
子供の頃サルスベリとして覚えてきた百日紅は
長い夏に耐えて長く咲くので、
歳とともに好きになってきた。
今日は狭い庭にも少しある植木を
剪定してもらっている。
松はどうしても自分じゃ手に負えないから、
松や高い木だけ頼んだ。
松が自分には不可能なことが理由だけど、
手におえないことはアウトソーシングしようと
妻がさかんに言うようになった。
近所のFさんは、
ほぼたぶん同世代なんだけど、
身なりも立ち居振る舞いも端正な人だ。
ところが半年ほど前から、
少しいつものようでないので、
いぶかしく感じていた。
妻が近所の人から聞いた話では、
自宅の植木の剪定をしていて
落ちて頭を打ったのだという。
大事には至らず復活傾向と思われるのだけど、
そういうこともあるし、
もう頼めることは頼もうという生活方針にシフトしようというわけなのだ。
自分のことは自分で、と
将来の不安をどこかで類推しながら、
僕はそう心がけているのだけど、
政府(=妻)の方針は示されたわけだ。
自分のことは自分で、
ってなんか子供のしつけみたいだけど、
高齢期になると
ふたたび心得ごとになってくる。
でも、
頼めることは頼もう、
との加減の調整は結構むずかしい。。
なんかどこかで聞いたような・・・
あ、
民でやれることは民で、
そうだ。純一郎節だった。
純一郎氏はきらいじゃなかったが、
当時なぜアベコベ氏を後継にしたのか、
世紀の疑問だ。
後悔しているかもしれない。