秋乱-АΚΙЯА-

[incomprehensible]



MASTER_CALL-B.B.D


incomprehensible 不可解

理解しようとしても、複雑・神秘すぎて理解できないこと。
わけがわからないこと。



 取り残された二人はしばらくの間何か考えていた。最初に口を開いたのは梅咲だった。

梅咲:「……来てくれ」

 クイッと右手で吉海を呼んだ。そして歩き出す。

吉海:「どこに行くんだ?もう仕事か?」

梅咲:「朝山に会う……」

吉海:「その前に林藤の所に行こうぜ」

 梅咲は直ぐに「はぁ?」と言って振り返った。いかにも嫌そうな顔だ。だが吉海は笑顔だった。

吉海:「コイツを林藤に届けてやるんだ!」

 悪戯顔で吉海が言ったのを受けて梅咲は苦笑いを見せた。そして再び歩き出す。

梅咲:「…好きにしてくれ……」

 呆れてため息混じりに言ったが、心は吉海と同じでまだ幼かった。だからまだ遊び心も在った。

吉海:「…あ……」

 林藤の部屋の直ぐ前で吉海が立ち止まった。そしてその場で振り返る。

吉海:「居ないかも…」

梅咲:「はっ!そりゃ好都合だ!どこでも良いから置いといてやれよ。…とに
かく早く朝山の所に」

林藤:「何の用だ、お前等」

 振り向いた梅咲の目に林藤が映った。瞬時に梅咲は彼を睨む。

林藤:「…何の用だと聞いてんだ」

吉海:「惷君、コレあげるよ」

 咄嗟に吉海が間に入る。そして彼に抱えられた〈梅咲ドール〉を前に突き出した。

 林藤の反応はなかった。逆にまじまじとドールを眺めている。だがしばらくしてから答えた。

林藤:「…要らん」

吉海:「え―――っっ!?何で何で?コレ在ったらいつでも『射的の練習が出
来る』んだぜ?お買い得なのに……っ!」

 直ぐに後ろから梅咲が頭をバシッと叩いた。そして吉海からドールを奪い取ると、近くの壁に無造作に立て掛けた。その間一秒もない。

梅咲:「…残念ながら特に用はないんでね。さっさと行かせてもらうぜ」

林藤:「そりゃ結構……」

 擦れ違い際に再び梅咲は横目で林藤を睨んだ。

林藤:「…『朝山に会いに行く』とか言ったな」

 梅咲達の足が止まる。

梅咲:「あぁ言ったさ。…何か伝言でも在るのか?」

 背を向けたまま梅咲は皮肉げに聞き返した。

林藤:「あぁ。……『〈手紙〉が欲しけりゃいつでも送ってやる』と伝えてくれ…」

 林藤も少し皮肉げに答えると部屋に戻っていった。

 梅咲は薄ら笑いを浮かべ、チラッと壁に立て掛けられたドールに視線をやった。

 少し先に居た吉海が彼に気付いて声をかける。

梅咲:「…意味不明……」

 独り言を呟き、その場を後にした。



 何なんだ?ここはどこなんだ…?

 目の前がただ白いだけの〈部屋〉で…俺はここで何をしている?

 青年は立ち上がり、目眩に耐えた。

 周りが回転する。

 何が起こった…?まだ、分からない。まだ記憶は戻らない……。

 すると目の前で何かはじける様な、爆発する様な光景に目を塞いだ。

 何かに押され後ろに倒れる。

 ……風か?…………風なのか…?

青年:「…ここには風が在るのか?……っ!」

 次の瞬間後頭部に激痛が走った。それと同時に少しだけ記憶が蘇る。

 …見覚えのある顔……見覚えのある場所……見覚えのある………

青年:「…ヨ…シミ……ひょ…う…悟……」

 自分で言ってハッとする。

 ……今のが俺の声か?

