全220件 (220件中 1-50件目)
あなたが相対的な世界_私が相対性の領域と呼ぶところだ。_に入ったのは、絶対の領域では経験できないことを経験するためだ。あなたが体験したがっているのは真の自分だ。だが、絶対の領域では、真の自分を知っていても体験できない。魂の望みは体験して知ることだ。絶対の領域では自分の他の面も体験できないのは、そこには自分でない面がないからだ。絶対ということはそういうことだ 絶対なのだよ。あらゆるもののすべてだ。アルファーでありオメガで、そのあいだには何もない。「絶対」には段階がない。物事に段階があるのは、相対性の中だけだ。相対性の領域は、あなたがすばらしい自己を体験することができるようにと作りだされた。絶対の領域ではすべてが素晴らしいから素晴らしいということも「ない」。つまり、体験できないのだ。体験的に知ることがない。なぜなら、素晴らしくないものがないところで、素晴らしいということは体験できない。実は、あなたはすべてと一体なのだ。それがあなたの素晴らしさだ!だが、すべてと一体である素晴らしさは、すべてと一体である間は知ることができない。だから、すべてと一体であることは何の意味もない。あなたは単に「あなた」であり、その素晴らしさを体験的ない。すべてと一体である素晴らしさを唯一、体験できるのは、すべてと一体ではないという状況、あるいは状態だ。だが、絶対の領域ではすべてがいっぱいだから___すべてと一体でないものはありえない。しかし、すべてと一体ではないという幻想は可能だ。その幻想のために、相対性の領域がつくりだされたのだ。「不思議の国のアリス」のようなものだね。そこでは、物事は見かけとは違うし、見かけは真実ではない。あなたのエゴは、この幻想を作り出す大きな道具なのだ。残りのすべてと、ばらばらの自己を想像することができる仕掛けだ。あなたの一部が、自分はバラバラな個だと考えるのだ。あなたは個ではないが、総体であるという体験を理解し、楽しむためには、個別化しなければならない。その意味で、エゴを持つことは「良いこと」だ。あなたが試みていることからみて、「良い」のだよ。だが、あまりに大きすぎるエゴは、あなたが試みていることから考えると、「良くない」。あなたが試みているのは、ばらばらだという幻想を使って体であるシンの自分を体験的に理解し、楽しむことだからね。エゴが肥大して、バラバラな自己しか見えなくなると、一体となった自己を体験するチャンスが失われ、迷ってしまう。文字通り、幻想の世界で迷子になり、いつかそこから退出するか、或いは誰かが_別の魂が_引きだしてくれるまでは、迷ったままでたくさんの生を重ねなければならない。それが、「あなた自身につれ戻す」という意味なんだよ。キリスト教の教会が開く「救済」というのは、そのことだ。協会の唯一誤りは、彼らの宗教が唯一の「救済」の道だと主張して、ばらばらだという幻想を再び強化してしまったことだね。その幻想から救おうとしていたはずなのに! エゴを持つことは良いことなのか聞いたね。それは大きな質問だ。あなたが何を試みているかによる。エゴを道具として使い、いつかは、たった一つの真実を体験しようというなら、良いことだ。その真実を体験するのを阻むために語がつかわれるなら、よくない。この世界でしようとすることを阻むから「良くない」。だが、この世界で何をするかは、いつだって自由に選べられる。全体の一部としての自己を体験しない方が楽しいなら、今は体験しないという選択ができる。パラパラであるのに飽き、幻想に飽きたら、孤独や苦痛に飽きたら、あなたはわが家へ戻りたくなるだろう。そして、私がいつもそこにいることを知るだろう。私がいつもそこにいたことを知るだろう。あらゆる道にいることを。『神との友情』より
2010.05.16
コメント(0)
鹿児島サンエールでのセミナーは『光と闇』の関係の内容でしたが、闇に対する埋め込まれたデータが悪なので闇の役目を理解するのに時間がかかりましたね。神との対話P52よりかつて、自らが光であることを知っている魂があった。これは新しい魂だったから、体験したくてならなかった。「私は光だ」とそれは言った。「私は光だ」。だが、いくら知っていても、いくら口に出して見ても、体験に変えることはできない。この魂が生まれた領域では、光しかなかった。との魂も偉大で、どの魂も素晴らしく、どの魂も私の神がましい光を受けて輝いていた。そこでは、その小さな魂は、まるで太陽の前のろうそくのようだった。偉大な光の中では、その光の一部である魂は自らを見ることができないし、自分が何者であるかも体験できない。その魂は自分自身を知りたくて、知りたくてたまらなかった。あまりにも知りたがるので、あるひ、私は言った。「小さいものよ、その望みをかなえるにはどうすればいいか、わかるか?」「どうすればいいのですか、神様?私は何でもします!」小さな魂は答えた。「お前は私たちから離れなければならない」と私は言った。「そして、闇を求めなければならない」。と私は言った。「闇というのは何ですか、聖なる方?」と小さな魂はたずねた。「それは、お前ではないものだ」と私は答え、その魂は理解した。そこで、その魂は全体から離れ、別の領域に行った。その領域では、魂はあらゆる闇を体験する力をもっていた。そして、闇を体験した。その闇のさなかで、魂は叫んだ。「父を、父よ、どうして、あなたは私を見捨てたのですか?」例えば、あなた方が暗闇にいるときのように。だが、私は一度もあなた方を見捨てたことはない。常にそばにいて、本当は何者であるかを思い出させようとしているし、いつも、わが家に呼び戻そうとをしている。だから、闇の中の光になりなさい。そして、闇の中にいることを呪ってはいけない。また、周りが自分と違うものばかりでも、自分が何者であるかを忘れてはいけない。そして創造物を褒め称えなさい。たとえ、それを変えたいと思っても。最も大きな試練が、もっとも偉大な勝利になる可能性がある。あなたが生み出す体験は、自分が何者であるか、そして何者になりたいかという宣言なのだから。小さな魂と太陽の例え話をしたのは、どうして今のような世界になったのかを理解させるため、そして、だれもが現実の奥に秘められた神聖な真理を思い出せば、その瞬間に世界は変わりうることを、もっとよく理解させるためだ。
2010.05.07
コメント(0)
老子は言う”天下の人がみな美を美と知ったときそこから醜さが起きる天下の人がみな善を善と知ったときそこから悪が起こる つまるところ有と無は互いに補い合って成長し”両方使いなさい選ばないこと 生は総合依存だ 罪も使ったらいい それがあるのには目的がある をさもなければ そんなものは存在しないはずだ怒りも使ったらいいそれがあるのには目的がある をさもなければそんなものは存在しないはずだ何ものも、目的なしに製の中に存在はしない どうしてそれが何の目的もなく存在できよう? 生はカオス(混沌)じゃない生は意味のあるコスモス(秩序宇宙)なのだ。TAO永遠の大河より
