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自分の周囲では女優吉高由里子の評価がまっぷたつである。たしかに今の吉高では連続ドラマの主演はちと荷が重すぎるか。自分からすると 時間をかけてというかもっと自由に役づくりをさせてやりたかったような感じはするのだが。「重力ピエロ」で吉高のやった役は面白かった。イズミは着々と計画を進行中だったが、バーの店内で彼の前に姿を現した謎の美女(吉高)に秘密を見られたと感じた。二度目に姿を現した彼女をレストランの外で捕まえて問い詰める。そこで彼女の意外な正体が明らかにされる。オドオドして挙動不審な感じ(昔の自分のことを知っている人間に顔を見つめられるのが苦手という設定)がね、この暗い映画の中では数少ない「笑い」となって救いであった。このシーンは何回も見てしまった。このシーンのロケ地は(多く知られているとおりで)仙台市地下鉄の泉中央駅。サッカーベガルタ仙台の聖地ユアテックスタジアムの最寄り駅として有名なところ。ひょっとしてこれはもしかして「イズミが泉中央で」という語呂合わせなのか。最近ではとんとご無沙汰だが、一時期私用でこの駅は頻繁に乗り降りに利用していた。最近ではバイクでこの近くまで行ったときに通り過ぎたくらい。以前ちょいと別のブログで書いたことなのだけれども「自分がベガルタの試合が見に行きにくい理由」というものがあってこの駅をベガルタの試合を見るために最後に利用したのは都並監督時代の2005年ともう5年も前に遡ることになる。そのころに撮った写真がこれである。「何故そこまで知っている」といいたくなるくらいの情報通で、ハル(岡田将生)の鬱屈した心の中というものを見抜き、ズバリと言い当ててしまう謎の美女。バックになっているルーブルもどきのガラスのパビリオン(地下鉄の出入り口である)の効果があってシーンとしてとても面白いものになっている。友だちだったか仕事の同僚だったかが吉高のことを指して「残念な子だね」みたいに言ったときはちょっと反感があってつい弁護調になってしまったことがある。主演ドラマの出来というかつくりはまあ褒められたものではないかもしれないが、それを全て主演の吉高の責任にしてかぶせてしまうのはどうだろうか。それこそお門違いというものではないのか。自分なんかは「最大の元凶は原作の小説じゃねぇの」みたいなことを口にするからいっそうの顰蹙を買うんだけれども。
2010年11月12日
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録画したものをやっと見ることが出来た。第二話よりもさらに面白く感じた。いや別に戸田恵梨香の顔芸だけでおなかいっぱいとかそういうことではなくてですね。ストーリーとアイディアがよく生きていたからだ。毎回このレベルのクオリティを保持してくれるのならば実にありがたい。憑依による殺人というアイディアは、まあハリウッドのホラー映画にもよくあることだし、この部分をつついてみてもしかたない。しかし、最後の瀬文(加瀬亮)による「憑依先からは遠くは離れられない」という説明では矛盾が生じることにもなる。「じゃ最初の憑依はどうやったんだ?ガソリンスタンドの店員や巡査や学校校長にはどうやって?」という疑問が出てしまうからだ。最初は「ずいぶんとイージーなところで手を抜いてんなぁ」と思ったが違っていた。録画したものをよーくと見てみると、なんと警視庁の前で標的にされた林巡査がニセモノの女托鉢僧の前に立ち止ったシーン、そのすぐ後ろを殺人犯の大学助手の林が通り過ぎているのである。さらにほかのシーンを繰り返しチェックしてみると、たとえば女子校の前にもこの大学助手は出没しており、おそらくは交差点で出勤中のガソリンスタンド店員とすれ違ったのもこの大学助手なのだろう。要するにこの大学助手は常に憑依する人間のすぐそばに身をひそめていたということなのだろう。これならば、瀬文の説明と当麻(戸田恵梨香)救出の方法も間違いではないということになるわけだ。これに気づいたときには「ずいぶんと大掛かりというか細かな伏線張りをしたものだ」とヘンな感心をしてしまった。やはりネットによる情報交換であるとか録画時代にも耐えうるようなドラマを作るというのは並大抵のことではないのかもしれない。女托鉢僧(ニセモノ)を演じているのは、おおつか麗衣というスターダスト所属のタレントの人。京都の出身でこの回の方言指導も兼ねているらしい。なるほど、適材適所とはこのことか。餃子屋で城田優が口にした映画のタイトルについてだが、どうやら「コヤニスカッツィ」らしい。もう誰もこんな映画のことなんて知らないだろうに(笑)「情報は操作される」の典型的な例として映画のタイトルを出すんなら、アルゴアの「不都合な真実」でよかったのではないのか?でも、それでは今度はTBS的には拙いことになってしまうからか出せなかったのかとか深読みしてしまった。それにしても「コヤニスカッツィ」なんて古いもの持ち出してきたなぁ。この(ドキュメント)映画(のビデオ)については自分はイヤな記憶しか残ってないのだが。いろいろと調べてみたら、なんとDVDで日本語版が発売されていた。楽天でも買えるとかねぇ。これも時代だよなぁ。【セール特価】コヤニスカッツィキャスト情報 ウィキペディアに記載のない方々久保和明(ガソリンスタンドのバイク客)森富士夫(女子高の校長)山浦 栄(中山和紀教授)上山竜司(警察官)牧野ステテコ(ヘアサロンの客)三輪麻未(ヘアサロンの店員)※エンドロールでは「三輪麻美」になっているが、正しくは(芸名としては)三輪麻未。本人のブログ記事あり SPEC 04 丁の回へ関連記事SPEC 02 乙の回SPEC 01 甲の回
2010年10月24日