 青年は一瞬だけ自分を疑った。

 何か違う………?いや、大丈夫だ…。

 青年は再び立ち上がった。今度は目眩は起きなかった。ただ全身がしびれている。両手も小刻みに震え感覚も妙だった。

 ……俺の体に何が起きている…?

 青年は何かを考えるしかなかった。と言うより、何かを考えなければいけないような気がしてならなかったのだ。

 ………この〈部屋〉のせいだろうか……。

 青年はそう考えざるを得なかった。そして自分の周りを包む白い空間を見回した。

 文字通り、彼の周りには全く何も無い。壁が在るのかどうかさえ疑いたくなるほど、その〈部屋〉 は真っ白だった。

 青年は少し歩く事にした。

 ……何か在るかもしれない…。ただそう考えるしかなかった。

 だが一歩一歩踏みしめる毎に彼の記憶も徐々に蘇ってくるのであった。

 そして遂に青年は立ち止まった。

 彼の目の前に忽然と現れたのは〈自分〉、即ち彼自身だった。それ故に立ち止まったのであるが、直ぐに〈自分〉の身に起きている異変に気付いた。

青年:「こ…これは、どういう事だ……?」 

 彼の目の前に現れたのは確かに彼自身だ。だがその〈自分〉は、生首だけだったのだ。

 …体が…無い…何なんだ…これは………?

