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ハルピンの夜は思ったほど寒くありませんでした。だいたいマイナス10℃ぐらいてした。夕食は写真にあるように羊と牛のしゃぶしゃぶで、ごまだれと醤油だれでいただきました。野菜も各種ありました。味はまあまあで、野菜のほうが肉よりもおいしかったです。街でロシア正教の教会を見かけました。川の厚い氷を削って、組み立ててつくった芸術的作品が街のいたるところにあり、ロマンチックな感じがありましたが、雪がほとんどないので、ちょっとがっかりでした。シャローム
2007.01.16
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私は今成田空港のラウンジでこれを書いている。聖書の素晴らしさに触れて感動してこれを書いています。某牧師先生が聖書を500回通読されたと聞いて驚いています。500回通読したらどんな状態になるか創造できません。神の御言葉が身体から溢れでるのではないか、自分が、喜んでいる時も、悲しんでいる時も、主が最善の御言葉を思い起こさせると思います。ある兄弟が自分が良くない状態にある時に、神様の言葉で自分に言い聞かせると言っていました。愛する○○○よ、お前は今そのような状態にあるが、私はこれこれこういう風にお前に行動してほしいのだ。そうすればこれこれこのようなことになり、それはわたしが望むことに叶うことになるのだ。これは素晴らしいことですね、神様とのコミニュケーションです。聖書の言葉は生きております。枯れて、死んだ人間を行き返させることができます。ようし、聖書を読むぞう。
2007.01.15
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クリスマス全知全能の神が、愛する御子をこの世に送ってくださった日です。罪に汚れ、炉に投げ捨てられるべき人間のために、神の側から救いの手を差し伸べてくださいました。このようなことがあってよいのでしょうか。これほどの愛があるのでしょうか。今日は、クリスマスイブ、二人の兄弟が救われました。一人は70歳、もうひとりは小4の男の子です。なんとすばらしいことでしょうか。神様ありかどうございます。日本人1億3千万の人がまだ救われておりません。神様一人も見捨てずに救ってください。お願いします。神に栄光あれ!
2006.12.24
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今日は信仰の友の詩を載せます。福田兄弟の詩、つらいとき かなしいときたしかにきこえる (しーん)というおとあれはきっと イエスさまのささやきこころぼそさにふるえているまくらのしたから きこえてくる・・・あなたはわたしのうでのなかあんしんしなさいあんしんしなさい私の詩孤独よさようならお前に未練はない孤独よさようならもう僕のところにこないでくれ孤独よさようなら僕にはイエス様と全知全能の神様がついているんだからねシャローム私の俳句シズケサヤ レイハイドウデ ブログカクそれでは皆さんに神様の祝福があるように
2006.11.12
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今、教会の礼拝後に礼拝堂で独りこの記事を書いています。人間はいろいろなことで思い煩っております。思い煩いは非生産的で、何の役にもたちませんがどうして我々人間は思い煩うのでしょうか。神様から離れるとそうなるのでしょうね。説教で示されたとおり、神様に与えられた使命を主に祈り、感謝し、喜んでひたすら着実に成し遂げて行きたいとおもいます。最後に一句、 ダリア花 礼拝堂で 咲き誇るお粗末!シャローム
2006.10.15
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礼拝は神様がご臨在される場でありまので、謹んで臨む心構えでおります。礼拝のすべてのプログラムに対して真剣になります。遅刻、私語はもってのほかです。賛美は可能な限り大きな声でうたいます。説教は、主の言葉を極力残したい一心で速記のように、コンピュータにインプットします。まさに真剣勝負そのものです。主の前に自分の罪を告白し、主の十字架の死により、自分の罪があがなわれていることを確認し、主の復活の恵みにより、自分も主とともに新しい命を生きている喜びを与えられます。説教は、神が語る言葉です。私たちにとっては命であります。その命をいただき、それが自分の中に生き続けるというか、私たちが主を生きるのであります。まさに礼拝は罪の告白、罪の赦し、主にある喜び、主の言葉=命の受領、主の言葉=命を生きるという一連の運動の完成であると思います。
2006.10.05
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ハレルヤ!「試練を耐え忍ぶ人は幸いです」なぜ耐え忍ぶ必要があるのでしょうか。それは神様の御旨が示されるのを待つためです。私たち人間は、罪を犯す存在であり、善を行うことはできない。従って、ひたすら祈り、神様が助けてくださるのを待つしかありません。歴史上、そのようにされた人間はいるでしょうか。おります。私たちの罪を取り除いてくださった主イエス・キリストです。最後の最後まで神様に従い続けました。その事により、神様から最高の祝福を受けられたのです。そのほか、アブラハム、ダビデ、ノア、ヨセフ名前を挙げたら明日の朝までかかるでしょう。みなさん、主イエス・キリストを信じれば喜びで満ち溢れます。生きることが楽しくなります。明日早天祈祷会で待っています。参加したい人は返事をください。シャロームp.s.一句 耐え忍び 初めて分かる 主の愛お粗末。
2006.09.25
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情熱の夏が終わり、思索の秋がやってきた。季節の移り変りはなんと心地よいのだろう。今日、早天祈祷会で与えられた御言葉は、「イエスもまた、ご自分の血で民を聖なる者とするために、門の外で苦難に遭われたのである。」です。それほどまでにわたしたちを愛してくださった、そして今もともにいて愛してくださるイエス様に、従い続けます。一句秋雨の しとしとふりつ われおもう お粗末
2006.09.13
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イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのないお方です。なんとすばらしいことでしょう。わたしたちをご自分を犠牲にして救ってくださった方。わたし達の命の恩人です。十字架で死に、3日目に復活された後も、弟子たちを心配し、導いてくださったイエス様。イエス様、わたしもイエス様にしたがって歩みます。こんな塵のようなやぶれだらけのものですが、従って行きます。一句、初秋 永久に変わらぬ イエスさま
2006.09.12
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毎朝6時から6:45までキリスト教の教会の早天祈祷会で聖書を読み、祈り合うことを約2年間続けています。今日の聖書の箇所はヘブライ人への手紙13章6-7節でした。「主はわたしの助けて。わたしは恐れない。人はわたしに何ができるだろう。」なんと勇ましい言葉でしょう。無から有を創造された、全宇宙を創造された主なる神さまがこのわたしとともにいて導いてくださる、わたしが苦難に会う時は助けてくださる。これ以上のものはありません。どのようにすれば、この恵みに預かれるでしょうか。簡単です。ご自分の命を神に捧げ、わたしたちの罪を帳消しにしてくださった主イエスキリストを信じることです。わたしはこの真実な方に従って歩んでいきます。アーメン。
2006.09.11
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終戦当時、中国の山西省にいた陸軍第一軍の将兵59000人のうち約2600人が、ポツダム宣言に違反して武装解除を受けることなく中国民党系の軍閥に合流。戦後なお4年間共産党軍と戦い約550人が戦死、700人以上が捕虜となった。以上は映画パンフの文章より。この映画はドキュメントです。この映画の主人公は奥村和一(わいち)さん、国の責任追求するも、国は兵士自ら残留を希望したとして国の責任はないものとしている。最高裁は上告を棄却しまして兵士たちの希望残留ではけっしてないことが、いろいろな機密文書で明からなっています。常識的に考えて、戦争が終わりながらも兵士の意思で約2600人もの兵士が戦地に残量し、あえて戦おうすることはないと思います。みなさん、もっともっと日本現代史の史実、事実を正確に把握しましょう。
2006.09.09
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