全112件 (112件中 1-50件目)
壊れてしまったブログ。修復できずに諦めていた。何を書き込みたいわけでもなく、だれかに聞いてほしい事があるわけでもない。このままブログが出来なくてもいいか。そう思ってもみた。でも過去に書き込んだ文章を読んでみると、その時々を懐かしく思い出される。忘れることが多くて、自分で自分の頭を殴ってしまうこの頃、過ぎた思い出は大事にしたい。そしてまた新しく何かを書き込めたらいいかなあ? 独り言を...パソコンの先生にお願いして修復していただいた。2017年から眠り続けた私のブログは今、目覚めました。
2021.05.19
コメント(0)
今夜中の1時。いい歳をして夜更かし。明日はだいじょうぶ?
2017.07.15
コメント(0)
エイプリルフール。上の孫娘との会話で今日がエイプリルフールであることを思い出した。「モモカはしょうもないウソを部活で言ってるのかな?」「忘れてるんじゃないの?」 と下の孫娘の事を話した。夕方6時過ぎ部活から帰った孫。夕御飯を食べながら今月分のお小遣いの額を確認して何か言いたそうでモゾモゾしている。(どのように切り出すか、かんがえてるな・・・・)「4月かあ。3年生やなあ」きました!「モモカ。おーちゃんは百花が何を言いたいのかわかってるよ」すると照れくさそうに、でも期待をした嬉しそうな笑顔を見せた。(あああ、この笑顔にいつもやられるなあ。今年は絶対にまけないぞ)「あのね、2年生から3年生になるのは全然おめでたいことではないよ。義務教育では1年が過ぎれば必然的に2年生、3年生になるわけで、進級祝いにお小遣いをあげたりするのはおかしい考え方やで」と切り出した。黙って聞いている。「お小遣いはちゃんとあげているし、もっと欲しい時は洗車をしたりビルの階段の掃除をしたり、とバイトをして稼ぐ方法は用意しているでしょう?2年生になる時は百花の要求は呑んだけど、毎年の値上げは認めないよ。働かずにお金をもらう、というのは基本的な考え方が間違ってるでしょう?」どんな反応をするか? しばらく黙っていた孫。「今日はエイプリルフールやから、言っただけ。冗談。冗談。」と明るく言った。なんという子でしょう。この頭のまわりようは良いのか?悪いのか?「なーんや、そうやったん?あんた今日がエイプリルフールってしってたの?」と孫にあわせながら肩を抱いて「百花はえらいね」と囁いた。
2012.04.01
コメント(0)

頑張って部活を続けて1年半。2年生の2学期、3年生が引退して晴れて試合に出れることになりました。これからの1年は選手として頑張ってね。嬉しいくせに照れて写真を撮らせてくれません。一緒に部活を頑張った2年生。ともに選手に選ばれてそろってユニホームをきせてもらいました。 1試合だけはどうしても勝たなければ!気合いを入れて相手チームを研究して。朝早く興奮気味にでかけました。3時過ぎ孫から電話がかかってきました。暗い、泣きそうな声。「どうした?試合にまけたの?」「うううんん。試合は勝ったよ」えっ?勝ってなんでこの声?帰ってきた孫は涙をこらえて必死です。「何があったか話してみて?」「もう、いやや。部活止めたい」 この日は地域のお祭りで、試合から帰ったら遊びに行く予定にしていたのに、寝るわ、と布団を被った。30分後眠れない。起きだしてきて少しだけ今日のことを話してくれる。何のことか要領を得ない。「お小遣い、特別にあげるから、お祭りにいったら?」「え?本当?じゃ、行ってくるわ」笑顔がもどって出かけて行った。ああ、大したことは無かったのかな?そのようにも見えなかったけど。。。。。1時間も過ぎた頃、やはり気分が乗らないようでかえってきた。出るわ溜息ばかり。部活の先生に「どれだけみんなに迷惑をかけている、と思ってるのか。部活なんかやめてしまえ!」みんなの前で言われたらしい。「試合で失敗したの?」そうではない,と言う。夕御飯も食べられない。寝れない。顔をクッションに埋めて泣いている。そんな様子をみてこちらも胸がつぶれそうになる。「なにか食べに行こうか?何がいい? うどん?おすし?ステーキかな?なんでもいいよ。一杯食べて気分をかえようか?」甘いおばあちゃん。甘すぎるかな?ふっとそう思いながら、でもいいや!「スイーツ?」やっとうなずく。「よーっし!思い切り大きいのをやっつけよう!」お店でパフェを食べながらぽつぽつと話し始めた。今日の試合相手のあまりの強さに「球が速いなあ。こんなのに勝てないよね。」ネガティブな感想を言い続けたらしい。その言葉に先生が注意をしたのであろうことは想像できる。その先がこの孫の性格の欠点で。彼女には叱られる理由が理解出来なかったらしい。赤ちゃんの時から謝ることのできない性格。先生に反抗的な態度をとったんだろう、と思う。そのことに頭を悩ませている私には想像できる。結果。先生から止めろ!発言を聞かされることになった、と思った。「あやまりなさい」「なんで?ももかわるくない」「選手は将棋の駒のようなもの、監督には逆らえないよ」「人生には謝る以外先へは進めない場合がある」「あやまることは逃げることではなく自分に勝つことになるんやで」などなど。すべてを部活に注ぎ込んできた孫。それを止めてしまったら学校へ行く気持ちすらなくして登校拒否。そんな絵がみえる。そんなことになったらこの家からは追い出す。と脅す。我慢すること、自分の思い通りには生きられないことがあること。13歳にはきついなあ。そう思いながらも教えたかった。翌日謝る決心をして学校へ向かう。手を握ってお祈りをすると、おとなしく祈られていた。かわいそうに。涙がでる。午後元気な声。ああーうまくいったな。友達と大きな声で笑いながら帰ってきた。「お祭りにいくでー」「思い切り楽しんでくるわー」「いってらっしゃい」気持ちよく送り出す。夜遅く帰ってきて満足そうに言った。「これまで生きてきて今夜のお祭りほど楽しかったことはないわあ」「そうやね。つらいことを乗り越えたからこそたのしいんやで」「うん」素直にうなずく。いい経験をさせてもらってよかったね。
2011.09.17
コメント(0)
8月8日月曜日。今日の夜から3泊で和歌山御坊へ行くことになった。明日の朝早く白浜に泳ぎに行きます。部活で忙しい中学生の夏休み。唯一の休暇です。8日のグループホームの仕事を終えて、部活が終わるであろう19時ごろから上の孫娘と3人で出かけます。海かー。怖いものがあるなー。二人が泳いでる間、私はバスタオルを被って砂浜で本でも読むか。何時間?耐えられるかなあ?娘が小さかった頃は仕事が忙しすぎて子供の時間に合わせて遊んでやることが出来なかった。親のタイミングでしか遊びに連れていけなかったことへの後悔と悔いがいつまでも心から去らず孫には出来る限りしてやりたい、と思ってしまう。でも元気ざかりの孫たちは70歳の身体をしらない。ラップを踊り、アニメを見に行き、プールでなく海へ行きたがる。よーし。頑張ろう!負けずに海に入るか!!!あっ!水着もないな。この身体に合う水着は日本では無い。今からハワイまで買いに行くわけにもいかないし。。。。。なーんてね。
2011.08.08
コメント(2)
18歳の孫が突然聞いてきた。その問いに なんで聞くのかな? 私を見てどう思っての質問か? と暫し思いを巡らす。「そうやなあ。そのように聞かれたら、おーちゃんは何をしてる時が楽しいかなあ。いろんなことはするけれど、何が趣味と言うほどにしたいわけではないしなあ」「そうやろ?どんなときがおーちゃんは楽しいのかな?と思って」「何をしている時とか、どこへ行った時とか、何を食べている時とか、という風には答えられないなあ。どんな時でも場所でも、何をしていても、おーちゃんは、自分のまわりにいる人が楽しそうで、嬉しそうで、幸せそうな顔を見せてくれていたら、その時が1番しあわせかなあ?それは家族だけの問題ではなく、誰でもみんなって意味でね。」「うん、そうやろうな」分かったのかわからなかったのか、そんな返事をした。18歳。これから自分の進むべき道を探していく年齢。参考になる答えは出してやれなかったな。 この会話が何故かずーっと私の心に止まって動かない。自分の若いころはどうだったかなあ?やはり逢いたい人に会えるとうれしかったし、おいしいものもうれしかった。おしゃれをすることも好きだったし、高級バッグに靴。何かの資格を取ってもうれしかったなあ。そうそう、旅行も好きだったし、人並みに何にでも興味はもった。今この年齢の私にはそんなことの何一つをとっても輝かない。本当に孫に応えたように穏やかに周りが幸せな渦の中に自分をおいていたい、と思う。これから世に出ようとする孫にこの答えが邪魔になるとは思わない。だけど、この答えを生きたものにするためには、元気で頑張って何にでも興味を持って生きている若いお母さんの姿も同時にみる必要があるかな? やはり3世代家族がよいのかなあ。孫と手をつないで歩きながら、頑張ってマクドナルドにつきあいながらそんなことを思っています。
