人間はみんな
必ず死ぬと思っている。
死ぬと分かっている。
他者の死を悼む。
心から悼む気になる。
わざとらしい場合もある。
でも、
死んでしまったことを笑ったりはしない。
それなのに
死がいずれ来ることは
笑ったり、苦笑交じりに言うことは多い。
もう歳だし、
長くは居ないのだし、
というのを
自虐的に言う場合だ。
生きている者には、
死はほんとはこんなふうに
口にするにはあまりにも深刻な現実なのだけど、
もしかしたら、
深刻でもなんでもないのかもしれない。
少なくとも、
アベコベ氏はそうらしい。
2012年という時に
せっかく政権を取ったというのに、
やることは逆行ばかりの
サイテー男だった。
「参拝」できなかったことがザンキのネンじゃなく、
それを言うなら
原発を顧みなかったことこそ
ざんきのねんであり、
起こってしまった非常事態こそ
ざんきのねんであり、
コントロールできないことを知ったからには
原発廃絶に舵を切る最後の機会、
唯一無二の使命が彼には降りたのだった。
凡庸の大罪というべきか、
狂気のように逆噴射に走りだしただけでなく、
世界の範たる平和憲法を蹂躙する凶行に出た。
日本列島を
放射性物質の墓場にするのが原発の末路なのに、
何を世迷い事ばかり繰り返しているのだ。
山本太郎議員と広瀬隆さんのドイツ視察のDVDを見た。
小泉純一郎さんがフィンランドで見たものは知らないけれど、
小泉さんが改心したことはよく分かる。
誰でも見ただけで分かるだろうけれど、
放射性物質廃棄ということだけでも
「不可能」という3文字しか出てこない。
山本さんも広瀬さんも
恐ろしい現実を見ながら、
ときどき笑いでごまかすような物言いになる。
それは気になることだけど、
世間で人々が死について口にするときと同じだから
無理もないなと思った。
悲しい。
哀しい。