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シド・バレットが死んだというニュースを耳にした。聞けば、BBCの人間が病院関係者からのリークで噂を聞きつけて、遺族(たぶん母親だろう)のもとに出向いて7月上旬(7日頃)に死んだということを確認したのだそうだ。こういう報道のやり方がいいことなのかどうかということもあるがそれは置いておく。こういうロック・ミュージシャンの訃報があるたびに友だちや知り合いから次々にメールがあったりして私に感想を聞こうとするのだが、正直、なんの感慨もないことの方が多い。正直「ああ、そうなんだ・・・」くらいしか出てこないことのほうが多いのだ。さて、朝何気なくラジオを聞いていたら、DJがシド・バレットの訃報に触れたあとで「なつかしいですねー、シド・バレット、若い頃ピンク・フロイド聞いていただけに残念です。」などとコメントしていた。非常に嘘くさいコメントに感じたのは私だけではあるまい。本当に「若い頃ピンク・フロイドを聴いていた」ならこんなコメントは出まい。そう感じた。せいぜいプロレスがらみで「ONE OF THESE DAYS」を聞いていただけじゃないのかと邪推したが、案外当たりではないのかな。皆に勘違いされているようだ。私のことも、シド・バレットのことも。どうでもいいことかもしれないが、「悲しい」とか「残念だ。」などとコメントする人たちが何故か「シド・バレッド」と表記したり言ったり、死を報じるニュースのBGMにシド・バレットとは全然関係のない「ザ・ウォール」の曲を流していたりするのはどういうことなのだろう。そのことの方がずっとずっと悲しく、そして怒りを覚えている。
2006年07月13日
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それから30分が経っただろうか。まさにふらっという感じでクルマの前に大きな男の影が現れた。「おお!マツ!」と前の列の誰かが慌ててクルマのドアを開けた。マツと呼ばれた男は片手でクルマの屋根を支えにして靴を脱ぎ始める。どうやら相当なケガをしているようだった。「クルマどうした?」と聞くとマツは「流された、たぶん」とポツリと言った。マツのいうことでは、多賀城の明月というところで津波に追いつかれてあとはクルマを乗り捨てて走って逃げたが、波が膝あたりまできたときに激しい痛みと水圧に耐え切れず転倒してそのまま四つんばいの姿勢のまま波に攫われたのだという。「よく助かったな」というと、マツは「うん…まあな」というと何かをこらえるようにただ黙りこくった。マツは不思議なことを口にした。クルマで津波から逃走中渋滞に捕まっていたときに携帯の電話が掛かってきて出てみるとそれがこの自分からだったというのだ。しかし自分はそのころマツと携帯で電話などしていない。マツは「かまたさんが『いいからクルマ捨ててすぐ走って逃げろ!』」っていってくれたから踏ん切りがついてクルマ出られた」というのだが…
2012年04月10日
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いまさらながらだが。レコーダーに録画してあったのを見た。正直言ってなんの役にも、ためにもならない番組であった。そもそもこういう問題を政治の世界に矮小化して「政府の対応策がどうした」とか追求してみてもなんの解決にもなりはしない。特に「ヤダな」と感じたのは民主党の蓮ほう(漢字が出てこない)議員の態度だった。人が発言している最中にそれを遮って話し始めるくせに、逆に自分の発言を誰かに遮られると「人が喋っているのに!」と睨みつける、発言を止めさせる。あるいはそれをまったく注意しない司会者。それこそ、これが「いじめ」の構図そのものなんだが。ああ、この人たちがテレビでこうして何の反省もなく喋っているうちは、絶対にいじめの根源は絶対になくならないな」と感じた。議論のルールもへったくれも感じさせないぐだぐだの番組進行がすでに一種の「学級崩壊」状態なんだが。あいかわらずだが、田原聡一郎の恣意的な司会ぶりばかりが目に付く。なんていうのだろう、田原の書いた「本」を読まされているような気がするのだ。どうせなら、日教組の人と校長歴二十年という人との一騎打ちを見たかったのだが、何故か田原は「今の議論に日教組は関係ない」とその議論を止めさせてしまった。誰かが喋っていると「つまらないから」と勝手に発言を止めさせて、勝手に別の人間に発言を促す。何故そうするかというと「話題が自分の思った方向に進まないからイライラする(某番組での発言)」から、という傍若無人ぶりがいかんなく発揮された場面であった。そあいう意味で、「いじめ」というのは何処の世界でもあるなぁ、ということをシミジミと感じさせてくれた番組であった。今のイジメの問題と日教組がまったく関係がないわけがないのだが。自分の体験で言わせて貰うが。
2006年11月26日
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パソコンが動かなくなってます。ブートが狂ったか。電源を入れるといきなりDVDROMドライブが回り始めます。しかたがないのでBIOSの設定から見直ししたのですがちっとも進展せず。まあ、めちゃ古いパソコンなんでしかたないんだけど…でそのパソコンの写真を公開。遺影みたいなもんか。笑
2006年12月03日
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In Mysterious Ways Oh let me walk againAll through the blaze of early JuneInto fields all sparkling bright with dewCame to meet you 'cos you called meSo I put down my coat and caseAs we stand here finally face to faceI've got to laugh at the way that fortune's graceDefeats my reason with its wonderAnd your loveShines freeMoves meIn mysterious waysIn such mysterious waysIn mysterious waysAnd I findThat I just can't look away from youAnd I'm gladThat at last I begin to seeJust how you move through everythingYou make my whole world singJohn Foxx ジョン・フォックス / In Mysterious Ways 輸入盤 【CD】