 ただその生首から何かチューブのようなモノが伸びている事だけ分かる。そのチューブは数えれば切りが無いほどで、その〈自分〉の首を上から吊るして
いる状態だった。

 いつのまにか周りは白から黒に変わり、彼はその瞬間自分の体が重くなるのを感じた。だがもう目の前には首が無かった。

青年:「…ここは一体どこなんだ…?」

 周りの黒い空間がぼやける。まるで慣れない目で物を見ている感じだった。

 ふと横目に通り過ぎる人影が映った。だが直ぐに消えてなくなってしまった。

青年:「……一体ここは………」

 そう言って、二、三歩行った所で何かにつまずいた。そのままバランスを崩し前方に倒れる。

青年:「痛っ!!」

 次の瞬間、再び後頭部に激痛が走る。そして今まで穴抜けだった記憶のパズルがその時完成した。

 だが直ぐに更なる痛みが、今度は青年の頭全体を襲った。脳にまるで電気ショックか何かを与えたようなその痛みは、彼を絶叫させた。

青年:「あぁぁぁあぁあああぁああぁっっ―――――!!!」

 青年は屈んだまま頭を抱えた。そして激痛に耐え切れず床に頭を打ち付ける。

 ゴツンッッ…………………………………

 一瞬だけ目の前がパッと明るくなった。だが直ぐに激痛に襲われる。

青年:「ぐあぁあぁっぁぁぁあぁあぁあぁあああぁ―――っっ!!」

 ゴンッッ……………………………………

 二度目の打ち付けで何か鈍い音が聞こえた。木の幹が砕けたような、そんな音だった。

 青年は床に背を向けて激痛に耐えるしかなかった。目に映るのは黄や赤や緑の光。それらがグルグルと回り始める。

 どれだけもがいたのだろうか。そう思う間もなく、彼の口を塞ぐモノが現れた。

 青年の視界は黒くぼやけ、それが何モノなのかも分からない。しかしその時、不思議にも彼の痛みがふっと消えたのだ。

 全身のしびれも無くなり、辺りが静かになったような気がした。そしてまぶたを閉じようとする。

 だが聞き覚えのある声が耳に入った。

青年:「おい起きろ、朝山」

 その瞬間、朝山の動きが止まった。そして心の奥から、隅々から何ものなのかも分からぬ憎悪感が溢れ出た。

朝山:「お前!吉海冰悟だな!!」

 朝山は直ぐにカッと目を見開き瞬時に吉海に掴み掛かった。だが朝山の手を潜り抜け吉海は身を翻した。そして後方にさがり距離を取る。

 ぐっと歯を食いしばり朝山は吉海を睨んだ。もう視界ははっきりしている。

 彼の心は吉海と比べものにならないほどズタズタだった。だが何か妙な感じを思わせる悲哀感がそこに残っていた。

朝山:「…久し振りだな、吉海冰悟」

 朝山はスッと立ち上がり正気を失った笑顔を見せた。

 …もう、どうでもいい……今直ぐにでも死にたい…俺は……。

 彼が〈監禁〉されていた時間はソトの時間とは別物だった。それ故彼の体に現れている変化は当然のものである。

 …だが、そんな事どうでもいい……。彼の心は真っ直ぐ吉海と向かい合っていた。

 吉海は何も言わず朝山から十メートル程の間隔を取った。彼は朝山と違って表情を全く変えず、冷然と人を見下すような眼差しで立っている。当然そんな彼が朝山には憎く思えた。

朝山:「…しばらく見ないうちに無口になったな」

 それを聞いて吉海が薄笑いを浮かべる。

吉海:「……お前こそ。少し老けたか?」

 話す吉海の声はいつもより低かった。もはや朝山を友として見ていないようだ。

 ……なんだ………?朝山は自分の心の奥底が見えなかった。いつもなら分かる。なのに……。

 目の前の暗闇がいつもと同じに見えない。これは俺の心の奥だろうか…。いつの間にか覚えていた違和感?…これはなんだ………?

 その時、吉海の背後の暗闇から梅咲が姿を現した。

 もう見たくない顔だ。憎くて、憎くて…だがなぜか胸が苦しくなった。

梅咲:「…お前に聞きたい事が在る」

朝山:「…突然現れてそれか?…悪いが記憶が曖昧なんでね。はっきりした答
えは出せないぜ?」

梅咲:「それでも良いさ。…お前を『監禁』した意味が無いからな、答えてくれなければ…」

 梅咲は胸ポケットからブラック・ホースを取り出し銃口を朝山に向ける。

 朝山は無理矢理笑った。

 …早く殺せよ……頭がおかしくなるだろ…?

朝山:「そーかい。……で?何が知りたい」

梅咲:「…率直に聞く。お前達の本拠地はどこだ」

 沈黙が過ぎった。誰も一言も言わず黙っている。

 最初に口を開いたのは勿論朝山だった。

朝山:「…仲間を売る気は無い。それぐらい分かっていると思ったが…」

梅咲:「…では質問を変えよう。お前の『親』の名は」

朝山:「それも同じ事だろ!無意味な質問ばっかするんじゃねェっ!」

 朝山の声が暗闇に響く。

 だが直ぐに吉海が朝山の声を断った。

吉海:「ならこれはどうだ?…貴様を『拷問にかけてはかせる』ってのは…」

 冷ややかな笑顔を見せて吉海は朝山に歩み寄る。一瞬身構えたが、或る物が朝山の目に留まった。吉海の腰に付けられた折り畳みナイフだ。

 ………あれでヤツを殺そうか………。

吉海:「…まぁでも、それは時間の無駄かも知れんな」

 そう言って煙草に火をつける。そして付け加えた。

吉海:「貴様のことだ。自決しかねん……」

朝山:「…どうだろうな。もしかしたらあっさり言っちまうかも知れない
ぜ?」

吉海:「……まぁ一理あるな…」

 吉海はポケットに手を入れ朝山の周りをゆっくりと回り始めた。まるで挑発しているようだ。

吉海:「…だが貴様にその勇気が在るかだ……」

 朝山は歯を食いしばり、吉海から目を離すまいとじっと彼を見据えた。

梅咲:「…長話はそこまでだ。早く終わらせようじゃないか。…で?答えは出
るのか、朝山」

 黒い銃口が暗闇で輝く。梅咲は身動き一つせず朝山を狙っていた。

朝山:「……本拠地は知らん。これは本当だ。…まぁ、信じてくれなくても良い。どうせ俺はここで死ぬからな」

 そう言って力なく笑顔を見せた。

 ……なんてひ弱で自暴自棄な言葉なんだ…。朝山は自分が自分でなくなるのが嫌になった。

梅咲:「ではお前の『親』の名は」

朝山:「それも知らん。…『BOSS』としか呼んだ事も無いし、会ったのは一度きりだ」

 小さなため息混じりに朝山は答えた。

 ……もう、いいだろ…?