2010.05.01
コメント(0)
神の愛と情熱で自らを創りだし行動は動く共存者を創造体験することを望み挑戦しました。挑戦する前に何故か石段の横に在る霊水の囲いのなかにあるよどみが頭から離れないままで登り始めました。神の愛と情熱で一段一段登ると登るごとに情熱的力強さが湧いてきます。一往復目より二往復目は身がさらに軽くなり、走るように登っていけました。すると途中から急に力がスパッと力が全身から抜け、石段に立ちつくし暫くしてから、やっとの思いで登り切り境内の中に座りこんでしまい、何も考えられない中風がそそぎ、鳥がさえずり身体を心地よく通り抜ける感覚だけははっきりと感じる。だんだん身体が快復するとともにふと、先ほどのよどみが浮かんできてそれをヨドミととらえた私が私の価値判断からだと腑に落ちただ「在る」ことへの祝福・感謝という内なる存在の感触を選択していたら、みるみる身体快復した私は下りの途を内なる存在「ある」に祝福感謝と共に石段の「ある」に祝福感謝して一段一段「ある」との一体感、共に存在する状態で降りていくことができました。おりた後、冷水の囲いを見ても祝福感謝せずにおれずまた、ザク、ざく、と一歩一歩の踏みしめる石の音が魂の響きとも共存する喜びを創造することができました。神の愛と情熱で自らを創りだしたこと行為は動く共存者である事を創造体験してさらに神との関わりが深められたことこの場この刻(トキ)出会うすべての人に祝福感謝いたします。by速水
2010.04.29
コメント(0)
思いを尽くし父なる神よ、吾が存在の中心において、私は貴神と一体であります。貴神はありとしあらゆるものの父なる最高の存在であります。貴神は霊であり、全智、全能、遍在であります。貴神は英智であり、愛であり、真理であり、全ては貴神の力と智慧とによって造られ、貴神はわが髄質であります。貴神はわが愛の生命、わが魂の髄、わが想念の智慧であります。私はわが身、わが日常に貴神を現しています。貴神は始めにして終り、わが現す一切の善きもの、これ悉く貴神のみ業。わが魂に植えつけられた願いは、わが霊の内なる貴神の生命によって生かされ、時熟すれば、実在の法則によって可視の現象となり、わが経験となる。私の望むことが善ければ、それは不可視の形のまま既に実在の中に在り、只具体化するため法則の成就を待つのみであることを、私は知っている。故に私は既に得たるを知るのである。(ヒマラヤ聖者生活と探究より)何者かを選択することが重要な友人たちに伝える時、どうしてもこの文章が必要となってきた。まあ、このままでは人の言葉であるので自分の言葉に変える必要があるが。自分がこの言葉を語る時、自分の望むものをわが父なる神に述べている、自己の存在の中心においての一体感、思考内の絵柄時塾するまで実在の法則すでに得たる選択能力の低さは神との関係がなく不安が根底にあり不安から愛を選択しているので愛としての結果が生まれようがないですね。
2010.04.27
コメント(0)

東霧島神社「振り向かずの坂」を体験して神と私の目的神の愛で自らを創りだし神の栄光を体験すると旗揚げし体力にも自信のある私は振り向かずの坂に挑戦登り始めてすぐに息もできなくなるほど苦しい何も考えられなくなった額から噴き出す汗汗をふくために立ち止まり周りを見る風を感じる風が身体を通る感覚すっきりした心地よさを感じこの感じは何何だろう神に触れたのだやり手がいなくなったからか石段に目をやると次はここ次はここと神の愛に導かれるように道案内をしてくれるまるで、神の道をたどるがごとく私が登っているのか軽やかに、周りと一つになったようだ神が在る状態を知る神に感謝祝福せずにはいられない神よあなたは素晴らしい神よありがとう神の愛で自らを創りだしたことに祝福、感謝神の完全な手配で喜びの場が現れ神との関係がより深まった神の素晴らしさによって私の素晴らしさも引き出され一緒に登った夫の言葉もよろこ美あふれ実家の父との関係が和わい、和み人間関係、出会いの目的が創造されました。あらゆる人と条件を祝福します。この方の知人のTedさんに作っていただいたこの方の、ソウルエッセンスは「通す」でした。
2010.04.24
コメント(0)
光は闇に支えられ成長し有と無は互いに補い合い成長し愛は不安に支えられ本来の姿を見せる難と易は互いに補い合い完成し前と後ろは互いに支え合って重ね合わす人はそれに生命を与えしかし、それをわがものにしない何一つ手柄を主張しない
2010.04.23
コメント(0)

出張予定日だったが中止になったので機会が来たと思い急きょ木花神社へ木花神社の御祭神木花佐久夜姫が三皇子を出産された時、産湯に使ったとされる伝えがある霊泉。天神迩迩芸命(ニニギノミコト)はこの地で国神大山津見神(オオヤマツミノカミ)の娘、木花佐久夜姫(コノハナサクヤヒメ)をみそめられ結婚されたが、そのご懐妊について天神からあらぬ疑いをかけられた。「たった一夜で身篭る筈はない、それは国津神の子だろう」そこで姫はその疑いをはらし天神の御子である事を立証しようと、出産に当って戸の無い産屋を建てさせ、粘土で塗りふさぎ火をかけて三皇子を次々にお産みになった。産屋は戸をすべてふさいでしまった事から無戸室(うつむろ)と呼ばれ、その跡とされるものが神社境内にありました。う・・・ん神が疑いを持つか?・・・まあ、神話だから・・・カタチをとる目的ために来たので社殿へすると小脳が反応し次に胸のチャクラのあたりへと反応が変わりこの3週間内面の変化のため起こっていた熱・咳がスーッと落ちて行った。よく言われる、この地この場が良いからとか、熱・咳を治すために行ったのではなく。○○○の思いが存在することを許す。在るという形を取るための行動でした。
2010.04.22
コメント(0)
人間関係について学ばなければならないことは何もない。ただ、知っていることを実証すればいい。 さてさて何を知っているのだろう・・・・学校が教えたことか・・・・親が教えたことか・・・・宗教家がおしえたことか・・・・社会がおしえたことか・・・・幸せな関係を築く方法はある。自分が考え出した目的ではなく、本来の目的のために関係を活用することだ。 うむ、本来の目的とななんじゃ。人間関係はいつでも課題だ。つねに創造すること、表現すること、自己の高い面、より大きな自分、すばらしい自分を経験することを求められる。何!常に創造すること、表現すること、自己の高い面それって知っている?より大きな自分何・・・すばらしい自分を経験すること素晴らしい自分って知っている。
2010.04.20
コメント(0)