2010年11月28日
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二月二日の記事の続きそのあと、自分はこの映画を三度、つまり計四度も映画館で見た。同じ映画を四回も映画館で見たのは、自分が記憶する中でいえばキアヌ・リーヴスの「スピード」(当然第一作のほう)以来だ。もっとも、スピードの場合は試写招待券があったりで厳密に言うと四度見たにはあたらないだろう。しかし、自分はこのゴールデンスランバーを全部自腹で四回見たのだ。中村監督、誉めてくださいな。まあそれで、最初一回見ただけではわからなかったところや、自分が勘違いしていた個所もあったので追加と訂正を加えておくとする。やはり冒頭のシーンはラストシーンで(も)あった。エレベータ内の四人の立ち位置や着ているもの、すべてをチェックして出した結論になる。あれは、まったく同じシーンを、カメラの位置を換えて、変身後の青柳が(突然乗り込んできた樋口親子に気がついて)思わず背を向けたというのを、冒頭と、そしてラストで今度は説明調で見せていたのだ。当然、樋口晴子(竹内結子)はエレベータですぐにそこにいたのが青柳だと気がついていたということになる。i-podごときで弾丸を受け止められるものかというギモンに対する一考察結論からいうと、まったく不可能というのでもなさそう。というのも、逃亡中の青柳が着ていたのが本革製のライダージャケットだったからだ。この相乗効果があれば、真上から撃ち込まれたサイレンサー付の拳銃から放たれた弾丸ならば防げたとしても決して絵空事にはならないようだ。まあ「幸運」であることには違いないが。おそらくは、脚本段階でここに関する討議は相当にされていたのだろうと思う。また、保土ヶ谷(柄本明)が電話で伝えていた「蓋に細工」というのはやはりマンホールのことだった。実際、青柳が撃たれたあとに取り出して見たi-podの裏側にはなんの細工もされておらずにappleのロゴとマークがしっかりと映し出されていたのが見て取れた。黄色いカローラに関するくだりについて寄せられたメールの中でも一番多かったのが(原作の設定を含めてということになるが)10年近く(8年以上ということだが)野ざらしのままだったあのクルマがバッテリーを交換しただけで走れるようになるものか?いくらなんでも無茶すぎないか?というものだった。確かにそう。まあバッテリーが動くというか電気系統が無事だったとか通電できたとしても、スパークプラグとかキャブの具合だとか乗り越えなければならない関門は多い。でないと10年近くも死んだままのクルマのエンジンは動いてはくれないものだろう。逆にいえば、あのクルマの真の持ち主が何故あんな場所にクルマを乗り捨てしなければならなかったのかを考えると、「バッテリー故障」だからとかではなくて、なにか別の事情があってあの場所に捨てなければならなかったと考えたほうがよさそう。つまり売りたくても売りに出せない事情があって、あるいは転居であるとか、あるいは駐車場が確保できずにあの場所に置いていただけだったのが取りにこれなくなったとかそういうことではなかったのか。もうひとつの疑問の残されていたガソリン量も、ほぼタンク満タンの状態だったとすれば、あのくらいの走行距離ならば無茶というのでもない。これは二度目に見に行ったときのことなのだが、一緒に見に行った人間がこれにはすぐに気づいたようだった。車が乗り捨てられていた場所というのが実は某私立大学のキャンパスのすぐそばで、青柳ら4人はここの卒業生という設定。ようするに、このクルマを乗り捨てた持ち主もこの大学の学生だった可能性がやたら高い。だからカズ(劇団ひとり)もこの黄色いカローラを無断でホテル代わりに使っても問題にならないことを知っていたのだろうし、決して壊れているのではないこともわかっていて青柳にこの黄色いカローラのことを教えたのだろう。 それにしても、見るたびにこの映画に引き込まれてしまうのは、決して原作がよく出来ているからだとか、役者がそろっているからだとか、あるいは脚本が巧みだからといったような理由だけではない。なんというのだろうか。あー、脚本(ストーリー)を生かすために画面のあちこちにちりばめられた仕掛けというのかなんというのか、細かな描写というものが映画の後半になって生きてくるようになっているのに気づかされるからだ。たとえば、爆破した森田(吉岡秀隆)の自動車(内でのふたりのやりとり)だが、青柳に飲ませるために用意した睡眠薬入りのミネラルウォーターのペットボトルが助手席のシートの後ろのボトルホルダー(100ショップで売っているようなちゃっちいもの!)に差してあったのを、森田がワンアクションで青柳に手渡すのは、それがどうみても予め用意されていたということを示唆しているわけだし、それに気づかずになんの疑いも抱かずにのんでしまう青柳の人間性というものが、あとでキルオにも睡眠薬入りのカップヌードルを食べさせられるところに繋がる・・・、という具合にだ。アパートでの青柳との差し向かいの会話のあと、キルオにどこかしら森田が登場したときと同様の「死の影」というものがちらつくのも、この青柳に眠り薬入りのものを口にさせたという共通項があるからだろう。上でもちょっと書いてしまったが、この映画四回見に行ってそのうちの二度はいわゆるカップルで映画鑑賞になった。これもだいぶ前に書いたことだけれども、そもそも自分は「ふたりで映画を見る」というのがとても苦手な人間である。よほどのことでもない限り(女性と)ふたり連れで映画をということはやらない。その「よほどのこと」というのが男ひとりで見るのには憚られたアニメ映画であるとか、いわゆる女性向け映画を見るようなときに限られた。逆にいえば、宮崎アニメであるとかエヴァンゲリオンの劇場版はほとんど女の子であるとか女の人をダシにして見に行っていたということにもなるのだけれど。では何故自分は今回カップルで映画をみるようなマネをしたのかというと、(まあ向こうもまたこの映画を見たがっていたという前提ありで)男女のカップルで見にゆくと料金が安くなるからという非常に邪(よこし)まな理由だったりする。それにしても結構な夕方とはいえ、水曜日という平日だというのに、この映画はともかくもこのシネコンはぎっしり満員になっていた。そういうものなのか。まあ大方のカップル客はアバターとかオーシャズのようなスクリーンに吸い込まれていった。おそらく自分はこんな満員状態のスクリーンだったならば避けたに違いない。それだけは断言する。断言するような大層なことでもないんだけどね。