吉海:「…貴様等の目的は何だ」

 吉海が白煙とともに言葉を発した。

朝山:「それは知ってるはずだ」

吉海:「具体的には知らないんでな。…お前から聞いたほうが確実だろ」

 いつものような会話にはならない。それは分かっている。ただ、心の奥に潜む暗闇の正体を知りたいだけなのだ。そう朝山は思っていた。

梅咲:「…答えろ」

 促すように梅咲の拳銃が黒く輝く。朝山は仕方なく答えることにした。

朝山:「……俺の任務は吉海、お前の監視だ。それと、お前等の『親』、Mの陰謀の解明及び阻止。…子校の情報は全て、ここに潜り込んでいた俺達、特別潜入捜査官によって組織に送られている。…もう遅いぜ?BOSSには『子校を没せよ』と、お前等の情報とともに送ったところだからな」

 苦笑いを浮かべ梅咲達の顔色を伺いながら言った。

朝山:「…だが、一番BOSSが欲している物はそんな情報じゃない」

梅咲:「どういう事だ」

 今になって隠す事なんてもうないと朝山は悟った。

朝山:「……俺もよくは知らないが、BOSSの指示で動いている『ハンタ
ー』とかいう奴がいるらしい」

 その瞬間、吉海の脳裏に乃牧の顔が浮かんだ。

 …アイツは朝山の元部下。だが、朝山がココに〈監禁〉されている事は知らないはずだ。という事は、まだ別の野郎がいるのか……。

梅咲:「…そいつの事は何も知らないのか」

朝山:「あぁ、残念ながら」

吉海:「…嘘こけ……」

 吉海が呟いたのを朝山は聞いた。小さい声だった。おそらく梅咲には聞こえていないのだろう。

朝山:「…BOSSに聞いても答えてくれないだろう。そういう人さ…」

吉海:「…MASTERみたいな野郎だな」

 これも小さい声だったが梅咲にもしっかり聞こえた。

 ふと、吉海の腰に付けられた折り畳みナイフが再び朝山の目に留まった。

 …今、ヤツを殺せるだろうか……。俺の心の奥底に潜む暗闇の正体が分かったような気がする…。

 朝山はゆっくりと足元に視線を落とした。相変わらず吉海が周りをグルグルと回っているのが分かる。だが、徐々にその足音が近づいているように感じた。

 辺りはしんと静まり返り、それまで広く感じられた黒の空間が狭く息苦しくなった。

 だが次の瞬間、頭の中が真っ白になった。まるで先程までいた白の空間が頭の中に浸透したような感覚だ。

 ……今だ………!

 銃声とともに耳に残る金属が擦れる様な音が暗闇に響く。沈黙が後を追う。

 ……もう何も、考えなくて良い…。朝山はやっとそう思うことが出来た。

 …気の配り過ぎが命取りになる事もある……。なぁ、吉海…君……。

朝山:「…お前は、コレで殺してやる…」

 いつの間にか朝山の手には吉海の折り畳みナイフが握られていた。立ち止まり、吉海は相変わらずの表情で自分の腰に付けてあるナイフ・カバーに視線を落とした。だが何も言わなかった。

梅咲:「…っどういうつもりだ!!」

 暗闇の奥から聞こえた梅咲の声は吉海に向けられていた。そう言う梅咲の姿が見当たらない。

吉海:「…コイツは俺が殺る」

梅咲:「だからって…お前っ!」

 梅咲は動けなかった。

 あの一瞬で何が起こったんだ…?

