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さっき、ネット記事の見出しに見かけた「自己責任」という考え方を日本国民に押し付けて政治の責任を回避した政治家は「誰」と書いてあると思うか?と旦那ちゃんに聞いてみたら、う〜んと考えているので私が、そう考えているんじゃないよ?ネット記事に、そのように論じている海外の政治学者がいると書いてあるからどう思うかな?と聞いてみただけだよ(^_^)クマなどにはいつも、私がそうやって口を開くたびに、「おかあさんは、また!」と怒られるので「違うよ? いつも真に受けて信じている(鵜呑みにしている)わけではなくて、あなたの意見を聞いてるだけだよ?そもそも私の意見ではない」と旦那ちゃんに説明したら「そうか、そういうことか。クマと、おかあさんはネットに侵されている!って言ってたけど」すこぶる心外である。「いや、◯◯みたいなネット記事なんてマジメに読んでないよ(口はワルイよ)」「なんなら、みんながそうだと信じていることすらも、ホントにそうか!?と考えているよ?w」そういう意味では、クマにはほとんど信用がないっぽいな。彼は、私がPCやネットを使って仕事をしている姿を見たことがないからな。私のネットリテラシーを疑っているのだろう。いやあ、初期から足を踏み入れていた自覚はあるけどね。だいたいが、スマホは使えない。スマホをいじりだしたのは、倒れてからだ。まだ3年。でも、新しいおもちゃとしていじり倒したいほど、ネット大好き!ではない。便利な道具だとは思っているけど、抑えの効かない人には害が大きいよね。あれ? だけど、ネコスケは、私がネットやテレビの情報を鵜呑みにしているとは考えていないようだなあ。まあ、クマの信用を得るためにはなるべくソース(情報の出所)をはっきり確認するようにしている(わからない、なんかネットに書いてあったよ〜というテキトーなことを言うときもある)おかげで、世の中には、思いもよらないような私の知らない専門分野があることを知ることもある。サピエンスの底力を見るよね。(私のなかでホモ・サピエンスが流行っている)たぶん、疑問に思ったことを実際にふたりで調べる機会が多かったからだろう。それは、ネコスケが小学生のころからの話だ。私がテレビやネットの情報を鵜呑みにしてテキトーなことを言ったら、ネコスケにはすぐにバレるのだ。「びっくりはてな」をしっかり観なくちゃ。いやいくらなんだって、NHKで山中伸弥さんが出ている番組でテキトーなことを言ってたら困るよね。(山中先生を信頼している)しかし、ネコスケは自分の専門に関しては、じぶんの考えをしっかり持っているのでおかあさんもいいかげんなことは言えない。数少ない、というか、唯一の地球考察仲間なんだから。私が産んだんだよwふふふ。線状降水帯予測が出て、首都圏の学校は軒並み休校になったけど、クマは出勤していった。まあ、私が校長先生なら前日からお休みにして、当日、晴れても「ラッキーお休み」にするけどね(^_^) 消化しなくてはいけない予定がたくさんあるんだろう、二学期。だし、保護者は、子どもが、学校に行ってくれたほうが助かるみたいだからね。簡単にお休みにはできないよね。ちなみに、冒頭に書いた政治家(首相)の名は小泉純一郎さんだそうです。私に、文句言わないで、そのネット記事でも、元論文でもさがして読んでね(^_^)
2026年09月07日
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イギリスのドラマ「シャーロック」の終わりのほうの話を少し前にNHKで再放送していたと思ったら、前のほうを観たのがあまりにも昔過ぎていまいちよくわからない。最初から観たいなあと思っていたら最初からまた放送が始まりました。ラッキー!ベネディクト・カンバーバッチのホームズですね。オリジナルのホームズの冴えた推理を現代にうつして、スマホやネットも使いこなす。日本にも、じっちゃんの名にかけた名探偵とかいますけど、いまいち、キャラクターの焼き直しとしてはうまく行っていないように感じます。事件の陰惨さは横溝っぽいか。誰か、書かないかなあ。そもそも、漫画だしな、あれは。ある種の青春ラブコメだし。それで、カンバーバッチのホームズを観ていて思ったのが、ヒトってホモ・サピエンスじゃん?かしこいヒトなんよね、残ってるヒト属の種ってサピエンスだけなんだから、今の地上の人間はあまねくサピエンスなんだよ、み〜んな賢いヒトよ。昨日、タモリさんと山中先生の「びっくりはてな」で、人類史や進化の系統樹を変えてしまうレベルの近年の発見について話していて、ついネコスケに「デニソワ人」と送ってしまったら、(ラインがメモ帳と化している)それは何だっけ、悔しい、思い出せないけど調べたくないと言われて、番組のポイントをまとめて送るはめになった。専門の人によ?w そんなむちゃな。おかあさん、のんびりテレビも観れないわ、あたし、ホモ・サピエンスだからさ。その頭を使えって、カンバーバッチ・ホームズも言ってたよ(^_^)そう、それで、ヒトの種としての存続可能性は?と思って調べたら、レッドリスト(絶滅危惧)的には「低度懸念」だって。Least Concern または Lower Risk ふうん。客観視するとおもしろいね(^_^)スズメとかハツカネズミと同じって書いてあったね。あいかわらずウィキペディアに頼り過ぎか。 ただの日記だからね。数日前のクロ現+の時間にやってる首都圏の番組で、筑波大学の落合先生が、「AIに負けないためには?」ってきかれて、「おもしろがることですね」って答えていて、おもしろがりの習慣がある我々は強いな!と思ったんだけど、実益に結び付けないといけないのは難しいね。ヒトの絶滅関係なく、おもしろそうなことをするよ(^_^)。うん、でも、もし、地球全体を吹っ飛ばすようなことをしでかすなら、それもサピエンスの仕業なんだよ。もちろん、止めるのもサピエンスだ。あとひとつメモ。PTSDという言葉があるけれども、略語だから、いまいちわからない、なんだっけ、心的外傷後ストレス障害?日本語だと?わかりにくいよ。これが元々の英語だとPost Traumatic Stress Disorderだって。なるほどそういうことか、やっと納得した。ネコスケが何年か前に、メモも英語で書いたほうがはやいと言っていたのがわかる気がする。英語で考えたほうがいいときと、日本語のほうがいいときと、あるよね。俳句とか、短歌とか、教科書で習ったものは、みんな共通でよく覚えている。破格とか、字足らずとか字余りとか、そういうのが好き(子どもたちも)この時間も(もうすぐ、昼の2時)、ずっと、暗いんですけど今度は関東まで線状降水帯予測エリアに入った。線状降水帯ってもっと便利な呼び方ないのかな。あだ名とか。不謹慎か。すんなり変換できなくてめんどくさい。 頭を使え、と。
2026年09月06日
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お日様とともに生活する。人間の身体の中には、時計が内蔵されていて(比喩です)地球から見た太陽の動きに合わせてちょうどよく活動できるようにできている。ただし、その体内時計は25時間周期で動いているから、毎朝朝日を浴びてリセットする必要がある、というのは、研究により明らかになった有名な事実。去年ネコスケが精神的な調子を崩したとき、彼が言っていたのは、論文を仕上げるための研究に熱中するあまり、どんどん生活が夜型になっていったと。それを自覚していて、そこで無理が効かないのは、遺伝的なものかもしれないけどなるべく概日リズムは崩さないようにしないとね、と言っていて、耳なじみのない言葉なので1年前に調べてみた。概日リズム=サーカディアンリズム「がいじつ」ということばは、circadianということばをなんとか日本語にしたものかと思いますが、「お日様の二十四時間の動きにあわせて」という意味ですね。これは、「サーカディアンリズム」とカタカナのほうがずっと覚えやすいし、使いやすい。英単語の語源としてはラテン語で、circaがaboutで、dies(diem)がa dayだと。なるほど、わかりやすい。太陽の1日の動きに合わせてってことだね。ネットの辞書で調べたので、もっと正確に詳細に知りたい方はもっと調べてください。私はもともと、早寝早起きができるほうではなかったけれど(放っておいたら、夜型だし)子どもたちの集団生活に支障が出ないように、子どもが小さい頃は、徹底的に早寝早起きだった。寝るだけ寝たら、お日様とともに起きるしかないからね!と思っていた。それは、まったくの習慣の問題だ。ご飯とお風呂をなるべく早く済ませて、観たいテレビは録画予約して子どもは早く寝るよ!でないと、明日起きられないからね。昼間、お日様を浴びて精いっぱい遊んだ子どもは、部屋を暗くしてお布団に横になればバタンキューだ。概日リズムが正しく働いている。だから、家に帰るのも、ご飯もお風呂も時間が遅くて寝るのも遅い子どもが早起きして機嫌よく学校に通えるものかい!という気持ちは強い。ムリなのはあたりまえだ。ムリを何とかしようとするからうまくはいかないよ。少なくとも、さらに、「勉強を頑張れ」とか圧をかけるのはやめてあげて。急速充電に近い形でなんとか学校に行ったなら、ケンカしないで無事に帰ってくるだけでも上出来だよ?習慣の問題だから、ある日突然、急に早起きして毎日学校に行け、なんてムリだよ〜うちの子らは、長期休みのあいだは、母親の私に合わせて、遅寝遅起きの毎日を送っていても、新学期の一週間前には、早寝早起きに戻すように努めてきた。?できないときもあった気がするぞ。そしたら、新学期の始めはボンヤリして通うことになるね、仕方ない。いや、先生だって、ぼんやりしてるでしょ、それは。さいわい、学校の新学期というのは徐行運転で始まるものだ。そのあいだに、リズムを整えよう。しかし、小学生は元気だね、と新学期を迎えた小学生たちの登校の気配を感じながら、いまも寝坊している。必要なときだけ、早起きできればいいんだよ。そのためには、早起きを習慣付けた経験が欲しい。習慣付けの経験の経験、だ。(いよいよバカボンパパになってきた)こうすれば、うまくいくという経験がほしいよね。昭和の大人は、朝寝坊は悪みたいなキビシイ思い込みがあってあれはあれで、役に立つものだったと実感している。無常識は不道徳か?よ。ある意味不道徳になる習慣もあると考えます。ちなみに、大学生時代は長期休みは毎日飽きずに昼まで寝ていたクマですが、仕事が始まってからは、しっかり6時に起きて朝ごはんを自分でつくって出かけていきます。(お弁当づくりにも手をだしそうな気配)頑張り過ぎても心配なんだけれど、ネコスケに言ったら「早起きできるなら、させときな」とアッサリ。たしかに、お日様とともに生活できればそれが安心。でも、それじゃあさあ、夜勤のお仕事なんかは、どうなるのかしらね。あ、朝型と夜型がいるって記事を読んだぞ、そういえば。人間の進化の歴史に必要だったから、と。今度書こうかな。最近私は「ずっとドンヨリしたお天気でいやねえ」と言ってばかり。はやく爽やかな秋晴れにならないかな。ひと休みしたいよね(^_^)
2026年09月05日
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リハビリ施設の職員さんが、8月になったときに言いました。「8月が始まりました。毎日暑いですね。でも、そう言ってるあいだにきっと、あっという間に9月になってるんです(^_^) クリスマス、新年もすぐきますw」9月になったときに、私は言いました。「ほんとに、あっという間に9月になったね(^_^)」「ね!?そうよ〜!」毎日毎日、できることを怠けずにしているだけです。それだけで、時間はどんどん過ぎていく。目の前のことを着実にこなすことだけを考えればいい。くるしいくるしいと考えている人ほどさしあたって目の前のできそうなことに集中してひとつひとつ片付けていこう。できることなら、なんでもいいよ。去年の今頃、まだ進路が確定していなくて私の心配の種だったうちの下のふたりの子どもたちにもそう伝えていました。もちろん私も毎日を着実に堅実に過ごす。そうしているうちに、じきに物事は好転するし、あっという間に1年経過だ。そのじりじりするような毎日にじっと耐えるこらえ性が必要だ。さっき、母の退院に付き添うために車で出かけたら、前の前の車がやたら頻繁に車線変更をくりかえす。「せっかちだねえ。こらえ性がないんだな」と噂していてイマドキ、図書館で借りたい本の順番を待つことも我慢できない若い人が増えているようで、図書館の利用も減っているとのこと。(まあ、私も、どうしても読みたいものはさっさと買ってしまうから、ひとのことは言えない)耐えるこらえ性とのんきさが必要だよね。一休さんみたいな。慌てない慌てない、ひと休みひと休み、だ。世の中が合理的になればなるほど、こらえ性がなくなるんだな。自覚的に、急がないことを、心がけないといけないね。これも、習慣だ。もうひとつ、つづけるために、サイズダウンを試すのも役に立ちます。毎日続けている運動に加えて、ストレッチもルーチンに入れるといいですよ、は理学療法士さんのアドバイス。自分ひとりでもできるようにメニューを改良してもらって、元々のメニューでは、20秒から30秒を2、3回となっていたのを20秒を2回、にして、習慣付けた。これならつづけられます。頑張らなくてはいけないことを続けるのはシンドイのだ。続けることが習慣付いたら、内容をふやしてもいい。どんなに小さな一歩でも確実に前に進んで行くんだよ(^_^)その一歩を踏み出さなければ、前に進むことはない。私は、そうやって、年を取ってきたように思います。好きなことでいいじゃん。学校に行くのがイヤなら、行っただけでも大きな一歩だし行けたらそれだけでも大成功だよね。習慣付いたらもっといいな。私は、行きたくなければ行かなくていいって思っていたけどおうちの人の都合によっては、行けるとすごく助かることもあるんだよね。まわりの大人と腹を割って話し合ってくださいね。こどもだって、おとなを助けることはできるしお互いを助け合う事ができるんだよ、大丈夫。でもひとつ言えるのは、気持ちを伝えようとしない人の気持ちは伝わりません。「どうして、わかってくれないの!?」 それは、伝えていないからです。また今度、まとめて書いてみます。子どもたちや、おとうさんおかあさんを応援したい気持ちはいつもあります。応援はいつもしているよ(^_^)
2026年09月03日
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先日「チコちゃんに叱られる」を観ていたら、ゲストの小籔千豊さんが、お子さんがまだ小さいときに、出掛けに持って行くと主張して、奥さんは「ダメ!」と言うのに、小籔さん(おとうさん)が「持って行ったらいいやん」と了解して、奥さんにひどく怒られたものはなんでしょう?というクイズをやっていました。さて何でしょう。クイズですから、考えてくださいね。ヒントは玄関にあるものです。ちなみに、私は当てました。気持ちはすごくわかるものです。答えは、くつべらでした。べっこうのきれいなやつね(^_^)なんでダメかっていうと、ジャマだからかな?振り回すとあぶないから?だいじなものだから?そんなものを持ち歩いたらみっともないから、というのは、私にとっても、ダメな理由にはならない。チビさんが気に入ったきれいな靴べらを得意気に持ち歩いている様子なんて、大人は褒めるしかない。(おおらかになってね(^_^))「あら、いいわねえ、素敵ねえ!」だ。ダメだとしたら、振り回すとあぶない、とか、(行こうと思っている)お店に迷惑をかける、とかだけど、例えば、うちのようにまずは車に乗って、なら、そこに置いておくということは簡単にできる。それは説得すればいい。大事だからこそ置いておこうね、だ。だったら、置いておくのは、家でいいじゃないかという正論は耳に入らないよ?w子どもの相手をするって、そういうことだ。毎回、自分のなかの「あたりまえにダメ」な理由を問い直す。あたりまえなんて、絶対に守らなくていけないことではないよ?変更可能だ。でももちろん、自分勝手に何でも変えていいって話でもない、もちろん。そこで、考えてみよう!遊びだよ?なんでこんなことを延々書いているかというと、私は靴べらをお絵描きスペースにして失敗したことがあるからだ。旦那ちゃんがどこかでもらってきた、緑色のピカピカの靴べらが「ここに描いてちょうだいよ!」と言っていた(言わないw)お絵描き大好きなネコスケに「ネコ、ここに絵を描いたらステキじゃなあい?」と油性ネームペンを差し出したら、さらさらと描いてくれた。旦那ちゃんには、書いていいかとちゃんと確認したよ?w「うん、まあ、いいかな」としぶしぶ了承してくれた。彼も結局、親バカだ。でも描いたら、靴べらとして使ったときに、油性ペンの絵は靴下に移ってしまって役に立たないことが判明した。だから、靴下に触れるところは消えてしまったけど、そうでないところは、ネコの作品として残っている。あれは「おかあさんの親バカ」として、いまだに玄関に置いてある。(絵を守るためにはどうしたらいいかまで考えた。本末転倒とはこのこと。)そんな毎日を経て、彼は親に認められ愛されていることを知っている。そうすると、自分も他人も大事にすることができるんだよ(^_^)ただし、常識というやつはあんまりないwだって教えてないもんね。(もんねじゃないよ!)でも母親の私よりはずっと、常識人だ。みなさん、ありがとう。
2026年09月02日
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以前まんなかのネコスケが帰ってきたときに話したことに、全国の博物館で、その地域の旧家などに伝わる史料を、すべて引き取るにはスペースが足らなくて困っているという収蔵問題があって、例えば、おとなりの市の博物館には、古い農機具が展示されているけれども、あれも溢れかえってしまえば、保管に困るよね?と。それでも、古い帳簿などは、きっとこれから先、20年、30年、50年後の研究者には、とても参考になるに違いないよねえ?と言ったら、その、未来の研究者に感情移入したであろう現代の研究者のネコスケは、神妙に頷いていた。で、先日突然帰省した帰り道に、その隣の市の博物館に寄ったネコスケは、農機具や、その他おもしろいと思ったものの写真を送ってくれた。どんな「モノ」をもらうよりも、あの子が「おもしろい」と感じたことを教えてくれることが心底、嬉しい(^_^)元気そうでよかったよ。子育ての現実その2を書こうと思っています。書きたいことはたくさんある。今日、施設の庭で、夏野菜がたくさん実っているのを眺めていたら虫に動じない職員さんが「あ!その虫、なに!?何だ!!」と驚いていておそるおそる見たら、なんとタマムシだった。初めて見たよ。キラキラして、自然のものとは思えないような美しさだった。どんな人工物より美しいよね(^_^)早速ネコスケに報告した。ネコは石も好きだ。観光地で、美しい加工石の置き物をうっとりながめていたらお店のおばあちゃんが気付いて、おまけしてくれた。石の置き物にうっとりする小学生は、かわいいよなw3人ともみんなただ散歩しているだけで可愛がられる子どもだった。カワイイカワイイと音を立てて歩いていたようなものだw(タラちゃんかい)まったくの親バカだと自覚している。でもそれは、かれらの自尊感情を支えてもいると思うよ(^_^)おかあさんは、ぼくを信頼しているしかわいいと思っているな!だ。それを信じられるのは、とても心強いよね。そんな存在でいられたらいいけどね。ねむ。ではでは
2026年09月01日
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昨日クマと話していて、そういえば、クマの学年にいじめ問題があったかどうか、私には記憶がないけど、憶えていないだけであったのかな?と聞いてみたら、彼の記憶では、小学校高学年か中学時代に、実際に問題になって、みんなで先生に怒られたことがふたつほどあったらしい。(時期がはっきりしないのは、私のせい。関係者が誰かはわかるけど、地元の学校だから、ずっと同じなのだ)でも、それは、私たちのイメージする、わざわざ誰かをいじめておもしろがるようなことではなくて、う〜ん、むずかしいけど、例えば、他の子とのコミュニケーションがうまくいかない子を周囲が持て余したことによる、結果的な無視、とかであって、その状況を私ははっきりと想像できるけれど、先生が単純に「みんな仲良くしなさい!」と子どもに押し付けて放置することには、納得がいかない。以前書いた、小学校の先生が「みんなに置いていかれた」と泣きついた親子を「いじめられた子」と単純に考えて「またやったら先生がみんなをいじめるよ」と(先生の認識では)「加害側の」子どもたちをおどしてしまうような、まったく意味不明な「指導」を黙認しているのは、先生(教員)という職業を貶めることだと考えます。単純すぎないか? 白と黒しかないのかな? そんなわけないだろ。集団生活のルールを理解して守ることができるのは、「子どもの本能」じゃない、それを、習慣付ける「しつけ」がされてきたかどうか、だ。ルールを理解することも守ることもできない、守るための脳の機能が十分に発達していないとか、そもそもないとか、そういう子に相対したときに、フツーのありきたりの子どもがうまく対処できるものかい?って話よ。私は、それを強いられる子どもたちに同情するけどなあ。うん、でもね、じゃあ、集団生活のルールが守れない子を特別扱いして、別クラスに集めて、好きにさせておくというのも、学校としては、その場をしのぐ策のひとつだとは思うけども、本人の将来を考えると、そのまま特別扱いされて、社会に出られないのでは意味がない。それが、特支から通常学級に移りたい保護者の考えなんじゃないかと思うんです。で、ルールを守れる子どもたちのなかで生活する、守れない子は、程度によっては、周囲のいい影響を受けて、好転していくことも考えられる。それが理想的だし、そうなることを望んでいるんじゃないのかなあ。(そんなの無理だよって現場の経験の浅い先生たちは言うかもしれない)これは、現場経験を多く積んだベテランの先生方が実際に見てきたことが役に立つんじゃないのかなあ。私は教員じゃないので、本能的にそう思うだけだ。こういうのをうちのクマは認めないので、何か役立つ論拠が出てくるといいな。ありそうだけどな、すでに。まあ、そんなことを考えながら、クマの特支クラス対応を見守っている新学期。少なくとも、彼に偏見はないし、どうしたら特支クラスの子どもたちも世の中で問題なく生きていけるのかを思案していることとは思う。でもそれは、うちのクマがひとりで考えるようなことではないし、実社会との兼ね合いでうまく進めていくしかないんだよね(^_^)。世の中を知るんだよ、クマ。それはともかく、クマと話していて、クマは中学校時代、定期テストでは大して点が取れなかったけど、実力テストだけは、ふだんと比べて異様に点のいい子だったことを思い出した。授業態度があまりよろしくないので、内申点は当然低い。定期テストも直前にチマチマ暗記しないので、詳細な知識には限界がある。クマの実力テストの点が高かったのは、彼がその場で問題を読んで「考える」ことができたからだろうと推察する。頭に何も情報がなければ、考えるための材料が、圧倒的に足らないことになる。クマは、小さいころから大量のマンガやアニメ(アンパンマンやポケモンの)映画を私や兄たちと一緒に楽しんできて「これが、こうなって、こうなる」と考えることができる。そしてその「考える」ことは、クイズやなぞなぞといった形で、私たちみんなが楽しんできたことだ。小学校高学年からはクイズノックも大好きだ。なんとあのなかには、彼らの中学校の先輩もいる。訂正: あれ? なんだか、おかしいなと思って確認してきました。伊沢さんがクイズノックの活動を始めたのは2016年だと。すると、2002年生まれのクマが小学生のときに観ているはずがない。よね?あれは、クマが中学生のときの話だね(^_^)いいわけすると、3人年の近い兄弟がいると、何がなんだかわからなくなる。そして、学校の授業は、資料集をペラペラとめくりながらも、先生の話をきちんと「聞いている」左の耳から右の耳へ、じゃ意味がない。先生の話していることを聞いて理解している。たぶん聞いていて自分には納得のいかないことを先生が言えば、帰宅してからでも、家族に「先生がこんなことを言っていたがどういうことか?」と確認しただろう。さいわい、得意教科はみんな違う。なんならひとつ上のネコスケはオールマイティだw「そう、あの先生は、そう言うんだよね」とか言うまで、あり得る。だから、今日書きたかったのは、ただ「学校にマジメに通う」それができているなら、先生(または、他の人たち)の話をいちどでもしっかり聞いて理解した、と自覚することができれば、学校の勉強に苦労はいりませんよね。昨日クマと話したのは、「聞く」って大事よねえ、黙って、相手の真意を聞き取るこらえ性があるかどうかは大問題だよね。みんな聞かなさ過ぎだw話す(伝える)ことの言語化よりも、聞き取るこらえ性を、きたえたら?ネットでは、相手の言い分を誤解したまま、延々口論していたり。まずは、自分が意味を正しく理解していなかったことをすなおに認めて謝れる。それから、意思疎通をやり直す。それができればいいですね。知らないことはあって当然。そこで卑屈にならないで(^_^)大丈夫。切り傷の最近の手当て方法って知ってる?流水で洗って、なに?消毒しない、だと。なぜよ。乾かさないだと?全然知らんわ。最新の手当て方法を学んでね、と丸投げだ。あっちもこっちも天変地異の大災害でお見舞いの言いようがないわ。なんとか頑張ってくだされ、と死ななかった私はのんきに言うよ。台風の季節だねえ。秋はくるかな?去年の秋は急に寒くなって精神的につらかった。
2026年08月31日