2011.07.26
コメント(0)
朝4時、大きな音がした。「おーちゃん」半分泣き声で孫のモモカが私のベットに潜り込んできた。シングルベットは二人が眠るには狭い。結局はじきだされて起きることにした。お布団を掛けてやろうとして見ると、自分のお布団を持ってきている。中学2年生。反抗期、生意気盛り、なにがあったらそんなになまいきな態度ができるか?ともうびっくり。そんな子が雷の音を怖がってあわてて逃げてきた。お布団を掴んで。意味もなくおかしくなって寝ている孫の鼻先をはじいてみた。「ううーん」手で払いのけて顔をしかめた。それをみて笑いながら起きてきた。まだ暗い朝。気になり続けていたブログを開きました。東北震災後、ブログを開けては閉め閉めては開き。一言も書くことが出来ずにいた。楽しいことも悲しいこともブログに向かうと被災者の方たちのことが頭をよぎり、そうするとどんな言葉も絵空事、空々しく感じてなにもかけません。 今日、その思いから解放されています。反抗期で私を悩ます孫のモモカと雷に感謝です。
2011.06.20
コメント(0)
私がお世話になっている教会は兎に角勉強熱心です。地震の情報に心をつぶされそうになりながら、丹波のセミナーに参加した。北海道から沖縄から30人。誰一人欠けることなくメンバーがそろった。中途半端なクリスチャンを自認する私は各地で牧師をやっておられてる何人かの方に質問を繰り返す。聞きたい答えが聞けるまで。聞けませんでした。 聖書の中の正しい答えは返ってきても、血の通う心に添う答えはかえってきませんでした。「正しい答えを聞きたいわけではない。自分の過ちから来る悲しみなら、納得もいくだろうけれど、理不尽ともいえるような形で親を子供をすべてをなくして打ちひしがれてる人にたいして、聖人ぶった、かしこい答えがいったいなんになる?」言ってしまった。また言ってしまった。平の平、末席を温める資格さえもない者が。クリスチャンとは?己を捨てて隣人のために心をつくすこと。それが私たちクリスチャンにたいして神様が求められていること。このことを学びながら、そのために地震を知りながら、被害の大きさを知りながら心を残して丹波まできたのに。やるせなかった。各地から来た人たちからその地の情報が飛び交う。東京ではガソリンスタンドは列をなし、スーパーではお米が消え、トイレットペーパー、缶詰、電池、ラーメンはなくなり。かなしいなあ。この田舎の丹波はそんなことはないよね。そう思っていると、ガソリンを入れに行った人が帰ってきた。スタンドの前は長蛇の列。セミナーが始った。私たちの師、水谷先生はこのことに対してどう動こうとしておられるのか?私の心はそのことだけで一杯。「今の自分には人を助けるためにあらゆることが出来るほどに力を頂いている。昔のままの高校の先生であったなら、義援金をだすくらいしかできなかったであろう。今は家を用意して広大な土地に人を招き、一つの街をつくることすら出来る。野菜を被災地に送り続けることもできる。皆さんも各地においてそれぞれ自分になにが出来るか考えて行動していただきたい」よかった。とりあえずよかった。どこかで地震が起きるたびに思い出すことがある。16年前の神戸。被害にあった友人にお水を、毛布をおにぎりを持って行ってあげたかった。甲子園から神戸まで、自転車で、歩きで、ぞろぞろと沢山の人がお水を持って家族のため友人の為に向かっていた。報道されるのは感激的な出会い、愛の劇。一方、救援物資の遅れを生み、公の働きの邪魔をしたのも個人の愛の結果。迷いに迷って私は行かないことに決めた。「いかないことにきめたからね」と伝えることも出来ずに何もしないことは、それはそれで耐えねばならない長い時間がある。あれでよかったのかな?あれでよかったよね。自問自答が今も続く。災害から立ち直って思い出話として登場するのが例の美談。それを見聞きするたびに私はあれでよかったのか?今、現実に苦しんでいる人がいる。本当に何が必要なのか。優先順位をどこにおくのか。かしこく力になれたらいいなあ、と思う。すくなくとも私はトイレットペーパーを買占めはしない。津波がきたとき水を含んだトイレットペーパーでおぼれろ!なあーんてね。憎まれ口もききたくなるよね。
2011.03.18
コメント(0)
先週の土曜日からもしかしたら?と思って用心していた。翌日の日曜日北海道の私たちの主牧師をお迎えしての朝の学び。私たちが集う教会の信徒さんたちは、本当に真面目。朝の5時からの学びに3時から動き出す。朝の学び、朝食、礼拝、昼食。牧師は面談、2時半に三重県の熊野へと出発。私たちは教会を片付けて一足遅れて例によって車は満杯に人を乗せて牧師を追いかける。あぶない、あぶない、と薬で風邪を抑えながら、でも私は大丈夫、とどこかでたかをくくっていた。火曜日に家に帰れて、多分そのままだったら私が風邪に勝っていただろうと思う。水曜日ひどく温度の低い中、奈良の講演会で人手がたりなくて看板をもって道案内にたった。小雨が降る中体の芯まで冷えて、「ああ、これで勝負はついたな、わたしのまけだ」 と思ったらとたんに悪寒がして、本格的風邪症状。お医者さんに行って点滴をしてもらった方がはやくなおるよ、と教えてもらって行ってみた。お医者さんなんて、風邪をひくなんて何年ぶりのことか?風邪をひいたことに怒りさえおぼえる。熱を測ってみると38.2分帰りに解熱剤をくれた。「熱の高い時にのんでくださいね」「はいわかりました。もっと熱が上がったら飲むんですね」「いいえ。今飲んで下さい」「あっ、そうですか」 何度から高熱とよぶのか、病気に無頓着な私にはわからない。私の部屋の上の階に住む信君が薬を買ったりプリンを買ったりして部屋に来てくれる。1年に何度も風邪をひく彼に、「気持がたるんでるからだ」となじり、「もっと自分の仕事に責任を持ったら、何度も風邪なんかひかないだろう」と怒る。よく風邪をひく彼はこんな時何をすればいいのかわかっているのかなあ?「愛子さん、僕に部屋の鍵を貸して下さい、ノックしても返事がないと、中で倒れているのじゃないかと怖いです」(風邪ごときで死にはせんわい)とうそぶきながら、一人暮らしの老女、孤独死。1ヶ月後に発見、なんてことは私には無縁かな?と思う。わたしの「弟さんや孫の電話番号も教えてもっらっておかないと」そこまで言ったら「エエ?ナヌ?」なにはともあれ他人の中で生かされ共に生きてゆける幸せを感じます。孫からの電話で明日の日曜日は部活がないことを知らせてくる。一緒に遊びに行けるのにね。でもおーちゃんは今ひどい風邪にかかっているからももかと逢えないよ、うつしたら大変やからね。と言うと、「そんな時は教会は休んで家でゆっくりしときや、頑張れ!」「はい、そのようにいたします」心がほーっと温まります。
2011.03.05
コメント(0)
自分の人生の中で忘れられない人がいる。そういう人を一人ずつ増やしていく人生は楽しくて、希望があって、目には見えなくとも大きな財産が支えてくれている幸せ感がある。ある時それが永遠のものではないことを知る。18年前、一番の恩人をお見送りした。何一つとして取り柄のない私をきびしく可愛がって育てて下さった。大阪の難波の彼女の家の近くを通る時、いまだに(ちょっと寄って行こうかな?)の気分になる。彼女の最後がちかずいた時「死んでいく私はいいんやけど、後に残るこの子が淋しいやろう、と心配するんです」そのように同室の方々に話してたなあ・・・・。彼女が逝ってしまったあとその言葉はいやというほど身に沁みた。そして8年前、また一人。老後は一緒に暮らそうか?暮らしてもいいな。彼女は面倒見がよくて彼女といると奥さんを貰ったかのように世話を焼いてくれた。(今生きていてくれたら、どんなにか一緒に楽しく日々をおくれただろう)と思う。私より先に逝かないで。その時から、今付き合ってくださる友達に願っていました。先日、はがきが届きました。「主人は8年前に癌でなくなりました。役員職を退いて悠々自適、楽しみにしていた矢先でした。お世話になりありがとうございました」久しぶりに出した私からの年賀に対してのお返事でした。ショックでした。お酒が好きで、博学で、いろんな事の相談に乗っていただいて。 よく一緒に朝まで飲んだものでした。「年をとったら、世界旅行をしようね?それも豪華客船でね」実現しそうにないことを知りつつ、馬鹿っ話で盛り上がったものでした。ときどき思い出しては「あの世界一周のはなしは、どうなりましたか?」聞いてみたいなあ。住まいを東京に移されてからは連絡をすることが憚られてご無沙汰していましたが、知らない間に逝ってしまうなんて。淋しいな。生きていても逢うわけではないけれど、それでも・・・。少しずつ、いろんな物。手に持つ物もこころに持つ物も捨てていかねばならないなあ。気がつけば天国に逝ってしまった人たちと心で会話している自分に気がついてそう思います。
