
うるう年のために、
いつもより一日遅れて3月に入ろうとしている。
いつもならパステル調のやさいいイメージなのに
今年はやはり感じ方がちがう。
政府と独立の立場で行われた原発事故の調査報告が話題になっている。
僕が思う事は報告のニュースを聞かなくても同じことなのだけど、
すべての根源は原発の恐ろしさへの無知だ。
それも全国民的無知でもあり、
知識のあった者たちの利権まみれの隠蔽の結果作られた無知でもある。
あるはずもない安全神話という代物だ。
その結果官僚達も政治家達も有事の実践プランを怠っていた。
だから、
菅さんのような皆が厄介だと思うキャラクターの指導者に問題があった印象が
広まってしまっているけれど、
僕は菅さんが一番過酷な立場でもあったと思う。
非常電源用のバッテリー調達に際して
その寸法云々まで首相が電話で問い詰めたのを知って
ゾッとしたという人のことが引用されているけれど、
首相がパニックにならざるを得ない状況というものが続出したからにちがいない。
責任感が暴走して、
組織を適切に使えなくなってしまったのだけど、
これはニワトリとたまごがどっちが先かという話だ。
もっと踏み込んで言えば、
こういう問題以前からずっと
政権交代以来の政府と官僚機構の折り合いの悪さという素地があり、
もっと大胆に言えば
官僚機構の成人病体質が背景にあると思う。
僕は当時のブログでも書いているけど、
菅さんが東電に怒鳴り込んだことは
菅さんだったから出来た必死の起死回生の一打だと思う。
あそう、ふくだ、あべさんが出来ただろうか。
こいずみさんならできただろう。
東電は官僚機構以上に官僚機構みたいだと
誰かが言っていた。
あのときの首相の直接行動がなかったら、
地獄の連鎖から破局に進んだのかもしれないのだ。
東電は社長が官邸に電話してきて現場から撤退させたいと言ったらしい。
ほんとかなと誰しも思うほんとの話らしい。
そんなことはあり得ない!と菅さんは一喝した。
僕はよく言ったと思う。
情報が隠され、操作され、出し惜しみされたら
どんな指導層も破局する。
その状況を首相は直接行動で打開したのだ。
去年から僕はそういう状況を想像するたびに
暗い気持ちになっていた。
そして、報告書が東電がまったく協力しなかったものだったと知って、
怒りが再燃するし、
まるで反社会団体のような、あのようなグロテスクな企業は
早く解体してしまってほしいと思う。
でも、
事故の収束などまだしてはいないし、
終身刑のようなこれからの贖罪の事業が果てしなく続くのだ。