東霧島神社に行き 自ら新しい自分を創りなすために 階段を6往復してきました。 思考を見張りながら昇っていると 思考どおりの行為がなされていることへの達成感が創造されました。 肉体はどんどん軽く 肌は、幼子のようにやわらかく 私をとりまく全てのものが私の創造物 思考に祝福、行為に祝福、達成感に祝福、創造物に祝福 祝福するごとに昇りやすい階段だけが用意され 神の完璧性に祝福しました。 その瞬間 神に愛されているという感情が内側から溢れ出し 吾、神の子なり 神を愛し、吾を愛す 最高のよろこ美が創造されました。 その思いを表現したくなり、その思いで太鼓を三打 静寂な中で響く太鼓の音は 神のよろこ美そのものでした。 また、階段横の大楠の中で 触れるの感触を創造したくなり 階段を上るたびに楠の木に触れてみました。 木の肌と手が合わさることで 神と私の聖なる一体感が創造され 「在る」=「触れる」が創造されました。 ラフォンテが楽しみです 「その思いで生きる」 まったく人間が介入する余地はありません。 ちなみに東霧島神社の階段を「祝福坂」と名づけました。 この方の知人のTedさんに作っていただいたこの方の、ソウルエッセンスは信頼でした。
2010.04.19
コメント(0)

70過ぎて2回挑戦なんて無理かなとも思っていたが、二回目の方が身体が楽に進む。石はこんなに平らだったのかなと錯覚しそうになる。平らな石が目にうつる。こっちが良いよと、神の愛に導かれているように感じる。神の愛に導かれ、苦も無く難もなく二回目完了。疲れるどころか神の愛に導かれ偉大な達成感で、神の喜びにあふれ思わず微笑む。登り切って鈴を鳴らし感謝のお参りを済ませ、大太鼓を三回たたき、文字通り神と響き合う。優しく神の響き、雄大な愛に丸く包み込むような中身のある支えられた響きというか胸が熱くなり、次には身体中が熱くなる。これが感情を味わうと言うのか、一人悦に入る。竜神の姿をした杉の枝もつくづく眺め「あなたも神ね」と・・・・(後から思い返すにこの間全く無心で在った)一心に神への感謝と祝福に終始した私の中の石段での出来事でした。同じ方向性を持った素晴らしい仲間に出会い、素晴らしい時と場所が選ばれ、自らを創りだす関係が結ばれる。この神の完璧さに感謝を祝福を送ります。ちなみに知人のTedさんに作っていただいたこの方の、ソウルエッセンスは神殿でした。
2010.04.17
コメント(0)
「闇というのは何ですか、聖なる方?」と小さな魂はたずねた。「それは、お前ではないものだ」と私は答え、その魂は理解した。そこで、その魂は全体から離れ、別の領域に行った。その領域では、魂はあらゆる闇を体験する力をもっていた。そして、闇を体験した。その闇のさなかで、魂は叫んだ。「父を、父よ、どうして、あなたは私を見捨てたのですか?」例えば、あなた方が暗闇にいるときのように。だが、私は一度もあなた方を見捨てたことはない。常にそばにいて、本当は何者であるかを思い出させようとしているし、いつも、わが家に呼び戻そうとをしている。だから、闇の中の光になりなさい。そして、闇の中にいることを呪ってはいけない。また、周りが自分と違うものばかりでも、自分が何者であるかを忘れてはいけない。そして創造物を褒め称えなさい。たとえ、それを変えたいと思っても。「どうして、あなたは私を見捨てたのですか?」支える思考が「見捨てられた」ここにあるので、周りが自分と違うものばかりでも、なんてとんでもない・・・・故に、感謝や光がそれを変えるための対策のための感謝や光になってしまう。それは「お前でない者」の役割はなくなりはしないだろうか!
2010.04.15
コメント(0)
火曜日クラスの課題「私」という言葉(これは、「いだいなるわたし」を呼び出す)は物理的な現実を生じさせる。したがって、「私」+「成功したい」で、成功したがっているあなたが生まれる。「私」+「もっと金が欲しい」で金を欲しがっているあなたが生まれる。ほかのものは何も生まれない。なぜなら、考えと言葉は創造につながるから。行動も創造につながるからだ。だから、あなたが成功したいとか金が欲しいといそのように行動すると、あなたの考えを、言葉、行動がそろって、あなたは確実に、その「ほしい」という状態を経験する。わかったかな?言葉の持つカタチ、容姿、というかみなさん、この欲しがっている自分の姿が見えないようですね。これが同じように感謝、祝福せずにおれない世界でも、マニアル通りの感謝、祝福を行うので、感情が何も湧きあがらないので、答えは知っているでも日常で使えない、という悪循環が自動操縦敵に行われる。行為は動く言葉である言葉は思いの現れである。
2010.04.14
コメント(0)
今日は月曜クラスでの会話です。「人間関係について学ばなければならないことは何もない。ただ、知っていることを実証すればいい。 」ここでの課題は知っていることは何かを付箋に書き出してみる。書き出してたものをひとつづつ実証していく。幸せな関係を築く方法はある。自分が考え出した目的ではなく、本来の目的のために関係を活用することだ。 この文章では・魂の目的を書き出してみる。・創造の道具を知っているか・相対性の原理を理解されているかを書き出してもらいましたがすぐに書けない方が多かったですね。目的を3秒内に言えないということは自分の旗が掲げられてないので選択能力が非常に弱いです。「人間関係はいつでも課題だ。つねに創造すること、表現すること、自己の高い面、より大きな自分、すばらしい自分を経験することを求められる。その経験をいちばん直接的に、力強く、純粋に実践できるのが人間関係という場だ。それどころか、ひととの関係なしには、その実践は不可能だ。」 ここでは、人間関係の課題を学び発見の場として勉強をやっているので、義務的になりがちで何の邪魔も入らない動きの自由に義務が入りこんでいるようで、創造的活動として思考を使う必要がありますね。
2010.04.13
コメント(0)
☆創造とはその三つの部分から生ずるプロセスである。いいかえれば、あなた方の創造には三つの段階がある。創造の道具は思考、言葉、行為だ。そこまでわかっていれば、強い感謝の気持ちが生まれる。 感謝せずにはいられない。 次には祝福がやってくるから☆すべての創造は思考から始まる。・・・「父から生じる」。 すべての創造は次に言葉になる。 ・・求めなさい、そうすれば与えられるだろう。 ・・話しなさい、そうすれば成就するだろう) すべての創造は行為によって成就される。 ・・言葉は一つとなって、私たちの間に住まわれたそこまでわかっていれば、強い感謝の気持ちが生まれる。 感謝せずにはいられない。 次には祝福がやってくるから☆考えて言葉にすれば、もうひとの段階での創造になる。 あなたが考え、語り、行動すると、具体的な現実になる。そこまでわかっていれば、強い感謝の気持ちが生まれる。 感謝せずにはいられない。 次には祝福がやってくるから
2010.04.12
コメント(0)
![]()
☆神の姿をかたどり、神に似せて、あなた方を創造した。そこまでわかっていれば、強い感謝の気持ちが生まれる。感謝せずにはいられない。すると祝福がやってくる!☆神は創造者だ。そこまでわかっていれば、強い感謝の気持ちが生まれる。感謝せずにはいられない。すると祝福がやってくる!☆あなた方は三つが一体になった存在だ。その三つをどう読んでもいい。父と子と聖霊でもいいし、精神と身体と聖霊でもいい。そこまでわかっていれば、強い感謝の気持ちが生まれる。感謝せずにはいられない。すると祝福がやってくる!神との対話