2011.02.10
コメント(0)

数字の組み合わせ。昨年は沢山の賞を受けたとか。無邪気なUちゃんにお似合いの絵。数字の天才S君。一度聞いた数字はわすれない。有名人から私たちの誕生日、電話番号すべて頭に入っている。そんな数字で描かれた絵です。京都まで写生をするために出かけて行ったT君。今回は沢山出展していた。障害者が働く作業所で絵画展が開かれた。土曜日、時間をやりくりして会場へと走った。昨日からみんなと約束していたのでS君、玄関でこちらをにらんで待っていてくれた。私の顔をみるなり作業所のトップのHさんに声をかける。「来た、来た。」Hさん「「朝からずーっと待っていたんやで、田中さんが来てくれたから安心したんやな」でも、もう一人。「上田さんは?」みんなの顔がそろわないと落ち着かないらしい。毎年開かれるこの絵画展。何度かお邪魔している。(すごいなあ)そう思って見ていた。去年の夏からグループホームを初めてそこに入居した彼らと和やかに幸せな時間を送っている。そんな子達の書いた絵はまた思いが違う。一つ一つ時間をかけて見て回った。私に今、4人の子供が出来ました。これから何が起きるのかな?でも、大丈夫。この子達を守りたいな。
2011.01.24
コメント(0)

やはり忙しいなあ。何をしてるって。何をしてるわけではないのに、時間が足りない。カレンダーに書き込んだ予定はそんなに多くはない。でも、その月が終わってみると、真黒。何をしたのかなあ?何もしていない。この頃和服の帯をバッグやブックカバーにリホームしている。忙しい、といいながらこんなことは出来る。寝なければ、と思いながら遅くまでやってしまう。ストレス解消?ストレスを感じることはないけれど、やはりストレスはあるのだろう。誰かの顔をおもいながらその人に合いそうな色や柄を選んで作るのって楽しい。頼まれると少し困るなあ。勝手にさせてもらって、差し上げた時に喜んでもらえたら、それはそれはうれしい。その瞬間にすべての疲れ、問題、悩みがどこかに溶けてなくなる。こんな楽しみに付き合ってくれる友達に感謝して・・・・・・。
2011.01.21
コメント(0)

70歳になった。昔はお誕生日のお祝いなどしたことはなかった。お正月ということもあって子供の時も、全国でお祝いしてもらっていいね、なんて言われて。この4,5年沢山の人に祝ってもらうようになった。おばあさんになったんだなあ・・・ その日の御坊の海。朝日ならよかったけど、夕日です。 お正月もおわっていつもと変わらない風景、仕事。グループホームの台所をあけると目の前に教会の十字架がみえて夕日が赤く染まって美しい。ねえねえ見て、夕日がきれいね。ホームの子供に言う。本当やね、きれいね。と答えてくれる。
2011.01.06
コメント(1)

私のお気に入りクリスマスグッズ。年中私の傍にいて心を和ませてくれる。でも、このシーズンばかりは少し得意げかな?もう少し若かった頃はこのシーズンは頭の痛い月だった。お歳暮にクリスマスプレゼント。大掃除におせち料理、お年玉、と「ああ、また来たか」だった12月。現役でない今は(無理にでも現役引退して)気楽な師走。楽しいクリスマスカードをもらってサンタさんと話す今年の1年はそれなりに楽しい。嬉しいことばかりではないけれど、こんな可愛いサンタさんに湿っぽい話は似合いません。悲しい話も楽しい話に変えて次の年につなぎましょう。
2010.12.14
コメント(0)

昨年天国に召された和歌優子さんのしのぶ会 お弁当35個 みんなで力を合わせばこんな立派なお弁当ができました。
2010.11.29
コメント(0)

高野山持明院 高野山もみじ坂アメリカからのお客さんを連れて高野山へ行った。紅葉の美しさと宿坊での食事に喜んでくれたようで、「グット チョイス!」私自身も楽しい1にちでした。
2010.11.09
コメント(0)
2週間前、熊野へ行った。2泊3日のセミナー参加の為であった。泊めていただけるお宅は用意されていたが、勝浦に住むいとこに宿をお願いした。快く受けて下さって、ホッ。食事つきセミナーのため、泊めていただく以上のご迷惑をかけるつもりの無いことを告げると、「そんなこと言わないで」とうれしいお言葉でした。それでも、頑なな心の私は、(いいえ、ご迷惑はかけられません)と・・・・その地に向かう道中、電話が鳴って、従兄の声。「今、どの辺を走っている? 夕食の用意をして待っているから、どこにも寄らずにまっすぐにここへ来て」ジワーっ。暖かいものが心を一杯にした。着いてみると、もう一人の近い関係の従兄を呼んでいて下さって、「愛ちゃん、こちらに来た時はかならず、素通りせずに家に泊まってね。このように従兄同士会える時間を大事にしようよ」従兄の奥さんの心遣いに感謝しました。そうですね、すべてのチャンスを使って私たちが会った、としても、あと何回あえるのかなあ。また、自分の年齢をおもいました。話もはずみ、盛り上がって宴もたけなわ、とつぜん立っていった従兄が手に剃刀を持って帰ってきた。うううん?「愛ちゃん、その口の横に生えてるのはひげかな?」「ええ? うん、ひげやで」と私「さっきから気になって仕方がないんや」「そう?このひげはね、退屈な時に指に巻きつけてあそんでいるねん。だから剃りません」一同大笑い。「でも、気になるみたいやで。愛ちゃん剃ってもらったら?」笑いながら奥さんが勧めてくれた。ええ?剃ってもらうの?自分で剃るのではなくて?剃ろうとして身を乗り出す従兄、笑いながら見ている奥さんともう一人の従兄。覚悟して顔を突き出す。やはり、はずかしいよ。何歳になっても。なんでもない顔を演じ、はずかしさを飲み込んだ。帰り際いつでも待っているから遠慮しないで寄ってね。奥さんに念を押されて幸せでした。こんな心通うお付き合いを他の従兄妹と出来ているかな?こんな情愛を私は他の従兄妹にしめしているかな?と反省させられました。私の家の向かいに母方の従妹が住んでいます。何故か彼女のご主人に私たち一家は嫌われているようで、家族ぐるみのお付き合いができません。ご主人の留守の間だけ私たちは従兄妹。そんな関係は不自由です。育ちません。でも、今夜にでも電話をしてみましょう。勝浦、父の生まれ育った家。祖父母が亡くなり、叔母が伯父が、一人ずつ欠けるその地は私にとって少しずつ遠くなる思いでした。それがこの従兄夫婦によってかたく結ばれました。Uちゃん、Kちゃん ありがとう!
2010.11.03
コメント(1)
ながいながいブログを書いた。書きながら、これは遺言、と勘違いされるかな?と思うほどに。それが消えた!なにか使えない文字をどこかに使っていたらしい。機械がうけつけてくれない。それを探しているうちに消えてしまった。 あああー情けない。文章を書くことに自信があるわけではなく、パソコン操作もたどたどしい。時間をかけることで、やっと書くことが出来ている私のブログ。それが消えた!!!!心が萎えて、ああああああー。昨日日曜日。ホームの子供、T君とU君のダンス発表会があった。一週間に一度、ダンスのレッスンに通っていた。楽しい様子で、いつもそのことをにこにこと笑顔で私たちに話してくれていた。出番は4時とのこと。行きたい、見に行きたい。3時半、信君と目で会話。行けるか?行こうか。教会の後片付けをあと少し、メンバーにお願いして、ダッシュ。会場に着いたのが1分前。席に座って一呼吸。出てきた。大きな舞台にいつもの顔で。ダンス、ううん? へえー。これが毎週練習していたダンスか。3,40人が各々スカーフを持ってゆるやかに揺れている。風をイメージしているようだ。暗い舞台が明るくなって今度はみんながいっせいに走りだした。U君が走る。T君も走っている。私たちはそれをみてただただ笑っていた。舞台がおわって記念写真をとる、というのでその場所に走って行ってスターにごあいさつ!照れて笑うT君。ウワオー!おどけて見せるU君。かわいいなあ。子供や孫たちの運動会を見に行った時のあの幸せをまたいただきました。ホームでの夕ご飯。「今日はみにきてくれてありがとう。」「楽しかったー」「おもいきりはしゃぎました」まだ、興奮気味。それを聞いていたY君。「来年は僕も参加するわ」口はよく動くけど体は動かないY君の言葉に信君と思わず目があいました。(すごーい!)(うれしいね)声にならない会話です。ホームを手伝って下さっている方々の顔が浮かびました。一緒に見に行けたらよかったなあ。ブログが消えてしまって、もうしばらくお休みかなーと萎えていたところに、昨日の一日。福祉の仕事は私にとってはじめてのこと。知的障害の子供たちとこんなに近くで触れ合うのもはじめて。まだ、入り口で、本当は何にも分かっていないのかもわかりません。だから楽しい!なんて言えていられるのかなあ?でもいいか。ブログに書きたい、と思うほどに幸せでした。