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自然分娩で3人を出産しました。妊娠するたびに、妊娠中毒症です。と言われて、高血圧、体重増加、とても優等生の妊婦とはいえませんでした。減塩はしてたけど、気持ちのわるくなる悪阻がなかったかわりに、お腹がすいて、すいて、いくらでも食べられました。その結果、長男のワンを出産時には、増えすぎた体重管理のための栄養指導を受けました。学校の家庭科の勉強をマジメにしてこなかったので、この時点で、改めて勉強できたことはとても助かりました。出産時には、ワンのときは陣痛促進剤を使ってあらかじめ入院・出産、陣痛は、もう途中で産むのをやめたいとおもうくらいに痛くて、出産のたびにもう二度とごめんだと考えました(すぐ忘れるのね←だから、バカだって。)痛がる私に看護師さんが教えてくれたのが「赤ちゃんも苦しいのよ。赤ちゃんも頑張ってるよ!」そうだ。頑張って早く外で呼吸をさせてあげないと。そして、顔を見てあげなくちゃ。産まれてみたら、高ビリルビン血症(いわゆる黄疸)小さな小さなワンが、ひとりで病院に残って、保育器に寝転がって、紫外線治療を受けていることが、さみしくて不安でたまりませんでした。毎日、泣き暮らしました。これが、黄疸などなる人は多いのだからたいして問題ないなんて言いますが(もちろん言われた実体験あり)つい最近までお腹のなかに私と一緒にいた子どもが「ひとりで」立ち向かっている姿は泣けます。それに、他のすべての子どもたちが無事だったとしても、よりにもよってうちのワンがかならず無事であるという保証はないのだよ?と考えました(それは正論でしょ?)不安になりすぎ。この経験を踏まえて、不安になっている人に「根拠のない(無責任な)ポジティブな言葉をかけるのはよくないことだ」と考えます。ムリヤリ前を向かせるのではなく、思う存分不安にならせてあげようw 「うん、うん、 わかる、不安なんだよね」共感して、できるならば、ムリにではなく、本人の気をすこしでもそらせるような物事を用意しよう(^_^)実家の母などは、「赤ちゃんが入院しているあいだは、ゆっくりできる。今のうちに寝なさい」とこれまた、ド正論。たしかに、そうだけどさあ、ゆっくりしたくないんだよな!よりにもよって今!ただただ、ワンの姿を眺めていたいのよ。べそをかきながら搾乳してせっせと病院に届けた。そんなにそばにいることを望んだのに、ハイハイを始めたころには、ワンは、眠いとぐずって追いすがるようになった。実家から旦那ちゃんと暮らすアパートに移って、日中はワンとふたり、「ねむいよ〜!ねむいよ〜!」と泣き叫ぶようなワンを相手に「いや、寝なよ!だから、寝ていいんだってば!」と冷静に説得しようとしてもダメだった。赤ちゃんの寝ぐずりだからね。ある日、この寝ぐずってジャマくさいワンの姿をビデオに収めておこうと考えた。正直、可愛いものではない。泣きながら追いすがってくるワンにカメラを向けて撮影した。いつもは、可愛いワンの姿を残すために撮っておこうと考えたけど、たまには、可愛くないワンも撮っておいてやろうと考えたわけだ。地味なイジワルだ。そのビデオを、たしか、三兄弟が、みな幼稚園より大きくなってから(時間ができたので)観てみたら、なんと、可愛いだけだった。あんなにうるさかった泣き声も可愛いだけだ。この可愛い赤ちゃんにキツク当たる私は鬼ハハだったろう。でも、私はこのビデオを撮ったときの苦しい気持ちをよく覚えている。渦中には、決してわからないこともあるんだよ、と実感している。そしてみんな、わかってほしいのは、その苦しい気持ちだ。時間が経って、楽になった気持ちを教えて欲しいわけじゃない。教えて欲しいタイミングもあるし、そう望む人には伝えればいいけど、大抵の場合、苦痛をうったえる人は、どんなに苦しいかを、わかってほしいんだ。それをよく覚えていないとね。教えてあげることで、いい気分になりたい人もいるじゃん?アドバイスは、いらない。聞きたいことは、ピンポイントで聞くよ!考えに考えて、質問をしぼってするよ。それで、いいんじゃん?まったく考えずにすべて他人に教えてもらおうとするのは、ダメだよ?まとまらないので、その後について。そんな赤ちゃんで、1年生のときには、登校班の上級生にイヤガラセをされて悲しそうに「学校に行きたくなくなってきちゃった」となげいていたワンですが、私の記憶では、小学校高学年には、近所の神社の公園で同級生たちと遊んでいたらプンスカ怒りながら帰ってきた。社殿の下にみんながもぐりこんで「ヤメロ」と言っても出てこないのだと。それを聞いて私は単純に「ふ〜ん、ワン?それはだめなことなの?」と聞いてみたら「ダメに決まってるじゃないか!」なんだろう、神様がいる場所だから?遊び場じゃないんだね。そんなこと、教えた憶えはないけど、知っているんだね。社会のチカラだなあ。←母、頼りない。プンスカして帰ってきても、友人たちには「ワンは、そういうヤツ」と理解されていたようで、孤立することもなく、うちではいちばん人付きあいにはマメ、呼ばれたら断らないと公言して成人式後の飲み会では、「みんな頼むだけで飲まないから」と残った日本酒を引き受けて帰ってきて青い顔をしていた。あの子は、まわりにいい影響を与えられるんじゃないの?と思っている。今年のお盆休みは、まわりと休みがかぶらないようにと気を遣っていたら休み損ねたよと連絡が来た。それに対して、働けることは幸せなことよ。働けるときは働いてくだされとこたえる私は、あいかわらずの鬼ハハかw 元気でいて。
2026年08月30日
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世の中に、我が子の不登校やひきこもりに悩む方がたくさんおられるということは、つまり、家庭を持って、そこで子どもを育てられる環境を持つ人は多いのだろうと予想します。私もあたりまえのように、そう育ってきて、我が子と対面したとき、考えたことがあります。おさらいします。① 子どもはいつまでも子どもではない。 もちろん、赤ちゃんはいつまでも赤ちゃんではない。だから、この子の可愛らしい赤ちゃん姿が見られるのは、「今だけ」だ。「今しか」見られないものを見ないのは、もったいない。だからこの目でしっかり見るよ(^_^)② 同じく、幼稚園児はいつまでも幼稚園児ではない。 小学生はいつまでも小学生ではない。(以下同じ)だから、子どもの学校生活を応援したり、一緒に遊んだりできるのも、はっきり期間限定だ。それ以外に「たった今」優先すべきことがあるだろうか?いや、ないな。私の能力で外で稼いでも大したお金にはならない。←これはわが家の特殊な事情。だったら、家でこの子と向き合って、子育てのスキルを身につけたほうがずっと役に立つ。(そして私は、あとふたり、男の子を産んだ)ここに書いたことに、心底納得した旦那ちゃんは、もはや、これは、自分本来の考え方だと思っている。(もしかしたらそうなのかもしれない←記憶に自信がない。)だから、子どもたちが小さいころから、とても協力的だ。病院通いにも、学校行事にも仕事をやりくりして、快く付き合ってくれた。あげく、地区の子ども会会長まですると言い出して、これにはだいぶ戸惑った。(向き不向きがあるからね?)公園で子どもたちを遊ばせていて、よそのおかあさんがケータイに夢中で子どもを見ていないなどということを「子どもと遊べるのは、今だけなのにねえ」とぶつくさ、いつも文句を言っていた。うん、あのね、今どき、予防接種もネット予約が多いんだってよ?かならず遊んでいるとは限らないでしょ?急ぎの用事かも知れないし。勝手にそう思い込んじゃいけないよ?前の日記に書いたように、ハタチそこそこで「正しくて、優しい人になる(正しい<優しいだ。)」ことを考えた私は、子を産んだときには、そう考えることがすでに、習慣付いている。ただし、私の視野は、我が子だけにとどまっていない。わが子らの生きる「世の中」自体が「正しくて優しい」世界でないと意味がない。そのためには、世の中のみんなに同じようにそれができなくてはダメだ。特別なことではなく、あたりまえに、そうならないと。そのためには、どうしたらいい?みんなにしてもらうためには、まず自分ができなくてはいけない(あたりまえだ)だから、自分ができるようになって、そのノウハウを伝えていこう(野望が、壮大すぎる)そう考えたときに、私は、世の中には、私よりずっと物がわかっていて、優しい人たちがたくさんいることにあらためて気付いた。それは、孤独感とは正反対だった。世の中の心配をするより、私は、自分のことに集中したほうがずっと役に立つ。本題に戻ります。(間違いない事実について)③ どんなに子どもが可愛くても、その人生をすべて見守り見届けることはできない。なぜなら、年長者は先に地上にさよならすることに決まっているからだ。(それが人間の寿命だ)だから、できる間に、世の中で生きていくために必要だと考えられることを、伝えていかなくてはいけない。このことは、私の伯母が次男を若くして亡くしたり、祖母が自分の三男を先に亡くしたりした様子を目のあたりにして、よく考えた。我が子が自分より先にみずから死んでしまわないように教えておかないと。防げることは防ごう。「どうにもならない」はあらゆることを試してからだ。④ 親は、ある日突然いなくなるかも知れないのだから、 子が産まれた瞬間から、じきに手を放すことを考えていないといけない。それをせず、ある日突然、突き放された子どもは、一人で生きていく知恵も力もなくて、困ることだろう。だから少しずつ少しずつ伝えて、習慣付けて、ひとりでも生きていけるように準備しよう。これは、私自身、健康に自信がないことで、つねづね身にしみて感じていることだった。彼らが独り立ちできるまでは、私は元気で生きていなくてはいけない、と。 書いてきたように、3年前に脳出血で片麻痺になった私は今、子どもたちの世話を何ひとつ具体的に手を焼いてあげることはできない。じぶんのことで精いっぱいだ。それでも、みんな成人して、それぞれの考えでそれぞれの道を歩き出した彼らは、自分の力で収入を得て、自由に生きてゆけるくらいになった。私は彼らに依存するのではなく、参考になる、ひとりの人の人生として、できることをすればいいと考えている。彼らの生きる同志として、おもしろいことをともにおもしろがったり、彼らが不満に思うことは、なぜそうなっているのか、私なりの説明をしたり、楽しいことや苦しいことを共有できればいい。「私のほうが年を取っているのだから、教えてあげなくてはいけない」とは考えないし、彼らが新しく発見したことを教えてもらって喜んだりしている。そして、その役割はやがて、彼らが新しい家族を作ることで誰か他の人に移っていくことになるだろう。で、じゃあ、具体的には、何をしておくのが良いかをわかりやすくまとめようとしているのが今でござるよ(豊臣兄弟!の再放送が始まったよ(^_^))かつて、ネコスケの同級生のお母さんに、「あなたの家はなんでそんな感じ?(要約)」と聞かれた経験を踏まえて、どうも上に書いたようなことは、よくわかっていてもうまくいかないこともあるという事実も知っている。私が実際に体験したことを中心に書いていきますお天気がわるくて暗いなあ。今年の秋の気配かな?台風がいくつも来ているらしいけど。クーラーはつけていない。ネパールの大土石流は、氷河が溶けたことによるものらしいです。あんなものは、氷河のそばに住んででもいない限りは、心配ないけど。そういう環境の人びとは気を付けないとね温暖化の時代には。知って備えておくれ。
2026年08月29日
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短大を出て勤めた一つ目の会社から出向していた、コンピュータのマニュアルを作る会社で、前に座っていた先輩社員の仕事中のおしゃべりにキレたことがあります。人前でキレたのは、憶えているかぎり、あれが最後です。ずっとあとになっても、イヤな気持ちになって何度も後悔しました。落ち着いて話せばよかったって。説明すると、自席の前に座っていた年上の女性社員が、仕事時間中も、となりの派遣さん相手に、前の彼氏がどうとか、今の彼氏がどうとか、ずーっと話してる。思うに、結婚が決まって浮かれていたんでしょうね。今にして思えば、20代後半の結婚が決まって幸せな女の子の心持ちなんて可愛らしいもので、まったく腹を立てるようなものではないとも思いますが、当時の私は、責任感と正義感の固まり、仕事時間中はだまって仕事するべき!だと考えていますから、ハリネズミとかヤマアラシみたいに毛を逆立てている状態。おしゃべりだけなら、自分の仕事に集中すれば気にならないけど、引き金になったのが、となりの派遣さんの「これ、オペレーターさんにどう指示を出したらいいですかね?」という質問に「そんなの、オペレーターさんが自分で考えてやってくれるよ」と答えたこと。これが、私にはガマンできなかった。プチッとなって、そのまま、立ち上がり彼女のそばにいって低い声で「それじゃオペレーターさんは何を頼りに仕事をしたらいいんですか!?」その無責任が許せなかった。そしたら彼女が傷付いた顔をして「私がワルイのはわかるけど、そんな言い方しなくてもいいじゃない!」と。私は気持ちを落ち着かせるために、そのまま廊下に出て、涙をぽとぽとっと落として彼女のところに戻り、「すみませんでした」と言いました。(エライぞ、小娘の私w)そしたらね、その様子をぜんぶ見ていた同じフロアの人たち(女性たち)がみんな私の味方についてくれたのです。だって、仕事中のおしゃべりにイライラするのはあたりまえですからね。そして、彼女は孤立することになって、楽しくおしゃべりできる平和な仕事時間はすっかりなくなりました。そうすると、はたから見れば、私はまるでいじめの首謀者です。そんなつもりはもちろん1ミリもない。私は自分の正義に従って行動しただけで、他の人たちに、彼女を無視しろと言ったわけでもないし、私は、彼女と合わないなと考えただけ。でも、(少し前に書いたとおり)小学生時代から人間どうしのコミュニケーションを自覚的に修練してきた私と仲良くしてくれる人は多かった。それだけで、1対多の構図ができてしまったわけですね。その後も何度も考えて出た結論が私は、正しくても優しくない人だった。ということでした。正しい<優しいだ。このイヤな気持ちはそういうことだな。納得した。だから、どんな正義感からでも、怒りを爆発させそうな人がいたらまあまあ、気持ちはよくわかるよとなだめることが習慣になっている。何に、どう怒っているかを理解してもらえればだいぶ落ち着く。できれば、解決策を一緒に考えられるともっといい。怒りの感情を有効活用することと、どんなに「自分が正しい」と思っていても、冷静に状況を鑑みれば、それが「加害者」になっているとも考えられることをそのときの私は学んだ。若い時で良かったよ(^_^)。だからね、若いうちにたくさん失敗して学んでね。それがあなたの財産になるよ。でも、いつだって遅くはない。いつからだってよりよい自分になれるんだよ。その努力はできる。 今度はあちら(北陸)に豪雨が。明日の昼には雨も落ち着く予報だそうです。なんとか耐えて〜水不足の地域にも降ればいいのにねえヒトに都合の良いことだけとはいかないよね
2026年08月27日
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今朝考えたこと。生きてゆく上で、私たちは、なるべく「間違えないように」「正解を」選びたいと考えている。でも、それって、誰視点の「正解」なわけ?私が知っているのは、オギャーと生まれた赤ちゃんが、社会人として独り立ちするところまで(うちの子どもたちくらいの人生の流れ)と、それから社会人を経て、結婚して年を取って子どもたちを産み育てて、高齢になった親が弱っていくのを見守っているくらい(私くらいの年齢の人生の流れ)のところまで、先日テレビで「バカの壁」の養老先生が病気(ガン)になって地上にさよならするときを考えるという番組を観たのだけれど(私の往生際?だっけ?)あんなふうに、ものをよく考えてよく知っている人がちょっとあちらへ行って「あちらはこんなかんじだから、こちらでは、こうしておくといいよ」と教えてくれたらいいのになと考えて、私は起きるなり、旦那ちゃんに「あの世から戻ってきて語った人はいないわね?臨死体験とか、それくらいよね?」と聞くという、不穏な謎行動に至ったのです。何でも教えてもらうことを考えなくていいんだよ、つまり。たとえば、子どもたちを全員東大理三に入れたという佐藤ママの人生を「大正解」だと考える人もいるだろうし、そのことにまったく意味を見ないし、興味のない人もいるだろう。それに人生に、「模範解答」というものがあるとして、私は自信マンマンの「誤答」にも興味津々だ。おもしろい。現実にも、模試なんかでの「こんな間違いをしたよ〜」なんて子どもたちの報告は大喜びで聞いた。間違えるって、確実に、経験を積むってことだ。だから私は、毎日「これで合ってる?」と自分に問いかけながら生きているわけですね。とてもじゃないけど胸を張って「これが合ってますから、おすすめしますよ」とは言えないのだ。人生をかけた人体実験みたいなものじゃん?毎日おそるおそる試してるんだから。だから私がその覚悟で試していることの結果を、ほほーん、そうなりましたかと見届けてくれる人がいればいいなと考えているけれども、まあ、まだまだいなくなる予定はないので先延ばしします。わかんないよね、私だってほとんど話したこともなかった父方の(晩年の)祖母と話がうまく合ったかもしれないんだから、晩年のおばあちゃんと、晩年の私が語り合う機会なんてないのさ、ヒトだから。だからもしかしたら、私のいちばんの理解者はまだ生まれていないという可能性もある、フツーに。何にしても、私は、もうずっと、あなたの敵でも味方でもないけど、冷静な理解者でありたいと考えているので、対人関係で、それがぶれることはない。その結果嫌われることもあるかもしれないけど、それは仕方のないことだ。でも嫌われている自覚はない。そう、さっき、「さよならノワール」を観ていて思い出したけど「逃げるが勝ち」は対人関係のことわざだよね。これって世界にもあるの?と口に出したら旦那ちゃんが「逃げるは恥だが・・・」は何?とああ、マンガタイトル&ドラマタイトル、そもそもハンガリーのことわざだと。「逃げるが勝ち」は役に立ちそう。逃げることを嫌がる人は多そうだし。少なくとも「お客様は〜」より、覚えてよw 子どもたちは。では最後に、今日の小ネタ。ゆうべ、歩きに行って帰ってきた旦那ちゃんが言うには「最近、前日の夜にゴミを出す人がいるんだよね」(不満そう)「ふうん。(明日は可燃ゴミの収集日じゃないけどね)何か困ることでも?」「いや、明日はビンの日だけど、もう出てんだよ」「決まりは守ってないね。そして、何か実害が?」「ビンはいいとしても、生ゴミはダメでしょ!前の日に出てるときもあるんだよ?」「それが迷惑なら、今のゴミ当番の人に相談して貼り紙するとか?」そして今朝。寝坊した旦那ちゃん。「ああ、ゴミ出しにいかなきゃ。収集車きちゃう」「うん、当日の朝に出せって、ある意味イジワルなんだよ?早起き前提だからね。」「あなたのなかでは『決まりは必ず守れ』っていうのが大前提になってるけどその『決まり』には無意味なものもあるってことじゃん?意味のないものは変えればいいのよ(^_^)」誰にもイジワルしない、ことを大前提にすれば、もっとラクに回るよ?いらつく理由が、誰かの迷惑になるから、でなく、決まりを守っていないから、ならその決まりの意味を考え直したいよね。単純だし、あたりまえのことだ。ただの考え方のクセだよ(^_^) 習慣にすればいい。また明日書きます。お日様注意。ギラギラよ。
2026年08月26日
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今朝テレビを観ていて、違和感を覚えたこと。カスタマーハラスメントへの対策が公的にも義務化されたという話題でコメントしていた菊間千乃さんが「お客様は神様ですという言葉が日本語にはありますが・・・」と言ったので「へ!?何ですって?」と動揺して、最後まで聞けなかった。あたりまえのことをおさらいするのが私の役目と勝手に思っているので書いておきますが「お客様は神様です」は昭和の大歌手である三波春夫さんが、自らの歌う姿勢を語った言葉で日本の言い伝えでもことわざでもないのですから、そんなものを盾に自分が「お客様」であるのだからと、「神様」扱いしろ!なんてわけのわからない理屈はありません。最後まで聞かなかったけど、たぶん、結論はそのようなことだったんでしょうね?心配なのは、菊間さんみたいな(元テレビアナウンサーで現弁護士の)ちゃんとした人が、日本語には、こんなものがあるけれど、と言ってしまうことです。ないんだよな、誤解なんだし、それは。ぜひ、その一般の誤った認識を訂正してくださるようにお願いしたいものです。少なくとも、フツーの顔をして「お客様は〜」って復唱するのはヤメテ(^_^)演芸のネタとして使っていたのはレッツゴー三匹だとAIが教えてくれましたが、たしかにあれを笑って観ていた昭和の人たちは「お客様は神様、は、三波春夫だよね」と知っているはずよ?子どもが、間違って覚えて恥をかいても困るし、対人関係を考えたことわざや言い伝えならもっとしっくりくるものがありそうですね(あとで考えるけどさあ)AIに聞いた方が速そうだけど、私の記憶のひきだしをひっくり返してもそのうち見付かる。これは、記憶の不思議だね。あ、全然関係ないけど、昔からご飯粒には七人の神様がいる(だから残さずきれいにいただきましょうね)という言い伝えがありますが、平成の若い人が「え、神様がいるなら食べちゃダメじゃん」と言った話がありました。いや、違うんだよなあ、もう、どうしたらw対人関係の習わし、イヤなお客が帰ったら「塩をまけ」←違うでしょ。あれ、なんかのドラマでまく塩がないヤツ、「ばけばけ」だっけ?借金取りが帰ったあとに「塩をまきなさい」とおじじさまに言われたおかあさんが貧しすぎて塩もなくて、まけないよってお話だったよね。思い出したけど、役に立たなかったわ。習慣ってさあ、大事だよね。脱線しまくりだが。昨日から始まった「税金で買った本」を観てそうか、図書館で本を借りる、も経験と習慣がなかったらどうしたらいいかわからないよね。うちの子どもたちは、私が連れていって、貸し出しカードを作ってもらって、読みたい本を選ばせて、扱い方を教えて、もちろん、食べたり飲んだりしながら開かない。みんなの本をよごしてダメにしてはいけないからね。破ったり、書き込んだりは言語道断だ。それは、自分が借りた本をめくって、実際に嫌な思いをしたら思い知る。(経験だ)そして彼らは、とうぜんのようにそれぞれの大学図書館で本を借りて読んでいたけど(買ったらめちゃくちゃ高い本もあるし?)最近ネコスケが大学図書館で借りたという本をぺらぺらとめくったらうしろに、貸し出しカードのポケットがある。歴史だね。おやと思って、ネコスケに「これを使ったことがあるかい?」と聞いたら「ないねえ。あれでしょ?どの本も先に借りている同じ人がいる!」←ヲタク?ジブリ。ネット。私が子どものころはあれがふつうだったけど平成生まれのうちの子らは、あのシステムを体験したことはないらしい。頭が疲れすぎて、どうでもよさそうなことを書きすぎた。新学期に向けたシリーズ、まだつづきます。ぼちぼち新学期も始まっているようですね(^_^)もすこし、涼しくなるといいね。
2026年08月25日
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母のお見舞いに行ってきて、衝撃的な事実を知ったので書いておきます。1)母の世話をしている父がなんでもかんでも文字にして手元で把握していた。 アタシか!?まあ、私はもはや不便なのでメモはスマホで取るけど。 父は、様々な裏紙を使ってメモ帳を作っていた。 そして、情報を物理的に管理している。わかる。 終わった案件は捨てればいいもんね(^_^)2)母が言うには、父の母(私の父方の祖母)は学校に通えなかったのを悔やんでいて 自力で文字を覚えて、やたら文章を書く人だったと。100歳まで生きた。 私がむやみやたらに、書け、書けと言うので思い出したらしい。 だって、頭の整頓になるし、記憶の強化にもなるよ(^_^)人が老いていく現実に立ち会う覚悟が必要だ。人間の誕生や消滅(違うだろ、死去?)を実体験する機会は格段に減ったよね。今は令和。教科書で学ぶだけでなく、せめて身内の人生に立ち会うくらいのことはしなくては。いいことばっかりじゃない。またね
2026年08月24日
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ややこしい話をつづけて書いているので少し脱線します。最近、実感したこと。ドラマ「VIVANT」のつづきを観ていて、最初のシリーズを観ていないとわけがわからないとか、3年も前で内容を忘れたよ、とか、いろいろ文句も出ているようだけれど、テレビ局としては、ネット無料配信も2周フルで、したし、テレビでの再放送も全話したので、これ以上の準備はできないじゃないの、という感じだと思いますよ。宣伝も相当してたし。そして、このシリーズのおもしろさをすでに理解している人たちはノリノリで楽しんでいて、今回は「悪役会議室」という、粛清された悪役のみなさんが集まって乃木憂助を貶める計画を立てるというテイで、実は、ドラマの今後の展開について真剣に考察しているという抱腹絶倒のラジオ?(ものすごいVIVANTファンだよねえ(^_^) 彼ら)ネット配信コンテンツもあり、私も楽しんでいます。国防という、一歩間違えたら「ふざけちゃいけないよ!」と怒られそうなテーマでドラマを作って、私などはもともと007もミッションインポッシブルも好きで映画は、コンゲームの基本「スティング」が大好き、ドラマは存分に楽しんでいますが、最初のシーズンでは、謎の世界的テロ組織テントが、実は、内戦で大量に生まれることになった孤児を守り育てる心優しい組織だったという、壮大でキレイなつくり話(過去日記参照ください)で、その「良い」目的のために、社会に混乱を起こして大金を稼ぐのはいいのか?とも思うし、追究しようと考えるとややこしい問題です。でも、ただの「つくり話」として、どんでん返しや乃木さんや別班メンバーのスパイ・アクションをポカンとクチを開けてただ楽しむのは喜びでしかない。かつての小中学生のように「ねえ、先週の放送、みた?みた?」と話し合うこともあります。テレビのわくわくふたたび、だよね(^_^)そして、出演者にはモンゴルやタイの俳優さんもいらして活躍している。お名前を覚えたいなと思うけれど、日本人の私には、どこをどう覚えたらいいのか見当がつかない。いや、チョッキー役のタナパックさんなど、かろうじてお名前のそこだけ。チンギスやジャミーンなんかは役名以外はまったく取っ掛かりがつかめない。それを踏まえて思い当たったのが、風さんの日本語の曲を外国のみなさんが声をそろえて歌ってくれるというのは、私の感覚では、ものすごいことだ。だから、風さんが、世界の共通語である英語で歌を作って歌えば、英語が母語でない国でもたくさんの人たちにわかってもらえるんじゃないかと、それは、ご本人もどこかで語ってらしたけども、英語圏だけでなく、英語なら多くの国でコミュニケーションがとれるんだと。それを目指してしていることを、日本語じゃないとわからない、わからないのよとイジワルされているように感じる人がいるのは残念なことだなあと考えます。そしてむしろ、風さんの最初の2枚のアルバムやプレプレマに収録されている日本語(ニッポンゴ)の曲を何もしなくても言葉として、意味を理解できる日本人のみんなは、超幸運じゃないの!?と思いますよ? How lucky you are!だ(^_^)正直、風さんが使う英語は、学校で習う英語を真面目にやってきたなら、決して難しくはない。難しいとしたら、年を取った人たち(私も)には、ネットスラングや若者の使う最近の英語表現を多用するときだ。でもそんなの、正確にわかる必要はないよ?大丈夫。日本語だって、若者言葉はわからないでしょ?いいんだよ、そこでヒクツにならないで。お願いします。仲間はずれにされた気分にはならないでね(^_^)仲間はずれにしてないよ、勝手に、された気分になってるだけ。私はとにかく風さんという人を、うちの子どもたちと同じくらいに信じているので彼の活動に水をさすのはやめてくれよ〜としか思わない。YouTubeのミックスリストで「ガーデン」が流れてきて、日本語だからボケっと聴いていても意味がわかるし、とてもいい曲だよね。最近のこの曲は、ライブで観客のコーラスを求めるのが定番になっているけれども、オリジナルの音源で聴くとLASA発売のころを思い出してしみじみしてしまいました。素敵な編曲にしてもらいましたね(^_^)そらのは〜て〜そして、Time will tellのアレンジカバーを聴いてきました。あれは、原曲の良さも合わせて極まって素敵。雲の上はいつも青空、だって。MIBを観ながら書いているので、これで終わり。←集中しろよ。この、シリーズ最初のウィル・スミスとトミー・リー・ジョーンズはいいな
2026年08月23日
