お掃除が呼ぶ幸せ(掃除の世界から見えたこと)

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2011.03.06
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ピアニッシモについて 1

 ピアニストであるAAjr.が、リハーサル時間の取れなかったコンサート会場で、施設係員に残響時間を確認しているのを聞いたことがある。

 Jr.の返事は以下の通りです。

これ以外にも、音質のことや音同士の比率でやっていることがあるのですが、こういうことは単に強弱などで理解できるものでもなく、また説明するにも感覚的すぎていいようがありません。

 心にしみる音というのは、いうなれば心で表現するといってよい側の訳で、物理的にみたらそうなっているということは言えても、計算して作り出せるものではありません。

 音を周波数や波動として物理的に捉えることは可能でしょうが、心の波動を差し置いては、訴えかけのある音になり得ません。

音に気持ちを乗せるのが音楽です。

どのような気持ち、精神性、情感、情景、ニュアンス、真理・・・

がのるかは、演奏者の人間としての経験や質に関わってきます。

わざとらしくて嫌味なピアニッシモというのも、あまたの演奏を聴くなかで現におやじさまがときどき口にしているではありませんか。

 素晴らしい演奏は、素晴らしい人間性をもつ演奏家からのみ生まれます。

 そのえもいわれぬ波動が会場に広がったとき、多くの聴衆の心の奥底から真実の部分が浮き出てきて、1つの共感のもとに別の空間、次元が生まれるのです。

 そういった雰囲気を例えば作曲家がピアノ、ピアニッシモと表記したり、もっと別の樂語を書き入れているのです。書いてあるとおりに弾けばいいというものではなくて・・・。

「こうすればこうなる」というようなやり方では、本当にいいものは生まれません。

ただひたむきに感謝の念をささげながら向き合うことが、理屈や説明を超えた世界へいざなってくれるのです。

そういうことを感じてくれたお客様がおっしゃる感想というのは、

「こんなの聴いたことがない。」「ただただ素晴らしかった。」

「この演奏を聴けて生まれてきてよかった。」といったものです。

結局のところ表現ということには敏感でありたいのですが、

ピアニッシモをこうしてああして・・・と、こだわったりしがみついているのでもなく、

曲全体のバランスからみたらこういう感じでしょうか?といったものなのです。

ここをこうして聴かせようなどという恣意的な思いでは、本質的な部分からどんどん外れていってしまいます。

音楽は宇宙のそして神様からの贈り物です。

人間がその無知な頭でゆがめるようなことは罪と心得ます。

また分析しようと挑んだとき、拒絶と矛盾を生むものです。

ピアニッシモ 2

 絵画にたとえて言うならば、ボッティチェッリ大先生の絵のどこに自分をアピールしたいといった自我があるのでしょう?

ひたすら線と構図と色彩の妙に調和の世界が無限大に広がっています。

分析というのはすればするほど辛くなりつまらなくなっていきます。

また、そこから自由は消えうせ、押し付けがましさが主張を始めます。

大先生の絵のすごさはこういうことを超越していることにあります。

素直で謙虚が大切。殆どのことはどうでもいいのです。そうでなかったら、真の表現に結びついていかないと思うのです。






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Last updated  2011.03.06 08:08:08


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