2010.10.25
コメント(1)
何カ月ぶりかでラーメンを食べに行った。阪神尼崎にあるラーメン屋さん。このお店に行くと、懐かしい味と共に昔が思い出される。多分35年くらい前、亭主に連れて行かれた。小汚い店で、もともとラーメンが好きでもない私は、内心(いややなあ)と思っていた。出てきたラーメンは真っ黒のスープに太い麺。ええ?と思いながら一口。色ほど濃い味ではなくあっさりしたここのラーメンに、おもわず「おいしい!」子供が生まれて退院した時、家に帰る前にこのラーメン屋さんによったなあ・・・この店の常連であった我が亭主は、お店に入ると、いち早くそれを見つけた店主に特別に濃い味に仕上げてもらって、黒いスープをもっと黒くして満足そうに食べていたなあ。その頃はここのラーメン屋さんいつも行列で、待つことを覚悟しなければならなかった。このごろは他所のお店より少し高めの料金のせいか、このごろの若者の舌が変わったのか、昔ほどの行列はなくなった。昨日京都からの帰り。阪神高速道路の渋滞が案内されていた。あののろのろを思うとゾッとした。(どうしよう?なにかこの渋滞を避ける方法はないかな?)時計をみるとまだお昼前。グループホームの食事作りまでにはまだ十分時間はある。(そうだ。このまま名神を尼崎まで走って、久しぶりにラーメンでも食べに行こうか)心が腐ってしまうようなことばかりが続いて、いささかまいっていた。こんな気分の時、事情が許せば旅に出て気分を変える。なにも変わるわけではないけれど、自分が変われば乗り越えられる。今は?とうていそんなことは出来ない。グループホームに教会。こんなときみんなはどうして乗り越えているのかなあ?ヨーッし。私にはラーメンがある。行くぞー。お店は満席で会った。残念だけど。嬉しかった。まだまだここは流行っているな。テーブルが空いて私が座れる。ほとんど同時に入ってこられた女性、55,56歳くらいかな?一人のようなので声をかけた。「相席でよかったらご一緒しましょうか?」「いいんですか?」「どうぞどうぞ」この店の売りのらーめんとミニ焼き飯。と注文も同じ。彼女もまた遠いところから久しぶりに食べにきたのだそうな。注文の品を食べきれずに残してしまった。見ると彼女も残していた。「めったに来れないから来たら心残りのないように欲張って注文してしまうんですよね」「そう、そう」となんだか楽しくなって、ご馳走さま。「また、お会いできたらいいですね」といってさよならした。商店街をブラブラしていたら、トントン、と肩をたたかれた。みるとさっきの女性。「こんなに早く会えましたね」嬉しいことって、楽しいことって、沢山転がっているもんだな、と思う。腐っている時、淋しい時、少しだけいつもと違うことをするだけで、気分が変わる。でも、これも自分が歳をとって他人に笑いかけたり話しかけたり出来るようになったからであって、若かった頃には考えられなかったこと。歳をとって良かったこともあるなあ。昨日の人を思いながらブログを書く。
2010.10.08
コメント(0)
グループホーム希望の夕方。夕食を作っていると、次々に作業所からかえってくる。みんな大きな声で「ただいまー」と言える。今日あったことをくわしく話してくれるY君。みんなの世話もよくしてくれる。洗濯物を取り入れたり、たたんだり。家の中のいろんなことが気になるらしい。今日は「1階の郵便受けに信君宛てに手紙がはいっていたよ。取って来ようと思ったんやけど、取れないねん。鍵がかかっていてな、番号がわからんから」えええええー?そ、それは!心の動揺を抑えて答える「ああ、そうやね。番号は信君しかわからんなあ。信君の郵便受けやからね」極力とぼけた声で。「そうやなあ、だから取られへんかってん」申し訳なさそうに言う。Y君はお手伝い出来なかったことを悪いなあ、と思ってる風です。(そうか、ごめんねっておもっているのか)この出来事を信君に報告する。「そうなんですよ。この間もT君が「はい、信君、郵便受けに入ってたよ」と言って郵便物を持ってきてくれたんですよ。」と笑っていた。そうか、ここにはその手のルールは理解してもらえないな。それで良しとするのか?してはいけません、と言えば、彼等はそれを素直に聞き入れる。なんで?なんて言わない。だからこそ、してはいけないことを増やしてはいけないのではないかな?と私は思う。小さなここのホームではキッチンにドアーひとつでお風呂、トイレがある。だから脱衣室がない。そのことは初めに気になってはいたが、大丈夫、男の子たちやから台所で服を脱げばいいよ。の言葉に安心していた。早い時間にお風呂を使うのがS君。堂々とお風呂に入る。最初は信君「S君、愛子さんの前やで」とたしなめていた。本人は何が悪いのか、自分の家でしてきたことをそのまましているだけだから、わからない。夕飯を作っていてフッと目をあげると、真正面に真っ裸のS君。こうゆうことは年齢でもないし、慣れるものでもないな。と実感する。私以外の夕飯作りを手伝ってくれるメンバーの顔を思い浮かべる。 (まあ、大丈夫か。いや、大丈夫でなくても分かってくれるよな。)彼らに「それをしてはいけません」、となるべく言いたくない。どうしても言わなければいけない、聞いてもらわなければいけないことがこれから沢山あると思う。がんじがらめに管理されては可哀そう。ゆるいルールの中でみんながゆっくり憩える家でありたいなあ。そのためには世話人のプライバシーはない?でも彼らが既にプライバシーは放棄しているものね。
2010.09.20
コメント(0)
9月に入り、孫の2学期が始まった。ソフトボール部に入っている孫の百花は夏休み中、1日も休むことなく部活を頑張った。昨日は午後7時過ぎ、お腹が痛い、といって帰るなりお風呂に入って、すぐに寝た。今年の暑さの中、2リットル入りの水筒とそれでもたりなくて500ccのボトルを毎日飲む。真黒に日焼けして、体も細くなって、私の目を楽しませてくれる。でも、今日のようにお腹がいたい!と訴えられると、どうしょう!とうろたえる。水の飲み過ぎで、胃があれているのかな?何かお弁当が悪かった?私自身、病気に縁がなくて、無頓着で、体の心配をして生きてきていない。思春期に発病して・・・などというテレビ番組が頭をよぎる。孫と暮らす、ということはこれからもこんなことがあるんだなあ・・・・。朝、何のこともなく起きて、学校へと向かった。よかったあ。教会に行ってる関係か、私の周りには心を病んでいる人が多く居る。思春期の頃に発病した、という人が多く、多くの場合、愛情不足、と訴える。引きこもりをして、外に出れるようになっても、心は引きこもったまま。本人は愛情を欲しがり、自分の存在を確認したい、と思っているのだなあ、と見てて思う。でも、心を開けることが出来なければ何も入ってはいかない。彼らに関わっていると、こちらも本当に苦しい。でも、出口が見つからなくて苦しんでいる本人達が一番苦しんでいるのだろう。戦後、物の無い時代に生きた私たち世代は、愛情不足なんて、贅沢な言葉に聞こえる。物不足。食べ物不足な時代はそんなことを考える余裕さえなかった。今、孫と暮らす生活の中で、人間を育てることへの難しさを思う。私の傍にいるこの孫には苦しむ心で生きて行ってほしくないな、と思うし、生きさせてはいけない、と思う。降り注ぐように、ふりかけご飯のように、沢山の愛情をふりかけたい。でもねえ。甘えと躾けの分かれ目がむずかしい。与え方それぞれ、受け方それぞれ。幾つになっても、わからないことが多いな。
2010.09.07
コメント(0)
グループホーム開設40日入居者も定員の4人になって、私たちもしっかり腰を据えて付き合っていかねば、と思いも新たにしている。食べられない物が多いU君。彼のためにメニューを考えるとお魚を使えない、トマト、なす。ごーや、おくら、すいか等など使えない物が多すぎて、他の子達も偏ってしまう。彼らがお世話になっている作業所の所長のご意見で、食べず嫌いである可能性があるので無理でもすすめていこう、ということになった。さて夕べの食卓には彼の嫌いな魚。小アジの南蛮漬け。頭からしっぽまでかじれる。「U君、たべてみようか」と信君 「頭からかじってみてえ、体にいいよ」と私「U君がんばって!」と田原さん。がぶり!一口入った。すかさず拍手!!!!三人の職員に囲まれて、見守られて、励まされて。U君もう逃げられない。「フウー、ウーン、フー」一口一口気合いを入れて口に運ぶ。その姿に (なんて可愛いんでしょう)ニコッと笑い顔を見せるわけでもなく、目を会わせて話せるわけでもない。でも、こんな素直な子達が、いまどきまわりに居るかなあ?中一の私の孫でさえ、そうはいかない。おだてになんてのらない。油断をするとこちらが乗せられてる。(チキショウ!またやられた)ここはおだやか。あたたかい。足を引きずることはあっても、心は軽くなる。ありがとうみんな!