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新学期を迎える子どもたちとおとうさんやおかあさんたちの役に立ちそうなことを書きたいと思いました。誰かに読んでもらえるかどうかは、私にとっては、あまり問題ではありません。必要なら、必要としている人の元に届くだろうと考えています。ただ、私の頭のなかに留めていてはまったく意味がないので、誰にでも読める場所に置いておくことにしています。私だって、ネット検索して誰かの書いた文章を読んでなるほどなあと思うことはあります。最近読んだなかでは、グーグルさんのオススメで「親をすることに飽きた」という趣旨の文章を読みました。もったいないことですね。どうしたって深く関わらざるを得ない「親子」が、腹を割って話し合って、共に生きるよい同志になれたら、こんなに心強いことはありませんね。うん、でも、きっと、あの方の主張には共感する人も多いことと思います。それに、うまくいく親子関係や夫婦関係ばかりとは言えませんからね(^_^)それは、知ってる。でも、子どもの巣立ちを自覚して、自分も気持ちラクになろう、というのは同意します。いつまでも、親だから、と、誰かを導いてお手本になることを自分に強いる必要はありませんね。卒親してくだされ(^_^)いくつか前の日記から続いています。(誰の敵でもない自分になる=なんかいや、を減らそうということです。リラックスしてね〜)昨日書いた、「その「楽しい」は間違っている。」脳内から快楽物質が出るというお話は、脳科学的な話です。見た目ではわからないし、自覚もないんじゃないのかなあ?でも私は、小さい頃から、(文字どおり)際限なく言葉を理解することを楽しんできて、そのことで学校の勉強では(文系教科では)苦労知らずで育ってきました。これは私の実体験なので、それをわが子たちにはすべての教科を「楽しい」と思ってもらうように準備してきました。それがいちばん、合理的じゃん。楽しいんだよ?学校の勉強が!毎日学校に通う子どもが教科の勉強やクラス活動、学校行事を「楽しい」と思えたら、楽しいことばっかりじゃないの!?正直に書くと、私は理系教科(数字自体)が苦手だし、学校行事もそんなに好きではなかった。でもね、クソ度胸(言葉づかいのワルさは教員の末っ子クマにいつも注意される現実)があったのと、ただ声が大きかったので、みんなの代表として、人前で話すことには何の不安もなかった。うまくできているものです。何かひとつはそれぞれに、これは楽しくていくらでも続けられるというものと、不安なくできて、他のみんなのためになりそう、ということがあるといいですよね。まとめると、好きと得意ですね。このふたつは違います(^_^)同じでもいいけど、違うほうが生きやすいよ?おそらく。子が赤ちゃんのうちにできるのは、親自身の心がまえと物理的な用意ですね。そして母親の私も、すべてのことを「おもしろい」と思えること、子にそれを伝えられることを目標にしてきました。だから毎日忙しいんだよ!w 倒れてる場合じゃないし、脳から血が出て、片麻痺になった私だからこそ分かることを伝えておかないといけないと考えました。これを私は、アホほどポジティブと呼ぶ。そのように自分の好きなことに時間や手間を使いたい人は、誰かを「いじめて」ドーパミンを出して快楽を得る必要なんてないんですよ。そんなヒマ、ないんですから。だから他人をいじめる人の話を聞くと「よっぽどヒマなのかなあ?」といつも思うんです。その「好き」や「得意」を獲得できなかった大人や子どももいて、そうなると、幸せな顔した人が憎いのかな?(だから僕は音楽を辞めた\ヨルシカ)まあ、ヨルシカさんの場合は、思春期の悩める心情を描いているのだろうけど、自分には好きも得意もないと考えてモヤモヤしている人の気持ちというのは、強心臓で自尊心高めの私には予測できないところなので、当事者の自己分析をお聞きしたいところですね。役に立ちますよ!(^_^)ぜひ、どこかに書いておいてくださいね!はい、今日も自信マンマンであたりまえのことを書きました。わかってんだよ、ただのおさらいだよ?私は藤井風さんという音楽家が好きなんだけれども、あの方はまさに好きで楽しいのチカラを有効活用した音楽の化身であると考えます。好きな曲を自分の得意な楽器(主にピアノ)で徹底再現して、結果、別の新しい曲に仕上げる。あの作業にあんなに夢中になって完成させられるのは、本人の才能と周囲の環境による。これは、彼のチャンネルに残っている過去の耳コピアレンジ動画を観ればよくわかります。才能はともかく、協力してあげられる環境は、努力すればなんとかなるかも?すくなくとも理解と協力はできるよね、親なら。それが子のためだからと否定してやめさせることばかり考えずに、子ども本人が自分の好きと得意を大切にして、生きることには意味があると思えるように後押ししてあげたいですね。自分にも、他人にも、ね?↑
2026年08月22日
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前の日記からのつづき。他人をいじめたい人のことを考えるとき、いつも思い出すこと。長男のワンが小学校1年生の冬のこと。それまで機嫌よく登校していたワンが、ある日、顔を曇らせて登校班の上級生兄弟にイヤガラセをされるのだと話してくれました。靴のカカトをふまれるとか、ワンの手袋のワルグチを言われるとかw(なんやねん)そのときは「ワンも、はっきりと怒りを表わすことができないからなあ」と考えて「ねえ、こわい顔して、マジメに、やめて!って大きな声でいってごらん?」まずは、自分で立ち向かうことを試してみてほしかったのです。ワンは頑張りましたが、やっぱりやめてくれないと。そして「なんだか、学校に行きたくなくなってきちゃった・・・」です。困っていることがあるとき、正直に話せる相手がいるというのは安心です。母親の私を頼りにしてくれていると感じました。とりあえず理解・共感して彼らがどんなに良くないかを伝えました。 「小さい1年生をいじめて楽しいなんて、サイテーサイアクだ!!」このまま、言った覚えがあります。いじめの脳内メカニズムは知らないけれど、本能的に、彼らは、小さいワンにイヤガラセをして、困ったり、嫌がったりするのを見て楽しいのだろうと考えました。そして、彼らの母親は地区の役員もしていて、しっかりした人だという評判も聞きました。(うちの旦那ちゃんからの情報なのであまりあてにならない)兄弟も熱心にサッカーをしていて、頑張っている様子でした。1年生を、いじめて楽しい気持ちがどこから出てくるのか、私には想像できなかったのです。私の取った行動は、朝の集合場所に同行して、ふたりの顔をじっと見て(どんな顔をしているのかしっかり見たいと思ったので)あなたの並ぶ場所はここ、副班長さんは、いちばん後ろでしよ?彼ら兄弟ふたりで、ワンを囲い込んでいたんですね。ちゃんと並んでね?ただの、子どもですよ、日焼けしたサッカー少年たちだ。そこからしばらく一緒に歩いて、たぶん彼らの「1年生をいじめて楽しい気持ちになる」は失敗したんでしょうね。そのあともずっと。あとは、班長さんにお願いして帰りました。ワンには、どうしてもやめてくれなかったら、おかあさんが、彼らのおかあさんに話しに行くからね(^_^)と言いました。でも、やめたんじゃないかな、たしか。憶えていないのがおそろしいところ。おかあさんはいつもワンの味方だ。(ワンの親だからね)これが、最近の研究によると、実際、他人をいじめることで脳内に報酬系物質ドーパミンが出るんだと、そしてその快楽を求めて、どんどんエスカレートしていくのだと。なんらかの中毒と同じ状態ですね。そんなものの餌食になったらたまりません。全力で逃げてください。逃げて〜!戦おうとか、説得しようとか、考えなくていいです。ただし、いじめてくるのが子どもの場合、往々にして、脳が未熟・未発達ですから、その負のサイクルから救い出してあげることも必要ですよね。理屈はわかりませんが、私が、いじめてくる側の心配をしたのは、たぶん、そういうこと。本能でしかない。でも、それは、加害側の保護者の仕事であって、被害側は、全力で我が子を守ってあげるのがいいと考えます。いじめは犯罪なんだから、懲罰を与えればいいという意見もよく聞きますが、それでは、効果がないのでは、とずっと思っていて、いじめることが楽しい、この快楽をもっともっと、になってしまっているなら、それ以外の楽しみを見つけることが有効ではないでしょうか。しつこいけど、被害側が考えなくてはいけないことでは、まったくないですよ。この辺りは経験者でもないので、あまり書けません。苦しみを乗り越えた方の体験談が聞けるといいですね。現実の事件にも、そのような脳の暴走では?と予想できるものが最近もいくつかありましたね。私は、ずっと腑に落ちなかったのが、霧が晴れたような気持ちになりました。これじゃ、ただ懲罰を与えてオシマイでは済みませんね。同じことになる加害者、被害者を助けないといけない。教育現場の先生方や、子どもを育てる、保護者の立ち場のみなさんの理解と周知が必要でしょうね。まだ書きます。
2026年08月21日
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昨日書いたことの補足。他人は他人(ひとはひと)と言ってしまうと冷たいようだけどつまり、いちいち他人と自分を比べることで苦しくなって欲しくないんです。他人は他人、自分は自分、と考えることは他人も自分も尊重していることになりませんか。そうなってほしいんです。嫉妬という感情は、人間にあってあたりまえの感情で、健全に活用されれば、とても強力な脳の動機付けになるのだと。すごいなあと憧れる人やもの、あんなふうになりたい、あれを手に入れたいその気持ちが正しく働けば、役に立つものですよね?まわりの人が、お手本になれるように、嫉妬や羨望の念を活用できていれば子どもたちもそれに倣うことができるのかもしれない。でも、あの人ばっかりズルイ!とか、何かズルをしてるんじゃないかとひがんだりして自分で憧れの人やものに近付けるように正しく努力している人がまわりにいないと、困りますね。正直、そういう人も多いと感じます。ひがんだり、どうせ自分なんかとさげすんだりもちろん、運が影響することもあるだろうし、自分なりの努力が、必ず望んだ成果を上げるとは言えない。それは知ってる。そこで分相応ですね(^_^)。分不相応ばかりを望んでも叶えられませんね。小3で入院中にあったことをひとつ思い出したので書いておきます。別の小学校に通っていた、同じ学年の子と病棟で会うことがありました。女の子ともうひとり、いつもついて回っていた女の子とふたりコンビで私の持ち物に興味津々で、そのうち、勝手に引っかき回すようになりました。想像するに「この子ばっかり、いろいろ持っててズルイ」でしょ?そのころの私は、まだまだ未熟です。子どもはみんな未熟だよ、じっさい。知ってる。ずっと我慢していて、最終的に「勝手に触らないで!」と泣きながらブチキレました。報告したら、うちの母もいっしょになって「あの子は行儀がわるいわね」とワルグチを言って。それはどうかと思うけど。←母にキビシイ。まあそこで私が怒りを爆発させたおかげで、彼女は懲りたのか姿を見せなくなりました。だから多少行儀がわるい程度の相手なら、嫌がっていることをはっきり示すことも役に立つのかなと考えます。イヤガラセをしてくる相手に悪気はなくて、未熟なだけ、はおとなの視点からは理解できるけれど、毎日悩んでいる子どもには納得できませんね、そりゃ腹立つわ(^_^)自分の気持ちをよく考えて伝えることが必要です。特にイヤなことを「や〜め〜て〜よ〜」と弱々しく伝えることしかできない子もいますね。(やさしい、やさしい)うちのワンも、そうだった。「いやなことは、真剣に、やめて!って言うんだよ?」って1年生のワンに言ったものです。でも結局、「学校に行きたくなくなってきちゃった」と悲しそうにワンが言い出したので私が出動しました。弱々しい1年生はなめられても、この子にはコワイ母さんがついていることをよく覚えておけよ?です。その話も書こうかな?wよく言うのは「私は、いじめられてても、きっとそのことに気付かない」と。鈍感過ぎて、イヤガラセされてても気にならないということもありますね、バカだからさ。まあでもね、バカ正直で他人に悪意を持たない人間をわざわざいじめてくる人はいないようですよ?小学生のときは、繊細で大人しそうに見えたからね、なめられたんだな。今日は病院にいって、血圧をさげる薬を減らしてもらいました。降圧剤は飲み始めたらやめられないのか?って話もありますが減らして、血圧に変化があるか、確認してみます。人体実験じゃ。
2026年08月20日
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9月の新学期をまえに、たくさんの子どもたちに気楽に過ごしてもらえたらいいなと大真面目に考えています。小学生や中学生に「死んだほうがマシ」と思われてしまう世の中って、どうかと思いますよ。そんなのを、放っておいちゃいけない。社会や、子どもたちの過ごす環境について、よく考えて研究してくれている人はたしかにいるんだと思うけど、私は、私の経験してきたなかで役に立ちそうなことを、ここに書いておきますね(^_^) 私は、私自身の子ども時代に、いじめの被害にあったことはないんです。むしろ、いろんなタイプの人たちに「アイちゃんは、大丈夫」と思われていたように感じます。それは、もしかしたら、フツーの子どもたちが、周りに自分の味方をたくさんつくって安心して過ごすことを目標にしていたとしたら、私はそんなのは、知ったこっちゃない立ち場だったというのも関係しているかもしれない。だから傍目には、いつも誰かとつるまずに、ひとりでいる私は「サミシイ人」に見えたかも知れませんね?小学3年生の三学期を腎臓の病気でまるまる病院で過ごした私は、突然家族と引き離されて、寮生活を送っているようなものだった。自分で身の回りを管理して、大人(お医者さんや看護婦さん)とひとりで向き合って質問に答えて、わからないことは、逆に質問して。たくさん考えたし、ゆっくり身体を休めた。あの期間が私の土台を形作っている。そこで入院治療を受けていることを、誰か(例えば母)のせいだと恨んではいなかったし、そこで、自分に今できることは何か?とよく考えた。とにかくよく寝て身体を休めなさい、と言ってもらえたことは、あのころの私にとっては、心底ありがたいことだった。徹底した減塩食と安静の効果で、入院生活の途中から、院内学級に通えるくらいになった。実際は、転校扱いになっていたと後で聞いた。憶えているのは、「今月の歌」として、ゴダイゴの銀河鉄道999を歌ったこと、あの曲のサビの英語部分は、3年生には難しすぎた。ずっとあとになって、このブログを訪れてくれたオーストラリアに住んでいるおかあさんが「英語ネイティブのうちの子が何を言ってるかわからない」と言っていたと教えてくれたのを憶えている。カッコいいけどね。残念。カッコいい英語と伝わる英語は違うんだな、日本語もそうだよ。あとは、書道バッグのなかで墨汁のフタが開いていて、道具がすべて墨汁まみれになったことを憶えている。ずっと、容器のフタを閉めるのが苦手だ。その自覚はある。当時も今も。大抵の瓶のフタは斜めになって開いているし、しっかり閉められることのほうが珍しかった。あとは、(超昭和美女ビジュアルの)院内学級の先生が私を「アイコちゃん」と呼んだことを憶えている。それは、キモチワルイのだが、わざわざ拒否するようなことでもない。あとは、(あとはあとは、と小学生の作文みたいになってるw)病室(女子部屋)のとなりの男子部屋から、ミカンの皮かなんかが飛んできて、みんなで騒いでいたら、コワイ看護婦さんにガミガミ怒られたことがあった。だってそんなものを、投げるほうがワルイじゃないか!と不満に思ったけど、夜間に騒ぐ小児病棟を静かにさせるのは、看護婦さんにとっては面倒な仕事で、それはそれは、大変なんだろうなあと想像した。何ごともなく過ごしていたら体験することのないことをたくさん経験した。だからといって、みんな小さいときに病気になりなさいよ!と言っているわけではないよ、もちろん!病気にならなくても、自宅で平和に過ごしていても、経験を積むことはできるのだ。逆に、自宅の環境に文句のある人もいるだろうけど、世の中には、自宅に帰ることもできず、病院で「おうちに帰りたいな」とサミシイ思いをしている子どももたくさんいるんだ。そう、想像してごらん?「想像してみる」ことができるのは、ヒトの貴重な能力だと思うよ。そうして私は、元々通っていた学校に戻って、4年生になった。病院で自分の身の回りを管理する経験を積んだことで、忘れ物やなくし物は減らすことができた。そんなのは、とんだ荒療治だけれど、子どもの持ち物管理に手を焼く保護者のみなさんは、ぜひいちど、子ども自身に考えてやってみる機会をつくることをおすすめします。「そんなこと言ったって、できないんだってば!」という声は聞こえるようにわかるけれど、できるように話し合って、一緒に手順を考えよう。育ったら、その「手順を考える」ことを本人がすることを習慣付けよう。それができれば、大きくなって社会に出ても困りません。あとは、人柄よね?親がいなくても「一緒に考えてくれる」仲間を作れるかどうか、だ。自分のことが自分でできるようになって、まわりに八つ当たりしたり、イジワルしたりしなくて済む子が増えたらいいなと願っています。私は、自分自身が、身の回りの管理が大の苦手なのにも関わらず、相談にはすぐのってしまう子どもだった。いつもくちばっかりだw すまん。それは、私の「わかる」能力によるものだ。怒り散らす母の様子を見ながら「この人は何でこんなに怒っているのかな」と考える。およそ不遜な子どもだけど、経験を積むには役に立つ環境だった。穏やかな家族に囲まれているなら、あなたはますます、優しくいることができて、世の中のためになるだろう。幸せなことよ?苦しい思いをしているなら、それも、あなたの財産だ。頑張ってくれてありがとう。そして学校という場所では、私は誰に対しても敵意というものを表さなかった。だって、正直、どうでもいいもの。私は、「もう学校に戻っていいですよ」と許可をもらって、大好きな本を、好きなだけ読んで、ハンバーガーを食べて、クリームソーダを飲んで、機嫌よく過ごしていたのだから、誰かに悪意や敵意を抱く必要なんて、これっぽっちもなかった。みんなお見舞いのお手紙ありがとう、だし。千羽鶴ありがとうだ。入院生活から復帰した私は、心配されたし、体育の授業ではいつも、私の望むラクそうな持ち場をまかされて機嫌よく過ごしていた。(人によっては、あわれむ人や馬鹿にする人もいたかもしれないよね?そんなの知らんが〜!w)給食のデザートはいつも、ジャンケンで欲しがる男子にあげてしまっていた。自分に悪意を示さない人に、わざわざ攻撃してくる人はほとんどいない。大抵の場合、「反撃」だからだ。したことに自覚がなくても「嫌われた」とか「馬鹿にされた」とか、勝手にそう感じて攻撃してくる人はいる。だから、まずは、「自分のこと」に集中することだ。他の人は、自分自身の人生に致命的な影響を与えることなんてできないよ?まずは、誰の敵でもない自分になろう、大丈夫。そして結局、私は、誰の味方でもなく、誰を味方につけようとすることもなく(私は私だからだ)ひたすら機嫌よく、みんなそれぞれの主張を「理解」して、うまく折り合いをつけようと工夫していたら、みんなが私を、信用してくれるようになった。自分に集中してね(^_^)書いてみると何も面倒なことはないよね。やっぱりあの本、役に立つんじゃないかなあ。
2026年08月19日
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去年の8月に書いた日記(「この8月に考えたこと。」2025年8月18日)を読んでみて、いつも思うとおり、私は同じことしか書かないなと考えて、もっと考えたこと。いつも同じことを書くというのは、考え方が「習慣付いている」ということだ。習慣になっていることというのは、そう簡単に変えることはできない。例えば、私が気付いたのは、私はいつも「自分に、問いかけている」。ほかの誰かに、じゃない。「自分が」どうかということを常に考えているんだな。それは「他人に罰を与えたいと考える人」「他人を叩き潰したい人」が自分とは違うから理解できない、のではなくて、自分自身も内包しているけど、いまだかつて理解できていない気持ちの動き方なんだろうと考えている。それはたぶん、合ってる。最近のNHKスペシャルで、現代の女子中学生たちが、戦争当時に先輩の生徒たちが書いた学級日誌を読んで、平和について考えるという話題があったのだけれど、やっぱり、戦争に突き進んだ「あの人たち」と自分を同じとは考えてはいなくて、私は、同じことをしないんだと思い込んでいる。しないように努めるんだ、と。自分にはできるんだと。それはたぶん、間違っている。人の能力に優劣のラベルを貼ったり、時代の違いでラベルを貼ったりするのも無意味なことだ。私は、笑い飛ばせるナンセンスを好むけれど、生きるうえでの無意味は好まない。自分がそのうち死んでしまうことを知ってるからだ。自分と違うから、あんなことになった、のではなくて、同じなのに、あんなことになったなりゆきを予想して同じことをしないように対策しないといけない。その視点から、私は「いじめ脳」の本が役に立つと思ったんだけれど、帰ってきたネコスケがペラペラとめくって言うことには「脳の働きに確定していることなんてないんだから、脳科学的に「だからこうなんだ!」と断言できることなんてないんだよ?仮説ばっかりじゃ役に立たないよ」言ってることはとてもよくわかる。それでも、確定じゃなくても、考え方を変えてみることに役に立つことには変わりない。可能性の問題だ。脳の仕組みなんて、生きているヒトの脳をばらばらに解剖して研究してみないことには解明できないだろうし、つまり、人工的にヒトの脳を再現することができて初めて少し分かるのかもしれない。ネコが言うには「わかっているのは、例えば、事故で脳のある部分を損傷した人にできなくなったことがある、そしたら、ああ、そういう機能を担っているんだねということくらい。」ネコスケも脳科学の専門家ではないので、専門分野では、きっともっとたくさんの研究実績があるに違いないと考えるけど、それは、勉強するしかない。さあ、勉強する、のは若者の得意なことだよね(^_^)お願いするよ?わかりやすく教えてください。少なくとも、ネコスケに、お母さんが何を知りたがっているかが伝わったのは価値あること。そして、ネコが言うには、何年か後に(来年?生誕100年記念で)芥川龍之介記念館ができるらしいから「おかあさんも行こうよ!」「もちろん行きたいけど、そういうところはバリアフリーじゃないから、難しいかもしれない」←歩けよ。脳の働き改善に挑戦だね。最近は、あちこちの博物館を見てまわったり、各地に伝わる物語の舞台を訪れてみることにハマっているらしい。元気なら何でもできるよ。体調管理は大事。民俗学とか博物学とかも勉強したかったんだよね(^_^)自力で勉強するよね。おかあさんは、経済学も勉強したかったよ。なんにしても、生きる意欲に結びつくことは大歓迎だ。そう考えてみると、私から子どもたちにも引き継がれている習慣はおもしろがること。わからないことに興味を持って、おもしろがって、知りたがること。これが習慣づくと、放っておいても勉強の得意な子どもになります。習慣付けって大事だね(^_^)おまけ最近は、ご飯の材料を庭で細々と育てて収穫することをたのしんでいる旦那ちゃんがグチっていたのが「大葉が虫食いだらけなんだよ〜」「誰が食ってんの?(ネット検索)ヤトウムシ?夜食べてるらしいよ?あとは、アオムシ、蛾の幼虫だね。いいよ!あげなよ!少しくらい」←役に立たない。そしてさっき、お昼のそうめんの薬味に使おうと収穫しにいったら、大葉食い本人がいたらしい。「ヤトウに勝ったぞ〜!(食べ尽くされる前に収穫できた)」「あら、写真とって、何だか調べればいいのよ」「そっか、もう逃がしちゃったよ」(それじゃ、また食われるねw)どんな虫もひねり潰さないのは、良い習慣(^_^)。すくなくとも精神衛生上は良いよ(^_^)。特に、お盆は。お盆じゃなくても、さ。
2026年08月17日
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以前、マンガ「ジョジョの奇妙な冒険」がスマホゲームになっていたときに、システムに不具合があるたびに、運営からアナウンスがある。それが「ユーザーのみなさまにはご不憫をおかけして申し訳ございません」という謝ってんだかなんだかよくわからない、残念な間違った日本語だったので、毎回苦笑していたのだけれど、それ以来、残念な日本語の誤用を「日本語がご不憫」と我が家では呼ぶようになった。たぶん、我が家だけでなく全国的にそうなんじゃないの、という気もするわ。読めますかね?ごふびん。正しくはご不便をおかけして、ね。不具合対応で現場は大変なんだろうなあと想像した。わざわざ意地悪な考え方をするつもりはない。ただ、「日本語がご不憫」は便利なんだよな、ごめん。スマホゲームも諸行無常の世界だよね。ほんと始まったものはいつか必ず終わる、を実感するよ。さっきネコスケからラインで連絡がきて、喜んだんだけれど、彼は、台風や線状降水帯の被害があった関東から運良く離れて東北にいたらしい。うまくすり抜けられるのも、運も実力のうちと言うけど(言わない?)本人の才能というか、生命力だよね。ぶち当たっても生き抜けば、もちろん、強い生命力だ(^_^)そういえば、私が一人暮らしをしていたとき、うっかりケータイを部屋に置いたまま出かけてしまって、しばらく連絡がつかなかった両親が心配して大騒ぎして、大いに怒られたことがあったのだけれど、そのときの私の気持ちが「私の生命力を軽く見すぎですよ」でした。つまりそのころから、各自の生命力ということをよく考えていた。そして、誰かの心配をして苦しくなりそうになったときは「生命力を信じろ」と落ち着かせるんですね。でも実際、放っておいたら死んでしまったかもしれないこともあるんだろうし、そこはしっかり、ネットワークを作っておくべきだと思うんだよ。でも、さよならするときはさよならするときだよ(^_^)アッサリ。金曜日のドラマ録画がたくさんある土曜日は楽しいな。そのうちまとめて書きますけどね、「Tシャツが乾くまで」は、予想外におもしろいな。松山さんのSNS遊びも含めておもしろい。なんなの、あの人、おもしろいねwではではクマが目の前でスマホゲームをしながら「自分のへっぽこぶりを堪能している」と笑っている。ダラダラのお休みでなにより。そんな日もあっていい。
2026年08月15日