2010.04.11
コメント(0)

志布志湾を望む東串良町・柏原海岸は,青い海,白い砂浜,緑の松林のコントラストが美しい海岸には,毎年,春になると, 広大な砂浜にルーピンの花がまるで延長1kmの黄色いじゅうたんを敷き詰めたように100万本咲き誇ります。 あいにくの小雨でしたが下記の文章の体験のため塾生と共に下記の文章の体験ツアーに出かけてきました。自分自身と生命を「在ること」の目から見るのを学んでほしい。あなたが花を見るとき、それが醜い。あるいは美しいと言ってはならない。それは価値判断であり、その花の思考を変質させてしまうのだ。純粋なものとは、花という思考である。あなたがその花を見て、それを花、光、生命、「在ること」としてみるならば、あなたはその思考の純粋さと「在ること」を受け取ることを自分に許しているのだ。それは、より高い振動数のエレクトラムを送り、あなたの体全体でそれが感じられるのだ。その時、あなたはキリストと同じように考えている。なぜなら、あなたはあらゆるものを同等のもの、そして一つの「在ること」として見ているからだ。自分の体験を制限したり、それに審判を下したりしないとき、あなたはそのたびに自分の脳が活性化するのを許し、自分の日常的な存在を超えた限りない思考を脳が受け取れるようにしているだ。
2009.03.31
コメント(0)
その思考は、何から発生してどこへ行こうとしているだろうか!その思考はどこから来ているのだろうか?疑い”からだろうかか?受容”からだろうか?”始元”からだろうか?発生因の目的感情によって、その結果は大いに異る。その行動はどこから来ているのだろうか?心配”からだろうか?安心”からだろうか?”愛”からだろうか?発生因の思考によって、自己の環境に与える影響は大だ!しかと見極めてみることだ!まずは、自分の行動因となる思考を。どこから来てどこへ行こうとしているのかを拒否しているのか受容しているのかを的から目をそらさずにしかと知ることだ!あなたを愛すると、隣人も愛せる。他人を説得する時間をあなたを理解するために、多くの時間を費やしてみることだ。
2008.12.04
コメント(0)
人として生まれ、神として生きる愛神は愛、己を愛し己を生きる神はあなた自身の願いに対して忠実であるあなた自身である神としての誉れと神としての自覚を感じて生きよ人としてこの世に生を受け人としてこの世に何かを生み出すならそれはあなた自身あなたの真実が神自身歌いなさい、笑いなさい強い心を持って静かところで喜びなさい神はあなた自身全力であなたのために動く地球のため会社のため自分のため家族のため愛のため
2008.11.13
コメント(0)
時が止まる動きが止まる思考がとまるそこが空空の中を自由に泳ぐ空の中を自由に飛ぶ空の中を自由に戯れるその時未来がある今の中に未来がある未来の中に今がある喜びの中に夢がある神がある空の静けさの中に和わいがある人々よ集え、空の中に集え!心を神の世界へ心を豊かな世界へ心を繁栄の世界へ
2008.11.06
コメント(0)
ゆるぎない愛ゆるぎない信念ゆるぎない自身神は私の愛 それを知る神は私自身の優しさ それを知る神は私自身の未来 それを知る美しい信念に愛を見る自らの望みは愛そのもの私の優しさは家族への愛自分自身を知るとき そこへ神は存在する神の存在を知るとき 私の未来は開ける私の未来は愛そのもの真実を切り開け
2008.10.27
コメント(0)
時は風なり時は未来なり全ての時には愛があるやさしい、やさしい愛がある大切なものはあなたの中に在る時も、人も、家族も、お金も、会社も全てあなたの中に在るあなたの中であなたの夢、願いは成就する子どもの幸せあなたの幸せあなたの周りの幸せ風がやさしく、やさしく吹いてくると春が来て成就する。未来のあなたは光の化身、光の玉ここには愛が在る力がある幸せがあるあるあるあるあるあるあるby Tokiko
2008.10.25
コメント(0)
力みを捨てて愛を持て澄んだ空気は風をとおす。澄んだ空気は愛をとおす。澄んだ空気は未来を創る。君の未来は愛の星。あなたの力は風の道。先に先に神が道を作り道は花が咲き美しい道。道は全開花は満開いたる所に風が吹く。やわらかく優しい風は、人の心を癒す。望みは神の心解けて融けて人と交わり愛一色。ここに愛の心在り人が優しくなれる。大切なものはあなた自身。あなたの中に愛が在り風が在り道がある。神の愛は真実。 by tokiko
2008.10.23
コメント(0)
Tedさんとこに塾生のSOUL ESSENCEを8月30日に作曲依頼をいたのが一昨日届いた。まあ天からの贈り物として贈られてくるものだが、今回も経営者として彼女にぴったりの題名TRUST(信任、信頼、信用)が届いた。ちょうどla fonte を習いに来ていた女姓いわくニューヨークにいる人がなぜ分かるのだろうふしぎだ。でも、由美子さんにぴったりですよね。等々、延々とはなしがつづきそうなのでさっそく聞いてもらった時の感想です。Tedさん素敵な曲をありがとうございました。封筒を開けた瞬間に2枚のCDからすぐに私の曲がわかりました。ラベルの絵もわたしそのものです。さっそく意心海のところでヘッドホーン・アイマスクを付けて3回続けて一人で聞きました。一度目は、私は誰にも動かされない誰にもつかめないそれができるのは、私だけという言葉が出てきました。2度目は、愛している、愛している、愛している・・・愛がカタチなき物として存在し、愛するが故に存在する愛するが故にあり続ける存在するものは生命3度目は、まったく何も考えられないというよりも考えるということさえ無い何もない空っぽの状態の中で在り続けていました曲を聞いてから今、意心海にご指導いただいているLa fonteをしたところ触れる感覚が全く違っていました。曲を聴いた中で蘇ってきた無の中に共存する軽さと重さそれが私自身であることが鮮明に蘇り、La fonteは私自身だと揺るがなかったことがこの曲を聞いてはっきりとしました。有難う御座いました。TRUSTのぴったりとした日本語を教えてください。辞書ではこのように書いてありました。(信任, 信頼, 信用 ((in)); 信頼する人[もの]; 希望, 確信; 信用貸し, )
2008.10.20
コメント(0)
人の生において、他人の生を自分の苦しみから逃れる目的の為に操ると、自己の生においてその状況と環境がどのように作りなされたかついて知りえる事が難しくなる。苦しみは、苦しみ自体に焦点をあわせることで、苦しみへエネルギー供給をし事態を大きく変化させている。今の環境は一つ前の今の意識が、あるいは昨日の意識がどこにあったかによるものだと知ることだ。想念の成り立ちを知り、新たな情報という水を与えることは、変化を促し幸せの訪れをさらに早めることになる。
2007.04.21
コメント(0)