2010.08.13
コメント(0)
三年が過ぎた歌声喫茶。毎月の第一土曜日、月に一度だけの集まりです。楽しんで来て下さっているのをみると、月に二度位やってもいいかな?と思ったりもしたものでした。実際にはひと月なんて時間はそれはそれは速くて、「えっ?もう第一土曜日?」何度このセリフを言ったことでしょう。昨日の歌声喫茶で、最近仲間になって下さっている方が、「本当にたのしい!でも、来月までないからねえ、一か月待たなければいけないねえ」そう、言われました。ありがとうございます。そのお言葉はなによりの私たちへの褒め言葉。うれしいです。(もう一回くらい増やす?)(いや、いや。駄目です。喜んで調子に乗ってはいけません。)心の中で独り言。ただ、ただそう言って下さることに感謝して、辞めずに少しでも長く続けられるようにすることの方が大切なことだ、と言い聞かせました。そしてその日はもうひとつ。ときどき来て下さる方で、見るからに立派に生きてこられた、という雰囲気を漂わす女性。礼儀ただしく、やさしく声をかけて下さるのですが、立派すぎるその方に私などは緊張してお話させていただいていました。前回来て下さったときに、「良いことをなさっていますね」と言って下さって、笑顔を見せて下さいました。及第点は頂けたのかな?それから久しぶりに昨日来て下さって、最初から満面の笑みで。リクエストをしたり、その歌の思い出話なども、皆さんに紹介されたりで、楽しんで下さっているな、と私たちも、リラックスして終わりました。帰りがけに、また褒めて下さって、「ご自分の才能を、こうして皆さんのために用いられているってことは、幸せですね。神様の御心ですね」「ありがとうございます。才能なんてたいしたものではありませんが、私も喜んでいます」そんな会話があって、「年寄りはみんな淋しいものです、私も淋しいですよ」の言葉に「いつでも遊びにきてください」あっ!またそんなことを言ってる!責任の取れない言葉を言ってはいけない!今の私に、どこにそんな時間がある?自分の歳さえ忘れて、動き回り、這って階段を上がる始末。あああああぁもう一つ体がほしい!!!!!でも、よかった!これでもう私たちは仲間。姉妹です。次に来て下さったときは、もう必要以上の緊張はしません。
2010.08.08
コメント(0)
グループホームができて3週間が過ぎた。知的障害者と呼ばれる彼等。でも一体どこがわるいの?最初はそう思った。でも、やはり障害はあるのかな? とにかく素直です。みんなにこにこして「いや」という言葉を発しない。大きな声で「ただいまあー」といって帰ってくる。一番に帰ってくるのはT君。 一番お兄ちゃんです。世間話のようにお天気の話、仕事の話をしてくれる、次に帰ってくるのがU君。お兄ちゃんのT君はかならず「手を洗いや」と声をかける。そうこうしていると、S君が帰ってくる。T君はS君にも「手を洗いや」と声をかける。U 君とS 君はT君の言うことをよく聞く。そんな三人をみながら夕食を作っていると、私の心は暖かくなってくる。なんていい子達なんだろう。幸せに生きてほしいな、と思う。グループホームで暮らすことで彼らの足らないところが守られて、幸せな人生が約束されるなら、日本の福祉も捨てたもんじゃないな、と思う。少しずつ、少しずつ近い関係になって、信頼してもらえるようになりたいな、と思っている。
2010.07.23
コメント(0)
一週間が過ぎた。7月1日に始まった「ケアーホーム希望」3人の入居者を迎えて、”やる”と言ったものの、やれるか?との不安の中で、時間は迫り、オープンを迎えた。一日目のメニューは 鶏肉のソティー。 切干大根煮。野菜サラダ。 それにスパゲティーを添えるつもりでいたら、信君と田原さんから、それは多すぎる、との意見がでて、スパゲティーは出さなかった。夕食時いよいよ3人が帰ってきた。3人を心配した作業所の職員2人と一緒に。職員の方がまず最初に夕食に目を留めて、「こんなご馳走を食べさせてもらって、いいねえ」と3人に話しかける。 ”よかったあ”緊張が少しほぐれた。3人の顔がにこにこっ! いい子達です。ご飯を2杯お味噌汁を2杯、おかずも完食です。食事がおわると誰にも言われないのに、順番に食器を流しまで運んできます。「えらいねえ」の言葉に作業所の職員さん、「うちはちゃんと躾けていますから、やりやすいと思いますよ」とすこし自慢げ。おおいに自慢してください。私など孫と戦っています。この孫がもし他所の家でほめてもらえたら、どんなにうれしいか、と思います。自分の子供に教えるように根気よく付き合ってこられたんだなあ、と思わされました。一週間が過ぎた今、すこしリズムに乗り始めました。この一週間で信君は本領発揮です。たしかに彼はこの中で生きてきたんだなあ、と思いました。私にはとても出来ない、と思うことが沢山あり、障害者の中で生きることの大変さを思わされます。信君は3人のお兄さんであり、親であり、頼れるホームの所長です。3人がいつも信君を探してるのを感じる時、彼のこの世界での歴史を思いました。
2010.07.08
コメント(0)
気がつけば7月。なぜか身辺はあわただしく自分のブログを、メールさえも開ける余裕がない日々を送って7月になった。100歳の誕生日会も無事に終わった福永さんのことも気になっていたのに電話すらもかけれないままにいたら、夕べ、彼女から電話をもらってしまった。「愛子さんありがとう。楽しかったわ。感謝しています。本当の気持ちよ。わかってくれる?」何度も何度も繰り返していた。 よかった。いままで夜に伺って晩御飯を一緒にいただいておしゃべりをして、ということをしてきましたが、これからは夜にお伺い出来なくなりました。本当は一人の夜をたとえ週に一度でもにぎやかに過ごせるのがいいのでしょうが・・・・というのも信君の「ケアーホーム希望」が7月1日より始まりました。世話人として参加している私は夜ごはんを入居者のために作るのでいけなくなりました。「福永さん、お昼でもいい?」の問いに「いいよ、よろしくお願いします」って。ではこれからは信君もわたしも、お昼に伺いますね。
2010.07.03
コメント(0)
1年ぶりに喫茶みきをやることになった。武田さんがお葬式で鳥取まで行かなければならなくなった。「お店を一日臨時休業しようか?」と迷っている武田さんに「大丈夫、私がやるよ」といってしまった。さて当日。ももかが今一緒にいることを忘れていた。5時に起きてまず彼女のお弁当をつくって、お店に6時前に入る。なんの心配もためらいもなく、この一日を引き受けた。いざカウンターの中に入ってみると、体がぎこちなく動く。えっ?覚えていない。 まず、熱湯でまな板、サイフォンを消毒して。カップを温めるスイッチを入れて、新聞は?モーニングの用意は?一瞬不安が走る。 やるしかないなあ、なんとかなるか。お客さんが手伝ってくれるし。等など。 独り言をいいながらなぞっていくうちに、なんとか開店までに準備ができた。7時10分前、いつもの常連さんが「おはよう」と入ってきた。何も変わらないいつもの風景。さて、レジの前で。 操作を忘れている。何度押しても。ピィーと鳴る。お客さんの前でいつまでもピィピィ鳴らすわけにはいかない。今日は手書きで伝票を書かねば仕方ないかな。そう覚悟して何人かのお客さんを送り出した。レジが打ててる。えっ?無意識に手がレジを打っていた。頭は忘れているのに、体がおぼえていた。おもしろいなあ、一人心の中でつぶやく。時間とともに感を取り戻して、無事一日がおわった。やはり私は商売をすることが好きだなあ。翌日、つまり今日。筋肉痛に足をさすりながら、体力の衰えを自覚しながら、それでもなお、そんなことを思っている。
2010.05.21
コメント(0)

目黒雅叙園 プリンセスガーデン ホテルの朝食 最初の写真は雅叙園。私の愛する100歳の福永さん。彼女が若い時に働いていたのがここ雅叙園です。彼女の思い出話に一番登場するのがここ。もう変わってしまっただろうな、と思いながらも、写真を撮りに行った。私の泊ったホテルから20分程のところにあった。坂の多い街を上がったり下がったり、朝食前の散歩。どこかに昔の面影を残した風景があるはず、と写真を沢山撮った。福永さん喜んでくれるかなあ。 次が止まったホテル。インターネットで探したホテル。早割で、2週間前に申し込んで安くなった。どんなホテルかな?少し不安だったけど、良かった。駅から5分。途中他のホテルを何軒か通り過ぎたけれど、ここでよかったな、と思った。最後はホテルでの朝食バイキング。昨日沢山食べ過ぎてお腹は空いてなかった。でも、やはり食べよう。ここで賢いやりくり上手な女になるのはいやだな。色とりどりの錦鯉が泳ぐ池を見ながら、しばし日常を忘れ、今から会うであろう可愛い子たちのことを思った。式が終わって、ハワイで会った子たちとみんなでお茶をして、夕方品川まで送ってもらって大阪へと帰ってきた。ハワイでの一年間は夢の中の出来事のように思い出す。ときどき本当は夢だったのではないか?と思うことさえある。 でも、こうしてみんなに会うと、しみじみとあの時の時間の大事さ、幸せをかみしめる。良かったなあ。行って。ハワイも。またこうして東京へ来れたことも。
2010.05.11
コメント(0)

この幸せそうな顔!! 始めて会った時と少しも変わっていないように見えるゆりこ。 でも、内面は立派に大人に成長したんですね。結婚おめでとう!いつまでも幸せに!庭に面したカーテンがさっと引かれると、そこにこの姿があった。(私の思ったことは、ゆりこ、細くてよかったね)たくましくて、頼りになりそうなご主人はゆりことお似合いです。一生守ってあげてくださいね。お父さんお母さん良かったですね。おめでとうございます。40過ぎまで私は結婚式でオルガンを弾いて何十組、何百組と結婚式をみてきました。あの頃の式のスタイルと随分かわって、本人色が濃くなったなあ。と感じた。
2010.05.10
コメント(0)
ひさしぶりの東京。何年ぶりになるのかな?8年前東京に行こうとしてキャンセルしたことがある。今回の結婚式で会うであろうハワイ語学留学での仲間たちと、その日も会う約束をしていた。カナダ行きの飛行機の時間待ちの間会いましょう、ということであった。その1週間前に、娘の家で倒れ、救急車で運ばれた。結局入院、胸にバッテリーを入れて生き返り、電池人間となった。その後、大阪に遊びに来てくれてあったりしたけれど、一度も会えることが出来ていない子も一人いる。 明日会えるなあ、みんなに。留守番の孫の「ももか」は私の心配をよそに「大丈夫、安心して行ってきて、」と言い残して部活で出かけた。今夜は友達が泊ってくれる。楽しい夜になることだろう。上の階に住む「信君」にときどきのぞいてね、と頼んで、・・・・これで安心。安心してみんなに会いに行こう。新婦になった「ゆりこ」の晴れ姿も楽しみ。
2010.05.08
コメント(0)
ブログを始めて1年が過ぎた。なにかしら感じるもの、書きたいことがあって、無理せず、頑張らず、気の向くままに続けられたこのブログ。誰に見てほしいわけでもなく。何かメッセージがあるわけでもない。ただ、ただ、一人暮らしの私が、もし傍に家族がいたなら、そこでの会話で終わってしまって、わざわざブログに載せることでもないような、とるに足らぬことを、書いてきた。それでも、ブログみているからね、との言葉に嬉しかったりした1年であった。孫が一緒に暮らすようになって、少し忙しくなった。というより、私の時間がなくなった。気ままに、どこにでも出かけられる自由はない。そのことをどのように感じ、受け取るか・・・・・ブログに書き込みをしようとして、気がついた。何もない。書きたいことがない。心に余裕がないのかな?何かを感じるためには時間も心もゆったりする必要があるんだろうか?そうではないように思う。傍にいてくれる孫が笑いを、幸せを、生きる力をくれている。そうだなあ。もっと若返らなければいけないのだろう。しらずしらずの内に年寄りになっていたのかもしれない。やけに丸くなって、物分かりの良い、枯れた人間??そこを目指してた????そんなばかな!!私には似合わない。一生意地悪ばあさん!!!若い時にそのように決心したことを思い出した。
2010.05.07
コメント(0)
3月熊野でご一緒した奈良は六田、というところにお住まいの牧師さん宅にお伺いした。ぜひ、一度遊びに来てください、とご招待していただいていた。物静かなご一家で、さすが、牧師さんのお宅。わたし等とはちがうな。お会いするたびに同じことを感じさせられます。約束の10時きっかりに着いて、(いやな時間にお邪魔することになって)お昼にはお暇する旨をお伝えした。 それではせめてお昼だけでもご一緒しましょう、と勧められて。。。。(こうゆうことになるよなあ)4月から孫のももかが一緒に暮らしている。学校から帰った時に大きな声で「ただいまー」という。それに応えて「おかえりー」と迎えてやりたい。そう思うと時間に限りができてくる。申し訳ないな、と思いながら10時にお邪魔することになった。案の定、お昼をご馳走になることになった。申し訳なくて身のおきどころのない思いをべらべらとしゃべってごまかした。(いややなあ、こんなの)そしてピアノの方へと誘われて御嬢さんの賛美の奏楽の相談を受けた。お宅に伺った本当の目的です。長い間ピアノ弾きとして生活してきた私は、楽譜をみて譜面どおりに忠実に弾くことはできない。ごまかして弾くことを覚えた私は、気の向くまま、手の向くままに弾いている。はったり奏者です。そんな私のピアノの弾き方を教えて、と言われて、本当におはずかしい、の一言です。でも、彼女もまた、譜面のようには弾けないから、私のように弾こうとしているわけです。こんな弾き方を身につけない方が本当はいいのだけれど。そう思いながら、一台のピアノを交互に弾いて奏楽者の悩みを語り合いました。お昼すぎ、沢山のパンをお土産にいただいて帰ってきました。が。それにしてもお昼にいただいたグラタンのおいしかったこと。スープもまたプロの味。食後のレアーチーズケーキはどこのお店よりおいしかった。ここのお宅には本物があるんだなあ、といい加減に生きてきて、つじつまを合わせてきたような自分に、なんだか帰りのドライブは気が沈みました。家に帰ってしばらくして、ももかが「ただいまー」沈んでなんかいられません。「おなかすいたー」老体に鞭打って、このスタイルでもう少し頑張ろう!!!