2010年02月20日
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Stars On Fire Give me a drink and I'll remember youAh, blow me a shadow from that smileRoses are blooming down all the avenuesLooks like I came home just in timeAnd all the leaves go tumbling downThere's a big yellow moonshining all over the twonAnd we walked by the riverAs you laughed and you pulled me aroundAnd all the starsWere on fireOh you were so perfectly originalYou never gave chapter or a verseAnd I'll always love you for your miraclesNever for betterOr for worseAnd all the leaves go tumbling downThere's a big yellow moonshining all over the twonAnd we walked by the riverAs you laughed and you pulled me aroundAnd all the starsWere on fireOh the night was so magnificentI just had to be with you awhileAnd all the world was wild and innocentAnd I felt like I was lovedAnd all the leaves go tumbling downThere's a big yellow moonshining all over the twonAnd we walked by the riverAs you laughed and you pulled me aroundAnd all the starsAll the starsAll the starsWere on fire…John Foxx ジョン・フォックス / In Mysterious Ways 輸入盤 【CD】1985年ころ仙台市内を小松島から安養寺そして高松と引越しを繰り返していた頃に何故かよく聞いていたアルバムの一枚。
2010年11月28日
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ダン野村氏の事務所からの告知http://www.plus-blog.sportsnavi.com/kdn-agency/ 「2006年楽天でプレーしたライアン・グリン選手が、12月2日に公示される楽天の保留選手名簿を外れ、自由契約になることになりました。既に一部で交渉が難航しているとの報道も出ていますが、結果は出ています。近いうちにきちんとした記事で論述したいと思っています。」歯切れの悪いコメントだったのでもしかしたら、という疑念はあったのだが・・・ライアンにとってのプライオマリー(優先順位)はあくまでメジャーが上ということか。こういうケースってよくある。これも(日米間)できっちりと話し合ってゆかなければならない事案のひとつだろう。
2006年11月29日
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自分はその女性のことは直接には知らなかった。ただ、さっき自分のPHSに電話をかけてきた男の口から、支払いのことであるいはなにかしら事務的なことなどで窓口になっているのが、30前後の既婚の女性であることをうっすらと記憶している程度だった。タカと呼ばれた男の口から、ついさきほどその不在の男から携帯電話が繋がり、彼がこれからこちらの駐車場に向かうというので、それまで国道45号線から少し入ったところ道端でクルマを止めてこれからどうしようか思案していたのだが決心がついてこちらに来たのだという。要するに、タカと呼ばれた男が行動をともにしていたもう一台のクルマにひとりで乗っていたのが不在の男その人だったということだ。「それにしても上手く繋がったねぇ」みたいにこちらの誰かが言うと「んだがら。びっくりしたよ!突然繋がってさ、またつうじねぐなったっのっしゃ!」と当時の状況を思い出し思い出ししながら答えた。そしてそれはさっき自分が体験した不在の男との携帯(PHS)での通話状態そのままだった。「だめなんだべねぇ電波とか電源とか全部」と言いかけてから、こちらを見ると「こっちかまたさんっていうんだけど…この人、PHSも持ってて…さっき◎◎◎(不在の男)から電話あったのっしゃ」タカという男はこちらを見て「ああ、あなたがかまたさんなのね、ブログで有名な…」と言いかけて、しまったというような顔になった。あるいはこちらがその話題だけは今ここでは止めてほしいという顔になっていたからかもしれない。
2012年03月16日