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線状降水帯というのは、いままでの通り雨とか、ゲリラ豪雨とかとも違う。大雨が降っている仕組みが違うのだから、対応も変えなくてはいけない、当然。少し待ったら収まるものじゃないのは、一夜明けたあの惨状を見たらわかる。例えば、借りぐらしの小さな町に、大きなバケツで盛大に大水をぶちまけたら、水の行く先がない。いままでみたいに大きな川が氾濫して水害を起こしているのではなくて、空から落ちてきた大水が地表に停滞して、巨大な水たまりになって、そのなかでヒトが生活できなくなってる状態だ。水を効率良く逃がす仕組みが必要だ。そんなのは、昔からよく考えて街作りをしてきたんだろうけど、「昔」の大雨と今の大雨はちがうのだから、基本的な発想を変える必要があるし、でも、今すぐ作り変えるわけにもいかないんだろうから、なんらかの応急措置が今すぐ必要だよね。と考えた今朝。もちろん専門家の人たちはずっと考えていることだろう。ちょっと待って。これじゃ、ハザードマップの基準も変わるよね。とりあえず、考えたことの記録。そして、ずっと考えているのが、とんな正義感からだろうが、誰かに怒りをぶつけて爆発させることを、私は、私に許したくない。後になって、とても、恥ずかしく思うのだ。怒り散らしてから、それを後悔したことがある人に先日読んだ「いじめ脳」の本をおすすめしたい。自分を怒らせる人が、悪意を持って、周囲に嫌がらせをしている、と考えたら、何度も同じことをすることになるだろう。まとめようと思ったんだけど、読んでもらうのがいちばんたしかです。私に言えるのは、怒ったことを、後悔する人の役に立つ本です。ということ。人を怒らせる(いじめ脳の)人は「性格が悪い」わけでも、「知力が低い」わけでもなくて、脳が未熟で、自分が動くための脳の動機付けができていないだけ、とのこと。「未熟」というのは、よくわかる。経験が足らないし、誰かと一緒に学んで成長してこられなかっただけだ。でもね、なんでそんな人からの被害を自分がうけとめて、我慢しなくちゃいけないんだ!と腹を立てる人の気持ちはとてもよくわかる。アマゾンのレビューにも見られました。だからといって、罰を与えたところで改善はしないよ?意味ないことして、満足してちゃダメだ。(これは、私の本能)私は、直接「いじめ」の被害を受けたことがないのだけれど、たぶん、私をいじめたところで、満足な成果を上げることができない相手だからだったから、かと考えます。私をいじめようとするあなたは、大丈夫なのかい? と結局心配してしまうのですね。何の利点があって、そんなことをするのかなと、考えてきました。そして、自分自身も含めて、空腹と睡眠不足が人の気分に大きく影響することを自覚して、それを徹底的に避けるようになりました。とりあえずご飯食べて、寝て、だ実際にいま、いじめの被害に苦しんでいる人に即効性のあることではないかもしれないけど、逆に、いじめない側になる努力はできますよね。そのためには役立ちます。いじめ脳 脳科学が解き明かす「メカニズム」と「対処法」 (SB新書) [ 加藤俊徳 ]脳の働きを理解するって役に立つなあ。そして、ACEだな、やっぱり。具体的な経験について書いておきましょうかね、後日。世の中それどころじゃない感じですが。空気を読まないな9月がくるぜ、もうすぐ新学期
2026年08月14日
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朝ドラ「ばけばけ」にも、同じエピソードがあったけど、県知事のお嬢様がヘブン先生に贈ったウグイス、あれを見て、「それはウグイスじゃない、メジロだわ」とツッコんだ視聴者は全国にいたことかと。あの話って、回収されたんだっけ?ホーホケキョとは鳴かないよね、そりゃ。で、お嬢様の恋が終わって、最終的に放してあげたんだっけか。あまりにもイメージどおりの美しいウグイス色なので、そして、身近に見かけることも多いので、てっきりあのコをウグイスなんだと思っていたら、違うじゃん。わかりやすく目のまわりが白い、メジロだと。ボクなかないよ! 密漁されたメジロたち [ 国栖晶子 ]うちのお風呂場の外にある紅葉の新芽をついばみにくるんだって。旦那ちゃんが「かわいいんだよ〜!」と喜んでいた。ウグイスは、もっと渋い色合いなんだよね、世の中の「ウグイスなんとか」は、メジロの色をイメージしてるんじゃないのかなあ。念のために書いておきましょうね、ここにも。HANSA 7476 ウグイス 7cm JAPANESELEAFWARBLER 鶯 BH7476 ぬいぐるみ ハンサ クリスマス 誕生日 プレゼント 動物 犬 猫 鳥 うさぎ ペンギン アニマル 置物 人形 フィギュア KOESEN ケーセン 大きい マスコット 実物大 大型あとさあ、実につまんないことだけど、シュミレーションじゃなくて、シミュレーションな。元がsimulateだからさ。これは、いまだにテレビでもよく聞くんだけど、中学生か高校生のころになんのことを言ってるんだろうな?と実際に疑問に思ったことをよく憶えている。調べたさ〜、そんな言葉ないよな?と、気付いたときは笑ったし、間違った言葉で、正しく意思疎通するためには工夫がいるね(^_^)つまり、言いやすいんだよね?シュミレーションのほうが。だったら日本語にしたら?模擬とか、あるでしょ、いろいろ、合う言葉が。片仮名好きか!細かい間違いを指摘していい気分になりたいわけではなくて、自分の話している内容をしっかりわかっていて欲しいのさ。無自覚に発された言葉に振り回される子どももいるよ?大人は、しっかり考えて話しているって思うじゃん。少なくとも、ツッコまれたら「うるさい、いいんだよ」とか言わないで「え、そうなの?教えてくれてありがとうね」と言える余裕が欲しいよね(^_^)ナマイキとか意地悪とか考えないでね、お願いします。日記カテゴリじゃないけど、書いておくと「借りぐらしのアリエッティ」のテレビ放送を観ました。旦那ちゃんが家政婦のハルさんを「あの人はワルイ人なの?」と聞くので「それは、視点によるな」と言っておきました。私たちだって、地球に借りぐらししてるだけだよね。誰のものでもないんだよ。まだ考える。そして、母がまた入院して、「期待と最良の現実」について考えた。入院して不安な母が私に期待することは十分に予想できるけれど、そのとおりに私が行動することはできない。それは、とても苦しいことだ。私は、自分にできる(可能な)いちばん良いと考えられることをするだけだ。母の絵葉書にこたえて、手術頑張れと応援しておいたことは間違いではなかったと思う。身体の不調を治したいから病院に行くんだ。良くなる意志を持たなくてはいけない。私だって、3年前に地上にさよならしていたかもしれないんだ。それは、ひとりひとりの問題であって、誰かにすがったり、責めたりするようなことじゃないんだよな。今はじっと息をひそめて、母の生命力と生存意欲を見守るしかない。待つって力を使うよね。今はみんなこらえ性がないという。待つ訓練と習慣も必要だよ(^_^)ヘンテコなコースをたどった逆走台風は熱帯低気圧に変わったらしい、でも、まだあとからあとからくる。被災地にさらなる被害がなければいいなと毎日願っています。
2026年08月13日
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新しいドラマも観ているのだけれど、NHKBSで再放送中の「八重の桜」を最初のお話から日本の幕末から明治への歴史をおさらいするつもりで観ている。観れば観るほど「内戦はむなしい」と思うのだけれど、同じ日本国内の「敵」って何かな? 前の月曜日のお話は、ちゃっかり朝廷の名を借りた新政府軍への「恭順」を主張した会津の家老、西郷頼母(故西田敏行さん演)が会津を追放される流れで、あの「敵を倒して、会津の誇りを守れ!」の空気に反対することは到底無理だったんだろうと想像する。あれと同じことを、今の私たちはしなくて済むだろうか。←ここが問題。ドラマのなかだけの話じゃないよ?少しずつ、少しずつ、みんなの考え方を柔軟にしておかないと、いざというときに、感情に流されて同じことをすることになるんじゃないのかなあ。自分の心配はしないけど、これから地球上で生きていくヒトの未来を心配するよ。できることは、しておかないとね。地上のどんな戦いも、言ってみりゃ「地球内戦」でしかないよね。やっぱり虚しいのひとことなんだ。その労力、他のことに使ったら?お金も知恵もムダじゃない?とタイパやコスパを重視する若者みたいに、私だって考える。それを、誰のために考えるか、の違いだよね。視野狭く、自分の、今この瞬間だけを考えたら、ものすごく狭い。よくわからないけど、そういうものではない気がするんだよ。でもね、満足できる瞬間を積み重ねていったら、満足できる人生になるじゃん?とも考えられるね。また迷路に入り込んでしまった。日記ってそんなものだ。最近考えたことのなかでは、言ってわかるなら、言えばいいだけの話、というのが我ながらなるほどねと思えた。グズグズ考える間に動けというのもたぶん合ってる。日頃から考えるクセをつけておけば、行動までが速いよ(^_^)言われたことを正しく「わかる」ために、理解力をつけて、偏見をなくしておかないといけないよね。そんなの当たり前だけどね。最近ネコスケが、台風がくると(気圧の変化で)「すこぶる具合わるい」と言うので、台風のいいところも考えようと思ったんだけど、水不足の解消くらいしか思いつかなかった。あとは、いったん、更地に戻すオールクリア。これは、いいことだけとも言えないよね。壊されるのは大迷惑ってこともあるし。←その言い方、「も」じゃないでしょ、フツー。まあ私は、リセット症候群みたいなところがあるから。もともとオールクリアは、けっこう好きなんだ。知らない人ばかりのところに行くのも好き。新しくつくることが好きなのね。だからつまり、ぶっこわす!も好きだ。ぶっこわし蛍ってキャラクター(ドラマ銀河の一票)も好きだ。語彙力って、口がうまいってことじゃないよ?まずは、自分の感情をよく観察してね(^_^)何でもぴったりの言葉に置き換えて行くんだよ。何かあるはず。私たちが、言葉を使ってきた歴史は長い。おもしろい発見があったら、教えてね(^_^)
2026年08月12日
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ただの覚え書だけど、どこかに書かないと忘れてしまって、同じことを何度も調べることになるので、ここに、書いておきます。メモ書きとしてもだけど、いちど文章にすることで、頭に定着するんだな。理屈はわからない。何日か前に、入力した文字列からも、オススメの記事をだしてくるのか?と書いたんだけど、それが自身のACEについて語ったネット上の記事で、私はグーグル検索したわけでもなく、読み直せば、6日のドラマ感想に何度か「育ち方の問題」「生い立ち」と書いていて、思考を読まれたくらいの感覚を持ったのですね。そこまでしてないよね、グーグルさんは。そう、ACEって、印象のない言葉なんだけど、Adverse(逆境的)Childhood(小児期)Experiences(体験) ← wikipediaによると。のことですって。小さい頃に、余りにも苦しい体験をすると、その影響が成長してから出てくると。研究したフェリッティという学者が論文で発表したのが1998年だって。そんなの論文にしなくてもあたりまえだよという気もするけど、調査・研究してまとめた人がいると信頼度が上がるよね。うちのワンが1999年の初めの生まれなので、その頃には専門家のあいだでは一般的な知識だったのかな?そう「あたりまえ」なんですよね、古来から、でしょ? 親に愛されて、安心して、育ってこなかった人に、それを他者に与えることができるのかって話で、難しいと思うんですよ。そこを越えられるか否かというのは、何が鍵になっているんだろう。元来の性格?大きいのは、親以外の周囲の人たちの力だとも思うんですね。環境、社会?専門用語も、専門文章も踏まえていないので上手に書けないけど、たぶん合ってる(と思う)今みたいに、核家族があたりまえになった世の中で、親を頼りにできない子どもは、どうやってまっとうに育ったらいいのか、子どもの相手や世話をできる大人は多いに越したことはない。まあ、それでも、道徳的には、よろしくないおじおばいとこや親せきもいたんだと思うけど、まっとうな、見本になれる大人もいたんだと思うんだよ。そして、どんな環境で育った子どもも公立学校に通うことができるならば、そこで出会う先生や級友たちとの関わりのなかで変わっていけることもあると思うんですね。だから、先生方は、そのことをわかっていなくてはいけないし、問題なく愛情をこめて我が子を育てているよ!と言えるお家の人たちも、自分や我が子の偏見を減らして、みんなが苦しい気持ちを減らして、楽しく満たされた人生を送れるように工夫していかないとね?と考えます。そして私はうちの末っ子のクマを教育現場に送り込んで、澄ましているわけです。クマに「行ってこい!」と言えるのは、彼自身が、自分を極端に苦しい状態に追い込むことをさけることができるのを、知っているからです。それでも、運動部出身のクマは、時には、苦しいと思いながらも、自分の心身を鍛えることが必要なことも知っています。子どもに「頑張って」部活をやれ!と考えなしに言ってしまう環境で、自腹でも温湿度計を調達して、子どもたちが安全に安心して運動できる環境を作ろうとするクマを、私は信頼しています。だから大学を出たばかりのクマは頼りなく思えるかも知れないけど、「クマ先生に話してみたら?」と保護者のみなさんが信用してくれたらいいなと願っています。そしてもちろん、現場での経験は、どんどん積んでいかないといけない。今のところのびのびと勤務できているようです。お盆休み前の最後の勤務がクマひとりだったようで、戸締まりしてきたんだよ(^_^)と話していました。大変でもあるけど、信用してまかせてもらえることはクマの自信にもなりますね。いや、ホントに大丈夫か?wそう、そして、社会問題で「こういうことだね?」と理解できていないことが私にあると、クマと話すことができない。知らないし、どうでもいい、とか言いたくないんですね、そんなの、無責任だから。知って考えて、自分の意見を持っておきたい。私は、そういうふうに育ってきた。「いじめ脳」の本、読み終わったんですよ。私にはとても役に立つ内容でした。別の日に感想を書きます。あとひとつ、ずっと、若い世代を「無敵世代」と呼んで、自分たちとは相容れない態度や言動の世代の人々と考えることに違和感を抱いてきました。(何度か書きました)そこで表示されたオススメの記事が龍谷大学の村田和代先生の主張、「優しく」、とか「思いやり」とか、分析・理解して対処しようという金間先生の方法とは違いますね。でも、よくわかった。理解して活用してあげよう、は村田先生に近いかな?本を読むときに、アマゾンのレビューを読みにいきます。楽天より多いので。内容を知るためじゃなくて、その本を読んだ人に、どのような感想を抱く人がいるのかに興味があります。まあ、何にしても、怒っている人の書くことには、説得力がありませんね。村田先生の本に、学生の言葉づかいをただす、という内容があるようで、「全然、大丈夫」(?)は、「全然痛くない」にしなさいと指導しないとね、と。それに対して、全然を肯定で使うのは、近代文学では常識ですよ、ととうとうと述べ立てている方がおられて、それって、役に立つの?どっちでもいいよ!問題は、その違いを「間違い」だとこだわってぷんぷん怒り続けることなんだよ。残念だ。そして、その気持ちの動きについて、脳科学的に説明してくれているのが「いじめ脳」の本でした。←何について書いてるのかね。ごめん。そうだ、ネット記事にも、若者の言葉づかいについての指摘がありましたね。自分に向かって「先生、明日は、きますか?」ここは、目上の相手には「こられますか?」と言うべきでしょう、と。学生さんにそう伝えてくださったならありがとう、です。どっちでもいいよと流してしまうと学習も経験もできないもんね。いや、この話題は、「こられますか」だと「失礼だと思った」と学生さんが答えたというのがポイントです。そこ、わかる? その違い、ね。失礼にならないようにという気づかいで、「きますか?」ですよ、つまり。そこで「え、なんでなんで?」と聞ける間柄というのが貴重です。そんな関係性をどんどん作っていきたいですね。ちなみに、施設の若い新入職員さんが、体操をしながら「お茶を飲みながら運動してくださいね!お茶がない方は申して下さい」と言うのがおもしろくて、可愛くて笑ってしまうのだけれど、相手がクマなら迷わず「それは、変だよ〜!w」って指摘するのだけれど、年取った私が指摘すると、イジワルされてるって思うかなあと考えてしまって、まだ迷っている。クマに相談したら「正しくは、おっしゃってください、か?」「うん、そうだけど、まどろっこしいよね」「言ってくださいでいいだろ」「うん、そうだよね、ベテランの職員さんたちならかまわず、『お茶がなかったら、言ってね(^_^)』て言う」要点は、熱中症を防ぐために水分をとれ、だ。それが伝わればいい。言葉づかいが、正しい、間違ってる、の問題じゃないんだよ。だから「言いやがれ」でもなければOKだ。こういうことを言うとうちでは「言いやがってください」とか、ことば遊びが始まる。だからクマは、語彙が多い。散々ふざけたから。楽しいよね、ことば遊び(^_^)楽しい!がポイントだよ?よく寝て復活した。←またかよ。
2026年08月11日
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最近施設の床に立て続けにムカデが出現して、近くの席のオジサンが驚きの声を上げたこともあり、職員さんが飛んできて、手早くティッシュを数枚ソイツにかぶせて、どうするのかと見ていたら、踏みつぶす。ムカデって強くて、少々攻撃したくらいでは絶命しないと。うちのクマなら何とかして外に逃がそうとするだろうけど、利用者さんたちを守ろうと戦う山育ちの職員さんは容赦ない。それは心底納得できる。まあ、10センチくらいの細い小さめのムカデだった。職員さんが言うには「朝も出たんだよ。相方を探しにきたのかな?」そう、ムカデはペアで生息していて、片方を殺すと、追いかけて出てくるという話は以前も書いたことがある。でもそのあと、もう一匹同じくらいの大きさのムカデが出た。おや? ニョロニョロして、百足と言うくらい、足が多くて、気味が悪いのだ。いろんな生き物がいるけれど、蜘蛛やムカデや、黒いアイツなんかは見た目で損してるよな。う〜ん、でもそれも、育ってきたなかでの経験によるものなんだろうな。どんな害虫でも、可愛らしいと思える人もいるんだろうし。昆虫学者とか。昔、幼稚園児のネコスケが肺炎で入院したとき、付き添いで泊まり込んでいた私がシャワーと着替えのために家に戻ったとき、二階でワンとクマが「ムカデだ〜!ムカデだ〜!」と騒いでいる。様子を見に行くと、壁に大きなムカデが張り付いている。たしかにムカデだけど、よく知ってるな、2年生と3歳児。すこし前に旦那ちゃんと交代したところだったので、またすぐ病院に戻らなくちゃいけない。20センチはあろうかという見たこともない大きなムカデだった。戦って勝つ自信はない(お母さん、ヨワイ)だからといって、そのままにして、子どもたちがかまれるのは困る。素早く考えて「ワン、玄関の虫取り網を持っておいで」「はいはーい」そのあいだも目は離さない。見失ったら大変だ。虫取り網で捕獲して、そのまま、網ごと庭に放り投げた。しばらくしてから見たらいなかったから一目散に逃げたんだろう。あんなに大きく育つまでどれだけのピンチを凌いできたんだろう。キモチワルイとかコワイとかよりも、暴れずに捕まってくれてありがとう、と心から思った。畏敬の念くらいの。あのコは、私の想像では、旦那ちゃんが玄関に放り込んでいった、雨上がりの自転車カバーにくっついてうっかり家の中に入ってきてしまったんだろう。同居はイヤだけど、離れたところで平和に暮らしてくれたらいいなと考えた。それでもやっぱり、ムカデは苦手だ。ひとつ、おもしろいなと思って好きな話があるんだけど、日本のチビッコに人気のヘラクレスオオカブトとか、コーカサスオオカブトとか、そういうゴツいカブトムシ。南米の子どもたちに言わせると「キモチワルイ」んだと。寝てたら、枕もとにいたりするんだって。それは、ギョッとするよねえ。場所によるんだろうね。珍しくないし、自分の生活空間を侵されるのはイヤだよね、わかる。夜行性だからさ、夜中になって暗くなるとゴソゴソ動き出す。例のアイツも一緒。どんな生き物も観察してみたい気持ちはある。よく大人と話すのは、小さい頃は、テントウムシでも、ダンゴムシでも平気でさわれたのに大人になったらさわれなくなった。ほんと。ふしぎだねえ。それが、子どもにどんな影響を与えるか考えないとね。私の上げる悲鳴が、子に虫への恐怖心を植え付けるかもしれない。虫をいやがる私に代わって、文句も言わずつかまえてくれる旦那ちゃんがいてくれて助かった。ちょっといろいろあって元気がない。虫の話でお茶を濁す。
2026年08月10日
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クマの用事の車での送迎についていって(用もないのに)久しぶりに実店舗の本屋さんをぶらぶらしました。夏休み中なので、自由時間を持て余したらしい子どもを連れた若いお父さん、お母さんがたくさんいました。大きめのショッピングセンターだから、時間をつぶすお出かけにいい、と考えるのかもしれないけど、あれが楽しい子どももいるのかなあ?ふうん、不思議な文化だな。流行りのシールでも買ってもらうのか、ちいかわの映画をみるのかな?食べ物屋は激混みだし、子どもはツライよね。あのツラさを超える楽しさがあるのか。少なくとも、小さい私は楽しくはなかったし、うちの子どもたちも、自分の意志で断れるようになってからは行きたがらなくなった。欲しいものはピンポイントにネットで買えばいいし、ムダに人混みをウロウロすることないよね、だ。でも私自身は、本来お店のたくさん入った施設をひとりでそぞろ歩くことが大好きだった。本屋さんはもちろん大好きだ。昨日は、車椅子で行ったので、低い視点から、目にとまった本のタイトルを次々に読み上げて、それを旦那ちゃんに取ってもらって、パラパラとめくったり、クマには「立ち読みしたの?座り読みか!w」と笑われた。好きで座ってるわけでもないんだけどね。でもある意味楽チンではある。本屋のなかをダッシュしている少年たちがいて、旦那ちゃんと私に行き当たって急ブレーキをかけた(子どもらが、ね)旦那ちゃんは反射的に「ごめんね」と言いそうになって、たぶん頭のなかで「本屋で走るのはいいことか?」と考えた。ダメだよね。走るなら、広いところでどうぞ。お父さんは素知らぬ顔で、呼び寄せて澄ましている。「ここは知らないコワイおじさんの出番では?」とすこし思ったけど、正直、本屋だろうが、涼しいところで走り回りたい子どもの気持ちはよ〜くわかる。ありかなしか、で言ったら、キビシイ大人は「なし」と言うだろう。子育て経験者からすると、子どもには同情する。おとうさんおかあさんにも同情する。オン・オフの切り替えがきくといいよね。外は猛暑だ。子どもの外遊びには向かない。思い切り体を動かせる機会と、静かに行儀良く過ごせる「カッコいい」子ども自身になれる機会が作れればいい。それだけなんだよな。つねに行儀よくしている必要なんてないさ。その使い分けを教えてあげよう(^_^)子どもは「知らないだけ」と理解して。それでいいよ(^_^)手元に本はたくさんあるので、やたらに増やしたくはない。でもせっかく本屋さんに行ったのだから、そこに並んでいるものの中から興味を引くものを何か選びたかった。生物や博物学の本、地学、理学系の本の背表紙をざっと眺めて、最近出たばかりの翻訳もののハードカバーはものすごく高いし、買っても保管場所に持て余す。おもしろそうなものはたくさんあったけど。「新書コーナーに行こうか?」新書にはお手頃で最新の研究結果をまとめて論評した本が多いからね。扱いやすいし。「新書」通じるかな?案の定「新刊」と混同している。いや、そうじゃなくて、新書コーナー、あると思うんだよ?キョロキョロ。あった、あそこだ。ここか、最初に来たじゃないの、そう言ってよ。は?そんなの知らないよ。ああ、新書コーナーって名札があるけど、コミックに侵食されてるね、これ。あらあら。そんな経緯で新書コーナーでも背表紙をざっと眺めて、あら、新書なのにめっちゃ分厚い本がある。量子もつれの本だね。重そう(物理的に)今日はいいかな。いじめ脳 脳科学が解き明かす「メカニズム」と「対処法」 (SB新書) [ 加藤俊徳 ]どうしても理解できないので、脳科学的に説明してもらおうと、こちらを。しかし、私が今、いじめや不登校に悩んでいるわけではないのだけれどね。知ってるのと知らないのとでは、私の発言が変わってくるからね。なるほどなあって言いながら読んでるけど、著者も我が子に夜9時以降の勉強を強いて後悔してるって書いてた。そうなんだよ、「お腹がいっぱいで眠くない」状態を維持しようと考えるのは合ってるよね!私はまったく専門家じゃないけど、本能的、経験的に知ってんじゃん?ん、「経験的」のほうが合ってんだな、たぶん。読んでまとめて、これは有用と思ったことを書きます、そのうち。「紐解く」はこの本の著者が多用する、導入のことば。少しずつほどいていく感じがよくわかるね(今さらか)学校の先生たちや、子どもを見守り育てる立場の人たちはわかっていたほうが良さそうなお話がたくさんです。まあでも、批判的にも読まないと、うちの子らからツッコミが入るので盲信するわけにもいかない。子どもに現職教員と遺伝子研究者がいる環境はなかなか油断ならないのだ。うん、でも、有効に活用しないとね。私が論破されないようにしなくちゃ。ちゃんと読まないと。ほんとに「いじめ」が理解できないんだよな。だからって、「知らんわ」って言いたくない。何か役に立つことを言いたい。昨日の夕方ごろから少し涼しい風が吹いてきました。9月にはちゃんと秋がくるといいね日本の四季が危機だと。残念
2026年08月09日
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今日は立秋だから、暦のうえでは今日から秋らしい。でも暑いんだよなあ。さっき考えたこと。誰かの言う事や行動に「それはないわ!」と腹を立てるとき、いちど「ほんとに、「なしか」?どうして?」と考えてみたい。今はネットが便利だから、少し検索すれば意外と「なし」でもないんだなという世の中の事情がわかる。大抵のことは「あり」だ。思い込みで誰かに腹を立てる前に、落ち着いて調べて考える余裕が欲しいよね(^_^)まあでも、愛想のいいAIを味方につけてなんでも自分好みの回答を得ようとしないことにも気をつけないとね。まあ、私は、つまらないことで怒ってほしくないんだわ。そのイライラは世の中を良くはしないよ?どうしてもダメだと思うことは、そのことに気付いてもらえるような手段を考えようよ(^_^)ゆうべ、昔のことをいろいろ考えていたら心がザワザワしてきてイヤな感じだったんだけど、ネットに上げていただいたPre:Prema福井Day2の「満ちてゆく」を聴いているうちに眠ってしまったらしい。「満ちてゆく」は私の睡眠スイッチを押すのですかね(毎回寝る←ダメ)寝て起きたら、すっきりだ。心がザワついたときは、やっぱ寝るに限るな。グーグルさんは入力した文字列からもオススメの記事って引っ張ってくるのかな?ちょっと怖いけどねえ。まあ、参考にはなる。検索AIの「もっと調べましょうか?」は、大きなお世話なことが多いけど。日記でした。台風には注意ですふたつ、きたね。
2026年08月07日
