三姉妹の行方

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うーふ.

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2011.05.25
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原発事故からおよそ1カ月
長女の小学校の入学式を終え、
安全なのかどうか、何だか全てが曖昧で不安が残るまま
新学期がスタートした。

ここは原発からおよそ60km。
原発事故後数日して、毎日テロップに流れる放射線量の数値。
どこの市が高いとか低いとかそれくらいのことしか思わなかった。

「じゃ、いくつだと安全なの?」

そうは思っても、
原発が爆発する前の福島はもとより

爆発したことで数値的にどれくらいの影響があったのかなんて
この時は考えるに至らなかった。

私が住むこの市のデータによると、観測を開始したのは3月17日で
その日はなんと10.10μSv/h。
さかのぼると恐ろしい数字が出てきそうだ。

爆発当日でさえ、何も知らずに出掛けていた人もいるだろう。
ちなみに私はガソリンパニックの真っただ中にいて
3月16日は、4~5時間行列の中にいた。

最近になって分かったのだけど、
友人から借りたガイガーカウンターで計測してみたところ
屋外と車内の放射線の数値はあまり大きな変化はない、

私はどうやら、その恐ろしい数字を被曝しているようだ。

知らなかった方が良かったような
知って良かったような・・。


話は少し戻って、
入学式を終えても、福島の子供達は外で遊んでいいのかどうか

とはいえ、室内でしか過ごせない事を不憫に思った夫の判断で
3月中でありながら「ちょっとくらいなら」と
うちの子供達は1日に数回、マスクをして外で遊ぶこともあった。
確か庭の土で砂遊びもしていたように思う。
私は絶対に嫌だったんだけど、
4月になっても私の顔色をうかがっては遊ばせる、そんな感じだった。

でもそうしないと、本当に子供達が気の毒なのだ。
友達にも会えないし、ずっと外にも出られない異常な日々。

地域の住民のほとんどが子供達のストレスと向き合うことに疲れていたし、
日々少しずつ下がっていく放射線量に加え、
某大学教授が講演やラジオで盛んに『安全』を説いたこともあり、
事故後1カ月ほど経過した頃は、不安がどんどん
希望に変わる気配を見せた、そんな時期だったように思う。

そしてその後、授業参観後のPTA総会で
『3.8μSv/h以下なら屋外活動可能』
と国が発表した、と学校から言い渡された。

文科省が県に提言したとされる
4月10日のこの地域の放射線量は1.3μSv/hで
3.8μSv/hをはるかに下回っていたので、
それは『もの凄く低い=かなり安全』という印象さえ受けた。

この年間許容量20mSvと、学校側がやたらしつこく連呼する
3.8μSv/hにどんな意味があるのか、この時の私は分からなかった。
ただ、他の父兄と同じように不安から解放された気がしたのを覚えている。

放射性物質が降り注いでも、チェルノブイリほどの危険は無い。
だから、原発から30km以上離れていて
空間線量が3.8μSv/hどころか、
それをはるかに下回るこの地域の子供達から将来
甲状腺癌や、白血病や、その他の放射線障害を発症する確率は
ほとんど無いに等しい、そう解釈した。

何といっても
国の発表なんだから説得力がある。

それ以来、学校から帰った後は
震災前と同じように外で自転車を乗り回したり、
ボール遊びをしたり・・
どの子供達も、まるで何かを取り返すかのように
外で思いっきり遊んでいた。

3月中は、絶望感でいっぱいだったけど
この時、線量が1.5~1.7μSV/hほどあったのにも関わらず
平和が戻ったなぁ・・なんて思ったりもした。


ある日、昨年登録してずっと放置してきたツイッターを
なんとなくもう一度始めてみようと思った。

そこには、たくさんの情報が飛び交い
それらは私を震え上がらせた。





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Last updated  2011.05.27 23:07:34
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