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ここにきてこの大河ドラマ「平清盛」の評判がガタ落ちである。史実と比べてどうしたとかそういうことではなくて、ドラマとしてこの作りはどうなのよ的な、簡単に言うと「つまんないね」という感想が増えてきているという。まあ自分もそう思う。たしかに先週の第五回はちとひどかった。で今回の第六回目「西海の海賊王」が挽回したかというと…これが実に難しい。番組開始前からチラチラと言われてたことだがこれではまるで「ワンピース」か「パイレーツ・オブ・カリビアン」の質のよくない亜流ドラマだろう。 いいのかこれで。これを喜ぶ大河ファンはまずいないだろうし新規客だって食いついてはこないだろう。まあ自分なんかは「どんなつまらないドラマ」でもそこに潜んでいる面白さを見つけ出して楽しむことのできるかなり腐りかけたドラマウォッチャーとしての自覚があるので(自慢しているわけではないよ念のため)それでもなんとなく見てしまったが。[追記]自分がこの「大河ドラマ『平清盛』」で一点評価できるところがあるとすると、それは平氏とともにこの時代、武家社会の礎を築いた源氏側がどうだったのかを割りと多めに描写していることだろう。最近のゆとり教育のせいなのだろうか「頼朝・義経の父」としてのみ日本史の中で扱われがちな源義朝であるが、この源義朝の生涯をよく調べてみると、実にドラマチックというのか数奇というのか不思議なところがいくつもあるのを知るだろう。これも自分なんかは「おそらく後世の捏造も交じっているからじゃないの」と考えている。何が言いたいかというと、我々が学校の歴史の授業で「史実」と教えられてきて勝手に事実だと思い込んでいる出来事や人物も元を辿ればやっぱ「フィクションに過ぎなかった」ということが多いんじゃないのかなということ。その源義朝を演じている玉木宏の今回の演技について言えば、悪いが、90点はつけてもいいくらいだった。つまり松山ケンイチが気の毒なくらいだという意味。最近ではデジタル放送の恩恵で、ほとんどのドラマは「字幕つき」で見ることができる。しかし字幕つきで見てしまうと、今度はそれが役者のセリフのいい間違いや時には下手さ加減を計るバロメーターになりかねない諸刃の刃なのである。その点での評価でいえば、玉木宏は高い点数を取る役者だと思う。字幕とセリフのズレが非常に少ないからだ。それどころか玉木のセリフが逆に「字幕のミス」を指摘してしまうことがある。今回も熱田神宮のところで、字幕では「民のもの」と出ていたが、これは玉木のセリフの通りで「神のもの」が正しい。というか見ているこっちが「あっ字幕が間違ってる」とはっきりと認識できるくらい玉木は見事なカツゼツというかエロキューション(雄弁)だった。「いいぞ頑張れ玉木義朝!」みたいなちょい腐りかけドラマウォッチャーの自分などは、こっち(つまり源氏)を中心にこのドラマを見てしまいそうである。世の中、そんなに面白いことばかりがゴロゴロと転がってるわけがないじゃないの。それよりも自分に向かって転がってくるもののなかに何か面白いものがないかみつけようよなんかの映画のセリフみたいだが、これは数年ぶりに会った自分の知り合いが口にした言葉。ちょっと感心して「へぇ~、面白いこと言うね、いいねそれ」といったら相手は鼻白んだような顔になって「何言ってんのよあなたよそれ私に言ったのは」と返されてしまった。言われてしばらく考え込んだ そしてやっと思い出した。いやこれはシチュエーションがはっきりしないと何のことかわからないだろう。ふたり(つまり自分とその知り合い)がゲームセンターでコイン落とし[写真]をやっているときに相手が「もう世の中つまんないことだらけで…」みたいなグチをこぼした。目の前の円形の大型のゲームマシーンの中のレール上を転がる緑色の球体(オーブ)に例えて自分は「そんなに面白いことが転がってるわけないじゃないの」と軽い気持ちで呟いただけだったんだけど。○知り合いから指摘が来てた。ひょっとするとこれは大事件なのかもしれない。ドラマ中で挿入曲として使われているエマーソン・レイク&パーマーの組曲「タルカス」の件である。このブログの第一回目で「クレジットがキース・エマーソンとグレック・レイクなのはちとおかしい。このパート(噴火)の部分の作曲者はキース・エマーソン単独でいいはずだ」と指摘した。平清盛 久しぶりのNHK大河ドラマ2012.01.08そしたらなんと今回OPではその通りに曲目クレジットが「『タルカス』より『噴火』」と改められ、作曲者クレジットも「キース・エマーソン」になっていた。最初それを聞いたときは「だよね」みたいな極めて軽い感想しかなかったが、その知り合いが言うところでは、「NHKにこのことを問い合わせた人がいたとしても、結局のところネタ元はあんたのブログということになるぞ」ということらしい。どういうことかというと、「平清盛」で使われているタルカスの「噴火」のクレジットはキース・エマーソン単独でいいはずだと指摘していたのはこの日本であんたひとりだけだ、ということらしい。いくらネットで調べてみても、このことを話題にしているサイトとブログはほかに見つからないらしい。さすがに掲示板までは手が回らないだろうと思ってしまうが、なんとその知り合い「オレ以外にはいないはずだ」というんだな。要するにその知り合いがこのブログを持ち出して「(クレジットは)エマーソン単独が正しい」と某掲示板に何度か書き込んだらしい。まあだからどっちにしても(仮に掲示板経由だとしても)最終的に「ネタ元はアンタだよ」と彼は言っている。んー、そうなのか。いや別にそれが正しかろうが間違いだろうが自分はもうどうでもいいんだけど。それよりも上で書いた「転がってくる何か」みたいなことが本当の身の回りで起きてしまうことのほうが自分的には実におもしろい。[追記の追記]その知り合いから「記念だ取っとけ、よければブログにものせて下さいお願いします」という上からなんだか下から目線なんだかよくわからない本文つきで画像が送られてきた。ありがたい。が元の画像があまりにデカすぎて縮小加工がえらい大変でしたな。19インチモニターいっぱいにフル表示されてある意味デスクトップ画像に使えるレベルさえ超過していて、印刷して壁にはっとけとかそういうスケールの大きさでねこれが。2Mバイト画像とかどんだけなんだよ。第一話のOPのクレジット第六話のOP[追加の追加の追加]さらにこんな画像も送られてきた。今度は最初から縮小されていた。第二話と第五話のOPのクレジットである。これをみると、NHK側の苦慮みたいなものも少しは見えてくるか。推測に過ぎないが、おそらく挿入曲「タルカス」のクレジットの表記に関してはNHKと音楽家(とその所属事務所)、そしてレコード会社によるいろいろな話し合いがもたれていたことが伺われる。たとえばだが、もしかすると最初の段階では「タルカス」のほかの曲も使いたいみたいな音楽家側の意向みたいなものもあって作曲者がキース・エマーソンとグレッグ・レイクの併列表記は外せなかった、みたいなものが。第二話第五話(第三第四話ではこの曲が使われていないらしくクレジットはない)