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最近観て、憶えているドラマの感想を書いておきます。時季で分けると、どこかに入るのだと思うんだけど、わからない。わからないことはわからないとそのまま言ってしまう。ついこないだまで放送していた「ミッドナイトタクシー」おもしろかった。朝ドラの「風、薫る」が至極深刻に進行するので、夜ドラのこちらが笑わせてくれることが多くて、助かった。古川琴音さんの演じるタクシー運転手さんの車に乗る人たちの様々なドラマを描きつつ、運転手さん=象子(しょうこ)さん自身のお話でもある。古川琴音さんも、レギュラーのみなさんもよかったですね。書いておくと、育ての母のムリさん(和久井映見さん)、ムリさんの担当する女優の寿々木麗華さん(伊藤万理華さん)、タクシー常連客の八雲さん(中村蒼さん)、喫茶「つかれしらず」のマスター竹中直人さん、あと、後輩の女性、ごめん、お名前忘れてしまった。でもよかった。実母の山本未来さんも出番は少なかったけど、よかったですね。東京の深夜を走るタクシー、お客には、宇宙人もいりゃ、魔法使いもいりゃ、未来人もいりゃ、幽霊だっていたっておかしくない。そんなこともある、と冷静に対応する役が、琴音さんにぴったりでした。未来人が登場する回で「宇宙人?そんなのいたっけ?魔法使い?」と首をひねっていたら、そばでながら見してる旦那ちゃんに「ホウキ持ってた人たちいたじゃん!」と言われました。いたねえ、たしかに。でも、そーいうフツーじゃないヒトたちに「時々いるんですよね。自分の国のお金で払おうとする人」って冷静に対応するのおかしい。未来人のタイムマシン、痛車にしか見えない。ドラマだからこそ描けるね(^_^)。最後のエビソードの、実母に置いていかれて恨んでいる兄妹の(妹さんの)お話、興味深かった。人が育つ境遇って大きな影響を与えるよね。私はあんまり、他の人を恨んで、誰かのせいって思いつめることなかったけど(アホのポジティブだから)誰かのせいって強く思ってる人もたくさんいるのかもしれないよね。そういう人たちの気持ちも気楽にしてくれると嬉しいな、風さんみたいな人が。(急にw)ドラマの感想を書いていますよ。同じ古川琴音さんの「魯山人のかまど」もおもしろかった。偏屈な魯山人に無理難題を振られても大真面目にこなす編集者役、とてもよかった。あの、魯山人の人物描写には今ならパワハラ!という感情的な意見もあったようですが、昭和〜って感じでしたね。現代の私たちには、スマホひとつで、北大路魯山人(藤竜也さん演)という人の生い立ちを調べることもできる。あんなふうに、気持ちのコントロールが効かないように育って大人になる人の都合も考えたい。みんなが同じように育つわけじゃないんだよ。同じじゃないぶん、かつては、いろんな性格の人がいたわけだけどね。いいこともわるいこともあるんだよ。なんにしても、生き物や自然、文化を愛でる姿は素敵。これから少しずつあつめていこうかな。画一的な教育は、みんな同じ程度に同じことができるように育てることはできるけどその代わり、個性の芽を摘んでいるとも言えるよね。それを自覚したら、これからだね(^_^)あとは、「ムショラン三ツ星」も観ました。こちらも、「育ち方って大問題」ですね。お金があるとか、ないとかの問題でもない気がするんだけどなあ。お金はあるに越したことはないと思うけど、浪費癖があったらいくらお金があっても足りないよね。施設の療法士さんと話していて、小中学生のおとうさんなんだけど、「仕事いやだな〜、庭で野菜育てていたいなあ」ってグチるので「ねえ、そんな世の中に子らを放つのは心配じゃありませんか?」と聞いたら「それはもう」と今どきうまくやっていけるのは、(大谷選手みたいに)特別な能力を持っている人と、家柄のいい人(親ガチャ当たりの人)くらいじゃないですか!?と暗いことを言うので「ん〜?フツーにマジメに働いて、ギャンブルとかで散財しなければ暮らしていけませんか?つつましく。」と。どうしてそんなにお金が必要なんだろう。闇バイトとかで、今すぐまとまった現金が入手できればいいってなるのは。お金っていざ使おうと思うとけっこう大変だけどね。欲が深いのかな?使い道がたくさんあるのかな?私の生きてきたなかに、そういう価値観を持った人はいなかった。あ、隣の部署のエライ人が、会社のお金を使い込んでたって話があったな。直接関わりないけど。ごめん、また風さんのこと書くけど、「小さなことで満足することに上手になってください」だよね。ものは、いらないな、そう考えると。ドラマに戻ると、要は、刑務所の給食指導をする栄養士さんのお話。元々イタリアンのシェフで、子供たちと生活するために仕事を探していて、刑務所内で働いた経験を描いた、これは、実話ベースですかね?ちょっと待ってね。(・・・)実録エッセイから漫画化→ドラマ化だって。ネット便利だな。別の日に書くけど、医療小説を書いてる夏川草介さんが先日朝イチにゲストで出ていて鈴木アナが「実際にお医者さんで忙しいのに、小説書くの大変じゃないですか」って聞いてたけど、体験したら逆に、書ける人は書かずにはいられない、よね。社会問題に関わることならなおさらだ。そんな気持ちをこのドラマにも感じたけど、こちらは、現場の経験を描いただけで、こうしたら?とか、こうすべき!みたいな主張はあまりないものでした。それでいいと思うけど(^_^)私は誰かが料理して美味しくいただく様子を見るのが好きなので、どこだろうと、お料理風景を観るのは大好き。子どもと一緒に料理をするのも大好きだった。夏休みには、何回かパンやクッキーなんかを作るのが恒例だった。台所体験はなるべくしたほうがいいよね。育ってもじきに役立つ経験だし。うちの子らは男子だけど、学校の調理実習にも張り切って参加してきたので、母親の私にはできない魚をさばく調理ができたりする。まあ、で、舞台が刑務所なので、犯罪をおかす人の事情と、その人たちへの偏見(思い込み)について何度も考えた。できれば、刑務所の食事はこうあるべき、よりも、刑務所に行かなくて済む生き方ができることを考えたいかな。それ以前、か。顔ぶれはいつもどおりに豪華でしたね。小池栄子さんは今「さよならノワール」も観てるけど、ドタバタした感じも落ち着いた感じも上手ですね。私は新宿野戦病院のヨーコ先生が好き(^_^)以上とりあえず。おもしろかった
2026年08月06日
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振り返った時に後悔しなくていいように、そのタイミングで考え抜いて、そのときいちばんいいと考えられることをする。小さいときから、常にそれを意識して生活してきました。いつの日も「あのときの自分を信じろ!」って思えるように。そしたら、それを集めて連続的に、満足できる、信じられる人生を送れるじゃん。変な子どもだよなあ。バカボンパパのおかげかね。そうは言っても、実際に振り返ることができるようになったのは、もう人生半分過ぎたくらい(50代)だからじゃない?とも思う。でもどんなに小さな子どもでも、今日は明日になったら昨日だ。そのことを理解して、自分の毎日に責任を持って・・・責任持って、ダラダラしても、いいんだよ?(^_^)ひたすらダラダラしていたい時期だってあるさ!充電期間って言うんだよ(^_^) よく知ってる。だからダラダラはダメ!!なんて、ヒトゴトみたいに他人を苦しませることをいう人は、自分の毎日によほどの自信があるんだね。ダラダラだろうが、とにかく悔いのないように過ごしてくださいね(生きてね!楽しいことはたくさんあるよ(^_^))。他人の言うことはあまり気にしなくていいです。5月に書いた日記に「怒りの感情について」(5/6)というのがあって、その後日談を書きます。次男のネコスケが精神的な不調を覚えて、それがどうも遺伝的なものではないかという話になったとき、私の母が「心配でツライ」と娘の私に泣きついてきたので「何がどうなって、私に泣きつくのよ!?」と腹を立てた話です。そこで怒りを爆発させることはないけど、黙って耐えることもしません。ちゃんと伝えなければ「良くなっていかないじゃん」と考えているからです。電話で言い合いになるのはイヤなので手紙を書きました。そしたらその後、母から「反省した」とお返事がきました。孫が可愛いばかりのバカなばあさんだと思ってくれ、と。そんなの、私ばっかり悪者みたいじゃんw 怒らないけど、グズグズ話し続けようとする母に「いや、それ、文章にしてごらん?私は、聞くのイヤだよ?やめて!」ってきっぱり言ったんですね。「アイコは「うんうん、心配だよね」って聞いてくれる」と期待していた母は、ショックを受けたんですね。でも私自身が、動けなくなった今、子どもたちの役に立つにはどうしたら?っていつも考えている。役に立つって、邪魔することじゃないです。心配だ〜!心配だ〜っ!て言ってても役には立たないんですよね(^_^)心配は、させる方の問題じゃなくて「する方」の問題だと考えます。怒るも心配するも、まずは主体的に何とかできないか考えよう。他人を変えることはできないけど、自分が変わる(考え方を変える)ことはできますよね(^_^)これがいちばんポジティブだ。そのような経緯があって、母は、うちに電話してきて心配ごとをぶちまけるのをやめました。言わなきゃわからないけど、言ってわかるなら言えばいいだけのことじゃんね?wまあ、あのときの私、よくやった、よね。しかし、折り悪く郵便も不便になり、隣の市でも配達日数がかかる、もはや。でも、それくらいの頻度と速度でいいか。私も口ばっかりでフットワークは悪く、あげく身体半分動けなくなるし、申しわけない!といいながら。でも結局、みんなそれぞれの人生はただ、別のラインで並行しているんでしょう。自分の人生を誰かのものと錯覚したり、だれかの人生を自分のものと誤解したりするのは、家族というものの特性かもしれないね(^_^)?おりしも、集団就職で東京に出てきたみね子さんのお話である「ひよっこ」の再放送が始まりました。うちの母も18歳で田舎から東京に出てきた人です。いくつか子どものころから、印象深い話を聞いたので、書いておきます。勤め先のエレベーターにのったら、ニコニコと満面の笑みを浮かべてそこにいた井上順さん。「この人、知り合いだっけかなあ?」と思ったそうです。井上順さんがテレビ画面に出てくると、いつもこの話を思い出します。(最新のVIVANTを観ても)王貞治さんが「天ぷらそば、天ぷら揚げ立てで!」とよく食べにきてたよと聞いたので「ねえ、長嶋さんは?」と聞いたら「長嶋さんはねえ、中華が好きだったの」だって。だから和食処にはこない。あと、ジャイアント馬場さんがおそばを食べているのをつい眺めてしまっていたら「そんなに見ないでよはずかしいじゃない!」とからだを縮めていたと話していましたね。背なかを丸めておそばを食べる馬場さん、想像するとかわいらしい。「それで足りるのかなぁ」と思って、と言うと「だってお金ないもん」と話していたと。いつごろかな?馬場さんの経歴的に。母はハタチで結婚して、仕事をやめているので、それは、18歳から20歳のあいだ頃の話ですね。その後の、若い母親である彼女の事情や心情は想像できるし、病気ばっかりする本読みだけは異様に好きな、上の娘に手を焼いたことであろうと今さら同情する。だから私は、まるで自分が自分で育ったように考えていないし、あの両親がいたからこそ、これだけよく物を考えるヒトに育ったんだろうと考える。ありがとう🙏それぞれの人生のラインは、どこかでばらばらになったり、途切れたりするんだろう。それはもしかしたら、見えないだけなのかもしれないね?並走している人たちを大切にできればいいんじゃない?それでいいよ。今、見えるのは、貴重なことだ。
2026年08月05日
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言語化のオニは、自分の文章に誤字を発見すると、しばらくドーンと落ち込む。指摘されることは平気だけれど(なんならもちろん、ありがとう!と思うし)中学生のときに書き散らした文章に運命を運明と書いてしまったことがあって、それを同じ班のピアニスト男子(お察し・ベートーヴェン)に指摘されたことをいまだに覚えていたりする。あれは、クラスの班のメンバーと担任の先生とで回す交換日記みたいなもので、私は、今と同じように、あった出来事や考えたことなどを小さな字でずらずら書いていた。書くことは好きなので苦痛に思ったことはない。先生は時々、内容に関してコメントしてくれたけど、他の人たちは、そもそも長くて意味のない文章を読むことはないだろうと思っていたら(先生は、災難ね)もっとも読みそうにない男子に、内容についてツッコまれて驚いたのを覚えている。はあ、ヒマだなあと思ったら、時間つぶしくらいには、なるのかもね?と考えた。その考え方は今も変わっていない。ヒマつぶしにどうぞ(^_^)。どういう仕組みになっているのかわからないけど、「よく読まれている記事」という項目に、自分で開いたのではない日記が含まれていることがあって、(それはあたりまえなんだよなあ、本来)珍しくて読んでみるのだけれどw 早朝・深夜に誤字を見付けてイヤな汗をかいたりしている。しかも固有名詞じゃないか!なんで気が付かないんだよ!あわてて直しておきました。最近の日記に見つけたときは黙ってコソッと直している。校正(文字チェック)の仕事をしていた経験から書くと、自分の書いたものに誤りがないか確認したいときは、自分ではなく、他の人の目を頼りにしたほうがいい。ワープロソフトにはスペルチェックという機能があって、コンピュータが「間違ってるよ?」と指摘してくれるけれど、私のように美しくない日本語を多用する人は、何でもかんでも「だから、間違ってるってば!」と指摘されることになるので、私は、使わない。以前、クマの学年の二分の一成人式お祝いのカードの文字入力を、私ひとりがしていて(例によって)「入力するのはいいけど、文字チェックはお願いしますね?」と念押ししたことがあった。間違えるのは当たり前なんだよ。間違えようと思って間違える人はいないよ。自分でチェックするには限界がある。指摘されて初めて、間違いに気付くのだ。これは、役に立つ経験だったと思うよね。自分は間違わないと考えている人はあぶないな、自信満々か?実際、入力するときも印刷前も確認したけど、役員のお母さんたちに見てもらったら、名前の漢字間違いがいくつかあった。クマの学年の子どもたちの名前は一筋縄ではいかない(簡単に変換できない)ものが多かった。それを実感した。そして、人は間違えるのが当然と考えることで、私は、私自身を楽にしてきたのでしょうね(^_^)脳の働きにもありそうだよね。違う文字を合ってると認識する。他人の間違いにも寛容になったと思うけど、文字や数字程度の間違いには「そういうこともあるよね」と笑って流せるけど、人としていかがなものか、みたいなことは、いまだに流せない。でも、怒るより、まずは理解したいと考えるんだ。そして犯罪者の思考を推理しようとして「そんなふうに考えなくても」と家族の誤解を招いたりしているのだが。私の考えじゃないよ。ドラマ感想を書いてしまわないとねと思っています。これがさあ、感想を乾燥と変換していたりするのよね。左側が弱い。さらに弱くなったな。変換候補の文字が左から並ぶから、注意力が続かないのか?空間無視って言うんだって。見えてるけど無視する。左側の空間無視は右脳損傷の後遺症。まあ、落ち着け!だね。「話が古くなる!」の感覚がいまだに強い。ではでは
2026年08月02日
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身体の左側が麻痺するのは、右脳が出血して損傷したからだそうです。ちなみに、そんなのは脳に自覚症状がないので、私にはわかりません。脳は左右で担当する機能が違うので、右脳を損傷した私は、身体の左側の動作ができなくなった。左脳は、発語や計算、論理的な思考を担っているらしい。おしゃべりな私は、左脳が無事でよかった、ということになるけれど、救急車で運ばれたあとの私の脳のMRI画像を見た旦那ちゃんが言うには、両方の脳の血管がボコボコとふくれて、まるでブドウの房のようだったと。こっわ。だから3年経っても彼は、そのまま私の脳の血管が大爆発を起こすことを怖れていて、びっちり私に付き添って面倒を見てくれているのですね。今の私の気持ちとしては、実際に年を取って、身体が弱って動けなくなる前に体験することができてよかったよな、と、あくまで、アホのポジティブなんだけれども、しっかりした人たちは、そんな目に合わなくても想像して、対策できるに違いない。だから、あなたは大丈夫(^_^) 対策して準備してね(^_^)反対に、左脳を損傷した人は、発語が不自由になるという。話したくても言葉が出てこないのか、そもそも言葉が思い浮かばないのか、経験していないのでわからないけど、でもかつて、話し始める前の小さい長男のワンとしっかりコミュニケーションがとれていたという実感を持っている私は、人間どうしの意思伝達に、必ずしも言葉が必要であるとは考えない。最近、右片麻痺で施設に通うようになった利用者さんが、車椅子で、私たちの座っていた長机に突っ込んだ。とっさに「わ!すいません!」が言葉で出てこないのは、わかる。でも考えてみれば、同じように右片麻痺のオジサンはいつも、「すまないね!」と言うように動くほうの手を顔の前にあげる。言葉が出てこなくても、だ。だからね、相模原の事件で、「言葉でコミュニケーションが取れない障がい者は『心失者』だ」と犯人が言ってると。たぶん、違うよね。わからないけど、彼らと家族たちのあいだには周囲にはわからないコミュニケーションがあったんじゃないのかな。それができるかどうかは、「健常」と呼ばれる人たちのあいだのコミュニケーションがかならずしもうまくいくものではないことを考えると、簡単にできてるまたはできていないを判断できるものじゃないんだろう。難しいな。よく考えてみます。私なりに。違うの。もっとのんきな話を書こうと思って。テレビで国会中継なんかを見かけると、旦那ちゃんが「野党は、選挙前に自分たちが言ってたことを与党が言うと、澄まして、反対!って言うよね」と毎回毎回言うので「まさに、手のひら返しだね(^_^)毎度とりあえず何でも反対しておくスタイルだからね。建設的でない。」と、このやりとりも、うんざりするほどしていて、私がそう思うってことは、若い人たちもきっとそう思うんだよ。政治の形って何かしらの意味があるんだろうけど、もはや形骸化しているのでは?形骸化しているものにお金をかけるのもムダよねえ、とこれも若者は思うことだろう。そもそもってところで解説してくれる視点の新鮮な政治学者さんがいればいいよねえ。そしてね、先日書いた「マイルール」の日記を踏まえて旦那ちゃんが、私のすることにいちいちケチをつける、あんまりうるさいので、「ねえ、あなたのそれは、まったくもって『野党的言動』よね!?」と言い返したら、ハッとした顔をして「そうか!そうだね、上手いこと言うなあ」と納得していておもしろかった。その後「自分は、野党だからね」と開き直るようになったのはよろしくない。考えてみれば、私と子どもたちは、意思伝達を極限まで円滑にするために言葉を追究してきた。最近「凡ミス図鑑」を読んでいると書いたけれど、その本のアマゾンレビューに「これは凡ミスではなくて、致命的失敗だ」と意見している人がいたので、つまらないなあと思ったとクマに伝えたら「凡ミスの反対は致命的ミスじゃないよね?」と面倒なことを言う。ウッカリミスの反対は何だ?と考えたけど、ミスしない、か、ウッカリの反対はうっかりしない、だから、綿密に計画を立てた上で失敗すること、じゃない?そんなの、私は日本のロケット打上げくらいしか思い付かないよw 何十年かしたら、新しい言葉ができてるかもしれないね。私たちの致命的ミスなんて、地球の破滅とか、人類滅亡を招くようなことだけじゃなあい?と考えた。そう考えると、大抵のことは大したことないんだよ、という趣旨の本ですから(違う!)オススメです。おもしろかった。別の日に書くけど、クマという人は、就学前後に吃音があって、それを自力で克服して人前で話すことにも苦手意識なく教職についているので、実際に考えたことや経験したことは、他の人の役に立つことだろうと考えます。そして、言葉をテキトーに使わずに、いちばんふさわしい表現を選ぶことは、私たち親子の習慣でもあるので、ある日突然、ワンが「ねえ、イチゴ味って、『イチゴ味』味だよね」と言い出したりするのです。これは彼のヒットだったので、その後、わが家に定着した。いちごあじあじ🍓、ね。長いよ。今回の地震で思い出したこと。東北の地震の時に書いた日記に「買い占めという言葉を無責任に使ってはいけないと思います」というのがあって、あのとき、現象は、物流の止まったスーパーで、水やインスタント食品が次つぎに売り切れていた。あれは「買い占め」じゃないだろ?と思ったんです。「買い占め」という言葉には、誰かがそこにある品物を他人には渡さないという意図を持って買っていくという意味が含まれている。そんな悪意をわざわざ見るなよ!?と腹立たしかったんですね。書かずにいられなかった。最近は「買い溜め」という言葉が使われていますね。これならわかる。必要以上に買い込んで安心感を得ようとするなってことね。旦那さんの実家が熊本だという職員さんがいて、様子を聞いたら、直撃は免れたと。でも、スーパーの品物がないって、と案の定のことを話していて(鹿児島まで買い物に行く、とか。関東育ちの私には想像もつかない)「うん、わかるけど、まずは配送が復活しないと、なんともならないわよね?」と。小さな子どもたちをたくさん連れて手伝いに行くわけにもいかないし、と言うので「そうよ、余計に大変よ、こっちで着実に暮らしておきましょう(^_^)」という話を旦那ちゃんに伝えたら、「むしろ、くるな」って言うよ?と現地の義両親の気持ちを想像していた。家族は何かしたい気持ちが強いだろうけど、いまはこらえて、自分自身の生活を地道に送りましょうね。しかし各地のみなさんが、今度は恩返しだと、支援に動いてくださる様子を、私は、助け合うヒトの生態として嬉しく観察している。みんな自分にできることをすればいいんだよな。私はムダに言語化のオニになる。
2026年08月01日
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見えないけれど、たしかにそこに働いている力。思い出したこと。子どもたちが小さいとき、果物や野菜にむき残した皮を見つけることがあった。それは単純に、母親の私が大ざっぱで、キッチリ削り取ることができなかっただけなんだけれど、それをわかっていて、私は何ごともないように「それは、当たりですよ!」とこたえる習慣になっていた。すると子どもたちは「当たりか!?ラッキー!」と喜ぶ。だからといって、何があるわけでもない。ただの気持ちの問題だ。皮が残っている、クソ!ではなく、やった!と気持ちは誤魔化そうw 理屈はこじつけようと思えばいくらでもある。でも、顔色を変えずに即座に「当たりだよ」これでいい、おかあさんが決めた。ご飯を作る人の特権だ。ヨシ!そして月日は過ぎて、たしか高校生になったころのネコスケが、皮の細く残ったりんごか何かを「当たりだ」と言いながら黙々と食べていて、真顔だったけどたぶんあれは冗談のつもりだったんだろう。少し心配になって、「ねえ、それは、おかあさんが失敗しただけよ?念のため」とあわてたことがあった。それはそれで笑われるんだけど。「もちろんわかってるよ」と。真剣に当たりだと考えていたら困る。まあ、何が当たりかは、人それぞれだよね。これは、うちの習慣。ソコツな母親を気楽にする。玄関に、ボタンを押すとめくれる日めくりカレンダーが置いてある。子どもたちが学校に通っているあいだ、ずっと私が朝起きてカチャンとめくってきた。1日一回カチャンでいいのに、ウッカリ多く押してしまうと、同じ数字まで一ヶ月分、送らないといけない。メンドクサイけど、そのアナログな感じが大好きだ。3年前、脳から血が出て私が入院したとき、まだ大学生だったクマは、(いや?待てよ?時期は、記憶違いかもしれない)旦那ちゃんがときどきめくり忘れるカレンダーをカチャンしてくれながら、「これ、今まで、どうやってめくれていたんだろう」と疑問に思ったらしい。ちょっと考えてみれば、何を動力源にしてるのかわかるはずだけど、めくれているのがあたりまえ過ぎて考えなかった。人力だったw 電池とか、太陽光とか、からくりとかじゃない。そんなふうにあたりまえにスルーされる働きが世の中にはたくさんあるだろう。気付いてよ!と主張しているわけではなく、誰も気付かなくても、私はここで、そのことに気付きたいと考えていますよ? という話だ。ありがとうございます(^_^)日めくりカレンダーなんて、私が好きでやってたことだから、別にいいんだけど、今も変わらず玄関でカチャンカチャンと日を刻んでいる、エコだ。人力だからね。脳の運動にもなるんじゃない?今日は何日?もうめくった?あっつ。ここ何日か、早朝のクーラーなしに眠れるくらいだったんだけど、きょうはまた暑くなりました。湿気がないのは、助かるね。地震がひどかった地域は、停電や断水もあって、どうやって熱中症に注意するんだよ!って状況だけれど、何とかしてしのいでくださいとしか言えない。生命力の発揮のしどころだね。寿命が決まっているなら、何をしても死ぬときまでは死なないんだよ、はバカボンパパ。私は、幼稚園児のころからその考え方になじんでいる。だから筋金入りのバカだ、ゴメン。みんなの知恵を駆使して気を付けて過ごしてくださいね。自然災害は、どこで起こるか、わからないよね。
2026年07月29日
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昨日の朝からミンミンゼミが鳴き始めました(今朝も)もっと早い時期から鳴いていたシャーという鳴き声はクマゼミらしいです。暑かろうが(というか、暑いほど)セミは元気かと思われます。地球温暖化のこれからはセミの天下かもしれないよねw ということは、セミを捕食する生きものも安泰か?いやセミ、夏しかいないやん。保存食にする知恵を持つ人間は強いな。結局、人類最強、で終わるのか(考えが足らない)昨日の「豊臣兄弟!」を観ていたら、両親の言いつけをよく聞いた与一郎が主君を庇って若くして亡くなる?という展開で、(亡くなったの?←ちゃんと観ろよ)前の日記を踏まえて「ほらな!」となったのは私。ある意味、とんでもなくお利口なお子さんだよ?何を最優先する?何を指示する?もしかしたら、親の言うことなんて聞かずに、自分の考えで悔いなく生きることのほうが価値あることなのでは?まだまだ考える必要がありますね。 今、腰が痛くてさすっていたら、旦那ちゃんが「寒い?」と言って室温を上げようとする。「違う、腰が痛いだけ!」とエアコンの設定をいじるのを止めようと急いで言ったら「そんなに怒らなくても」と言われたんだけど、意味を正しくとらえていない人が誤解でズンズン進もうとするのは困りますね。自分が、知らない、とか、間違ってる、可能性を考えないのかなあ? いや毎日せっせと私の面倒を見てくれている旦那ちゃんにただ悪態をついているわけではなくて、さっき見かけた、「和田秀樹さんが高齢者は健診を受けなくていいと言っている」と紹介している武田鉄矢さんの記事に、どう読んでも「老害」を、我々が考えているように理解していない文章を読んだので、ひたすらキモチワルイのですよ。ただ年取った人をそれだけで邪魔にしているわけではないですよね? 敬われるべきお年寄りだっているし、ほとんどそうだと思うけど、困るのは、経験を積んだ自分がいちばん正しくて、若いヤツは物を知らなくて、へりくだって自分に教えを乞うのが当然だと威張り散らしているお年寄りですね?「敬老」のかけらもないって、老人がみずから言うのは恥ずかしいですねえ。自分が敬われて当然だと?むしろ、同年代の方たちに嫌われるんじゃないですか?おめーは、老害にもほどがあるだろって。私は、私自身が子どものころから、年を取った人たちが、物知りで考えの深い人ばかりとは言えないなと考えていたし、自分が年を取っただけで、敬われる人間になれたとは、考えていません。同じように考える人もたくさんいると思うんだよ?だから、ああやって、声高に「老害なんて失礼だ!心外だ!」と意味を誤解して文句を言う人は、同じ高齢者の迷惑になるだけだと考えます。あの記事には作為的なものを感じるな。案の定まんまと乗ってる?本気で、老年的超越ってあると思いますよ。私の周りはみんな、理解があって優しいもの。若い人たちに、素直に知らないことを教えてって言えるし、ありがとうも言うよ?卑屈になってるわけではなくて、素直に「今は便利よねえ!」って言える(^_^)そして「勿忘草の咲く町で」も観ているので(感想は別の日にまとめて書きます)「年取ったら、みんな死ぬんだよ」とウンザリするほど言っている。旦那ちゃんは、自分の父親が胃ろうで寿命をつないだことを、本人のためにも、家族のためにも、後悔しているところがあるので、「年取ったら、みんな死ぬんだよ」の気持ちが強い。そうね、私もそう思う。永遠に生きるつもりの人がたくさんいるのかな?少なくとも親や身内は(今このときに限っては)死なないと、死なせないために入院してるんだからね!と思ってるの?絶対に死なせないことなんてできないよ。どこかで、しっかりまとめて書き残しますね。いや、私、まだ、死なないからね(^_^)。たぶん大丈夫。死なないつもりだけど、うっかり死んだらゴメン。歩くのちょっとドキドキしたw←転倒注意!左脳もやられたら大変。前の日記に、風さんの配信を最初から最後まで観たい執着はないって書いたんだけど、正確には違うわ、最初に会場が映ったとき、スマホをかまえている人が幾人か観えたので、これはきっと、優しい風ファンがネットにあげてくれるに違いないと思ったの、確信した。信頼は執着を超えるな?w 観せてもらいました。心から、ありがとうございます、しあわせLess baggage, more contentmentって言ってたね?まあ、手放すほど満ちてゆく、は、もうずっと風さんが言ってきたことだからね。あと最近、なるほどなあと思ったのが「武士道とは死ぬことと見つけたり」(『葉隠』 山本常朝)死ぬときのことをずっと考えながら生きていくんだよ。どのように死ぬか、どのように死ぬために、どのように生きるか。いやだもう!何書いても、藤井風のマネみたいになっちゃうじゃん!日本人だから、武士でいいじゃん、武士がいいじゃん!誰が何を言ったということよりも、いちばんいい生き方を考えたいんだよ(^_^)まあ、優しいは正義。でも優しいは、甘やかしとは違うんよ?←まとめろよ。ではでは。
