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クリント・イーストウッチ-

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2006.11.27
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カテゴリ: 仏の心

最近学校の話題はいじめ問題ばかりがクローズアップされて、明るい話題が一つも無い。

新聞でも、教師の経験者が出てきてあーだ、こーだと同じ事の繰り返しを捏ね回すばかりである。

確かに、いじめは何処の社会にも存在するのが事実であり、また、いじめと気付かないいじめも存在するのである。

いじめがなぜ起きるかと言う事を論ずるより、いじめはあるものだと規定して議論を展開すれば、いじめをなくす事を考えるより、如何にしていじめに屈しない人間を育てて行くかが大事だと言う事が見えてくる。

近頃の学校では日常生活を通じて哲学を学ぶ機会が無くなってきているようで、人間の何たるかを知らしめる人間(教師や役人)達が無学の徒(学問の何たるかを知らぬ人間)になってしまっている今日では、それを望むべくもない。

所詮人間も獣が進化した一種の動物でしかない事を考え合せれば、人間自体に大きな期待を寄せるのは、それこそが大きな過ちと言わざるを得ない。

弱肉強食を現に認めた日本国民であるからこそ、いじめのような問題は起こって当り前と思わなければならない事を自覚せねばならないのに、何時まで経っても平和ボケ日本人でおいそれ生きてゆけると思うのは、それこそが罪である。

愚かで、パープリンな大人達しかいなくなった日本の国で子供達が生きていくのは、サバイバルに等しく、今後この状況が打開される事は殆ど絶望的である。

余りにも生きると言う事が簡単に考えられているからこそ、死ぬと言う事が軽んぜられているのであって、生きるとは、人間とは、宇宙とは、存在とは、自覚とはそれぞれ何なのかしっかり考えてみる、考える事が出来る人間を育てなければ人の命など大事に出来ようはずがない。

いじめに屈しないとは、地球上で起こる人為的な事象など如何に取るに足らない事なのかという事を知る事である。

"押さば引け、引かば押せ"こそが極意であり、風に身を任す柳のようにとは正に、この事を言うのである。

どんないじめっ子も一人では生きては行けないのであって、むしろ社会的弱者こそがいじめっ子になる確率が高いのではないだろうか・・・?

愚鈍な大人達よ、今一度我に立ち返って我が身を見つめ直してみたまえ、思い描いていた君達の未来社会はこんなにも殺伐とした夢の無い世界だったのか・・・?

再度、自分の子供達に、こんな辛い重い荷物を背負わして人生を送らせるつもりなのか、一度よくよく考えてみないと大変な事にな・り・ま・す・よ・・・?






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Last updated  2006.11.27 16:35:32
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