2012年02月16日
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確か数年前にもこのアルバムについて書いた記憶がある。まあいいや。つい最近情報交換をしているフランス系の人からモーニング娘。の新メンバーのことを聞かれた。彼女が気にしているのは「(新メンバーの)小田さくらは日本のファンに歓迎されているのか?」というようなことだった。うーん、海の向こうの人にもそんな心配をさせてしまうくらいのものなのか。自分は、おりにつけて同じようなことばかり書いているが、結局、誰が入ってよかったとかダメだったとかそういうことは全然考えない。外側から(つまり一ファンとして)いろいろといいたくなることはあるのだろうが、そういう思惑というものは結局のところ時間という波に吸収されて無力化されるものだからだ。それ以上に、光井愛佳が抜けて弱くなってしまった「歌」の部分が(小田の加入で)解消されるのであればそれは大きなメリットだろう。そのくらいかな。そのフランス系の人から、だいぶ前にミッシェル・ポルナレフの「未CD化音源リスト」というものを頂戴したことがあった。「間違いがあったら指摘してほしい」という依頼だったが、当時(5.6年前かな)そのリストを見た限りでは自分には間違いがあるかどうかなんて全然わからなかった。過去のメールを刳っているうちにそのリストが出て来たので、ついでという感じで「このリストは更新(リニューアル)されているか?と尋ねたところ、「全然、変わっていないはずだ」という答えが返ってきた。リストは2006年にリリースされた最新曲「Ophelie Flagrant Des Lits」のあと、フランス原版の5枚組CDボックス「Les 100 Plus Belles Chansons」が発売されたところまでである。そののち何枚かのベスト盤や再発盤、寄せ集めCDは出ているが、初CD化のものは出ていない。結局こうなる・ライブ盤(テレビプログラム)・12インチシングルの別テイク曲・サントラに関してはまったくの手付かずのよう。それらを別にしても、何故かどのCDにも入ってないという曲が一曲だけ残っている。1968年にリリースされた4曲入りミニアルバムの最後(つまりB面二曲目)の「おかしなジョー」という曲だ。この曲、何故かフランス原盤アルバムには未収録のまま、ポルナレフが当時契約していた「AZ record」との関係悪化したために宙に浮いたようなカタチになってしまい、いまだにCD音源化されていない(らしい)。もっとも今ではこの曲、聞こうと思えば動画サイトなんかにアナログレコードを再生した音源で聴くことはできる。日本では1974年にそれまで日本で未発売・未発表曲だった曲を集めたコンピュレーション・アルバム「ポルナコレクション Polnacollection」に入っていた。しかし「ポルナコレクション」というアルバムリリースの経緯(日本で勝手に、というと語弊があるが本人の意思すら確認されずに日仏両レコード会社同士の契約関係だけで出されたといわれている)からCDされることなく現在に至っている。自分も昔このレコードを持っていた。現在「レコード」は所持していない。なくなってしまったのだ。いやまあなんていうのか「盗まれた」のである。犯人が誰かもわかっている。身内である(笑)。 盗んだ理由もはっきりしている。女に貢いだのだ。なにしろ当時でもすでに廃盤になってものすごく貴重なレコードでしたからね。中古屋で平気で「10000円」とかの値段がつけられて売られていた時代だ。まあここまでは当時も書いたことだし書けたこと。改めて記事にすることでもない。こっからである。最近知った(忘れていただけかも)ことなのだがこの「おかしなジョー」という曲の原題は「L'AFFREUX JO JO」なのだ。原題を直訳すると「醜いジョジョ」とか「奇妙なジョジョ」という感じか。つまり「ポルナレフが歌うジョジョの曲」ということになる。むしろ音楽ファンよりも、漫画方面とか別方面からこの曲のCD化の需要が出てくるような気がしますが。いかがでしょう。1.悲しきマリー/J'AI DU CHAGRI MARIE1968年発売のミニアルバム収録曲。日本では1973年にシングルとしてリリースされた。2.リンガディン/RING A DING同ミニアルバムに収録。3.哀れなギタリストの告白/LEPUAUV' GUITARISTE1967年発売ミニアルバム収録曲4.僕のベロニク/CHERE VERONIQUEデビュー曲「ノンノン人形」シングル収録曲(45RPMシングルではなく33RPMミニアルバムという説あり)5.侮辱/NE ME MARCHEZ PAS SUR LES PIEDS ポルナレフ、フランスでの最大のヒット曲「愛の願い」のミニアルバム収録6.おかしなジョー/L'AFFREUX JO JO初期ポルナレフ曲に多かった狂想的な歌詞とバンドネオン(アコーディオン)を使った変拍子のオケに乗せて歌う眼鏡大王の声が実にキモイ。もちろんそれが狙いなんだろう。なにしろタイトルが「おかしなジョー」だもの。「ジルベール・ベコーあたりに歌わせたい」と言ったのは故今野雄二氏だったか。7.ミカエルへの哀歌/COMPLAINTE A MICHAEL「ギタリストの告白」同様1967年発売ミニアルバムの収録曲 [B面]8.ファットマダム/FAT MADAME むしろ世界的に知られているポルナレフの曲は「バラ色の心」だろう。[註]その「バラ色の心」がA面一曲目のミニアルバムに収録された曲。9.海/La Mer インストルメンタル曲。これまた難しい選曲。なんでこんな曲入れたんだろうという感じ。そもそもはジャン=ルー・ダバディの風刺劇「ラブレ」のための書き下ろし劇伴曲として発表されたもの。そのうち3曲が再録音されて「渚の想い出」のB面として収録された。ちなみの残りの一曲が「シェリーに口づけ」。こんなオマケみたいな曲が結果日本でのポルナレフ最大のヒット曲になったのは皮肉としかいいようがないだろう。