2026年07月27日
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両親や周囲の大人の言いつけを素直によく聞く子どもも、いますね。私としては「聞いてしまう」と書きたいくらいだけど。口ウルサイ大人の「指示」が、本当に子の将来に必要な習慣につながるものかどうか一度考えてみたいですね?いや、正直、うるせーな!(by 55歳)と思うんですよ。私は全然子どもじゃないけど、3年前に身体が不自由になったので旦那ちゃんがあれこれ身の回りの世話を焼いてくれています。彼の行動におけるマイルールがあるんですね。そして、それを私にも守ってもらいたい。でも今は不自由になったけど、ついこのあいだまで、ほとんど私が子どもたちの世話をして、好き勝手に過ごしていて特に問題なかったわけですからね?小中学校時代には「ワンくんは、ほんと穏やかよねえ」とよそのおかあさんたちもいつもほめてくれていました。年近い3兄弟、はたから見れば、どれだけモメてうるさいかと思われるようでしたけど、子どもたちと私に関していえば、共同生活は楽しいばっかりでした。私が口を出すのは、彼らが育って実社会に出たときに周りに迷惑をかけることになるんじゃないかと予想できることをしたとき。習慣づけておきたいことについては、一方的に言い聞かせるわけではなく、まずは、彼らの意見を聞きました。「と、おかあさんは思うけど、これでいいと思う?」「う〜ん」(みんなの意見を聞いている)「ボクはいやだなあ」(けっこう細かい)「ボクは気にしないよ」(かなり大らか)それぞれが思うことを意見として発表してもらいます。投げやりな「どうでもいい」や「なんでもいい」は、なしです。中には、本当にどうでもいいことや何でもいいこともありますから?wそれは、どのような理由でどうでもいいのかを話してもらいます。つまり、うちでは日常的にミニ学級会をしていたようなものですね。自分の頭で考えて、自分の意見を言葉にして伝えることを習慣にしていました。これは、どこに行っても必要な習慣かと思いますよ?穏やかに過ごすために。家でさんざん訓練したので、3人ともそのような場の司会進行ができることになります。自分が何を不快に思っているかを言葉で伝える。モノに当たったり、プンスカした態度をとってみたりでは、意味がありませんね。何に怒っているか、何がイヤなのかを見つめ直すことにも意味があります。大したことではないなと気付いたり、単純に落ち着くこともありますね。不快に思うことなんてないし、イヤなこともない、は平和なようでいて心配なことでもあります。それは「どうでもいい」と同じじゃない?まあ、達観すれば、そんな心境にもなるかもしれない。でも小中学生とか、奥様とか、いろいろ不満に思うことはありますよね。思っていいですよ、思って考えて、伝えて下さい。私はよくそういうお話(グチ?)を聞いて「わかる、わかるよ!」と大笑いしています。笑っちゃいけないこともありそうですね、気を付けないと。冷静に伝えて、冷静に受け留めよう。冷静に言葉にして伝えられること。うん、目の前で怒っている人がいても、そんな気持ちになれたら強いですよね。何度かあるんですよ、目の前で怒りを爆発されたこと。(身内にも他人にもいる)それぞれの性格もあると思います。何か言うのも単にメンドクサイ人もいると思う。ですからね、子どもによかれと思って、あれこれ口出ししてるそれ、自分の都合じゃなくて、ほんとに子どもに必要なこと?子どもがそれをきっちり守って育っても、「親の言うことはとりあえず聞く人間」に育つだけじゃない?それって、世の中の役に立つの?大人になって困らない?子どもに必要な口出しって何だろうって考えると、社会って、人生って何だろうってなるんだよね。そこまで考えてから、子どもに口出ししよう。自分のなかの善悪の基準に頼ると、最終的に悩むことになる。でも心配しなくても、子どもはいつか自分で考えるし一緒に考える仲間を見つけてくるよ。そういうふうに育てよう(^_^)風さんのフジロックフェスのステージを配信で観ました。配信ありがたし。お腹が痛くなって、前半はほとんど観られなかった。ふびんに思った旦那ちゃんがトイレにまでスマホを持ってこようとするので「いらないよ?」と断わって、あの会場に駆け付けたみなさんはしっかり体調を管理してスゴイな、だし、パフォーマンスをする人たちはさらにスゴいよな!と考えました。そして私は、何がなんでも配信を最初から最後まで観たいという執着も、もはやない。観られるところだけ観なさいってことでしょと。まつりが観れなかったのはちと残念。う〜ん、Love Like Thisときらりのサマーソングたちは、すこぶるロマンチックでしたね。夏は暑いばっかりでイヤなことだけでなくて、風さんみたいに喜んで楽しんでくれる人もいると思えば、なんだかうれしい。私は暑いのも寒いのもイヤなんだ。仕方ない。ツアーはまだまだ続きますね。ファンカムとネットのおかげで観せてもらえるのはうれしいなあ。いつも応援しています。
2026年07月26日
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子どものことを書いているわけではないけれど、子どもはじきに育って若者になるので、結局、子ども時代をどのように過ごすかで、若者も大人も変わってくるんじゃないの? と考えます。なぜ自分のことが最優先で、「自分最強!」みたいなふるまいの若者が増えたと感じるのか(実際に増えているというより、そう感じる大人が多いってことだよね、つまり)なぜ? を考えることは、同じことをくり返さないためには役に立つことと考えます。ただし、それは、現在の「無敵に思える態度の若者たち」には、直接関係ない、というか、それは自分たちのせいじゃないじゃないか!と言われるに違いないことです。でも、大人には必要な認識だと考えるので、ここに書いておきます。正直、優先度は低い。だから本当は(原因は)こうなんじゃん?という話より、今現在、こうしたら? のほうを考えたいんだよ。ここに書いたところで、何の役に立つのよと思われるだろうけど、書くと私の頭の整頓にはなるし、見えるところに書くことで、誰かの役にも立てばいいなといつも思っています。私は20代の子どもを3人持つ50代の母親です。たぶん話題の無敵世代の若者の保護者とも同じ世代かと思います。そして子どもたちはみな地域の公立学校を経て大きくなりました。その間、今と同じ意識と考え方で、周囲の保護者のみなさんの様子を見てきた自覚があります。千差万別だよね、もちろん、子どもも様々だし。でも、おおむね、大きく間違ったおかしな考え方で、私たちが子どもたちを育ててきたわけではないと思うんですよ。つまり、現状は「私たち親世代が当然よかれと考えて生きてきた結果、起きていることだ」というわけですね。疑問を抱きもしない、あたりまえだと考えてきたことが、現状をまねいている、と。ひとつやっぱり、心当たりがあるのは、子どもたちは「学校の勉強ができれば、何も問題はない」という価値観で育ってきた、ということですね。成績がいいことが問題あり、なんて考える親はいないでしょ、フツーはね。私は、私自身が学校の成績がほめられるレベルであっても、それが自分の価値とは言えないわ!と考える子どもでしたから、勉強が人よりできたからってそれが何? とずっと考えてきた。でも一般的には、少しでもテストでいい点を取って、少しでも偏差値の高い高校、大学に行けば、親孝行になるわけだから、そりゃ、気分は無敵でしょ。頑張ってきたよみんな。でも、なかには、頑張ったフリ(チョロいよ)で済んだ若者もいるよね、義務教育レベルなら、現場の先生方が頑張ればそれなりの成果はあげられる。でもそんな大人の価値観や世の中の風潮は、当の若者たちのせいとは言えないことなんですよ。全国模試で1点でも多く点を取って、合格判定を良くして(それは、ただの模試だけどねw)「よくやった、さすが我が子!」って言われてきたんだから、勉強ができれば最強でしょ、もちろん、上には上がいることは知ってるけど、国立大学は五教科まんべんなくできないとダメなんだからね、合格できるくらいには頑張ったよ(比較の問題だね、相対的だ)、私立大学卒の子たちだって、五教科まんべんなくなんて能率わるい、得意な科目にしぼれば、ハイレベルに行けるし、箱根駅伝に出るくらいの有名私大なら地方でもみんな知ってるし、親も満足だ。その、学校の成績が良ければ、万事オッケーの思い込みは今の若者たちの傾向を強めているでしょうね? 勉強ができればそれでいいなんて、そんなわけないがな?wって言われたら、どうしたらいいかわからなくなっちゃうじゃん、だからそんな疑問は受け付けないよ、自分を守るために。この自分を守るために は大人も若者も同じだ。みんな自分が傷つかないようにバリアを張ってるんだよな。失敗して小傷がついても、自分で回復していく経験を積んでいないとひたすら傷付くことを避けるしかない。それは、他人の失敗にも寛容さを失った現代社会の特徴でもあるよね。そうはいっても、実際には、些細な失敗はよくあることだし、それを笑い飛ばすことができる人だってたくさんいることを私は知っているよ? うっかりなんて誰でもするし。あとひとつ書くと、ネットの発達だよね。インターネット上には、個人には思い付かないような冴えた意見を書ける人もいるわけよね。それはもはやちゃっかり、自分の意見だよね?ネットの知性は自分の知性だ。でもネットの醜態を自分の醜態とは考えない。そりゃ無敵だ。いいとこ取りだね。めっちゃ賢くなったな、みんな(^_^)ネット上を閃くように流れて行く情報に触れているうちに、個人の情報処理速度は爆上がりした。年取った人には想像できないほど、またたく間に膨大な情報を仕入れているよ? これは事実だ。でも、その高速の理解に誤りが含まれている可能性もわかっていてね(^_^) あなたは、人間だ。これがしっかり、わかっている人もいるからね。だから、基本的には、「理解して、有効活用してあげてください」なのよ。進歩して、有能で、だけど経験不足で、未熟な、シン・新人類をw(彼らは実際、無敵でも万能でもないよ。そう言ったら、反撃されるかなあ?でも彼らが、自称しているわけじゃないからね?要するに、陰口なんだよなあ、堂々とした)そして、少なからず同じ価値観で育てられた大人たちも同じなんだ。だから彼らは、若くて未熟で有能な同志たち、だよ。困ることは正直に自分視点で「困ってるんだよね」って言えばいいよ?協力してもらって?遠まわしに言うから、イヤミになっちゃうんだよ。「自分が」困ってる。「自分は」よくないと思う、で。もしかしたら「困る必要があるとは思えませんけど!」って反論してくるかもだけど、若い相手と、ともに成長しようと考えたら会話は続けられるよね?私が大学生のころのうちのクマにしつこく言ったのは、困ったらひとりで悩まずにまわりの「大人に」正直に話して助けを求めなさい。「助けて!」って素直に言える人に世の中は優しいよね。助けてもらったら「ありがとうございます」も忘れないでね(^_^)それも訓練しておかないとね。助けを求める、お礼を言う、そんな経験をたくさんしてくださいね。間違えないのが最強じゃないんです。だいたいが、そもそもできそうもないことには手を出さなければ失敗なんてしないさ。失敗しても助けを求められて、お礼が言えて、同じ間違いをしない。みんなが同じ間違いをしないように他の人たちを助けられること。そしたらあなたは、世の中の役に立つことができます。【送料無料】世界を変えた「凡ミス」図鑑/近藤仁美私はいま、これを読んでいます。大笑いしながら。気候変動には適応するしかないんじゃないの?キモチ慣れてきた←バカなんだな。
2026年07月23日
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少し前に、施設のリハビリ室にトンボが飛び込んできたことがあった。見てはいないが、「大きなトンボが入ってきたよ」と聞いたので「どこ?見たいなあ」と言ったんだけど、そのまま行方不明になってしまったらしい。なくしものをしたときのように、そのトンボのゆくえを想像して、少し胸がザワザワした。小学生のときは、夏休みになると、宮城の山のなかの母の実家に連れて行ってもらった。末っ子の母は家族に、自分の産んだふたりのカワイイ娘たちを見せびらかしたいんだろうと少し意地悪な気持ちになった。そう考えると私は彼女の上の娘として、お利口にしていないといけない気持ちになった。そんな小学生はいないか、いや、いると思うよ?w 実際、今だって。あの頃、山のなかの家は、畑の土と草花や山の樹木に囲まれて、真夏でも日陰で涼しい。玄関も掃き出し窓も大きく開いたままで、時折、オニヤンマだかギンヤンマだかの大きなトンボが澄まして入ってきて、悠然と出ていく。ヒトの家は、彼らの移動ルートにあたりまえのように組み込まれていて、ヒトである自分は、道ばたの石ころにでもなったような気持ちになった。路傍の石か。あんなに大きなトンボは、小さい私よりずっと賢そうで生命力に満ちているように見えた。夏休みには、たくさんの宿題をどうしたらいいかわからなくて毎年追い詰められたような気分になっていた私は、夏になるといつもそんな苦しい気持ちを思い出す。そして、水族館の大きな魚のように、家の中を巡って出て行くトンボの姿だ。草や土のニオイと一緒に思い出す。夏休みの宿題は、休みの最初の日に全体量を把握して、取りかかる前に用意が必要なものは、なるべく早く用意だけは、しておく。日記やお天気の記録など毎日やらなくてはいけないものは、それとして分けておく。そしたら、あとは、やる気が起きた日にがーっと進めればいい。この手順を、私は、自分が痛い目にあうことで、身につけた。だから、小学校高学年からは困ったことはない。母親になってからも、こどもたちそれぞれに、夏休み用のクリアファイルを用意して宿題一覧のプリントや課題やコンクールの要項の詳細が書かれたプリントなどを「自分で」確認させた。「それから、画用紙とか絵の具のたりないものは?読書感想文用の本はどうする?」(ん?今思えば、大人じゃないと解読できないものも多かったね。何でも親がかりなんだな、近ごろは)全体量を把握したら、あとは自分でペース配分すればいい。毎日遊び倒していても、自分が、進められるときに進めておけばいいのだ。子どもたちが言うには、同じ学年には、普段の宿題どころか、夏休みの宿題もずっと提出せずに平気な顔をしている子もいたらしい。子どもたちにとっては、笑い話だけど、同じことを社会人になっても平気でしていたら、人から給料をもらえる仕事にはつけないだろう、と先のことが心配になった。どうしたかな、あの子たち。起業でもするかな?だといいなあ。平成になってもトンボは、夏になると、近所の公園の草の上をたくさん飛んでいた。雨上がりには、飛びまわる羽虫を狙ってトンボもたくさん飛び回った。小さかったうちの子どもたちは、捕まえようとやみくもに虫取り網を振り回すけれど、それでは捕まらない。待ち伏せして網を振り下ろすか、どこかにとまるのを待って、そっと近付いて大きな両眼の前でゆっくり指を回すと、首を傾けて見ている(のかなあ?)、その隙にさっと羽をつかむと捕まえられる。トンボの羽は繊細なので、ジタバタされるとすぐいたんでしまう。両方の羽を合わせて根元を支え持って少し観察したら逃してあげる。アカトンボなどは、近所の公園でもよく捕まえた。美しい生きものだ。小さいころの私は捕まえたトンボによくかじられた。トンボは必死ですからね。巨人に捕まったくらいの。大丈夫、何もしないよ。あのころ、河原ではイトトンボをよく見かけた。黒くて美しい。ふわふわと漂っている。そのうち、トンボは、自動車の天井を水面と勘違いするのか、うちの車の上にもペタペタとおしりをつけているのを見かけるようになった。トンボが卵を産める小川も減ってしまったからね。そこは、水じゃないよ?となんだかせつない。トンボのおかあさんの気持ちになるよ。小学生のネコスケが友だちとザリガニ釣りに行ったり、クマが夏休みの宿題の絵を描くために蓮の花の写真を撮りに行った池も半分くらいの大きさに埋め立てられてしまったらしい。トンボの幼虫は、ヤゴだよね、成虫とは、似ても似つかない、濁った泥水のなかでたくましく育っていく。図鑑的知識ではなく、ここに書いたことは、私が、この目で見てきたことだ。セミは、どうかな? 今年は。そういえば、ワンが小学生になった年には、テントウムシが大発生した。テントウムシの幼虫もなんだか強そうだよね(^_^) その少し前にはアブラムシが大発生して、生態系の仕組みを実感した。ヒトが優れているとしたら、ヒトという種が地上でただひとつだけ栄えればいいのではなくて、他の生きものすべてと地球を分け合っているものだと理解できるだろう。子どもたちの小学校時代の教科書に生きものの「共存」を説明した文章があったのをよく覚えている(もちろん、子どもたちも覚えているだろう)。こんなに知識を蓄積してきたのだから、役に立てないとね(^_^) トンボのポケモンはメガヤンマだっけか。他にもいたような?
2026年07月22日
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特に書きたいことがあるほど考えてはいないけど記録として書いておきます。梅雨があけてモーレツに暑い。昼過ぎには、外は37度だとスマホが言うけれど、暑いのは苦手なので最初から外に出るつもりはない。でも、出ざるを得ない人たちもいるわけで、夏休みだろうが祝日だろうが、部活指導があるクマはいつもどおり早起きして出かけて行った。両親は涼しいところで決勝戦を観た。4年後のワールドカップは、どんなだろうね。長過ぎるハーフタイムは評判がイマイチだったみたいだけど、内容には喜んだ人もいたようだ。クマによると、今日はあちこちの運動部で、暑すぎて具合が悪くなる子どもが出たらしい。埼玉県では、高校野球の県大会がまだつづく。この暑さのなかで野球をし続ける体力と精神力にはおそれいる。彼らの財産になることだろう。体をこわしたら元も子もないがね、と今の私は心配する。脳も注意してね。自主的に「気を付ける」も、うっかりしないようにしないと危険。だから私は家族に、どんなに嫌がられようと「水分塩分摂って」と言い続けるのだ。もう、風物詩でいいよ涼しくなったら、もう言わない。去年目印に書いたことが自分の役に立ったので、とりあえず今年も書く。涼しくなったらまた、そう書きます(^_^)去年書いたことを見ると、「暑さ寒さも彼岸まで」はまだ有効らしい。ふーん。普通の一軒家である我が家では、居室はエアコンで冷やせても、それ以外は暑いとグチっていたら、断熱材がちゃんとしてれば、もっと涼しいんだけどねとダンナちゃんが言う。これから建てる家は、いろんな工夫がされることだろう。それより、こんな真夏に大工さんたちが屋外でお仕事しなくてすむようになってるといいよね。異常な暑さはみんなわかってることなんだから、都合を合わせればいいじゃん。まあきっと、私が知らないだけで、進歩しているに違いない。そういえば、最近九州から関東に引っ越してきた職員さんが言うには「うちの小学5年の子どもが、さいたまの小学校には部活がなくてかなしい」と言ってると。「は? そちらでは、小学校にも部活があるの?」「クラブと両方あるんだよ〜」私の知る限り、このあたりの小学校では週に一度くらいのクラブ活動があるだけで、「部活動」というのは、中学校から始まるものだ。そんなの、場所によって違うなら部活動の地域移行なんて、全然、各地域ごとにすりゃいいだけの話だよね。う〜ん、しかし、授業を担当する教員が部活指導もするのは大変過ぎるというのは、全国共通なんだな、きっと。全国の先生方を思いっきりごちゃまぜにして交流したらおもしろい話が聞けそうだけど、そんなヒマはないね、知ってる、ごめん。書きたいことは、この暑さの中を無事に出かけて元気に帰ってくる子どもたちはそれだけでエライよ?もちろん、働くみなさんもエライし、食中毒も起こさずに、家族のご飯を作っているおかあさんたちもエライし、みんなみんなエライんだよ(^_^)ほんとよ。暑くてイライラするけど、涼しくなるまで耐えようね。クーラーからクーラーを渡り歩いて(それは、わたしw)
2026年07月20日
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本気で雑談します。前回書いたヘミングウェイの「老人と海」のペーパーバック、今も入手できるものだろうかとしらべたら、同じ表紙のペーパーバックを楽天で見つけました。そう、まさにこれ。OLD MAN AND THE SEA,THE(A) [ ERNEST HEMINGWAY ]私の手元にある本は、2004年発行のものですけど。楽天ブックスで在庫1になってて、自力で翻訳しようと試みている方のレビューがついてました。短編で、うっすい本なので、頑張ればいけそうよ(^_^)。スペンサー・トレイシー主演の映画もよかったですね。大魚と老人の描写は苦労したことと思います。まだ読んでないんですけど、めくった感じでは原作をそのまま映画にしているっぽいですね。独りぼっちの老人と、彼を慕う少年の交流が微笑ましい。こんなふうに年をとっていけたらね(いやいや、相当偏屈よ?w 頑固一徹かな?)私が短大を出て、会社員になったあと3年で辞めて1年間、自宅で英日翻訳の勉強をしていたことは書きましたっけ?最近は書いてないよな。通信教育で勉強していて、それを終えた時点で、仕事として成り立つレベルでなければ、次の仕事を始めるという条件で、実家に置いてもらいました。1年間夏休みみたいなもので、本はたくさん読みました。でもね、結論としては、文章を書くには、私には人生経験自体が圧倒的に足りなかった。語り手が10代女子の課題英文だけは、評価良かったですよ、そりゃ。少女の話し言葉なんて、あたりまえに書けますからね。でも、機械とか車とか、産業翻訳分野の文章は全然わからないし、書けなかった。そもそもあのころ需要があったのが産業翻訳と呼ばれる分野でしたから、私にその翻訳の仕事はとうていできなかった。たぶん今は、AI翻訳ができたから、まったく需要ないんじゃない?(その言い方は、とんでもなく冷たいよ?)ええ、異言語間の翻訳(言葉の置き換え)はAIにまかせていいと思います。それで用が足りるなら十分だ。ただし、文芸は、AIに小説を書かせていいのかって話がありますけど、人間の書く文章と、コンピュータが過去の膨大な記録からつなぎ合わせた文章を「同じ」と考えるなら、それでいいんじゃないですか?そのふたつが同じと考える人しかいなくなるならそれは、フツーに、文学の敗北だよね。誰かに強制できることじゃないんだよ。「あなたはそれを文学と考えてはいけない」なんて。ものによっては、おもしろいものができるんじゃないですかね。大河小説みたいなものとか、量で勝負!なら、AIは強いよお?「失われた時を求めて」みたいなのできそうじゃない?←プルーストに怒られるぞ。書けるヒトがいるだけじゃダメだ。楽しんで読めるヒトもいないとね、両方で高みに上がっていかないとダメなんだよ。そうやって残るのは、職人技だよね(^_^)。みんな何かの職人になればいいんじゃない?(無責任な言い草)で、「老人と海」ね、漁のお話なので、船まわりとか、漁業関係の知識がないとうまく訳せないんですよ。辞書をひいただけじゃ不自然な日本語になる。文芸翻訳ではそれがあらゆる分野で起きるわけです。だから翻訳者には、さまざまな境遇を生きて体験することが必要(あくまでも理想)ってことだよね。わからなくても、辞書の知識でそれらしいことを書くことはできるだろうけど、私にはそんな一時しのぎを、人生をかけて続けていきたい気持ちはなかった。(今はネットが発達して、いろんなことを動画でみたり、実際に体験することもできるから、昔とは全然違うと思うよ。)私は、私自身の人生を生きて、自分に書けることを書けばいいよ。そう考えたのが、23歳のときだね、今のクマと同じだ。「メキシコ湾流」はGulf Streamですね。もうずっと地理に弱いのでgulfが湾なのは、わかる、streamが海流なのもわかる。でもGulf Streamがメキシコ湾流のことだよ?というのは、知らないの、単純に。そしてAIは、その情報を持ってるからね?当然。言葉の置き換えはできるでしょ?老人の心境や、少年の心境は「わかる」かなあ?「わかる(ヒトの心境を理解して文章に反映する)」ようにAIを作るのは、ヒトだからね?できるんじゃないの、できるといいね(^_^)本気でそう思ってる
2026年07月19日
