは初めてだ。しかし詩人の二人が冷静にしているので、僕も重く受け止めずに車の運転を続けた。
翌日、いわき市の白水阿弥陀堂に向かっていた時のこと。
*白水阿弥陀堂は、平安時代末期の1160年(永暦元年)に、岩城則道(岩城氏の祖)の妻・徳姫(藤原清衡の娘)によって建立された。徳姫は、夫・則道の菩提を弔うために寺を建てて「願成寺」と名付け、その一角に阿弥陀堂を建立した。発掘調査によって、国宝阿弥陀堂が大きな池の中に設けられた中島に建てられ、浄土庭園の典型的な構成を示していることが判明した。(Wiki)
ラジオはクラシック音楽を流していた。後部座席で二人は吉原に売られた猫の話(古典落語?)をして笑っていた。
すると僕の耳に「クチュクチュ(笑い声)ニャアニャア」と声が聞こえてきたのだ。小さな女の子がふざけて猫の鳴き真似をしている声だ。しかも二回。後ろの二人は話に夢中で声に気づいていない。
とにかく白水阿弥陀堂に着くと僕は「成仏して下さい」と阿弥陀如来に祈った。浄土庭園の美しい寺だ。心がすっと晴れていく心地がした。
レンタカー営業所に車を返した時は(言い忘れたがレンタカーなのだ)、泥の手形はきれいに消えていた。拭った跡もなかった。あの出来事を振り返ると夢でも見ていたように思えてくる。
僕が霊現象に懐疑的なのは、物理的存在でない霊魂がなぜ物理的痕跡を残せるのか、という点にあるのだが
、もし霊魂が存在するのなら、それは人の心理に作用するものなのだろう。そういう意味では、あれはある種の夢だったのかもしれない。
311の霊的体験を書いているのだが、
こちらのフレーズ、
「物理的存在でない霊魂がなぜ物理的痕跡を残せるのか、」
*記者の疑問は、おそらく、古典物理の世界観である
「見えるもの(原子)がこの世を形成」から来ていると思われる、
<---ここは大事、
*最後は夢で片付けようとしているのはチト悲しいけど、
これに昨夜のこのフレーズが重なる、
「Wifiほど優れたステルスウェッポンはないと、
一切、証拠が残らないからでーー、」
共に触れることが出来ないし、はっきり見えない、
しかし、明らかに痕跡は残る、
*Wifi(Internetも)は元々、CERNからの派生物であり、
(あまりよろしくない方の)霊的側面を強く持つ、
( 昨日の今日なのでよくまとまらないのだけど、)
普段、目に見える生活に慣れていると
、
本質(優先順位)を失いかけているのでは、と言う気がした、
聖句も言っているのだが、
へブル11:3 信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、 従って見えるものは、目に見えているものからできたのではない
ことが分かるのです。(共同訳)
11:3 信仰によってわれらは世界が神のことばで造られ、 見えるものができたのは現実にあるものからではない
ことを悟るのです。(
前田訳
)
自分も実はいまだによくわからないままで
大変恐縮
、
が、本当は、聖句の通り、
見えないものの方が圧倒的優位で、
自分が見て感じているのはその作られたものの一部、
且つ、かなり低優位な可能性が高い、
おそらくソーだろう、
だから、主題の記者の疑問の答えは、
おそらく、コーなると思われ、
物理的存在を優越する霊魂故、
物理的痕跡を残せる、
自分の中では、
パラダイムシフトの胎動が聞こえつつある、
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