10.ショービジネス候補生/ENCORE UN MOIS,ENCORE UN AN名曲「ラーズ家の舞踏会」ミニアルバム同梱曲。タイトルを直訳すると「あと一ヶ月、あともう一年」11.ビートニク/BEATNICK 「ノンノン人形」のミニアルバム収録。この曲もまた「ギターを弾いているのはジェフ・ベックかジミー・ペイジじゃないのか?」という噂が立っていた。しかし事実関係はクロ。どっちでもない。ベースはおそらくジョン-ポール・ジョーンズだろう。そのあたりからそんな噂がたったのだと思う。(ペイジはファーストアルバムで何曲かギターを弾いている。もちろんレッド・ツェッペリン結成前のことだ)12.男は涙を流さない/LE SAULE PLEUREUR「バラ色の心」のミニアルバム収録13.アベク・ニニ/AVEC NINIポルナレフの隠れた名曲「今夜の列車/UN TRAIN LE SOIR」のシングルB面曲。この選曲に文句を言っていたひとが多かった。おそらくだが当時のレコード会社は「今夜の列車」をシングルで、つまりヒット狙いで温存したのだろうとのこと。(日本コロンビアに在籍していた某氏による証言)14.別れの理由/POURQUOI FAUT-IL SE DIRE ADIEU?この曲が「おかしなジョー」の収録されたミニアルバムのA面曲になる。今風にいうとタイトル・チューン。室内楽風ストリングスの実に良い曲だと思う。気に入らないのは「愛の別離」という邦題だけ。それで自分もこの曲には原題を直訳した「何故別れを告げるべきなのか?」から来たといわれている改題されたこっちのタイトルを使っている。[註]「バラ色の心 Âme câline」という曲は、むしろ後にレイモン・ルフェーブルによってイージーリスニングの曲としてヒットしているし、アメリカではペギー・マーチなんかがカバーしたことで英語直訳タイトルの「Soul Coaxing」という曲名で知られている。おそらくだが「Âme câline」に「バラ色の心」という日本タイトルをつけたのはレイモン・ルフェーブルの日本盤を最初に発売したレコード会社の人ではないかといわれている。CBS(エピック)ソニーで大量にポルナレフのレコードが再発されたときにはテイチクや日本コロムビアでつけていた邦題は相当に改題されたが「バラ色の心」が手付かずだったのは、この曲がルフェーブルのヒット曲のタイトルとして知られすぎていたからではないかと思う。
2012年10月01日
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「河合奈保子」というといまだに「胸の大きなアイドル歌手」という認識のされかたしかされていなようだが、アイドル時代のアルバムでさえとてもじゃないが一筋縄ではいかないものが多かった。特に、大村雅朗が全面アレンジを担当した1983年発表の「スカイ・パーク」の出来は群を抜いていた。惜しむらくは、その音楽世界と歌声が全然マッチしていなかったことだ。シングルの売上では同期の松田聖子や中森明菜、小泉今日子にはかなわなかった河合奈保子だが、アルバムの売上だけを見れば実は遜色がない。しかも86年以降のアルバムのほとんどは作曲までしていた。もう単なる「アイドル歌手」の枠をはみ出していたのだ。それが上手く伝わらなかったのは不幸だったとしか言いようがない。レコード会社としては河合奈保子のこういうアーチスト活動をあまり歓迎していなかったと伝え聞く。実は、というか改めて言うのだが、自分はこの河合奈保子の歌声が好きではなかった。もともと河合奈保子という「歌手」が、ボイストレーニングの優等生という感じがしてならない。最近だと、愛内里菜にも同じ臭いを感じる。ナチュラルな人間性を感じさせない、人工的な歌い方といったら言い過ぎになるか。特に、アイドルにありがちな「せつない感じのバラード」の時の河合奈保子の歌声には、何かしら無理をして完成度の高い声を出そうとしているなという感じがして、不快感すらあった。たぶん、これは転落事故で痛めた腰椎と関係があるのではないかと思っている。あるいは、リハビリの弊害とか。河合奈保子は自分の意志で、自分のナマの歌声ではなく、自分の音楽作品のパートとして自分の声の完成度を高めようと必死だったのかもしれない。知り合いのインストラクターは、河合奈保子のビキニ姿の写真を見て「完全にオーバートレーニングだ」と言っていた。腹側筋の鍛え方が度を越えていたらしい。流石プロは目のつけどころが違うものだ。自分は腹筋から上の部分しか目がいかなかったが。そんな河合奈保子が実はひっそりと音楽活動をひっそりと再開していた。自分も最初は目を疑ったが、今年四月、i-tunes限定のアルバムを二枚(BlueとOrange)リリースしていたのだ。すべてピアノのインストルメンタル。歌無しである。一曲一曲のクオリティーは高い。これは禁句かもしれないが、ジョージ・ウィンストンのピアノソロに近い感じといえばわかりいいかもしれない。もう少し言ってしまえば、メロディーラインが非常に柔らかく、鼻歌で追従できそうなものが多い。アンドレイ・ギャニオンのような、流行の「ヒーリングミュージック」にカテゴライズされてもいいのだが、それらともどこかが違う。ヒーリング=癒しを求めているのは、他の誰でもなく河合奈保子自身のような気がするからだ。二枚のアルバムのタイトルを並べるとin other words(言い換えれば) it's a possibility(可能性) bye bye for now (今はさようなら) keep it short and simple(短く、シンプルに) as a matter of fact(事務的に) tears running down my cheeks (頬を伝う涙) what do you think? (何を考えているのか) significant other(重要な何か) just smile (微笑)face to face(間近) in any case (いかなる場合でも)if you think so(同意) to the best of my knowledge(知る限り一番の) thanks(感謝) in my opinion (私の見方) in real life(日々の生活) as soon as possible(出来る限り) for your amusement (楽しませる)タイトルをつなげてみると文章になりそうで意味深でもある。この二枚のアルバムには、今まで彼女が封印してきたナマの歌声が隠されているような気がする。