人は自己の思考によって自己限定された人生を産み出す。自己が造りだした檻の中の想念運動でその通りに束縛され人生を生きる。矛盾の中で生みだされる喜びさえ一つの限定でしかない。そこで、生命とは何かと談義することではなくこれが、であると身を以て顕わすことではなかろうか。
2007.04.18
コメント(0)
人は絶えず言葉を反復することで自己催眠状態へと自分の愛ある心を牢獄へ押し込めた。そして、自己催眠状態へ押し込められた心は愛という実在に蓋をしてしまった。それは自分の真心を積極的に鈍らせるだけなのだ。人は矛盾即ち自分の止まる事のない思考に意識的で在れ自己の環境との関係の中で己のあり方や、己が語る言葉の内容や想念をよくよく観察し、見つめることによって、自分の想念の矛盾のありようを知ることが出来る。いわゆるそのコトバを使う理由何を得ようとしているのかを知ることが出来る。
2007.04.15
コメント(0)
人は過去の体験を後生大事に持ち歩くことで限定され矛盾が生まれ、過去の事実を超えるものを生み出せない。故に過去の事実に限定された心は檻の中に閉じ込められている。そのようなものは己を限定させるだけの過去の代物だ。そのことが知りえた時自己の限定や矛盾から解き放たれる時がくる。
2007.04.14
コメント(1)
矛盾それが落ちるのは矛盾を生み出す背景を知りえた時だけだ。人はこの心が作り出した循環型矛盾と戦い生命のエネルギーを多く消費し老け行く。沈黙とは矛盾の中に存在しえない見る者の状態なのである!人間は様々な心の象を生み出しその虚像に振り回されそしてまた束縛へと導き無碍自在の世界は彼方へと遠のく。
2007.04.13
コメント(0)
人は一切の実在を除外し心が作り出したイメージや観念に己を集中し座してみるしかし、何も得ず他の思考が湧き上がってきては迷いや矛盾の雑念を繰り返すということをなす。矛盾からは沈黙は見つからない沈黙は矛盾が止んで始めてそこに在る事を知る。
2007.04.12
コメント(0)
一昨日の続きここに集まっている大人の皆さんはいろいろな国の政府の代表者や企業や団体の代表者そして報道関係者の人たちです。でも、そんな皆さんでも、本当は誰かのお父さんであり、お母さんであり、兄弟であり、姉妹であり、おじさんであり、おばさんですよね。そしてここに集まっているすべての人が誰かの子供ですよね。私は、まだ子供ですが,それも自分が大家族の一員であることをしています。それは10億人以上の「人類」という大家族であり、3000万種類以上の「生き物」という大家族です。いろいろな国の政府や国境がどんなに分け隔てをしようとも、私たち地球で生きる者たちが一つの大家族だということは絶対に変えることができません。私はまだ子供ですが、それでも自分が大家族の一員であることをしています。そしてこの大家族の皆さんがそれぞれかけがえのない命として、同じゴールに向かって進んでいかなければならないことも知っています。私はひどい環境を見て怒りで心が震えていますが、それでも自分の気持ちを世界の人たちに伝える勇気を持ち続けています。私の国では、たくさんゴミを出しています。買っては捨て、買っては捨て、その繰り返しをしているからです。そして、そんなにたくさんの物を無駄にしている北の国はものが不足している。南の国と分かち合うことはしません。有り余るほどものがあふれているのに、私たちはそれを手放すのは怖いのです。カナダで暮らす私たちはとても恵まれた生活をしています。食べ物も水も、お家も、なんでも十分にあります。時計、自転車、コンピューター、テレビ、・・・・・と、持っているものを挙げたらきりがありません。2日前、ここブラジルで、お家のないストリートチルドレンの子供たちと話していて、私はとてもショックを受けました。それは一人の子供がこう言ったからです。「もしもぼくが金持ちだったら、お家のない子どもたちみんなに、食べ物も、着るものも、住むところも、お薬も、なんでもあげるのに。それから、愛情と優しさもね」住むところもなく、今日食べるものもない一人の子供さえ、自分のことだけでなく、みんなと分かち合うことを考えているのです。それなのに、なんでも持っている私たちは、どうしてこんなにも欲が深いのでしょうか?この子供たちは、私と同じくらいの年齢でした。私は自分と同じくらいの年齢の子供たちがこんな生活をしていたことがとてもショックで頭から離れません。同じ人間なのに、同じ大家族の一員なのに「どこで生まれたか」ということだけでこんなにも大きな差が出てしまうのです。もしかしたら、私だって、ここブラジルのストリートチルドレンだったかもしれないのです。そして、飢えに苦しむソマリアの子供だったかもしれない。インドで物乞いをしている子供だったかもしれない、大人たちの戦争の犠牲になった中東の子供だったかもしれないのです。私はまだ子供ですが、それでも知っています。世界中の国の大人達が戦争に使っているお金を全部平和のために使えば、環境や飢えの問題のために使えば、この地球がどんなに素晴らしい星になるかということを。小学校で、いや、幼稚園でさえ、あなたがた大人は私たち子供に「世の中ではこうしなさい」といろいろなことを教えてくれます。例えば、「人と争ったり喧嘩をしてはいけません」「物事は話し合いで解決しなさい」「他人の気持ちを尊重しなさい」「自分が散らかしたら、自分で片づけなさい」「生き物をいじめたり傷つけてはいけません」「なんでもみんなで分かち合いなさい」そして、「欲張ってはいきません」と。それから、なぜ、あなたがた大人は、私たち子供に「するな」ということを自分たちはしているのですか?皆さんは、今日何のためにこの会議に出席しているのか、どうかそのことだけは忘れないでください。さてこういった会議は誰のためになっているのか、それはあなたがたの子供のため。つまり私たちのためなのです。皆さんは、こういった会議で、私たちの未来を決めようとしているのです。親たちは子供を慰めるときによく「大丈夫だよ。心配するな」とか「できるだけのことはしているから」とか、「この世の終わりと言うわけじゃないんだから」と言いますよね。だけど、今の地球環境を見たら、もうこんな言葉を自分の子供に向かって言えないと思います。私たち子供の未来のことなんて、皆さんの議題の中にすら入っていないんじゃないですか。皆さんは、私たち子供の未来の事を本当に考えてくれているのですか?私のお父さんは、いつも「人間の価値は何を言った方のかとかではなく、何をしたがで決まる」といっています。でも、私はあなたがた大人がこの地球に対していることを見て、毎晩泣いているのです。それでもあなたがた大人は私たち子供を「愛している」といいます。本当なのでしょうか?本当に私たちのことを「愛している」というのが、言葉ではなく、どうかそれを行動で示してください。最後まで聞いてくださってありがとうございました。
2007.04.10
コメント(0)
