東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約

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2012.09.30
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「山の霊的な教え」

  • 121021特礼チラシブログ用.jpg
  • インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network
    Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しま
    した。以下のURLをクリックすると見ることができます。
    2012年8月3日放映「キリスト教の信仰」

    http://japan.cgntv.net/_inc/player.asp?pid=2384&type=vod&player=8&bit=high&vid=57593&dreamon=Y 「山の霊的な教え」
                                                  甲斐慎一郎
                                 詩篇24篇1~6節

     聖書は神の霊感によって記された神のことばですが、その文体や
    用語法は様々です。特に霊の真理を教えるための比喩的な用語法は
    実に多種多様です。同じことばであっても、いくつもの意味をもっ
    ています。

     「山」ということばも、その一つであり、旧約聖書の中では、次
    に記すような九つの意味があります。キリスト教と異教とを問わず、
    「山」と「宗教」とは、切っても切れない関係にあるようです(第
    一列王20章23節)。九つの中で特に重要な三つを選んで、「山」
    の霊的な教えについて学んでみましょう。

    1.「私は山に向かって目を上げる」(詩篇121篇1節)
     これは神の被造物としての山を教えており、私たちは山を見る時、
    それを造られた偉大な神を思うのです。

    2.「山々よ。......地の変わることのない基よ」(ミカ6章2節)
     山というのは、堅固で、不動のものの象徴です(イザヤ54章10
    節)。

     3.「山々、丘々は義によって、民に平和をもたらしますように」
    (詩篇72篇3節)
     ここでいう山とは、国のことを指しています。

    4.「ろばのあご骨で、山と積み上げた」(士師15章16節)、
    「山なすしかばね」(ナホム3章3節)
     蓄積されたり、積み上げられたりして、多くなったり、大きくな
    ったりしたものを山と呼んでいます。

    5.「すべての山や丘は低くなる」(イザヤ40章4節)
     ここでは高慢な心を山にたとえています。

    6.「山に逃げなさい」(創世記19章17節)
     山は、安全な隠れ家や避難場所を意味しています。

     この六つのほかに、さらに三つの意味があります。

    一、「だれが、主の山に登りえようか」(詩篇24篇3節)

     山は高い所です。ですから山とは、霊的には「信仰の高嶺」を意
    味しています。しかしここでいう山とは、単なる「信仰の高嶺」の
    ことではなく、「聖なる所」(詩篇24篇3節)であり、「幕屋」
    (同15篇1節)です。すなわち「聖なる神の臨在される所」です。
    私たちが信仰をもって聖なる神に近づくなら、「主から祝福を受け、
    その救いの神から義を受け」て、「手がきよく、心がきよらかな者」
    (同24篇5、4節)とされるのです。

    二、「主があの日に約束されたこの山地を私に与えてくださ
    い」(ヨシュア14章12節)

     ここでいう「山地」は、直接的には文字通りの山ですが、私たち
    にとっては、「主があの日に約束された」とあるので、私たち人間
    が自分勝手に決めたものではなく、神のみこころにかなったもので
    あり、それは、「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神
    の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走」ることを表してい
    ます(ピリピ3章14節)。

     私たちは、このような「山」に向かって走っているでしょうか。
    もし私たちがこのような「山」を持たなければ、目先の困難や罪に
    負けてしまい、この世の流れに流されて、惰性的に生きることにな
    るでしょう。

    三、「大いなる山よ。おまえは何者だ。......平地となれ」
    (ゼカリヤ4章7節)

     ここでいう「山」は、霊的には「神の国に敵対するサタンの国」
    を指していますが、一般的には「困難や敵の妨害」のことを意味し
    ています。神のみこころの道を歩んでも、行く手に幾多の困難が立
    ちはだかりますが、信仰をもって困難の山に立ち向かうなら、神は、
    次のような救いを与えてくださるのです。

    1.困難が取り除かれて平地となる
    2.困難の山を乗り越えることができる
    3.困難の中を苦難のトンネルによって通過する

     私たちは、聖なる神の臨在される「主の山に登」って、「手がき
    よく、心がきよらかな者」とされ、「神の栄冠を得るために、目標
    を目ざして一心に走」るなら、「大いなる山」は「平地とな」るの
    です。

    甲斐慎一郎の著書 説教集

    東京フリーメソジスト昭島キリスト教会






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    Last updated  2013.06.25 20:02:03
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