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当初のタイトルは「あなたと無限おしゃべりたい」文法も、いろいろおかしいので、なるべくおかしくないように変えたつもり。でも、気持ちとしては、上のタイトル案に近いです。TVerでドラマの「セトウツミ」を観て、私もこんなふうに、いつまでも話し続けられる人たちに出会ってきたなあと考えたんです。つまらないことを深堀りして話し合って笑い転げて。学生時代も、社会人になってからも、話し相手をして一緒に笑い転げてくれる人たちがいた。私は、そのために生きているまである。楽しく話すために、正直だし、率直だ。嘘をついてとりつくろっていては、楽しい会話はできない。若者の「無敵化」については、さっきアマゾンの当該書籍のレビューを見てきて「年取った人が勝つルールのゲームが終わっただけ」と書いてる人に同意して納得しました。ほんとそうよね、同意!ちょっと待って。今、パリ同時テロ事件を扱った番組観てるんだけど、これも今どきの若者問題につながりそうだ。ちゃんと観ますわ。観たよ!うん、どう違うのかな?日本の若者は大丈夫って言えるのかな。その根拠は?調子にのって、今どき今どきってヒトゴトみたいに言ってられるのかな?ひとつ思い出したんです。クマが大学生になったとき「みんな、好きなことについてなら話したいはずだよ?聞かせて(^_^)」って言ってごらん?私は、散々聞いてきましたからね。育ってきたなかで、好きで夢中になってることが何かしらあっておかしくないって考えたんですね。だけど、当時のクマが言うには、マンガや映画やアニメ、「好き」とか「観た」って言ってもその理由は「みんな観てるから」だって言うんです。選ぶ理由が「みんな観てるから」だと、話すことがなくなっちゃうよね。すくなくともムズカシイ、そこからツッコむのは。責められてるように思う人も多いだろう。まあ、まだよく知らないクマにいきなり詳しく!って聞かれてもイヤだよな。そういうところで、バリア張っちゃう傾向はありそうですね(^_^)そこで「そんなの!?」とか「聞いたことないよ、なにそれw!」って言われたらイヤな気持ちになるもんね。彼らは、そう学習してきたんだよな、単純に。まあ、ですからクマにはそれ以上押し付けないで、放っておいても、そのうち、クマは他の子たちに頼られる存在になるでしょうから、とりあえず、授業に集中すれば?と話しました。友だち関係ですら、そんな感じですから、異性となると余計にメンドクサイと思いますよ?w 私個人の理想としては、いくらでも話し続けられるというのは重要ですね。恋人や結婚相手以前に、話ができる友だちにすらなれなくては、ムリです。今どき、どうなってますか? 私、高校時代、いつも靴箱にお手紙をいれてくれる女の子の友だちがいて、ノリノリでお返事書いてました。ステキな折り方たくさん知ってて、読んじゃうと開いて、戻せない(ソコツゆえ)から迷ったけど、でも読みたかったから、読んだ。そういう体験をうちの子たちにも、してほしかった。みんなが、自分の大好きを大事にして、語るための言葉を集めて育ってこなかったなら、それは残念だけど、まだまだ!先は長いのだ、みんな!そして子らも巣立ちかけの今、「それじゃわからない!」とか「伝わる表現を考えようか!?」とか苦手な日本語をきたえられる旦那ちゃんはかわいそうかな?感想を聞かれるのはあたりまえ、昔の記憶(実体験)を聞かれることも多い。脳のためには、いいんじゃないの?正直、今までも書いてきたように、私と旦那ちゃんの興味関心は全然かぶっていないので、あまり楽しいことではない。だからといって、私が今から株価だの世界経済について詳しくなって語ることのほうがよっぽどムリなので、なんとなくわかりやすそうなネットの記事などを読んで知ったかぶったりして、クマにツッコまれるのだ。(バレてーら)でもテレビで「老人と海」の映画をやってたら、そこにペーパーバック(原書)があるから取ってちょうだいなと言える人はそう多くないと思うんだけど。今めくったらネタバレだからとガマンしたよ(さっさと読みなさいよ。これ、いつ買ったんだっけな)案の定、脱線してますけど、私としては、若者たちの問題は、彼らだけの問題ではなくて、彼らを育てた、親、学校、社会全体の問題であると考えます。そして、その若者たちの傾向が、現代日本社会の存続をあやうくするものであると考えるなら(そんなに大げさな話じゃないって?w)対策すべきは、全体の傾向ですよね。いやもう、しっかり考えてから書けよ!だけど。考えます。今日は、おまつりだけど、蒸し暑いな。雨が降ってきたようです。停電こわい!エアコンが使えなくなるじゃん!?暑いのはイヤ。
2026年07月18日
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同じじゃねーか!?というツッコミも想定しつつ。念のために書いておくと、少し前に書いた「理解して、ぜひ有効活用してあげてください。」(7/8)のつづきです。若い人たちを「無敵世代」と呼ぶことは、ただ分断と対立を煽ることにしかならないんじゃないかという気持ちから書いています。言葉それ自体の違いを指摘するのは無駄だと思うし、ここからは、私の個人的な感覚の話になるので、あまり、みんなの役には立ちません。とりあえず、書けそうなことは、書いていきます。無敵って、こわいものがないこと(できないことは、ないこと)万能って、なんでもできること。同じかw 同じだな、ある意味。ただ、前にも書いたけど、犯罪をおかす人の「失うものが何もない状態」を「無敵」と呼んだひろゆきさんのセンスには「なるほどねえ」と頷いたんです。よくわかる。それとくらべてしまうと、若者のは無敵じゃないよね。別の言葉にしたほうがいいんじゃない?と単純に考えたのがひとつと、(そんなやぶれかぶれみたいなのと一緒にしないでよ〜)加えて、私はすでに外で働いていない期間が長いので、実際にその「無敵世代」と呼ばれる人たちの言動に迷惑や違和を感じたことがないんです。聞きたいなあ。どの辺が「無敵」と考えられる由縁なのかを。その本を読めって?w しかし要らぬ本は増やしたくないのだ。図書館に行けないと不便だな、あるよね、図書館に。イヤなのは、ある世代に一定のレッテルを貼ってワルグチを言って、スッキリ解決したつもりになることなんです。彼らの「問題」を考えることは、実は自分自身の問題に気付いて考えることなんだよ?(^_^)と思うんですね。そして年代的には、私の育てた子どもたちは、ドンピシャその世代だ。で、たぶん、母親の私がこのように常識知らずですから、たぶん彼らもそこそこ無敵w自分が正しいと考えることなら、相手が自分より年を取っていようが、エライ人だろうが、そう主張することでしょう。んん? たぶんクマなどは「おかあさんみたいにバカじゃないよ。ちゃんと要領は、わかってる」って言うだろうけど。ワンは意外と常識人だし、ネコは無敵というより、全てを超越してるので、もはやw 同世代でもそんな人もいるのよ。だから、うちの子たちのこと、と言うより、同世代の子どもたち(今は育った、大人に成り立てくらいの?)の事情を考えてみたい。疲れたから、また、別の日にしようかな(ヘタレ)今「ファーストクライ」を観ながら(聞きながら)書いてるんですけど、家を継ぐために、不妊治療を学ぼうとしている若い先生、いかにも、いかにもですね。親の期待に応えておけば問題ないし、自分のやりたいこととか別にないし、そのうちなんかわかるんじゃない?と思いながら、今できることをしてるんだよな。そんなのみんな一緒だと思うけどなあ、上の世代だって。なんで、自分は違うと思っちゃうんだろう?結局、そうやって誰かを下げることで自分を上げちゃってんじゃないのかなあ。それは、いやだなあ。「思い出補正」って最近のわかりやすい言葉があるじゃないですか。我々の若いときだって、思い出したら死にそうに恥ずかしいことだってあるよね。それを敢えて思い出して、今の若者とかつての若者を比べてみればいいじゃん。それをしちゃうと若者論なんて意味ないよなw テーマは、違うほうがいいかもね 元も子もないよw ふふふ。
2026年07月16日
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昨日の夕方、施設の職員さんが3番目のお子さんを連れてきていて、まだ1歳にもならないチビさんなんだけれど、おかあさんがその手を取って送迎車に乗る利用者さんたちに手を振ってお見送りをするのはいやがらない。別の職員さんが同じようにしようとしたら、少し怪訝そうに手を振り払った。それをみたあと、振り払われた職員さんに「小さいけど、意志がはっきりしているのね(^_^)」と話して、末っ子の特性かもしれんなと思ったんだけど、その職員さんも3人姉妹のおかあさんだから、「◯さんちは、どうだった?」と聞いたら「うちは、一番下の子は年が離れているから、そうでもなかった」と言う。「ああ、周りはみんな大人って感じね?」それも想像できる。うちはどうだったかと聞かれたので考えたら、うちはそもそも、下のふたりが年子なので、同事に赤ちゃんがふたりいたようなものだと話した。自分の目で見た光景をよく覚えている。まだハイハイしているころのクマが、超合金ロボに手を伸ばすのを「これはね? あぶないからね? ダメよ〜?」と1歳のネコスケが口調は優しく、しかしきっぱりと取り上げているのを見た。(お兄ちゃんだからね!教えてあげないとね(^_^))(自分も赤ちゃんだがなwとは思ったよ)超合金は渡さないけど、全身プラスチックでできてる分解できないガオゴッドを渡してあげていた。正しい!ヨダレはつくかもしれないけど、クマ自身は危なくはないのだ。超合金ロボを口に入れたら、クマがあぶない。あの頃はまだ、もうすぐ2歳になるくらいのネコスケだったけど、中身はずっと変わらない。何が危なくて、どれなら赤ちゃんに渡してあげてもいいのか、ちゃんとわかっていたのだ。小さい彼らにまかせておいても、心配はなかった。その光景をはっきり覚えているので、年子は、わるいことばかりじゃないよと言える。彼らはお互いを理解し合って育った。今でも、信頼しているし、心配もしている。兄弟っていいよな。ちなみに、もちろん全員、赤ちゃんを経て育ったので、いろんな記憶がある。まだベビーベッドで寝ているネコスケのオムツを変えていたらお腹の調子が悪かったネコのウンチをかぶってしまったことがあった。ひ〜!と思って、そばにいたワンに見せたら「あ〜〜〜」と悲しそうな顔をして同情してくれた。(まだコトバを話し始める前だ)あの顔も忘れない。きたながったり、いやがったりするよりも「かわいそう!」な顔だ。昔から優しい子だ。もう少し、年子について書くと、昔、子どもたちを連れて、スーパーの買った物を入れる台(サッカー台?だっけ?)にいたらそばにいたおかあさんに「双子さんですか?」と声をかけられた。「ん?年子なんですう(^_^)」「そうなんですね、うちは双子なんです」そこからしばらく、お互いに、そちらのほうが大変!いやいや、そちらこそ!とねぎらいあったことがあった。その後には、上のふたりが年子というおかあさんに、下が年子なんて大変、いや、上ふたり年子のほうが大変よ!とねぎらいあったこともある。いろんな人がいるんだよ(^_^)ホント。ネコスケを出産前に入院していたときには、となりのベッドのおかあさんが、男の子ふたりのおかあさん、3番目が生まれると思ったら、女の子のふたごだと、子どもが、いっきに4人に増えるのだと笑っていたっけ。大変!は自分のことしか考えていないと、自分ばっかりが大変な気持ちになるじゃん?だからといって、誰かと比べて「自分のほうがマシ、とか上」とか考えるのも意味がないよ。相対的じゃなくて、絶対的な幸福を実感できるようになろうぜ(^_^)何を書こうとしてたんだっけ?万能感か。だって、ヤヤコシイからさあ←結局メンドクサイ。少し立て直して、元気出してつづきを書きます。暑いですね。去年の日記を見てきたら、9月の初めには、朝のクーラーは必要なくなったと書いてありました。あと一ヶ月は、1日中クーラーが必要ですかね。故障がこわいな。ヨーロッパのエアコン普及率は25%だって。今の40度超の暑さをクーラーなしに過ごすなんて耐えられない。本来は自然の夏の暑さを人工的な機械なしに過ごせるのがいいことじゃないかとは考えます。でももう、どこも暑いんでしょ?ヨーロッパの人々は、ヨーロッパの北のほうに逃げたら?と単純に考えてしまうけど。科学技術に頼ることばかり考えなくてもいいかもしれない、ね? ぐるぐるキリがないな。
2026年07月15日
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どうでもいいといえば、どうでもいいことなんだけど、私の頭の中をわかってもらうために、書いておきます。ベテランと言うカタカナ言葉は英語のVeteran=退役軍人から生まれた日本語で、でも、日本語でベテランという言葉を退役軍人という意味で使う人はいないでしょ、いないよね?で、概念として「ベテラン」と言いたいとき、私は悩むのです。年取った、経験を積んだ、熟練した、熟達者という意味を表したいとき、ですね。少し前に、現役の教員の方々を説明したかったとき、困った末に「年取った」と書きました。ただ年を取っただけでは自動的に熟練しているとは言い切れないと考えています。(めんどくさいやつだな)言葉に、本来持っていなかった共通の概念が乗っていることを自覚して使いたい。他の人が使うときには「そういう意味も当然含んでいるんだな」と考えながら聞いています。同じように、ボランティアというカタカナ言葉は英語のVolunteer=志願兵から生まれた日本語で、なぜか(世の中の都合か、日本民族の特性か知らんが)無償労働という意味で使われるようになったらしい。志願兵って、つまり強要されるのではなく、「みずから進んでその仕事をすること」を表すために、意味が変わったんでしょうね。タダ働きのことじゃないのよ。それもあって私はずっと、「ボランティアはキライ(^_^)」と言ってきたんだけど、ある意味「タダ働きはキライ」ってことだ。つまり、本人の責任感としても、頼むほうの「得した」感にしても、問題があるよなあと思っていて、OA事務の派遣職で稼いでいた私に当然できることを、ただできるから、という理由で、PTA仕事に活かしてしまうのは、何か違うんじゃないかと違和感があった。PTA仕事なんて誰にでもできることじゃないとダメだ。以前ドラマ「幸せは食べて寝て待て」のなかに、土居志央梨さんが団地に越してきた若きイラストレーターの役で出てきて、いきなり、住民のオジサンに「絵描きさんか!いいね、お祭りのポスターを描いてよ!」と言われて困惑するというシーンがあったんだけれど、それに近いものがある。でも私の事務の経験なんてあんなふうに誇れるようなものではなくて、自分で考えてなんとかこなしてきたようなもので。それでよければ使ってください、くらいの話だ。私はまったくプロフェッショナルじゃないのよな、残念。何かできるようになるといいよね、死ぬまでに(^_^)プロおかあさんになりたかったけど、脳から血が出てダメになったか?いや、あきらめないぞw(そもそも、もう母親業は終わる時期だよ!知ってるw)上に書いた文章のポイントとしては、そのふたつの言葉は本来の意味とは変わっているよ?ということと、その意味を理解できているかい?ということです。ついでに、私のアホな話を書いておくと、テレビ番組の録画予約をするのに、深夜25時以降の時間を正しく理解できない。旦那ちゃんが丁寧に説明してくれることには、当日の深夜1時〜と書いてしまったら見たい人が日中に「もう終わってしまった・・・」となるでしょ?だから前日のつづきで、25時〜と表示するわけよ!と。「それはわかるけど!でも、◯日の25時って時間は現実に存在しないでしょ!?」現実に存在しない時間をわかれ!と言われてもむずかしい。便利のためってことだよね、それはわかるけど、なかには、それに乗ってけない性質の人だっているのだ。テレビ番組の最近の中途半端な時間割のおかげで、だいぶ混乱する。録画予約を、何度失敗したかわからない。(日にちを間違える)私が今、小中学生じゃなくてよかったよ。とてもうまくやって行ける自信はない。というような思い付いたことをうまく伝えるためにはどうしたらいいか、などと考えているので、私の頭は休まることがないのだ。もうすぐ夏休みだね。先生たちは長い夏休みがあっていいねという強固な誤解があるけど違いますよw お盆に強制的に年休を取らされるだけ、らしいよ(うちの子の職場は)子どもたちが学校にこないのはたしかだから、子どもたちみんなが楽しく充実した夏休みを過ごせますように。 二度とない時間だよ(^_^) おおらかにね
2026年07月13日
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ここ数年の強い日差しに、私が思ったこと。入院中で一日を空調の効いた建物のなかで過ごしていた私はいいけれどジリジリと照り付ける日光を今までどおり、直接浴びていたら、みんな具合が悪くなってしまう。適度な日光浴ではなくて、屋外での活動は禁止したほうがいいくらいの日差しだ。そこは、私なんかの『(時に過保護な)母親的感覚』じゃなくて、今や、気温や暑さ指数によって活動の目安が決められているのだから、ありがたい。ちなみに、それって、守ってる?(これは、あとで書きますね)病院からうちの子どもたちに「熱中症注意!」と何度も呼びかけて、水分、塩分とって!と。カンカン照りの中を長時間歩くことになるだろう当時まだ大学生のクマには「雨が降ったら傘をさすのと同じでお日様が降ったら、日傘をさせばいいよ?」と伝えた。軽量小型の日傘を調達したので、何度かはさしてくれたみたいだけど、やっぱりめんどくさいw 晴雨兼用日傘は、結局雨傘として使われることのほうが多かった。雨はぬれるけど、日光のダメージは目には見えないからね。でも、私には(母親には)突き刺さる日差しが見えるようだ、全身に、目にも、皮膚にも、振り付けてくる。ですからね、小学生の保護者のみなさんが、日傘はなんでダメなの?と言う不満な気持ちはよくわかります。雨なら傘をさすよねえ、お日様が降ったら日傘をさすよねえ。何もおかしくないよね。日傘を禁止する学校の言い分は、何だっけ?あぶない?地域の通行の迷惑?あまりお腹から理解・共感できていないので書けないけど、だいたいは、フツーの雨傘でも同じ事態が想定されることだった。そこの違いは何なんだよ!?と食い下がるつもりはない。要するに、子どもが安全に周囲の迷惑にならないように傘を使えればいいわけだ。学校的には、何か起きたときに「学校の指導・監督ができていないからだ、学校のせいだ!!」となることを避けたいのね(^_^)それはわかるけど、この場合、最優先すべきは、子どもの健康と安全だよね。日傘を禁止して、澄ましていていいわけがない。私も、もうすでに大人であるクマの日除け対策については、いまだに悩んでいる。まあ、大人のクマは、自分で考えて対策すりゃいいので真剣に考えてはいない。でも、私が今、小学生の親なら、どうするだろう。ちなみに、うちのクマ、小学生のときには、雨傘を何本ダメにしたかわからない。新しい傘をさして出かけて、家を出てすぐに、線路沿いのバラ線に引っ掛けているのを見たときには、かなしいやら、おかしいやら、やっぱり正直に書くと、笑ってしまった。雨傘はもはや消耗品だから、なるべく安いものを使い倒すことにしていた。気にいったものなら大事にするだろう、と大人は期待するだろうが、物を壊すのは、子ども自身の性質によるものだから、わざとではなく、フツーに機嫌よく過ごしていても、壊れてしまっているだけだ。こんなことは、出来のいい人には想像できないだろうけど、小学生のときには、雨傘を引きずって歩いて傘の先が真っ平らになっていた私にはよくわかる。身体が小さいから引きずる。やめろと言われてもそういうふうにしか歩けない。もちろん、母には散々叱られた。わるいとは思うよ、そりゃ。でも、できないときには、できないんだよ(^_^)でも大きくなればできる。だから、おとなにできるのは、子どもにブチキレないで冷静に忍耐強くひたすら言い聞かせることだ。特に厳しく言い聞かせなくてはいけないのは、傘はおもちゃでも武器でもないので、他人に向かって振りまわしてはいけない。それだけでは?さし方がヘタでびしょびしょになって帰ってきても、傘の骨が折れてしまってみっともなくても、本人が無事で、誰かに危害を加えていなければ上出来だ!(^_^)よくやった!ちゃんと帰ってきてエラかったね!だよ?最初から大人と同じようにできる子どもなんていないし(ときどきいるけどさ、ものごとの原理を理解している賢い子か、おとなの言うことなら何がなんでも守る習慣のある子だ。後者は大人になってからが、ちと心配)おとなになっても、ぬれた傘の扱いがしっかりできなくて周囲に迷惑をかけたり、持ち方のあぶない人もいるし、どこかの時点で学ばなければそのままだ。大人になったらわざわざ教えてくれる人もいないし、反省して学ぶ人も少ないだろう。子どものあいだに教えてもらってたくさん失敗してできるようにしておけばいいじゃん(^_^)うん、うん。ちなみにすれちがうときに、かさを傾けて当たらないようにする行為は「江戸仕草」なんだって(^_^)粋(イキ)だね。そうしないとぶつかるもんね?傘嫌い、傘苦手には、パーカーとかマント型の日よけがいいんじゃない?レインコートみたいな?冷感の、暑くないやつ。目も守りたい。新しいスタンダードにすりゃいいんだよ。なんにしても、今現在は上手に傘を使えない子どもも困らないものを用意してあげられるといいよね(^_^)。何かの商売になるんじゃなあい?なんならもうあるでしょ。小学生のころ、「私が大人になるころには、雨傘とか踏切とか、原始的なものは消滅して便利なものができてるにちがいない」と思ってました。頭の上に布を広げて、水にぬれるのを防ぐなんて、棒で電車の前に人が出るのを防ぐなんて原始的極まりないと思ったし。でもまだフツーにあるよね?(^_^)おかしいなあ。余裕がないんだなあ、すべてにおいて。それじゃ最初に書いたことに戻ります。部活動の暑さ指数による活動目安があると思うんですけど、屋外競技は、気温ですね?体育館競技は暑さ指数になります。だから、当然、体育館には、それを計る道具があるんだろうと思っていたらクマがある日「WBGTのわかる温湿度計が欲しいんだよね〜買おうと思って」「出た!教員の自腹w」そもそもないの?去年までどうしてた?安全基準があるなら、部活の数だけ支給されててもいいと思うけど?「そうか、クマは、私物にしようと思ってるんだね?だから自分で買う」それをあたりまえにしてしまうと、続く代に迷惑なので、困らないように考えていきましょう!そして計ってみたら、運動は危険レベル。合法的に、暑い体育館での部活はできない、ということになりました。するなら、冷房のきく部屋で、と。合理的じゃん!根性論反対(^_^)理屈だけで実行してなかったら意味ないし。クマ、賢いわ。小学生のときにつぶれなくてよかったよ(^_^)自分の生命も子どもたちの生命も、守る努力ができている。全国の先生たちにもエールを送るよ。落ち着いてね、やけにならないでね(^_^)子どもたちの未来を応援できる価値あるお仕事ですぞありがとう。
2026年07月11日
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中学校の新人教員であるうちの末っ子のクマが、ちょくちょくお野菜を持ち帰ってくる🍅受け持ちの生徒たちと作った野菜は、ハートや星の形をつけたキュウリとか、子どもが喜びそうなものだったりして、自分の手で育てた野菜が実際に家族の食料になるという体験は貴重なものと考えている。手作りは美味しいし!彼は社会科の教員なので、普通クラスではなくて、特支の少人数クラスで野菜作りをしているらしい。いいことだ。特別支援学級の指導なんてクマにできるのか?と少し心配したけど、どんな人も最初は初心者だ。それなら、大学を出たてのいかにも新人らしいクマは「教えてください!一緒に成長しよう!」という姿勢で向かえるだろう。自分でさらに参考書籍を取り寄せて勉強していた。あとは、現場での経験だよね(^_^)あなたは今、やっと経験を積み始めたところなんだよ、というのは私がこの一学期にクマに話したこと。「そんなの、言われなくても、わかってるよ!」と言い返さないのは、少しおとなになったってことか。それはともかく、キュウリやトマト以外にもじゃがいもがごろごろ転がっていたり、エダマメがあったり、これは、自分たちで作ったんじゃないのでは?という野菜も持ち帰ってくる。部屋にそのまま放っておいてもしかたないので、回収して冷蔵庫に避難して「このお野菜は食べてしまっていいのか?」とたずねると、いま料理を担当しているおとうさんに丸投げするのではなく、自分でも何か作ってみようとか、美味しくいたたくための下処理をしようとか、考えていたらしい。さすが食いしん坊。しかし毎日忙しすぎる。じゃがいもは、ただ加熱して、塩や、バターで食べても美味しいよね。そんな知識は当然持っている。「美味しい」をともに経験してきてよかったよ(^_^)それらのお野菜は、その地域の「学校応援団」の方が差し入れてくださったものだと「先生、これ食べて元気出してね!」といただいたらしい。(「おばあちゃんに好かれているw」と笑っていた)ありがたいことだ。心底嬉しい(^_^) 私たちの目の届かないところでも、クマが地域の方に可愛がっていただけるなんて、こんなに安心できることはない。しみじみありがたい。若い人みんなに、そうであってほしいんだよ。意味のないファイティングポーズはやめなよ、大丈夫!みんな敵じゃないよ!鏡みたいなものだよね。善意には善意が、悪意には悪意が返ってくるだけなんだよ。私は、ただの鏡じゃなくて、真実をうつす鏡になりたいよ(^_^)そして、「ねえ、いただきものをしたら、お礼をしたいのが昭和の人なんだけどたぶんクマが元気で教員を続けるのがお礼になると思うのよ?頑張ろうね(^_^)」「そうねー」そもそも、いただいても問題ないものなのか?というのを気にしていたらいただいたその足で教頭先生のところに「これは、もらってもいいんですか?」と報告と確認に行ったらしい。エライぞ、クマ。黙ってちゃいけないな。なんでも、周りに伝えなさいね、感じよく、ね。人生はずっと、経験と学びだね(^_^)
2026年07月09日
