今に至る
ドタキャンの患者さんの代わりに
他の患者さんをじっくり見れる
シンクロ
そんな感じで自分の器の中で生きている
たぶん、この数日の妙な感覚は
自分は、その患者(上記)さんのことで
頭がいっぱいだったことが
きっかけで
さっきの治療で、自分も復活できたような。
ていうのは
全身を見てる患者さんが
帰る時、すごくいい状態で帰るのに
この前来た時、全身ぼろぼろで
そして今日来て
全身を見てみると
次のヒントが出てくる
それは、その人は立ち仕事
休憩はさんで8時間
要するに
立っていることが
3時間すぎると
体か壊れれる
いろんな症状がでてくるシステム
になっている
座っている耐久時間が少ない人は
その時間をすぎると、壊れる。
って感じで
その時間を延ばすこともでき
自分らしく生きれるお手伝いって感じで。
その状況を、すぴ系は
憑依とか考えるのだと思うけど
本当の自分ってものがあれば
たぶん、心地よくいきれる
ただ、それだけなんだと思う。
その患者さんは
来た時よりかなり良い状態で
帰っていった。
でも、もしまた、壊れてきたら
それが次のお題で
なんら、問題ない
その問題に
向いアイ
その殻を一個、一個取っ払って
行けばいい。
でも、そこで、信頼関係がなくなったとき
そこで、終わる。
ただ、それだけ。
赤の他人とどこまで迎えあえるか
そのさきは
人はみんなつながっているって
ことなんだと思うけど。
相手が、必要としたとき
それにこたえることができ
そうでなければ、そのままで生きていけばいいって
感じなんだろね。
自分が、何かいらついていたり
不安だったりしてるとき
すぴ系では憑依でも
実際は、自分らしくない現在地
ただそれだけなんだと思うよ。
結局、今、ここにいる
そこで、何をする、何ができる
ってことなんだと思う。
過去のとの統合は
それがあるから今があるって
ことで
そして、それが自分の個性であればいいと
思えた。
否定されることも、否定することもなく
他人は他人で自分は自分。
今日は、ひとつまた腑に落ち
また、次のお題が
目の前にやってくるんだろうね。
わくわくするね。
感謝。