人生復刻版

Oct 12, 2010
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005.JPG

秋の夜の灯り 5

昔、

小学校の近くに森があって、

そこでふくろうが木の上にいたのを見た。

森は古い神社だった。

小学生には森に見えた。

その森は今は森には見えないし、

神社と木立だけになった。

ふくろうを見たのは、

自分ではほんとに見たと思っているけれど、

100%間違いないかどうかは、

今では断言することが出来ない。

幼稚園のとき、

大きな庭で寝転んでいて、

高い青空の飛行機雲を見たのだけど、

飛行機雲が出るような飛行機はその頃あったのかなと家人に言われて、

1%ほど自信が揺らいだことがあった。

戦時で戦闘機はひんぱんに飛んでたので、

それが飛行機雲を引いていたのだと思うのだけど、

プロペラ機が飛行機雲を出せるのかどうか、

知識がない。

墜落してゆくときの煙なら出るけれど、

そんな恐ろしいことは実際には見たことは無い。

記憶の不確かさの中には、

それが何度も思い出して話したりしたことで、

記憶の内容が変化していったり、

最初あいまいな記憶だったのが、

推測や思い出しなおし作業の中で

実際とは違う定着をしてしまう可能性がないとはいえない。

記憶について追求をされると、

記憶を蘇らせる作業の中で無理が生じることは、

ありそうな気がする。

飛躍するようだけど、

以前にある事件の一部を目撃して110番したとき、

あとで調書に協力したことがあったけど、

警察の人が僕が喋ったとおりじゃなく、

自分たちの文体で書いたものを示して、

こういうことですかと言った。

趣旨的にまあそういうことだなというわけで、

僕の証言文書になってしまう。

そういうとき記憶を詳細に問い詰められると、

あいまいな部分は当然あるので、

でも説明文になってしまうと、

あいまいでわからない、じゃなく、

なんだかある種の説明になっていたりする。

大きな間違いじゃないけれど、

だからといってこういう表現がより正しいとは

なかなか言えるものでもない。

なにしろあいまいな部分や知らない部分は結構あるものだからだ。

取調べの可視化は、

冤罪の防止だけじゃなく、

関係者すべての人に公平さを保つのにも必要だと僕は思う。

Sometimes I'm getting to loseconfidence in myself

about my old memory.






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Last updated  Oct 13, 2010 06:50:47 AM
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