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先日書いた「それは、誰のためになるのか。」(6/24)のつづき。どうにも気持ち悪くて、すっきりしないので、考えつづけています。善意でどうにかこうにかなんとか回る現場にあるのは「システムエラー」であって、頑張って回してきた教員のみなさんが、わるいわけではないんですよというのは、たぶん金間先生のお話? あれこれ見てまわったので、正確なところがわからなくなってしまった。旧世代対新世代の対立構造にして、単純に、「若者」がよろしくない!という流れにしないなら、じゃあ、反省すべきは「旧世代」ってことになりますから、非難の矛先が変わるだけで、それは、避けたいんですよね?同じ、同じ(^_^)そんなんムダ。うん、で、どっちがよろしくないという考え方はやめるとして、やっぱり私は、「教育現場の崩壊」を懸念する現役教員のみなさんが、当然よかれと思ってやってきたことを若い世代が「できるようになる」ことを推し進める必要は、まったくないと思っていて、感情労働だか滅私奉公だかの理念を受け入れて、現場の「システムエラー」を力わざでなんとかしようなんてことをうちの子に強いるのはお願いだからやめてくれよな!としか思えんのよw 合理的なのは、わるいことじゃないよ?そもそも! 周りに合わせて同じように苦労するのが立派な大人ってことなんですかね。そんなのは、昭和育ちの私だってイヤですけどね!そんなことを強要しなくても回る現場にすりゃいいじゃないですか。私自身は教員になるには学力も体力も足りなかったから、子どもを3人育てることしかできなかったけど、その、「今どきの若者はこんな感じですよ」と現に言われている世代を育てたのは、どの世代の先生方なんですか?その世代の親も先生たちも、今と変わらないのでない?大差ないでしょ。うちの子の経験から言うと、末っ子クマの小学校の担任の先生方の印象は、母親の私の考え(日ごろ書いてるとおり)とかみ合わないのは、学校生活を失敗なくうまくこなしてきた人たちって感じだった。失敗するクマの気持ちも事情もわからないし、学校の先生ってデキのいい人がなるんだなと実感させる人が多かった。いや、若い先生たちね(^_^)。ベテランのおかあさん先生たちは違うよ? 全然。だから、そのころの若い先生方を育てた世代、世の中の頃からもう今と同じなんだよ、簡単に「今どきの」とは言えないんだよ?と実感している。クマには「失敗をたくさんしたクマみたいな人が学校の先生になったほうがいいんじゃない?」と話したのが、彼が小学生のとき。だから彼は、学校の先生の仕事が、勉強を教えることだけ、とか子どもが失敗しないように先回りすることだ、とも考えていない(と思う)勉強は、システマチックに苦労しないで知力を上げる技術を研究すればそのうち定番の方法ができるだろう。(つか、なんでいまだにできないのお?w これは、なんで100点とれないの?と同じく無神経な発言か?)それについても書こうか?w 私が何か言ってもエビデンスがないから役に立たないな。今の時点で、思い付いたことを書いておくと、世代でわけるなら、IT機器の普及とその影響のほうがわかりやすいんじゃないかなと、会社員になったと同時期にWindowsが普及した私は、実体験から考えますよ?ワードやエクセルをあたりまえに使いこなしてきた世代とそれ以外じゃ(合理性についての)考え方に違いがあってもおかしくない。その普及を目の当たりにした世代と、もともとある世代=スマホネイティブでも違うよね。ぼんやりとした年代でわけるよりわかりやすくないか?(はっきりいつから〜がわかるし)ムダをなくしてめっちゃ合理的に作業できるわけよ!全然!Windowsがなかった時代も当然知ってるよ?そして、手書き、手計算にもそれはそれで、意味があると思ってる。アナログな帳面・帳簿にもね(^_^)以前、幼稚園のPTA仕事で、年度初めに全園児家庭に行事手伝いを割り振るという作業があって、結婚前に職場でエクセルを使いこなしていた私が、なるべく正確に速くなおかつ引き継ぐ人たちも困らないように、と考えた方法を実行に移そうとしたとき、心配したのは、前の世代が「ともに苦労する」ことに重きをおいていることを察して。私にとっては、「いらぬ苦労」でしかないけど、その苦労を大切に思っている人もいるんだよなと思いついて。⇧の発想は、まるで「今どきの若者」のようですよね。まあ、その「心配」すらしないってことでしょ?つまり。経験した仕事がマニュアルの校正と営業さんの手伝いだったから、まさに、役に立ったんだけどね(^_^) 何でもやっておくもんだよ。タイトルにつなげないといけない。つまり、自分たちと同じようにできない世代を、「できない」のではなく「しない」のだと理解して、そこにどんなメリットがあるかを考えるのは、現役教員のみなさんには簡単なことではないかと思うんですよ(^_^)そうすれば、明日につないでいけます。そのむかし、一つ目の職場を辞めるときに30代の上司に「あんまりぎすぎすしないほうがいいよ〜」とアドバイスみたいなことを言われて「はん!生意気な小娘ひとり、うまく使えばいいだけの話じゃないか」と心のなかで悪態をついたのが私です。30年経っても発想は変わってないのね。言い方には気をつけるようになったよ。あとは、今どきの若者のは、無敵感じゃなくて、万能感だよね?(^_^)という話を別の日に書きます。同じだって?違うんだよなあ、これが。その万能感の出どころについて考えたことを書く予定。VIVANTをオススメしてふたり視聴者を増やしたぞ(^_^)地道。
2026年07月08日
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施設では季節の飾り付けで笹と短冊の🎋七夕飾りも作るのだけれど、去年の私の願いごとは「温暖化がとまりますように」だった。今年も「はい、願いごとを書いてね」と渡されたけれど、「・・・・」ちょっと待てよ、ねえ。七夕のお願いって誰にするのお?ネットで調べれば七夕の由来は簡単にわかります。なるほどね、だけど、時代が変われば、人々の願うことだってかわるよねwどうりで、トンチンカンなことになるわけだ。(いや、おばあちゃんに「旅行に行きたい」でもなんでもいいよ!って言ってるからさ、職員さんが)お願いをするって、生きる意欲と結びついてるよね(^_^)どうでもいいって思っちゃいけないのよな(思ってないよ(^_^))誰に願うのかね、お星さまかな?(調べてね!)星に願うなら私は、星からの視点で考えようかな、これだな。「地球人が 戦争をやめますように」個人的な望みは自分で叶えるから、誰かにお願いしようと考えたことはない。受験の神頼みもしない、それより勉強しなよ。星に願うなら、自分じゃどうしょうもないことだ。いや?どうしようもないか?地球上の誰かが始めたことだ。どうしようもないはずがない、よなあ?うん、先日、AIの軍事利用の話題をテレビで観てつまり、例によって、忖度しないAIは、計算上いちばん効果的と判断したらためらいなく、核兵器を使うだろうと。そりゃそうだよね。だからそんなこと(戦争)にAIを使ってはいけないのは、あたりまえ。なんだろう、理屈としては、被害を最小限に収めるため、とか言うのかなあ?コンピュータやドローン、無人機を使って、どんどん実感から離れたところで人間が殺されていくことになる。それを許すならヒトはわかりやすくバカだ。そうやって、自暴自棄になったような、この星全体を巻き込んだ無理心中に巻き込まれるのはごめんだ、と未来の地球人のためにも怒るよ。うん、でも、未来の地球人は今より、きっともっとずっと賢いんだ(^_^)と思ってる。まあ、考えの足らないヒトはいつの時代にもいるし、今だって必死で止めないと「どうにでもなれ」ってスイッチを押してしまうヒトがいてもおかしくない。いやだな、やめてよね。それはともかく。「銀河の一票」最終回で、日山流星候補の演説を聞くために集まった人たちが次々にスマホのライトをかざして、私たちは、ひとりひとりが銀河を構成する光なんだ!という表現があったのだけれど、ちょっと待てよ?これ、どこかで見たなあ、と考えたら風さんのパナスタライブの「grace」でしたね。あのとき、あの曲のスマホ録画がゆるされたとのことで、たくさんの人がその光景をネットに上げてくれて、私も見ることができました。とってもきれいだったし、あそこに参加できた人たちは、自分がひとつの光であることを実感されたのでは?久しぶりにあのライブを観たいなあ。あの様子は、公式にはないんですねえ。←探してきた。Blu-rayは手元にある、日記にも書いた。まあ、あの曲が風さんのひとつの到達点になったのはよくわかる。この時期、空を見上げたり、蛍が飛ぶのを見たり、自然の光の美しさにあらためて気付きますね。私は基本的になんでも花より団子だけど。台風はこわい、でも、稲光もきれいっちゃきれいよね。「銀河の一票」のぶっとばし蛍(シシド・カフカさん)もキャラクターとしてとっても魅力的だった。全員スピンオフドラマが観たいくらいですね(まだまだ書くよ!w)空を見上げて地球を見下ろす雑談でした。 ありがとう(^_^)
2026年07月06日
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まとめというか、これで最後。つまり、あんまり観てないんだね、今期(^_^)そしてタイトルは、ほんとは「つくり話s」にしたい、複数形ね。日本語って、その表現方法がなくて、ちと不便(わがまま)以前考えたのは「つくり話たち」とか?もうやめよう。そもそも、映画「エリン・ブロコビッチ」を観ていて、「これは、『きれいな』実話なんだよなあ」と考えたのがきっかけ。「きれいな」というのは、ご存知「銀河の一票」中で野呂佳代さんの演じるあかりさんのセリフ「きれいごとじゃない、きれいな、ことだよ」から、いわゆる「正義の味方」的な行動のことを説明したいとき、最近私が使うことばです。ありがとう、ぴったりの表現を教えてくれて。映画のエリンは、大企業を相手に、隠蔽されてきた水質汚染の被害を暴露・証明して、史上最大の賠償金を勝ち取った、弁護士事務所スタッフ(=弁護士でもない、必死に生活する3人の子を育てるシングルマザー)この映画がもともと好きで、まあ、痛快だけど、今の日本の訴訟文化というか責任追及モードというのは、そのアメリカの訴訟文化の影響を受けているんじゃないかと常々思っていて、よしあしだとは思うけど、映画自体はシンプルにおもしろい。エリンの品のないところが好きw 魅力的な女性の、それを自覚した上での下ネタに笑いころげてしまうので(いやね、と眉をひそめたりしない、大笑いだ。オジサンのそれはキライ←偏見か?)まわりの人たちは喜んでくれる。そう、大企業が隠蔽してきたことのせいで、自身が病気になったり、家族を亡くした人たちのために立ち向かう、という役どころが、ジュリア・ロバート演じるエリン・ブロコビッチなんですよね。でも彼女が完璧でないところがいいところです。品も知性もない、色気と頭を使って情報を手に入れる。でも、虐げられた人たちに親身に寄り添うことができるのね(^_^)なんの感想を、書いてんだよ!?wそう、だから、映画「エリン・ブロコビッチ」は、実話ベースで「銀河の一票」がおもしろければおもしろいほど、これが「つくり話」であることが残念に思えてきた。あかりさんみたいに困ってる人を助けたい人や、実は「せかいぜんたいの幸福」を願っている政党幹事長やその後継者が実在したらいいよね。きれいなことに協力して報酬度外視で伴走してくれる正義のYouTuberがいたらいいよね。でもあれは、つくられたお話だからさ。まあ、お話としては、最終的に、マツリさん(黒木華さん)をクビにしたお父さんがわかりやすく味方になってくれたらなと思ったけど結末としては、そんな感じか?←テキトーすぎる。(もともと、そうだった、流れだね)観てくださいね、気になったら(^_^)最初の回は見逃したのでTVerで観て、2回目からは、TVで観ました。途中から録画したデータを残してる。何度も観たかった。おもしろいドラマだよね!そして役に立つ。気付いたことを書いておきます。第7話「出馬表明会見〜わたしの10年と彼女の10年」あかりさんが養護教員時代に関わった不登校生徒に起きたできごとと、その後のあかりさんを描いたお話。あのお話を観た方の「誰も間違ってない」という感想をいくつか見かけました。そう思えることは貴重。たいていどちらかに感情移入して、他方をワルモノ扱いするからね?「誰も間違ってない」のに、対立構造になるのは。なぜか。子どもをはさんで、お互いを「わかってない」と敵視しちゃいけない。無意味!子どもをなんとかしたいのは、親も学校も一緒。どちらの立場から書こうか。保護者かな。問題なく学校に通ってくれたら、心配ないのに。勉強は、先生が教えてくれたら苦労しないのに。なんでうちの子が学校に行けないことを肯定して「保健室にきて、人形づくりしてていいよ」なんて言うんだよ!ひとの気も知らないで!だよね?うん、先生がわるいみたいだ。違うんだよな。先生も、子どものことを考えている。だから。本人が追い詰められないように、「今は」とりあえずできることをしてその場をしのごうよって思うんだよ、だけど、それは子どもの将来に責任を持てる人の考えることで、それを伝えるためには、先生は自分が生徒本人だけでなく、おかあさんの味方でもあることを、わかってもらわないといけない。(もちろん、それを自覚しなくちゃいけないよ?)子どもの味方はできても、親の味方はできないかな?子どもを挟んだ対立構造なんてムダの極み!私はもはや、みんなのおばあちゃんくらいの心境だから、そんな感じだよ。すべてに関して、「困っていること」を聞く姿勢の政治家がいたらいいねと思うけど。あら?いなかったかしら?ノート持ち歩いてる人。たしか、いたわよね(^_^)「きれいごと」を冷笑しない世の中にするのは、すぐにはむずかしいかもしれない。でも、あと50年もすれば変わってくるよ、きっと。よくもわるくもたしかに変わっていくんだよ、それはここ40年くらいを見てきた実感だ。心配しているのは、そもそも続いていくのかってことだ。←こればっかりwひとつの回をとっても書きたいことがたくさん浮かぶので、たしかに観る価値のあるドラマだと考えます。後半からは、声優さんたちが大活躍でしたね。日高のり子さんとかズルイよ!って言いながら観ました。みんな大好きだよね(^_^)長くなるのでまとめます。おもしろかった。主題歌もよかった!「おーへい」ね。oh. heyなのか横柄なのか、これねえ、歌詞読んでも意図がはっきりわからないところがいいですね。はっきりした意図はないのでない?曲調、ファンクだから、とにかく語呂だよね、それこそ、メロディに気持ちよく乗るちょうどいい言葉が選ばれてる、すばらしい。「おーへい」政治家さんたちに聞いて欲しいなあ。60.70代くらいの、かつての音楽青年たちいると思うよ?あんなふうに軽快に、きれいなことを考えて、していこうよ(^_^)!ああ、そして、もうひとつのきれいなつくり話、「VIVANT」第一シーズン、テレビでの再放送もまた飽きずに観ています。どのように「きれい」かは観て確認してください。VIVANTを形容するのにきれいな話と言う人もいないかもしれないけど、そういう意味では、「豊臣兄弟!」もなるべく流血を避けながらみんなのよく知る歴史を題材にしたきれいに描きたいドラマですね(^_^)。とりあえず共通認識としての理想をかかげたい私は「きれいなつくり話」が好きなんだよな、つまり。 おもしろかった、ありがとう(^_^)
2026年07月04日
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これは好きだろう、これは喜ぶだろうなと想像できるものをあれこれ揃えて贈るのが好きです。身体が不自由になって、自分で好きに動き回ることができなくなっても時間をかけて、できるだけ計画的に揃えて送るようにしています。かつては妹に、今は子どもたちそれぞれに。特に一人暮らしのネコスケには、食料を送るついでにこれは好きそうだと思うものを、何かプレゼントしてもいい機会を逃さず自分が好きで、ネコもきっと好きに違いないものを贈ります。⇧これが、旦那ちゃんには理解できない。「本人が欲しがってもいないものをムリヤリ贈りつけるのは、ヤメロ」と血も涙もないことを言ってやめさせようとするのですね。ネコと私が趣味を共有していることを理解できないのだな、残念。3兄弟と私は、彼らが家を出るまで、楽しいこと、おもしろいものを一緒に集めてきました。物理的にも、心理的にも。それは残念なことに、私と旦那ちゃんの結びつきよりもずっと強いつながりで、一朝一夕に成り立つものではないのです。1年生のころのワンの欲しい食玩を揃えるために、近所のスーパーを一緒にまわって探し歩いたり、「あれ、いいよねえ!わかる!」というやりとりを育つ過程で重ねてきた。そして、彼らはものを大切にする。両親がすっかり忘れ去っているようなものの存在もしっかり覚えていて、たしかここに、と雑誌の付録の小冊子を探して本棚をひっくりかえしたりしている、いまだに。たしかに、そこにあったよね(^_^)。でも、いまはないんだよ、お父さんがしまいこんでしまった。狭い範囲を片付けて、きっちり管理して把握したいのが旦那ちゃんで、私たちは、広い範囲でも、だいたい、この辺には、これと大ざっぱに把握している。先日、勤務先の中学校の体育祭応援で使いたいから!と「どこかに、ワドルディのぬいぐるみがあったよね?」とクマが言い出したときは「たしかにあったけど、おとうさんがどこにしまったかしらね」「ヨッシーもいるか?」「なぜ?カービィの仲間だから、いるんだよ?」ゲームキャラの種類の区別がつかないのは大人らしいな、あのヒト。逆におかあさんはわかっててあたりまえだから、下手に間違えると文句を言われる。ゲーム仲間扱いだ、ありがたいことに、競ってきたからね。そして、私がハナからクリアする気もないいわゆるクソゲーも、クリアした形跡がある。「誰!?このクソゲーをクリアしたのは?ワン?すごいな、あの子。ヒマなのかな?」ものを大事にするのはいいことです。まとめとしては、例によって「おかあさんは、ネコのいらないものを送りつけて迷惑でしょ?鳥なんていらないよねえ」とネコスケの機嫌をとるつもりで聞いた旦那ちゃんが、ネコスケに「うん? いや、鳥はいるよ!」と思いっきり言われていて私が溜飲を下げたという話。ほら見ろ! 鳥はいるんだよ、あたしだって欲しいよ。あなたには死んでもわからないわ、残念。鳥って、ハンサのリアルフィギュアのことね。ハンサ【HANSA】ぬいぐるみ スズメ10cm すずめ 雀 小鳥 オーストラリア ブランド hansa かわいい 映える 開店祝い 内祝い 誕生日祝いこのコね。なんなら何羽も欲しいよね。抑えるけど。本物も好きなんだよ。それを書いておきたかった。おまけ;いつも音楽の話をしてくれる療法士さんが、こないだ病院に行ったときにはニアミスで「しかたない。話したいことをまとめておきます」と言っていて、なんだか切ないお仕事中。伝えてもらえるようにメールアドレスを伝えておこうか。でも私にそんな習慣はないのだ。風さんが参加するサチモスのライブも行きたいと言っていたけど、昨日、今日かな?入手困難だったみたいですね。その顛末も聞かないとな(^_^)子どもたちに、私の代わりになる人が現れるのを待つよりも、彼らが私の代わりになればいいんじゃん!意見が合わなくても「おもしろいね、それ、なんでそう思うの?おしえて」って聞ければいいんだ。彼らならできる(^_^) みんなそうならいいよね♪銀河の一票の感想も書かないとね。
2026年07月02日
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前の日記の内容も考えているし、サッカーも観ているし、いろんなことが同時進行で頭のなかにひしめいている。事故注意。その前に、春のドラマ感想から考えていることを書いてしまおうかな。TBS金曜の放送だった「田鎖ブラザーズ」を観てから考えていること。以前すこし書きました。日記タイトルに入ってる←自分で調べろって。最近の刑事さんのお仕事というのは、ひたすらドラレコを集めてチェックしたり、車の持ち主を突き止めて車の状態を確認したり、とにかく地道で地味な仕事になっていますか?昔からか。そもそも、私たち昭和世代の刑事の仕事の印象は、ドラマに引っ張られ過ぎだった。「太陽に吠えろ」とか「西部警察」とか〜そのあともたくさんありますね(^_^)お仕事ドラマの影響って大きいよね、それをはっきり自覚してつくれるようになった今はいい時代だと思います。こんなのないだろ!ってツッコめるようになったし。それでいいと思う。つくる人たちは、ツッコミを考慮してくださいね。しかし、このドラマの結末には納得しなかった人も多いようですね。それ(納得しない人がいる、または多いこと)がわかればいいんでしょ。意味がある。みんなが納得する結末なんてないさ。いろんな人がいる、それがわかれば十分だ。私は、自分自身が、なんとしても仕返しをしたい、と思い詰めるような目に合っていないので、復讐を思いつめる気持ちは正直、わかりません。想像はできる。だし、同じ目に合わせればようやく納得できるという考えも理解できる。でもたぶん結局、私は代わりに復讐したいと思わないんじゃないかなあ。自分の気持ちが、誰かの行末に左右されるものじゃないと考えているから。問題は、自分が罰を与えないと、誰かの無念が晴らされないと考えてしまっている時。だれかのカタキ!って考えちゃうと、当然、懲らしめを与えたくなるよね。少なくとも、正しい法的な懲らしめを受けてくれと思うし、それすらすり抜けていると考えたらガマンできないよね、その納得いかない気持ちはよくわかる。ただね、あのドラマや、現実のニュースを観て考えたんだけど、自分が「したくない」と思うことはしなくていいですよ(^_^)罰を与えるのが道理!その道理って誰かに強制されていることではないし、気持ちの問題だよね。亡くなった人が戻ってきて訴えているわけでもないし、なくなった人の気持ちになって無念を晴らさなきゃって考えるだけで、それは想像でしかない。(すごく薄情なことを言っている自覚はある)もちろん、最近立て続いた若者たちの、相手を人間とも考えていないような所業は、どうしたらそうなるのかと心底疑問なんだけど、自分に直接関係ないからか、どうしても、加害者たちの育ってきた環境が気になって仕方ないんだよ。あなたたちの想像力は、どうしたの!?自分に、自分を大切に思ってくれる人がいる実感があれば、できないよね、できることじゃない。考えたくないわ、正直。誰かに大切に思われている実感を持てていないから案の定、無敵な気持ちなんじゃないの?守るものがない。闇バイトの指示役で逮捕された若夫婦の連れてた七ヶ月の赤ちゃん、どうなってる?心配だな。赤ちゃんを育てなくちゃいけない状況で、犯罪に手を出すことを考えるなんて、どれだけ環境に恵まれていないんだろう。まったく関係ないのに、あの子の行く末を考えてしまった。無知と偏見のたたかいになるな。偏見とたたかうには、たくさんのことを知る必要がある。あと、そうだ、何日か前にクマが突然「ハムラビ法典ていうのは、復讐をすすめているわけではないんだよ?」と私に言うので(ひとりごと言ってるのかな?、わたし)「それは知ってるよ。同じ程度にしか仕返してはいけない」「う〜ん、していいことの上限をきめてるんで、復讐しろって言ってるわけじゃない」目には目を歯には歯を、ね。AIで確認してきたら「やられたらやりかえせ」って意味ではないですよって、書いてあった。まあでもこれも、思い込みの多そうな話だよね。しかも、幼い純真な心にそれを間違って書き込んでしまったら、害は大きい。子どもに「やりかえせ」って教えてる人多そうだし。で、私の結論としては、誰のカタキだろうが、自分がイヤな思いをしてまで仕返しをする必要はないですよ、全然。無念を晴らしたいなら、ともに過ごした楽しい毎日をたくさん思い出して、目の前の現実を良くしていくことに力を使おう。自分が幸せに過ごすことに注力しよう。それがいちばん合理的よ(^_^)と常識知らずの私は考えます。それだけじゃない?そもそも、世の中には、復讐を素材にした創作物が多過ぎる。気付くとそんなものばっかりだった。いつまで同じことをやるんだか。しつこいよ。つまらないし、ウンザリしてきた。「田鎖ブラザーズ」は、それを踏まえた上でよく考えて工夫して作ってあったと思います。ワルグチは書きたくないけど「ダブルエッジ」は掘り下げが浅かったよね。小野花梨さんがもったいないわ。もっとしっかり考えてください。お金持ちや権力者の子弟が人でなしというステレオタイプな描写に頼りすぎだし良かったところが思い浮かばないよ、光石さんの熱演くらいでは?もったいないよな。無責任な一視聴者らしくここに書いておこう。ごめんなさいね。毎日蒸し暑いね今年は、降雨量が例年より多いと聞きました。とりあえず水不足の心配はなさそうだけど、土砂災害や河川の氾濫にはご注意を。みなさんのご無事をお祈りします。今日から7月だって!なんと!
2026年07月01日
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さっきネット記事をざっと読んでいて、コメントもざっと読んで考えたこと。出口治明さんが「日本の教育は『みんな違う』を徹底しないと」と話していることに対してのネットの反応(残念ながら我々は「ネットの声」としてひとまとめだ。まあ、ヤフコメとか、Xの反応とかそれぞれ呼称はある(^_^))を見ていて(ネットの書き込みを、私は、無意味だとは考えていませんよ(^_^)自分の意見をみんなに見えるところに書くことに意味はあると思ってる。すくなくとも私の役には立ってるからね!)思ったことを書きます。出口治明さんて『知の巨人』らしいんですけど、ほほ〜、たくさん本を読んでるとそういう評価になるんですか!?すごいですね(^_^)以前、脳出血からの復帰を取り上げた番組で拝見して、思ったことをどこかに書いたなと思い出してさがしてきました。2025年1月29日でした。ちょっと、納得してないねw あなたが前を向けたのは周囲で支えてくれた人たちがいたからじゃないの、その人たちへの感謝の言葉は?どうしたの?と指摘していますね。あげく(私たちの)この状態からすぐさま前を向くためにはある種の厚顔さが必要であるとまで書いてます。エラソwまあ、それで「みんな違う」を徹底せよと言っても、じゃあ、違うのがあたりまえだから各自好きなことをしていいという話にはならないんですよ。それはなんでだろうねとさっきから考えていて「みんな違う」が絶対に正しくてすべてに対して最優先になるわけじゃないんですよね。「みんな違う」を理解・納得しなくてはいけないのは、①「みんなと違う私はダメなんだ」とみずからを縛ってしまっている人、または、②「みんなと違うアイツはダメなんだ」と自分とはちがって見える他人を下げる人、または③「みんなと同じにしなさい!」と子どもに強要する大人、じゃないですか?整頓するとそういうことよね。実際に、そういう思い込みに縛られている人は多いし、「みんな違う」を認めることには意味があると考えます。でもね、それ以前に、社会のルールを守ることが優先されるでしょう?「みんな違う」を盾に好き勝手されたら困るんですよ。だからこの話は、コメント欄に書き切れるような単純な1+1=2みたいな話じゃなくて、加減乗除が組み合わさったような、もうすこし複雑な話なんですよね。+−✕÷だって、同じ式のなかに出てきたら、何が優先でって順番が決まってるでしょ?小学生でも分かる話だから大人はみんなわかるはずだと思うけど。みんなが、1+1=2とは言い切れない!とか、1(1+2)+1(2−3)のときはとうなるんだみたいな思い付いたことを発言するからシッチャカメッチャカになる。そもそも社会問題は算数ですらないのだし。「みんな違う」は間違ってないよね。でも、自分勝手はダメなんだよ。まさか、「みんな違う」を理由に。授業中に立ち歩くことを容認しろなんて言ってる偉い人はいないでしょ?w そこに噛みつくのはヘリクツってもんじゃない?いるのかなあ、それくらいに発想の転換が必要なの?先生の立場としても、マジメに授業を受けている子どもの立場としても迷惑だと思うけど、周りの迷惑になることはやめましょうって話で、そんなの知りません、うちの子の好きにさせてください、「みんな違うんですから!」なんて親がいたら困るでしょう?「決まりを守る」は最優先だと思うけどなあ。違うのかなあ。そしたら私には理解不能だなあ。構成する個人が決まりを守れないと社会秩序は崩壊するよね。ただ、その「決まり」の基準がどんどん変わっていくだけなんだよね。もうちょっと考えてまとめてから書いたほうがよさそう。でも、ちょっとわかった。書きながら考えています←迷惑。社会生活をまっとうに送りたいと自分から考えている人は、まずは社会の決まりを守りましょう、それでいいですよね?決まりなんてひとつも守りたくなくて社会生活すらも送りたくない人は、まずそこ(社会生活を送りたくない)から改善できるといいよね。いや、社会に属さなくてもまっとうに生きていく方法があってもいい。いいよ、大丈夫、全然。社会生活をまっとうに送りたいけど、諸事情で送れない人もいる。その場合は、できない理由をこまかく分析して、対処していくしかないですね?こんなの、もうみんな考えて実行してくれてますよね(^_^)社会を利用するだけ利用して、好きなことだけして生きたい人もいるだろう。それは、社会のルールとしては認められないと考えますぞ。やめてね。私は浦島太郎みたいなもんだな。竜宮城で子どもと遊んでいるうちに令和になって、身体が不自由になった。お休みし過ぎてノートが溜まっている。しかも頭の働きがイマイチよろしくない。でも文章は書きたい。これだな!ってところまで考えたいよ。あー、そして、こないだのMAJで去年に続けて最優秀アルバム賞をもらった風さんがコメントとして、ひたすら感謝の言葉を並べていたのはとてもよくわかりました、
2026年06月28日
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