2010.04.21
コメント(0)
玄関で転んだ福永さん。百歳のお誕生日を延期して2週間が過ぎた。たすけあい和輪でチームをつくって毎週お宅に伺って食事をつくりおしゃべりのお相手をしている。智子さんからの申し送りによると、福永さん、歩けなくなった分のエネルギーが口の方にまわって、弾丸のごとくしゃべって、晩御飯の用意もさせてもらえない、とのこと。80代のころから足だけが弱く、「出好きなのに、足がわるいのよ。他はどこも悪いとこないのよ。足だけなのよ。一人で出かけられないのがくやしいわ」その彼女が家の中でさえ歩けなくなったんではストレスが溜まっているだろうな。よし、外に連れ出そう。私が運転手をして信君が抱っこして車に乗せれば、食事に連れ出すことはできるな。信君と二人で行きました。私たちの顔をみるなり、「私って、なんてバカなのかしら、とおもうのよ、 なんで誕生日を前に転ばなくちゃならないのよ」「食欲がないのよ」 「たべても消化しないの」なるほど、あなたは転びはしましたが、元気ですね。やっと彼女の口を止めて外に連れ出すことができた。大好きなお寿司屋さんです。まわる寿司で 、”とろ””とろ”貝柱”うなぎ”げそ”に”あじ”これが百歳の彼女です。 「食欲がなくて食べれない、なんていっといて、バクバクたべたわー」はっはっはっはと笑う福永さんです。でも、よかったなあ、福永さんの治療法は外に遊びに出ることですね。そういえば昔、何年前になるかなあ、新しい家に引っ越して、慣れないのと、疲れとで、元気がなくなって食欲もなく痩せたときがあった。その時もみんなでチームを組んで彼女を食事に連れ出して、見る見るうちに元気を取り戻し太っていったことがあった。「私がここまで生きられたのは、我慢せずに、わがままに生きたからだ、と思うのよ」「人間笑ってなきゃあだめよ」彼女の弁です。
2010.04.11
コメント(2)

隣の部屋に長い間住んでくれていた福島さんが亡くなってもう、半年が過ぎた。この部屋をどう使うべきか、人に貸すなら部屋をきれいにしなければいけない。はたしてどうするべきか? 迷いながら決めることが出来ずに今日まできてしまった。中学に入学する孫が私と暮らしたい、と言ってきた。 母親が子供のために毎日お弁当を作ってやることが出来ない。そのことを心配していた私ではあるが、さて、現実になると、改めて自分の年齢を思った。これから3年間、いいえ、3年ではなく、6年かもしれない。元気に孫のために頑張れるか?そんなことは言っていられない、やるしかない。自分の健康に気をつかったことがない。いまさら健康に留意したところで、どうなるのか?やってみよう。学校が始まって3日が過ぎた。彼女はご機嫌です。小さい部屋で満足して暮らしていた私ですが、急に手狭になった。それでとなりの部屋に穴を開けて繋げることにした。 穴が開いた。 押入れをつぶしてみるとそこからなんとブロック壁がでてきた。思ったより頑丈に作ってあったな、と喜ぶ反面、これを割り進むのは大変だなあ。 ブロック壁を大きなハンマーでたたいて穴が開いた。喜んだ信君。「あいこさん、写真写真。 ブログに乗せましょうか?」興奮してポーズを取る。どうみても仕事をしているようには見えないポーズと顔。それでもドアー1枚分ほどの大きさを2時間ほどで叩き割った。武田さんのご主人に「さすが信さん、若いなあ。今日は信君がいなかったら、ここまで仕事は進んでないなあ」ほめてもらって、上機嫌。私に向かって「ほめてくださいよ、ほめてください」を連発していた。
2010.04.08
コメント(0)

百歳のお誕生日会を前に、福永さんが玄関先で転んだ。会場は貴方の快復をまってますよ。 みんなで懐かし童謡、唱歌を歌うのを楽しみにしていた福永さん、大きなピアノも出番を待ってます。
2010.04.06
コメント(0)
孫娘の小学校卒業。上の孫娘17歳と3人でお食事&ボ-リングで卒業のお祝いをした。まず、中環沿いにある、ダイキ水産での回るすし。「よ-し、食べるぞ-!」勢いよく行った。でも、所詮は女の子。たいしたことないなあ。これでおわり?甥を連れていくとこうゆうわけにはいかない。たとえ回る寿司でも、財布の中身が気になり始める。中学校で必要な鞄、体操服、備品などを買って、それから本人のリクエストにこたえてボーリング。私にとってのボーリングは何年ぶりかなあ?お遊び程度に何年に一度やるくらいで、この重い体重でボールを投げれるかな?まあ、いいか。今日は付き合ってあげよう。なんと5ゲームも投げました。当の本人百花は、お姉ちゃんに負けることは納得。でもまさか私に負けるとは思ってなかったようで、「えええー?おーちゃん(私のこと)に負けてる!!!」頑張れば頑張るほどに力が入って右に左にガーター一直線。負けず嫌いの彼女にはアドバイスは逆効果です。良いフォームの時だけ褒めて後はしらんぷり。なんと8ゲーム投げました。たいしたもので、そのうち少しずつコツを掴んだようで、フォームがきれいになり、どたどたとボールを投げなくなって、ガーターが減ってきました。満足したようです。それにしても、昔のボーリング場とは違うように思います。内装や設備が違うのは当たり前でしょうが。みんなの投げるフォームが違う。昔は形があって、必死にその形から真似したものです。どちらを向いてもフォームがきれいだったように思います。それと、ドスンと音を出して球は投げなかった。ドスンなんて音を出したときははずかしい、と思ったように記憶していますが、違ったかなあ?今はフォームはめちゃくちゃ、球はどすんどすんと、床は大丈夫か?と心配するほど。まあ、楽しめばそれでいいのではあるが・・・・・・。薄暗くなって私たちは外に出た。夕食も一緒に、ということで、ハンバーグやさんに。でも、半分しか食べれなくて。やんちゃ娘の貴方ですが、女の子ですね。これからむずかしい時期に入ります。どうぞ、間違いのないようにこれからの3年を過ごしてください。この子の人生にどれだけ関わっていけるのか?関わらせてくれるのか?「ああ、楽しかった!おーちゃん今日はありがとう。」ご機嫌に帰っていく後ろ姿に祈りました。
2010.03.20
コメント(0)
結婚式の案内がきた。もう何年になるかな?私の中ではほんの3,4年前くらいにしかおもえないのに、実際は9年前になる。海外生活を経験してみたくて、語学留学をした。ハワイはワイキキにあるその学校は1週間から受け付けていた。だから夏休みだけの生徒や有給休暇をとってやってくる生徒などなど、沢山の生徒があわただしく入れ替わる中で、私たち6人はほぼ時を同じくして一年間居た。20歳から30歳までの5人の独身女性でその中に私が60歳で仲間にいれてもらっていた。誰かがおもしろい、またおいしい情報を探してきてはみんなで食べたり飲んだり遊んだり、ほんとうに楽しい1年でした。別れの時またハワイで会いたいね。同窓会をハワイでしようか?などと口々に言い合った。誰かが結婚するときは、きっと招待してくれるだろうな、疑いもしないで、そう思っていた。ところが、9年が過ぎても何の連絡もない。あのハワイで暮らしたことは夢の中のできごとだったのだろうか?日本での時間は流れが速い。忙しい日常の時間に飲み込まれて、同窓会の話もなく、誰一人結婚もせず、みんなそれぞれに自立した女性を目指しているのかなあ?などと、時折思い出したりしていた。来ました!案内が。 その中の一番若い、その時20歳だった「ゆりこ」です。ゆりことはハワイから帰ってきてから一度大阪に遊びにきてくれて会ってます。あのゆりこが結婚します。「なにがあろうとも出席します」これが私の返事。式には他の子たちも出席するそうです。みんなに会えます。楽しみです。
2010.03.14
コメント(0)

柿の芽吹き きんもくせい御坊の庭にある柿の木。この木を植えて15年にはなるのに、このつぼみを見れたのははじめてです。
2010.03.12
コメント(0)