2006年07月17日
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1. スターズ・オン・ファイア2. ルーズ・オール・センス・オブ・タイム3. ホワット・カインド・オブ・ガール4. シャイン・オン5. エンター・ザ・エンジェル 6. イン・ミステリアス・ウェイズ 7. ディス・サイド・オブ・パラダイス 8. ステッピング・ソフトリー9. モーニング・グローリー 10. エンター・ザ・エンジェル2 bonus track11. ルーメン・デ・ルーメン (c/w 7'single star on fire)12. ハイディング・イン・プレイン・サイト 13. シティ・オブ・ライツ John Foxx ジョン・フォックス / In Mysterious Ways 輸入盤 【CD】
2010年11月29日
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【スタッフ】監督:本広克行/製作:亀山千広/プロデューサー:臼井裕詞・堀部徹・安藤親広/原案:君塚良一/脚本:十川誠志【キャスト】ユースケ・サンタマリア/寺島進/小泉孝太郎/高杉亘/松重豊/甲本雅裕/遠山俊也/柳葉敏郎/水野美紀/西村雅彦/石井正則/金田龍之介/國村隼/八千草薫/他 (128分 2005/05公開) 【ストーリー】2004年12月24日、雪乃とのデートを約束していた警視庁交渉課準備室課長の真下に、室井管理官から緊急の呼び出しがかかる。地下鉄の最新鋭実験車両1両が何者かに乗っ取られ、複雑に張り巡らされた東京の地下鉄網を暴走、乗降客200万人の命に危険が及んでいた。そしてこの恐るべき事件を引き起こした犯人は、交渉の窓口に、真下を指名したのだった…。面白い映画であった。意外だが、見ごたえのある映画であった。褒めるしかない。「地下鉄をハイジャックする」という一件荒唐無稽な設定だったがよくまとめ上げたものだと感心した。地下鉄マニアと呼ばれる人からもそういう声が多かったようだ。この映画の製作が発表されたのが2004年の夏か秋のころだった。発表されたストーリーの「地下鉄をハイジャックする」というのが本当に可能なのかどうかが気になったので、地下鉄マニアの知り合いに「出来るかな」と地下鉄ハイジャックの可能性を聞いたことがあったのだ。彼の見解では「自走式で、二種類のゲージ(線路幅)と道路を走るためのゴムタイヤを装備した新型車両(そんなものが実際にあるのだそうだ)を千葉か埼玉あたりの車両基地から入れて、「脇線」とよばれている、現在使われていない支線や工事中で放置されている個所を利用すれば、一日や二日くらいならなんとか出来るかもしれない」であった。で、実際に映画で使っていた設定はほとんど彼の言っていたとおりであった。(遠隔操作の方法は多少無理があるらしい)マニア恐るべし。さらに彼はこんなことも言っていたのだ。新線や脇線以外にも、新宿の地下あたりには(新幹線のための)かなり大きな車両基地があって、それが(地下鉄の大江戸線と連結していて)使えるようになっていれば完全逃走も可能かもしれない、と。映画の最後、ハイジャックされた新型車両は新宿方面を目指していったわけだが、プロットの段階か予定稿では彼の言うとおり、その車両基地を利用してどこかに逃走させるつもりだったのかもしれない。結局犯人は姿を表わすことなく消えてしまうという一見不可解なエンディングであったがもう少しこの終わり方を練り上げて「常識の範囲内」に収められることが出来れば映画の出来としては大成功だったのではないか。「踊る大捜査線」が始まった頃、ユースケ・サンタマリアが演じた「真下正義」はほんの脇役でしかなかった。というか、当初 稲垣吾郎がやる予定だったのがスケジュールの都合で折り合わずに事前降板して、オーディションで選ばれたのがユースケ・サンタマリアだったという話だ。実際そのころの番組ポスター・ビデオジャケットを見ると主役級は5人(織田・柳葉・深津・水野・いかりや)であって、ユースケの真下が端役でしかないことが露骨にわかる。しかし実際に最初のシリーズが視聴者に好意的に受け入れられたのはラスト二回の真下が逃亡中の容疑者にピストルで撃たれて瀕死の重傷を負うというエピソードがあったからだ。自分も、もしあれが無ければこのシリーズを高くは評価できなかったかもしれない。(ビデオ屋の店長としてだが)ユースケ・サンタマリアこそ「踊る」シリーズが生んだ最大のスターと言ってもいいのではないか。そしてこの映画がそれなりに出来に仕上がったのはユースケ・サンタマリアという俳優の不思議な個性が成せたことなのかもしれない。そう思ってしまったのだ。この映画にも国村隼、金田龍之介といった色の強い脇役が結構な数出演している。ユースケの浮標なキャラクターが強烈な個性を邪魔したり消したりしていないからである。褒め言葉にはなってないですけど。プロモの中で誰かが「(ユースケの)かわりならたくさんいそうな気もするが・・・実際出来上がってみると彼でなれけば考えられなかった」と言っていたがそういうことではないか。無表情というか脱力感の漲る(!)セリフ回しは下手に訓練された俳優ではなかなか出せない「味」なのかもしれないな。もっとも、冷静に考えてみれば、この映画、別に「踊る」の中の一本にしなくともそれなりに完成度の高い映画にはなったのかもしれない。しかしそれでは商業映画として成功したかどうかは疑問だし、織田裕二を主演にしなかったことでこの映画は上手くいったともいえるのかもしれないのだ。とはいえ、ワンシーンだけのカメオ出演でもいいから織田裕二がチラリとでも映っていれば観客は満足したかもしれない。そういえば、この映画を見終わってロビーに出たとき前にいた二人組の女性が「〇〇の〇って織田裕二っぽくない?」とか言っていたが・・・。
2006年09月28日
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