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November 28, 2007
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カテゴリ: カテゴリ未分類
23日に母が亡くなりました。。


前日も朝からスーパーで買ったものを下げて家に来たのを思い出します。。

夜、私が「豚汁をこれからたくさん作る予定なの。明日お昼一緒に食べない?」
と電話した時も「分った。ありがと。」と言ってたのに。

お昼前に話し中でまたいつものように長電話してるなと思って
その後、何度も電話したけれど、ずーっと話し中で。。
きっとまた、叔母(母の妹)か、お友達と長電話してるんだわ。
(以前にも長い話中に部屋まで確認しに行った事が何回かあったので)


発送物を持って近所の母のアパートの下から呼んでも返事がない。

上に上がって合鍵で開けると薄暗い部屋の中、テレビがついてる。
え?母がテーブルとベッドの間に座ってうつ伏せになっているのが目に入りました。
思わず、近づいて起こしたら受話器を持ったまま意識?息がない事が分りました。

頭がパニックになって顔を手で触って見たけれど、まさか
うそ。何で?

母の手から落ちた電話で119にかけようとしても通話音がしない。
慌ててポケットの携帯電話でかけて半分パニックになりながら住所を告げました。
何度も心臓を押してみても口からわずかの空気がもれる音が聞こえるだけで。。。

救命士の方がいらしている間に主人や義母に電話してもつながらず、
広島の弟に電話したら繋がって、私の話す様子で弟も察知したみたいで、見つけた母と救急車で病院に行く事を手身近に伝えてまた電話すると切りました。


その間、叔母にも電話したら、私の予想通り、

「何で?!朝元気でふざけたりして冗談言ってたよ。昼から出かけるつもりだったみたいよ」
「叔母ちゃん、母は電話は“じゃあね”って返事して切った?」
「いつもトイレ行きたい。とか、うとうとすると会話が途切れる事もあるのでそのまま切ったよ」
「きっとその時だと思う。時間的に。叔母ちゃんが母と最後に話した人なんだよ」


医師の方が私の所へ来て母の所へ連れていってくれましたが
少しでもと奇跡を願っていましたが、二度と母が息を吹き返す事はありませんでした。
すでに死後硬直が始まっていたそうで。。心停止の確認を促されて・・・
(後から聞きましたが死後五時間位でしょうと言う事でした)
叔母が電話して話したのが九時半から一時間位といっていたので
私が最初に電話した十一時半には息がなかったかも知れないけれど、
その時に行っていれば、もしかしたらと思わずにいられないですね。

案内されるまま、安置所へそして線香をあげるように言われて・・・

何が起こったのか自分でよく分らないまま、自宅で死亡の場合、警察に遺体を移すといわれました。

腕に腕章をつけた若い刑事さんと先輩風の刑事さんに見つけた時の状況を聞かれながら
母の遺体は警察へ。
私は現場説明のために刑事さんたちと母の部屋へ。
すぐに戻るつもりでベランダの窓を開けていたのを思い出し、戸締りをして来る旨伝えて
戸締りをして部屋を出ようとした時、先日連絡があった義父の葬儀者の方が位牌を持ってきてくれたのでした。
なんて。。皮肉なんでしょう。
とりあえず、手身近に母の事を話して名刺を頂いて下に下りると駐車場の前で
事情を知らない主人と遭遇。
「何?どうしたの?」と事情が飲み込めない主人にまた手身近に話して
「主人の車で行きます。」
と刑事さんに伝えに行き、母を先に安置してある警察署へ二人で向かいました。

到着して案内されたのは、
裏の倉庫?のような建物で中に入るととても冷たくて寒い。。
そしてまた焼香台が。。

刑事さんのお話では死亡原因が分らないと解剖になるという事や、
明日の朝、棺が必要なので葬儀屋さんに連絡するようにという事。

まるで悪夢のようだと思いながら、覚めてくれればいいのにと思いながら
刑事さんの言葉の中で結婚当初、母をいつか東京へ呼ぼうと思っていたので
まさかのために冠婚葬祭の互助会に入っていたのを思い出しました。
家に帰って連絡すると翌朝きてもらえるという事。

その後、弟夫婦と幼稚園の娘が急いで上京する事になり、ホテルを急遽探したのですが
連休始めで都内の目ぼしい所はどこも満室。
焦る中、少し山手線から外へ外れた赤羽に幸い見つける事ができてほっとしました。
しかも葬儀社ホールからも近い所です。

夜十時半に東京駅に迎えに行き、ホテルへ送りました。


ロンくん見たらきっとびっくりするけど顔が緩むだろうなとお昼食べながら見せるはずだったのに前日に見せなかった事など、たくさんの後悔で眠れないまま、翌朝を迎え、

翌日、主人はどうしても仕事を抜けられなくて弟と待ち合わせ、電車で警察へ行き、弟は母と対面。
検死医の方を待つ間、葬儀社の方と葬儀の打ち合わせ、連休、月曜が友引で火葬場がお休みなので結局、26日通夜、27日告別式となり、検死の結果、脳出血だったそうです。
解剖はなくなり、葬儀も問題なくできる事で今度は、葬儀屋さんの車で私と弟は母の遺体と共に葬儀会場の建物へ移動。
また、安置室へ同行し焼香を終えて、母のアパート近くまで送ってもらって二人で行って遺品整理をしました。


高齢になると必要でない物も何でもたくさん取っておくので整理も
ちょっとやそっとではなくて・・・特に母は勿体無くて何でも捨てられない人だったので。。
よくケンカしたものですがやはり予想通りになりました。

とても午後から夕方まででは片付くはずもなく、翌日も弟と整理をして一人ではあの部屋に入る勇気がなかったので母の事以外では普段お互い連絡もないままに過ごしてきたものでしたが
姉弟がいるという事は同じ立場での悲しみも共有できる唯一の人間なので有難いと思いました。

テレビで亡くなった方の年齢を耳にする度に、自分達の親の事が頭に浮かびましたが
今年の検査も異常なしで喜んでいて、つい先日誕生日に一緒に食事して
お祝いしたばかりなのに。
何度も何度も見つけた時の事が思い出され、何でもっと早く行ってやらなかったのかとか
もっと普段から優しい言葉をかけてあげてたらとか。
生前、口ゲンカする度に「私がいなくなったら有難みがわかるわよ」と言われた言葉を今つくづく実感しています。


告別式が平日である事と親戚がみんな広島や九州の遠方であるため、本人も以前から来てもらおうなんて図々しく思ってないと言っていましたが、連絡すると一番遠い宮崎の従妹まで来てくれて母は、こちらにきてなかなか会えなかった昔一緒に暮らしていた人達に見送られて
大好きな花々に囲まれている顔は幸せそうにも見えました。
本当にそれが救いだったかも。。

お骨になって弟が連れて帰ってくれたのでこれからは弟達と一緒に暮らせるね。
弟達が家に帰宅すると母からハガキが届いていたそうです。

お母さん、今まで本当にありがとう。そして、色々本当にごめんなさい。
もっと手を握ったり、抱きしめていればよかった。
私のちっちゃくて可愛いお母さん。
とても苦労してつらい時期もあったけれど、今は楽にしているかな。
私は、気軽に一緒にご飯食べたり何でも話せる相手がいなくなってとても寂しいです。
これからきっとお母さんの気持ちを実感していくと思います。。





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Last updated  November 29, 2007 02:25:38 AM
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