これはとある経済界代表をされている友人から送られてきたメールの中に入っていたものです。今から、15年前の1992年6月11日、ブラジルのリオデジャネイロで開催された国連の「地球サミット」の壇上に、「子供の意見も聞こう」というユニセフの発案で、カナダの12歳の少女セブン・鈴木がたった。そして、各国の首脳や代表者たちの前で、今や「伝説のスピーチ」とも呼ばれているすばらしい演説をした。皆さんこんにちは。私は、セブン・スズキと言います。エコ(ECO:Environmenmental children`s)というグループを代表して、ここに来ました。私たちは、カナダの12歳と13歳の子供のグループで、自然環境を守るため活動しています。私たちは、自分たちだけでお金を集めて、カナダからブラジルまで、1万キロの旅をしてきました。それは、あなたがた大人に、どうか生き方を変えていただくようにと、お願いするためです。今日、私が話すことは、すべてうそのない本心の言葉です。なぜなら、私たちが、環境問題に取り組んでいるのは、私たち自身の未来のためであるからです。私たち子供が、自分たちの未来を失うということは、あなたがた大人が選挙で負けたり、株で損をしたりすることとは次元が違う問題なのです。私たちがこれから話すことは、あなたがた大人が死んだ後も、この地球で生きていかなくてはならない私たち子供のためなのです。世界中の飢えに苦しむ子供たちの泣き叫ぶ声は、あなたがた大人の耳は届きません。どこにも行くところがなく次々と絶滅していく数え切れないほどの生き物たちのことも同じなのです。世界中の子供たちが、生き物たちに代わって私が話すのです。私は、外に出てお日様にあたるのが怖いです。それは、オゾン層に穴が開いているからです。私は息をするのも怖いです。それは空気中にどれほど危険な化学物質が混じっているか分からないからです。私はお父さんといっしょによく、バンクーバーへ魚釣りに行っていました。でも、数年前に全身がガンで侵されている魚を見てからは、さかな釣りもとても怖くてできなくなってしまいました。今、毎日のように多くの動物や植物が絶滅しています。そして、一度絶滅してしまった生き物は2度と戻って来ないのです。私には小さい頃からの夢がありました。それは、いつか野生の動物たちの群れやたくさんの鳥や蝶が飛び回っているジャングルや熱帯雨林を見ることでした。でも、私は見ることができても、私が大人になった時に私の子供たちは見ることができるでしょうか?あなたがた大人は私くらいの年齢の時に、今の私と同じように、未来の自分の子供の心配したことがありますか?私の目の前で、こんなに大変なことがものすごいスピードで起こっているのに。私たち人間はとてものんびりと構えてます。まるで「まだまだ余裕はあるさ」「すぐに解決するよ」とでも思っているかのように。私は子供なので、この危機を救うためにどんなことをしたら良いのか、はっきりとは分かりません。そしてあなたがた大人も本当の解決法など持っていないと思います。だからせめて「本当の解決法など持っていない」ということだけは自覚してほしいのです。あなたがた大人はオゾン層に開いた穴をどうやってふさぐのか知らないでしょう。死んだ川にどうやって鮭を呼び戻すのか知らないでしょう。さて砂漠になってしまった場所に、どうやって自分緑の森をよみがえらせるのか知らないでしょう。だからお願いです。大人の皆さんどうやって直すのかわからないものをこれ以上つづけるのはやめてください。続きは明日へ。
2007.04.08
コメント(0)
心象とはどのようなものかを理解するために心象を見つめてみるが、 心象談義に明け暮れず。人は夢を達成するため生きている。実在を生きるものは、生命の素晴らしさを楽しむため夢を生み出す。
2007.04.05
コメント(0)
滝の轟音、川のせせらぎ、松風、風の音と樹々たちのささやき、小鳥の囀り、これらの音と楽にはその背後に一者と完全に調和したリズムと生命が存在している。その倍音、和音、が己の直中にまったく同じ一者の創造的リズムが存在する。常に臨在し続けるものは久遠にそのまま在り続ける。
2007.04.04
コメント(0)
自然界の色と音の楽は美しき調べとして一者が創造される。それは、人間を介在した、一者自らの中に創造された至純な聖音の現れであった。音と楽は、全ての作り出されたものに一者自身が表された途絶えることなき調べの波であった。人間は一者の調べを奏でる最高の楽器であった。
2007.04.02
コメント(0)
何人も自分自身を隠せない。人は、自分の周りに自分の一生の記録を公開して歩いている。自分が知ると知らぬにかかわらず公開し歩いている。他の人々もみなこの記録からその人の在り様を読み取る。もっとも、この記録を読み取るのが得意な人もいるが鈍い人もいる。しかし誰でも少しは読み取れる、故に何人も記録がある限りにおいて自分自身を隠せない。
2007.03.29
コメント(0)
昨日よりの続き大変な勇気を要しましたが、このままでは前に進まぬと思い感謝プログラム実行しました。会えたのは夜遅い時間で、実家に立ち寄ると母は、もう寝ようとしていました。母に「眠たいだろうけどちょっとだけ伝えたいことがあるんだ」っていうと「折角だからいいよ。どうしたの?」という答えが返ってきました。私は母に伝えるために整理した紙をもとにして、母に向かって気持ちを伝えていきました。母に母に謝りたいこと、感謝できることを勇気を持って直接母に伝えました。 母には直接下記のことを話しました。母に謝りたいこと小さいころから僕は母さんから身を守ることに誠意ぱいで、いつもおびえた目で母さんをみていた。母さんはずっと気持ちが一人でいたんだと思う、ずっと一人ぼっちにしてごめんね。 母に感謝できること 小さいころ、ロッテリアに連れて行ってくれたことそれは、お母さんが僕のために連れて行ってくれたと僕自身にも理解できて大事にされている気がした。僕のお母さんだって思えてうれしかった。僕のために時間をとってくれているって思えたんだ。 30を超えて誕生日会を行ってくれたこと小さいころ置き忘れた気持ちを大事にしてくれたことは忘れられない思い出になった。とてもうれしかった。ずっと心に思ってあきらめていたことだったから、とてもうれしかった。びっくりするくらいだった。 公園でキャッチボールをしてくれたこと一緒に遊んでくれたことは、楽しい時間だった。母さんと楽しい時間を過すことができたときは幸せだった。母さんと楽しい時間を過してもいいんだって思った。幸せだった。とても安心できた、楽しく遊べた。 逆上がりを付き合ってくれたこと出来なかった逆上がりにずっと付き合ってくれたことそしてできるようになって褒めてくれたことは、温かい気持ちや自分に対する自信が生まれた。僕を見てくれていたことがどんなにうれしかったか。逆上がりができたときに一緒に喜んでくれたことがどんなに幸せだったか。ありがとう。 働きだして夜が遅いと、お勝手で待っていてくれたはじめは面倒でお勝手で寝ているだけだと思ったでも、待っていてくれた、一人にしないでいてくれたのは心強かった。