 朝山はふと吉海から視線を逸らした。すると先程より少し遠い所に梅咲の姿があった。微かだが、梅咲が黒い壁にもたれ掛かっているのが分かる。

 ……何が起こったんだ…?

吉海:「朝山は俺を殺ると言っているんだ。だから俺もコイツを殺る。…ただそれだけだ」

梅咲:「…っく!」

 …気に喰わん……ただそれだけで俺を縛り付けただと?そいつにはまだ聞かなきゃならん事があるんだ…冰悟。梅咲は暗闇でもがきながらそう思った。

 吉海のメカが梅咲の首を壁に縛り付けていた。もがいても取れそうにないほどメカの刃はガッチリと壁に食い込んでいた。下手をすると、梅咲の首を斬り兼ねない。

 だから、梅咲は動けなかった。

朝山:「まぁ良い…。とにかく俺には…何が何でもお前を殺す義務が在る!」

 そう言って朝山はナイフを握る手に力を入れた。そして勢い良く吉海に向かって走り出す。

 グサッ…………………………………………

 吉海との距離一メートルの所で彼の足が止まった。

 …なぜだ……なぜ俺は………?

 朝山はゆっくりと視線を足元に移した。案の定、彼の腹部に吉海の握るメカが刺さっていた。

 ……ぽた……ぽた…ぽた……ぽた…………

吉海:「もう良いよ、朝山。もう良いから…早く」

 ザクッッ………………………………………

 今度は朝山の手に握られていたナイフが吉海の左肩に刺さった。朝山は口の端から血を流しながらも痛みに耐えた。だがしっかりと吉海の体を捕まえている。

朝山:「…ぐっ……お前に、やられても、良いさ…だが、道連れに、してや
る………」

 ……ぐり……ぐり…………………………

 朝山は歯を食いしばり、右手首を使って刃を反転させる。だが手の平の汗で上手く回らなかった。

吉海:「…だから、もう良いって……」

 そう言って無理矢理左肩を後ろに引きナイフを抜いた。同時に朝山の腹を蹴り飛ばした。

 ……カラン…………………………………

 吉海はメカを床に落とすと、ドクドクと大量に流れ出る赤黒い血も気にせず傷口を抑えた。

朝山:「…まだだ…まだ、お前は死なない…」

 咳き込みながら朝山は口の血を拭った。腹部の激痛はギリギリだが耐えられるものだった。

朝山:「…ただ殺すだけじゃ…物足りねぇんだよ…」

 そう言って立ち上がり、吉海に掴みかかろうとする。

 ギュンッッ…………………………………

 次の瞬間、何かに朝山の体が跳ね飛ばされた。そして壁に強く叩きつけられる。

朝山:「ぐはぁっ!!……」

 …なぜだ……なぜ俺は………?

 朝山は吐血すると頭を起こそうとした。しかし右耳が何かに引っ掛かり、咄嗟に右手で抑えようとする。だがそれも無理だった。今度はその動かした右腕
に痛みを覚えたのだ。

 その時やっと気付いた。朝山の体は太い鎖のようなモノで壁に縛り付けられていたのだ。しかもその鎖には棘か何かの鋭く尖った物が在り、それを壁に食い込ませて彼を拘束していた。

