
新年度明け4月1日がカレンダーの最初の日曜日なんてカッコいい。
でも、
カッコいいのはカレンダーだけじゃなかった。
今朝7時前、
自宅近くの交差点で信号待ちしていたら、
前を自転車がビュッ~とよぎって行った。
使い込んだ、荷物かごも使い込まれた様子の自転車で、
髪をピシッと纏めた熟年女性だったのだけど、
横顔でシノハラ婦長だっ!と判った。
あっという間で声もかけなかったけれど、
あの人の勢いと今の僕の勢いの隔たりから
別次元で動く人を目撃したような感じだった。
シノハラ婦長は元々は地元の80床位の町の病院の外来婦長だった。
病院で働く人はみんな忙しいけれど、
特にナースたちはいちばん忙しいけれど、
飛び交う蝶々のなかでも
婦長は特別に激しく飛び交う鋭い蝶々だった。
あんなに頼れる婦長がいると
院長は助かるよなあという
多分多くの患者に知られた存在だった。
訪問看護が始まると、
訪問看護用の車窓にシノハラさんを見つけたことも多かった。
訪問看護にもピッタリの人だなと思った。
たまに早朝に駅に行くとき、
足早に降りてきてタクシーに乗り込むシノハラさんも
よく目撃していた。
シノハラさんは大阪からわざわざ通っていた。
そのシノハラさんが、
何年か前にこの街に介護センターを開業した。
これまたピッタリだなと思った。
長年の地域医療の現場を通じて、
地域の人にもなっているし、
多くの患者、家族に知られてもいる。
実は僕の親達も世話になったし、
僕も世話になった。
そのシノハラさんを今朝久しぶりに見たのだけど、
あの自転車はたぶん今はもう駅から自分の会社までの
「社長専用車」なのだろうし、
昼間もあれで街を飛び交ってもおられるのだろう。
相変わらずの前のめりの忙しそうな自転車のこぎ方と
髪の纏め方を一瞥して、
変わらぬ献身的な仕事ぶりが一気に想像できた。
病院時代、
外来の婦長と病棟の婦長があり、
病棟は親達も世話になって、
立派な婦長の時にはとても信頼感があったし、
その人が代わってからは随分困った婦長になって
雰囲気が一変したこともあった。
院長も手を焼いていただろうけれど、
そういう場合すぐには院長も打開できないものだ。
外来の名婦長は長く続いた。
外来といっても、
町の病院の場合は常連が多くて、
いわば通いの入院モードだから、
婦長の采配と患者達との多彩な対応振りは素晴らしかった。
そういう女性は若く見えるから、
独立開業なさったのも、
もしかしたら早くも定年だったのかもしれない。
かりに途中退職であっても、
地域医療と介護サービスとは一体性があるのが理想だから、
とてもいいなと僕は思う。
父はその病院で逝った。
我侭だった父だけど、
シノハラさんには素直だった。
僕も、
お世話になることになるかもしれない。
僕もシノハラさんなら
素直になるだろう。
![]()