まだまだがんばれると思った。ありがとう。その時間はプログラムを進めるというより、母のために大切なことを伝えようと母の目をみてゆっくり伝えていきました。途中からなぜか大粒の涙があふれだし、そして聞いている母も泣いて聞いていました。すると、泣きながら母が話し始めました。それは、母の母つまり私にとっての祖母の話でした。祖母は小さいころからずっと私をかわいがってくれていたのに、祖母には冷たくしてきていた、それが申し訳ない。大事にしていなかったので、とても心ぐるしいと、ずっと話していました。私はただただ聞いていました。ころあいをみて、「折角ならおばあさんに謝ってごらんよ」と話ました。以前私は同じように父に行ったときに父は「おれはおやじに死ぬまえに話すことができなかったんだ」「死んでしまってから仏壇に座っておやじと話すようになったんだ」とさみしそうに云っていました。「生きている間にやっておかないと、きっと母さん後悔しちゃうよ」と私がその話をすると母は「やってみる」ありがとうって云ってくれました。そして次の日、実家によると母が一番に「あなたが言ったとおりにおばあさんに謝ったら、おばあさんが泣いちゃった。もうびっくりした。」「ほんとうにやってよかった。ありがとう」と話してくれました。私が母にしたことを母がまた、その母(祖母)に伝えてくれました。とってもうれしくて母と共にまた私は涙が止め処もなくでました。伝えてみて感じたことは、私はもっと母と自然に会話したかったんだと、自分自身のことを知り、そして一人ぼっちに感じているのは私の妻もいっしょなのかなと。この文章を読んだ人が、本当に大切な人のために時間をとって勇気をだして行えたら私はうれしいです。どうしても伝えたいことばがあるの大好き…愛してるんだけど、それよりもっと大好きでもホントは、ことばにできないくらい大好き風が吹いたら胸からこぼれ落ちるくらいあなたでいっぱい大好きを取っちゃったら何にもないのそのくらいあなたがスキ (佐恵)
2006.10.11
コメント(2)
自己との出会いを最も強く妨げる思考の代表格であることば、それは「許せない」という想念。この「許せない」のなかには、不満・飽きる・退屈・不安・推測・妄想・誤解・戒律・葛藤・罪悪感が生まれ「責める心」や「裁く心」や「ねたみ」「憎しみ」「恨み」等を産み出す。人は人生の様々な体験の中で「許せない」相手を持ち続けているので自分自身を許せることが出来なくなっている。そこで、「許せない」感情を解きほぐすために一番の効果は古くから「感謝」だといわれてきた。それも一番身近な親や配偶者だ。これは、それを実践された30代後半男性の方の体験談です。9月25日こんばんわ 今日はスカイブにてお世話になりました。早速今日はプログラムの話しを読み"母に対して許せないこと"をパソコンで打ち込んでいっています。 母を恐怖の対象としてみていたこと、そしてたたかれないようにしかられないように、おびえて生きていた小さいころの私の姿が浮かび上がる、と同時に母は、自分の顔色ばかりみておびえている私との中でずっと、気持ち的に一人ぼっちだったんだなあとその痛々しさを知りました。 母にしっかり受け応えることをしなかったことは、母を一人ぼっちにさせていたということと知り、そしてただ聞いていただけで、私は身を守っていたということがわかりました。 その代わり、母の気持ちは、ずっと一人でした。9月26日おはようございます。 今日も感謝プログラム母に感謝できることをパソコンに改めて打ち込みました。 以前行ったときより、もっと具体的になって、より気持ちが湧き上がってきました。以前はプログラムをこなすことで人間関係がうまくいくと思っていたようです。 御話されていた表面的なところとちょっと違いがでているのがよくわかります。答案用紙の正解をかくのではなく、素直に自分の気持ちを書きたいことを書いている気がします。なによりも、その分気持ちも自然に沸き起こります。それは静かに涙と共に湧き上がるという感じです。明日へ続く・・・
2006.10.10
コメント(0)

十五夜の風情山葡萄あけび
2006.10.08
コメント(0)
どれ選んだらよいのか?やっぱり、生きるって、並大抵のことじゃないんです。「必要なのは勇気」「必要なのは情熱」「必要なのは決断」「必要なのは覚悟」「必要なのは理念」「必要なのは目的」「必要なのは目標」「必要なのはミッション」「必要なのはビヨン」「必要なのは出会い」「必要なのは神」「必要なのは自然」「必要なのは癒し」「必要なのは笑顔」「必要なのは分かち合い」「必要なのは感謝」「必要なのは愛」「必要なのは優しさ」最後の最後には「生まれてきた自分に感謝」と思うようになるのだったら、 他の人のために自分が出来ることを少しでも探し出し、自己が出来た体験を喜び感じ入り、生きようよ。だったら、焦る必要なんてない。ぼーっとしてていい。人と比べなくたっていい。のんびりしてていいよ。
2006.10.06
コメント(2)

これは木の料理人さんの山櫻をお分けしていただいた櫻で現物はもっとあでやかな桜色をしいます。皆さんに応援していただいたクローン病の方の作です。Soul Essenceを良く聞きながら削り合わせられたそうです。各人の個性が出た良く櫻小枝シリーズ
2006.09.28
コメント(9)
昨日より関西より来塾されたインド古典舞踊研究化の方と祈りの形の形成に取り掛かる。この方はインドで古典舞踊を15年間指導を受けられた方でした。舞踊を一通りお見せいただくと中国拳法の形と同じものが多くありこれって、拳法の型と同じだねとつい言ってしまうぐらい似ていた。時間が2日だけしかなかったので、始めの祈りの型だけを中心に分析し練習に取り掛かる。最初の地面を蹴るこれは何を意味しているのだろう?胸から手を広げるこのポーズは、前に伸ばし捧げたこの手のひらには何が乗っているのだろうか?頭上に伸ばし合掌された手は何を意味しているのだろうか?蹲踞の姿勢で目を洗い、額を洗い、頭部洗い流しているが、何で洗い流しているのだろうか?蹲踞の姿勢から立ち上がり、一歩足を引き感謝するが何を受け取っただろうか?これらの型一つづつカタチづくって行くと地の神と天の神の共振が起こり、ヨガで言えばクンダリーニが神道で言えば鎮魂が発生するように出来ていた。研究科のA子さんが地の神への愛拶を理解し踊っていただくと足につけていた鈴の音から雑音が消えて、意識と肉体が一体となった音へと変化して踊り空間がまったく変化していかれた。
2006.09.26
コメント(4)

千葉のパープルハートさんからの嬉しいメールが届きました。櫻第二号ができました。もう最高にいい感じです!ちなみに第一号はこちらちょうど下の節のところにアルファベットの「T」のような、はたまた十字架のような模様(割れ目)が出ていました。原初の情報を読み取ろうとぼんやり眺めていると「秘めたるもの」「あたたかな慈悲」が何となく浮かびます。どちらも確かに女姓的です。ワンドで広げよう輪の世界!!
