去年の今日のブログを見たら、
結びはこうなっていた。
地球は、
絶滅の歴史だったと、
長いスパンではそう言われているし、
そうなのだろう。
現代人の生涯が体験しているこの未曾有の急進と激動は
破局の前奏曲のようにも思える。
そう想像すると、
すべての世の中の現象がそれに沿っているようにも思う。
そうプログラムされている中を
人間はそれぞれ善行と悪行を演じているだけのような
そうそういう世の中にも見えてくる。
増税に逃げた政治家も、
原発の取り返しのつかなさを見ない振りする人たちも
ただのその中の部品みたいなものなのか。
木馬だと思ってたら
中から野田某氏が出てきて、
民主党って自民党だったというマジックを見せられた頃だ。
民主党は自民党政権の露払いをしただけだった。
原発事故や
原発問題自体には深刻さに応じた本気度が欠けたままで、
増税やいろいろな巧妙な切り捨て施策だけは
実施段階に入ってきた。
統治機構を変えると言った維新も
第二の木馬みたいになってしまったし、
ユアパーティこと、みんなも個人商店で終わりそうだ。
打たれて強くなった官僚機構にとって、
すべてが思う壺に落ち着いてきて、
日本は進化や改革を諦めた安ど感に包まれている。
現在と将来の国民が犠牲になるのは明らかなのに、
そういう体制に戻ることを選んだのも国民だ。