 右耳から噴き出た血液が首筋を伝って流れ落ちるのが分かる。その時初めて朝山は恐怖を覚えた。

吉海:「やり過ぎたかな…朝山、生きてる?」

 暗闇から吉海が現れた。彼は壁に縛られた朝山を見上げながらにこりと笑った。

 彼の手には銀色に光るモノが握られている。そこから朝山の方に鎖が伸びていた。

朝山:「……メカ…か」

 激痛に耐えながら静かに言った。腹部の痛みなど今は無に等しい。更なる痛みに彼は襲われているのだから。

 暗闇に慣れた朝山の瞳にはしっかりと吉海の笑顔が映っていた。

吉海:「凄いだろ?新しいメカを入手してね。今回のメカは前のより大きいんだ」

 何事もなかったように吉海は悪戯顔で言う。

吉海:「メカGP…俺が名付け親だ。良い名前だろ?」

 …どうでもいい……。朝山はゆっくりと深呼吸をした。そして吉海を見下ろす。

朝山:「…なぁ」

吉海:「ん、何?」

 …痛みはないのだろうか。そう思いながら朝山は赤く滲んだ吉海のワイシャツに視線を移した。傷口を抑えているようだが痛そうな表情ではない。

梅咲:「おいこら!冰悟!よくも俺の服をこんなにしてくれたなっ!」

 朝山が口を開く前に梅咲が現れた。どうやらメカの刃から逃れられたようだ。だが彼の言うように服はボロボロになり、所々彼の白い肌が見えていた。

吉海:「あれ?…早いなぁ。もう少し居といて欲しかったのに…」

梅咲:「ふざけてる場合じゃないだろ!どういうつもりだ!」

 梅咲のブラック・ホースが吉海を狙った。

吉海:「あらあら…」

 勿論梅咲は撃つ気なんかない。ただ、彼のプライドと言うか何かよくは分からないが、とにかく気に喰わなかったのだ。そんな湧き上がる気持ちが彼を熱くした。

吉海:「…別に撃ってくれても良いよ?けどさぁ、今何をやるべきなのか考えてみてよ」

梅咲:「うっ…」

 御尤もだ。梅咲は少し黙っていたが、腕の力がふっと抜けてブラック・ホースを持つ手を下ろした。

 吉海は切り替えると朝山を見上げて切り出した。

吉海:「…あ、そうそう。思い出した。林藤からお前宛に伝言が届いてん
ぜ?」

朝山:「…で、伝言?」

吉海:「聞きたいなら今から言う質問に答えろ」

 沈黙が過ぎった。

 …待て。林藤だと?…何様だ、アイツは…。こんな時に真受けするのは何だが、朝山は生唾をゴクリと飲み込んだ。

吉海:「…MASTERの書斎、ヘラートに何が在る?」

 ……アイツがBOSSの指示で動いている〈ハンター〉だと言うのか?朝山の頭の中にはその疑問しかなかった。

梅咲:「おい冰悟。その質問はおかしくないか?」

吉海:「何でだ?」

梅咲:「な、何でって言われても…」

吉海:「……おい答えろ、朝山」

 吉海は一方的に話を進めようとした。梅咲の意見など聞こうともしない。

朝山:「…その前に、林藤から俺への『伝言』とやらを聞かせてくれ」

 朝山は賭けに出た。

 …もし林藤が〈ハンター〉ならば、何か重要な情報を握ったのかもしれない。それが〈伝言〉の内容なら…。

吉海:「…まぁ良いだろう。伝言はこうだ…『〈手紙〉が欲しけりゃいつでも
送ってやる』……」

朝山:「て…『手紙』?」

梅咲:「あんま当てにすんなよ?分かっているだろうが、冗談だぜそんなの…」

 ふんと鼻で笑うと梅咲はポケットに手を入れて朝山を見上げた。

吉海:「ではでは。さっきの質問に答えてもらおうか」

 ……〈手紙〉って何だ?どういう暗号なんだ……?朝山の頭の中が混乱し始めた。

 …待てよ……〈手紙〉…………?何か引っ掛かる。どこかで聞いたような……。

吉海:「聞いてる?朝山」

朝山:「あ?あぁ……ヘラートには」

 …乃牧翔陽………?突然一人の青年の名前が頭に浮かんだ。

朝山:「…へラートには、情報が在る。Mの陰謀の手掛りとなる…」