2006.09.24
コメント(2)

一位の木は、私を後ろから強く押し、櫻が前へ前へと優しくひきよせるように手を引いてくれます。「感じ」「知っている」「在る」「許す」の中の「許す」にものすごく反応しています。神の御業の成就に感謝知っている・ありがとうございます・折り符・目・優しさ・きびしさ・称える・育むから湧いてくる 「愛」 であることが一位と櫻を通してはっきりとわかりました。それを今受け入れることに感謝。次のステップとして自分の中から湧いてくる愛を自分の中に入ることを許すそれができたときにこの世のものとは思えないくらい美しい桜が咲き光を放ちその光が自分であることがはっきりと映像として出てきます。 神が私の中で働き給うことに感謝 櫻と一位は、私のテーマとする「愛」にかかせない重要なツールのようです メールを何度も何度も打ち直しながらだんだんと浮ついた気持がなくなり、 神性というコトバが浮かんできました。 すべては一位の木のおかげです。 有難う御座います。 神の豊かさに感謝一位作成前一位作成後
2006.09.22
コメント(3)
明日から・明日から・明日から・明日から・明日から・明日から・明日からを7回言ってたら一週間経ってしまった。来週から来週から来週から来週から4回言ってたら1ヵ月経ってしまった。来月から・来月から・来月から・来月から・来月から・来月から・来月から・来月から・来月から・来月から・来月から・来月から を12回言っているうちに1年に経ってしまった。来年から・来年から・来年から・来年から・来年から・来年から来年から・来年から・来年から・来年から・来年から・来年から を言っているうちにもう後がなかった。
2006.09.21
コメント(2)

昨日は仲間達と朝9時からワンド制作に入った。一位の木とは別に松風さんにお借りした神代 栗 真っ黒です炭に近い感じです。神代 栃 グレーと、木の照り(輝き)が美しいです。神代 欅 オリーブグリーン、磨くとごろっと変ります。黒柿 ご存知、入手困難な材のひとつです。エンジュ 当て字で、延寿 本当は、木へんに、鬼ですスモモ、 先日のスモモ姫の、兄弟です、の中から選んで頂いた。すると、神代 栃と神代 欅が選ばれた。神代 栃を選んだ男性は鳥肌が立ち涙が出るというではないか。これも、樹木達がもつ情報なのか?次の男性も神代 欅を選び手に持った瞬間何か香りがする感じだという。黒柿を松風さんが作成エンジュを共振された男性は木が硬く削りの方向性が難しかったので女姓人と同じ北海道産のイチイに急遽イチイに入られた。神代物を誰が選ぶだろうと興味津々ではあったが無事共振する方が出て嬉しいかぎりである。良かった、よかった一日ワンド作成をしてみて思うにF氏のワンドの素晴らしさを改めて知ることでした。Fさん素晴らしいワンドありがとうございます。
2006.09.19
コメント(13)

昨日より木の料理人さんより分けていただいた木を使い一位組み、櫻組み、桃組み、銀杏組みさんとワンド制作に入る。Tedさんより頂いた一位は板目肌の北海道産によく似ていた。今回作成した一位は岐阜産だそうだ。柾目のよく出た木で柔らかく削りやすい木ではあるが、一.二箇所逆毛が出る所があり優しく丁寧に扱わずには削れなかった。木の料理人さんほんとうにありがとう御座いました。善き御柱が仲間達と共に立ちつつあります。
2006.09.17
コメント(6)
顔施バリエーション1.口元がやや上がるが、歯はまだ見えないほどの笑い微笑み2.小鼻が少し動き歯が少し見えるくらい小鼻笑い3.クゥクゥクと息が漏れる程の忍び笑い4.ハハハと声がでる笑い5.繰り返しの笑い中笑い6.身体全体で笑う大笑い7.狂ったように笑う狂笑1.2.3がうまくできる人は4.5.6が大体においてうまく出来なく、4.5.6がうまくできる人は1.2.3がうまく出来ないですね。毎朝鏡で挑戦してみてください。何かが変わるかも!!
2006.09.15
コメント(4)

仏陀は「顔施」ということを言っている。インドの石窟寺院に彫られている仏陀の石仏は斜め45度ぐらいの位置から見ると修行中の顔斜め15度ぐらいの位置から見ると瞑想中の顔真正面から見ると微笑んでいる顔で刻まれていた。顔で施す?!ニコニコした笑顔、それだけで、周りの人も笑顔にさせてしまう力がある。なので、ニコニコしてるだけで徳をつむことができる法則だそうだ。そこで顔で施すと人が寄る、人が寄るから和わい、和み、和らぎ他の人々に愛される。
2006.09.14
コメント(4)

先週禊に行った日本三大砂丘の一つである吹き上げ浜(東シナ海)今日禊に行った開門岳が眼前に見え波が高くサーファーが集まる前の浜(太平洋)禊といっても泳がず浮かばずという状態で海水と体液との交流をはかっているだけであるが泳げるものにとってはこれが中々出来ない。まずは、ドザエモン(死人)状態を求めその状態でプカプカ浮かび海流に任せ波に任せ決して泳がないようにする。(遠くまで流されてしまうので見てもらっている人が必要)これがうまく出来るようになったら、次に体内に残っている空気を全部吐き出すつもりで吐き切ってもらう。するとどうなるか。吐き切ったぶんだけその人の持つ情報のぶんだけ神秘な体験をなさるんですね。海の持つ情報忘れた記憶を『シオキヨメモウソウ』という言霊があるがシオの清めと忘れた記憶を思い出すには早いようですね。ただ、今回の参加者も言っていましたが東シナ海と太平洋では和みに違いがある。
2006.09.11
コメント(0)
全220件 (220件中 1-50件目)

![]()
