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クリント・イーストウッチ-

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2006.12.20
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カテゴリ: 仏の心

いよいよ年の瀬も押し詰まり皆様にはこの1年どのようにお過ごしなされましたでしょうか・・・?

何かと人間性の問われる事件の多かったこの1年でありましたが、人間そして動物である以上致し方の無い世情ではありました。

古代より人間の存在そのものが善であるのか悪であるのかなどと賢き人々は考え苦しみ懊悩してきたようですが、最早、現代に至っては考察するに値わない程に人間は堕落してしまったようです。

誰が考えても当り前(道理)と思える発言を正論と言いますが、今日正論などと言うものは公衆電話のように役に立たない物として何処かへ追いやられてしまったようです。

兎に角ずる賢く立ち回って、人の弱みに付け込んで、人心の隙を伺いながら成り上がり、果ては人心を欺き、嘘の公約ばかりを並べ立て庶民生活を台無しにする輩ばかりが闊歩する世の中となってしまいました。

人間は考える葦であるなどと古の哲学者は申しておりますが、この国に今や哲学などというものは遺物となってしまったようです。

言葉も学ばず、デジタルな算数ばかりを学ぶ事が果たしてアイデンテティなどと言う高尚な自我を確立する上で何の役に立つと言うのでしょうか・・・?

人間は、生身だからこそ、神にもなれば仏にもなり、またある時には動物にも獣にもなる、という混沌とした矛盾を抱えているからこそ面白いのであり、零か一かと言うような平面で表される程単純な生き物ではないのである。

時代が進み、市民生活も豊かになった今、それでも大多数の原則を守り貫こうとする、これは大きな間違いである。

人間は個性豊かな生き物であり、誰一人として同じという事は有り得ないのである。

一人一人の事情を聞いていたら膨大な手間と費用が掛かるから十把一絡げで対処すると言うのは国家権力の横暴ではないのか・・・?

生活が豊かになり、時間やゆとりが出来、ゆったりとした人生を送るために犠牲にしてきた人生は一体何だったのか、それこそ、延び放題の雑草を掃討し必要な作物に万遍なく水や肥料や光が行き渡るようにしていく事こそ 本来の目的だったのではないのか・・・・?

そろそろゆとりある生活とはどんなものなのか真剣に考えてみませんか・・・!!!






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Last updated  2006.12.20 11:35:50
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