 …アイツは確か…《Logos》の開発グループに…

 ギリッ………………………………………

 朝山の思考が途切れた。彼を縛る鎖の棘が足に食い込んだからだ。

吉海:「…早く答えろよ。何か他にも情報が在るだろ?」

朝山:「ま、待て…俺はそれくらいしか分からないんだ。…俺の任務は…言っただろ?お前の監視だ。それ以外の情報なんか………」

 …乃牧…アイツが〈手紙〉の内容を知ったら……。朝山の中に再び憎悪感が溢れた。そして腹の底から低い声を発する。

朝山:「……殺せ………」

吉海:「は?」

 朝山の小さな声は誰にも聞こえなかった。

吉海:「何だって?」

 ……俺はもう無理だ…どうせココで死ぬ。…こうなったら任せるしかないな…〈ハンター〉とやらに……。

 重たい空気を感じながら深呼吸をする。そして腹に力を入れ、叫ぶ。

朝山:「…殺せぇぇぇぇ!!」

 暗闇に朝山の声が響いた。だが直ぐに吸い込まれるように消えてなくなった。

吉海:「はは…やけくそじゃん。…朝山、男に二言はないぜ?」

 吉海は口の端を歪めて聞き返した。だが瞬時にメカGPに〈信号〉を送った。

 ………『コ』……『ロ』……『セ』…………………

吉海:「んじゃ、スマイルでグッバイだこの野郎!!」

 ギュンッッ………………………………………

 最期に見たのは吉海の満面の笑み。

 …なんて最悪な最期なんだ…。朝山は意識が途絶えるまで心の中で思い続けた。

 …俺には俺なりのやり方があった。でも、それは間違っていたのかもしれない。ただ目の前の事をやりゃ良いと思っていた…。

 後悔すればする程、何が何だか分からなくなって混乱していた。だがお前は…吉海冰悟、お前は俺に言った。

 『何があっても後戻りは出来ない。前に進むしかない』

 …なぜだ……なぜ俺は………?

 ……俺より先に死んだレッジ達はどう思うだろうか。…俺は、吉海冰悟を慕っていたのかもしれない…。

 もし…もし、吉海が俺を許してくれていたら…?

 いや、無理に決まっている。たとえ吉海と出会っていなくとも、俺の運命はこうなっていたに違いない。

 だがもし……もしあの時のように笑い合う事が出来たら…。

 きっと俺はこう言うだろう。

 『…もう後戻りは出来ないね。前に進むしかないんだ』

 …なぜだ……なぜ俺は、こんなにも、吉海の前では無力なんだ………?……………………………

 そして、朝山は死んだ。

吉海:「…やっと終わったな」

 吉海は静かにそう言って朝山の亡骸を見下ろした。

梅咲:「…お前が悪い……」

 ぼそりと梅咲が言う。

吉海:「あ?何だって?」

 梅咲は吉海を睨んだ。

梅咲:「もっと締め上げれば良かったのに、何で直ぐにヤったんだ?…もしかして」

吉海:「勘違いすんなっ!」

梅咲:「じゃぁ何でだよ!…俺に任せりゃこんなヤツ」

吉海:「ぐぁっっ!!」

 言い終わる前に吉海が口から血を吐いた。そして倒れ掛かりそうな彼を梅咲は咄嗟に支える。

 吉海のワイシャツはいつの間にか汗でビッショリだった。それ以上に出血が酷く見えた。

梅咲:「おいおい。お前にしては早いダウンだな…」

 苦笑いを浮かべて梅咲が言った。だがその時、思っていたより吉海の体が頑丈で重たい事に初めて気付くのだった。

梅咲:「…冰悟、お前……」

吉海:「離せっ!!」

 梅咲の手が払われた。吉海は咳き込みながら口の血を拭う。そしてメカを回収するとふらつく足取りで早々とその場を後にした。

 梅咲には何が起こったのか一瞬分からなかった。だが吉海の機嫌が悪い理由も分からないまま過ごすのには何だか抵抗があった。だから彼の後を追うしかなかった。そんな自分を認める事にも抵抗があったのは確かだ。



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