昨日、Tシャツをみると、お腹のあたりに沢山のご飯粒がついてカラカラに干からびていた。なんでこんなところにご飯が???たしかに私はご飯をよくこぼす。でもこのシャツを一番上に着ることは絶対にない。不思議・・・・・・?記憶をたどる。これを着たのは??そう、その前日ティホ&りっちゃんファミリーに誘われて食事にいった。阪本さんと私はそれがご招待とは思わずによろこんで行ったんですが、実は招待だったんです。子育て真っ最中ティホ&りつこ夫婦にこんなにお金を使わせてしまってよかったのかしら???気は使ってはいるんですが、それ以上にうれしくて、幸せいっぱいで帰ってきました。その食事中にご飯をたしかにこぼした事を思い出した。でも、でもですよ。目の前で一緒に食事をしていた阪本さんも、私がご飯をこぼしたことに気づいて、一緒にその行方を目で追ってくれた。でも、無かったんです。床にもこぼれていなかった。一言「こぼしてなかったんやね」阪本さんの言葉に、解放されて、事件は終わった。この干からびたご飯はそのご飯しか考えられない。でも、このシャツはジャンバースカートの下に着ていて、そんなことはあり得ない........うううううううんんん?えええー?襟ぐりの間から中に入った?そんな器用なことが???おもわず一人で吹き出した。さすが愛子さん。人に器用ですね、といわれるだけのことはある。ご飯のこぼし方も人とは違う。笑いながら阪本さんの笑い顔が浮かんだ。りっちゃんといい、阪本さんといい私はなんて幸せなんだろう、と思う。一人暮らしはしているけれど、いつも決して一人ではない。その時その時私は心に思い描く人がいる。その人としばし時間を共有する。もっともっと深い心の奥にささって取れないとげも、しばし安らいでくれます。支えてくださる皆さんに感謝してこのボケか天然かわからない境目を生きていきましょう。
2010.03.07
コメント(0)
喫茶店ミキのお客さん。Hさん。もう2か月前になるのかなあ?もしかしたらもっと前。「いつでもいいから、この黒のレースの日傘をバッグに作りかえてほしいの。愛子さんにお願いしておいてね」預けられた武田さん、気の毒そうに私に差し出した。「えええー?私が?それをするの?」わけがわからん!!!そんなこと私に出来るわけがない。NOと言えない愛子さん。「失敗するかも」「いつできるかも。 約束できないよ。」などなど、自分を守る言葉を吐きながらも、家に持ち帰った。そのことを忘れていたり、思い出したりしながら、でも、どこかで気にしながら時間が過ぎた。ふいにデザインが浮かぶ瞬間がある。いそいで傘を取りだしてそのデザインをのせてみる。これではだめだなあ。 またしばらく忘れている。そんなことを繰り返して、やっととりかかることができた。これでいけるかも?それからは、ああでもない、こうでもないと悪戦苦闘。はさみを入れたら最後、なにがなんでも仕上げなければいけない。人からの頼まれものならなおさらのこと。何日かかったのかなあ?もちろん、時間の空いたときに少しずつするのではあるけれど・・・・だんだん、だんだん、形が出来始めると、私がのめりこんで楽しんでいた。それでも、渡すとき大丈夫かなあ?バッグとして使えるのかなあ?クレームがきても、私にはもうこれ以上手直しをすることはできないけど。少し不安。まず、喫茶店に持って行って他のお客さんに見せて反応をみる。大丈夫そうだな。「Hさんに渡しておいてね」武田さんにことづける。武田さん情報によると、昨日Hさんは空き巣に入られてバッグを持って行かれたそうな。まあ、気の毒に。その夜、Hさんから電話。「ありがとう!すごくかわいいね。いいものにしてくれてありがとう!」ありがとう、私の方こそ楽しませてもらいました。それにしても、バッグを渡すその前日に泥棒に盗まれるなんて。Hさんがいっぱい感謝してくれるように神様が図られたのかなあ???どちらにしても、そのバッグは実際よりは数段良いものに見えたことは間違いないでしょう。
2010.02.28
コメント(0)
一泊の予定で名張まで行った。たすけあい和輪のフリースペースで使っていた電気ピアノを貰っていただくために、それを運んだ。そのついでにぜひ、泊って行ってというお誘いに、気ままに暮らす私は二つ返事。お風呂に案内してくれよう、と待っていてくれて、そのまま出発。2,3日前から少し頭痛がし、喉が痛かった。何年も風邪をひいていない私は、どんな症状が風邪なのかも忘れていて、感が働かない。それでも(大丈夫かな?)(なんてことないか)そんな自問自答をしながらも楽しみに連れて行ってもらった。赤目温泉 山水園 歴史のある日本家屋にひなびた情緒の絵にかいたような雰囲気のある旅館であった。 女二人、しゃべりにしゃべって、2時間、湯あたりもせずに楽しみました。夜は部屋を暖かくしてもらって、ここで風邪をひいてはならぬ、とばかり、光熱費のことも気になりながら、それでも、エアーコンはつけっぱなしにさせていただいた。翌日、そこのご主人が友人のところに行って、その日は帰ってこられない、ということで、「愛子さんもう一泊、泊ってえ」意思の弱い私は、翌日の予定の無いことを確認して「OK!!]ただ、心配はここで風邪をひきたくない。馬鹿は風邪をひかない!!!この言葉を信じて、よーし、大丈夫!。信じる者は救われる。咳をする私に友人は「愛子さん、風邪を引いたんじゃない?」「いやいや、喉が少しいがらいだけ」ここで負けては愛子さんの名がすたる!翌日は大山田温泉「さるびの」に連れて行ってもらった。つるつるっとした温泉らしい温泉で、ここもまた、いいお風呂でした。私にとってはもう、使い道のなくなったピアノ。こんなに喜んでいただいて、感謝のおもてなしをしていただいて、思い切りその気持ちに応えて甘えてきました。いいなあ。ほっこり、一人よがり?結局2泊させていただきました。家に帰って待っていたのは100歳の福永さん宅訪問です。このたくましい100歳に、果たして私はこの100歳の福永さんより長生きできるのかなあ?少しずつ、熱が出始めたことを感じながら、すこし弱気の愛子さんです。
2010.02.19
コメント(1)
関西地区合同礼拝が京都であった、第一回目ということで、京都地区大阪地区の担当だった、司会者奏楽者、備品の用意などで2,3、日忙しい日を過ごしてやれやれ当日。「愛子さん」と呼び止められて立ち止まるとそこに、のぶくんがいた。何年ぶりだろう。彼と初めて会ったのは、14,5年も前になるか、 静かな、細身の、心細げな青年であった。 私の近くにアパートを借りた、ということもあって、よく家に遊びに来た。悩みなども聞いたりして、少しずつ親しく、深くなっていったが、彼の心の中の問題を解決するお手伝いまでは、力が及ばず、ある日多分2002年だったと記憶しているが、親の元へと帰っていった。最後に「愛子さんにイタリア料理店でならったケーキを食べさせてあげる」といって大きなケーキを2個も作ってくれたなあ。そういえば、あの時に買ったゼロチンやアーモンドなどはまだどこかのカンカンの中にあるんじゃないかなあ??親元に帰ってからも忘れかけたころにふらりと遊びに来て、大した会話をするでもなく帰って行った。最後にあったのは多分3年半前、うちの家に泊まっていった日だったと思う。それから本人はまったく姿を見せなくなってかわりに、秋も深まるころおいしい立派な柿を段ボールに詰めて毎年送ってくれるようになった。ご両親に無理をいってるんだろうな、そう思いながらも毎年送られてくる柿を心待ちにしている自分に気づきます。そんな彼とひさしぶりに会いました。「今日ここに来れば愛子さんにあえるんではないか、と期待してきたんです」と隣でおとうさんも笑顔で笑いかけてくださって、その様子をみてお母さんも「はじめまして」傍に走り寄ってこられた。なんという幸せの瞬間でしょう。なにかをしてあげたくても、なにをしてあげたらいいのか。でも、いつも気になる存在として私の傍にいたのぶ君。見た目はそんな変わったようには見えなかったけど、お父さんが明るく元気になられた様子と、はじめてお会いするお母さんが明るいかただなあ、との印象に、良い方向へむかっているのだな、と感じました。「昔お世話になったんです」、と他の方に紹介されて、何もしてあげられなかった自分に恥ずかしく、ごめんなさい、と心でつぶやきました。
2010.02.15
コメント(2)
昨日17時過ぎ、{あっ、忘れた!!!。」突然思い出した。御坊の家の鍵を名張の友人に送る約束をしていた。 娘さんと親子3人でゆっくり過ごしたい。と云われていて、私の家まで鍵を取りに行く、と言うのを、「鍵だけのために2時間もかけてドライブして来ることはないので、こちらから送るよ」私が勝手に決めた。そしてそれを忘れたんでは仕様がない。走ろう一っ走り。 信君が「明日、朝からピアノを運び込む予定になってますよ」私の予定を知っていてそう言う。 「なにが!それがどうした?」と私。「今夜中に帰ってくるんですか?」「あたりまえやろ!名張なんて一っ走りやん」と私。それを傍で聞いていた鳥山さんが、私に同意してうなずく。活動的な彼女にとっては、なんてことのない行動、と納得できるらしい。たった、これだけの会話で、その人の内側を感じることができるなあ。そんなことを思いながら名張へと走った。少しズルをして、名張からも、こちらに向かって走ってもらった、明日香を過ぎ桜井の手前で会うことが出来て、よかった!よかった。野菜をお土産にいただいて、夕食をと云ってくれるのをお断りした。なんでも、その近くに安いガソリンスタンドがあるみたいで、そこを紹介してもらった。どのようにしたら、感謝の気持ちが伝わるか、と苦労しているようであった。十分に伝わったよ。私はここまで走ったことを喜んでます。入院中の娘さんをゆっくり、のんびり両親で楽しませて上げたくて、外泊許可を取っての御坊行きです。良かったあ!!!喜んでもらえた。ルンルン!帰り道はジグザグ。出たとこ勝負で道を変えながら帰ってきた。
2010.02.05
コメント(0)
昨日、田辺にいく道で、白いつぼみを一杯につけた木をみつけた。枝の先々につけた白いもの。雪?まさかね。 ああ、これは梅だ。梅の花。そうかあ、ここはみなべ。一月の末にもう、つぼみをつけるんだなあ、梅の木って。淡ーい、淡ーい春を感じた。さくらって春爛漫って感じがする。それにくらべて梅っていいなあ。いまさらながらにそんなことを思いながら、田辺への道を走った。ゆっくりゆっくり時間が流れて、夜も自分だけのための時間。なにをするでもなく,夜は更けた。朝、メールの音。 阪本さんから。今新幹線で東京に向かっていまーす。友人が開くコンサートの応援でーす。なんということでしょう。あなたは木曜日に退院したばかりではありませんか。御坊に一緒にどう?お誘いしたい気持ちを抑えてだまってきたのに。それもあなたの体を心配したからだったのに。でも、よかった!それほどまでに元気ってことですね。友を大事に思う心が東京へと向かわせたのですね。 似たものを持っている私はよーくわかります。お互いに何をするにも躊躇せず、心残りのないように生き抜きましょうね。コンサート楽しんで帰ってきてください。
2010.01.29
コメント(0)
今日昼から御坊に一人で行く。何カ月ぶりかな?一人で行くのは。 ワイワイとみんなでにぎやかに修学旅行気分で行くのも嫌いではない。でもまた一人でひっそりと行くのも、またいいもの。少しだけさみしさも楽しみながら。昨日、律ちゃんの家に行ってきた。ひさしぶりにマリアンナとジョウジにあった。二人とも元気。この上なく愛想の悪かったマリアンナも、もう中学生。にこっと笑って迎えてくれた。お母さんの膝から離れなかったジョウジも私にニッと笑いかける。いい子に育ってるな。すかさずチェックをいれる私。 私自身は子供をうまく育て損ねて苦労しているので、子供がいい子に大きくなっているのを見せてもらうのは、嬉しい。どうぞ、何事もなく、大きくなってください。何になっても、何をしてても、本人が心から幸せを感じ、生きがいを持って生きてほしいなあ。人の子供に要らぬお世話!自分に突っ込みを入れながら家へと帰ってきました。さあ、用意をして和歌山へと出発です。3泊の予定。帰りにおさかな屋さんでおいしそうなお造りを買いましょう。なぜって?その夜、土曜日は12人で食卓を囲みます。これはこれで楽しみ。、
2010.01.27
コメント(0)
同じ手術をした友人二人。一人はもう退院してしまった。家に子供を残しているため、ゆっくりと入院してはいられなかったであろうなあ。母親ですね。家に帰ってからも決して無理をしてほしくなくて、入院前から退院後はお手伝いをさせてもらうべく、約束はしているものの、電話はかかってこない。心配してはいるものの、邪魔はしたくない、との思いでこちらから押しかけ親切はできないで二日が過ぎた。おせっかいがよいときもある。節度を守るお付き合いが良い時もある。この場合はどちらがよいのか?人と人とのお付き合いの度合いによって、自然と、ころあいの良いお節介度って決まるのであろうか。もう一人まだ病院に残る友がいます。一日一日、傷がいやされるごとに、病院は退屈な場所。でも、人のことを心配し、走り回って生活をしている彼女には、今は一日も長くそこでゆっくりしてもらいたいなあ、と思います。悠々自適、ご夫婦二人だけの生活。そんな中で周りの人に気を配って、人に悟られないようにお世話をし続けるあなたは素敵です。でも、休養もまた、楽しんでください。年齢によって、周りを取り巻く事情はかわります。子育て真っ最中の友は子供が気がかりで病院でゆっくりはしていられない。よくわかります。私たちにもそんな時期がありました。体に気をつけて、がんばってね。そして遠慮しないで私たちを使ってください。使ってもらうことが私たちの元気の基になることも、知ってくださいね。
2010.01.19
コメント(0)
13日14日と二日続けて二人の友人が手術を受けた。病院は違うが手術の内容は同じ。 こんなことってあるんだなあ。話し合って決めたわけではないのに。したがって私も掛け持ち。 鼻の手術ということで、命にかかわる病気ではない、と少し気楽に考えていた。でも、やはり手術は手術。5日から1週間の入院。麻酔がまだ残っている状態をみたとき、やはり怖くなった。14日の夜から2泊3日で丹波に行かなければならない、心を残しながら丹波へと行った。丹波の朝、夜が明けてみるとそこは雪で真白であった。写真写真、みつからない!、カメラが。あああー、残念。お昼、やっとカメラが見つかった時には雪はなかった。朝3時に起きて学びの日。2日で限界だなあ。やっと解放されて、今日夕方帰ってきた。今日中に二人の友を見舞いに行く予定であったのに、年には勝てないなあ。疲れて行くことができない。 明日は日曜日、礼拝が終わったら二人の様子をみに行こう。かなり元気になっている二人に会えるだろう。
2010.01.16
コメント(0)
あわただしい年末を過ごし、あわただしく年が明け、あわただしく、思いもよらない方向へと導かれていった。私たちがやっているたすけあい和輪での貸室、フリースペースが、教会として毎週礼拝に使われることになった。いろんなことがあって、今までお借りしていた建物が使えなくなって、とりあえず、うちをお使いください、ということで、1月10日の日曜日から始まった。場所を知らない人、子供連れの人、大阪から、和歌山から、和泉市から、と方々からやってくる人たちをJRの駅で待ち合わせ、親切な教会員のご主人がピストン運転をして送ってくださいました。なごやかな、ほんとに暖かい記念すべき第一回目の集会でした。前の日が歌声喫茶で、おぜんざいを用意し。集会のためにカレーを用意し、翌日北海道から主任牧師である水谷氏をお迎えしての祈り集会、ということで、昼食の用意をした。せまい台所で3日分を用意するのは大変で、てんてこまいでした。皆さんが手伝ってくださって、すべてスムース。これを感謝せずにおられません。
2010.01.13
コメント(0)
お正月。すっかり寝正月です。テレビも退屈。食べ過ぎておなかも苦しい。昼寝でもしょう、と寝たところ、本格的に寝てしまった。ポストに年賀状。 沢山の年賀状があて先不明でかえってきた。今年は長年ご無沙汰で年賀状さえもだせなかった古い友達にも新年のご挨拶をだした。毎年出し続けなかったこと、連絡が途絶えたこと、を悔やんだ。引っ越しをした、としても何の不思議もない。私の生活が夜型から昼型に変わったそのころ、昔の仲間と連絡を取ることが怖かった。夜、食事に誘われる。飲みに行こうと誘われる。断ることのできない私は、連絡を取ることをしばらくやめよう、と思った。どの顔を思い出しても、もう現役ではない。元気でいることだけでも知りたくて出した年賀状。帰ってきたその年賀の受け取り主は今、元気なのか?幸せなのか?深く追うことはやめよう。どうぞ幸せでありますように。
2010.01.01
コメント(0)
和歌山は御坊にりっちゃん家族が行っている。3泊4日の予定で家族水入らずのお正月。この家族が大好きな私は、「一緒に!」と言ってくれる言葉に、おもわずうなずきそうになった。「いやいや、それはあかんやろ。」いつも誰かの面倒、付き合いをして、忙しい家族が、水入らずで過ごす時間を邪魔してはいけません。すると夜、携帯でとった写真が送られてきました。御坊に着くなり夫のティホと小2の息子ジョウジは一目散に海へと行ったそうです。そしてキャンプファイアー。この寒い冬の海でなんだあ????「やっと望みがかなった!」とティホは喜んでいるそうです。ティホは本当に妻を愛し、子供を愛し、一生懸命に働いて、いい夫父親だなあ。とほほえましく見ます。でも元気な外人男性らしく、遊び方も上手、家族と一緒に遊ぼうとする。それをみてると、この人の奥さんでいるってことはエネルギーのいることだなあ、とりっちゃんを見る。いつも笑いながらティホに好きなことさせて、付き合っているりっちゃん。貴方はりっぱです。いい奥さん。どちらだけがいい人ってことはないのかなあ?私たちも2日にはいきます。貴方達と入れ替わりに。その日たとえ1時間でもそこで会えたらうれしいなあ。
2009.12.31
コメント(0)
全112件 (112件中 1-50件目)
![]()
![]()
